勝楽寺 (愛知県新城市) 長篠の戦い

武田信玄が1573年没後の1575年、武田勝頼軍と織田・徳川連合軍の
一大決戦となった<長篠の戦い>は、武田の衰微へと繋がり、一方
織田信長の伸長へとなった。
この戦いにおける主戦場は設楽原であり、その南端になる勝楽寺前戦場
は、武田四天王・山縣昌景が陣地とした勝楽寺から打って出た戦場である。
この戦いで武田軍の主要な人物が戦死し、山形昌景も露と消えている。

勝楽寺は、1400年前後に松楽寺として開創されたといわれ、長篠の戦い後
信長・家康が立ち寄り、松を勝に替えて勝楽寺としたと伝えられている。
勝楽寺には武田軍の位牌が祀られている。
また、徳川軍に参加した地元の川路城主・設楽氏の菩提寺でもある。
設楽原古戦場跡の丘陵地に資料館があり、長篠の戦いを想起できる。

<愛知県のお寺一覧>参照

(1)寺名:勝楽寺(しょうらくじ) (2)住所:愛知県新城市川路夜燈20
(3)山号:聖堂山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開山:遵慶律師 (6)開創:1400年前後 (7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)魚板:市指定文化財
2)参考
  長篠設楽原古戦場跡:市指定史跡

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                     設楽原古戦場跡

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                    設楽原歴史資料館

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                        山門

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                        境内

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                        本堂

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                        鐘楼