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zoom RSS テーマ「東海北陸のお寺」のブログ記事

みんなの「東海北陸のお寺」ブログ

タイトル 日 時
昌光律寺 (愛知県岡崎市)
昌光律寺 (愛知県岡崎市) 県道39号に面した昌光律寺の若松の参道を歩むと、右手に瓦を積み上げた 円塔が目に飛び込んできた。一体なんだろうか。珍しい。 山門を入ると、<しらがし>の古木などの木々が生い茂り、手入れされた 境内に心癒される。 昌光律寺は1765年、浄土宗の戒律を重視する律院として開創されている。 七代住職万空は詩文に長け、画人・月僊や頼山陽などと交友し、文人寺 として賑わった。特に、月僊の作品が数多く残され<月僊寺>とも いわれたとか。 ...続きを見る

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2019/02/07 07:48
岐阜県揖斐川町池田町本巣市のお寺一覧
岐阜県揖斐川町池田町本巣市のお寺一覧 横蔵寺(揖斐川町):仏像の宝庫 華厳寺(揖斐川町):西国三十三所観音霊場第33番 月桂院(揖斐川町):戦国武将・稲葉一鉄の菩提寺 瑞巌寺(揖斐川町):守護大名・土岐頼康の菩提寺 西蓮寺(揖斐川町):ムクノキ 松林寺(揖斐川町):揖斐藩主の菩提寺 一心寺(揖斐川町):城台山の中腹 法雲寺(揖斐川町):守護大名・土岐頼芸の菩提寺 平安寺(池田町):ミニ二重塔 弓削寺(池田町):白河法皇ゆかりの寺 禅蔵寺(池田町):美濃守護・土岐頼忠の菩提寺 凉雲寺(池田町):寝覚の里 善南寺... ...続きを見る

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2019/02/06 11:50
三重県津市、松阪市のお寺
三重県津市、松阪市のお寺  専修寺(津市):真宗高田派本山 趣のある庭園  慈智院(津市):専修寺塔頭 本堂  四天王寺(津市):聖徳太子創建と伝えるお寺  津観音(津市):日本三観音  蓮光院初馬寺(津市):津の初午  西来寺(津市):天台真盛宗別格中本山  浄明院(津市):津藩主・藤堂家ゆかりの寺  寒松院(津市):津藩主藤堂家の菩提寺  大神宮寺(津市):御倉堂  蓮蔵寺(津市):元三大師の開創  栄松寺(津市):桃園三地蔵  宝樹寺(津市):桃園三地蔵  光明寺(津市):桃園三地蔵  引... ...続きを見る

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2019/02/06 10:23
上宮寺 (三重県津市) 聖徳太子ゆかりの寺
上宮寺 (三重県津市) 聖徳太子ゆかりの寺 フェニックス通に面して建つ上宮寺は、597年聖徳太子が阿漕浦に16歳の 自刻像を祀り、紫雲寺を開創したと伝え、これが上宮寺の始まりといわれている。 7世紀になって上宮寺の勅額を受け、710年奈良興福寺の末寺となっている。 1236年親鸞聖人に帰依した住職・西津は念仏道場に改め、この頃 <阿漕平治の伝説>が生れている。 1580年現在地に移っている。 ...続きを見る

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2019/02/06 09:33
誓願寺 (愛知県豊田市)
誓願寺 (愛知県豊田市) 上郷町の小高い処に建つ誓願寺は、1330年開創と伝える禅寺であった。 15世紀中頃の三河上野城主・戸田氏の庇護を受け、菩提寺となっている。 戸田氏は1475年には、渥美半島に本拠を移し、勢力を拡大している。 現在の誓願寺には、戸田氏の墓石が残っているが、菩提寺の面影は 見られない。 ...続きを見る

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2019/02/05 08:37
万福寺 (岐阜県下呂市金山町)
万福寺 (岐阜県下呂市金山町) 飛騨川を渡って、金山町中津原集落を通り抜けた山麓に建つのが万福寺である。 <逆松傘積みの石垣>と呼ばれる18世紀の石垣の上に建っている。 石畳の参道、石垣とふんだんに石を使った境内は静寂に包まれている。 万福寺は、724年泰澄大師によって開創されたと伝える古刹である。 1538年萩原桜洞城主によって再興され、1630年万福寺と枚名している。 ...続きを見る

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2019/02/03 09:28
善妙寺 (福井県敦賀市)
善妙寺 (福井県敦賀市) 越前一之宮気比神宮に、日本で最初といわれる神宮寺<気比神宮寺>が 715年開創されたと伝えられている。 その神宮寺の釈迦寺住職・空覚が法然上人に帰依して、1259年開創した のが善妙寺といわれている。その経緯については不詳であるが、 神宮寺の一部が改宗する珍しい事例といえよう。 室町時代には、越前守護の庇護を受け寺領を安堵されている。 ...続きを見る

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2019/02/01 16:45
慶徳寺 (石川県加賀市)
慶徳寺 (石川県加賀市) 加賀市大聖寺町の街中に建つ慶徳寺の開創については不詳なところも あるが、1471年蓮如上人が吉崎に来た時に、木曽義仲の末裔 といわれた現在の滋賀県高島市マキノ町願慶寺の僧円海が蓮如上人に 帰依し、教善の名を与えられ、その後現在の加賀市中代町に庵を 結んだのが始まりと伝えられている。 大聖寺藩ができた後、城下町の整備が行われた際に、一向一揆を 塞ぐために浄土真宗のお寺は城下に分散して配置された。 現在の慶徳寺もその配置によって移転している。 ...続きを見る

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2019/01/30 08:56
三重県のお寺一覧
三重県のお寺一覧 三重県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2019/01/29 14:50
徳蓮院 (三重県名張市) 名張藤堂氏の菩提寺
徳蓮院 (三重県名張市) 名張藤堂氏の菩提寺 江戸時代、名張の礎を築いた名張藤堂氏の菩提寺が徳蓮院である。 名張藤堂氏の祖・藤堂高吉は、津藩主藤堂高虎の養子で、高虎の 後継者であったが、高虎に実子が生れると、後継者としていた高吉を 疎んじ、実子の高次を後継者とした。 2代目津藩主となった高次は、1636年高吉を名張へ左遷して 遠ざけたが、高吉は名張の振興に努め、名張では名君として慕われた。 ...続きを見る

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2019/01/29 14:45
愛知県のお寺一覧
愛知県のお寺一覧 愛知県のお寺を紹介します。 <お寺の名前をクリックすると概要と写真> ...続きを見る

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2019/01/28 19:58
願照寺 (愛知県岡崎市)
願照寺 (愛知県岡崎市) 親鸞聖人を描いた親鸞聖人三御影  安城御影(京都西本願寺、国宝)、鏡御影(京都西本願寺、国宝)、 熊皮御影(奈良国立博物館、重文) の一つ安城御影が、戦国時代に願照寺から本願寺に渡っている。 この御影を1255年朝円に描かせた親鸞聖人の高弟・専信房専海が願照寺 を開創したと伝えられ、三河における浄土真宗布教の礎を築いたと いわれる。 中世後期においては、本願寺派三河七ヶ寺として、また小針城主阿部氏 の帰依を受け、大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2019/01/28 19:49
静岡県のお寺一覧
静岡県のお寺一覧 東海道の中央に位置し温暖な土地柄もあり古刹・名刹も多いが戦乱の 影響も受けて古い堂舎は少なく、国宝に指定された堂舎はない。 徳川家ゆかりの寺や信仰の篤い遠州三山などがあげられようか。 ...続きを見る

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2019/01/26 20:54
天然寺 (静岡県掛川市)
天然寺 (静岡県掛川市) 天然寺は1494年開創されたと伝え、江戸時代に入って掛川藩主松平氏の 庇護を受け大いに栄えたといわれ、朝鮮通信使の宿舎にもなっている。 1798年オランダ貿易使節団が4年に一度の将軍謁見を行い、長崎出島への 帰途、掛川に宿をとった折に、東インド会社商館長のゲイスベルト・ヘンミイ が、かねてからの病状が悪化し亡くなり、天然寺に葬られた。 その墓碑が現在も残されている。 ...続きを見る

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2019/01/26 20:50
東海北陸のお寺総覧
東海北陸のお寺総覧 東海北陸の訪問回数は数十回になり、富山県・石川県・静岡県の訪問 が少し残っている。 ...続きを見る

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2019/01/25 09:11
岡崎市、豊田市、豊橋市のお寺一覧 (愛知県)
岡崎市、豊田市、豊橋市のお寺一覧 (愛知県) 岡崎市、豊田市、豊橋市のお寺一覧 ...続きを見る

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2019/01/25 09:10
隣松寺 (愛知県豊田市) 徳川家康ゆかりの寺
隣松寺 (愛知県豊田市) 徳川家康ゆかりの寺 豊田市南部の田畑が広がる幸町に、広い境内を擁して建つ隣松寺は、 843年開創と伝える古刹である。 山門を入って鐘楼門まで進むと、その手前右手に稲荷社が建つが、 この稲荷は<三河稲荷>と呼ばれ、これこそ徳川家康戦勝祈願の 稲荷といわれ、家康が東国へ配置換えになった時に、江戸(現在の 文京区本郷)にこの三河稲荷の末社を遷座し、鎮守としている。 これが東京の三河稲荷神社である。 もともと、家康の父・松平弘忠が家康誕生の折に、無事成長を祈願した のが隣松寺三河稲荷であったといわれ、家康も... ...続きを見る

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2019/01/25 09:02
岐阜県のお寺一覧
岐阜県のお寺一覧 岐阜県には多くの禅寺があり、清楚な雰囲気が漂う風景を持っている。 私が参拝したお寺を紹介します。 飛騨三十三観音霊場も合わせて紹介。 ...続きを見る

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2019/01/24 09:10
林昌寺 (岐阜県恵那市) 茅葺鐘楼門
林昌寺 (岐阜県恵那市) 茅葺鐘楼門 恵那市山岡町久保原の国道418号沿いに建つ林昌寺の参道前には、 地元の人々の篤い信仰を集める<爪切地蔵尊>が小さな祠に 祀られている。 これは、弘法大師が一夜で爪で彫られたと伝承される地蔵尊で、 350年ほど前から、煙火をあげて祭る伝統行事があり、現在は 花火大会として催されている。 ...続きを見る

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2019/01/24 09:08
福井県のお寺一覧
福井県のお寺一覧 福井県は真宗・曹洞宗の王国であるが、若狭地域は趣を異にする。 ...続きを見る

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2019/01/21 09:20
曹源寺 (福井県大野市) 朝倉義景最期の地か
曹源寺 (福井県大野市) 朝倉義景最期の地か 1573年織田信長との戦いに敗れた越前戦国大名の朝倉義景は、 一旦、一乗谷に戻ったが、従兄弟で大野戌山城主・朝倉景鏡の策略で 大野にあって朝倉氏ゆかりの六坊賢松寺に逃れるも、景鏡の 包囲を受け、義景は自刃している。 この六坊賢松寺の跡地と伝承される地に建つのが曹源寺である。 曹源寺は1585年開創と伝えられ、江戸時代前期に現在地に移った といわれている。 1800年、曹源寺境内に朝倉義景の墓が建てられ、1822年近くの 現朝倉義景墓所に移されている。 ...続きを見る

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2019/01/21 09:14
石川県のお寺一覧
石川県のお寺一覧 加賀藩主・前田家ゆかりのお寺を始めとして古刹や名刹が あり、特に能登半島には曹洞宗総持寺が元あった総持寺祖院は 曹洞宗らしい風景が残っている。 ...続きを見る

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2019/01/20 09:05
上宮寺 (石川県小松市)
上宮寺 (石川県小松市) 上宮寺という名前のお寺は全国にあるが、どれも聖徳太子を祀ったり、 太子ゆかりのお寺である。 小松の上宮寺は、1358年に押野村(現在の金沢市八日市1丁目)に 太子堂を開創したのが始まりと伝えられている。 その後、蓮如上人に帰依し、上宮寺としたといわれている。 現在も、八日市には上宮寺跡の碑が建っている。 江戸時代に入って、小松市、金沢市の3ヶ所に分寺している。金沢市の1ヶ寺は、 近年になって創建地の近くの野々市市押野に戻っている。 押野村の上宮寺は由緒ある大寺であり、浄土真宗の拠... ...続きを見る

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2019/01/20 09:02
福田寺 (愛知県設楽町) 武田信玄ゆかりの寺
福田寺 (愛知県設楽町) 武田信玄ゆかりの寺 武田信玄の終焉の地はどこか。現在まで謎に包まれている。 武田信玄は、1573年1月三方ヶ原の戦いで、徳川家康に勝利した後、 1573年2月三河野田城を落とした頃、重態に陥り、伊那街道から 三州街道を経て、甲州へ戻る途中になくなっている。 有力な説の順番で見てみると、 (1)現在の長野県阿智村駒場 (2)現在の長野県根羽村横旗 (3)現在の長野県阿智村浪合 (4)現在の愛知県設楽町田口 など他にもある。 この4番目設楽町田口の地が福田寺といわれている。 福田寺には信玄塚が残さ... ...続きを見る

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2018/12/31 09:45
伊賀市のお寺 (三重県)
伊賀市のお寺 (三重県) 三重県伊賀市は奈良・京都に近いこともあり、仏教文化が栄えた。 芭蕉の故郷でもある。 主なお寺を紹介 寺名をクリックすると詳細へ ...続きを見る

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2018/12/30 09:53
広徳寺 (三重県伊賀市)
広徳寺 (三重県伊賀市) 伊賀街道(国道163号)沿いの広瀬集落にあって、石段と高木が 迎えてくれるのが広徳寺である。 広徳寺の開創は平安時代といわれているが、詳細は不詳である。 祀られている阿弥陀如来像と釈迦如来像は室町時代に、廃寺となった 上来寺の塔頭・広徳寺に移されたとか。 ...続きを見る

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2018/12/30 09:49
安国寺 (愛知県幸田町) 三河安国寺
安国寺 (愛知県幸田町) 三河安国寺 安国寺は、南北朝時代初期に夢窓疎石の提言により、後醍醐天皇以下の 南北朝争乱の犠牲者を弔うために、66ヶ国68ヶ所に安国寺と利生塔の 建立が、足利尊氏と足利直義によって行われた。 三河安国寺は1339年開創され大いに栄えたといわれたが、戦国時代 に入り、兵火により荒れ果てた。 万治年間(1658〜61年)再興され、その後地元の領主大久保氏の 帰依も受け伽藍が整備されている。 地元領主大久保氏の祖先は、<天下のご意見番>として知られた 大久保彦左衛門忠教である。 ...続きを見る

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2018/12/29 09:58
薬師寺 (岐阜県岐阜市中屋西) 円空仏
薬師寺 (岐阜県岐阜市中屋西) 円空仏 岐阜市北東部に位置する中屋西の県道94号に面して、中屋公民館と 薬師寺が接して建っている。 無住の小さな本堂と祠の大師堂、観音堂、稲荷社があるお寺に、 円空初期の円空仏2体が祀られている。 私が訪問した時は拝観できなかったが、円空仏の広がりを見てくると、 円空の遊行地を追いかける気にもなる。 ...続きを見る

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2018/12/27 10:26
通安寺 (福井県福井市) 福井藩家老狛氏の菩提寺
通安寺 (福井県福井市) 福井藩家老狛氏の菩提寺 足羽山東麓に建つ通安寺は、福井藩家老・狛氏の菩提寺で、境内には 笏谷石製の五輪石塔と宝篋印塔の墓塔群が建っている。 福井藩狛氏の祖・狛孝澄が、1603年徳川家康の次男で初代福井藩主・ 結城秀康の次男・松平忠昌の部屋付となったのが福井藩狛氏の 始まりで、1624年松平忠昌が藩主となった頃、狛孝澄は家老となっている。 狛孝澄の先祖は、現在の京都府木津川市山城町上狛を拠点とする 豪族であったといわれている。 ...続きを見る

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2018/12/26 10:00
正覚寺 (石川県小松市)
正覚寺 (石川県小松市) 正覚寺は、江戸時代中期に了雲が開いた念仏道場が始まりと伝えられ、 1878年正覚寺となっている。 1930年小松大火により焼失したが、1979年本堂が再建され、山門は 能美郡役場に設置されていた門を移築している。 この山門は、もとは小松城北門の遺構といわれるが、不詳である。 小松城の遺構は少なく、天守台と石垣の一部が残され、鰻橋御門が 来生寺山門として移築されている。 ...続きを見る

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2018/12/25 08:57
慎福寺 (三重県鈴鹿市)
慎福寺 (三重県鈴鹿市) 神戸(かんべ)城跡近くに、イチョウの大木が目立つ慎福寺がある。 戦国時代,慎福寺は神戸城主・織田信孝(神戸信孝)の祈願所で 大いに栄えたといわれている。 織田信孝は織田信長の三男で、1568年信長が伊勢平定後、 神戸城主・神戸氏に婿入りし、後に神戸城主となっている。 本能寺の変後、明智光秀の討伐に総大将として活躍したが、 その後、豊臣秀吉と背反し、1583年25歳の若さで自害している。 ...続きを見る

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2018/12/23 13:19
九品院 (愛知県岡崎市) 荒井山
九品院 (愛知県岡崎市) 荒井山 江戸時代後期の浄土宗僧・徳本上人は、厳しい苦行修行を通して、法然上人の 教えを体現し、多くの弟子を育てた念仏聖と称されている。 全国を巡り、徳本名号といわれる六字名号<南無阿弥陀仏>を残している。 その高弟である徳住が、大樹寺別院として開創したのが九品院である。 修行道場としての性格が強い九品院は、禅寺同様に境内隅々まで 清掃され、凛とした空気が流れている。 ...続きを見る

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2018/12/22 09:10
妙日寺 (静岡県袋井市) 日蓮聖人父母顕彰の寺
妙日寺 (静岡県袋井市) 日蓮聖人父母顕彰の寺 妙日寺は<日蓮聖人父母顕彰の寺>と呼ばれ、聖人父母の供養塔が 建てられ、その菩提を弔っている。 供養塔は、江戸時代初期の柳生但馬守の寄進といわれている。 聖人の父・貫名重忠は、1156年井伊氏から分家した政直が貫名氏を 名乗り、その4代目が重忠で、貫名氏の居館跡が妙日寺境内といわれている。 重忠は平氏に与したことから(諸説あり)、現在の千葉県鴨川市小湊に配され、 1222年日蓮聖人が生れている。 ...続きを見る

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2018/12/21 09:25
岐阜市のお寺 (岐阜県岐阜市)
岐阜市のお寺 (岐阜県岐阜市) 岐阜市のお寺一覧 ...続きを見る

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2018/12/19 08:58
浄音寺 (岐阜県岐阜市) 落語の祖・安楽庵策伝ゆかりの寺
浄音寺 (岐阜県岐阜市) 落語の祖・安楽庵策伝ゆかりの寺 岐阜市北東端に位置する三輪地区の田畑にある小さな森の中に、 浄音寺は建っている。 浄音寺は<落語の祖>といわれる安楽庵策伝ゆかりのお寺で、 毎年、顕彰落語が催されている。 策伝は、飛騨高山藩主・金森長近の弟といわれ、1561年7歳の時に 浄音寺で出家し、その後諸国を巡り、1596年戻って浄音寺の住職 を17年間務めている。 1613年京都誓願寺の住職となり、1623年隠居後、<醒睡笑>を 著している。これが後の落語に影響を与え、落語の祖と呼ばれた。 ...続きを見る

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2018/12/19 08:52
洪泉寺 (福井県大野市)
洪泉寺 (福井県大野市) 雲海に浮かぶ城<天空の城>で有名な城といえば、 (1)竹田城跡(兵庫県朝来市):立雲峡からの展望 (2)大野城(福井県大野市):戌山からの展望 (3)備中松山城(岡山県高梁市):備中松山城展望台からの展望 大野城展望の戌山への最短ルート入口が洪泉寺であったが、近年 そのルートが廃止となり、登れなかった。 洪泉寺を訪れ、登山もと思ったが残念。 ...続きを見る

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2018/12/17 09:09
鶴林寺 (石川県金沢市)
鶴林寺 (石川県金沢市) 兼六園の東南隅から小立野へ下る八坂(はっさか)は、急勾配の 道路と石段歩道、脇には土塀が連なり、趣のある風景を造っている。 この八坂を下った右手に松山寺の山門があり、八坂と山門の 写真がパンフレットに使われている。 松山寺の隣に建つのが鶴林寺である。 ...続きを見る

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2018/12/15 09:06
円福寺 (愛知県岡崎市) 浄土宗の名刹
円福寺 (愛知県岡崎市) 浄土宗の名刹 クスの大木が境内の真ん中に立つ円福寺の歴史は、千変万化の道を 辿り、京都から岡崎の地に落ち着いた浄土宗西山深草派の名刹である。 1251年京都伏見深草の地に真宗院として開創されたのが円福寺の 始まりで、その後変遷を経て京都寺町の大寺として栄えたが、明治時代 に入って京都寺町界隈の再開発に伴い、円福寺の境内は縮小された。 これを機に、1883年岡崎の円福寺末寺であった妙心寺と寺号を交換し、 円福寺は岡崎へ、妙心寺は京都新京極へと移転した。 ...続きを見る

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2018/11/26 09:20
上品寺 (三重県四日市市) 内部地区の古刹
上品寺 (三重県四日市市) 内部地区の古刹 四日市市南部に位置する内部(うつべ)地区貝家町に建つのが上品寺である。 貝家(かいげ)の地名は、上品寺の門階の下に位置する階下(かいげ)に 由来するといわれている。 上品寺は、849年土師宿禰岩次が建立した成保寺が始まりと伝え、 1461年天台宗から浄土真宗になり、1615年現在地に移り、 1679年上品寺と改名している。 成保寺の本尊釈迦如来像が現在も上品寺に引き継がれ、市指定文化財 となっている。 ...続きを見る

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2018/11/25 09:20
青大悲寺 (名古屋市熱田区)
青大悲寺 (名古屋市熱田区) 熱田公園に隣接し、伏見通に面して山門を構えるのが青大悲寺である。 結構広い境内は整備され、伏見通の車音も消される木々が静寂を 醸し出している。 青大悲寺は1802年きの女が開創した新興宗教の尼寺で、如来教の 本山である。 山門の右手に建つ地蔵堂には鋳鉄製の地蔵菩薩が祀られ、尾張六地蔵 の一つに数えられている。 鋳鉄製地蔵菩薩は珍しく、愛知県の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2018/11/23 10:19
照空寺 (岐阜県本巣市)
照空寺 (岐阜県本巣市) 本巣市文殊の大平山(213m)麓に建つ照空寺は、江戸時代前期の 旗本・文殊戸田氏の菩提寺である。 美濃加納藩主2代目となった松平光永は、引き継いだ7万石の内、 5千石を弟の光正(文殊戸田初代)に、5千石を弟の光直(北方戸田初代) に分け与え、光正は文殊の地に陣屋を構えている。 その際、光正の母・照空院の菩提を弔うために、1421年に開創されたと 伝える長福寺を移し照空寺として再興したといわれている。 それ以降、文殊戸田氏の菩提寺として栄えたが、明治時代以降は 衰退したといわれてい... ...続きを見る

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2018/11/22 09:25
妙隆寺 (福井県あわら市) 金津城主溝江氏の菩提寺
妙隆寺 (福井県あわら市) 金津城主溝江氏の菩提寺 江戸時代には北陸街道の宿場町として栄えた金津は、戦国時代に金津城が 築城され基盤が整備された。 その城主溝江氏の菩提寺が妙隆寺である。 金津城は1574年の一向一揆によって焼失し、一族共々自刃しているが、 一人の遺児が逃げ延び、織田信長、豊臣秀吉に仕え、金津城を再興し 大名となっている。 しかし、関ヶ原の戦い後領地は没収されている。 ...続きを見る

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2018/11/19 13:53
正覚寺 (石川県加賀市大聖寺)
正覚寺 (石川県加賀市大聖寺) 大聖寺山ノ下寺院群の中央地に建つのが正覚寺である。 お寺の本尊阿弥陀如来像は靴を履いた<履行(くつばき)阿弥陀如来像> で、平清盛寵愛の白拍子・仏御前が清盛から授かったと伝承されている。 仏御前は、現在の小松市原町の出で、京へ出て白拍子となり、清盛の 寵愛を受け、清盛の子を身ごもり小松へ帰郷したとか。 その際、持ち帰った仏像が履行阿弥陀如来像で、いつしか正覚寺に 伝わったと伝承されている。 靴を履いた阿弥陀如来像は非常に珍しい。 ...続きを見る

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2018/11/19 08:56
聖衆寺 (三重県桑名市) 土仏さん
聖衆寺 (三重県桑名市) 土仏さん 桑名駅の西、北別所の住宅地に舌のように突き出した丘の上に建つのが 聖衆寺である。 石段参道を登ると、もみじの木々に囲まれて本堂が建ち、本堂裏手の さらに高い丘上に秋葉堂が建っている。そこからは桑名市街地が一望。 紅葉の風景と展望が見どころといえよう。 通称<土仏(どぶつ)さん>とよばれるのは、本尊阿弥陀如来像が 瓦製(土を焼いて)であることから由来している。 ...続きを見る

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2018/11/18 09:10
名古屋市のお寺一覧 (愛知県)
名古屋市のお寺一覧 (愛知県) 名古屋市のお寺一覧 ...続きを見る

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2018/11/16 09:11
首題寺 (名古屋市中区)
首題寺 (名古屋市中区) 清須城が織田信長以来、尾張の中核であったが、1609年徳川家康は 名古屋城を築城し、尾張藩の中核とすべく計画し、1910年から開始し、 それに伴って城下町の整備に取り掛かった。 城の防御として、宗派別に東寺町と南寺町を形成した。 その際、清須城下の寺院群を名古屋に移転させている。 日蓮宗系のお寺は東寺町へ移転し、南寺町には日蓮宗系は皆無であったが、 17世紀中頃からその配置も緩み、南寺町に最初に建立されたのが、 首題寺の前身である玄乗寺で、1686年開創されている。 ...続きを見る

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2018/11/16 09:07
静居寺 (静岡県島田市) 江戸時代の伽藍
静居寺 (静岡県島田市) 江戸時代の伽藍 島田市旗指を流れる伊太谷川支流に沿って遡ると、総門が見えてくる。 杉林の参道を進むと、唐破風の惣門がその美形をもって迎えてくれる。 この辺りでは珍しい門構えで、なんでも京都から移築されたとか。 この惣門を始めとして、伽藍の7棟が江戸時代の建立となっており、 静岡県の文化財に指定されている。 少し離れて伽藍を遠望すると、静居寺風景が周りの山や木々と溶け込み、 お寺の品格を高めている。 ...続きを見る

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2018/11/15 09:02
聞得寺 (岐阜県羽島市) 竹鼻別院跡地
聞得寺 (岐阜県羽島市) 竹鼻別院跡地 羽島市竹鼻町の中核寺院である竹鼻別院は、江戸時代には御坊専福寺 とよばれていた。 1760年竹鼻下町の大火で類焼した御坊専福寺は、現在の竹鼻別院の 地に再興され、寛政年間(1789〜1801年)になって聞得寺が西的場 からその跡地に移転している。 聞得寺は1538年浅井行政(浄祐)によって開創されている。 羽島市観光協会の説明板によると、浅井行政は近江・浅井長政の七男と なっているが、その人物については不詳である。 ...続きを見る

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2018/11/14 22:19
真乗寺 (福井県大野市)
真乗寺 (福井県大野市) 大野市街地から西に3km、飯降山の麓に建つ真乗寺は、1481年蓮如上人 に帰依し得度した浄西は、蓮如上人より与えられた親鸞聖人筆十字名号を 本尊として,1486年草庵を建てたのが始まりと伝えられている。 現在の山門は大野城の裏門で、江戸時代末期に大野藩主・土井利忠が 裏山で松茸狩りの際に、真乗寺で休息したお礼に寄進されたといわれている。 現在は色褪せているが、もとは朱の門で、不明門(あかずのもん)と 呼ばれていたとか。 ...続きを見る

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2018/11/11 09:06
興善寺 (石川県小松市) 蓮如上人ゆかりの寺
興善寺 (石川県小松市) 蓮如上人ゆかりの寺 蓮如上人が1475年、吉崎御坊を退去する際に、弟子の興乗坊は上人から 寿像などを与えられ、その後現在の小松市大島町に持ち帰り、堂宇を 建立したのが興善寺の始まりと伝えられている。 1913年現在地に移転している。 興善寺が所蔵している<蓮如上人御消息>は、能美郡四講に宛てられた 志納を受け取った旨の消息で、原文として貴重な資料となっている。 なお、山門は越前丸岡城の裏門を1871年移築したものである。 ...続きを見る

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2018/11/10 09:15
真教寺 (三重県津市) 閻魔堂
旧伊勢街道の津宿入口に焔魔堂が建つのが真教寺である。 真教寺は、1607年津藩主・藤堂高次が津宿の守り寺として開創したと いわれ、阿漕浦に近いことから阿漕山真教寺としている。 阿漕浦は遠浅の海岸で、古は伊勢神宮の供物の漁場であった。 古今和歌集にも表れ、歌枕にもなっている。 また、<阿漕の平治>という母思いの孝子伝説が伝わり、真教寺に 由縁があるらしい。 ...続きを見る

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2018/10/22 08:52
龍渓院 (愛知県岡崎市) 杉並木参道
岡崎市北部の小山が連なる桑原町の谷筋を入ると、龍渓院の杉並木の 参道入口にたどり着く。 参道を入った右手には十六羅漢石像が据えられ、参拝者を迎え入れてくれる。 この風景は山寺で巡り合うことがある。 総門を潜り、山門の前に立ち、苔が一面に生える境内を望むと、 <岡崎の苔寺>といわれる風景が広がる。 これらの風景から、岡崎市の観光スポットとなっているのだろう。 ...続きを見る

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2018/10/21 04:41
大垣市、羽島市のお寺一覧 (岐阜県)
岐阜県大垣市、羽島市のお寺一覧 ...続きを見る

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2018/10/20 09:50
浄栄寺 (岐阜県羽島市)
羽島市街地に、こじんまりと建つ浄栄寺は、平安時代末期に京都の 近侍・上山信家が出家して開創したと伝えられている。 当初は天台宗であったが、蓮如上人に帰依して浄土真宗に改宗している。 浄栄寺は川並六坊と呼ばれるが、川並六坊とは、  蓮如上人が関東から京都へ戻る際に、尾張の境川を越えるに当たり、 浄栄寺・福安寺などの住職六人が上人を助けて川を渡したことから、6人の 住職のお寺を川並六坊と呼んだ。 このように蓮如上人に帰依し、上人を支援したお寺が浄土真宗本願寺を 大きくした。 ...続きを見る

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2018/10/20 09:45
昌蔵寺 (福井県永平寺町)
昌蔵寺は江戸時代前期にあった越前松岡藩の城下町・室町に まだ新しい伽藍を構えている。 昌蔵寺は戦国時代、越前一乗谷に起源を持ち、1716年現在地に 移っている。 越前松岡藩は、1648年松平昌勝が福井藩の5万石を分与され立藩している。 1721年福井藩に併合され廃藩となっている。 現在は、町割りに藩の面影が残り、陣屋跡は史跡となって残っている。 ...続きを見る

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2018/10/17 08:17
教恩寺 (石川県小松市) 五尊寺
教恩寺は、1560年現在の小松市西俣町に開創されたと伝え、 1632年東本願寺から教恩寺の寺号を与えられ、1640年以降 現在地にいてんしている。 1631〜1673年の間に、東本願寺から五尊を授けられ、五尊寺と しての寺格を持った。 五尊とは、  木仏寺号、聖徳太子、七高僧、親鸞聖人・前住様御影 ...続きを見る

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2018/10/16 08:52
西光寺 (三重県名張市) 蓮如上人ゆかりの寺
蓮如上人が1471年越前に下り、吉崎御坊を開創した頃、加賀の門徒9人 が名張に入り、西之坊念仏道場を開いたのが西光寺の始まりと 伝えられている。 1475年蓮如上人が吉崎を去り、1475〜78年の間、摂津・河内・和泉・ 大和と布教に巡り、本願寺教線を広めている。 その途次に名張に立ち寄り、六字名号を西光寺に与えたといわれている。 その六字名号が現在も残っている。 蓮如上人は1478年から山科本願寺の建立を開始している。 ...続きを見る

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2018/10/14 08:27
松明院 (愛知県岡崎市) 大給松平氏の菩提寺
岡崎市西北部の細川町に建つ松明院は大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)の 菩提寺である。 大給松平氏は十八松平氏の一つで、徳川家康の一族であり、その祖・ 松平乗元は、家康の祖先・松平親忠の次男である。 乗元は現在の豊田市大内町にあった大給城の城主であり、大給城の傍に 1368年建立された仏堂を、1510年再興し松明院として菩提寺にしたと 伝えられ、1582年現在地に移転している。 ...続きを見る

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2018/10/13 20:51
興禅庵 (静岡県掛川市) マキの自然門
掛川市にはマキの木を自然門とするお寺を3ヶ寺訪問した。 今瀧寺、興禅庵、本勝寺である。 中でも興禅庵の自然門は推定樹齢が600年といわれ、お寺が開創された 時に植樹されたと伝えられている。 ...続きを見る

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2018/10/12 08:19
真長寺 (岐阜県岐阜市) 苔の石庭
岐阜市北部の三輪地区山麓に建つ真長寺の参道を抜けて山門に至る。 山門を潜り奥まで歩むと、一面の杉苔に大小7個の石が妙を得た配置で 安置され、白砂の石庭<龍安寺>を緑に置き換えた錯覚を覚えた。 この石の配置は真言密教の曼荼羅を表しているとか。 あちこちで石庭を鑑賞してきたが、この石庭には強く印象が残った。 ...続きを見る

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2018/10/10 08:15
高岳寺 (福井県坂井市) 丸岡藩主有馬氏の菩提寺
高岳寺は、戦国時代キリシタン大名で知られた有馬晴信の曾孫・有馬清純が 1695年から丸岡藩主となって明治維新までの間、丸岡藩主であった 有馬氏(肥前有馬氏)の菩提寺である。 肥前有馬氏は、戦国時代に有馬晴純が島原半島を本拠に肥前に勢力を 持った頃から、肥前有馬氏が始まる。 江戸時代に入り、有馬直純が延岡藩主となり、有馬清純が日野江藩主を へて、丸岡藩主となっている。 ...続きを見る

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2018/10/09 08:37
西照寺 (石川県小松市)
小松市街地の県道101号に面して建つ西照寺は、蓮如上人の弟子・教明が 越前吉崎御坊(福井県あわら市吉崎)の宿坊を16世紀前半に移して、 江沼群弓波(石川県加賀市弓波町)に開創したと伝え、その後2ヶ所を 経て1645年現在地に移転している。 西照寺に残る<蓮如上人紙牌>は、1483年山科本願寺が建立した 翌年、弟子の教明に授けられたもので、西照寺は蓮如上人の名残が 強く残っている。 寺名の西照は、紙牌の詠歌から、山号は開創地の弓波からきている。 ...続きを見る

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2018/10/08 21:37
玉瀧寺 (三重県伊賀市)
伊賀市、名張市を走る広域農道<伊賀コリドールロード>沿いの北伊賀地域 に建つのが玉瀧寺である。 玉瀧(たまたき)地区は、奈良時代には東大寺の影響が及び、958年には東大寺 の荘園となり、玉瀧寺は東大寺の末寺として活動したと伝えられている。 玉瀧寺は8世紀中頃の開創と伝えられるが詳細は不詳である。 戦国時代、織田信長の伊賀侵攻により壊滅したが、寛永年間(1624〜44年) 大徳寺170世清巌によって再興されている。 ...続きを見る

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2018/09/18 08:21
正楽寺 (愛知県幸田町) 岡崎城築城の西郷氏菩提寺
徳川家康が生まれた岡崎城は、1452年三河守護代・西郷稠頼親子によって 築城され、龍燈山城と呼ばれた。 1524年家康の祖父・松平清康によって奪われ、岡崎城と名乗った。 西郷氏は大草城主の時に龍燈山城を築城している。 この西郷氏の菩提寺が正楽寺であり、隣に大草城があったといわれている。 ...続きを見る

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2018/09/17 08:37
神戸別院 (三重県鈴鹿市) 真宗高田派別院
真宗高田派の本山・専修寺は津市にあり、高田派のお寺は三重県に多い。 鈴鹿地域の真宗高田派の48ヶ寺の中核として、1790年神戸別院が 開創されている。 明治時代には、明治天皇の行在所(宿泊所)となり、現在もその部屋が 保存されているとか。 ...続きを見る

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2018/09/16 09:07
勝楽寺 (愛知県西尾市) 小山田地蔵尊
日本松100選にもなっていた<三河の黒松>は、虫害により2006年枯死し、 東海最大の松が消えた。 この松は、1339年勝楽寺が開創された時に、国家安泰を祈念し、 足利尊氏が植樹したと伝承され、お寺のシンボルであった。 ...続きを見る

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2018/09/15 08:40
興徳寺 (岐阜県瑞浪市)
興徳寺は、1601年小里城主・小里光親が父の菩提寺として開創している。 小里氏は美濃守護大名・土岐氏の一族で、武田信玄、織田信長、徳川家康 と主人を変遷し、江戸時代には旗本となったが、1623年子孫がなく、 絶えている。 小里氏が絶えて、興徳寺は衰退したが、1634年再興されている。 興徳寺には、菅原道真の像が祀られ、学問成就などを求めた パワーポイントとなっているらしい。 ...続きを見る

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2018/09/13 12:07
松山寺 (石川県金沢市東兼六町) 加賀八家横山氏の菩提寺
加賀藩は徳川幕府との二度にわたる確執により、存亡の危機に陥った ことがある。 一度目は、1599年加賀藩が家康に対する謀反の噂に対して、徳川家康 が加賀征伐を企てた時に、加賀藩家老・横山長知が弁明し、利家正室の 芳春院を江戸に出すことで和睦している。 二度目の危機においても横山氏がかつやくしている。 この横山長知が1599年開創したのが松山寺であり、その後横山氏の 菩提寺となっている。 ...続きを見る

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2018/09/12 09:26
龍泉寺 (三重県四日市市富田一色町)
伊勢湾に面した富田一色町は、かっては白砂青松の海岸で景勝地として 知られていたが、埋め立てによってその面影はなくなっている。 漁村であった町は今や住宅地と化しているが、そんな中にあって、 1594年開創の龍泉寺は町の中核寺として信仰を得ていた。 ...続きを見る

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2018/09/11 09:05
妙福寺 (愛知県碧南市) 志貴毘沙門天
妙福寺毘沙門堂の本尊毘沙門天は志貴毘沙門天と呼ばれ篤い信仰を 受けており、日本三体毘沙門天の一つに数えられている。 日本三体毘沙門天とは、   京都・鞍馬寺、奈良・信貴山朝護孫子寺、妙福寺 妙福寺毘沙門天は三河七福神の一つでもある。 正月初詣、毎月3日の縁日には多くの参拝者で賑わうそうだ。 ...続きを見る

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2018/09/09 09:34
慈眼寺 (静岡県袋井市)
袋井駅に近い市街地に建つ慈眼寺は、元弘年間(1331〜34年)に 建立された観音堂に始まると伝えられている。 後醍醐天皇の孫といわれている守永親王が東国へ向かう途次に、 船が難破し、高部の地に住まわれたが、17年後に亡くなり、従者の堀江時国が 観音堂を建て、菩提を弔ったといわれている。 史料上、守永親王のことは不詳の部分が多く、袋井で最期を迎えたか 不明である。 ...続きを見る

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2018/09/08 13:48
妙建寺 (岐阜県北方町)
岐阜市の西隣に位置する北方町は、岐阜県内で最小面積の市町村で、 最も人口密度の高い町で、人口は1万8千強である。 町内には山はなく、長良川の支流が流れる。 町は円鏡寺と共に発展した歴史を持つ。 妙建寺の開創は不詳であるが、鰐口の年代から江戸時代前期以前と 考えられる。 こじんまりとした普通のお寺である。 ...続きを見る

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2018/09/08 08:37
応蓮寺 (福井県あわら市) 畑時能の菩提寺
2016年3月の福井新聞に掲載された記事によると、南北朝時代の武将・ 新田義貞の四天王の一人・畑時能の遺品とされる鉄笛が、約680年間 秘蔵されてきた畑時能の菩提寺・応蓮寺で初公開されると。 この鉄笛は楠木正成から義貞を経て、時能へと渡ったと伝えられている。 畑時能は武蔵の武将で、新田義貞の側近として活躍し、義貞の死後も 越前で北朝側と戦い、1341年戦死している。 ...続きを見る

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2018/09/05 09:55
大王寺 (石川県小松市粟津町) 粟津温泉の守護寺
718年白山を開いた泰澄大師が霊告により、粟津の村人と共に温泉を 堀り当てたといわれ、これが粟津温泉の始まりと伝えられている。 その時、村人の誓願により、泰澄大師は薬師如来像と聖観音像を 祀る泰応寺を開創したと言われたれている。 この泰応寺が大王寺の始まりと伝えられている。 本尊の薬師如来は、聖観音の円後光背中央に掛けられた小さな仏像 で、秘仏となっている。 ...続きを見る

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2018/09/04 08:59
多井寺 (三重県東員町) 観音もみじ
東員町瀬古泉を流れる藤川岸近くに、柵で囲まれ樹勢の衰えた <観音もみじ>は樹齢300年といわれ、タカオカエデの一種である。 以前は樹勢旺盛であったが、部分的に枯れて一部伐採されたらしい。 かって、この地に観音堂が建っていたが、織田信長軍の兵火に遭い 焼失したが、観音像は村人により運び出され、近くの多井寺に 安置されたといわれている。 その跡地にもみじが植生されている。 その後、この観音像は東京の龍泉寺に移座されたといわれている。 ...続きを見る

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2018/08/15 08:41
観音寺 (愛知県高浜市) 衣浦観音
衣浦湾衣浦大橋の東瑞にある<かわら美術館>近くの丘上に、<衣浦観音> (きぬうらかんのん)と呼ばれる8mの陶製観音像が立っている。 ここが観音寺である。 高浜市は日本三大瓦(三州瓦、淡路瓦、石州瓦)三州瓦の産地で、やきもの が盛んで、この観音像も鬼瓦生産者が1959年造像している。 瓦生産高浜のシンボルとなっている。 ちなみに、日本瓦生産の半分が三州瓦といわれている。 ...続きを見る

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2018/08/14 11:36
飛鳥寺 (三重県桑名市)
奈良の飛鳥寺は<あすかでら>、こちらの飛鳥寺は<ひちょうじ>と呼ぶ。 794年奈良西部の生駒山から霊鳥が下深谷坊ヶ谷の山中に飛んできて、 (飛鳥寺の現在地から西へ2kmほど) 仏法を説いているのを聞いて、弘法大師空海が十一面観音を彫って草庵に 祀り、飛鳥寺と名付けたと伝承されている。 大寺として栄えたが、1570〜74年の長島一向一揆により灰燼に帰している。 江戸時代に桑名藩士の帰依も受け再興され、1869年山ノ城城跡の 現在地に移っている。 坊ヶ谷の跡地は飛鳥廃寺跡と呼んでいる... ...続きを見る

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2018/08/12 09:52
十応寺 (愛知県刈谷市)
十応寺は半城土地区の自治会が守るお寺であるが、その開創は 奈良時代に遡り、大寺であったと伝承されている。 享保年間(1716〜36年)村人が野田町から現在地に移し、黄檗宗の お寺となった。 明治時代になり、重原陣屋が廃藩となると、玄関が十応寺に、表門が 願行寺に移築されている。 その後十応寺は廃寺となったが、浄土宗のお寺として地区自治会が 護っている。 ...続きを見る

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2018/08/11 08:58
梅英寺 (岐阜県本巣市)
樽見鉄道本巣駅の東100mほどに、イチョウの大木が目立つ梅英寺が 建つ。 梅英寺は1535年開創と伝えるが、1630年現在地に再興されたのが 開創となっている。 明治時代に祀られた将軍地蔵(勝軍地蔵)は、日清・日露戦争の東海地方 戦死者の3000余柱の遺骨遺品等で錬造された地蔵尊といわれている。 ...続きを見る

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2018/08/10 09:46
不動寺 (福井県福井市) 笏谷石
桜の名所でもあり、かっては笏谷石(しゃくだにいし)を産出した足羽山の山麓、 笏谷石岩壁の下に建つのが不動寺である。 笏谷石は足羽山特有の石で、石仏や墓石などに利用され、一乗谷朝倉氏遺跡 や周辺には、笏谷石の石仏が多く見られる。 現在は採掘中止になっている。 ...続きを見る

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2018/08/08 08:41
本廣寺 (石川県小松市粟津町)
浄土真宗の根本聖典<教行信証>は1224年親鸞聖人が撰述し、これが 浄土真宗の開宗としている。 現在残っている教行信証で重要なものは、親鸞聖人真筆の坂東本(国宝)、 1275年書写された西本願寺本(重文)、真仏上人書写の高田本(重文)で あるが、西本願寺本には次のような伝承が残っている。 ...続きを見る

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2018/08/07 08:29
光栄寺 (三重県桑名市長島町) 長島六坊
長良川左岸の堤防下に建つ光栄寺は長島六坊の一ヶ寺である。 織田信長の長島攻めに対抗するために、石山本願寺から願證寺へ送り込まれた 寺侍は、1571〜74年の長島一向一揆で活躍したが敗れ、北陸などに逃れ、 秀吉の時代以降に戻って6ヶ寺(長島六坊)を開創している。 その寺侍の一人・飯田九蔵が1599年開創したのが光栄寺である。 現在、長島町に残る長島六坊は、光栄寺、深行寺、源盛寺、善明寺の4ヶ寺 である。 ...続きを見る

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2018/08/06 13:52
長栄寺 (名古屋市中区) 蘿塚
よく知られている句<幽霊の正体見たり枯尾花>は、名古屋の俳人・横井也有 の句<化物の正体見たり枯尾花>が変化して流布したものといわれている。 横井也有は、江戸時代中期の尾張藩家臣で国学者でもあり、俳人として 知られている。 この也有生存中に、門人の石原文樵が也有の髪と爪を貰い受け、埋めて 塚を築き、也有の徳を後世に伝えようとした。 この塚を蘿塚(らづか)と呼び、長栄寺に安置されている。 ...続きを見る

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2018/08/05 08:16
永福寺 (静岡県掛川市)
私が訪れた時には、本堂の天井絵が完成する前で、残念ながら拝観 出来なかったが、2017年に龍と鳳凰の天井絵が完成とニュースで 知った。写真を見ればその迫力に圧倒されそうだ。 静岡県でも有数の天井絵らしい。 永福寺の開創は不詳であるが、15世紀初めごろの開創と思われる。 本尊の聖観音、観音堂の聖観音(来福観音)と<観音さんのお寺>と 呼ばれ、毎年7月に行われる<来福観音祭>は大いに賑わうようだ。 ...続きを見る

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2018/08/04 08:17
大仏寺 (岐阜県羽島市) 佐吉大仏
詩人・野口雨情の<竹ヶ鼻にて>の一節<仏佐吉さま 仏で暮らす 誰れも仏で 世をおくれ>の仏佐吉が永田佐吉である。 永田佐吉は江戸時代中期の豪商でありながら、人徳者として仏佐吉とか 美濃聖人と呼ばれた。 永田佐吉が仏恩報謝のために、1759年青銅釈迦如来坐像を建立し、 それが今日<佐吉大仏>と呼ばれている。 1962年佐吉大仏を収蔵する佐吉堂が建立され、大仏寺として開創された。 拝観は自由。 ...続きを見る

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2018/08/03 08:30
真乗寺 (福井県高浜町)
ビーチの国際環境認証<ブルーフラッグ>をアジアで最初に取得した 若狭和田ビーチを抱える高浜町和田地区に建つのが真乗寺である。 (現在、日本では鎌倉由比ヶ浜も認証を受けている) 関西でも有数の海水浴場で、舞鶴若狭高速道が開通後、益々海水浴客が 増えている。 ...続きを見る

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2018/07/31 08:23
久法寺 (石川県加賀市)
加賀市山ノ下寺院群に建つ久法寺は、日本で最初に鉛筆製造を始めた 柿澤理平の菩提寺である。 柿澤理平達は、1875年加賀市山中町で良質な黒鉛が見つかり、1877年 会社を立ち上げ、1878年試作品製造に成功し、1883年アムステルダム万博 で賞を取っている。 しかし、1903年には価格競争などで廃業に追い込まれている。 現在も鉛筆製造を続けている三菱鉛筆は、1887年に製造開始している。 意外な歴史が加賀市にあった。 ...続きを見る

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2018/07/30 08:46
観聴寺 (名古屋市熱田区) 鉄地蔵尊
JR金山駅南口の近くに建つ観聴寺は、元和年間(1615〜24年)断夫山古墳 の東(旗屋1丁目)に開創され、熱田公園の整備により、1942年現在地に 移転している。 観聴寺に祀られている鉄造地蔵菩薩立像2基は、青大悲寺の鉄造地蔵菩薩立像 と共に、断夫山古墳西側にあった地蔵堂に祀られていたもので、室町時代の 造像である。 古い鉄仏(鉄造仏像)は愛知県や関東に多く、全国でも100体に満たないと いわれ、愛知県の鉄造地蔵尊は10体前後といわれ、鉄地蔵尊の宝庫と なっている。 古い仏像の... ...続きを見る

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2018/07/12 10:06
伊馥寺 (三重県松阪市射和町)
日本三大商人(大坂商人、近江商人、伊勢商人)の伊勢商人の一つ豪商・富山 (大黒屋)家の菩提寺が伊馥寺である。 富山家は射和(いざわ)出身で、江戸時代初期から江戸へ出て、呉服販売を 中心に大いに繁栄し、両替商も兼ねていた。 18世紀中頃から徐々に衰退し、代わって松阪出身の三井家が伊勢商人の 代表となった。 ...続きを見る

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2018/07/11 08:35
梅香院 (名古屋市中区)
梅香院は、現在の稲沢市奥田にあった曹洞宗のお寺を、1684年尾張2代 藩主徳川光友の十一男・友著が、実母・梅香院の菩提を弔うために移して 梅香院と名している。 徳川光友は11人の側室を抱え、梅香院はその内の一人である。 友著は川田久保松平氏の初代当主となり、大名として扱われていた。 ...続きを見る

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2018/07/10 08:27
観福寺 (静岡県袋井市)
袋井市のHPトップページには、<東海道五十三次二十七番目の袋井宿> <どまん中>と記され、江戸から、京からも27番目の宿場町であった。 その袋井宿の真ん中に建っているのが観福寺であり、<へそ寺>とも 呼ばれている。 袋井の地名は、観福寺の山号<袋井山>に由来するともいわれているが、 一説には、井水に囲まれた袋状の地形によるとか。 ...続きを見る

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2018/07/08 09:19
二恩寺 (岐阜県海津市) 高須別院
二恩寺は、1850年高須藩主・松平義建の支援を得て開創され、 1878年真宗大谷派の高須別院二恩寺となっている。 高須藩は1600年立藩され、1700年尾張藩の支藩となり、尾張徳川氏一族 の松平氏が藩主となっている。 なお、真宗大谷派の別院は国内51、海外3の寺院が存在する。 真宗大谷派のお寺は約8600ヶ寺といわれ、曹洞宗(14600ヶ寺)、 浄土真宗本願寺派(10200ヶ寺)に次いで3番目に多い。 ...続きを見る

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2018/07/07 18:27
日源寺 (福井県あわら市)
あわら市瓜生の山麓に建つ日源寺は1291年開創されたと伝え、1294年 天台宗から法華宗になったといわれている。 平安時代末期の武士・源義親の孫・源信政が武曽氏を名乗り、日源寺を 支援したといわれている。後に、瓜生城を築城し、戦国時代には武曽氏は 越前守護大名朝倉氏に仕えたが、朝倉氏の滅亡と共に武曽氏も衰退 している。 日源寺はその武曽氏の菩提寺である。 ...続きを見る

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2018/07/06 09:22
如来寺 (石川県金沢市小立野)
如来寺の建つ<小立野寺院群>は、金沢城の南東に位置し、金沢三寺院群 (寺町寺院群、卯辰山山麓寺院群、小立野寺院群)の一つで、加賀前田家 ゆかりの寺が多い。 如来寺は、1573年越中増山に開創され、後に金沢に 移転し、藩主前田利常の正室・天徳院の帰依を受けている。 また、1662年には、藩主・綱紀の母・清泰院の菩提を弔うために 現在地に移転し、伽藍が整備されている。 ...続きを見る

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2018/07/04 19:32
延命寺 (三重県松阪市射和町) 山門
松阪市東南部、櫛田川左岸に建つ延命寺は、733年射和寺(いざわじ)の 塔頭として射和寺の近くに開創されたと伝えられ、射和寺と塔頭群は七堂伽藍 を備えた大寺であったといわれている。 1474年伊勢国司の北畠政郷の帰依を受けて独立し、真言宗から浄土宗に なったが、1570年織田信長の伊勢侵攻により焼失している。 しかし、山門だけは難を逃れたといわれ、それが現在の山門である。 1645年現在地に移り、山門も移築されている。 ...続きを見る

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2018/07/04 09:04
花岳寺 (愛知県西尾市吉良町)
元禄年間(1688〜1704年)の赤穗事件で有名な吉良上野介(義央) の先祖・三河吉良氏は13世紀中頃、現在の西尾市吉良町を領土として 始まり、1356年西条吉良氏と東条吉良氏に分かれている。 東条吉良氏の尊義氏は花岳寺を菩提寺としている。 1549年西条吉良氏と東条吉良氏は統合し、元の三河吉良氏として 続いている。 ...続きを見る

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2018/07/03 08:41
最明寺 (静岡県牧之原市)
茶畑が広がる切山集落の小高い山頂に建つ最明寺は、13世紀中頃 鎌倉幕府5代執権・北条時頼が開創したと伝えられている。 北条時頼は出家後、最明寺入道と呼ばれ、そこから寺名がつけられている。 戦国時代焼失したが、本尊千手観音が山で見つかり、堂宇を建立して 祀ったところ、村で流行っていた疫病が治まったと伝承されている。 現在は、仁王門と観音堂のみの無住のお寺で、宗派も定かではない。 ...続きを見る

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2018/07/01 09:00
常妙寺 (岐阜県郡上市明宝)
郡上八幡〜飛騨高山の<せせらぎ街道>は四季折々の風景を呈し、 人気のドライブコースとなっている。 吉田川沿いの街道の小高いところに建つのが常妙寺である。 お寺の開創は不詳であるが、本堂などが文化財となっている。 街道とお寺の風景が溶け合い、立ち寄りたいところである。 ...続きを見る

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2018/06/30 08:39
玉泉寺 (福井県若狭町玉置)
若狭町の<玉水の郷>玉置に建つ玉泉寺の開創は不詳であるが、お寺に 伝わる薬師如来坐像は藤原時代の作である。 玉置では<玉置の戸祝い>という行事が成人の日に行われ、子供達が 熊野神社と玉泉寺をお参りし、その後各家を廻り、バイ(松の棒)で戸や柱を 打ちながら家の繁栄を祈願する。 ...続きを見る

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2018/06/27 08:53
円光寺 (石川県小松市千木野)
1457年本願寺7世存如が亡くなると、8世継承を巡って、存如の継妻・如円 (蓮如上人の義母)が実子の応玄を継がせるべく動き、周りを固めたが、 蓮如の叔父で越中井波瑞泉寺の如乗が動き、蓮如が8世に就いた。 これを受けて、如円と応玄は大杉谷の支援者を頼り、1459年応玄は 円光寺を大杉谷に開創した。 これが大杉谷円光寺で、その後下大杉に移り、近年現在の千木野に移った。   <大杉谷円光寺跡>参照 ...続きを見る

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2018/06/26 09:14
円福寺 (三重県津市雲出島貫町)
旧伊勢街道が雲出川に突き当たる辺りに建つのが円福寺である。 伊勢街道は江戸時代に雲出川を渡しで越えたが、雲出島貫(くもずしまぬき) に宿場ができ大いに栄えたといわれている。 雲出橋のたもとには、当時の常夜燈が移設され保存されている。 円福寺の開創は不詳であるが、伊勢詣での人々で参拝も多かった ことだろう。 ...続きを見る

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2018/06/08 08:47
大乗寺 (愛知県安城市) 安祥城跡
安祥城跡(安城城跡)に建つ大乗寺は、徳川家康の先祖・徳川宗家4代当主・ 松平親忠が1489年頃安祥城主となると、城の鬼門除けとして了雲院を 開創したと伝えられ、その了雲院が1792年安祥城跡に了雲院大乗寺として 移転している。 なお、徳川家康は松平宗家9代当主で、徳川氏初代である。 ...続きを見る

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2018/06/07 09:15
長慶寺 (三重県名張市)
新住宅街南端の林の中に建つ長慶寺は、享保年間(1716〜36年)に 開創されている。 境内に立つ自然石に刻まれた芭蕉句碑は、芭蕉の百年忌に近くを通る 初瀬街道路傍に建立され、後に長慶寺境内に安置された。 芭蕉の句<香ににほへうにほる岡の梅の花>は1688年の句である。 ...続きを見る

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2018/06/05 08:55
願行寺 (愛知県刈谷市) 重原陣屋の正門
願行寺は宝徳年間(1449〜52年)に開創されたと伝えられている。 山門は,江戸時代に存在した重原陣屋の正門を1874年に移築している。 重原陣屋とは、  1790年刈谷藩領内で、藩主の無策で農民一揆(寛政一揆)が起こり、 その結果、1792年幕府によって刈谷藩の半分以上が奥州福島藩の 飛地領地となり、重原村に福島藩の陣屋が設けられた。 ...続きを見る

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2018/06/04 14:15
東円寺 (岐阜県中津川市) 出世薬師
中津川市街地を望む高台に建つ東円寺は1665年開創されたが、1684年 中津川市と長野県阿智村との神坂峠にあった薬師堂から薬師如来像を 移座して本尊としている。 神坂峠は古東山道の難所といわれ、伝教大師最澄が旅人のために お救い小屋を建て、薬師如来を刻んで祀ったと伝承されている。 東円寺の薬師如来は、出世の願いを叶えるご利益があると出世薬師と 呼ばれている。 また、後ろ向き薬師ともいわれている。 ...続きを見る

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2018/06/04 09:45
地蔵院 (福井県高浜町小和田)
高浜町小和田にある6世紀の前方後円墳<二子山古墳>にほど近くの 山林に建つのが地蔵院で、無住ゆえに集落の人々によって守られている。 地蔵院の開創は不詳であるが、お寺に伝わる<弘法大師像>は 善通寺御影と呼ばれ、よく我々が目にする姿で室町時代初期の 作といわれている。 お寺への標識もないのでアクセスに苦労した。 ...続きを見る

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2018/06/02 08:56
大杉谷円光寺跡 (石川県小松市大杉町)
現在の円光寺(小松市千木野町)が開創された地が<大杉谷円光寺跡>で、 次に移転した地が<下大杉円光寺跡>で、近年になって現在地に移転している。 円光寺開創の経緯は、本願寺8世蓮如上人とその異母弟・応玄の後継争いに ある。 1457年本願寺7世存如が亡くなると、その継妻・如円(蓮如の継母)が実子の 応玄を8世継承に向けて画策し周りを固めたが、蓮如の叔父で越中井波瑞泉寺 の如乗が動き、蓮如が8世に就いた。 この結果、如円と応玄は大杉谷の支援者を頼り、1459年大杉谷に円光寺を 開いた... ...続きを見る

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2018/06/01 08:58
江西寺 (三重県鈴鹿市) ダルマ寺
ダルマ寺と呼ばれる江西寺は、1192年後に日本達磨宗と呼ばれた禅宗の 開祖・大日坊能忍によって開創された達磨寺である。 日本達磨宗は中世末には姿を消している。 江西寺に祀られている達磨像には、開創の縁起からも諸願成就のご利益があると 篤い信仰を集めている。 私も訪問の際にダルマを購入し、祈願をしてきた。 ...続きを見る

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2018/05/31 09:45
萬福寺 (愛知県知立市) 古樹
萬福寺の古樹群は<知立の緑>として親しまれている。 推定樹齢530年のイブキ、同じく500年以上のソテツ、2本のクスノキ、 1991年まで生存していた<蓮台の松>と萬福寺の歴史と共に歩んできた 樹々の姿が風景を作っている。 ...続きを見る

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2018/05/29 08:50
善勝寺 (静岡県菊川市)
茶畑に囲まれた丘陵にクスノキが目立つ善勝寺が建つ。 善勝寺の開創は、1581年横須賀城主・大須賀出羽守善昌の開基で 白洲舜珪の開山と寺伝ではいわれている。 大須賀出羽守は大須賀忠政と思われるが、1581年という年代と忠政 の年齢から矛盾があり、横須賀城を築城した大須賀康高が妥当と 思われる。 いずれにしても、善勝寺は横須賀城主と関係が深かったのであろう。 ...続きを見る

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2018/05/28 10:03
観音寺 (岐阜県恵那市明智町) 滝坂観音
明智光秀の出生地と伝承される明智町(もう一つは可児市)の中心部から 少し山手に入った山麓に建つ滝坂観音は、1612年龍護寺の覚巌和尚が 開創している。 龍護寺を訪れてから滝坂観音へ足を運んでの印象は、両寺の風景が 全く異なり、覚巌和尚が何故滝坂観音を開いたのか。 龍護寺の奥の院として、弘法大師を偲んで開いたのだろうか。 ...続きを見る

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2018/05/27 08:46
教徳寺 (福井県坂井市) ヒイラギ
坂井市丸岡町の教徳寺は桃山時代の開創と伝えられ、中庭の樹勢旺盛な ヒイラギと共に歴史を作ってきたとか。 樹高10mほどのヒイラギでは大木で、坂井市の天然記念物に指定されている。 住職の説明によると、雪の重みが大敵だそうだ。 ...続きを見る

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2018/05/24 09:16
蓮光寺 (石川県加賀市大聖寺) 山ノ下寺院群
大聖寺市街地の南西に位置する丘陵麓に7ヶ寺が連なる山ノ下寺院群は、 江戸時代1639年大聖寺藩が加賀藩の支藩として立藩され、浄土真宗以外 のお寺が城下町整備の一環として集められた寺院群である。 浄土真宗のお寺は町中に集められ、監視の対象になった。 その一つ蓮光寺は1644年この地に開創された日蓮宗のお寺で、 水荒行の星祭りや奈良西大寺発祥の大茶盛で知られている。 ...続きを見る

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2018/05/23 16:04
大樹寺 (三重県四日市市) かっての名刹
四日市の市場町に荒れた姿で建つのが大樹寺である。 大樹寺は、宝徳年間(1449〜52年)市場城主・朝倉氏の菩提寺として 開創されたと伝えられ、その後は七堂伽藍を備えた大寺として栄えた といわれたが、天正年間(1573〜92年)織田信長の伊勢侵攻によって 市場城が落城すると、大樹寺も兵火に罹り焼失している。 その後再興されたが、現在は無住の状態で2012年には仏像の 盗難にあっている。 本堂横のスダジイの木も300年以上の推定樹齢といわれるが、 苔むした姿を見せている。 ...続きを見る

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2018/05/05 22:07
聖徳寺 (名古屋市熱田区) 聖徳太子孝養像
熱田区の聖徳寺は1564年開創されたと伝えられ、文禄年間(1592〜96年) 地元の漁夫が海から引き上げたといわれる聖徳太子孝養像を、2代目住職が 太子堂を建立し祀ったといわれている。 その時から聖徳寺と号したと。 孝養像は、太子16歳の時に、父・用明天皇の病気平癒を願った像で、 太子像には年齢に応じた像があり、   南無仏太子像:2歳像  孝養像:16歳像  摂政像:成人後   講讃像:35歳像  馬上太子像:37歳 などがある。 ...続きを見る

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2018/05/04 09:22
信光寺 (岐阜県瑞浪市)
中央道を見下ろす高台に建つ信光寺は、1504年すぐ近くの中京学院大学 の地に稲葉寺として開創されたと伝えられている。 戦国時代の兵火によって焼失したが、1607年鶴ヶ城城主・延友信光の 旧屋敷跡に信光寺として再興している。 1755年に建立された鐘楼門は瑞浪市唯一の鐘楼門である。 また、境内に安置されている六地蔵石幢は1662年の建立である。 ...続きを見る

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2018/05/03 09:07
浄泉坊 (三重県朝日町)
朝日町小向(おぶけ)に建つ浄泉坊は、1199年頃小向神明宮の別当寺として 開創された正治寺を始まりとすると伝えられている。 1467年には、蓮如上人に帰依している。 戦国時代に兵火に罹り焼失したが、1603年浄泉坊として再興され、 一時は桑名藩主奥方の菩提寺にもなった大寺である。 朝日町では名刹として存在する。 ...続きを見る

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2018/05/02 08:48
宝泉寺 (愛知県瀬戸市)
もとは陶磁器などを積んだ荷車が通った<窯垣の小径>の入り口に建つ 宝泉寺は1252年神宮寺として開創されたと伝えるが、その後は不詳で あったが、1648年宝泉寺として再興されている。 その頃の宝泉寺は、この界隈の賑わいの中にあったといわれている。 江戸時代末期〜明治時代に、陶彫の祖といわれた渡辺幸平が瀬戸の ノベルティの先駆けとなり、今日のノベルティの隆盛となった。 この渡辺幸平の菩提寺が宝泉寺である。 ...続きを見る

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2018/05/01 08:50
極楽寺 (静岡県森町) 遠州三十三観音霊場第33番
私が訪れた時期は、あじさいの季節を過ぎており、<あじさい寺>を 満喫できず。名残の一輪を見つける。 極楽寺は712年開創されたと伝え、平安時代には一時栄えたが、 その後廃れた。 1629年可睡斎の和尚により再興され、曹洞宗の禅寺として復活している。 遠州三十三観音霊場は1984年開創された新しい霊場である。 ...続きを見る

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2018/04/29 17:44
洞雲寺 (岐阜県白川町)
中部四十九薬師霊場第46番の洞雲寺は、1445年現在地の背後に位置する 田代山中の田代高原に開創されたと伝えられている。 1604年洞雲寺として再興され、1960年現在地に再建されている。 飛騨川に注ぐ白川の右岸小高い処に、石垣を巡らせて建つ姿は堂々とした お寺の風情がある。 ...続きを見る

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2018/04/28 20:11
西林寺 (三重県桑名市下深谷部) 北廻城跡
下深谷部に建つ西林寺は、北廻(きたはざま)城主・近藤氏の子孫が その城跡麓に開創したといわれている。 北廻城は延元年間(1336〜40年)に近藤氏によって築城された堅固な 城といわれ、織田信長の伊勢侵攻においても攻めあぐね、 滝川一益軍はトンネルを掘って、地下から攻めたといわれている。 1573年には落城している。 ...続きを見る

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2018/04/27 10:16
瑞雲寺 (愛知県春日井市)
瑞雲寺の開創は、760年頃とか860年頃とか不詳であるが、1438年 臨済宗のお寺として再興されている。 江戸時代には、城北4ヶ寺の一つとして尾張藩主の思召しもあって栄えたと いわれている。 本堂など伽藍も再建され境内も整備されている。 また、境内には種々の石仏が安置され、安らぎを覚えさせてくれる。 ...続きを見る

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2018/04/25 19:31
満勝寺 (静岡県掛川市)
満勝寺は、1446年雑賀城主・雑賀吉長によって開創されたと伝えられている。 雑賀吉長はこの地域の豪族で雑賀城を築城しているが、今川氏に攻められ 明応年間(1492〜1501年)には落城し、雑賀氏は滅んでいる。 満勝寺はその後も今川氏、大須賀氏、徳川氏などの庇護を受けている。 満勝寺開創当時は、遠州における法華(日蓮宗)布教の拠点として大いに 栄えたといわれている。 現在もその風景が残っている。 ...続きを見る

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2018/04/25 09:02
正願寺 (岐阜県御嵩町)
旧中山道(国道21号)上之郷を山手に入り、山麓に風格のある鐘楼門が 目に飛び込んでくる。 それが正願寺である。 正願寺の開創は1310年鈍庵俊によって開創されたと伝えられている。 鈍庵は、滋賀県永源寺の開祖・寂室元光らと共に、1320年中国元に 渡り、7年間の参禅を経て1326年帰国している。 (寂室元光は1361年永源寺を開創している。) 5代続いたが、その後廃れ、1657年再興されている。 ...続きを見る

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2018/04/24 11:06
福円寺 (福井県あわら市) 藤野厳九郎の菩提寺
あわら市下番に建つ福円寺は、日本留学時代の中国の文豪・魯迅の恩師として 知られる藤野厳九郎の菩提寺である。 藤野はあわら市下番の出身で、1904年仙台医学専門学校(東北大学医学部) の教授になった年に、魯迅がこの学校に留学してきた。 この時代は後進国を蔑む風潮があり、魯迅も苦労したが、藤野が何かとサポート し、師弟の絆ができた。 魯迅は結局、作家の道を選び、学校を中退している。 藤野は郷里に戻り、三国町で開業医を開き一生を終えている。 ところが、魯迅が短編小説<藤野先生>を著わし... ...続きを見る

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2018/04/20 08:41
妙立寺 (石川県金沢市) 忍者寺
寺町寺院群にあって、金沢観光の目玉となっている妙立寺は、本来忍者とは 無縁であるが、<忍者寺>と呼ばれ、それが商標登録されている。 堂宇内部には、種々のからくりが設けられ、まさしく忍者屋敷の構造と なっている。 完全予約制の拝観にもかかわらず、いつも賑わいを呈しているのも 頷ける面白さがある。 残念ながら撮影禁止となっている。 ...続きを見る

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2018/04/19 15:29
覚通寺 (三重県いなべ市)
員弁川の左岸、上笠田集落に堂々とした本堂を構える覚通寺は、 1470年室町幕府将軍・足利義政の家臣であった三浦清経が 出家して真言宗寺院として開創したと伝えられている。 1479年蓮如上人が当地に巡錫した折に帰依し、真宗に改宗したとか。 その後、何度か火災に遭いながら、信徒の協力によって再建されている。 現在の伽藍は1930年再建されている。 参道の桜並木から境内に入ると、境内に安置された自然石の寄燈籠 が目を引く。 ...続きを見る

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2018/04/02 09:20
栄国寺 (名古屋市中区) 名古屋三大仏
キリシタン弾圧の嵐も尾張藩に押し寄せ、1664年名古屋城下の千本松原刑場 で200人ほどのキリシタン処刑が行われた後の1665年、尾張2代藩主の 徳川光友は処刑場を現在の清須市に移し、その跡地に菩提を弔うために、 清涼庵を開創し、本尊に現在の犬山市塔野地にあった薬師寺から阿弥陀如来像 を移し安置している。 その阿弥陀如来坐像が名古屋三大仏の一つに数えられている。 名古屋三大仏とは、   栄国寺・阿弥陀如来坐像:像高約180cm   興正寺・大日如来坐像:像高約330cm   雲... ...続きを見る

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2018/04/01 08:55
泰運寺 (三重県松阪市飯高町) 八角梵鐘
和歌山街道(国道166号)の口窄口(くちすぼぐち)から北へ、口窄谷を 山中へ入る。車1台がやっと通れる林道を1.5km登る。 泰運寺の参道入口駐車場に車を停めて、緩やかな石段参道を登る。 両脇にはもみじ、桜、シャクナゲ、木蓮など四季折々の木々が 迎えてくれる。 特に、紅葉の名所として知られ、<室生、赤目、青山国定公園>の 一画として整備されている。 私の訪問時期は、花のない新緑の木々に覆われた風景であったが、 その新鮮な緑がまたよし。 紅葉時に再度訪れたいものだ。 ...続きを見る

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2018/03/30 10:16
宝蔵院 (名古屋市中川区) 布施屋地蔵
宝蔵院は中川区伏屋にあるが、伏屋の地名はもともと布施屋から来ていると いわれ、布施屋とは、昔旅人に無料で宿を提供し、貧しい旅人の安全を 護ってくれた施設や村を意味している。 その中心がお寺で、宝蔵院もその一つであったといわれ、本尊地蔵菩薩を 布施屋地蔵と呼んで、信仰が篤かったといわれている。 布施屋は奈良時代に行基が設けたのが始まりで、平安時代以降も 設置されている。 ...続きを見る

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2018/03/29 09:11
貞永寺 (静岡県掛川市) 遠江安国寺
掛川市南部の大坂地区に建つ貞永寺は、貞永元年(1232年)四条天皇の 綸命によって開創されたと伝えられている。 南北朝の戦いで犠牲となった戦没者や後醍醐天皇の菩提を弔うために、 足利尊氏・直義が発願して、1345年全国の各国に安国寺を開創したが、 遠江国においては貞永寺が安国寺として再興されている。 遠江国は、現在の静岡県西部にあたり、東部は駿河国であり、遠江国は 別称で遠州と呼ばれた。 ...続きを見る

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2018/03/28 15:16
即心院 (岐阜県瑞穂市) 小簾紅園
大垣市と瑞穂市の市境に位置する小簾紅園(おずこうえん)は、1861年 皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐために、中山道を江戸へ下った折に、呂久川 (旧揖斐川)の呂久の渡しで、詠んだ歌を記念して1929年開園している。 なお、呂久川は1925年の揖斐川改修工事でなくなり、揖斐川は直線に 改修されている。 この小簾紅園の近くに即心院はこじんまりと建つ。 ...続きを見る

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2018/03/27 08:59
定広院 (福井県敦賀市疋田) 疋田の舟川
塩津路(国道8号)と西近江路(国道161号)が交わる疋田集落は、 1815年に完成した舟川運河の宿駅であった。 その面影が少し残るこの地に建つのが定広院である。 舟川は敦賀から疋田までの小運河で、疋田から琵琶湖塩津まで峠越えで 陸路荷物が運ばれた。 この運河の運行も短期間で終了している。 ...続きを見る

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2018/03/26 09:46
久昌寺 (三重県伊勢市) 平家の里
宮川に注ぐ横輪川に沿って蛇行しながら進むと、<平家の里>と呼ばれる 矢持町菖蒲の山村集落に到る。 1185年壇ノ浦の戦いで敗れた平清盛の四男・知盛は入水自害したと されているが、伝承として、従者30名を率いて菖蒲の地に逃れて来たと。 1190年知盛は平氏の菩提を弔うために久昌寺を開創したと伝えられている。 境内には知盛の供養塔が建てられ、平家の末裔という俳人・山口誓子の 句碑が建っている。  誓子の句<知盛の谷水とし植田とす> ...続きを見る

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2018/03/25 08:57
妙安寺 (名古屋市熱田区) 沢の観音
堀川左岸の小高い処に建つ妙安寺は、江戸時代には<澤の観音>と 呼ばれ多くの参拝者があり、境内から望む堀川と背景の風景が尾張名所 として名をなした。 現在は、開発が進み全くその面影もない。 澤の観音は熱田四観音の一つで、かっては熱田神宮の東北・澤の地に あった観音堂に祀られていたが、妙安寺が現在地に再興されて以降に 移されたといわれている。 ...続きを見る

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2018/03/23 09:09
海蔵寺 (静岡県袋井市) 今川了俊の菩提寺
東名高速袋井ICを出て直ぐに、木々に覆われて建つ海蔵寺は、初代遠江今川氏 の今川貞世(法名:了俊)(1326〜1420年)が開創したと伝えられている。 貞世は初代駿河今川氏の範国の次男で、分家して遠江を統治しているが、 室町幕府の命で九州探題を務め、九州の平定に貢献している。 探題解任後、堀越城を築き海蔵寺を開創したといわれている。 貞世は歌人としても著名で、その歌一首 <ちる花をせめて袂に吹きとめよそをだに風のなさけと思はん> ...続きを見る

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2018/03/22 09:18
西順寺 (岐阜県北方町) 時の太鼓
西順寺の太鼓楼に安置されている<時の太鼓>は、1697年将軍徳川綱吉 の御前で、北方領主で旗本の戸田光賢が見事な馬術を披露したことから <時の太鼓>の使用を認められ、北方の本町に安置され、時を告げていたが、 明治時代初期に西順寺に移された。 江戸時代には、<時の太鼓>の打ち上げの打法は徳川御三家や二条城 などで認められていたが、他にも北方、唐津、一関など数少ない藩に 認められていた。 ...続きを見る

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2018/03/21 09:00
久昌寺 (福井県美浜町) 金焼地蔵尊
美浜町を通る丹後街道から少し入った大藪集落に建つ久昌寺の 地蔵菩薩は<金焼地蔵>と呼ばれている。 その伝承は  昔、弁当の飯を少しとっておいて地蔵尊にお供えしていた使いの娘が、 主人に飯を盗んだと火箸で叩かれた時、身代わりとして地蔵尊が傷を 負ってくれたと。 ...続きを見る

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2018/03/19 09:48
経王寺 (石川県金沢市)
金沢城南東の小立野台地にある小立野寺院群は30弱の寺院群で、 加賀藩主前田家ゆかりのお寺が多く集まっている。 その中の一つ経王寺は、加賀藩祖前田利家の側室で、2代藩主利常の 生母・寿福院が1601年開創している。 1631年寿福院の葬儀が行われている。 寿福院(千代)は、利家が朝鮮の役で名護屋に陣した折に世話女として 同行し、そこで利常を出生している。 寿福院の実家の菩提寺が越前経王寺であり、寺名を同じくしている。 また、熱心な法華信者で、能登妙成寺の中興を成し、自らの菩提寺 ... ...続きを見る

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2018/03/18 15:04
法泉寺 (三重県多気町) 天啓公園
法泉寺は、1659年僧・填啓が庵を開いたことに始まり、1715年梅嶺和尚が 黄檗宗のお寺として開創している。 その後、黄檗宗の名刹として名を馳せたが、いつしか廃れ廃寺となった。 その境内を多気町が引き継ぎ、現在は天啓公園(のびのびパーク天啓)として 町民の憩いの場となっている。 しかし、旧法泉寺の黄檗宗特有の山門(牌楼型)や本堂が残っており、 本堂は町施設・天啓の家となって利用されている。 また、境内にあった法泉寺庭園(公園に一体化している)は三重県の名勝 となっている。 ...続きを見る

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2018/02/28 09:12
崇覚寺 (名古屋市中区)
名古屋東別院(真宗大谷派名古屋別院)の西側に建つ崇覚寺は、 江戸時代初期に水谷重直によって現在の三重県桑名市長島町に 開創されている。 水谷重直は、織田信長と石山本願寺との戦いに本願寺の一信徒として 参戦し、討ち死にした安養坊(水谷可高)の子である。 ...続きを見る

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2018/02/27 09:27
納願寺 (三重県明和町)
明和町といえば、天皇に代わり伊勢神宮に仕えた斎王の宮殿などがあった 斎宮跡(現在は、さいくう平安の杜)である。 斎王への海の幸を獲ったり、貝拾いなどしたといわれる大淀浜へ立ち寄り、 斎宮跡へと向かう。 その途中で、クスノキの巨木が目立つ納願寺へ立ち寄る。 お寺の縁起は不詳であるが、しばし風景を楽しむ。 ...続きを見る

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2018/02/25 22:13
名古屋東別院 (名古屋市中区) 真宗大谷派名古屋別院
名古屋市中区に広い境内と壮大な伽藍を持つ東別院は真宗大谷派名古屋別院 で、1690年京都東本願寺の16代一如上人によって開創されている。 境内は、織田信長の父・信秀が1534年築城し、1548年廃城した古渡城の跡地 で、尾張藩主から寄進を受けている。 1945年名古屋大空襲によって、ほとんどの伽藍が焼失している。 境内の東隣にある名古屋市下茶屋公園は、江戸時代後期に造園された 東別院新御殿の後庭で、市民の散策の場となっている。 ...続きを見る

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2018/02/24 19:44
龍泉寺 (静岡県浜松市東区) 阿弥陀堂
東区半田緑地の一角に建つ龍泉寺は奈良時代の開創と伝えられているが、 詳細は不詳である。 1574年村人の協力のもと再興されている。 境内に建つ阿弥陀堂には、徳川家康に纏わる伝承がある。  1573年1月の三方ヶ原の戦いにおいて、武田軍に敗れて敗走した 家康が阿弥陀堂に身をひそめ阿弥陀如来に念じて、その後の無事と 浜松城の落城を免れたといわれている。 現在の阿弥陀堂には葵の紋がついている。 浜松市には数多くの家康伝説があり、その内の一つである。 ...続きを見る

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2018/02/23 09:09
楞厳寺 (岐阜県本巣市)
大名茶人・古田織部の生誕地本巣市文殊地区一帯には小規模な古墳群 が残っており、その古墳群に囲まれた法林寺集落山麓に建つのが 楞厳寺である。 25基ある古墳群の中でも<法林寺此奥古墳群>は古墳時代後期の もので、石室内からは須恵器などの出土品が見つかっている。 楞厳寺は無住でその縁起など不詳である。 山あいの静寂に包まれた風景である。 ...続きを見る

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2018/02/22 09:35
清月寺 (福井県若狭町)
若狭町杉山地区の山麓に整然と建つ清月寺は、箱ヶ嶽城主・内藤佐渡守国高 によって1521年開創されたと伝えられている。 佐渡守は若狭守護・武田氏の重臣で、若狭堤、若狭杉山などを領した。 1527年桂川の戦いで敗れ、同年亡くなり、以降内藤佐渡守の系統は 廃れたといわれている。 ...続きを見る

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2018/02/21 09:07
洞源寺 (三重県松阪市飯高町)
和歌山街道(国道166号)沿いの乙栗子集落山麓に建つ洞源寺には、 地元で評判の白藤があると聞き立ち寄ってみた。 時期が少し遅く、花は終わりつつあり、見事な花に間に合わず。 洞源寺は無住で、開創については不詳である。 ...続きを見る

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2018/02/20 09:20
円盛寺 (名古屋市中川区)
円盛寺と速念寺が並んで建つ地は、加賀藩祖・前田利家の本家筋の 前田城跡といわれ、利家はここで誕生後、荒子城に移ったと伝承されて いるが、通説では荒子城で生まれている。 また、利家の先祖は岐阜県安八町出身ともいわれている。 利家の父・利昌(利春)以前の来歴については不詳の部分が多い。 現在の地名<前田西町>は上記の伝承によるものだろう。 ...続きを見る

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2018/02/18 20:52
善龍寺 (静岡県御殿場市) 富士山東麓
富士山東麓の中畑地区に建つ善龍寺は600年以上前、富士山中に 開創されたと伝えられるが、詳細は不詳である。 1489年火災に遭い廃れたが、1708年現在地に再興されている。 善龍寺の喚鐘は1749年、富士山頂の浅間神宮に寄進されたもので、 明治時代の廃仏毀釈により善龍寺に移されている。 喚鐘は梵鐘より小さく、堂内に安置され、法要などの開始を告げる ために打たれる。 ...続きを見る

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2018/02/18 11:22
法暎寺 (岐阜県本巣市)
物部氏ゆかりの物部神社の近くに護摩堂が建つのが法暎寺である。 法暎寺の開創は不詳で、現在は地区の人々によって維持されている。 護摩堂には本尊の阿弥陀如来が祀られている。 法暎寺の観音堂は物部神社境内に移設されている。 護摩堂と観音堂は江戸時代前期の建立で、岐阜県の文化財に指定 されている。 ...続きを見る

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2018/02/17 09:45
平等会寺 (福井県鯖江市)
田畑を背に建つ平等会寺の伽藍は一際目立つ。 平等会寺は、弘仁年間(810〜824年)天台密教のお寺として開創されたと 伝えられているが詳細は不詳である。 1376年平等会寺と改名し法華宗となっている。 1488年日真上人が京都本隆寺を開創し、北陸布教の折に平等会寺は 日真に帰依し、日真門流に属している。 それが今日の法華宗真門流である。 ...続きを見る

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2018/02/14 09:15
観音院 (石川県金沢市東山) 四万六千日
観音院は卯辰山の麓、ひがし茶屋街の近くに建つ。 観音院は、金沢の地名発祥の人と伝承される芋堀藤五郎が、 現在の野々市市に天平年間(729〜749年)開創したと伝えられている。 1601年現在地に移転している。 観音院を知らしめているのは、<四万六千日>と呼ばれる行事で、 ひがし茶屋街も一体で参加している。 <四万六千日>は旧暦7月9日に行われ、当日観音院の長谷観音に お参りすれば4万6千日分の功徳があると、江戸時代から続く風習である。 ...続きを見る

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2018/02/13 14:06
引接寺 (三重県津市) 木造城主の菩提寺
津市木造町に建つ引接寺の北500mほどの田畑に木造(こつくり)城跡がある。 木造城は1366年木造顕俊によって築城されたといわれ、北畠氏の 支城として勢力を張っていた。 1584年豊臣秀吉の命による蒲生氏郷の攻城により落城している。 その木造城主木造氏の菩提寺が引接寺である。 ...続きを見る

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2018/01/28 09:26
不動寺 (三重県名張市長瀬)
名張市の東南端に位置する長瀬地区は、名張川に沿った山あいの 集落で、17世紀末の人口は600人ほどであったが、現在は200人ほどの 過疎地になっている。 名張川と山々が織りなす風景は、日本の原風景を持っている。 その集落に、一際目立つカヤの大木が存在感を示しているのが不動寺 である。 樹齢は数百年とみられ、樹高は20m弱になる。 不動寺は明治時代に火災に遭い、その縁起は不詳であるが、石塔など から600年以上前の開創と思われる。 ...続きを見る

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2018/01/27 20:13
実成寺 (愛知県あま市)
七宝焼の地場産業を抱える名古屋のベッドタウンあま市にあって、 日蓮宗の大寺である実成寺の本堂は美形を誇っている。 実成寺の開創は不詳であるが、鎌倉時代には十如堂と呼ばれた 真言宗のお寺であったといわれている。 1319年日蓮聖人の弟子・日妙が開創したと伝えられている。 ...続きを見る

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2018/01/27 09:15
正覚寺 (三重県伊賀市) 伊賀忍者・藤林長門守の墓碑
外国人観光客の人気も手伝い伊賀忍者の人気も高まっている中で、 伊賀忍者ゆかりの29寺社を巡る<伊賀忍者回廊>もある。 その中でも、伊賀市北部にあって滋賀県甲賀市に隣接する湯舟郷に 建つ正覚寺には、三大伊賀忍者(服部半蔵、百地丹波、藤林長門守) の一人藤林長門守と一族の墓碑が安置されている。 近くにある藤林長門守館跡から移されたものである。 藤林長門守の史料はほとんどなく、生没年も不詳であるが、その 子孫・藤林保武が1676年著した忍術書<万川集海>は貴重な資料である。 ...続きを見る

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2018/01/26 09:40
長福寺 (愛知県稲沢市)
長福寺の建つ三宅郷は、大和朝廷の屯倉(みやけ)であったことから、 牛頭天王を祀り、天王社が建立されたと伝え、その後の830年 神宮寺として長福寺が開創されたと伝えている。 屯倉は大和朝廷の直轄地で、地方行政組織の先駆けであった。 牛頭天王は神仏習合の神で、祇園精舎の守護神であり、疫病神を鎮める ご利益があるといわれている。 京都八坂神社の祭神は牛頭天王であり、津島市津島神社の祭神もかっては 牛頭天王であった。 ...続きを見る

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2018/01/25 09:37
唯願寺 (岐阜県大垣市上石津町) シブナシガヤ
養老山系の西麓に位置する大垣市の飛地・上石津町南部に建つ唯願寺の シブナシガヤには、大蛇の化身にまつわる伝説がある。  お寺の2代住職明慶の時期に、大蛇の化身と見破られた母親が、井戸から 大津瀬田の唐橋へ逃げると、後に残された子を住職がシブナシガヤの実を 磨り潰して、乳のかわりにして育てたとか。 このシブナシガヤはカヤの木の一種で珍しい木である。 ...続きを見る

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2018/01/24 09:31
法雲寺 (三重県鈴鹿市大久保)
鈴鹿山系の麓にあって、伊勢茶の茶畑が広がる大久保町の中心に 建つのが法雲寺である。 伊勢茶の名前はあまり知られていないが、生産量は静岡県・鹿児島県に 続いて3位にある。 法雲寺の開創は不詳であるが、北隣に大久保城跡があり、戦国時代には 大久保氏が城主であったが、1583年落城している。 この大久保城と何らかの関係があったのだろうか。 ...続きを見る

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2018/01/22 09:36
総見院 (愛知県清須市) 織田信長ゆかりの寺
本能寺の変(1582年)で織田信長が亡くなり、次男の織田信雄が父の菩提を 弔うために1583年清州に総見寺を開創している。 1610年徳川家康の命による<清州越し>によって名古屋へ移転したが、 1644年その跡地に、尾張初代藩主・徳川義直の支援を受けて、信長の 菩提を弔うために、現在の総見院が開創されている。 ...続きを見る

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2018/01/21 09:40
鵜田寺 (静岡県島田市) 虎御前と島田髷
島田出身の遊女・虎御前が考案したと言い伝えられている<島田髷>を 結って、市内を踊りを混ぜながら練り歩く<島田髷まつり>が9月第3日曜日 に行われ、最後に虎御前の菩提寺・鵜田寺で髷供養感謝祭が行われている。 島田髷(しまだまげ)は日本髪で最もポピュラーな髪型で、江戸時代初期に 島田宿の遊女の間に広まり、種々の型が生まれ一般に広まった。 その起源が虎御前にあると伝承されている。 ...続きを見る

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2018/01/20 09:08
江翁寺 (岐阜県輪之内町)
輪中に囲まれた輪之内町に建つ江翁寺は、輪之内の水田開発に取り組んだ 揖斐城の家老・北村可長の遺言により開創されている。 揖斐川と長良川に挟まれたこの地域は何度となく洪水に遭っているが、 1754〜55年の宝暦治水工事によって改善されている。 この宝暦治水工事は薩摩藩が幕府の命によって行われたが、多くの 犠牲者が出ている。 その犠牲者の中で、工事の遅れに責任を負い自害した薩摩義士6名の 菩提寺が江翁寺である。 犠牲者となった84名の薩摩義士の墓は岐阜・三重県の11ヶ所にある。 ... ...続きを見る

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2018/01/18 09:19
月光寺 (福井県越前市) 武生三大仏
越前市には<武生三大仏>と呼ばれる仏像がある。 <武生三大仏>   引接寺:石大仏(石造聖観音坐像) 像高約4m   霊泉寺:木大仏(木造釈迦如来立像) 像高約8m   月光寺:銅大仏(銅造阿弥陀如来坐像) 像高約4.8m 月光寺の銅大仏は1847年天保飢饉の餓死者を供養するために 地元有志により造立され、当初は露仏であったが、1870年 大仏殿が建立されている。 ...続きを見る

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2018/01/16 09:27
本長寺 (石川県金沢市野町)
野町に建つ本長寺は、1453年現在の富山県南砺市にあった福光城主・石黒氏 が菩提寺として開創したと伝えられている。 その後、転々とし1615年現在地に再興されている。 福光城主・石黒氏の祖は木曽義仲に従い戦った石黒光弘といわれ、 光弘以降七流に分流し、その内の一流で福光城を本拠とした石黒右近氏 といわれている。 福光城は1481年一向宗との戦いで落城し、石黒右近氏は滅亡している。 石黒氏の末裔が加賀前田家の家臣となったともいわれている。 ...続きを見る

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2018/01/14 15:30
龍源寺 (三重県鈴鹿市)
龍源寺は平安時代には存在したと伝えられているが不詳である。 享禄年間(1528〜32年)、現在の四日市市河原田にあった川尻城主 有田氏が伽藍を建立して禅の修行道場とし大いに栄えたといわれる。 1758年には臨済宗の中興の祖・白隠禅師が1ヶ月滞在し、禅の普及 に尽くし、龍源寺の名を高めたといわれている。 ...続きを見る

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2018/01/01 14:26
常音寺 (三重県桑名市多度町) 宝暦治水薩摩義士の墓
1753〜54年幕府が薩摩藩に命じた木曽三川の宝暦治水は難工事 となり、多くの犠牲者を出し、薩摩藩の財政的負担も大きかった。 薩摩藩の総奉行・平田靱負以下84名の犠牲者(義士)の墓は 岐阜県、三重県11ヶ所に亘っている。 その内の1ヶ所が常音寺で、5名の義士が葬られている。 ...続きを見る

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2017/12/31 09:43
長岳院 (愛知県北名古屋市) 黒松
長岳院本堂前の黒松の樹齢は不詳であるが、北名古屋市では最も大きな 黒松といわれ、伊勢湾台風にも耐えた貴重な松として天然記念物に 指定されている。 狭い境内にその威容を見せている。 長岳院は17世紀初頭に開創されたといわれている。 ...続きを見る

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2017/12/30 09:57
法泉寺 (三重県桑名市多度町)
多度町香取の法泉寺の開創は1541年と伝えられるが、その根源は 1232年親鸞聖人が桑名三崎(現在の桑名市北寺町)にあった草庵を、 法泉寺として弟子の信慶に与えたのが根源で、1264年には長島杉江 にも法泉寺を開創している。 三崎法泉寺、杉江法泉寺、香取法泉寺と信慶の法灯を継いだが、 16世紀末に杉江法泉寺は香取法泉寺に合併、三崎法泉寺は 本統寺となった。 ...続きを見る

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2017/12/28 09:18
法蓮寺 (愛知県一宮市) 山内一豊の父の菩提寺
土佐藩初代藩主・山内一豊の父・山内盛豊は岩倉織田氏の家老で、 法蓮寺の近くにあった黒田城の城代で、一豊はここで生まれたと いわれている。(一豊の出生地については別説あり) 1557年黒田城が攻められ、嫡男十郎と共に討ち死にしたといわれているが、 これには諸説あり。 法蓮寺は盛豊と十郎の菩提寺で、江戸時代中期に墓が建立 されている。 ...続きを見る

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2017/12/27 09:21
海福寺 (静岡県御前崎市) いもじいさんの碑
<いもじいさん>と親しまれた大澤権右衛門は、1766年の春、薩摩藩の 船が難破したのを見つけ、村人と共に24人を助けた。 薩摩藩からは金20両の礼金と差し出されたが、救助は当然としてそれを 断り、その代わりに船に積んでいたサツマイモを貰い受け、その栽培方法 を教えてもらって、御前崎にサツマイモ栽培を広めた。 1778年いもじいさんが亡くなり、百年忌の1878年村人はその功績を 称えて供養塔を海福寺に建立し、1908年には顕彰碑も建立された。 御前崎から遠州一帯にサツマイモ栽培が広が... ...続きを見る

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2017/12/26 09:42
真福寺 (岐阜県羽島市) 美濃大須観音
名古屋のど真ん中に建ち、日本三大観音(浅草観音、大須観音、津観音) と呼ばれる大須観音(宝生院)は、1612年徳川家康の命により美濃大須 から寺宝も含めて移転されている。 元のお寺が真福寺(これを仮称美濃大須観音)である。 真福寺は1226年頃、現在の羽島市桑原町大須に地元の人たちによって 建てられた中島観音堂を始まりとすると伝えられている。 <年代など諸説あり> ...続きを見る

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2017/12/24 16:11
真禅寺 (福井県敦賀市) 河童の銅印
真禅寺には<河童の銅印>と呼ばれる銅印が伝わっている。  今から250年ほど前に、檀家の太治朗兵衛が児屋源太郎と呼ばれた 河童を助けた礼に銅印を授けられ、これを持っていると、河童の害に 遭うこともなく、また水難に遭うこともないといわれた。 この銅印の由来については不詳で、どういった類の印かも不詳である。 ...続きを見る

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2017/12/22 09:19
宝泉寺 (石川県金沢市) 市街地の眺望
ひがし茶屋街の東端から子来坂(こらいざか)を登ると、その途中に 宝泉寺への参道がある。 子来坂とは、幕末1867年卯辰山が開拓された時に、作業に携わった 人たちが沢山の子供が来るようにと命名されたといわれ、金沢市の 観光スポットとなっている。 子来坂と共に宝泉寺境内からの金沢市街地の眺望はすばらしく、 特に夕陽の風景は捨てがたいといわれている。 ...続きを見る

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2017/12/20 09:24
福泉寺 (三重県東員町)
1574年織田信長の伊勢侵攻により落城した笹尾城(山田城)の城主 青木安豊が亡くなって、その後安豊の末孫が瀬古泉に庵・笹尾堂を 建立したと伝えられている。 この笹尾堂が福泉寺の始まりといわれ、1670年福泉寺が開創 されている。 笹尾城は建武年間(1334〜38年)に青木安定が築城したといわれ、 その後1574年まで青木氏が城主として、この地を領した。 笹尾城跡は住宅地となっている。 ...続きを見る

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2017/12/05 09:18
全徳寺 (愛知県大口町)
大口町の伝承として<山姥物語>がある。  鎌倉時代、武芸の達人・福富新蔵が本宮山頂で村人から恐れられていた 山姥に矢を射るが、山姥は姿を消し、その血跡が余野村の小池与八郎の家 まで続いていた。その妻が山姥の化身だった。 与八郎の息子は母の菩提を弔うために徳林寺を建て、福富新蔵は徳林寺の 一坊として全徳坊を建立したと伝えられている。 この全徳坊が全徳寺の始まりといわれている。 山号に福富新蔵の名が残っている。 1598年再興され、これが全徳寺の創建となっている。 徳林寺と全徳寺は... ...続きを見る

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2017/12/04 09:47
西願寺 (岐阜県海津市)
西願寺の開創は不詳であるが、山門は今尾陣屋(今尾城)の遺構である。 今尾城は、文明年間(1469〜86年)守護代・斎藤氏の家臣・中島重長 が築城したといわれ、以降城主も変遷し、1608年廃城となるが、 尾張藩家老・竹腰正信が跡地に陣屋を築き領地を治めた。 明治時代になり陣屋も取り壊しとなるが、陣屋門(城門)は西願寺の 山門として移築された。 これは陣屋の唯一の遺構である。今尾城跡には今尾小学校が建っている。 ...続きを見る

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2017/12/03 16:33
金光寺 (三重県朝日町)
朝日丘陵の縄生(なお)廃寺は、江戸時代から金光寺跡と呼ばれてきたが、 1986年の発掘調査で白鳳時代の古代寺院であることが判明し、 塔跡からは舎利容器も発掘されている。 金光寺の開創は縄生廃寺かどうか不詳であるが、平安時代には 苗代神社の別当寺として大いに栄えたといわれている。 1567年織田信長の伊勢侵攻により焼失したが、1673年現在の 縄生公民分館の地に再興され、その後現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2017/12/01 09:41
顕宝寺 (愛知県扶桑町) 誕生仏
顕宝寺に祀られている誕生仏立像は、1965年地元の住人が畑を耕作中 発掘され、その後顕宝寺に寄進されている。 10世紀頃の作と考えられ、平安時代の誕生仏としては珍しいらしい。 愛知県の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2017/11/30 10:15
清浄寺 (静岡県牧之原市) 勝間田城主の菩提寺
清浄寺は、一遍上人が京へ向かう途中当地に立ち寄り、弟子の恵法が 1282年開創したと伝えられている。 その後、当地の勝間田城主・勝間田長清は、一遍上人の高弟・他阿真教に帰依し、 清浄寺を勝間田氏の菩提寺としている。 勝間田長清は歌人でもあり、中世最大の歌集<夫木和歌抄>を編纂している。 1475年には、勝間田城は今川氏により落城している。 清浄寺は大いに栄えた時期もあったが、勝間田氏の没落により衰退したとも いわれている。 ...続きを見る

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2017/11/29 09:06
玉龍寺 (岐阜県下呂市金山町) もみじ寺
下呂市金山町を流れる飛騨川右岸山手の石段参道を登ると玉龍寺が建つ。 境内には5種類100本を超えるもみじの木があり、紅葉の時期には 境内を真っ赤に染める飛騨路の紅葉名所で、<もみじ寺>とも 呼ばれている。 私が訪れたのは10月初旬で、青もみじの風景であったが、その風景から 紅葉の素晴らしさを想像できる。 訪問時は庭園が整備中であった。 是非再訪問したい。 ...続きを見る

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2017/11/27 14:49
雲岳寺 (福井県若狭町)
低い山々に囲まれた麻生野集落に建つ雲岳寺の開創は不詳であるが、 所蔵の聖観音立像、薬師如来立像は平安時代後期(藤原時代)の 造像で、福井県の文化財に指定されている。 雲岳寺は通称を麻生野薬師堂と呼ばれ、薬師堂が曹洞宗のお寺に 発展したのだろうか。 ...続きを見る

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2017/11/25 14:10
龍雲寺 (石川県金沢市寺町)
龍雲寺は1661年開創され、百姓の寺として農民の信仰を受けた。 檀家の土屋義休は江戸時代の農政において、日本の三傑と呼ばれ、 北陸の農業事情を記した<耕稼春秋>を著している。 現在は保育園を経営している。 ...続きを見る

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2017/11/23 13:13
安渡寺 (三重県桑名市)
桑名市星川の小丘に建つ安渡寺は奈良時代前半に開創されたと 伝えられているが、詳細は不詳である。 古文書によると、鎌倉時代前期には<星川の観音さん>として知られ、 室町時代後期には星川城主・春日部氏によって、大伽藍が建立された といわれている。 しかし、天正年間(1573〜92年)前半に織田信長の北伊勢侵攻による 兵火によって焼失している。 ...続きを見る

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2017/11/09 09:13
天然寺 (愛知県江南市)
江南市から一宮市にかけて、1558年織田信長と織田信賢との戦い <浮野の戦い>で一帯は兵火によって荒廃したといわれている。 1643年江南の名刹・曼陀羅寺の洞空教観が世の太平を願って 開創したのが天然寺といわれている。 明治時代になり、信濃善光寺から善光寺如来を勧請し祀っている。 天然寺の境内には花木が植生され、四季折々の花を愛でる風景がある。 ...続きを見る

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2017/11/08 09:14
養泉寺 (岐阜県郡上市明宝)
郡上八幡〜飛騨高山の自然満喫のせせらぎ街道沿いに位置する明宝地区 は、明宝ハムの特産品で知られる奥美濃の山里である。 明宝大谷集落には、樹齢300年ともいわれているエドヒガン桜の<善兵衛桜> が集落のシンボルとなっている。 その桜近くに建つのが養泉寺である。 養泉寺の開創は不詳であるが、江戸時代の開創と思われる。 ...続きを見る

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2017/11/07 09:21
光蓮寺 (三重県いなべ市)
光蓮寺の裏山(光蓮寺山)には、戦国時代の梅戸城があった。 梅戸城は、地元の領主・梅戸高実が八風街道(現在の国道421号)の通行税 を徴収するために築いたといわれている。 1568年織田信長の北伊勢侵攻により梅戸城は落城している。 梅戸高実の菩提寺が光蓮寺である。 光蓮寺は736年行基によって開創されたと伝えられている。 1583年豊臣秀吉が滝川一益を攻める際に、一時光蓮寺に陣を置いたとも いわれている。 ...続きを見る

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2017/11/05 05:45
犬山善光寺 (愛知県犬山市)
木曽川左岸の善光寺山(141m)中腹に建つ犬山善光寺は、1928年 信濃善光寺の本尊善光寺如来の分身として勧請し開創されている。 犬山善光寺が開創後、善光寺山と名を付し、善光寺山公園として 整備されている。 ここらの眺望は見応えがあり、犬山城と木曽川の眺望は特によし。 ...続きを見る

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2017/11/04 09:42
潮海寺 (静岡県菊川市) 古刹
潮海寺は地名として残る古刹であり名刹であった。 天平年間(729〜749年)行基によって開創されたと伝えられ、平安時代初期 には坂上田村麻呂の帰依を受け、広大な寺領を寄進され、75坊を超える 塔頭を抱える大寺として栄えたといわれている。 室町時代には、今川氏の支城として使われ、兵火に罹っている。 江戸時代、かって本堂があった場所に薬師堂が建ち、それより200m南に ある学頭坊に本堂が建っている。 山門は更に100m南に建ち、かっての境内規模が広大であったことを 物語っている。 ... ...続きを見る

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2017/11/03 09:51
大林寺 (岐阜県中津川市)
中津川市千旦林に建つ大林寺の近くに、日本固有種のハナノキ自生地が ある。この自生地は最大の自生地で国の天然記念物に指定されている。 全国には、9ヶ所の国指定天然記念物があり、岐阜県に5ヶ所ある。 ...続きを見る

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2017/11/01 09:41
若狭三十三観音霊場 (福井県)
1982年に開創された福井県若狭地方の観音霊場 ...続きを見る

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2017/10/30 09:50
大蔵寺 (福井県敦賀市)
北陸道敦賀IC近くの大蔵地区山裾に、ひっそりと建つ大蔵寺の本尊は 十一面観音であるが、敦賀市で数少ない平安期の仏像である。 若狭はかっては仏教文化の栄えた地域であり、小浜などには古代の 仏像が多く残っているが、敦賀は兵火の影響を強く受けた地区だけに 残っている古代仏像は数少ない。 大蔵寺の十一面観音立像は一木造の平安時代後期(藤原時代)の 仏像として貴重な存在である。 ...続きを見る

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2017/10/30 09:16
三宝寺 (石川県金沢市東山) 痔の神様
三宝寺に祀られている<秋山自雲霊神>は、東京浅草の本性寺に 祀られ、痔の神様として江戸時代から信仰が篤かった。 それが全国に勧請され、主に日蓮宗のお寺に祀られた。 剣豪・千葉周作も信仰が篤かったといわれている。 ...続きを見る

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2017/10/28 11:33
大梅寺 (岐阜県富加町)
平安時代中期に、羽生の住民が征役に従って功をあげ、後一条天皇から 観音像を頂戴し、お堂を建てて祀ったのが大梅寺の始まりと伝えられている。 1695年鉄面和尚を招いて、黄檗宗の大梅寺が開創されている。 この観音さんは<身代わり観音>として信仰を集めているとか。 観音像を始めとして多数の文化財が残されている。 ...続きを見る

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2017/10/14 09:08
金龍寺 (愛知県設楽町) ウバヒガン
東三河山間部の設楽町津具集落に建つ金龍寺のウバヒガン(エドヒガン桜の 老樹)は、近年の落雷により木が衰えたが、その後回復処置が行われ、 樹勢も少し回復したといわれている。 明治初期に当寺の大秀和尚によって植樹され、大秀桜と呼ばれている。 樹齢も150年以上と桜としては老樹の域に達している。 私が訪れたのが夏で、緑の桜からは満開の風景は想像できなかった。 ...続きを見る

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2017/10/12 09:03
香勝寺 (静岡県森町) ききょう寺
香勝寺は通称<ききょう寺>と呼ばれ、15種余りの4万株の桔梗が 植生され、<日本三大桔梗寺>ともいわれている。 三大桔梗寺とは、   香勝寺(静岡県森町)、遍照寺(兵庫県香美町)、谷性寺(京都府亀岡市) が挙げられているが、廬山寺(京都市上京区)、天得院(京都市東山区)なども よく知られている。 ...続きを見る

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2017/10/11 20:08
光明寺 (三重県津市新家町) 桃園三地蔵
津市南部にあって、かっては桃園村と呼ばれた桃園地区には、 鎌倉時代後期1314年造像の石造地蔵菩薩が3体存在し、 これを<桃園三地蔵>と呼び、三重県の文化財に指定されている。 3体の地蔵尊は、   栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)   光明寺地蔵菩薩立像(津市新家町)   宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町) ...続きを見る

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2017/10/10 09:16
大岩寺 (愛知県豊橋市) 岩屋観音堂
国道1号の岩屋下交差点近くの岩屋山(78m)の山頂に立つ観音像は 濡れ仏ともいわれ、近隣のランドマークとなっている。 その観音像(聖観音)の下に建つのが、730年行基が祀ったと伝えられる 千手観音を祀る岩屋観音堂である。 岩屋観音(千手観音)堂の一塔頭であった大岩寺が、現在その法灯を 継いで、岩屋観音を維持管理している。 ...続きを見る

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2017/10/09 09:04
本勝寺 (静岡県掛川市) 立木の山門
本勝寺の山門は、300余年前に当時の住職がマキとナギの木を植生し、 それが山門形式と育った自然立木の山門である。 これは釈迦の金言<草木一切悉有仏性>を模擬したといわれている。 掛川市周辺においても、自然立木を山門とするお寺がある。 本勝寺はあじさいのお寺とも呼ばれ、花木豊かなお寺で、山門が その象徴となっている。 ...続きを見る

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2017/10/07 09:48
祐泉寺 (岐阜県美濃加茂市) 中山道太田宿
中山道の51番目宿場・太田宿の中心にあって、木曽川日本ラインに 面して建つ祐泉寺は美濃三十三観音霊場第27番である。 境内には多くの著名人の石碑などが建てられ、太田宿の核となる お寺であった。 槍ヶ岳の開山・播隆上人の墓碑、木曽川中流域を日本ラインと 名付けた志賀重昴、太田宿出身の坪内逍遥の歌碑、北原白秋の歌碑、 芭蕉の句碑などがある。 ...続きを見る

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2017/10/06 09:07
水生寺 (福井県美浜町)
若狭湾和田海岸近くの山麓に建つ水生寺は、平安時代末期に源頼政が 耳川の水の中から拾いあげた十一面観音を祀って開創したと 伝えられている。 源頼政は源平合戦の端緒となったといわれる1180年の<以仁王の挙兵> で、平家打倒を掲げて宇治平等院で戦い、平等院境内で自害している。 辞世の句<埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける> ...続きを見る

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2017/10/03 13:47
国泰寺 (石川県金沢市寺町)
国泰寺は当初、金沢市長土塀に富山県高岡市の国泰寺(臨済宗国泰寺派 大本山)の別院として開創されたといわれているが、開創年は不詳である。 1616年現在地に移っている。 消化剤タカジャスターゼの発明などで知られる高峰譲吉の菩提寺である。 ...続きを見る

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2017/10/03 09:34
龍性院 (三重県名張市)
唐招提寺の伝統行事<うちわまき>(5月19日)で、参拝者にまかれる 宝扇の材料である竹(女竹)1500本を送っているのが、名張市滝之原地区 の<唐招提寺に竹を送る会>である。 この竹を送るに際して、1月中旬に龍性院で安全祈願法要して送られる。 唐招提寺と名張の関係は、唐招提寺の末寺が名張市夏見にあったこと から、この行事を2011年から始めている。 ...続きを見る

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2017/09/20 09:18
天桂院 (愛知県蒲郡市) 竹谷松平氏の菩提寺
徳川家康の先祖・松平氏は、現在の豊田市松平町を領した豪族・松平親氏 を始祖とする系統で、松平宗家と呼んでおり、家康は九代当主である。 その三代・松平信光は勢力を拡大するために、多くの子供達を分家して いる。次男・親忠を宗家四代とし、嫡男・守家を竹谷松平の分家始祖と している。竹谷松平氏(西郡松平)は現在の蒲郡市竹谷町を本拠とした。 この松平守家の菩提を弔うために開創されたのが天桂院であり、以降 竹谷松平氏の菩提寺となっている。 ...続きを見る

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2017/09/19 10:08
得法寺 (福井県若狭町熊川) 熊川宿のお寺
得法寺が建つ熊川宿は、豊臣政権下で若狭の領主となった浅野長政は、 1589年若狭街道(鯖街道)を整備し、熊川宿が始まっている。 現在の熊川宿は<重要伝統的建造物群保存地区>として、宿場町 としての面影を残し、観光スポットとなっている。 その中心部に建つ得法寺は、1226年に開創されたと伝え、1475年 蓮如上人が越前吉崎御坊を離れ、海路小浜に着いて、得法寺に 3日間逗留し、海路の途中で書した六字名号を与えている。 この時に、天台宗から浄土真宗へと改宗し、その六字名号を <船路の名... ...続きを見る

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2017/09/17 13:10
伊賀国分寺跡 (三重県伊賀市)
伊賀国分寺は、741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ国に建立された 国分寺の一つであるが、その建立年は不詳である。 中世以後は衰え、その行く末は不明となる。 大正時代に入って、伊賀国分寺跡として認知され、現在は整備されている。 東西220m、南北240mの規模を誇り、東大寺式伽藍配置である。 現在は、その法灯を継ぐお寺はない。 ...続きを見る

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2017/09/17 09:40
海徳寺 (愛知県碧南市) 大浜大仏
大浜大仏と呼ばれる阿弥陀如来坐像を本尊とする海徳寺は、1462年 西演和尚が草庵を設けたのが始まりと伝えられている。 1869年伊勢の菩提山神宮寺が廃仏毀釈によって、廃寺となったことから、 海徳寺の住職が神宮寺の多数の仏像を譲り受け、本尊として祀っている。 菩提山神宮寺は、744年聖武天皇の発願により、行基が開創したと いわれ、大寺として大いに栄えたといわれている。 ところが、1261年に全焼し荒れ果てていた。 1687年芭蕉は名刹・神宮寺を訪れ、その荒れた姿に嘆いて句を。 <此... ...続きを見る

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2017/09/16 09:27
林光寺 (静岡県袋井市) 狸の里
信楽焼の狸が境内一面に安置された林光寺は、地元では狸の里と 呼ばれ親しまれているらしい。 関西では、狸の置物は珍しくなく、お寺に置かれているのも、よく 見かける。 信楽焼は中世からの窯場で、日本六古窯の一つであるが、 狸の置物は明治時代に焼かれたのが始まりで、1951年昭和天皇が 信楽を訪問された時に、沿道に日の丸を持った狸が並べられたのが 全国に知れ渡った契機といわれている。 ...続きを見る

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2017/09/14 13:27
宝積寺 (岐阜県坂祝町)
岐阜県中南部に位置し、人口8千あまりの坂祝町(さかほぎちょう)南端を 木曽川が流れ、その右岸に建つのが宝積寺である。 宝積寺は、宝徳年間(1449〜52年)に現在の各務原市鵜沼宝積寺町に 開創されたと伝えられている。 寺名が地名として残るほどの大寺であったのだろう。 1701年に現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2017/09/13 15:05
円寿寺 (福井県永平寺町)
九頭竜川の北に建つ円寿寺で、2015年2月に江戸時代初期の芸術家で、 琳派の始祖といわれる本阿弥光悦の直筆書状が発見されたと話題に なった。 この書状は、前田利家の側室・寿福院への謝意を伝えた書状で、 円寿寺への由来については不明であるが、光悦も日蓮宗の信徒であり、 寿福院が福井県出身であったこともあるかも。 ...続きを見る

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2017/09/10 11:39
慈雲寺 (石川県金沢市東山)
慈雲寺は、1577年現在の七尾市に、富田景政が菩提寺として開創し、 1615年現在地に移っている。 富田景政は朝倉義景の家臣であったが、朝倉氏が織田信長によって 1573年滅ぼされると、富田氏は前田利家の家臣として仕え、 1585年には七尾城の守番となっている。 景政の婿養子・重政は前田家の兵法指南役となっている。 境内には富田氏の石廟がある。 ...続きを見る

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2017/09/09 09:15
宝樹寺 (三重県津市) 桃園三地蔵
津市南部にあって、かっては桃園(ももぞの)村と呼ばれた桃園地区には、 鎌倉時代1314年造像の石造地蔵菩薩が3体存在し、これを <桃園三地蔵>と呼び、いずれも三重県の文化財に指定されている。 3体の地蔵尊は、   栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)   光明寺地蔵菩薩立像(津市新家町)   宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町) ...続きを見る

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2017/08/27 15:45
遍照院 (愛知県知立市) 三河三弘法
815年弘法大師空海は東国巡錫の折、三河に1ヶ月逗留し、 三体の自刻像を彫って祀ったと伝承されている。 一体は、別れを惜しんで見返った姿の像(見返弘法大師)で、 遍照院(知立市)に。 一体は、別れを惜しんで見送った姿の像(見送弘法大師)で、 西福寺(刈谷市)に。 一体は、別れの涙を流した姿の像(流涕弘法大師)で、 密蔵院(刈谷市)に。 これを三河三弘法と呼んで、三河の弘法大師信仰のシンボルとなっている。 ...続きを見る

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2017/08/26 09:57
大智寺 (岐阜県岐阜市) ヒノキ
岐阜市の北東、山県北野地区に四季折々の花木が彩りを見せる大智寺 が、静寂の中に建っている。 大智寺の始まりは、おおよそ800年前の天台宗寺院であったといわれて いるが、1500年北野城主・鷲見保重が再興し、自らの菩提寺として 大智寺を開創している。 鷲見保重は、美濃郡上の鷲見城主であったが、領土を拡張し、山県まで 拡げ、1478年弟に鷲見城を譲り、北野に北野城を築き以降、 北野城主と領している。 江戸時代には、幕府からの支援も受ける名刹となった。 ...続きを見る

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2017/08/25 09:39
蓮福寺 (三重県名張市南古山)
名張市北端に位置する南古山集落に、集会所と兼ねた蓮福寺が建つ。 開創については不詳である。 境内に安置されている五輪石塔は、もとは寺の西方50mほどにあった ものが移された。 鎌倉時代末期のもので、集落の惣供養塔として造立されたと考えられている。 ほぼ完形の姿で残され、名張市の文化財となっている。 ...続きを見る

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2017/08/24 08:50
大仏寺 (愛知県東海市) 聚楽園大仏
日本全国にXX大仏と呼ばれる大仏は数多くある中で、聚楽園大仏は 像高において有数の大仏である。 1927年、守口漬を考案し財を成した実業家・山田才吉によって造立 され、1983年大仏寺の本尊として献納されている。 像高18.8mの鉄筋コンクリート製で、表面は銅塗布である。 現在は、大仏を含めて聚楽園公園が東海市の名勝として指定され、 東海市のシンボルとなっている。 ...続きを見る

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2017/08/22 09:02
大雄寺 (静岡県浜松市中区) 山門
大雄寺は、1676年黄檗宗開祖・隠元禅師の弟子で、浜松宝林寺の 住職であった独湛性蛍によって開創されている。 独湛性蛍は1654年、隠元禅師に従って中国清から来日し、1664年 浜松に来て、翌年宝林寺を開創している。 以後、18年間宝林寺住職を務め、1681年黄檗宗大本山萬福寺の第4代 住持となっている。 ...続きを見る

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2017/08/21 08:57
西蓮寺 (岐阜県瑞穂市) 藤九郎銀杏
銀杏収穫を目的としたイチョウの栽培は1900年頃、愛知県稲沢市祖父江で 始まったといわれ、その品種には、<藤九郎>、<久寿>、<喜平>など がある。 その中でも<藤九郎銀杏>は大粒で日持ちもよく、美味と評判がよい。 藤九郎銀杏は、瑞穂地区に住んでいた井上藤九郎(1795〜1870年)が 自宅の親木に接木してできた銀杏で、いくつか接木された内の1本が 西蓮寺のイチョウである。 推定樹齢120年で、藤九郎銀杏の最古木である。 ...続きを見る

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2017/08/19 13:46
運正寺 (福井県福井市) 初代福井藩主・結城秀康の菩提寺
足羽山北麓に建つ運正寺は、徳川家康の次男で福井藩の初代藩主であった 結城秀康の菩提寺である。 結城秀康は1574年家康・側室於万の方の間に生まれ、1584年豊臣秀吉の 人質として養子に入る。 1590年家康が江戸に入ると、秀吉は下野の結城氏に秀康を婿入りさせ、 以降結城秀康として大名となる。 1600年関ヶ原の戦い後、福井藩初代藩主として福井に入り、1607年に 亡くなっている。 家康の後継をめぐっては、家康重臣の間に議論もあったが、結城氏の 後継者となっていた秀康に代わって秀... ...続きを見る

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2017/08/16 09:13
西方寺 (石川県金沢市寺町) 飴買い地蔵
金沢には、<飴買い幽霊>、<飴買い地蔵>などの民話がいくつかある。 寺町の西方寺に伝わる<飴買じ地蔵>の民話もその一つである。   不治の病で亡くなった身重の女人を葬ったところ、その墓地から赤子の 泣き声が聞こえ、それを聞いたお地蔵さんが赤子に飴を買って与えていた。 これを聞いた人々はありがたい話だと、後になってお地蔵さんの体を削って 煎じ、子供に与えると病気が治ると噂が広まった。 お地蔵さんを守るために山門横に小堂を建て祀っている。 ...続きを見る

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2017/08/15 09:12
栄松寺 (三重県津市) 桃園三地蔵
津市南部にあって、かっては桃園(ももぞの)村と呼ばれた桃園地区には、 鎌倉時代1314年造像の石造地蔵菩薩が3体存在し、これを <桃園三地蔵>と呼んで、三重県文化財に指定されている。 3体の地蔵尊は、   栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)   光明寺地蔵菩薩立像(津市新家町)   宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)である。 ...続きを見る

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2017/08/01 09:21
良福寺 (愛知県尾張旭市) 清洲城遺構の山門
良福寺は久安年間(1145〜1151年)土岐頼基が建立したと伝え、 戦国時代には織田信長の支援もあったといわれている。 1584年小牧長久手の戦いの兵火で荒廃したが、1631年尾張藩主 の命で再興されている。 その際に1610年廃城となった清洲城の裏門の一つが移築されて 良福寺の山門となったといわれている。 清洲城の遺構は名古屋城にもある。 ...続きを見る

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2017/07/30 09:26
龍祥寺 (岐阜県北方町)
龍祥寺には仙石盧元坊の墓があり、北方町の文化財に指定されている。 盧元坊は、芭蕉の蕉門十哲の一人・各務支考が打ち立てた美濃派の 後継者で、全国を巡り美濃派の普及に努め美濃派を確立した俳人 である。 各務支考の句<野に死なば野を見て思へ草の花> 盧元坊の句<夜やうれし星のわたりも狭とこそ> ...続きを見る

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2017/07/28 09:06
天照寺 (三重県伊賀市)
伊賀市の南部・青山地区の霧生集落に建つ天照寺には、伊賀に伝わる 伝説<藤原千方(ちかた)の四鬼>に由縁の五輪石塔がある。 南北朝時代の<太平記>に出てくる藤原千方は、天智天皇の時代に 青山地区の豪族で、4人の鬼を部下にもって権勢を誇っていたが、 朝廷側に滅ぼされたという。 その鬼が伊賀忍者の原型ではないかと伝承されている。 天照寺の五輪石塔は藤原千方の首塚という伝承もあるが、 五輪石塔には1362年の銘があり、時代に相違がある。 ...続きを見る

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2017/07/26 09:10
万徳寺 (愛知県瀬戸市)
瀬戸市赤津地区に建つ万徳寺は、1288年真宗高田派の開祖・真仏の 孫弟子・海円が現在の豊田市猿投地区に開創したと伝えられ、15世紀に 現在地に移ったといわれている。 移った当時は太子堂だけが建つ小寺であったが、1464年今村城主・ 松原広長が<聖徳太子絵伝>などを寄進し、伽藍を整備したといわれている。 万徳寺は松原広長の菩提寺となり、松原塚が残されている。 ...続きを見る

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2017/07/24 09:07
香橘寺 (静岡県島田市) ナンテン
小さな赤い実をつけるナンテン(南天)はどこにでも目にするが、香橘寺の ナンテンは樹高4mほどもあり、推定樹齢400年といわれる古木である。 最初に見た時は、異様な感触を受け、これがナンテンかと疑った。 上を辿ると赤い実をつけているではないか。 これほどの古木は珍しく、全国に2〜3あるらしいが、香橘寺のナンテンは 静岡県の天然記念物に指定されている。 こうした古木に巡り合うのも<もくもく探索>の醍醐味である。 ...続きを見る

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2017/07/22 09:05
清江寺 (岐阜県羽島市) 宝暦治水工事薩摩義士の墓
宝暦4年(1754年)幕府の命を受けて、薩摩藩は1千余名の藩士と 40万両の費用をかけて、木曽三川の治水工事を翌年完了している。 しかし、80数名の死者を出し、薩摩藩は大いに疲弊している。 この工事により、濃尾平野の水害は減り、地元の人々には薩摩義士に 対する尊崇が高まった。 清江寺には3名の義士が葬られ、現在も供養が行われている。 ...続きを見る

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2017/07/20 09:26
宝徳寺 (福井県若狭町) ラカンマキ
三方五湖の中で最小の菅湖の切追集落に、ひときわ目につくラカンマキが 石垣の上に聳えている。 宝徳寺の境内ということだが、切追区生活改善センターの看板がかかった 建物があるが、お寺の雰囲気はない。 境内に残る石仏や石碑だけがお寺の匂いを残している。 おそらく廃寺となっているのだろう。 周りに会う人もなく、お寺のことは不詳である。 ...続きを見る

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2017/07/17 10:59
蓮昌寺 (石川県金沢市東山) 金沢四大仏
金沢には<金沢四大仏>と呼ばれる丈六の仏像があり、金沢観光コース の一つにもなっている。   蓮昌寺(東山):釈迦如来立像   玄門寺(東山):阿弥陀如来立像   極楽寺(寺町):阿弥陀如来坐像   浄安寺(寺町):阿弥陀如来坐像 その一つが蓮昌寺である。 ...続きを見る

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2017/07/15 09:31
密蔵院 (三重県四日市市)
密蔵院の本尊・薬師如来が<かに薬師>と呼ばれているのは、昔々海から 蟹が薬師如来を運んできて、村人がその薬師如来を祀ったという伝説に よるとか。 密蔵院は825年弘法大師空海によって開創されたと伝え、天正年間( 1573〜92年)に兵火に罹り消失したが、1598年に再興されている。 ...続きを見る

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2017/06/30 09:04
雲心寺 (名古屋市熱田区)
朝8時過ぎに訪れたが、山門は閉ざされ参拝はできなかった。 この日に訪れた名古屋市内のお寺では、残念ながら雲心寺だけが参拝できず。 本尊阿弥陀如来坐像は<名古屋三大仏>の一つにかぞえられている。 名古屋三大仏とは、   栄国寺(中区):阿弥陀如来坐像 像高180cm   興正寺(昭和区):大日如来坐像 像高360cm   雲心寺(熱田区):阿弥陀如来坐像 像高240cm 雲心寺は1739年現在の東海市荒尾町に開創された普門寺が1740年 現在地に移転している。 ...続きを見る

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2017/06/28 08:58
宝延寺 (岐阜県海津市) 蛇池宝篋印塔
宝延寺観音堂の境内に安置されている<蛇池宝篋印塔>は、蛇池集落に 安置されていることから名がついているようだ。 また、別に<頼光塚>ともいわれている。 頼光とは源頼光のことで、平安時代中期の武将で、大江山の鬼退治や 鵺退治などの伝承で知られている。 源頼光がこの宝篋印塔とどんな関りがあるかは不詳である。 この宝篋印塔は、1603年川の氾濫のため、現在地より南の地から 移転されたといわれている。 鎌倉時代後期の造塔で、岐阜県においても最古類の宝篋印塔と いわれ、県指定文化財になっ... ...続きを見る

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2017/06/27 09:30
東漸寺 (三重県松阪市飯高町) 五葉松
松阪市南部を流れる櫛田川上流の支流・蓮川の渓谷を奥香肌峡と呼び、 県立自然公園に指定されている。 この蓮川沿いの小高い所に建つのが東漸寺である。 境内の樹高15mほどの五葉松がひときわ目立ち、奥香肌峡の一つの 風景を造り出している。 この五葉松は、東漸寺が再興された1645年に植えられたといわれ、 お寺の歴史と伴に成長してきている。 ...続きを見る

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2017/06/26 09:32
政秀寺 (名古屋市中区) 平手政秀の菩提寺
政秀寺は1553年織田信長が平手政秀の菩提を弔うために、小牧山の南、 現在の小牧市小木に開創している。 平手政秀(1492〜1553年)は織田信秀、織田信長の重臣で、文化人 でもあった。 特に、若かりし信長の傅役を務め、信長と濃姫の婚約を取りまとめるなど 信長に貢献したが、1551年信秀が亡くなり、家中が騒がしくなる中で、 1553年政秀は自刃している。 この自刃の理由には諸説あるが、一般に言われているのは、  信長の奇行を憂い、自らの死をもって諫言したと。 ...続きを見る

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2017/06/24 09:43
大興寺 (静岡県牧之原市)
茶畑に囲まれて建つ大興寺は、室町時代初期に曹洞宗大本山総持寺の 八世を務めた大徹宗令(1333〜1408年)を勧請開山として、宗彭が 1414年開創したと伝えられている。 大徹は総持寺住職引退後、各地にお寺を開創し、曹洞宗の布教に 勤めている。 大興寺は駿府・遠州に70以上の末寺を抱える大寺の時期もあり、 この地域の名刹として大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2017/06/23 09:07
国恩寺 (岐阜県本巣市) ヒイラギ(柊)
国恩寺のヒイラギの樹齢は不詳であるが、言い伝えによると、弘法大師空海が 巡錫の折に、杖を挿して育ったのが現在のヒイラギだとか。 それほどにこのヒイラギは古木で、葉の縁の刺もなく丸味の葉である。 このヒイラギは一時枯死の心配もあったが、2012年再生処理により 枯死は免れている。 古木で有名な木は、長野県小布施町の雁田のヒイラギで、推定樹齢は 700年以上といわれている。 ...続きを見る

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2017/06/22 10:33
新善光寺 (福井県敦賀市)
敦賀市井川の山麓に建つ新善光寺は、門前に北陸道が開通し、境内が 縮小されている。 新善光寺は弘仁年間(810〜824年)弘法大師空海によって、金縄院として 開創されたと伝え、後に新善光寺となっている。 真言宗から1301年時宗に改宗している。 江戸時代は大いに栄えたといわれたが、現在は静かな風景を漂わせている。 境内のキャラボクは樹高7mにも達している。 ...続きを見る

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2017/06/19 14:21
承証寺 (石川県金沢市寺町)
寺町に建つ承証寺は法華宗のお寺で、本堂の板戸絵<萩兎図>が 俵屋宗達の筆といわれている。 江戸時代初期の大画家・俵屋宗達は琳派の創始者ともいわれるが、 その姿は不詳の部分が多く、出生死亡も不詳である。 そんな中、俵屋宗達が晩年金沢に住んだという伝承がある。 宗達の墓といわれる墓石が宝円寺(金沢市宝町)にあることからも その伝承は一つの伝説となっている。 承証寺の板戸絵は相当確かな宗達作品といわれている。 ...続きを見る

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2017/06/18 09:55
安楽寺 (三重県伊賀市青山)
奈良桜井〜松阪への古代道路・初瀬街道に面して建つ安楽寺は 小さなお寺であるが、境内に建つ十三重石塔は鎌倉時代末の 造塔である。 安楽寺の開創は不詳であるが、1615年再興されている。 ...続きを見る

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2017/06/06 16:23
総見寺 (名古屋市中区) 織田信長の菩提寺
織田信長が本能寺の変で斃れて、各地に信長の菩提を弔うお寺が できた。その中でも主な菩提寺を見てみると、  大徳寺塔頭・総見院(京都市北区):豊臣秀吉が弔う  本能寺(京都市中京区)  聰見寺(滋賀県安土城跡)  総見寺(名古屋市)などがあり、 信長を祭神とする神社もある。 ...続きを見る

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2017/06/06 09:13
石田善能寺 (岐阜県大野町)
石田善能寺の開創は不詳であるが、天台宗の勝慶寺として開創され、 江戸時代初期に石田三成の弟・光重(不詳)の子・光吉が勝慶寺の 娘婿として入り、浄土真宗・善能寺として再興したといわれている。 明治時代になり、江戸幕府に睨まれることもなくなり、石田善能寺 として石田一族の血脈を護っている。 石田三成の兄弟については不詳なところもあるが、江戸時代の 三成感からも善能寺は頑張ったのかもしれない。 ...続きを見る

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2017/06/05 09:35
蓮蔵寺 (三重県津市)
蓮蔵寺は963年比叡山の元三大師(慈恵大師)良源によって開創されたと 伝えられている。 その後の986年恵心僧都によって再興され、延徳年間(1489〜92年)に 真盛上人が伽藍を整備したといわれている。 1556年現在地に移り、津城主の庇護も受けている。 現在のお寺は歴史を感じる古刹である。 ...続きを見る

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2017/06/04 09:03
前田速念寺 (名古屋市中川区) 前田氏発祥の地
前田速念寺の開創については不詳であるが、室町時代に天台宗のお寺として 開創され、1543年浄土真宗に改宗されている。 現在の速念寺が建っている地は、前田城跡といわれ、加賀藩始祖の 前田利家の本家筋にあたる前田与十郎氏の城といわれている。 利家は1536年(または37年)この前田城で生まれ、後に荒子城に 移ったといわれるが、その出生地については荒子城ともいわれている。 また、利家の父・利昌以前の来歴などは不詳である。 <前田氏の発祥の地は岐阜県安八町とも> ...続きを見る

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2017/06/03 21:02
今瀧寺 (静岡県掛川市) イヌマキ門
イヌマキは常緑樹でマキの一種であり、よく見かける木である。 遠州地域では防風林として生垣に利用されている。 このイヌマキを2本使って山門の形に成形されているのが今瀧寺の イヌマキ門である。 私が訪れた掛川市のお寺の中に、3ヶ寺の山門がイヌマキ門であった。 珍しい山門といえよう。 今瀧寺のイヌマキは推定樹齢が400年という古木で、掛川市の 天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2017/06/01 09:37
正道寺 (岐阜県池田町)
正道寺が建つ池田町六之井は、江戸時代初期に旗本・加藤氏が 領主となって六之井陣屋を築いている。 その陣屋跡(現在は公民館)の前に建つのが正道寺である。 正道寺山門の横に建つ閻魔堂は、寛文年間(1661〜73年)に 江戸から十王を請来し、1947年に建てられ安置されている。 六之井地区の篤い信仰を受け、地区の人々によって護られている。 正道寺の開創については不詳である。 ...続きを見る

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2017/05/31 09:22
檀渓寺 (福井県おおい町) 若狭三十三観音霊場第26番
西の鯖街道と呼ばれる周山街道(国道162号)は若狭と京都を結ぶ 幹線道路で、周辺には美山かやぶきの里など観光スポットがあり、 休日は交通量も多い。 若狭と京都との境にある名田庄の里にあるのが檀渓寺である。 開創については不詳であるが、室町時代に現在地より山奥に開創 されたと伝えられている。 1990年現在地に移転しており、伽藍もまだ新しい。 ...続きを見る

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2017/05/30 09:10
西養寺 (石川県金沢市)
西養寺は、寛正年間(1460〜65年)に越前府中(現在の越前市)に 開創されたと伝えられている。 加賀藩始祖の前田利家が1575年越前府中城を築き、府中を拠点とした頃に 西養寺住職・真運に帰依したことから、前田家からの支援が続き、前田利長 の移転に伴い、西養寺も移転している。 1602年金沢に移り、1612年現在の卯辰山に移転している。 加賀藩から天台宗の触頭に任じられている。 ...続きを見る

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2017/05/29 09:16
長円寺 (愛知県西尾市) 京都所司代・板倉勝重の菩提寺
京都所司代2代目・板倉勝重は現在の岡崎市に生まれ、幼少にして 永安寺の僧となったが、父や家督を継いでいた弟が亡くなり、徳川家康の 命を受けて、板倉氏の家督を継いでいる。 家康が1590年江戸に赴任すると、勝重は江戸町奉行として務めている。 1600年の関ヶ原の戦い後、1601年京都所司代2代目になり、1619年まで 20年弱務め、1620年嫡男・重宗に職を譲り、1624年亡くなっている。 勝重は評判の高い町奉行であり、所司代であった。 ...続きを見る

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2017/05/18 13:48
普門寺 (静岡県掛川市)
普門寺は、704年文武天皇の勅願により、行基が千手峰に開創したのが 始まりと伝えられている。 千手峰(182m)は現在の普門寺から北東1kmほどに位置する小山である。 1177年、平清盛の嫡男で、評判も良かったといわれる平重盛が現在地に 普門寺を移し再興したといわれている。 平重盛は2年後に病死し、平氏の滅亡へとつながって行く。 戦国時代の兵火により壊滅するが、その後横須賀城主・大須賀氏によって 再興されている。 この地域において古刹の名に恥じない歴史を誇っている。 ...続きを見る

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2017/05/17 10:47
明覚寺 (岐阜県大垣市上石津町)
明智光秀の出生地については諸説あり、 @可児市瀬田 A恵那市明智町 B山県市美山町 C大垣市上石津町 などがあげられ、可児市瀬田が通説としてあげられている。 そうした説の中にある上石津町に明覚寺は位置している。 明覚寺は、1465年道場として開創されたのが始まりと伝えられている。 1591年現在地に移っている。 その時植えられたと伝わるイヌマキが、本堂裏に樹勢衰えずに伸びている。 樹高15mを越え、本堂屋根の一部を突き抜けている。 ...続きを見る

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2017/05/16 09:16
田宮寺 (三重県玉城町)
伊勢神宮内宮から西へ10kmほどに建つ田宮寺は、天平年間(729〜749年) 聖武天皇の勅願により行基が神宮法楽寺として開創したと伝えられ、 平安時代初期に弘法大師空海が再興したといわれている。 伊勢神宮内宮の禰宜を代々務めた荒木田氏の氏寺でもあった。 紀州藩などの庇護もあり、大いに栄え大伽藍を誇ったといわれている。 明治時代の廃仏毀釈により、伽藍も取り壊され、現在では観音堂・大師堂 のみになり、無住の状態の中、地元の人々により護持されている。 ...続きを見る

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2017/05/15 09:06
西福寺 (愛知県刈谷市) 三河三弘法
815年弘法大師空海は東国巡錫の折、三河の地に1ヶ月逗留し、 三体の弘法大師像を彫って祀ったと伝承されている。 現在は、 一体は、別れを惜しんで見返った姿の像(見返弘法大師)で、  遍照院(知立市)に。 一体は、別れを惜しんで見送った姿の像(見送弘法大師)で、  西福寺(刈谷市)に。 一体は、別れの涙を流した姿の像(流涕弘法大師)で、密蔵院(刈谷市)に。 これを<三河三弘法>と呼んでいる。 ...続きを見る

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2017/05/14 19:32
積雲院 (静岡県袋井市) 源朝長の菩提寺
1160年の平治の乱で敗れた源義朝父子(義朝、義平、朝長、頼朝)は 東国へ逃れる途中、頼朝は近江で行方不明、義平は東山道へ、義朝・朝長 は東海道へと逃れようとするが、朝長が大垣青墓で負傷のため動けなくなり、 父の介錯で命を落としている。 朝長の守役が首級を、守役の故郷である袋井に葬ったといわれている。 1185年になって、源頼朝が朝長の埋葬地に積雲院を開創し、朝長の 菩提寺としている。 朝長の胴は大垣青墓に埋葬され、円興寺が菩提寺になっている。 ...続きを見る

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2017/05/12 09:50
円長寺 (岐阜県安八町) 牧村城跡
牧村城の築城時期については不詳であるが、戦国時代に斎藤竜興の家臣で あった牧村政倫が居城していた。 1559年織田信長によって岩倉城が落城し、山内一豊の父と兄は討ち死にし、 一豊は15歳で牧村城に身を寄せ、後に秀吉の家臣となり、江戸時代には 土佐藩主となっている。 1626年この牧村城跡に円長寺が再興されている。 円長寺は1447年真言宗の道場として開創され、1461年蓮如上人に帰依し、 浄土真宗に改宗している。 ...続きを見る

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2017/05/11 09:04
覚成寺 (福井県若狭町) 熊川宿
古代から、若狭の魚介類を京へ運んでいたが、その中でも鯖が主流を占めて いたことから、その街道を<鯖街道>と呼んでいた。 そのルートはいくつかあったが、主なルートが小浜〜三宅〜熊川〜朽木〜 途中〜大原〜京のルートで、現在では<若狭鯖街道>と呼んでいる。 そのルート上に位置する<熊川宿>は、1589年浅野長政が熊川宿として 諸役免除し、以降江戸時代を通じて大いに繁栄している。 現在は、観光ルートとして整備され、熊川宿も観光拠点として賑わいを 見せている。 ...続きを見る

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2017/05/10 09:04
宝勝寺 (石川県金沢市寺町)
<忍者寺>として知られる妙立寺にほど近い宝勝寺が<寺カフェ>を 開いているのは見事な経営センスと言えよう。 近年、観光客が多く大いに繁盛しているようだ。 私もその一人となった。 ...続きを見る

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2017/05/09 08:53
久安寺 (三重県明和町) パワースポット
伊勢湾岸に近い田畑の中に建つ久安寺は隠れたパワースポットといわれ、 相談事の駆け込み寺と謳っている。 開運祈祷と占いで問題解決に住職が懇切丁寧に相談にのってくれると。 久安寺は勢州七福神巡りの布袋尊霊場でもある。 久安寺は15世紀後半に開創されたと伝え、1692年再興され曹洞宗の お寺として再出発している。 ...続きを見る

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2017/04/28 09:19
運得寺 (愛知県東海市) 木田城主・荒尾氏の菩提寺
運得寺は、16世紀に木田城主・荒尾空善が荒尾氏の菩提寺として 開創したと伝えられ、荒尾氏の墓塔といわれる宝篋印塔が3基 残されている。 荒尾氏は鎌倉時代から続く豪族で、鎌倉幕府の御家人、室町幕府の 奉公衆として、戦国時代に入り木田城主となり、織田信長に従い、 池田氏と縁戚関係となっている。 特に、池田輝政に仕え、江戸時代には鳥取藩主池田氏の家老も 務めている。 ...続きを見る

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2017/04/27 09:48
龍護寺 (岐阜県恵那市) 明智遠山氏の菩提寺
龍護寺の開創は不詳であるが、1521年には楞厳院という草庵があり、 1596年明智城(恵那市明智町)主・遠山利景が再興し、龍護寺として 遠山氏の菩提寺としている。 遠山氏は明智遠山氏ともいい、明智城を根拠にした中世からの 豪族武将であり、江戸時代には幕府旗本であった。 利景の父・遠山景行は、一説には明智光秀の叔父にあたるとも いわれている。 龍護寺には明智光秀の霊廟もあり、光秀の霊を弔っている。 通説では、明智光秀は明智長山城(可児市)で生まれたといわれているが、 恵那市の明智... ...続きを見る

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2017/04/26 09:21
成願寺 (三重県津市白山町)
伊勢国司・北畠材親の家臣で、小倭郡の領主であり、小倭上ノ村城主・新長門守 が真盛上人に帰依して、長男や一族の菩提を弔うために1493年開創したのが 成願寺と伝えられている。 真盛上人はここを拠点として布教活動を行い、天台真盛宗の中核寺となった。 こうしたことから、文化財も多くあり白山町の名刹として信仰を集めている。 上ノ村城跡は成願寺裏山にある。 ...続きを見る

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2017/04/25 09:37
洞光院 (愛知県尾張旭市)
新居城跡の城山公園の東に建つ洞光院は1558年に開創されたと伝えられる。 新居城は1374年地元の武将・水野良春によって築城され、現在は模造の 天守閣が築造され、旭城と呼んでいる。 水野良春が修験道から持ち込んだといわれる伝統芸能<棒の手>が 尾張地域に残っている。尾張旭市はその代表である。 その<棒の手>にゆかりの寺が洞光院で、棒塚が安置されている。 ...続きを見る

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2017/04/24 09:31
行興寺 (静岡県磐田市) 熊野の長藤
能の代表作<熊野(ゆや)>の主人公(シテ)熊野が病没した母の菩提を 弔ったと伝わるのが行興寺である。 熊野は吉田宿の長者女主人で、平宗盛の寵愛を受けて京で暮らして いたが、母の病の便りを受けて宗盛に帰郷を願い出たが、受け入れられず、 清水寺桜見物に供をすることになった。 その席で熊野が詠んだ歌を聞いた宗盛は帰郷を許し、熊野は無事に 吉田宿へもどった。 ...続きを見る

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2017/04/23 08:50
西光寺 (岐阜県本巣市)
本巣市根尾谷に建つ西光寺は1474年開創され、1600年現在地に 移転している。 1891年濃尾地震によって伽藍は倒壊し、その後再興されている。 濃尾地震は、本巣市を震源とする震度7の内陸地殻内地震で、日本史上 この類では最大の地震といわれている。 これにより発生した<根尾谷断層>は現在もハッキリと残され、特別天然記念物 として保存されている。 この根尾谷断層の北500mに建つのが西光寺である。恐らく西光寺も その断層上にあったと思われる。 また、北に2kmには日本三大桜の<根... ...続きを見る

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2017/04/22 19:56
長久寺 (福井県鯖江市)
徳川家康の次男・結城秀康が1600年越前に入ると、重臣と渡辺長久に 命じて北陸道の整備や鳥羽野の開拓に着手し、秀康の嫡男で福井藩主と なった松平直忠が継続して事業を進め、鳥羽野新町が形成された。 この渡辺長久が江戸時代初期に開創したのが長久寺である。 また、地元の人々が松平直忠の供養塔を長久寺に建立し、 現在は鯖江市の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2017/04/20 10:35
龍国寺 (石川県金沢市) 友禅染の祖・宮崎友禅斎の菩提寺
友禅染の創始者といわれる宮崎友禅斎の経歴については不詳なところが あるが、江戸時代中期に京都で友禅染の絵師として活躍し、晩年は 金沢に移り加賀友禅を創始したといわれている。 友禅斎の墓碑があるのが龍国寺である。 ...続きを見る

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2017/04/19 09:25
雲興寺 (愛知県瀬戸市) 赤津瓦の本堂
瀬戸焼の陶祖・加藤藤四郎は1228年、雲興寺近くの赤津地区に窯を 構えて瀬戸焼を始めたとも言い伝えられている。 赤津地区は瀬戸焼の中心地の一つとして栄えていった。 大正〜昭和時代初期にここで焼かれた赤味の瓦を赤津瓦と呼んで 普及された。 その瓦が葺かれた本堂・鐘楼が雲興寺である。 現在では、赤津瓦は赤津地区では生産されていないとか。 ...続きを見る

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2017/04/10 08:50
不動寺 (静岡県浜松市浜北区)
三方原台地から東の天竜川にかけて、天竜川によって出来た三段の河岸段丘 が拡がり、その二段目と三段目の境に建つのが、身代わり不動の信仰が 篤い不動寺である。 戦時中、兵士がこのお寺の守札を身につけていたお陰で、戦闘から兵士を 守ったといわれ、身代わり不動として信仰が高まったといわれている。 不動寺は奈良時代前半に開創されたと伝えられている。 その後、盛衰を経て1664年黄檗宗の僧によって再興されている。 ...続きを見る

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2017/04/09 09:21
医王寺 (三重県松阪市飯南町) 鉄製宝篋印塔
墓塔や供養塔として鎌倉時代から建立された宝篋印塔は石造が大半で、 医王寺の鉄製宝篋印塔は非常に珍しい。 私も宝篋印塔を多く拝観しているが、鉄製のものは初めてである。 1706年2代住職が薬屋の喜捨を受けて建立したもので、津藩お抱えの 鋳物師によって造られている。 医王寺の起源は不詳であるが、中世に近くの安城山に建てられたお寺が 廃れ、江戸時代前期に本尊を移して開創されたのが医王寺である。 ...続きを見る

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2017/04/08 15:16
地蔵寺 (愛知県蟹江町)
蟹江川沿いに建つ地蔵寺の本尊・地蔵菩薩は聖徳太子の造像と伝承される 秘仏で、今まで開帳されていないとのこと。 この地蔵菩薩は海から引き上げられ、蟹江城主・渡辺氏が本尊として 祀るために地蔵寺を開創したと伝えられている。 また、お寺に祀られている弘法大師信仰も篤く、蟹江大師とも 呼ばれている。 ...続きを見る

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2017/04/07 09:31
大乗寺 (静岡県御殿場市)
箱根裏街道と呼ばれる国道138号に面して建つ大乗寺は、富士山の 東南東麓に位置し、1707年の富士山噴火による災禍に遭っている。 この噴火によって降灰は1〜1.5mにも達したといわれている。 大乗寺は1469年開創されたと伝えられ、天正年間(1573〜92年) 現在地に移転したといわれている。 1707年大噴火の後、1771年から再建が始まっている。 本堂前の表庭は1902年頃造園されたといわれ、遠州流庭園である。 本尊は善光寺式阿弥陀三尊である ...続きを見る

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2017/04/05 13:45
東林寺 (岐阜県下呂市金山町)
金山町は飛騨川と馬瀬川の交流地点を中心とした飛騨街道の宿場町であった。 馬瀬川を遡った東岸の山裾に建つのが東林寺である。 参道の奥に建つ山門は鐘楼門形式で、梵鐘と太鼓が吊るされた珍しい形式で、 浄土真宗のお寺によくある太鼓楼と鐘楼門を兼ね備えた堂々とした姿である。 山門を潜り境内に入ると、樹齢200年以上といわれる百日紅と柊(ひいらぎ)が 目に飛び込んでくる。 東林寺の目玉は本堂格天井の120枚の絵であろう。 1723年本堂が建立され、1752年に天井絵が描かれている。 ご住職の... ...続きを見る

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2017/04/04 14:04
総光寺 (福井県福井市)
総光寺は1583年丹羽長秀によって開創されたと伝えられており、 丹羽長秀の菩提寺である。 丹羽長秀は織田信長の重臣で、柴田勝家と並ぶ家老職であった。 本能寺の変(1582年)で織田信長が亡くなると、長秀は羽柴秀吉の側に 立ち、1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った後、若狭・越前・加賀 の一部を領する戦国大名となっている。 しかし、1585年亡くなり総光寺に葬られている。 ちなみに、羽柴秀吉の羽柴は丹羽と柴田の一字を取って名付けたとも いわれているが、史実はない。 ...続きを見る

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2017/04/03 09:07
松月寺 (石川県金沢市寺町) 大桜
松月寺の大桜の支幹が土塀を突き破り、寺町通の歩道にはみ出している 様は、古樹の歴史を物語っている。 この大桜はヤマザクラの一種で<ショウゲツザクラ>の学名がついている。 加賀3代藩主・前田利常が小松城内の桜を住職に与え植えられたといわれ、 推定樹齢400年といわれている。 残念ながら緑の季節に訪問しているので、花満開の写真がない。 ...続きを見る

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2017/04/01 15:16
龍泉寺 (三重県松阪市) 愛宕大権現
愛宕大権現は京都市愛宕山の神仏習合の神であり、勝軍地蔵を本地仏と している。 8世紀初期に役行者と泰澄大師が愛宕山に祀ったのが始まりで、それ以降 各地に愛宕大権現が祀られた。 その一つが、現在の松阪市嬉野滝之川町に祀られた一宇であり、 龍泉寺の始まりである。 その後大平尾町を経て、1588年現在地に移っている。 明治時代初期の神仏分離によって、寺から離れて愛宕神社になっているが、 龍泉寺は現在までも愛宕大権現を本尊として祀る数少ないお寺である。 京都愛宕山も愛宕神社となっている... ...続きを見る

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2017/03/22 09:28
清涼寺 (愛知県清須市)
現在の清須市は1405年室町幕府の管領・斯波義重が清州城を築城し、 その後尾張の中心地として栄えた。 1555年織田信長が清州城に入城し、1560年の桶狭間の戦いでは、この城 から出陣している。 10年間信長が清州城を本拠とした間、城下町として栄えたが、1610年 城が廃城になると城下町としての賑わいはなくなった。 しかし、江戸時代になって、東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇街道 として美濃路が整備され、清須宿が設けられて宿場町として再び賑わいを 取り戻した。 ...続きを見る

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2017/03/21 11:18
能満寺 (静岡県吉田町) 大ソテツ
駿河湾に面した吉田町の能満寺山頂に建っていた吉田小山城は、 1571年武田信玄が築城し、徳川家康と12年間に亘り攻防を繰り返し、 1582年落城した山城である。 この小山城跡の麓に建つ能満寺の大ソテツは日本三大ソテツの一つに 数えられる名木である。 日本三大ソテツとは、  堺市妙国寺、静岡市龍華寺、吉田町能満寺の大ソテツで国の 天然記念物に指定されている。 能満寺ソテツは、推定樹齢が千年といわれ、陰陽師の安倍晴明が 植樹したとも伝承されている。 この古樹も狭い境内にあって窮屈... ...続きを見る

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2017/03/20 09:55
春谷寺 (三重県松阪市飯南町) 青春桜
飯南町粥見の山麓に建つ春谷寺のエドヒガン桜は推定樹齢400年と いわれる古木であるが、松阪では一番早く満開になり、それもお彼岸の 頃で、彼岸桜ともこの地では青春桜と呼ばれている。 近年は周囲に多数の桜・桃も植生され彩り賑やかになっている。 私の訪れた時期は青葉の頃であるが、古木の威厳を印象づけられた。 春谷寺の史料は皆無に近く、無住で開創について不詳である。 ...続きを見る

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2017/03/19 10:29
円通寺 (愛知県稲沢市)
円通寺は、1337年比叡山の僧・定宗法印が故郷の丹羽郡川井村 (現在の岩倉市川井町)に天台宗・霊照院を開創したのに始まると 伝えられている。 1540年浄土真宗に改宗と同時に円通寺と名を変えている。 その時に、本願寺から阿弥陀如来像(画)を与えられている。 1541年鎌倉街道沿いの現在地に移転している。 周囲はビニールハウスが拡がる農地で、お寺の存在感が目立つ。 ...続きを見る

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2017/03/18 15:00
林広院 (岐阜県郡上市美並町)
郡上市美並町は、長良川が南北に流れる山あいの町である。 円空仏の円空が1632年誕生したといわれる地が美並町でも ある。(円空の生誕地・年については諸説あるが、美並説は 有力な説といわれている) 美並には、<円空のふるさと>として円空ふるさと館があり、 円空仏を90数体展示している。 その中には、林広院の円空仏も含まれている。 ...続きを見る

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2017/03/16 09:51
義宣寺 (福井県勝山市)
1573年織田信長は朝倉義景を滅ぼし、続いて越前一向一揆を治め、 1576年柴田勝家が北陸の統治者として任命されている。 その勝家に信頼を得ていた家臣の柴田勝安(勝政)は勝山地区を統治し、 1580年勝山城を築城している。 この勝安が養父の柴田義宣の菩提を弔うために1577年義宣寺を 開創したといわれている。 勝安は1583年の賤ヶ岳の戦いで戦死したとも生き永らえたとも いわれているが詳細は不詳である。 勝安の菩提も義宣寺で弔らわれいる。   勝安の勝山での活躍も短いが、勝山... ...続きを見る

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2017/03/14 08:30
誓願寺 (石川県金沢市東山)
誓願寺は、かっては浅野川地区の商人が商売繁盛を願い、東茶屋街の 芸妓が芸能上達を祈願した弁財天のお寺として栄えたといわれている。 誓願寺は1636年金沢六枚町に開創され、1671年現在地に移転している。 現在は、かっての賑わいはないようである。 ...続きを見る

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2017/03/13 09:24
全昌寺 (愛知県北名古屋市)
師勝幼稚園と並んでこじんまりと建つ全昌寺は1691年に開創されたと いわれ、この地は室町時代後期にあった井関城跡と推定されている。 何の変哲もない風景のお寺ではあるが、室町時代の珍しい 鋳鉄地蔵菩薩立像が祀られていること。 ...続きを見る

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2017/03/03 10:08
医王寺 (静岡県島田市金谷) 薬師堂
2016年11月に医王寺を訪れた時は、薬師堂が解体修理中で拝観できず、 工事中の説明板から想像するに留まった。 工事完了は2017年中とのこと。 医王寺は、弘仁年間(810〜824年)弘法大師空海が薬師如来像を彫って 祀った薬師堂に始まると伝えられている。 1596年に曹洞宗になり、1692年に薬師堂は再建されている。 薬師堂の天井画<雲龍図>、<天女図>は渡辺崋山の弟子である 永村茜山が1860年に描いた作品である。 ...続きを見る

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2017/03/02 09:45
来迎寺 (三重県伊賀市上友田)
伊賀市の北東部、滋賀県境に近い上友田地区に建つ来迎寺は、 1964年現在地にあった林泉寺と北に300mほどの坊ヶ谷集落に あった阿弥陀寺が合併して誕生している。 林泉寺、阿弥陀寺の由緒については不詳である。 しかし、境内に安置されている石造宝塔には<1312年に阿弥陀寺に造立> と銘があり、阿弥陀寺から移された宝塔であり、阿弥陀寺は1312年には 存在していた。 この石造宝塔は在銘宝塔としては三重県最古といわれ、三重県文化財に 指定されている。 姿形も端正な宝塔である。 ...続きを見る

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2017/03/01 21:52
徳林寺 (愛知県大口町) 山姥物語
大口町に昔から言い伝えられる<山姥(やまんば)物語>という伝承がある。 それは、   鎌倉幕府の御家人・梶原景時の家臣で武芸の達人・福富新蔵が、 本宮山頂で山姥と対峙し矢を放ち、確かな手ごたえを得たが、山姥は 姿を消した。しかし、山姥の血跡を追って行くと、余野村(現在の大口町余野) に住む友人の小池与八郎の屋敷前に辿り着いた。 与八郎の妻が山姥の化身であった。 与八郎の子供・与九郎は母の菩提を弔うために徳蓮寺を開創したと 伝えられている。これが徳林寺の前身といわれている。 この... ...続きを見る

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2017/02/28 09:16
般若寺 (静岡県牧之原市)
牧之原市相良地区の山手に印象的な本堂の般若寺がり、ここには 江戸時代中期の江戸幕府老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)ゆかりの 遺品が保存されている。 意次は600石の旗本から5万7千石の相良藩主となり、幕府老中まで 昇り詰めた異例の老中である。 老中時期は田沼時代ともいわれ、幕府財政の立て直しの改革に 取り組んだが、反改革グループから<賄賂政治家>と揶揄され、 将軍死亡後には失脚している。 現在から見れば、当然の改革であるが当時の政治状況の中では 早すぎた経済政策であったのか。 ... ...続きを見る

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2017/02/27 10:01
長楽寺 (岐阜県中津川市阿木) イチョウ
中津川市南西部の山間にある阿木地区を流れる阿木川上流に、 イチョウの大木が目立つ長楽寺が建つ。 このイチョウは推定樹齢800年以上といわれ、一説には1100年とも いわれている。 樹高30m以上もあり、現在も成長しているとか。 天正年間(1573〜92年)武田勝頼軍による兵火で伽藍は灰燼に 帰したが、このイチョウは一部焼け焦げただけで生きながらえたと いわれている。 ...続きを見る

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2017/02/26 20:18
西山光照寺跡 (福井県福井市) 石仏群
JR九頭竜線一乗谷駅から南へ200mほどの田畑に面した山裾に、 覆屋に40体ほどの石仏群と西山光照寺跡が整備されている。 1994年の発掘調査で500年前の寺跡と石仏群が確認され、 一乗谷朝倉氏遺跡とともに戦国大名朝倉氏の歴史が蘇った。 石仏群は支笏石に半肉彫りされた巨像が多く、1533年銘の石仏も 見つかっている。 ...続きを見る

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2017/02/25 09:34
浄安寺 (石川県金沢市寺町) 金沢四大仏
金沢には<金沢四大仏>と呼ばれる丈六の仏像があり、金沢市観光コース の一つに数えられている。 金沢四大仏   極楽寺・阿弥陀如来坐像(寺町)   浄安寺・阿弥陀如来坐像(寺町)   玄門寺・阿弥陀如来立像(東山)   蓮昌寺・釈迦如来立像(東山) その一つが浄安寺である。 ...続きを見る

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2017/02/24 09:20
龍済寺 (愛知県犬山市) 瑞泉寺塔頭
犬山遊園の山麓にあって、西に犬山城、北に木曽川が流れる景勝の地に 建つ龍済寺は1446年開創で、名刹・瑞泉寺の塔頭である。 1565年には兵火により焼失しているが1574年再興されている。 瑞泉寺の塔頭は24院あったが、現在は6院である。 ...続きを見る

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2017/02/13 15:14
円光寺 (石川県金沢市東山)
円光寺は1521年能登に開創されたと伝えるが詳細は不詳である。 1585年、後の加賀藩主・前田利長が守山城主(高岡市)になった際に、 利長から円光寺は帰依を受け、その後、利長が拠点を移す度に、 円光寺も移っている。 1636年現在地に移り、利長の持仏聖観音を祀っている。 <開運のあずかり観音>といわれ信仰を集めている。 ...続きを見る

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2017/02/13 09:24
顕正寺 (三重県四日市市)
南北朝時代、足利尊氏と直義兄弟は夢窓国師の勧めにより、後醍醐天皇および 南北朝争乱の戦没者を弔うために全国に安国寺建立の発願を行い、順次建立 された。 伊勢安国寺は、現在の四日市市西日野町に1339年建立され、塔頭も13建立 され、その一つ総持庵が戦国時代の兵火を免れ顕正寺となった。 伊勢安国寺跡は整備され残され、三重県の史跡に指定されている。 ...続きを見る

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2017/02/12 13:20
善福寺 (愛知県新城市作手) 奥三河の古刹
新城市作手の山間部にあって、山腹にそって長い参道のある善福寺は、 推古天皇の代(593〜628年)に開創されたと伝えられている。 弘法大師空海の十大弟子の一人で僧正までなった真済が若い頃、 各地へ修行に出かけた824年に善福寺の伽藍を建立し再興したと いわれ、七坊(大坊、岩本坊、池ノ坊、松本坊、中ノ坊、下ノ坊、 杉本坊)の大寺となった。 これら坊の名前が現在も地名として残っている。 その後、盛衰を経て、奥三河の領主・奥平氏によって再興されている。 ...続きを見る

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2017/02/12 09:40
永宝寺 (静岡県菊川市)
菊川市西北部の山あいに三つの池があり、この地区を瀧之谷と呼んで いるが、最も下にある下池に接して永宝寺が建っている。 その境内から100mほどの対岸に<野猿>が架けられている。 野猿とは、両岸に張ったワイヤーロープに屋形を取り着け、引き綱を 自分で手繰り池を渡る人力ロープウェイである。 <野猿>で有名なのは奈良県十津川村のもので、それに倣って 永宝寺に取り着けた観光用の野猿である。 ...続きを見る

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2017/02/10 09:37
萬勝寺 (岐阜県恵那市) 飯高観音
恵那市山岡町の山間部に広大な敷地を擁する萬勝寺の千手観音は <飯高観音>と呼ばれ、厄除け観音として篤い信仰を集めている。 正月の初詣でも多くの参拝者が訪れる日本三大観音の一つといわれて いる。三大観音には諸説あり。 ...続きを見る

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2017/02/09 09:41
西光寺 (福井県鯖江市) 石田西光寺
浄土真宗本願寺の中興の祖・蓮如上人の父・存如が越前布教の拠点 として、1451年頃に現在の鯖江市石田地区に道場を開いたのが 西光寺の始まりといわれている。 蓮如上人による北陸布教拡大の基礎が築かれたといわれている。 石田西光寺として大いに栄え、戦国時代の越前一向一揆では中心勢力 として織田信長軍と戦っている。 その後、現在地の鯖江市杉本町へ移転している。 ...続きを見る

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2017/02/07 10:29
極楽寺 (石川県金沢市寺町)
南北朝の争乱の時、後醍醐天皇の皇子・宗良親王は諸国に潜伏していたが、 1337年現在の富山県高岡市牧野地区に至り、草庵を結び極楽寺を開創したと 伝えられている。 しかし、宗良親王が越中へ至るのは1340〜44年頃と考えられている。 1385年現在の浜松市北区井伊谷で亡くなっていると伝えられている。 1615年極楽寺は現在地に移っている。 ...続きを見る

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2017/02/06 09:03
常福寺 (三重県津市白山町) 別所の観音さん
白山町を貫く国道165号の南崖下の別所峡谷に建つ常福寺の 本尊千手観音立像は<別所の観音さん>と呼ばれている。 小像ではあるが、平安時代前期の秀作で重要文化財に指定されている。 通常は非公開であるが、8月9日に開帳される。 常福寺は、814年弘法大師空海がこの地に立ち寄り、千手観音を彫って 祀ったのが始まりと伝えられている。 その後、盛衰を経て明治時代に廃寺となったが、戦後再興され 近くの成願寺が管理している。 ...続きを見る

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2017/01/28 10:11
養学院 (愛知県豊川市) みちびき不動
東名豊川ICの近くに建つ養学院の本尊<みちびき不動尊>は、厄除け・ 家相判断などに多くの人が祈願に訪れるお寺で、三河三不動 (知立市・総持寺、蒲郡市無量寺、豊川市・養学院)の一つに数えられ、 不動信仰の篤いお寺である。 養学院は、1570年修験道場・法京院として開創され、1819年養学院 となっている。 ...続きを見る

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2017/01/27 09:42
来迎寺 (三重県松阪市飯南町深野)
松阪市街地から櫛田川沿いに上流へ18kmほどの山あいにある 飯南町深野地区は、日本三大和牛の松阪牛の発祥の地といわれている。 その深野地区の山裾に建つのが来迎寺である。 鎌倉時代初頭に東大寺を再建した重源上人が伊勢神宮への参詣の折、 この地に立ち寄り、大和初瀬と似た有縁の地と感得し、堂宇を建立する 発願を起こし、村人が1179年念仏道場を開創したのが来迎寺の 始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2017/01/26 09:52
長存寺 (愛知県蒲郡市)
1445年天台宗実相坊を法華宗の寺として再興され、1518年鵜殿長存 の帰依を受け伽藍が整備され、1543年鵜殿長存が亡くなると長存寺と している。以後、下ノ郷鵜殿氏の菩提寺となっている。 鵜殿氏はもと紀伊熊野の出で、鎌倉時代に現在の蒲郡市中心部(西郡) へ移り、勢力を張った。 室町時代に上ノ郷鵜殿氏と下ノ郷鵜殿氏に分かれ、鵜殿長存は 下ノ郷城(蒲形城)を築き、下ノ郷鵜殿氏として西郡南部を統治した。 ...続きを見る

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2017/01/25 09:24
龍眠寺 (静岡県掛川市) 横須賀藩主・西尾氏の菩提寺
龍眠寺は、1496年現在地より西北1kmほどの樹木ヶ谷に道場として 開創されたのが始まりと伝えられている。 一時は戦乱を避けるために信州へ避難したが、治まり元に戻っている。 1600年代初期に、横須賀藩主・大須賀忠次の命により現在地に 移っている。 1682年西尾忠成が横須賀藩主となると、龍眠寺は西尾氏の菩提寺となり、 以後明治維新まで西尾氏が藩主を務め、お寺も藩主の庇護を受けて 大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2017/01/24 09:32
正源寺 (岐阜県瑞浪市) 六地蔵石幢
境内に建つ六地蔵石幢は1676年建立で瑞浪市の文化財に指定されている。 円筒の幢身の上に、燈籠のような龕を置き、各面に地蔵菩薩を刻み、 六地蔵信仰を表している。 石幢は鎌倉時代から造られ、南北朝時代から六地蔵を刻み始めている。 六地蔵信仰は平安時代からあるが、室町時代以降盛んになっている。 日本全国のほとんどのお寺には六地蔵が祀られている。 ...続きを見る

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2017/01/23 09:39
窓安寺 (福井県越前市) 2体の石仏
窓安寺の境内に安置された2体の石仏は、1560年に彫られた支笏石肉彫 の不動明王立像と地蔵菩薩立像である。 像高は2mを超え、越前市で最古・最大の石仏といわれている。 窓安寺は、養老年間(717〜724年)に泰澄大師が現在の福井県池田町野尻 に開創したと伝えられ、1533年現在地に朝倉氏の支援を受けて再興されたと いわれている。 以来、朝倉氏の菩提寺となっている。 ...続きを見る

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2017/01/21 15:40
本光寺 (石川県金沢市)
卯辰山山麓寺院群の一つで広大な境内を有する本光寺は、1416年 現在の富山県射水市に日隆上人によって開創されている。 日隆は射水浅井城主・桃井尚儀の子として生まれ、12歳で出家している。 1415年京都・本能寺を開創し、法華宗中興の祖といわれている。 本光寺はその後転々と移り、1650年現在地に落ち着いている。 ...続きを見る

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2017/01/21 10:01
蓮泉寺 (愛知県安城市)
徳川家康の家老でありながら、豊臣秀吉の家臣に鞍替えした石川数正 の祖先・石川政康の菩提寺が蓮泉寺である。 石川政康は蓮如上人に帰依し、三河浄土真宗本願寺派の総代として 活躍した小川城主である。 政康の三男・親康が家康の先祖・松平氏の家臣として仕え、数正まで 家老を続けている。 また、政康の四男・康頼が出家して蓮泉寺を開創したといわれている。 ...続きを見る

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2017/01/11 09:31
梅林院 (静岡県森町) いぼ取り様
梅林院の境内に安置されている五輪石塔は<いぼ取り様>と呼ばれ、 線香鉢の灰を持ちかえり、いぼにつけ続けるといつしかいぼがころりと 落ちると言い伝えられ、今もその信仰は篤い。 この五輪石塔は、横須賀初代藩主・大須賀忠政の供養塔と伝えられ、 かっては裏山の庵山に安置されていた。 ...続きを見る

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2017/01/10 09:26
阪内不動堂 (三重県松阪市阪内町) 不動滝
阪内川に沿ってはしる県道29号の不動前バス停から不動川にそって 林道を山中へ。600mほどの小丘に阪内不動堂が建ち、その裏手に 落差30mの不動滝が落ちている。 阪内不動堂は、室町時代の阪内城主・阪内氏の菩提寺であった蓮華寺 (廃寺)の奥の院であったといわれている。 阪内城は阪内氏による1415年築城といわれ、1576年坂内氏滅亡に よって廃城となったといわれている。 ...続きを見る

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2017/01/09 09:22
密蔵院 (愛知県刈谷市) 三河三弘法
815年弘法大師空海は東国巡錫の折、三河の地に1ヶ月逗留し、 三体の弘法大師像を彫って祀ったと伝承されている。 一体は、別れを惜しんで見返った姿の像(見返弘法大師)で、  遍照院(知立市)に。 一体は、別れを惜しんで見送った姿の像(見送弘法大師)で、  西福寺(刈谷市)に。 一体は、別れの涙を流した姿の像(流涕弘法大師)で、密蔵院に。 これを<三河三弘法>と呼んでいる。 ...続きを見る

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2017/01/08 09:28
本源寺 (静岡県掛川市) 横須賀藩主・井上正就の菩提寺
遠江横須賀藩主・井上正就は徳川家康の家臣で、1622年横須賀藩主と なった譜代大名である。 1628年正就が江戸城に登城した折に、嫡男・正利の婚姻で一悶着あり、 旗本・豊島氏に切りつけられ、殿中で亡くなった。 正就の菩提を弔うために、嫡男・正利が坂下の谷に本源寺を1628年 開創し、1662年現在地に移転している。 山門は横須賀城の遺構といわれている。 本堂天井絵は見ごたえがある。 ...続きを見る

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2017/01/06 10:34
龍門寺 (岐阜県七宗町) 龍の彫刻
神々の山にみまもられた自然と共生する七宗町(ひちそうちょう)は、 飛騨川や神渕川が流れ、南北に飛騨街道が通る。 飛騨街道近くの葉津集落に建つ龍門寺の総門には龍の彫刻があり、 それには次のような伝承がある。   ある日、見ず知らずの匠がお寺にやってきて、龍の彫り物を 残して去って行った。 その龍を総門に掲げたところ、夜な夜なその龍が抜け出し、暴れた ので、村人が鉄砲で退治し供養した。 村人はこの龍を彫ったのは、飛騨の匠・左甚五郎だと噂したことから 後々、<左甚五郎の龍>と呼ばれた... ...続きを見る

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2017/01/05 09:21
禅興寺 (福井県越前町織田)
禅興寺のある越前町織田(おた)は、織田信長の先祖が発症した地で、 有力な説では劔神社の神官であったといわれている。 1400年頃、織田常松が尾張守護代になって以降、尾張に織田氏の 基盤を築いた。 その劔神社の近くにあるのが禅興寺である。 禅興寺の開創については不詳である。 山門は、もと越前大野藩の飛地領土であった織田村の陣屋門で 明治時代に移築されている。 お寺の横を流れる川堤は桜の名所になっている。 ...続きを見る

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2017/01/04 09:36
光覚寺 (石川県金沢市山の上町) 飴買い幽霊伝説
光覚寺に伝わる<飴買い幽霊>伝説のあらましは、  加賀藩初期の頃、光覚寺門前の坂にある飴屋に毎夜飴を買いに来る 女がいた。六日目の夜<今夜が最後>と言って店を出ていった。 店の主人が不思議に思って後をつけて行くと、女は光覚寺の墓地に 入り、新しい土饅頭の前で消えた。翌朝掘り返してみると、柩の中で 男の子が生まれていた。 赤子は元気であったが、一緒に埋めた六文の銭が無くなっていた。 母親の幽霊が毎夜飴を買って赤子に与えていたのだ。 男の子はお寺で育てられ、立派な僧となったと。 ... ...続きを見る

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2017/01/03 10:29
龍雲寺 (静岡県浜松市西区)
佐鳴湖(さなるこ)南端の畔に建つ龍雲寺は、1330年代に木寺宮康仁親王に よって開創されたと伝えられている。 康仁親王は後二条天皇の孫で一時は皇太子になったが、南北朝の動乱で 廃太子となり、遠江入野へ下向したと伝承されている。 (下向説は伝承であり、その事実は不詳) 入野に館を構え、龍雲寺を開創したといわれている。 以後、木寺宮が住職を務めたが、戦国時代に徳川家康に攻められ焼失し、 木寺宮は越後に逃れたと伝承されている。 元禄年間に再興されている。 ...続きを見る

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2016/12/29 11:26
浄光寺 (三重県津市河芸町)
浄光寺は、鎌倉時代には真言宗の七堂伽藍を備えた大寺であったと 伝えられているが、開創は不詳である。 文明年間(1469〜87年)に栃木県真岡市から専修寺(真宗高田派本山)を 三重県津市一身田に移された時に、それを支援したのが浄光寺の誓祐上人 であり、この時点で真宗高田派に改宗している。 誓祐は佐々木近江守源高昌(不詳)の嫡男といわれている。 本堂は江戸時代前期の真宗様式である。 ...続きを見る

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2016/12/22 15:18
平勝寺 (愛知県豊田市綾渡町)
紅葉の名所・香嵐渓から東への山あいに建つ平勝寺は聖徳太子によって 開創されたと伝える古刹である。 南北朝時代に、後醍醐天皇の皇子・平勝法親王が立ち寄り、戦勝祈願 をしたと伝えられ、それ以降に平勝寺としたといわれている。 (平勝法親王については不詳である) ...続きを見る

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2016/12/22 09:37
光勝寺 (三重県津市河芸町)
1601年伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、 円光寺(津市河芸町)東に光勝寺を開創している。 分部光嘉は1594年豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町) 1万石を領した。 1600年関ヶ原の戦いで東軍に加担し、2万石の伊勢上野藩主となったが、 光勝寺開創後亡くなっている。 1751年光勝寺は現在地に移転している。 観音堂に祀られている馬頭観音は初午観音と呼ばれ信仰を集めている。 ...続きを見る

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2016/12/21 09:31
円融寺 (愛知県西尾市吉良町) 清水一学の墓
<吉良の五本松>で知られる円融寺は1525年の開創と伝えられ、 五本松もその頃の植樹といわれている。 円融寺には、忠臣蔵で吉良邸討ち入りの際に、吉良の家臣で最も 活躍したといわれる清水一学(清水一角)の分骨墓がある。 一学は吉良町宮迫の出で、若くして吉良上野介の用人となっている。 ...続きを見る

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2016/12/20 09:34
種月院 (静岡県島田市) 牧之原茶園の祖・中條景昭の菩提寺
新幹線の傍に建つ種月院は1856年の開創と新しいが、牧之原台地に 拡がる牧之原大茶園の開墾先駆者・中條金之助景昭の菩提寺である。 景昭は幕末の旗本で、徳川慶喜の精鋭隊長として活躍したが、 明治時代になり、1869年幕臣250戸共々牧之原台地に入り、 茶園を開墾整備したが、1896年亡くなり、勝海舟の葬儀委員長のもと 種月院に葬られた。 現在の牧之原大茶園は東洋一の茶園で、静岡茶生産量の40%を 占める規模となっている。 ...続きを見る

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2016/12/18 20:48
崇禅寺 (岐阜県土岐市) 妻木城主の菩提寺
崇禅寺は1354年土岐明智頼重によって開創されたといわれている。 土岐明智頼重は美濃守護・土岐頼貞の孫で、1339年妻木城を築城 し、1351年明智頼兼(土岐氏一族)の養子となり、明智氏を継ぎ 明智城主となっている。 明智光秀はこの明智氏の子孫ともいわれている。 妻木城主はその後、明智氏一族の妻木氏が継いで、 妻木城は1658年廃城となっている。 崇禅寺は妻木城主の菩提寺となり、大いに栄えたといわれている。 土岐市は美濃焼の本場でもあるが、妻木城主が15世紀初頭に美濃焼の 初期... ...続きを見る

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2016/12/17 09:32
盛源寺 (福井県福井市) 石仏群
越前守護の戦国大名・朝倉貞景は、天台真盛宗開祖の真盛上人に 帰依し、上人の布教を支援し、天台真盛宗のお寺の開創を促している。 その一つが盛源寺である。 盛源寺は一乗谷朝倉氏遺跡から一乗谷川上流1kmほどの山麓に 建つ。 開創は1492年といわれ、真盛上人が初めて越前に入った1488年 から4年後である。 ...続きを見る

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2016/12/15 09:52
妙円寺 (石川県金沢市山の上町)
妙円寺は1586年開創されたと伝えられている。 守護神として開運の神・九曜星を祀り、明治時代には大いに栄えたと いわれている。 九曜星とは  日、月、火、水、木、金、土の7曜の星に、羅喉星、計都星を加えて 九曜星で、これを神として祀り除災招福・開運などを祈る。 日蓮宗では、妙見菩薩、鬼子母神を守護神として祀るのが多いが、 九曜星を守護神として祀るのは珍しい。 ...続きを見る

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2016/12/14 09:54
本伝寺 (愛知県碧南市)
天台宗開祖の最澄が815年弟子・円澄を伴って東国へ下り、その帰りの 816年円澄が天白山麓に太子堂を建立し天台宗を伝道したのが 本伝寺の始まりと伝えられている。 なお、円澄は833年第2代天台座主になっている。 1394年現在の碧南市棚尾地区源氏に専光寺として移転し、 1488年蓮如上人に帰依し、浄土真宗の本伝寺となっている。 1712年現在地に移転し、その際イチョウの木を植えたのが現在も 樹勢を保っている。 ...続きを見る

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2016/12/04 20:30
長久寺 (石川県金沢市東山)
織田信長の正室は濃姫であるが、側室は多く、子供も30人近くにのぼる。 その三女・永姫(玉泉院)は7歳で、前田利家の嫡男・利長の正室となっている。 利長との間に子供はなく、加賀藩主2代目は利長の弟・利常が継いでいる。 玉泉院の祈願所が長久寺である。 また、利常の側室・妙雲院の菩提寺でもある。 ...続きを見る

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2016/12/03 10:19
安楽寺 (三重県津市一志町)
平清盛の曾孫が落ちのびたと伝わる平家伝説の郷・一志町波瀬の 中心地に建つ安楽寺は、919年醍醐天皇の勅願により開創されたと 伝わる古刹である。 1508年焼失したがその後再興されている。 石垣構えの山門(鐘楼門)は江戸時代後期の建立で、石垣と鐘楼門 の構成が妙を得ている。 ...続きを見る

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2016/12/02 09:33
恩任寺 (愛知県高浜市) 浜の三ヶ寺
日本三大瓦(三州瓦、石州瓦、淡路瓦)の三州瓦生産地の中心地である 高浜市には<かわら美術館>ある。 そこからほど近くに建つのが恩任寺であり、 <三河の浜の三ヶ寺>と呼ばれていた浄土真宗名刹の一つでもある。 浜の三ヶ寺とは、  碧南市大浜地区の西方寺、高浜市高取地区の専修坊、高浜市の恩任寺 恩任寺の開創は不詳であるが、元は天台宗龍現寺であった。 1481年に再興され浄土真宗恩任寺となっている。 ...続きを見る

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2016/12/01 09:23
増船寺 (静岡県御前崎市) 遠州七福神
御前崎灯台にほど近い増船寺は、遠州七福神の毘沙門天を祀る。 遠州七福神とは、  極楽寺(森町):寿老人 法雲寺(磐田市):大黒天 福王寺(磐田市):福禄寿  松秀寺(袋井市):弁財天 官長寺(御前崎市):恵比寿  増船寺(御前崎市):毘沙門天 永江院(掛川市):布袋 増船寺は、1450年蔵泉寺として開創されたといわれ、1593年曹洞宗の 禅寺として再興されている。 1666年御前崎の漁夫の安全を祈願して増船寺としている。 ...続きを見る

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2016/11/30 09:14
齢峯寺 (岐阜県富加町)
1584年、小牧・長久手の戦いで、豊臣秀吉軍の先鋒として徳川家康軍に 挑み、討死した池田恒興父子を荼毘に付し葬儀が行われたのが齢峯寺と いわれている。 なお、恒興の次男・輝政は後に姫路藩主となっている。 その齢峯寺の開創は南北朝時代と伝えられている。 境内には、南北朝時代の無縫塔2基が安置されており、岐阜県の 文化財に指定されており、古類の無縫塔に属している。 ...続きを見る

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2016/11/29 10:01
龍澤寺 (福井県あわら市) 庭園
龍澤寺は、1382年地元の領主・小布施義氏が能登・総持寺の梅山聞本を 開山に迎えて開創している。 梅山禅師は足利義満や義持から帰依を受けた高僧で、後に総持寺の 住職となっている。 その後、根本道場として大いに栄えたといわれたが、1575年の織田信長 による越前一向一揆鎮圧による兵火で焼失し、門前町も壊滅している。 なお、お寺の本尊は土で造られた土仏観音であり、その由来が民話で 伝承されている。 ...続きを見る

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2016/11/27 09:39
金沢東別院 (石川県金沢市) 真宗大谷派金沢別院
金沢駅前に位置する東別院の始まりは尾山御坊といわれている。 1546年加賀一向一揆の拠点として、空掘や柵などを備えた浄土真宗の 尾山御坊が、現在の金沢城本丸跡の位置に開創され、加賀4郡の組織と 支持によって発展した。 1580年織田信長軍の佐久間盛政によって攻め落とされ、伽藍は金沢城 となり、1583年前田利家が金沢城主となって、尾山御坊は城の西北に 移っている。 1640年東本願寺別院として現在地に落ち着いている。 真宗大谷派金沢別院を東別院、浄土真宗本願寺金沢別院を西別院と ... ...続きを見る

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2016/11/25 10:09
西蓮寺 (愛知県安城市)
西蓮寺には<都築弥厚茶室>がある。 これは、西三河の安城が原と呼ばれた枯地に用水を導き、豊かな農地に すべく計画案を立て、幕府に提案した都築弥厚の屋敷にあった茶室である。 都築弥厚の計画は本人が亡くなって頓挫したが、明治維新から工事が 行われ、1880年に通水し、明治用水と呼ばれている。 これによって、碧海地域は<日本のデンマーク>と呼ばれる農業地帯と なった。 ...続きを見る

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2016/11/15 09:47
撰要寺 (静岡県掛川市) 横須賀城主の菩提寺
掛川市の遠州灘に近い西大渕にかって存在した横須賀城は、 徳川家康が武田軍に対抗するために、家臣の大須賀康高に 命じて、1578年築城させた平城であった。 1580年大須賀康高は横須賀城主となると、1581年大須賀氏の 菩提寺として撰要寺を開創している。 横須賀城主は大須賀氏2代後、めまぐるしく変わり、1868年廃城と なっている。 1645〜82年の城主・本多利長の菩提寺でもある。 ...続きを見る

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2016/11/14 09:48
神宮寺 (三重県松阪市一志町) 伊勢森本城跡
一志町森本にあった伊勢森本城跡に建つのが神宮寺である。 伊勢国司・北畠氏の一族木造俊重が多気城の支城として、南北朝〜 室町時代にかけて森本城を築城し、俊重は森本飛騨守を名乗ったと いわれている。 その後も飛騨守として森本を治めている。 織田信長の伊勢侵攻においても信長軍と戦っている。 1584年戦いに敗れ森本飛騨守は亡くなるも、一族は一般人として 生きながらえている。その後森本城は廃城となっている。 ...続きを見る

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2016/11/13 09:14
乗蓮寺 (愛知県刈谷市) シイの古木
国道1号線の西、旧東海道に面して建つのが乗蓮寺である。 今は、住宅地の中のお寺といった感があるが、旧東海道がメイン街道 であった頃の風景を想像したくなる。 山門を入って左手にシイ(スダジイ)の古木がドッシリと構えている。 このシイは樹齢850年と推定され、幹の根元に空洞があり、昔狸が 棲んでいたといわれている。 1959年の伊勢湾台風で大きな損害を受けたが、現在は樹勢盛んな 古木である。 ...続きを見る

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2016/11/12 09:27
福王寺 (静岡県磐田市) 安倍晴明ゆかりの寺
福王寺は平安時代の10世紀に真言宗のお寺として開創されたと 伝えられている。 開創間もない984年、この地方に大暴風雨が襲った折り、諸国行脚中の 陰陽師・阿部晴明が福王寺境内で祈祷したところ、忽ちにして風雨治まり、 快晴になったといわれ、風の神として安倍晴明を大権現として祀ったと 伝えられている。 これを以て、山号を風祭山とし、毎年3月8日風祭りが行われている。 安倍晴明ゆかりの神社寺院は全国に多くあり、京都の晴明神社が 最も知られている。 ...続きを見る

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2016/11/10 09:19
安楽寺 (岐阜県坂祝町)
安楽寺観音堂に祀られている<西国三十三所観音菩薩>33体は数奇な 由縁で安楽寺に移座されてきた。 現在の岐阜県東白川村神土神付にあった茶菴堂に祀られていたが、明治3年 廃仏毀釈の嵐に見舞われ、東白川村などの全てのお寺が廃寺となっている。 ちなみに、現在においても東白川村にはお寺はなく、これは全国自治体の 中でも唯一の無寺の市町村である。 仏道から神道へ全てが移ったのである。 廃寺となった茶菴堂から何らかの方法で、明治3年観音菩薩33体が 完全無傷で安楽寺に移された。 明治時代初... ...続きを見る

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2016/11/09 13:58
西蓮寺 (福井県福井市東大味町)
東大味集落には、明智神社と西蓮寺がある。 明智神社とは、明智光秀を祀り、かっては明智光秀の屋敷があったと 言われている地であり、近くの西蓮寺には柴田勝家などの安堵状が 残っているお寺である。お互いに関連しているようだ。 明智光秀は斎藤道三に仕えていたが、1556年流浪の生活に入ったが、 いつしか越前守護大名・朝倉義景に召抱えられ、東大味の地に屋敷を 構えたといわれている。 東大味と朝倉義景一乗谷居館とは、朝倉街道で4kmほどの距離で 屋敷を構えるには適地であったのだろう。 10... ...続きを見る

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2016/11/08 09:12
妙法寺 (石川県金沢市寺町)
妙法寺は1573年妙浄法尼によって尾張に開創されている。 妙浄法尼は、加賀藩初代藩主・前田利家の弟・佐脇良之の娘で、 生母は淀君の乳母である。 佐脇良之は当初織田信長に仕えていたが、信長の勘気に触れ徳川家康に 仕え、1572年三方ヶ原の戦いで討ち死にしている。 その父の菩提を弔うために妙浄法尼は妙法寺を開創している。 1615年現在地に移っている。 ...続きを見る

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2016/11/07 21:28
飯福田寺 (三重県松阪市) 伊勢山上
<伊勢山上>と呼ばれる飯福田山は、380mほどの丘陵連峰で、山内には 奇岩、怪岩、岩窟の様々な様相を呈し、古来、修験道の祖・役行者が開いた 修験道の道場である。 毎年、4月に山開きを行い、半年後の10月に山閉じがある。 霊場巡りの登山は3時間ほどの行程だそうだ。 私は遠慮して、麓の飯福田寺の探索に終わった。 ...続きを見る

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2016/10/26 14:07
明眼院 (愛知県大治町) 日本最初の眼科発祥地
明眼院は、802年最澄の弟子によって開創されたと伝える五大山安養寺が 始まりといわれている。 その後荒廃したが、1357年に馬嶋清眼が薬師寺として再興したと いわれている。 その年清眼が夢の中で異国人から医書を示され、それを元に眼の治療を 始めたのが日本最初の眼科の始まりといわれている。 その後、評判となり大々的な眼科治療が行われ、小堀遠州や円山応挙なども 治療に訪れたといわれている。 1632年後水尾天皇の皇女の眼病を治療し、<明眼院>の寺名を 授かっている。 江戸時代の尾... ...続きを見る

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2016/10/25 08:58
誕生寺 (三重県津市一志町) 真盛上人生誕の地
天台宗の一派である天台真盛宗の開祖・真盛上人は誕生寺の地に、 1443年大仰城主・小泉藤能の次男として生まれ、7歳で出家し19歳で 比叡山に入り20年間あまり修行し、1486年大津・西教寺を本拠として 天台真盛宗を開いている。 その後、三重県や福井県などに多くの寺を開創し、布教に努めている。 1495年伊賀市の西蓮寺で亡くなっている。 その年、津市・成願寺の住職によって生誕地に香華寺が開創され、 明治時代に廃寺となったが、その後、誕生寺として再興されている。 真盛上人生誕地として... ...続きを見る

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2016/10/24 09:31
広済寺 (愛知県あま市七宝町) 尾張三十三観音霊場第15番
広済寺のある七宝町は、尾張七宝焼きの町で江戸時代末期に生産が 開始され、明治時代には全盛を迎えている。 現在も高価な装飾品として愛用されている。 広済寺は1394年に開創されたと伝えられ、後には清洲城主織田氏の 庇護を受けているが、戦国時代の蟹江合戦に巻き込まれている。 境内は広く、整備された観音霊場である。 ...続きを見る

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2016/10/23 09:48
実相寺 (静岡県浜松市北区) 庭園
浜松市北区には名庭園を有するお寺が数多くある。 龍潭寺(引佐町井伊谷)、実相寺(引佐町金指)、長楽寺(細江町)、 摩訶耶寺(三ケ日町)、大福寺(三ケ日町)などがある。 実相寺の庭園は築山式枯山水庭園で、江戸時代前期に作庭され、 1994年石組が見つかるまでは世に知られなかった。 発見後、修復され静岡県指定の名勝庭園となっている。 広さはそれほどではないが、江戸時代前期の築山式の様式を示す 庭園として貴重な存在といえよう。 ...続きを見る

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2016/10/21 09:44
吉祥寺 (岐阜県関市) 美濃三十三観音霊場第23番
山里にある吉祥寺は1338年鎌倉の臨済宗僧・峰翁祖一によって 開創されている。 峰翁和尚は鎌倉幕府執権・北条時宗の叔父といわれ、大徳寺開祖・ 宗峰妙超と共に大応国師に参禅し、1335年現在の恵那市岩村町に 名刹であった大円寺(現在は廃寺)を開創し、1338年関市に 吉祥寺と大禅寺を開創している。 峰翁和尚は九州や四国へも足を運んでいる。 ...続きを見る

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2016/10/19 09:07
春慶寺 (福井県鯖江市) 近松門左衛門ゆかりの寺
鯖江市吉江地区は<近松門左衛門の里>と呼んでいる。 近松門左衛門は1653年越前に誕生し、1655年父が吉江藩に 仕えるべく吉江に家族ともども移り住んでいる。 1664年父が何らかの理由で浪人になると生活にも困る状態となり、 一家は春慶寺に身を寄せたといわれている。 その後、一家そろって京都へ出ていった。 近松は1680年代には浄瑠璃・歌舞伎の作者として世に出ている。 10年余りの吉江での生活ではあったが、自然に恵まれた環境の中で 豊かな感性を育み、人情味あふれる作品を作り出して... ...続きを見る

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2016/10/17 14:38
妙泰寺 (石川県金沢市東山) 貞姫の菩提寺
貞姫(理松院)は戦国大名・宇喜多秀家と加賀初代藩主・前田利家の娘・豪姫との 間に生まれた姫で、その貞姫の菩提寺が妙泰寺である。 宇喜多秀家は1600年の関ヶ原の戦いで西軍に与し敗れ、1606年 に八丈島に流罪となっている。 1607年頃、妻の豪姫と貞姫は加賀へ戻っている。 貞姫は加賀で結婚しているが、1615年亡くなり、妙泰寺に葬られている。 ...続きを見る

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2016/10/17 09:17
円光寺 (愛知県稲沢市下津土山町)
稲沢市には、萩の名所となっている円光寺(稲沢市矢合町)とここで紹介する 円光寺がある。 一方は観光客も訪れる禅寺であり、こちらは観光客の訪問はないが歴史の 古いお寺である。 723年、古代日本の重要な湊であった安濃津(三重県津市)の城守であった 志摩益信が開創したと伝わるのが下津の円光寺である。 安濃津は1498年の大津波で壊滅している。 下津の円光寺は戦国時代、兵火に罹り焼失したが江戸時代前期に 再興されている。 お寺の境内はよく整備されている。 ...続きを見る

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2016/10/08 09:15
栄昌院 (岐阜県岐阜市)
近江の浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹(茶々、初、江)は、浅井長政 が戦死した後も数奇な運命を辿った。 茶々は豊臣秀吉の側室淀殿となり、初は若狭小浜藩主・京極高次の正室、 江は徳川2代将軍・徳川秀忠の正室となった。 初(常高院)が1633年江戸屋敷で亡くなると、小浜の常高寺に葬られ、その 侍女7人も尼僧となって小浜に移り、栄昌院を開創し、常高院の菩提を 弔っている。 7人の尼僧も常高寺に葬られている。 明治維新を迎えて、栄昌院も京極氏の領地・丸亀に移ったが、京極氏が 神式に移... ...続きを見る

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2016/10/07 09:41
大日殿極楽寺 (三重県伊賀市)
大日殿極楽寺は鎌倉時代に開創されたと伝えられ、本尊の大日如来は <金胎両部大日如来>と呼ばれる。 金剛界大日如来と胎蔵界大日如来の2体の大日如来から成る本尊で、 各々の胎内には小さな胎内仏が納められている。 この胎内仏は秘仏となっている。 ...続きを見る

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2016/10/06 13:58
平田寺 (愛知県北名古屋市)
平田寺は、現在の名古屋市西区城町にあった平田城(詳細は不詳)の城主 平田和泉守が1564年天台宗のお寺として開創したと伝えられている。 平田和泉守は守護大名・斯波氏の一族といわれているが、詳細は不詳である。 1604年再興され曹洞宗の禅寺として再スタートしている。 平田寺の本尊は、珍しい五劫思惟阿弥陀如来で愛知県では希少価値がある。 有名な五劫思惟阿弥陀像は東大寺にある。 ...続きを見る

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2016/10/05 09:08
雲谷寺 (静岡県袋井市) 文化財の東司(トイレ)
雲谷寺の東司(とうす)は茅葺で、1796年建立の袋井市文化財に 指定されている。 東司は禅寺、特に曹洞宗のトイレで、七堂伽藍の一つの堂宇に数えられる 重要な堂宇であった。 東司が文化財に指定されている事例は多くあるが、茅葺東司は珍しい。 雲谷寺は16世紀中頃の開創と伝えられ、1601年には徳川家康から 寺領を安堵されている。 ...続きを見る

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2016/10/03 10:08
善永寺 (岐阜県本巣市) 
柳川市1547年、現在の岐阜県山県市にあった大桑城が斎藤道三によって落城 すると、美濃守護大名であった土岐頼芸は現在の本巣市に逃れ土岐氏も 衰退していった。 その土岐氏の一族であった土岐蔵人なる人が本巣市文殊に移り住み、 浄土真宗本願寺十一世・顕如上人に帰依している。 1570年本願寺と織田信長の石山合戦が始まると、土岐蔵人は本願寺 の軍師として活躍したといわれ、1580年石山合戦が終了すると、 本願寺の陣鐘(麒麟鐘)を顕如から与えられ、1580年山県市にあった お寺を本巣市文殊... ...続きを見る

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2016/10/02 10:08
念正寺 (福井県越前町) 大ツガの木
越前町樫津の山寺・念正寺境内の入口で、樹高25mの大ツガの木が 迎えてくれる。 樹齢は不詳であるが、自生ではなく植生されたものといわれている。 ツガはマツ科の一種で、モミの木によく似ている。 本州中部から屋久島にかけてよく見られる木である。 ツガ(別名トガ、栂)といえば、世界遺産の京都・高山寺の地名であり山号 でもある栂尾を想起するが、栂尾とツガの木との関連は? また、ツガの並木参道が強く印象に残る富山県の立山寺がある。 ...続きを見る

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2016/09/30 09:16
妙国寺 (石川県金沢市東山)
日蓮宗の仏壇には、本尊に大曼荼羅、脇侍に鬼子母神と大黒天が祀られる のが一般である。 鬼子母神は日蓮聖人の頃から、守護神として存在したが、大黒天は室町時代 に京都で取り上げられたとする説がある。 妙国寺には、日蓮聖人が刻んだと伝承される大黒天が大黒天堂に祀られ 篤い信仰を受け、別名大黒寺とも呼ばれている。 ...続きを見る

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2016/09/29 08:57
覚王寺 (愛知県扶桑町)
愛知県北部に位置する扶桑町は人口34,000人、名古屋のベッドタウン として位置付けられているが、かっては<桑によって扶養される町>として 養蚕が盛んであった。 その町にあって、伽藍が国登録文化財に指定されているお寺が覚王寺 である。 覚王寺は1330年天台宗のお寺として開創され、1510年臨済宗の禅寺 に変わっている。 江戸時代後期に建てられた伽藍は禅寺の風景を造っている。 ...続きを見る

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2016/09/19 09:41
専光寺 (石川県金沢市本町) 吉藤専光寺
専光寺は、1320年本願寺3世覚如(実質上の本願寺開創)の弟子・志念が 加賀大糠(現在の金沢市大額)に開創したと伝えられている。 その後、1437年迄には加賀吉藤(現在の金沢市専光寺町)に移り、吉藤 を本拠として活動している。 そのことから吉藤専光寺と呼ばれている。 浄土真宗本願寺の加賀における重要拠点として活動し、加賀三大寺の 一つに数えられるほどであった。 1602年本願寺が東西に分離すると、専光寺は東本願寺に属し、 江戸時代初期に現在地に移っている。 明治維新まで、専光寺... ...続きを見る

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2016/09/18 09:14
青龍寺 (三重県鈴鹿市)
鈴鹿市白子海岸に近い白子本町にこじんまりと建つ青龍寺は 830年弘法大師空海によって開創されたと伝承されている。 1460年鈴鹿に根拠を置いて布教に努めた真慧上人に帰依し 真宗高田派に改宗している。 ...続きを見る

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2016/09/17 09:11
臨渓院 (愛知県犬山市) 瑞泉寺塔頭
犬山城を眺望できる善光寺山の麓に建つ名刹・瑞泉寺の塔頭・臨渓院は 1482年開創され、1625年成瀬正虎が2代犬山城主となると臨渓院を 成瀬氏の菩提寺としている。 成瀬氏は3万石の大名格であったが、尾張藩の家老という立場にあり、 犬山藩とはならなかった。 明治維新時点で犬山藩として独立を認められている。 ...続きを見る

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2016/09/16 09:01
蓮華寺 (静岡県森町) 桜御前伝説
平安時代末期、左大臣・藤原頼長の娘で宮中一の才色兼備といわれた姫が、 桜町中納言と呼ばれた藤原成範との間に、後に高倉天皇の側室となった 小督の局をもうけたが、1159年の平治の乱で藤原成範が流罪となった。 姫は諸国遍歴の末に、遠州名刹・蓮華寺を頼って庵を設け、地元の人々に 諸芸を教え桜御前と呼ばれたと伝承されている。 藤原成範は赦免され京へ戻ったが、桜御前はそれを知ることもなく蓮華寺 で最期を迎えたとか。 桜御前の供養塔が蓮華寺の境内に寂しく建っている。 ...続きを見る

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2016/09/15 09:07
毘沙門院 (岐阜県池田町) 雲上の桜
毘沙門院の建つ池田町池野の地は、江戸時代中期に宮田吉左衛門などが 雑木林であった地を開拓して出来上がった地であるが、その開拓中に 発掘された銅造毘沙門天像を、1739年エドヒガン桜の傍らに毘沙門院 を開創し祀り、宮田氏の菩提寺としたといわれている。 このエドヒガン桜は500年という推定樹齢で、地元の保存会によって <雲上の桜>と呼ばれている。 樹勢は少し衰え、上部にそれが目立つ。 現在は、桜まつりも行われ、地元の風物詩となっているそうだ。 ...続きを見る

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2016/09/14 09:06
開善寺 (福井県勝山市) 勝山藩主・小笠原家の菩提寺
江戸時代、勝山にあった越前勝山藩は1623年福井藩の支藩としてスタート したが1644年廃藩となった。 1691年小笠原貞信が美濃高須から越前勝山藩再興として入り、勝山の 基盤を造り、明治維新まで続いている。 小笠原氏の祖先は信濃の名門で守護を勤めたが、武田氏が信濃に侵攻 後小笠原氏は四方に分流していった。 その末裔が小笠原貞信である。 貞信が菩提寺として開創したのが開善寺である。 この開善寺は、1335年小笠原貞宗が飯田市に開創した名刹開善寺に 倣って山号・寺号を受け継いで開... ...続きを見る

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2016/09/11 21:35
立像寺 (石川県金沢市寺町)
金沢寺町寺院群にあって、寺町通に面して銅葺き山門が偉容を誇る お寺が立像寺である。 江戸時代初期の日蓮宗本堂の様式を残す本堂と、一階は吹き放し 二階は花頭窓をつけた楼閣様式の変わった形式の鐘楼が特徴の お寺である。 鐘楼の横に建つ墓塔は、江戸時代後期の第6代横綱・阿武松緑之助 の分骨墓である。 阿武松(おうのまつ)横綱は能登の出身で、現在も年寄名跡として残っている。 ...続きを見る

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2016/09/10 09:13
建福寺 (三重県四日市市) 四日市地名の起源
建福寺は、1377年曹洞宗の僧・竺堂了源が開創したと伝えられ、 3代目の住職の時に、毎月4日を初日にして門前に市がたち、これから 四日市の地名が生まれたといわれている。 その後、1470年浜田城を築城した田原(俵)忠秀が田原氏の菩提寺である 建福寺の伽藍を再興し、七堂伽藍の大寺としている。 しかし、1575年織田信長軍によって浜田城は落城し、建福寺も兵火に 罹っている。 ...続きを見る

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2016/09/01 09:34
庚申寺 (愛知県新城市)
新城市街地に建つ庚申寺の三猿庚申塔と芭蕉句碑が庚申寺の風景を 造っている。 三猿庚申塔は、ある熱心な仏信者が庚申の日に徹夜して仏道修行し、 3年間続け願をたて、この願いが成就したお礼に三猿庚申塔を1661年に 建てたと。明くる年に庚申堂が建立されている。 芭蕉句碑は、1691年芭蕉が京都から江戸へ帰る途次に、新城の 弟子・太田白雪を訪ねた折に詠んだ句を1799年句碑として建立された。 芭蕉ファンや庚申塔愛好者には見逃せないお寺である。 ...続きを見る

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2016/08/31 09:15
等観寺 (三重県伊勢市) 松が造る風景
伊勢神宮外宮の北隣に建つ等観寺は、第100代後小松天皇の 勅願により1394年開創されている。 1648年に中興され大いに隆盛し、末寺36常住雲水30名を数える 大寺となったといわれたが、明治時代の廃仏毀釈により境内も 大幅に縮小されている。 古の歴史からも文化財が豊富である。 参道入口の松が一つの風景を造り、かっての等観寺を想像させている。 ...続きを見る

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2016/08/30 08:59
宝珠寺 (愛知県東海市) 在原業平伝説
平安時代初期の六歌仙・在原業平の伝説は各地にあるが、ここ東海市にも しっかり残っており、宝珠寺には位牌や業平像が祀られている。 宝珠寺は、伝説を伝える在原業平を開基とするお寺である。 東海市の東に位置する知立市にも、よく知られた八橋の業平伝説が残っている。 共に業平を主人公とする伊勢物語の東下りの途次に、これらの地に立ち寄った とされる伝説によっている。 東海市における伝説には、都から業平を慕って追ってきた女官の悲しい 物語も含まれている。 ...続きを見る

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2016/08/29 09:09
宝持院 (静岡県御殿場市)
小田原城主といえば北条早雲が有名であるが、その北条早雲によって 小田原城を奪われた大森氏の10代目・大森頼春が1417年に小田原城を 築城している。 11代目で小田原城主の大森氏頼が息女の菩提を弔うために、二岡神社 の神宮寺を現在地に移して1458年宝持院を開創している。 二岡神社は御殿場市にあって、現在は心霊スポットとして知られ、宮司は 代々大森氏の系統が継いでいる。 宝持院の地は大森氏の居館があったと思われ、その名残で土居が残っている。 ...続きを見る

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2016/08/27 09:32
本善寺 (岐阜県大垣市上石津町) カゴノキ
上石津町は2006年市町村合併で大垣市に編入された自治区で、鈴鹿山脈と 養老山地に囲まれた盆地で、大垣市の飛地になっている。 この地区は、室町時代には越前・加賀に並んで浄土真宗の強い地区で、 蓮如上人に帰依して改宗したり、開創したお寺が多い。 その一つである本善寺は、蓮如上人の弟子が1523年開創した西円坊が 始まりである。 本善寺の本堂横にある<カゴノキ>は、西円坊が開創された時からの古木と いわれている。 ...続きを見る

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2016/08/27 09:31
禅林寺 (福井県福井市) 甘露泉
福井市南端の橋立山(261m)山麓にある禅林寺の名水・甘露泉は、 禅林寺が開創された1405年に開創者によって命名されたといわれている。 水源は橋立山といわれ、水は甘くまろやかで、炊飯やお茶に適していると 現在も人気の名水である。 福井県の名水となっている。 ...続きを見る

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2016/08/25 09:32
心蓮社 (石川県金沢市山の上町)
金沢の卯辰山山麓寺院群の北端にある心蓮社の寺名にどうしてと。 寺名に社とする例は知らない。 これは、心蓮社の開創者・心蓮社休誉の名をそのまま寺名としたといわれている。 休誉は能登の領主であった長氏の流れをくみ、京都・清浄華院(浄土宗七大本山) の法主であった。 1612年の開創で、1637年現在地に移っている。 庭園を拝観すべく参拝したが、留守で拝観できなかったが、金沢市の名勝 ともなる庭園だけに残念。 ...続きを見る

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2016/08/24 09:07
浄源寺 (愛知県瀬戸市) 岩屋堂
東海地方で紅葉人気スポット第2位(1位は香嵐渓、3位は定光寺公園)の 岩屋堂公園は、鳥原川の渓谷と岩屋堂と岩巣山、そしていくつかの滝が 織りなす自然公園として愛知高原国定公園の核となっている。 岩屋堂は、725年行基が草庵を結び、岩窟内に3体の仏像を彫り安置し、 聖武天皇の病気平癒を祈願した岩屋山薬師堂が始まりと伝えられている。 その後、堂宇が整備され天台宗の岩屋山薬師堂として目耳の病護に ご利益ありと大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2016/08/15 09:50
乗性寺 (岐阜県郡上市美並町)
下総国(現千葉県)東庄の領主であった東胤行(1194〜1273年)は、 当時名を知られた歌人で藤原定家の孫娘を妻に迎えたと伝わるほであった。 1232年親鸞聖人に帰依し、1257年所領であった郡上郡山田庄の領主 として、戸谷寺を建立している。 東氏の流れを汲む郡上八幡初代藩主・遠藤慶隆が戸谷寺を乗性寺と 改め今日にいたっている。 ちなみに、遠藤慶隆の妹・千代は土佐藩初代藩主・山内一豊の妻である。 乗性寺は東氏・遠藤氏の菩提寺である。 ...続きを見る

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2016/08/14 09:12
薬師寺 (三重県松阪市嬉野一志町)
薬師寺は、平安時代末期に一志郡の地方官である郡司の氏寺として 東福寺が開創されたのが始まりと伝えられている。 この地には、古代寺院の一志廃寺が存在したと考えられ、 塔礎石などが発掘され、本堂前に安置されている。 近くには、天華廃寺もあり、松阪周辺には古代寺院の廃寺が多くある。 ...続きを見る

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2016/08/13 08:17
白毫寺 (名古屋市南区) 年魚市潟景勝の地
名古屋市熱田区から南区の海浜は、古代では<年魚市潟(あゆちがた)>と 呼ばれ、万葉集にも詠まれている。 愛知県の愛知は年魚市に由来するともいわれる名勝であった。 万葉集の歌  <年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ> かっては白毫寺から年魚市潟を望め、景勝の地であったといわれ、 芭蕉も何度となく訪れたといわれている。 芭蕉の句  <春風や戸部山崎のやねの苔> 現在は、埋め立てのためその面影は全くない。 ...続きを見る

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2016/08/13 08:16
建福寺 (静岡県袋井市) 妻薬師
袋井市西北部の小高い山の間に田園と住宅がひろがる山裾に建つ 建福寺の薬師如来は<妻薬師>と呼ばれ、お薬師様の枕を借りて 良縁をお願いし、叶った時は紅白の枕をお返しすると篤い信仰がある。 全国的にも、妻薬師と呼ばれ、縁結びのご利益があると信仰を集める お寺がある。 中でも袋井の妻薬師は知られている。 ...続きを見る

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2016/08/10 09:20
寺居山五百羅漢 (岐阜県中津川市)
中津川市茄子川の寺居五百羅漢の地には、1775年現中津川市付知町阿弥陀 から阿弥陀堂が移されて建立されていた。 1794年現千葉県市原市の森巌寺16代住職・大蟲越山が引退後、中津川の 知人・中切勝半蔵を訪れ、越山和尚の師・宗龍禅師の遺言により五百羅漢の 霊場開創の相談をしたところ、松林と岩山の寺居山を紹介され、五百羅漢 建立を発願した。 直ちに尾張藩に許可を求め1798年に許可が下りたが、その時すでに 越山和尚は他界していた。 中切勝半蔵は近隣の村々に勧進を募り、1798年五百羅... ...続きを見る

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2016/08/09 14:15
満願寺 (福井県鯖江市)
鯖江市東部を流れる鞍谷川沿いにケヤキの古木が並ぶ満願寺の開創は 不詳であるが、もともとは天台宗のお寺であったといわれている。 1207年親鸞聖人に帰依した住職が浄土真宗に改宗し、その後 真宗高田派に属している。 本願寺の蓮如上人が1471年越前吉崎に赴き布教活動を始めると、 満願寺も本願寺系に変わっている。 北陸においては、真宗内の派閥競合が激しくなっていく。 ...続きを見る

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2016/08/08 14:17
真成寺 (石川県金沢市東山)
卯辰山山麓寺院群の一つで、山腹に建てられた真成寺には加賀屋中村歌右衛門 の初代の墓がある。 初代歌右衛門は1714年金沢の医者の子として生まれたが、1730年頃 旅役者の一座に加わり東西旅をし、大坂で歌舞伎役者となっている。 1741年頃に中村歌右衛門を名乗っている。 実悪の名人と謳われ、大坂歌舞伎にその名を残している。 六代目まで歌右衛門は続いている。 真成寺の初代の墓は三代目歌右衛門が建立している。 ...続きを見る

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2016/08/07 14:25
龍拈寺 (愛知県豊橋市)
豊橋市街地に豊橋公園があり、その中に模擬吉田城がたっているが、元々の 吉田城は1505年今川氏の命で、牧野古白が築城したと伝えられ、戦国時代 には徳川家康の三河支配の重要拠点となっている。 江戸時代に入り、吉田城は吉田藩の拠点となっている。 豊橋市は吉田城とともに歩んできたともいえる。 築城主・牧野古白の菩提を弔うために、子の牧野信成が 大永年間(1521〜27年)に龍拈寺を開創している。 その後、牧野氏の菩提寺となっている。 ...続きを見る

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2016/07/28 08:57
長久寺 (石川県金沢市寺町)
寺町通に面して、長久寺と高岸寺が並んで建っている。 高岸寺は、加賀藩始祖・前田利家の家臣であり、また利家の正室・まつの 甥でもある高畠定吉の菩提寺である。 長久寺は、高畠定吉の妻であり、利家の妹である津世姫の菩提寺である。 高畠定吉夫妻の菩提寺が並んで建っているのだ。 ...続きを見る

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2016/07/27 08:45
延命寺(三重県津市一志町) 石棺
延命寺の境内に安置されている石棺は、200年程前に個人の宅地から 出土したもんで、延命寺に移された。 6世紀古墳時代の家形石棺で保存状態も良好である。 石棺は縄文時代以降使用され、弥生時代を経て、古墳時代に多く 使用されている。 古墳時代の石棺には、  割竹形、舟形、長持形、家形などが見られる。 ...続きを見る

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2016/07/26 09:30
大善寺 (愛知県新城市)
1575年長篠の戦いで武功をあげた新城城主・奥平信昌は、徳川家康の 褒美の意を込めて、家康の長女・亀姫と結婚し、その後側室を持たずに 大名となっていく。 家康が関東江戸へ移ると同時に、奥平夫妻も群馬県の小幡藩主として 移っている。 関ヶ原の戦い後の1601年、美濃加納藩主(岐阜市)10万石で出世している。 これも亀姫の影の支えであろう。 亀姫は<加納御前>と呼ばれ、夫や嫡男を亡くした後の孫達を支えていく。 ...続きを見る

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2016/07/26 09:29
龍禅寺 (静岡県浜松市中区)
浜松の真言三ヶ寺(龍禅寺、鴨江寺、頭陀寺)の龍禅寺は、浜松の古刹で あり、大寺であった。 江戸時代には、藩主の氏族は頻繁に変わったが、藩主の庇護を受けて 大いに栄えたといわれている。 また、本尊千手観音は厄除け観音として信仰が篤い。 ...続きを見る

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2016/07/25 09:13
浄光寺 (岐阜県恵那市岩村町)
日本三大山城(岩村城、備中松山城、奈良高取城)の岩村城は、1221年 築城されたといわれ、長きに亘り続き1871年に廃城となっている。 その歴史の中でも、戦国時代の織田信長と武田軍との戦いにおける <女城主おつやの方>の悲哀物語はあまりにも有名である。 関ヶ原の戦い後の1601年、松平家乗を藩主として岩村城を藩庁とする 岩村藩が成立し、藩主居館を山麓に築き、城下町が形成されていく。 その城下町の一角が<岩村町本通り>として重要伝統的建造物群保存地区 として保存されている。 その保... ...続きを見る

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2016/07/22 08:59
宝円寺 (福井県越前市) 前田利家ゆかりの寺
加賀100万石の加賀藩藩祖・前田利家が織田信長の家臣であった 1575年、越前府中城主となった時に、両親の菩提所として宝円寺を再興して いる。 利家が1581年七尾城主に移ると、七尾にも宝円寺(現在の長齢寺)を開創 している。 1583年豊臣秀吉のもとに金沢城へ移り、加賀藩の基礎造りに入っている。 この時も、金沢に宝円寺を開創し、利家夫妻の菩提寺としている。 これほどに、利家は越前宝円寺に帰依していたのである。 ...続きを見る

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2016/07/20 09:12
月心寺 (石川県金沢市山の上町)
卯辰山寺院群の一つ月心寺には、裏千家始祖・仙叟宗室と大樋焼歴代陶工 の墓がある。 宗室は千家3代の末子であるが、裏千家の始祖であり、1651年加賀藩主 前田氏の茶頭として20数年仕えている。 それに際して、京都の楽焼の弟子を一緒に金沢に伴い、大樋焼を始め、 代々大樋長左衛門として現在も続いている。 金沢における茶道400年の歴史はここにある。 ...続きを見る

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2016/07/19 10:11
阿弥陀寺 (三重県伊賀市川東)
阿弥陀寺本堂前に安置されている宝篋印塔(1311年銘)と、墓地の最前列に 安置されている五輪石塔(鎌倉時代後期)は、今は廃寺となっている大聖寺 から移設されたといわれている。 阿弥陀寺は1651年、天台真盛宗の宗祖・真盛の菩提寺・西蓮寺の住職 によって開創されている。 柘植川の傍にあって、ゆったりとした境内である。 ...続きを見る

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2016/07/10 08:39
長源寺 (愛知県東海市)
長寿の双子姉妹で知られた<きんさん、ぎんさん>の蟹江ぎんさんは 108歳の長寿であった。ぎんさんの菩提寺が長源寺である。 長源寺は1492年開創されたと伝えられ、尾張藩主徳川氏の帰依を 深く受けたといわれ、1676年鋳造の梵鐘は尾張2代藩主・徳川光友の 寄進による。 ...続きを見る

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2016/07/09 09:50
見性寺 (三重県菰野町) 菰野藩主の菩提寺
右手に鈴鹿山脈の御在所山を眺め金渓川を渡ると、真っ直ぐ延びる参道 が現れる。小高い山裾に見性寺を望む。 参道と周囲の風景が菰野藩主・土方氏の菩提寺の風景を造っている。 見性寺は、1644年菰野第2代藩主・土方雄高が土方氏の菩提寺として 開創している。 菰野藩の初代藩主・土方雄氏(かつうじ)は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦い では徳川家康に従っている。 その後、1万2千石の菰野藩主となり、1635年長男の雄高が継ぎ、菰野の 基礎を造っている。 ...続きを見る

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2016/07/08 08:51
退養寺 (愛知県尾張旭市) 厄除弘法大師
退養寺境内の東に小高い丘があり、その頂きに色鮮やかな10mほどの 弘法大師像が建っている。 1931年地元の電鉄会社が沿線の人口増と観光目的で建立したといわれ、 尾張三大(巨大)弘法の一つと謳われている。 しかし、その後は地元の人達に慕われ、厄除弘法大師として親しまれている。 弘法大師像はあちこちにあるが、このような巨大な像は数少ない。 それも色鮮やかな像はましてや。 ...続きを見る

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2016/07/07 14:52
西見寺 (静岡県浜松市西区)
1989年西見寺と花学院とが合併し、花学院の地に(現在地)伽藍を建立 している。 西見寺は1480年開創され、中区平田に移っている。 1850年には琉球の使節が浜松で亡くなり、西見寺で葬り菩提を弔った ことから琉球との関係が深まっている。 一方、花学院は奈良時代の開創で、馬頭観音信仰が深い古刹であった。 合併後も馬頭観音信仰が続いており、3月には馬頭観音大祭が賑やかに 行われている。 ...続きを見る

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2016/07/05 09:14
桂林寺 (岐阜県下呂市馬瀬) 古木の庭園樹
下呂市北西部を流れる馬瀬川の東岸に建つ桂林寺の境内には、 古木の庭園樹が6本も樹勢を誇っている。 山門左手にはイチイ、山門右手にはコウヤマキ 本堂左手には、手前からカエデ、ヘンパク、サクラ、アオギリと並んでいる。 サクラは上部幹を失っているが生命力を示し、アオギリはイチョウと接近 し過ぎて上部を剪定されている。 ...続きを見る

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2016/07/04 08:49
龍生寺 (福井県越前町)
織田信長が好んで舞った<人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の〜> は、幸若舞(こうわかまい)の<敦盛>一節である。 幸若舞は室町時代に流行した曲舞の一つで、越前の桃井直詮が始祖といわれ、 室町〜江戸時代と受け継がれたが、明治時代になって越前の幸若舞は 廃れた。しかし、弟子が引き継いだ大江幸若舞(福岡県みやま町)は現在も 民俗芸能として引き継がれている。 始祖の桃井氏の菩提寺が龍生寺である。 ...続きを見る

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2016/07/02 13:35
永福寺 (石川県金沢市) 加賀八家・奥村氏の菩提寺
1686年加賀藩5代藩主の時に、藩の職制改革が行われ、1万石以上の 家老で、八人の家老が加賀八家と呼ばれ、政務を分担し、合議制で藩の 重要事項を決定している。 その内の二人が奥村宗家と奥村支家である。この奥村家の始祖が 前田利家に仕えた奥村永福(永富)である。 この奥村永福が奥村家の菩提寺として開創したのが永福寺である。 天正年間に越中の僧・郷雲が金沢に草庵を築く時に、奥村永福が 支援し、1599年永福寺として開創している。 ...続きを見る

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2016/07/02 13:34
伏見寺 (石川県金沢市寺町)
金沢市には5つの寺院群地域があるが、その中で70ヶ寺近くのお寺が集中する 最大の寺院群が<寺町寺院群>である。 その寺町通に建つ伏見寺は、奈良時代初期に芋掘藤五郎という青年によって 開創されたと伝承されている。 <金沢の地名由来>がこの芋掘藤五郎に関係すると伝承されている。  山芋を掘って売っていた藤五郎という青年が山芋を掘っていると、芋のひげに 砂金がついていたので、その砂金を洗い砂金を採集し、大金持ちになった。 その洗った泉を<金洗沢>と呼んで、後々に金沢と呼ぶようになったと伝... ...続きを見る

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2016/06/30 09:28
高蔵寺 (愛知県春日井市) 地名の起源
高蔵寺といえば、高蔵寺ニュータウンを想起するほどに地名が有名である。 大規模ニュータウンとしては、  大阪・千里ニュータウン(1962年入居開始)  愛知・高蔵寺ニュータウン(1968年)  東京・多摩ニュータウン(1971年) がニュータウンの黎明期を開いている。 その高蔵寺の地名の起源となっているのが、JR中央本線・高蔵寺駅の 近くに建つお寺・高蔵寺である。 ...続きを見る

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2016/06/21 09:09
高岸寺 (石川県金沢市寺町)
1583年賤ヶ岳の戦いで秀吉が柴田勝家を征圧すると、前田利家は加賀を ほぼ治め、金沢城を本拠としている。 出城である鶴来・舟岡城の城代として、1583年家臣の高畠石見守定吉を 就かせている。高畠氏はまもなく自らの菩提寺として高岸寺を鶴来に 開創している。 高畠定吉の正室は前田利家の妹・津世であり、利家の正室・まつの継父は 高畠一族の直吉であり、前田家と高畠氏は深い繋がりを持っていた。 ...続きを見る

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2016/06/20 10:02
天華寺 (三重県松阪市嬉野) 
松阪市嬉野を流れる中村川左岸を通るJR名松線の左に小高い丘陵がある。 通称天花寺山と呼ばれ、その麓に古代寺院・天華寺廃寺があった。 また、天花寺山の上台地には天花寺城があった。 天華寺廃寺は白鳳時代の創建で、金堂と塔を備えた大寺であった。 天花寺城は北畠氏の出城であった。 永禄年間(1558〜70年)の織田信長の伊勢侵攻により、天華寺廃寺と 天花寺城は完全に焼失している。 発掘調査によって、天華寺廃寺の遺物が発掘され、その規模の大きさが 解明されている。 ...続きを見る

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2016/06/19 09:29
仁昌寺 (愛知県北名古屋市)
真新しい観音菩薩の前に安置された<うなり石>は、2013年に商業施設から 移され安置されている。 このうなり石には伝承がある。   夜になると<う〜う〜>と不気味な唸り声を発し、声の正体を探ろうと何人かが 鍬を入れてみたが、その夜になると重い病気になってしまったと。 結構大きな石で、見ているだけで唸り声が聞こえそうな。写真を撮るのも遠慮した。 ...続きを見る

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2016/06/18 10:59
妙立寺 (静岡県湖西市)
トヨタグループの創始者・豊田佐吉の生地は湖西市山口で、その生家を核として 豊田佐吉記念館が建てられ一般に公開されている。 その地から北へ1kmほどの丘陵に建つのが妙立寺であり、豊田家は 妙立寺の檀家であり、菩提寺でもあった。 豊田佐吉が名古屋へ出た時には妙立寺の住職が支援したとも。 また、古くは1568年徳川家康が宇津山城を攻める際に、妙立寺に本陣を 置いている。そうしたことから徳川家の祈願所にもなっている。 ...続きを見る

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2016/06/16 09:35
萬嶽寺 (岐阜県中津川市阿木)
かっては阿木村で、1957年に中津川市と合併した阿木地区は、 人口2500人の山間農村地区である。 その阿木は中津川市の南西端に位置し、恵那市に隣接している 自然溢れる地区である。 その阿木にあって中核的なお寺が萬嶽寺である。 堂々とした山門と子僧像、大きな提灯が迎えてくれる。 夏には、境内一面にハスの鉢が並べられ、ハス祭が行われる。 ...続きを見る

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2016/06/15 09:18
金相寺 (福井県南越前町)
越前海岸河野浦の北前船の始まりは、1673年頃に金相寺が弁才船を所有し 廻船業を細々と始めたといわれている。 18世紀後半になって本格的な北前船業が行われ、右近氏や中村氏などが 北前船主として大いに栄えたといわれている。 これが明治時代末頃まで続いたそうだ。 金相寺はこれら北前船主や船乗りの菩提寺である。 金相寺は1471年河野浦南ノ町に開創され、1676年の火災後、現在の 北ノ町で再建されている。 ...続きを見る

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2016/06/13 09:08
釜地蔵寺 (愛知県愛西市)
釜地蔵寺の境内に立つ説明板によると、尾張六地蔵第5番札所となっているが、 尾張六地蔵には種々の説があるらしい。 釜地蔵寺の本尊・鋳鉄地蔵菩薩立像は、鉄釜の上に木蓋を置き、その上に 立っていることから、釜地蔵と呼ばれている。 この釜地蔵には、昔幼い子供が継子いじめにあい、地蔵尊が身代りになったと いう物語があるとか。 1653年名古屋の人によって造像され、江戸時代の鉄造地蔵尊として貴重な 資料となっている。 境内には、まだ新しい地蔵堂が建っている。 ...続きを見る

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2016/06/04 09:31
欣浄寺 (三重県伊勢市) 法然上人二十五霊場第12番
法然上人二十五霊場は、宝暦年間(1751〜63年)に二人の僧が法然上人 ゆかりのお寺を巡礼したことから始まったといわれている。 この霊場には、法然上人の直接ゆかりのお寺と、間接ゆかりのお寺がある。 欣浄寺は後者のお寺であり、法然上人ゆかりのものが欣浄寺に所蔵されて いる。 その一つは、法然上人が伊勢参詣の折に感得した<日の丸名号>であり、 一つは、法然上人作と伝えられる<円光大師満月像>である。 ...続きを見る

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2016/06/02 09:16
広泰寺 (三重県玉城町)
伊勢市の西に隣接する玉城町はかってお伊勢参りの宿場として栄えたが、 現在は農業を主体とした自然溢れる町である。 伊勢道玉城ICの近くに、樹々に覆われた広泰寺がある。 広泰寺は1486年大空玄虎の隠居寺として開創されたのが始まりである。 大空玄虎は後土御門天皇から禅師号を受け、紫衣の勅許を授かっている 名僧で、松阪市の浄眼寺開山でもある。 また、広泰寺は江戸時代には紀州藩主徳川氏の庇護も受ける大寺であったと いわれている。 ...続きを見る

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2016/06/02 09:15
太山寺別院 (愛知県西尾市) 三ヶ根観音
三河湾の眺望がすばらしい三ヶ根山(321m)には、有料道路<三ヶ根山 スカイライン>が走っており、観光スポットとなっている。 その山頂附近に建つのが太山寺で、もっぱら三ヶ根観音と呼ばれている。 三ヶ根観音は商売繁盛の観音さんとして信仰が篤い。 また、太平洋戦争で犠牲になった戦没者を慰霊する比島観音が祀られている。 境内からの三河湾の眺望はこれよし。 ...続きを見る

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2016/06/01 09:06
金剛寺 (静岡県磐田市)
東海道五十三次の28番目の宿場・見附宿は、10世紀には遠江国の国府が 置かれ、中世には最大規模の宿場であった。 その見附(見付)で幕末の侠客であり、清水次郎長の兄貴分であった大和田友蔵 の墓があるのが金剛寺である。 金剛寺は1424年開創され、1610年代に再興されている。 ...続きを見る

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2016/05/30 09:26
天喜寺 (岐阜県大垣市上石津町)
上石津町は、東に養老山地、西は鈴鹿山脈に挟まれた大垣市の飛地で、 牧田川が中央を流れる自然溢れる山里である。 養老山地の麓に、杉林の参道が続くのが天喜寺である。 天喜寺は、1057年比叡山延暦寺の僧が隠棲のために開創したと 伝えられている。 1366年再興され、臨済宗の禅寺となっている。 その当時からの文化財が残されている禅寺の古刹である。 ...続きを見る

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2016/05/29 10:06
安泰寺 (福井県越前市)
越前市池泉町にある安泰寺は霊泉寺の前にポツンと建っている。 開創したのは霊泉寺と同じ越前守護・斯波義敏による1486年といわれている。 斯波氏は朝倉氏に敗れ、越前から撤退していく。 ...続きを見る

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2016/05/27 09:18
全性寺 (石川県金沢市東山)
卯辰山山麓寺院群は、およそ50ヶ寺余の寺院が江戸時代に、一向一揆 対策のために真宗を除く宗派寺院が集められている。 この寺院群は金沢散策の一つのスポットともなっており、全性寺界隈の 風景が観光写真にも使われている。 薄くなったが、ベンガラの楼門には草鞋がぶらさがり、健康や健脚を 祈って奉納されたものである。 ...続きを見る

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2016/05/27 09:17
知多四国霊場
1809年妙楽寺住職・亮山阿闍梨が弘法大師の夢告によって発願し、岡戸半蔵と 武田安兵衛の協力を得て、知多四国霊場を開創している。 知多半島を一周する巡礼の旅は人気が出てきている。 <お寺の概要と写真は寺名をクリック> ...続きを見る

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2016/05/17 10:20
円通寺 (愛知県大府市) 知多四国霊場第88番
伊勢湾岸道に面した、こんもりした森の小丘に建つ知多四国霊場最後の札所 円通寺への坂を登る。 少し荒れた境内に入ると、静寂が漂っている。 729年開創と伝える古刹であるが、度々の兵火や火災により罹災し、 1401年現在地に再建されている。 しかし、古刹ゆえの寺宝は守り続けられ今日に至っている。 ...続きを見る

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2016/05/17 10:11
本龍寺 (石川県金沢市) 銭屋五兵衛の墓
海の豪商・海外貿易の先駆者と謳われた銭屋五兵衛は、1773年現在の 金沢市金石の地に生まれ、北前船を使った海運で富をなし、当時鎖国 の中で海外交易により巨額の財をなしたといわれている。 一方、妬みも生まれ、河北潟干拓事業において死魚中毒事故に かこつけた中傷により投獄され、1852年獄死している。 晩年には極悪商人の汚名を着せられた五兵衛であった。 明治時代に入って、再評価され地位を挽回している。 長男が建立した墓が本龍寺にある。 ...続きを見る

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2016/05/16 09:54
常楽寺 (三重県伊賀市) 吉田兼好資料
伊賀市南部の国見山(510m)には、日本三大随筆(方丈記、徒然草、枕草子) の一つ徒然草の作者・吉田兼好が晩年隠棲し亡くなったと伝承される寺跡が あり、兼好塚も建って<兼好法師遺跡公園>となっている。 江戸時代には、この伝承は真実味を持って語られ、芭蕉の弟子・服部土芳も 訪れて句を詠んでいる。 この公園から北に300mの山麓に建つ常楽寺には、 兼好に関係する資料類(兼好法師画像、兼好歌集など)が保存されており、 常楽寺と兼好が隠棲したといわれる寺(草蒿寺)との関係は。 ...続きを見る

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2016/05/14 08:58
称名寺 (愛知県碧南市) 徳川家康ゆかりの寺
徳川家康の祖先・松平氏の祖・松平親氏から数えて9代目が徳川家康であるが、 親氏時代から三河に勢力を伸ばし、西三河への浸透時代に称名寺との関係も 深くなっていく。 親氏は1441年称名寺に閑居したとも伝えられるが、親氏のことは不詳なことが 多い。 1543年称名寺において連歌の会が催された時に、家康の父・松平広忠が <神々のながきうき世を守るかな>を受けて<めぐりは広き園のたけ千代> と詠み、住職が家康の幼名に竹千代を薦めたといわれている。 こうした縁もあり、三州大浜東照宮が境内に... ...続きを見る

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2016/05/14 08:57
甘露寺 (静岡県浜松市) 甘露梅
古くは、庭の寺前に梅の古樹があって、徳川家康はこれを<未開紅甘露梅> と名付けたといわれている。 その頃、境内には梅園があって、家康は側室の阿茶局を伴い、度々観梅に 訪れたといわれている。 1724年国学者・賀茂真淵も観梅会を催し、歌を詠っている。  <いかばかり咲くやこの花ながめけむ言葉の匂ひこれもえならぬ> ...続きを見る

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2016/05/13 09:24
蓮光寺 (岐阜県下呂市馬瀬)
飛騨川に注ぐ馬瀬川の上流に位置する下呂市馬瀬は下呂市と合併するまで、 馬瀬村として<日本で最も美しい村>の一つであり、今も何ら変わらない風景 を保っている。 その黒石地区山あいにポツンと佇むのが蓮光寺である。 1478年蓮如上人が京都山科本願寺を建立に着手した際に、馬瀬黒石の 大工・和田惣右衛門が祖師堂建立に携わり、3年間奉仕している。 1480年惣右衛門は蓮如上人の弟子となり、善慶の名前を授かり、郷里に 戻って道場を建て、1489年現在地に道場を移して蓮光寺として開創している。 ... ...続きを見る

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2016/05/12 10:05
浄教寺 (福井県南越前町)
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗は真宗十派の宗派から成っている。 親鸞聖人の子孫が継承した<血縁>と聖人の弟子が継承した<法脈> があり、西本願寺(本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)が血縁で、 残りの八派が法脈である。 法脈の一つ<出雲路派>の本山は越前市の毫摂寺であり、末寺は 越前を中心に70弱あり、京都出雲路(京都市北区)が発祥である。 浄教寺の開創は不詳であるが、真宗出雲路派に属している。 ...続きを見る

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2016/05/10 09:46
金沢西別院 (石川県金沢市) 浄土真宗本願寺派本願寺金沢別院
本願寺第3代覚如上人が親鸞聖人の足跡を辿った際、1339年金沢に 草庵を建て、本源寺としたことに金沢西別院の始まりがある。 1471年蓮如上人が吉崎御坊を開創後もしばしば金沢へ訪れている。 織田信長との一向一揆により西別院も攻め滅ばされている。 その後、加賀藩前田利常によって寺地を安堵され、それが現在の 金沢西別院の礎となっている。 ...続きを見る

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2016/05/09 09:09
法持寺 (名古屋市熱田区)
芭蕉は1684年8月〜85年4月にかけて江戸〜尾張〜伊賀〜京都〜 熱田〜江戸と旅した<野ざらし紀行>を著しているが、1685年3月 熱田の法持寺で、地元の俳人・桐葉などと句会を持っている。 この時に、桐葉の娘の死を悼んで詠んだ句が   <何とはなしに何やら床しすみれ草>であり、その句碑が法持寺の 境内にある。 ...続きを見る

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2016/04/30 10:36
専長寺 (石川県金沢市)
江戸時代の豪商・銭屋五兵衛の拠点であり、北前船の湊である金石地区 にあって、本堂や山門などの赤瓦屋根が目にも鮮やかに飛び込んでくるのが 専長寺であり、金石寺院群を形成している。 本堂・山門は18世紀末の建立であり、茶室<松帆しゃ;>は銭屋五兵衛の隠居所 にあった物を移築している。 専長寺は1465年宮腰村に念仏道場として開創され、1472年蓮如上人より 専長寺の寺号を授けられている。 再三の火災に遭い、1723年現在地に移っている。 ...続きを見る

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2016/04/28 09:11
祐国寺 (岐阜県本巣市)
安土桃山時代の大名茶人であり、織部焼にも関わったと伝承される古田織部 は、1543年現在の本巣市山口に生まれ、山口城主になったといわれている。 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、千利休の後を引き継ぐ茶道名人と 詠われた。 1615年家康の命により自刃している。 その織部の祖父・古田総兵衛が、山口にあった天台宗祐国院を浄土真宗に 改宗して菩提寺としたのが祐国寺としたといわれている。 ...続きを見る

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2016/04/27 09:36
悟真寺 (三重県鈴鹿市)
1582年本能寺の変後、堺に居た徳川家康は伊賀越えで鈴鹿白子に 逃れ来て、ここから船で常滑へ渡り岡崎へと逃れたといわれている。 この白子で悟真寺が何らかの役割を果たした可能性もあるらしい。 江戸時代になって、悟真寺は徳川将軍の保護のもとに大いに栄えたとも いわれている。 ...続きを見る

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2016/04/27 09:35
宝寿院 (愛知県津島市) 津島神社の元神宮寺
宝寿院は、818年頃弘法大師空海が牛頭(ごず)天王社<津島神社>の脇に、 病気平癒を祈願して開創されたと伝えられている。 その後、津島神社の神宮寺として神仏習合の疫病除けの社寺として 多くの参詣者が集まり、門前町もでき津島の核として大いに栄えたと いわれ、東の津島・西の八坂の牛頭社となった。 明治時代初頭の神仏分離により、津島神社の祭神も牛頭天王から 変わり、宝寿院も分離され、神社の仏像など仏教関係の物も宝寿院 に移された。 ...続きを見る

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2016/04/26 09:05
普済寺 (静岡県浜松市中区) 曹洞宗の古刹
普済寺は1428年現在の浜松市中区寺島町に開創されたといわれ、 1432年現在地に移っている。 遠州における曹洞宗の中核として多くの末寺を抱えていた。 1573年の三方ヶ原の戦いで徳川家康は武田信玄に大敗を喫し、 浜松城の偽装炎上を謀るために、普済寺に火を放ったといわれている。 その後、家康は帰依していた普済寺を再興したといわれている。 ...続きを見る

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2016/04/23 10:15
円勝寺 (岐阜県本巣市)
鎌倉時代初期に大野・本巣郡の領主であった関谷正善が上洛し法然上人に 帰依し、その後親鸞聖人の弟子となって帰郷し、現在の大野町上秋に 念仏道場を開いたのが円勝寺の始まりといわれている。 その後、転々とし1616年現在地に再興されている。 その時に植えられたカシの木が市の天然記念物となっている。 樹高は17m、推定樹齢は400年である。 ...続きを見る

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2016/04/22 09:14
観音寺 (福井県福井市)
越前水仙の里・旧越廼村(現在は福井市)は水仙群落の観光名所で、 海岸には<越前水仙の公園>が設けられ、水仙ドームでは温度管理 のもとに年中水仙の花が咲いている。 その公園の小高い所に建つのが観音寺である。 観音寺の開創は不詳である。 ...続きを見る

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2016/04/20 09:30
蓮華寺 (愛知県あま市蜂須賀) 蜂須賀小六の菩提寺
豊臣秀吉の重臣であり、秀吉の出世街道に寄り添ってきた蜂須賀小六正勝は、 1526年蜂須賀の地で生まれ、何時の頃からか秀吉と縁ができ、1566年の 墨俣城築城では秀吉の元で与力として活躍している。 それ以降、秀吉の片腕として寄り添い、1586年大坂で亡くなっている。 小六の嫡男・家政は徳島藩の藩祖として、蜂須賀氏は明治維新まで徳島藩主 を務めている。 この蜂須賀小六正勝と家政の菩提寺が蓮華寺である。 なお、徳島市興源寺は蜂須賀氏一族の菩提寺である。 ...続きを見る

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2016/04/10 09:44
法雲寺 (岐阜県揖斐川町)
根尾川西岸から岐礼谷へ入った小さな集落の山手に、参道が延びる 法雲寺は少し寂れているが、ここに室町時代末期最後の美濃守護大名 土岐頼芸の小さな墓塔が建っている。 美濃を統括する守護大名として250年間土岐氏が君臨したが、最後 となった土岐頼芸は斎藤道三に追い出され、各地を転々とした後、 谷汲岐礼の地で寂しく最期を迎えたといわれている。 ...続きを見る

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2016/04/09 12:53
千福寺 (三重県四日市市) 信貴山別院
千福寺は、736年聖武天皇の勅命により、現在の四日市市尾平町に永代寺 として開創されたのが始まりと伝えられている。 その後盛衰を経て、1300年代前半に京都東福寺の虎関国師が現在地の 生桑山(いくわさん)に毘沙門天石仏を祀って再興したといわれている。 明治時代の廃仏毀釈によって、伊勢市二見の密厳寺が廃寺となった際に、 密厳寺住職・定峯が寺の仏像を他の寺に移座している。 その内の毘沙門天を千福寺へと移している。これが現在の本尊であり、 1958年信貴山の四日市別院となっている。 ... ...続きを見る

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2016/04/07 09:22
無量光院 (愛知県稲沢市)
無量光院は735年行基によって開創された満願寺の一院と伝えられ、 941年兵火によって焼失したが、1202年再興され満願寺一山12院 の大寺となったといわれている。 永禄年間(1558〜70年)再び兵火によって壊滅したが、天正年間 (1573〜91年)に無量光院と安楽院(現在の満蔵院)のみが再興され、 満願寺など10ヶ寺の仏像が無量光院に安置されている。 ...続きを見る

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2016/04/07 09:21
庚申寺 (静岡県浜松市浜北区) 庚申信仰
庚申寺は、725年現在地北西の少し離れた堂風呂と呼ばれた地に、 庚申尊天(青面金剛)三尊が出現し、それを祀るお堂が建てられたのが 始まりと伝えられている。 1077年に光明寺となり、1390年現在地に庚申寺として再興されている。 この頃には庚申信仰が芽生えていたのであろう。 江戸時代になり、庚申信仰が隆盛となり、近隣ばかりか遠方からも信仰者 が参詣し、門前町が形成されるほどになった。 現在では、庚申信仰は影を潜めそれを知る人もほとんどいない。 ...続きを見る

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2016/04/06 08:43
光沢寺 (岐阜県大野町)
背に山、前には田畑が拡がる寺内集落にあって、一際背の高いモミの木が 目立つ光沢寺がある。 開創については不詳であるが、1767年建立の鐘楼門(山門)は町の 文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2016/04/04 09:13
芳春寺 (福井県越前市)
芳春寺の開創については不詳であるが、かっては河濯(かわそ)権現と 呼ばれた神仏習合のお寺で、現在も毎年7月末に祭礼が行われている。 境内に安置された芭蕉色紙塚とは、  1689年芭蕉が<奥の細道>紀行で北陸へ来た際に、地元の俳人・露朝 が<古池や蛙飛こむ水の音>の色紙を贈られたといわれている。 1730年、福井藩士の嵐枝が露朝の所持していた色紙を埋めて<色紙塚> を建立したといわれている。 ...続きを見る

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2016/04/03 19:40
集福寺 (石川県能美市) 辰口温泉の守り寺
集福寺は、1533年越中砺波郡小坂村(富山県小矢部市小坂)に開創されたと 伝えられ、1600年金沢へ移り、1895年辰口温泉の守り寺として現在地に 移っている。 寺の名前からも<福を集める>と縁起をかついで信仰があるらしい。 本堂裏の小高い所の地蔵堂に祀られている石造地蔵菩薩坐像は、 享保年間(1716〜36年)江戸相撲の大関が北陸巡業の折に奉納したものと いわれ、石川県では最大級の石造地蔵菩薩といわれている。 ...続きを見る

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2016/04/02 15:40
霊松寺 (愛知県北名古屋市)
豊臣秀吉政権下で、五奉行筆頭であった浅野長政の生誕地が霊松寺の地 であり、長政誕生(1547年)後の1573年薬師寺として開創されている。 この薬師寺が1800年霊松寺となっている。 浅野長政は浅野長勝の養子となっているが、秀吉の正室・ねねも長勝の 養女であった。 長政は秀吉の子飼の重臣で五奉行筆頭として大いに活躍している。 1600年関ヶ原の戦いでは、家康に従いその後、大名となり明治維新まで 浅野氏は大名であった。 その系統の中にあって、忠臣蔵の浅野内匠頭も4代後の子孫である。... ...続きを見る

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2016/03/23 09:40
龍徳寺 (岐阜県池田町)
龍徳寺は、弘仁年間(810〜824年)に伝教大師最澄が雲門寺を開創したのが 始まりと伝えられている。 1334年摂津池田城(大阪府池田市)を築城した城主・池田教依が天皇の勅で 美濃池田庄に下向し、地域の開発に携わり美濃池田庄の郷司となって、 雲門寺を再興したといわれている。 摂津池田氏はその後、摂津と美濃池田氏に分流し、摂津池田氏は戦国時代末期 に滅びているが、美濃池田氏は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、 江戸時代には岡山藩、鳥取藩などの藩主となっている。 特に、池田恒興は信... ...続きを見る

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2016/03/22 09:30
明福寺 (三重県菰野町)
明福寺は永正年間(1504〜20年)に念仏道場として開かれたのが 始まりといわれている。 1814年伊能忠敬は日本地図を作製すべく全国を測量で巡っている際に、 明福寺に宿泊している。 明治時代に入り、廃仏毀釈の影響で廃寺となった伊勢神宮の神宮寺で ある常明寺の円空仏が明福寺に移されている。 阿弥陀如来と薬師如来が裏表に刻まれた両面仏で1674年の円空仏 である。 俳人・山口誓子がこの円空仏を拝観して句を残している。 <円空仏外に出で来て枯銀杏> ...続きを見る

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2016/03/21 09:44
専修院 (愛知県扶桑町)
尾張をほぼ統一していた織田信長は、1564年反抗的な同族の 犬山城主・織田信清を攻めるべく大道寺砦を築き、一気に攻め滅ぼしている。 これによって信長は美濃攻略の態勢を整えていく。 大道寺砦の跡地に、1577年専修院は移ってきている。 専修院は、現在の柏森駅西方に1280年大道寺として開創されている。 何の因果か、1876年犬山城二の丸の矢来門が移築されたのが 現在の専修院東門である。 ...続きを見る

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2016/03/20 10:05
宿蘆寺 (静岡県浜松市西区)
宿蘆寺は、1466年佐田城主・堀江久実によって開創されたと伝えられている。 佐田城は15世紀初期館山に越前から出てきた堀江氏によって築城されたと いわれているが遺跡は残っていない。 堀江氏は16世紀初頭には今川氏に敗れ、堀江城主の大沢氏が台頭し 江戸時代にはこの地域の領主となっている。 堀江城跡は舘山寺温泉の遊園地となっている。 この大沢氏の菩提寺が宿蘆寺である。 ...続きを見る

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2016/03/18 09:10
宝光院 (岐阜県大垣市) 節分会はだか祭
宝光寺は、平安時代初期に伝教大師最澄によって開創されたと伝える 古刹であるが、戦国時代に織田信長の兵火によって灰燼に帰している。 豊臣秀吉の帰依により再興され、江戸時代になり徳川家康など歴代の 徳川将軍の篤い帰依を受け、朱印地として大いに栄えたといわれている。 現在では<御朱印地宝光院>として大垣市の史跡に指定されている。 しかし、明治時代になり衰微に向ったが、戦後<ひだり目不動節分会 はだか祭>が復活し、岐阜県の風物詩ともいわれる祭となっている。 ...続きを見る

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2016/03/18 09:09
憶念寺 (福井県南越前町)
小高い山王山南麓に30mにも及ぶであろうケヤキの古木が目につく 憶念寺が建っている。 憶念寺の開創は不詳であるが、南北朝時代に開創されたといわれる 万松寺が始まりと伝えられている。 1505年浄土真宗に改宗している。 明治・大正時代に活躍した仏教学者・南条文雄は憶念寺の養子である。 ...続きを見る

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2016/03/15 09:05
勝善寺 (石川県白山市) タブの木
田畑の中に赤い屋根の本堂が建つ。 その本堂裏に一対のタブノキの古木が存在感を示している。 元は白山社跡地で、鳥居の木と推測される一対のタブノキではないかと 伝承されている。推定樹齢は400年といわれている。 東樹はもとは樹高16m、西樹は18mほど。村落樹林として代表的なタブノキが 田畑の中に残るのは珍しいとか。 ...続きを見る

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2016/03/15 09:04
神王寺 (三重県伊賀市)
伊賀市のシンボル山といわれる霊山(766m)の西麓に建つ神王寺は、 隣に建つ日置神社(平安時代末期の開創)の別当寺であったといわれているが、 1581年の織田信長の伊賀侵攻(天正伊賀の乱)によって焼失し、全てが 失われ神王寺の縁起については不詳である。 17世紀中頃に再興されている。 柘植のお大師さんと信仰を集めている。 ...続きを見る

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2016/03/06 09:43
山王坊 (岐阜県下呂市) 飛騨信貴山
下呂温泉街の東に位置する小高い山へ登って行くと、白川郷などから移築した 10棟の合掌家屋集落の下呂温泉合掌村があり、それを更に登ると山王坊の 参道が見える。 山王坊は境内から下呂温泉街を一望できる地にある。 1939年岐阜県関市から山王坊は移転し、飛騨信貴山と呼ばれている。 関市には鎌倉時代に開創されたと伝えられるが詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2016/03/05 09:32
円光寺 (三重県津市河芸町) 伊勢上野藩主・分部氏の菩提寺
1568年織田信長が伊勢に侵攻して来た時、分部光嘉は織田に味方し、 信長の弟・信包に従って1570年伊勢上野城を築城し、城主となっている。 その時に、栗真庄中山にあった円光寺を上野に移し菩提寺としている。 1600年関ヶ原の戦いで徳川方につき、伊勢上野藩の初代藩主となるが、 1601年に亡くなっている。 2代藩主・分部光信は近江大溝藩主に転封となり、円光寺も同時に近江 に移っている。 残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続している。 近江に移った円光寺は滋賀県高島市に存続し、大... ...続きを見る

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2016/03/04 09:30
宗堅寺 (愛知県新城市) 野田菅沼氏の菩提寺
新城市にあった野田城は1508年野田菅沼氏によって築城され、3代目の 菅沼定盈が野田城主の時の1572年幸春寺を開創している。 (これが宗堅寺の始まりである) 菅沼定盈は1573年武田信玄と徳川家康の<野田城の戦い>で敗れるが、 1575年の長篠の戦い後、再び野田城を取り返している。 1600年関ヶ原の戦いで徳川方で活躍し、次男が伊勢長島藩主となり、 定盈は伊勢長島で1604年亡くなっている。 この時、幸春寺を宗堅寺と改名し、野田菅沼氏の菩提寺としている。 その後、野田菅沼氏は伊... ...続きを見る

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2016/03/03 09:15
東雲寺 (静岡県湖西市) 摩利支天
東雲寺の守護神として祀られている摩利支天は、陽炎を神格化した仏教の 守護神で、自在の通力を発揮するといわれ、武士の間では信仰があったと いわれている。 東雲寺の摩利支天も徳川家康の信仰があったといわれている。 面白いのは、霊山といわれた山の峰に摩利支天の名前をつけて、信仰の 対象としたことであろう。 例えば、木曽御嶽山、乗鞍岳、甲斐駒ケ岳、新潟・八海山などがある。 摩利支天信仰の篤いお寺では、京都・禅居庵、東京・徳大寺などがある。 ...続きを見る

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2016/03/01 14:49
桂昌寺 (岐阜県郡上市美並町)
郡上市の南端に位置する美並は、長良川が中央を流れ自然を満喫できる 郷であるが、円空上人の生誕地(諸説あり)でもある。 その美並にあって、時節ニュースでも取り上げられる<桂昌寺の牡丹> は、150種2,000株の牡丹が1977年から裏山に植生され、またアジサイも 1万株と四季折々の花の寺として知られている。 私の訪れたのは、花の隙間でお寺そのものを拝観した。 ...続きを見る

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2016/02/29 09:26
願念寺 (福井県福井市)
1471年蓮如上人が吉崎御坊に入り、北陸に一向宗(浄土真宗)の布教を 拡大したが、この頃から一向一揆が生じた。 1506年北陸一向宗と越前・朝倉氏との九頭竜川の戦いで、一向衆は敗れ 加賀に逃れたが、吉崎御坊は破壊されている。 この時、越前の願念寺も加賀の松任に逃れ、松任願念寺を開創している。 その後、越前願念寺も現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2016/02/27 09:21
本誓寺 (石川県白山市)
加賀藩には加賀八家と呼ばれる大名級の家老(年寄役)職制が 1686年設けられ、藩の最高決定機関となっていた。 筆頭家老・本多家(5万石)、長家(3万3千石)、横山家(3万石)、 長種系前田家(1万8千石)、村井家(1万6千5百石)、奥村宗家(1万3千石)、 奥村支家(1万2千石)、直之系前田家(1万1千石)の八家である。 その中の長家は能登を根拠にしていた。 明治時代になって、長家の広式門が本誓寺に移築されている。 ...続きを見る

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2016/02/26 09:41
定光寺 (愛知県瀬戸市) 尾張徳川初代藩主・徳川義直の菩提寺
徳川家康には多くの側室がいたが、高齢になってからの側室を<中の三人衆> と呼ばれていたそうだが、その中の一人<お亀>を側室にしたのが1594年 53歳の時である。 お亀は京都・石清水八幡宮の社人の娘で既婚者であったが、伏見城で給仕 の折に家康の目にとまり側室となり、1600年家康の九男として 五郎太丸(徳川義直)が誕生している。 1610年11歳で徳川義直は初代尾張藩主となり、1615年名古屋城主と なっている。 義直は名古屋の基盤を築き、名君と呼ばれた。 義直が狩猟の折に、定... ...続きを見る

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2016/02/24 10:41
聖眼寺 (愛知県豊橋市) 芭蕉の松葉塚
芭蕉の愛弟子・坪井杜国が米の売買で詐欺罪に問われ、渥美半島保美 (愛知県田原市保美町)に流刑になり、1687年芭蕉は杜国の身を案じ、 渥美半島へ向う途次に聖眼寺に立ち寄っている。 その時に詠んだ句<松葉を焚て手拭あふる寒さ哉>の句碑が、 聖眼寺に2基ある。 1754年芭蕉50年忌に立てられた句碑を古碑松葉塚と呼び、 1769年建てられた句碑を再建松葉塚と呼んでいる。 この2基の松葉塚が境内に並んで建てられ、山門横に古碑松葉塚を 案内する古標石が建っている。 この3基は資料的にも... ...続きを見る

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2016/02/17 09:44
長国寺 (岐阜県恵那市) 西行伝説
平安時代末期の歌聖と呼ばれた西行は1140年出家後、各地を巡る 漂泊の旅に出て多くの和歌を残しており、また各地に西行伝説が残っている。 1186年東大寺再建の勧進行で奥羽や鎌倉を訪れている。 その帰り途次に、現在の恵那市中野に庵を結び3年間逗留し、そこで最期を 迎え長国寺で葬送され、中野坂(西行坂)に葬られた(西行塚)という伝承が 1614年書写の<長国寺縁起>に記されている。 西行は1190年大阪府弘川寺で最期を迎えたのが通説である。 西行塚は室町時代末期に建立されたと考えられ、... ...続きを見る

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2016/02/16 10:18
青巌寺 (三重県津市一志町) 尾張徳川家ゆかりの寺
1651年尾張第2代藩主・徳川光友と側室・勘解由小路の間に長男として、 松平義昌は青巌寺で生まれ育てられたといわれている。 側室の子として、正室(徳川家光の娘)に憚り青巌寺で生まれ、その上 三男として扱われている。 義昌は1683年陸奥梁川藩主(福島県伊達市)となっている。 こうした経緯から、徳川光友は1692年青巌寺本堂を建立している。 現在の本堂がそれである。 ...続きを見る

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2016/02/15 09:18
玉林寺 (愛知県豊川市) クスの木
豊川の西岸、東名高速道豊川IC近くに、遠目にも目立つクスの木が 盛んな樹勢を緑濃くしているのが玉林寺である。 右から、左から、正面から眺めつくす。 推定樹齢は600年以上といわれ、20m以上の樹高に圧倒される。 玉林寺は1491年臨済宗のお寺として開創されたといわれている。 その後、豊川稲荷(妙厳寺)の末寺となって曹洞宗になっている。 ...続きを見る

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2016/02/13 09:16
大雲院 (静岡県御殿場市)
戦国時代、甲斐武田と相模北条が戦略上の拠点として争った深沢城は 16世紀初頭に築城されたといわれ、1590年廃城となっている。 深沢城は、15世紀小田原城主・大森氏の一族・深沢氏の居館を ベースに今川氏によって築かれたといわれている。 その深沢氏が開創したのが大雲院と伝えられているが、詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2016/02/13 09:15
常照寺 (岐阜県可児市)
織田信長の重臣であり美濃兼山城主であった森可成の妻であり森蘭丸の 生母でもある妙向尼(えい)が、自分の母・妙願尼の菩提を弔うために、 1565年兼山(兼山城下)に妙願寺を開創している。 妙向尼は浄土真宗に深く帰依していたことから、1580年石山本願寺 攻撃の折に、仲介の役割の一旦を担ったといわれている。 1600年森忠政(可成の六男)が川中島〜津山(岡山県津山市)と 移封されると妙願寺も移動し、現在は津山市にある。 ...続きを見る

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2016/02/12 09:36
大宝寺 (福井県越前市)
徳川家康の次男・結城秀康は、長男・信康が1579年に自刃しているので、 家康の後継と考えられたが、母(側室)が身分の低い出であることから結城氏の 養子になっている。 1601年結城秀康は福井藩初代藩主となり、1607年亡くなっている。 秀康の1周忌に、2代藩主・松平忠直(秀康の長男)が弟・吉松を慰めるために、 狩野派の絵師に<結城秀康像>を描かせ、吉松が養子に入った福井藩主の 家老・本多富正が1603年に開創した大宝寺に奉納している。 この肖像画は秀康肖像画の中で最古といわれている... ...続きを見る

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2016/02/10 09:15
小松本覚寺 (石川県小松市)
浄土真宗の越前への浸透は、真宗高田派三河教団の和田信性が鎌倉時代末期 に、足羽川流域の和田(福井市和田)に念仏道場を開いたのが始まりといわれる。 この念仏道場が和田本覚寺の始まりである。 14〜15世紀北陸に浄土真宗が浸透する一方、本願寺派と高田派の勢力争い は激しくなる。 15世紀の初めに、和田道場は和田本覚寺となり本願寺派となる。 和田本覚寺は、越前における本願寺派の拠点として、また蓮如上人が吉崎御坊 へ入る支援を行っている。 1506年越前守護朝倉氏との戦いで敗北し、和田本... ...続きを見る

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2016/02/09 14:06
栄林寺 (三重県名張市)
栄林寺の開創は不詳であるが、当初念仏堂と呼ばれて名張市黒田の法然寺 末寺として存在していたといわれている。 天正伊賀の乱で法然寺は焼失したが、その後念仏堂は栄林寺となった。 法然寺を逆に末寺として大いに栄えたといわれている。 1711年には栄林寺から出火し名張大火となっている。 その後再建され、明治時代になって法然寺も廃寺となり、その寺宝を 管理している。 法然寺跡に小堂があり、そこに安置されている<法然上人供養塔>は 法然の分骨を祀っているといわれている。 ...続きを見る

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2016/02/01 09:41
大鷲院 (愛知県豊田市)
豊田市東部山間地の国道153号線沿いに山を背に建つ山門を潜ると、 青もみじの登り参道が伸び、すると大きな石垣が迫ってくる。  <この石垣は、1816年東海地方を襲った風雨洪水で集落は大飢饉に 陥った。 大鷲院の住職はその惨状を見るに忍びず、壊滅した参道の修理と 石垣を築造して、集落を救うことにした。 寺の保有米を放出し、檀家・信者の有力者を説いて米の寄進を受け、 それを人夫賃として工事を行った。そのお陰で4000人余りの救済 がなったといわれている。> ...続きを見る

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2016/01/31 10:17
徳永寺 (三重県伊賀市) 徳川家康の伊賀越え
1582年本能寺の変後、堺から四条畷に移動していた徳川家康は、明智光秀 の落武者狩りを恐れて30数名の家臣と共に、宇治田原〜信楽〜伊賀〜白子 〜常滑〜岡崎と逃げ帰った<伊賀越え>は家康の最大の危機であったと いわれている。 その途次にある伊賀徳永寺で一時休憩したとか、宿泊したとかいわれている。 後に、徳永寺に対して葵の紋使用の許しを与え、江戸時代になると、 伊賀藩の藤堂藩主から庇護を受けている。 ...続きを見る

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2016/01/30 10:36
観音寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第86番
江戸時代の儒学者・細井平州が8〜10歳の間学んだのが観音寺である。 細井は西条藩など多くの藩に迎えられたが、晩年米沢藩主・上杉鷹山に 迎えられ、身分を越えた師弟愛が市中で評判になっている。 細井が鷹山に贈った言葉  <勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや> ...続きを見る

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2016/01/28 09:10
見性寺 (静岡県磐田市)
歌舞伎の演目に<白浪五人男>があるが、五人の盗賊の話であり、 その内には弁天小僧も含まれる。 そのリーダーの日本駄衛門だけが実在の人物であったといわれている。 駄衛門は1717年遠州生まれといわれ、義賊として振る廻っていたが、 1747年捕えられ打首となり見性寺に葬られたといわれている。 ...続きを見る

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2016/01/27 09:39
東香寺 (岐阜県富加町)
東香寺は、美濃守護大名の土岐頼遠が1315年夢窓疎石を開山に迎えて 開創されたと伝えられている。 夢窓疎石は1313年多治見の永保寺を開創して美濃を行脚している時に、 土岐氏の帰依が篤い疎石に開山を請うたものと思われる。 東香寺には夢窓疎石作の庭園と伝わる庭園もある。 (残念ながら訪問時は留守で拝観できず) 土岐頼遠はバサラ大名とも呼ばれる勇猛な武将で、1342年光厳上皇 への狼藉事件で夢窓疎石の嘆願も叶わず処刑されている。 ...続きを見る

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2016/01/26 09:50
正等寺 (福井県勝山市)
1580年柴田勝家の一族・柴田勝安が築城した勝山城は、1644年一旦は 廃城となるが、1691年小笠原氏が勝山藩主となると1700年代に再び 築城されている。 現在その面影は無く、市役所が建っている。 そのすぐ近くに建つ正等寺は、1896年の勝山大火に遭って現在地に 移ってきている。 その時、武家屋敷の表門を通用門として譲り受けている。 江戸時代の遺構がここに残っている。 ...続きを見る

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2016/01/24 09:52
鶴来別院 (石川県白山市) 真宗大谷派別院
白山への入口となっている鶴来の真宗大谷派鶴来別院は、1903年 真宗大谷派金沢別院から独立して鶴来別院となっている。 鶴来別院の由来を辿ると、  蓮如上人の七男・蓮悟が鶴来に清沢坊を開創し浄土真宗の中核と なったが、1531年の亨禄の乱によって焼失し廃寺となっている。 その後、天文年間(1532〜55年)に集落の人々によって念仏惣道場 が建立されたのが鶴来別院の始まりといわれている。 蓮如上人の子供が開いた鶴来の坊は、浄土真宗にとっては大事な地 なのである。 ...続きを見る

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2016/01/23 14:54
青雲寺 (三重県伊賀市) 伊賀忍者・百地氏の菩提寺
伊賀忍者には上忍三家(服部、百地、藤林)があり、その一家・百地氏の 代表で伊賀忍者の祖といわれるのが百地三太夫(百地丹波)である。 戦国時代に大いに活躍したが、1581年織田信長との天正伊賀の乱で 戦死したといわれている。 その百地三太夫の居城後が百地丹波城跡(砦跡)として残され、 その一部に青雲寺が建っている。 恐らく百地三太夫が亡くなった後、一族の誰かが菩提寺として開創した と思われる。詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2016/01/15 09:14
瑞林寺 (岐阜県美濃加茂市) 柿寺
蜂屋地区にある瑞林寺は別名を柿寺ともいう。 これは、瑞林寺を開創した仁済宗恕が蜂屋の名物・蜂屋柿を室町幕府将軍に 献上したところ、大いに喜ばれ寺領と柿寺の称を与えられたことに由来する といわれている。 蜂屋柿(堂上蜂屋柿)は千年前の平安時代から蜂屋地区で作られている 干し柿で、糖度が非常に高く日本でも有数の干し柿として知られている。 この柿の木は、蜂屋地区の保存木を接ぎ木した柿に限定されているらしい。 ...続きを見る

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2016/01/14 09:29
龍光寺 (三重県鈴鹿市) 鈴鹿の名刹
鈴鹿市の中心市街地である神戸地区は、神戸氏が1550年代澤城から移って 神戸城を築城し城下町神戸を整備して発展した。 1600年には神戸氏は滅びたが、江戸時代には神戸藩が置かれ神戸城が 中心であった。 神戸氏は1367年神戸郷の領主になった盛澄から始まり、澤城を築城している。 1433年伊勢国司・北畠氏が開基、神戸氏が普請奉行として西条に龍光寺が 開創されている。 それ以来、龍光寺は神戸氏の菩提寺となり、神戸氏が神戸城へ移ると 龍光寺も現在地の神戸に移転している。 ...続きを見る

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2016/01/13 09:14
法蔵寺 (愛知県あま市)
法蔵寺の本尊・鉄造地蔵菩薩には次のような謂れが残っている。  地元(あま市蜂須賀)の領主から豊臣秀吉の片腕となった蜂須賀小六正勝 が、1560年の桶狭間の戦いに出陣の折、戦勝を祈願して蓮華寺(あま市蜂須賀) の鉄造地蔵菩薩を戦場へ持ち出したが、あまりに重いので中橋郷の地に置いて、 錫杖だけを持参し活躍したといわれている。 その後、この錫杖のない鉄造地蔵菩薩を本尊として法蔵寺が開創されたと いわれている。 一方、鉄錫杖は現在の徳島市・如意輪寺に残されている。 これ以来、蜂須賀家では... ...続きを見る

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2016/01/12 09:28
西伝寺 (静岡県浜松市南区)
天台宗の僧・皇円阿闍梨は日本三大史書<扶桑略記>を撰した高僧で、 また法然上人の師でもある。 この皇円阿闍梨が1169年現在の静岡県御前崎の桜ヶ池で入定したと いわれ、1176年法然上人は2人の弟子を伴って桜ヶ池へ参詣したと いわれている。 その帰りに弟子の一人・西伝が草庵を築いたのが西伝寺の始まりと 伝えられている。 本堂前のイブキの木は法然上人の手植えといわれている。 なお、皇円阿闍梨の事は判然としないが、法然上人絵伝が手掛かりと いわれている。 ...続きを見る

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2016/01/11 09:49
妙雲寺 (岐阜県川辺町)
飛騨川の畔にある妙雲寺は1537年上川辺の地に開創されたと伝えられ、 1611年川辺の領主で旗本でもあった大嶋光政が現在の中川辺の地に 移し、大嶋氏の菩提寺としている。 大嶋光政は豊臣秀吉に仕えたが、関ヶ原の戦いでは徳川家康に従い、 1611年には川辺の地を与えられ旗本になり、川辺の町造りに貢献している。 妙雲寺は小さなお寺であるが、大嶋氏の位牌堂や墓地が残り、 川辺の歴史散策スポットとなっている。 特に、千体釈迦如来は8月28日のみの公開で、その日には多くの 参拝者があるそうだ... ...続きを見る

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2016/01/10 10:21
松龍寺 (福井県あわら市) 千体仏
松龍寺の鐘楼門を入って左手にこじんまりした千体仏堂がある。 1856年熊坂長範物見の松が枯れ、当時の松龍寺住職が立ち木の まま大仏を彫って熊坂に安置(現在の熊坂大仏)し、残った木屑を 刻んで千体の阿弥陀如来を堂に祀ったのが千体仏堂である。 小さな阿弥陀如来も150年過ぎ、古色の気配が窺える。 ...続きを見る

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2016/01/08 09:30
願慶寺 (石川県白山市)
1460年代〜1580年代の100年間、各地で浄土真宗本願寺の門徒が 起こした一向一揆の中でも主な一揆は、  近江金森合戦(1466年 最初の一揆)、越中一向一揆(1480〜1576年)  加賀一向一揆(1488〜1582年)、三河一向一揆(1563〜64年)、  石山合戦(1570〜1580年)、長島一向一揆(1570〜74年) がある。 加賀一向一揆の最後は<七ヶ村なでぎり>といわれる300数十名の 惨い磔の死であったといわれ、その中に願慶寺門徒が含まれていた。 織田信長の一... ...続きを見る

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2016/01/07 09:17
円光寺 (愛知県稲沢市矢合町)
円光寺の開山・円光大照禅師(滅宗宗興)は、鎌倉〜戦国時代に現在の 一宮市にあった中島城の城主・中島蔵人の次男で、鎌倉・建長寺で修行し、 1348年一宮の名刹・妙興寺を開創している。 1300年代後半に円光寺を開創し、1381年円光寺で最期を迎えている。 また、禅師は各地にお寺を開創し臨済宗の普及に努めたといわれている。 ...続きを見る

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2015/12/31 10:12
神光寺 (岐阜県関市)
神光寺は719年泰澄大師によって開創されたと伝えられ、河内源氏の 2代目で源頼朝などの源氏の祖といわれている源頼義が、奥羽の前九年の役 (1051〜62年)で鎮守府将軍として派遣される途次に戦勝祈願をし、 勝利のお礼に伽藍を整備し、1057年天皇の勅願寺となり神光寺となったと いわれている古刹である。 その歴史に相応しい寺宝がつたわり、文化財にもなっている。 また、円空仏4体も残されている。 ...続きを見る

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2015/12/29 09:23
宝性寺 (三重県四日市市)
旧東海道を桑名から朝明川を渡り、四日市に入って1km弱の右手に 宝性寺参道が見える。 宝性寺は740年聖武天皇の勅願によって現在地の西300mの地に開創されたと 伝える古刹であるが、1568年長島一揆の戦乱により焼失している。 その後再建されるも火災に遭い1719年に再興されている。 本堂は1814年に再建され、それが現在の本堂である。 四日市市の文化財になっている。 ...続きを見る

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2015/12/27 09:34
西来院 (静岡県浜松市中区) 築山御前の菩提寺
築山御前は、1557年今川義元の人質として駿府にいた松平元信(徳川家康)と 結婚し(正室)、松平信康(家康の長男)と亀姫を産んでいる。 その後、家康は居城・岡崎城に戻ったが、築山御前は一緒に戻れず、幽閉同然 の形で尼寺で生活が続いた。 1579年何らかの理由により、家康の命で築山御前は殺害され、伝承では信長の 命で信康を自刃に追い込んでいる。 何らかの理由には諸説あるが、戦国時代の相争う図の中の悲劇かも。 この築山御前の廟が西来院にあるが、1977年再建されている。 ...続きを見る

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2015/12/26 10:09
松林寺 (愛知県北名古屋市) 亀甲竹
織田信長の筆頭家老であった林秀貞(通勝)の居城・沖村城跡に、 1592年開創された松林寺の境内には、イチョウ・ビャクシン・亀甲竹 の古木が樹勢盛んな姿を呈している。 特に、亀甲竹は下部の節間が亀甲状の模様をした珍しい竹で、 仏面竹ともいわれる。 弘法大師や親鸞の杖とも呼ばれている。 この亀甲竹が群生しているのは珍しい。 ...続きを見る

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2015/12/25 09:19
福満寺 (岐阜県岐阜市) 百日紅
百日紅(サルスベリ)は中国南部原産の落葉樹で、夏に比較的長い間 紅色の花を咲かせることから<百日紅>と名付けられ、一方 幹の成長にともなって、古い樹皮が剥がれすべすべした感触の樹皮が 現れ、猿でも滑ることから<サルスベリ>と名付けられた。 福満寺の百日紅は、旧本堂が建立された1777年頃に植樹されたと いわれ、推定樹齢は250年程と考えられている。 ...続きを見る

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2015/12/24 10:26
興禅寺 (福井県越前市)
越前市を流れる日野川東岸の村国山(239m)の頂上展望台からの 夜景は日本夜景100選に数えられ、市民の憩いの公園にもなっている。 奈良時代には霊地として、白山開祖の泰澄大師も堂宇を建立している。 道路も整備され、まずは山頂展望台へと向かう。 あいにく白山は望めなかったが、越前市・鯖江市を一望し夜景の 想像に浸った。 その村国山の山麓に近い山腹に建つ興禅寺へと向かう。 ...続きを見る

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2015/12/20 09:27
行勧寺 (石川県白山市)
白山山麓にあって有数の豪雪地である白峰集落は重要伝統的建造物群 保存地区になっている。 そのほぼ中央地区に位置する行勧寺庫裡の屋根は<石置き木羽葺き> で、白峰集落で最後に残った屋根形態である。 <石置き木羽葺き>とは、薄く割った木の板を重ねて葺き、その上に石を 置いている形態で、豪雪地にかっては見られたが現在は少なくなっている。 行勧寺庫裡の屋根は、栗の木を厚さ2cmに割った小板で、毎年5月に板を 天日に乾かしながら裏表をひっくり返し葺き直す<くれ返し>を行っている。 庫裡は明... ...続きを見る

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2015/12/19 10:23
清水寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第85番
清水寺の開創は不詳であるが、丸根の地にあったといわれている。 元禄年間(1688〜1704年)、村の庄屋の家が全焼した時、村人が 丸根にあった観音像を当地に迎え堂宇を建立した。 それ以来、村の火災がなくなり、<火防せの観音>として信仰を 集めたといわれている。 堂宇が建てられたのが1695年で、清水寺は移転したことになる。 ...続きを見る

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2015/12/09 14:48
高徳寺 (三重県伊賀市) カゴノキ
伊賀市の南東に位置する高山集落の山手に、法面から乗り出すように カゴノキ(鹿子木)が集落を見下ろしている。 カゴノキの樹皮は鹿の子の斑紋に似ていることから鹿子木と名付けられた といわれている。 カゴが火護にあてられて、火災防護の縁起からお寺などに植えられている。 高徳寺のカゴノキは推定樹齢400年ほどといわれるが、樹勢は旺盛である。 ...続きを見る

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2015/12/07 09:31
正覚寺 (愛知県扶桑町)
尾張北部(尾北地方)にキリシタンが増えたのは、1615年宣教師が美濃を 中心に布教し、それが尾北にも浸透したことによるといわれている。 寛文年間(1661〜73年)のキリシタン迫害の嵐が尾北にも押し寄せ、 各地で処刑が行われ、特にお寺での処刑が多かったといわれる。 その1ヶ所が正覚寺で、キリシタン殉教史跡となっている。 ...続きを見る

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2015/12/06 12:29
東福寺 (静岡県湖西市)
東福寺に通称<お経守さま>という行事(大般若経祈祷会)が江戸時代から 集落の人々によって伝えられ、その保存会ができている。 <祈祷会が始まると、お経守(各地区の代表者)の自宅から持ちよった金蘭の 女帯とお札、経本をお盆にのせて各戸を廻る。この時は、どの家に入る際 無言のまま座敷に上がり、床の間にお札を置いてくる。> この<お経守さま>は<橋本大般若経お経守>として民俗文化財になっている。 ...続きを見る

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2015/12/04 09:30
一心寺 (岐阜県揖斐川町)
揖斐川の東岸に緩やかな稜線の城台山(城ヶ峰)中腹に建つ一心寺は、 1830年播隆上人が開創し晩年居住したといわれるお寺である。 播隆上人は、1823年北アルプス・笠ヶ岳(2898m)に登り、翌年山頂に 仏像を安置し笠ヶ岳を再興している。 (笠ヶ岳の初登頂は円空上人といわれている。) 1828年槍ヶ岳(3180m)に初登頂し、槍ヶ岳を開き槍ヶ岳開祖と 呼ばれている。 また、播隆上人は円空上人を尊崇し、円空の彫った観音像を背負って 諸国を行脚したといわれている。 一心寺には円空仏観... ...続きを見る

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2015/12/03 09:55
法雲寺 (福井県福井市大味町)
15世紀後半ころから蓮如上人が台頭すると、浄土真宗内の本願寺派と 高田派の抗争は激しくなり、それまで高田派が優位な位置にあったが、 それが逆転していく。 その状況の中で、高田派内において抗争が起こり、より一層高田派 の弱体化を進めてしまった。 その内部抗争の一人・真智は本山専修寺を追い出され、越前守護・ 朝倉義景の支援を得て、現在のあわら市熊坂に熊坂専修寺を開創している。 これが法雲寺の始まりである。 真智は熊坂専修寺こそが、高田派専修寺の本山だと主張していたが、 真智が158... ...続きを見る

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2015/12/01 19:52
建聖寺 (石川県小松市) 芭蕉ゆかりの寺
奥の細道紀行の途次、1689年7月24日(現代の暦9月7日)小松に到着した 芭蕉は句会を催し、4句を残している。 小松での滞在地の一つといわれるのが建聖寺である。 建聖寺には、芭蕉十哲の一人・立花北枝(この時、金沢で芭蕉を迎えている) が彫ったといわれる芭蕉木像と芭蕉が背負っていたつづらが残されている。 境内には芭蕉翁塚と句碑があり、門前には<はせを留杖ノ地>石柱が建っている。 ...続きを見る

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2015/12/01 09:25
桃牛寺 (愛知県新城市)
1575年織田・家康連合軍と武田勝頼軍が戦った<長篠の戦い>で、 武田軍に従った田峰城主・菅沼定忠と城所道寿は<田峰・菅沼家の惨劇> の張本人である。 その城所道寿の孫であり、田峰城の家老であった丸山九郎左衛門は家老を 辞し、1576年当地に来て、戦いの戦死者を弔うために庵を建てたのが 桃牛寺の始まりといわれている。 ...続きを見る

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2015/11/22 09:08
金剛座寺 (三重県多気町)
金剛山の山頂近くに建つ金剛座寺は、673年藤原鎌足の開創とも、 また680年鎌足の子・不比等の開創とも伝えられている。 四国霊場の志度寺とも深いゆかりのある古刹である。 幾多の災害や兵火により盛衰を繰り返したが、戦後には一時無住の 時期もあった。 1996年再興され今日に至っている。 山の上にある山寺然としたお寺で、住職の並大抵でない努力が計り知れる。 ...続きを見る

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2015/11/19 09:45
玄猷寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第84番
玄猷寺は、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提を弔うための祈願所として 開創されたと伝えられている。 <玄猷>の寺名は、夢窓国師が数多く与えられた国師号の一つ 玄猷国師から与えられている。 1600年曹洞宗のお寺として再興されている。 ...続きを見る

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2015/11/18 09:22
青龍寺 (静岡県御殿場市)
修験道の開祖といわれる役行者(役小角)は、699年人々を言葉で惑わして いるとの罪で伊豆大島に流された。 その間に島を抜け出て富士山に登り修行を続けたといわれ、その時に 麓の御殿場に青龍寺を開創したと伝えられている。 701年赦免されて奈良に戻るが、その年に亡くなったといわれている。 富士山の初登山者が役行者といわれる伝説がここから来ている。 ...続きを見る

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2015/11/16 14:42
密厳寺勧学院 (岐阜県神戸町) 日吉神社下宮の別当寺
岐阜県神戸(ごうど)町は817年比叡山日吉大社から御霊を分祀された 日吉神社から始まる。 現在も、日吉神社は七つの宮から成り、神戸町の中心に位置している。 この日吉神社の別当寺であったのが、神護寺善学院と密厳寺勧学院 であり、勧学院は下宮の別当寺であった。 現在の勧学院は日吉神社下宮の参道沿いに建つ。 典型的な神仏習合の神社・寺であった。 ...続きを見る

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2015/11/15 09:05
興徳寺 (福井県越前市)
戦国時代、長さ3mにもおよぶ刀を振るったといわれる越前朝倉氏の家臣・ 真柄十郎左衛門直隆は、講談・落語などにも登場する豪剣無双の武士で、 1570年朝倉・浅井軍と織田・徳川軍が戦った姉川合戦において、大太刀 を振るって奮戦したが、討ち死している。 真柄氏が使ったといわれる大太刀は熱田神宮などに現存している。 十郎左衛門は真柄氏の菩提寺・興徳寺に葬られている。 ...続きを見る

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2015/11/14 09:59
林西寺 (石川県白山市)
奈良時代の修験道僧・泰澄大師は717年白山に登り、妙理大菩薩を 感得し、白山信仰を開創したと伝えられ、白山といえば泰澄大師と いわれる存在である。 この白山信仰開創時に、白山麓の白峰に草庵を築いたといわれ、 これが林西寺の始まりとされている。 719年以降は各地を巡り、仏教の布教活動を勧めている。 ...続きを見る

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2015/11/13 09:36
円通寺 (愛知県名古屋市熱田区)
熱田神宮は景行天皇43年(113年)に日本武尊が開創したと伝えられ、 その際、火除けの神(秋葉権現)がこの地に出現したといわれる。 この秋葉権現を祀った秋葉社の地が円通寺の地と伝承され、811年 弘法大師空海がこの地に十一面観音を祀ったのが円通寺の始まりと いわれている。 ...続きを見る

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2015/11/04 08:59
報恩寺 (岐阜県大垣市) 円空仏
円空は1632年美濃に生まれ、出家して全国を巡る廻国僧として多数の 円空仏を刻み、1695年美濃関で亡くなっている。 現在、5300体以上の円空仏が残り、岐阜県には1000体程が残されている。 その中にあって、報恩寺の薬師三尊と十二神将像の15体は完形で残され、 貴重な資料となっている。 ...続きを見る

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2015/10/31 21:58
浄眼寺 (三重県松阪市)
鎌倉時代末期から台頭した北畠氏は伊勢の国司として伊勢を支配し、 戦国時代になると戦国大名としても勢力を誇示したが、1582年には 伊勢国司としての北畠氏は滅亡している。 その北畠氏の菩提寺が浄眼寺である。 ...続きを見る

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2015/10/29 09:02

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