もくもく探索日誌 2009年10月9日 京都寺町通

爽やかな秋の陽射しを受けて、京都寺町通を北から南へ散策の
気分で歩いてみたが、少し肌寒い感じが伝わり台風18号の通過
で秋が少し深まったと感じられる。

寺町通は、北は鞍馬口から南北に京都御所の東側を通り五条通
に至る4.6kmの通りである。
応仁の乱や戦国時代を経て京都が大いに荒れたが、豊臣秀吉が
聚楽第を建立したのに始まり、京都改造計画に乗り出し、平安京の
東京極大路にあたる路の東側にお寺を集約させ、それ以降寺町通
と呼ばれるようになった。そのお寺の数は200ヶ寺を越えていたと
言われている。現在は、80ヶ寺ぐらいと思う。
 
ちなみに、河原町通は江戸時代に整備され、新京極通は寺町通の
お寺の境内を南北に貫いて明治時代に整備されている。
歴史上も京都の東を南北に走る寺町通は最も古いといえよう。

鞍馬口にある上善寺は<京都六地蔵巡り>の一つで鞍馬口地蔵
と呼ばれており、8月の地蔵盆には多くの参拝者がある。

画像
                      上善寺

額縁門と呼ばれる天寧寺の山門から比叡山が絵画のように納まって
いる。このお寺は何度も足を運ぶ風景を持っている。


西園寺を経て、織田信長の墓がある阿弥陀寺へ向かう。
織田信長の墓は何ヶ所かにあり、その中でも阿弥陀寺の墓が本命
と言われている。


阿弥陀寺の隣に、モダンな本堂の十念寺がある。この本堂は
大阪の一心寺住職が設計したそうである。寺町通でも異彩を放っている。
仏陀寺・本満寺などを経て今出川通に出る。
ここまでの寺町はまさしくお寺の町という風景を持ち続けている。


今出川通から丸太町通までは京都御所の東側を寺町通が通り、
自動車の通行も増える。
本禅寺・清浄華院を経て
ここには、紫式部の邸宅跡に建つと伝わる廬山寺がある。庭園の
鑑賞は有料であるが、寺町通のお寺で庭園を備えている数少ない
お寺の一つである。また、節分会でも知られている。
観光客も訪れ、京都のお寺(観光寺)の仲間に入っている。


丸太町通を過ぎてすぐに西国三十三所観音霊場第19番の革堂
(行願寺)へ至る。
相変わらず霊場巡りの参拝者で賑わっており、今まで訪れたお寺
にはない活気が漂っている。
この周辺は明治以降お寺がほとんど移転しているそうだ。

御池通から愈々寺町商店街が始まる。
江戸時代も寺町通の西側には店が建ち、東のお寺境内には露店が
出て賑わっていたそうだ。
明治時代にお寺の境内を貫いて、寺町通のすぐ東側に新京極通を
開通させ一大商店街になる基礎が造られている。
現在、お寺は新京極通の東に面して境内も狭い窮屈な状態で残って
いる。


本能寺だけはある程度の境内を残しており、信長も浮かばれるだろう。
今日も修学旅行生が写真に納まっていたが、残念ながら本堂は修理中
で、生徒もぶつぶつ。


この新京極には和泉式部ゆかりの誠心院があり、式部の墓といわれる
石塔があるが、ほとんど知られていないだろう。
新京極の東側には裏寺町通と呼ばれる一角があり、ここにも多くのお寺
がビルに囲まれて集約している。


四条通と寺町通の交差点に甘栗屋さんの店内を通って安産祈願の
染殿院がこじんまりとあるが、これぞ信仰の象徴であろう。


四条通から五条通の寺町はミニ電器街になっているが、矢張りお寺が
目立つ寺町だ。

五条通で寺町は終わりだが、五条から七条への富小路通を下寺町通
と呼ぶほどにここもお寺が集約している。
昔の寺町通を想像すると京都のお寺の様が窺いできそうだ。
4時間の散策を鴨川の冷気で思い出す。