テーマ:奈良のお寺

中性院 (奈良県奈良市) 東大寺塔頭

東大寺大仏殿の北西に位置する大仏池から、大仏殿裏を通って二月堂への 裏参道沿いに、瓦を練り込んだ瓦塀の中性院が建つ。 中性院の開創は不詳であるが、本尊弥勒菩薩立像はかっては快慶作と 話題になった仏像である。 近年では、この仏像は、建久年間(1190~99年)に興福寺に祀られ、 その後東大寺戒壇院千手堂に移座され、いつしか中性院…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

妙法寺 (奈良県吉野町) 大師山寺

吉野川を見下ろす高台に建つ大師山寺は、天平年間(729~749年)に 開創されたと伝えるが、詳細は不詳である。 1745年再興されている。 大師山寺は通称であるが、大師信仰を表すお寺そのものである。 <奈良県のお寺一覧>参照 (1)寺名:妙法寺(みょうほうじ)<通称:大師山寺> (2)住所:奈良県吉野町上市2103 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大親寺 (奈良県天理市) 桃尾の滝

日本最古類の石上神宮(いそのかみじんぐう)の元宮(奥の院)とも いわれる大国見山の山麓に落ちる桃尾の滝(もものおのたき)は、古からの 修行場で、現在も続いている。 この滝は布留の滝ともいわれ、後嵯峨天皇も詠んでいる。 <今はまた行きても見ばや石の上ふるの滝津瀬跡をたづねて> この桃尾の滝一帯に、和銅年間(708~715年)義淵…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

慶運寺 (奈良県桜井市)

桜井市北部の纏向遺跡の南端にある箸墓古墳の東に建つ慶運寺は 1634年の開創で、本尊は浄土宗では珍しい阿弥陀如来と十一面観音である。 お寺の周辺には古墳が多く、古墳時代後期の6基の古墳があった。 どれも開発によって改変されている。 その内のひとつから出土した石棺に彫られた石仏は鎌倉時代の ものとみられる。 お寺周辺は歴史散策…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

新家長福寺 (奈良県広陵町) 桜御坊

新家長福寺は、1573年赤部長福寺として開創され、1631年新家長福寺 となっている。 1697~1961年の間は、京都東本願寺の新家別院であったが、1961年 新家長福寺に戻っている。 長い間、この地域の真宗拠点として活動している。 昔から桜が多く桜御坊と呼ばれたが、戦後古木が枯れたり、暴風により 倒れたりして、桜御坊の風…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

薬音寺 (奈良県山添村) 20躯の古仏

大和高原の布目ダム湖から西へ1kmほど山中へ入った地に、かっては神仏習合の 戸隠神社と同居する形で薬音寺がある。 現在は、集会所としての機能を併せ持つ会所寺となっている。 この寂れた山寺に、20躯の平安~鎌倉時代の古仏が伝えられている不思議が ある。 9世紀末~13世紀と推定される古仏は、  如来像6躯、観音像4躯、地蔵像3…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

金龍寺 (奈良県奈良市都祁)

大和高原の都祁地区は、大和でも古い歴史を持つ山里で、古代国家として <闘鶏(つげ)>国があったが、大化改新後、大和朝廷に吸収され、 都祁郷となっている。 戦国時代、現在の天理市山田町にあった山田城から都祁馬場にあった 馬場城主となった山田順貞(道安)が都祁馬場地区を治め、永禄年間 (1558~70年)に金龍寺を開創し、山田氏の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

立野寺 (奈良県奈良市柳生町)

柳生の里から南へ国道369号を1kmほどの左手山麓に建つ立野寺の 開創は不詳であるが、室町時代の開創といわれている。 小さな集落にあって健在なお寺で、境内も整備されている。 このお寺を外部から訪れる人の対象は、石仏や石塔なのだろう。 私もその同類で、特に十三重石塔が目玉である。 文化財には指定されていないが、南北朝~室町時代の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

観音寺 (奈良県奈良市針町) 十三重石塔

奈良市と合併した都祁村の針町にあって、針の観音寺と呼ばれている 観音寺は宝亀年間(770~779年)の開創と伝えられているが詳細は 不詳である。 隣に建つ春日神社の大般若経(南北朝時代書写)が観音寺に残っている ことから、神仏習合のお寺であったろう。 境内に建つ十三重石塔は1352年石工・伊行長の建立によるもので、 石工…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

光明寺 (奈良県大和郡山市柏木町)

大和郡山市南部の柏木集落にひっそりと建つ光明寺には、重要文化財に 指定された阿弥陀三尊像と伝善導大師像の4駆の仏像が所蔵されている。 阿弥陀三尊像はどれも立像で、室町時代の造立である。 善導大師は中国浄土教の確立者といわれ、日本の浄土宗に強い影響を 与え、浄土宗や浄土真宗の高祖として祀られている。 伝善導大師坐像は寺伝として伝…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

岡本寺 (奈良県明日香村)

岡寺参道に建つ岡本寺は、飛鳥時代の舒明天皇の飛鳥岡本宮跡に建つと いわれたことから岡本寺と呼ばれたと伝えられている。 飛鳥岡本宮跡は岡本寺の北西500mほどにあったと推定される。 本堂の観音堂と本坊は少し離れて建ち、本坊には弘法大師を祀り、 あすか大師と呼ばれ信仰を集めている。 岡本寺の開創は不詳である。 <奈良県のお寺…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

正覚寺 (奈良県橿原市十市町)

小さいけれども瀟洒な阿弥陀堂だけの正覚寺には、奈良県指定文化財の 大日如来坐像が祀られている。 無住であるが、地域の人々によって維持管理されている。 お寺の開創や宗派は不詳で、宗派が不詳というのは珍しい。 橿原市教育委員会に予約すれば大日如来像を拝観できるとか。 <奈良県のお寺一覧>参照 (1)寺名:正覚寺(しょうか…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

西念寺 (奈良県天理市福住)

天理市東部の山里集落である福住に、近年珍しくなった茅葺屋根の 本堂が建つのが西念寺である。 ここには、素木のままの長谷寺式十一面観音立像が祀られている。 この十一面観音立像は、1531年東大寺仏師・実清が宿院仏師・源四郎、 源次を助手として造立した長楽寺(廃寺)の本尊であった。 宿院仏師は戦国時代に活躍した奈良の大工集団から発…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

善福寺 (奈良県天理市和邇町)

天理市和邇町は、5~6世紀に勢力を持った古代豪族・和邇氏の 本拠地といわれ、古事記にも出現し、周囲には古墳も多く分布している 地域である。 善福寺は和邇町に立地し、1477年開創と伝えられている。 また、明治時代の廃仏毀釈により、和邇坐赤比古神社の神宮寺から 仏像が善福寺に移座されている。 <奈良県のお寺一覧>参照 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

満願寺 (奈良県桜井市) 八講桜

桜井市今井谷の山里に、1本のシダレ桜が竹林を背に可憐な花を咲かせる。 かっては満願寺が建っていたが、今は廃寺となり集会所が建っている。 この桜は<八講桜>と呼ばれ、藤原鎌足を偲ぶ八講祭の時に植樹された ことから、その名がついたといわれている。 推定樹齢は300年といわれている。 小さな可憐な花だけに、華やかな姿ではないが、竹林…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

長久寺 (奈良県山添村)

山添村南東部に位置する<毛原(けはら)の里>は自然と文化遺産に 恵まれた山里である。 奈良時代に建立された<毛原廃寺>は唐招提寺にも匹敵する大寺 といわれたが、いつしか廃寺となり、今は礎石などが残る跡地のみである。 毛原廃寺が廃れた後に、毛原の里人の菩提寺として開創されたのが 長久寺と伝えられている。 明治時代に再興した智龍…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

阿対の石仏 (奈良県奈良市柳生下町)

奈良市東部、柳生の里を笠置に向って流れる打滝川に沿って県道4号 を、十兵杉から北に800mほどの川沿いに<阿対の石仏>が見える。 県道4号から小さな橋を渡った先に磨崖仏と祠に出会う。 この磨崖仏の中心に、阿弥陀如来が、左下に地蔵菩薩が浮彫り されている。室町時代の彫りといわれている。 この地蔵菩薩は子授かりのご利益があると、信…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

花園寺 (奈良県天理市) 石仏

天理市を南北に通る古代の官道で、壬申の乱でもみられる<中ツ道> に面して建つ花園寺には、阿弥陀板碑石仏が造立されている。 1553年井戸城主・井戸良弘が父・覚弘(常弘)の菩提を弔うために 造立した供養碑である。 井戸城は、室町時代現在の石上市神社あたりに井戸氏が築城し、 1570年まで井戸氏の本拠であった。 井戸氏は地元の豪…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

常念寺 (奈良県広陵町広瀬)

常念寺は、1530年箸尾城主・箸尾為高(?)が引退後出家し、 楽誉浄海となってから箸尾氏の菩提寺として開創したのであろう と伝えられている。 箸尾氏は、中世の大和四家(筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏)の 豪族として、箸尾城を根拠に戦国時代1580年頃まで続いていた。 常念寺は田畑の中にあって、三重塔を構えて一つの風景を作っ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

毛原廃寺 (奈良県山添村)

笠間川を眼下に望む山麓に小さな毛原集落があり、その一画に奈良時代の 大寺と考えられる毛原廃寺跡が保存されている。 奈良時代前期~中頃のお寺と推定され、金堂跡、南門跡、中門跡の礎石が 残されている。 西塔、講堂などもあったと推定されている。 毛原廃寺は東大寺大仏殿建立のために施入された杣の東大寺領に あったことから、東大寺の末…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

青龍寺 (奈良県奈良市藺生町)

藺生町(いうちょう)はかって都祁村にあって、合併によって奈良市に編入 された山農村地区である。 青龍寺の開創は不詳であるが、境内に安置されている宝篋印塔は 鎌倉時代末期の造立と考えられている。 この石塔は完形に近い状態で保存されており、貴重な資料となっている。 茅葺の本堂と石塔の妙が風景を作っている。 <奈良県のお寺一覧…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

菅生寺 (奈良県吉野町)

菅生寺は、7世紀後半に義淵僧正が竜門岳山腹に開創したと伝える龍門寺の 塔頭・龍華院が始まりと伝えられている。 龍門寺は岡寺と共に、開創された古代寺院であるが、応仁の乱(1467~77年) の後に廃れ、現在は塔跡などが残されている。 龍華院も同様の道をたどったが、1808年再興され菅生寺として再出発し、 1980年尼僧によって再…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

楽田寺 (奈良県田原本町) 田原本の古刹

田原本町の市街地に建つ楽田寺は、729年開創されたと伝えられ、 823年弘法大師が訪れ真言密教の道場としたといわれている。 中世においては、興福寺の末寺として大いに栄えたといわれ、 室町時代には門前町を形成し、田原本町の基礎が築かれたと いわれている。 また、津島神社の神宮寺でもあった。 1685年に融通念仏宗のお寺になって…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

極楽寺 (奈良県川西町)

川西町、三宅町、田原本町の一部の八つの集落を八ヶ郷と呼び、その郷の 広大な共同墓地(八ヶ郷墓地)の中に極楽寺と安養院が建つ。 2寺院は墓地の墓寺である。 八ヶ郷墓地の歴史は古く古代から続いているといわれている。 墓地の中には古墳も残っている。 墓寺は平安時代の10~11世紀に、末法思想のもとに設置され始めたと いわれ、その代…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

来迎寺 (奈良県大和郡山市)

大和郡山市南部を東西に走る西名阪道の南に拡がる住宅地の中に、 鴟尾を掲げる豪壮な本堂が建つのが来迎寺である。 来迎寺の開創については不詳であるが、1697年現在地に 移ってきたといわれている。 境内も広く、伽藍も整備され堂々としたお寺の風景である。 歴史的な事象は不詳であるが、お寺の風景を堪能できるであろう。 <奈良県の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

極楽寺 (奈良県天理市)

天理市櫟本町といえば、万葉集の歌聖と呼ばれた柿本人麻呂の生誕地 といわれている。生誕地については諸説があるが、櫟本町は有力な説と いわれている。 そして、奈良時代に開創されたと伝えられる柿本氏の氏寺・柿本寺が 櫟本町に存在したが、明治時代の廃仏毀釈により廃寺となっている。 極楽寺には、柿本寺(しほんじ)の人麻呂ゆかりの寺宝が引…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

国分寺 (奈良県橿原市)

741年、聖武天皇は全国66ヶ国に国家鎮護を祈って国分寺と国分尼寺を 創建する詔を発している。 東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺として建立がなされているが、 大和国の国分寺は東大寺が兼ねるのが通説となっているが、一説には 大和国分寺として橿原市の国分寺を当てている。 橿原市国分寺の開創は不詳であるが、史料面からは天正年間に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

外山不動院 (奈良県桜井市)

国道165号沿いの外山(とび)地区に入ると、大きな立看が目に入る。 小さなお寺であるが、歴史上も由緒のある外山不動院が道路側下に 建つ。 平安時代に宗像神社の神宮寺として開創されたと伝わる。 ここから南の多武峰にある藤原鎌足を祀る談山神社へ参詣する前に、 藤原一門の人達は外山不動院で身を清めてから参詣したといわれ、 山号に藤…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

名称寺 (奈良県大和高田市)

名称寺の門前には堀の名残が残っているが、これは1570年から1580年まで 続いた本願寺と織田信長との石山合戦において、1572年から名称寺も 本願寺方に参戦した折に構築されたと伝えられている。 しかし、織田軍に攻められ名称寺も陥落している。 名称寺は、聖徳太子が建立したと伝えられる熊凝精舎の後継寺の百済大寺の 跡地に、133…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

与楽寺 (奈良県広陵町)

田畑の中に建つ与楽寺の開創は不詳であるが、弘法大師の伯母による 開創ともいわれている。 お寺に伝わる十一面観音立像からも奈良時代後期の開創と推定できる かも。 1233年銘の十一面観音立像(鞘仏)の補修の際、胎内から見つかった 十一面観音立像がマユミの木で造られた渡来仏である。 恐らく遣唐使によって請来されたと考えられている…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more