テーマ:京都のお寺

宝鏡寺 <人形寺>(京都市上京区) 尼門跡

京都市上京区にある宝鏡寺は、応安年間(1368~75年) に光厳天皇皇女・恵厳禅尼が景愛寺の子院・建福尼寺に聖観音 を祀って宝鏡寺として開創したのが始まりである。 景愛寺は当時尼五山の筆頭で無外如大禅尼によって1277年 開創されている名刹であったが1498年焼失し再興されず、 宝鏡寺はその景愛寺の法燈を引き継いで今日に至って…
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妙蓮寺 (京都市上京区) 

京都府上京区寺之内通にある妙蓮寺は、1295年造り酒屋の柳屋 中興の帰依を得て日像上人が開創した京都最初の法華宗寺院である。 当初は妙法蓮華寺として始まったが、1394年妙蓮寺として再興 される。 1587年豊臣秀吉の都市整備に伴い、現在地に移転している。 この秀吉の計画により、今日の寺町通・寺之内通の寺院群がある。 町…
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本満寺 (京都市上京区) 

京都市上京区寺町通に面してある本満寺は、1410年関白近衛家 の日秀上人によって新町通今出川にあった近衛家邸宅内に開創され たと伝えられている。 その後、1539年天文法華の乱により焼失し、現在地に再興され たと伝えられている。この再興については異説もある。 幾度となく火災に遭いながら、その都度再建され、1751年将軍 徳川…
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立本寺 (京都市上京区) 

京都市上京区にある立本寺は、1321年日像上人が開いた 妙顕寺龍華院が始まりと伝えられているが、開創については 異説もある。 山号を具足山と称し、三具足山(妙顕寺、妙蓮寺、立本寺) の一つに数えられる。 宝永の大火後、現在地に移転し現在に至る。 その時建立された堂宇は京都市文化財に指定されている。 毎月8日に安産・子育…
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京都市北区・上京区のお寺一覧

<京都のお寺総覧> <京都市北区> 金閣寺(鹿苑寺):世界遺産 大徳寺:臨済宗大徳寺派大本山  <大徳寺塔頭>  興臨院:加賀藩主前田家の菩提寺  高桐院:細川三斎とガラシャ夫人の菩提寺 通常公開  大仙院:大徳寺北派本庵  通常公開  芳春院:加賀藩主前田利家の妻まつの菩提寺  龍源院:大徳寺南派本庵 通常公開 …
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廬山寺(京都市上京区)

紫式部の住宅跡と伝えられる廬山寺は、節分会の<鬼の法楽>でも 賑わうお寺である。 紫式部の世界最古の長編小説<源氏物語>が世に出て千年の今年 2008年は<源氏物語千年紀>で、京都・大津を始め全国で いろいろな催しが行われる。 京都では、ここ盧山寺を始め紫式部ゆかりの地を巡る観光ルートも 設けられている。 庭園は<源氏の庭…
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京都のお寺総覧

京都のお寺を紹介 <世界遺産 古都京都の文化財 お寺> 東寺<教王護国寺>(南区)    清水寺(東山区)   延暦寺(滋賀県大津市)      醍醐寺(伏見区)   仁和寺(右京区)         平等院(宇治市)  高山寺(右京区)         天龍寺(右京区)   金閣寺<鹿苑寺>(北区)     銀閣寺…
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妙顕寺(京都市上京区)

寺之内界隈は寺町通とともにお寺の集中した寺院街であるが、 その中にあって京都で最初に日蓮宗の道場が開かれた妙顕寺 はその風格を今も伝えている。 尾形光琳・乾山兄弟の菩提寺であり、そのお墓は塔頭泉妙院 にある。 また光琳が設計したと伝わる<光琳曲水の庭>が書院の前に ひろがる。 <京都市上京区のお寺一覧> (1)寺…
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妙覚寺(京都市上京区)

妙覚寺の位置する寺之内界隈は日蓮宗を始め数多のお寺が集中してあり、 寺町通とともにお寺街を形成している。 これは、秀吉時代に京の町を整備するにあたり計画的にお寺を配置した ものである。 寺之内界隈に日蓮宗が多いのは、町衆の多くの信者がこの地域に集中し ていることと表裏の関係にある。 織田信長の京での常宿は妙覚寺で、本能寺…
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本法寺(京都市上京区)

茶道家元の表千家と裏千家に向かい合って建つ本法寺は日蓮宗本山の ひとつで、本阿弥光悦など本阿弥家の菩提寺であるとともに、 桃山時代の大画家長谷川等伯と縁の深いお寺である。 長谷川等伯は能登から京へ出てきた時、本法寺の塔頭教行院に住し、 住職の日通上人や千利休と親交を深め、中央画壇への進出の礎を 築いていった。 一方、…
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釘抜地蔵<石像寺>(京都市上京区)

上京区はお寺の多い街であるが、その中で庶民の信仰に支えられて 歴史を生き抜いてきたお寺も多く、釘抜地蔵はその典型的な存在である。 もともとは<諸々の苦しみを抜き取る>という信仰から<苦抜地蔵>と 呼ばれていたが、いつしかそれが訛って<釘抜地蔵>になったと いわれている。 今もその信仰は篤く、いつもお参りの人が絶えないお地蔵さん…
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相国寺(京都市上京区) 臨済宗相国寺派大本山

室町幕府第3代将軍の足利義満は、京都御所の北に一大禅宗伽藍を 建立することを1382年に発願する。 義満としては、南北朝も終焉し幕府の威光をより一層高める象徴と して大伽藍の創建を急いだ。 10年後には大伽藍が完成し、1399年には高さ106mの 七重塔を完成させている。 相国寺は京五山の第二位に列せられ、宗教政策の中心…
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千本閻魔堂<引接寺>(京都市上京区)

百人一首の歌<わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ  海人の釣舟>の歌人小野篁(おののたかむら)が開基といわれる千本 閻魔堂は、山門もない街中の小さなお寺であるが、精霊迎えの根本道場 としてかっては栄えた。 5月に行われる<千本閻魔堂狂言>は京都三大念仏狂言のひとつ として貴重な文化財でもある。 <京都三大…
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千本釈迦堂<大報恩寺>(京都市上京区)

京都で<大報恩寺>と聞いてもほとんどの人が首をかしげるが、 <千本釈迦堂>というと<ああ~あそこかいな>と頷いてくれる。 京都にはこのような通称名でないと通じないお寺が多く、正式名は パンフレットや案内書などでも使われないのがほとんどである。 金閣寺<鹿苑寺>、銀閣寺<慈照寺>、東寺<教王護国寺>、 西本願寺<本願寺>、東本願…
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清浄華院(京都市上京区) 法然上人ゆかりの寺

京都の通りでお寺の多い通りは、清浄華院が位置する寺町通と寺之内通 であるが、これは豊臣秀吉の京都改造にともないお寺が移転させられた 結果である。 平安時代末期、法然上人は後白河法皇や高倉天皇に戒を授ける時に、 清浄華院を宿舎として利用し、後に後白河法皇は清浄華院を法然上人を 中興開山として浄土宗の寺とし、上人に与えている。…
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阿弥陀寺(京都市上京区) 織田信長の墓

織田信長の墓と伝えられるものは全国10数か所あるといわれている。 <阿弥陀寺(京都市上京区)、本能寺(京都市中京区),大雲院(京都市東山区)、 総見院(京都市北区)、玉鳳院(京都市右京区)、高野山(和歌山県)、 安土城跡(滋賀県安土町)、本源院(大阪府堺市)、瑞龍寺(富山県高岡市)、 崇福寺(岐阜県岐阜市)、西山本門寺(静岡県芝…
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大仙院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 通常公開

大仙院は1509年の開創で、大徳寺塔頭の中でも北派本庵として 尊重される名刹であり、非公開が多数を占める塔頭の中でも、 数少ない公開塔頭(ただし、撮影不可)である。 沢庵和尚が宮本武蔵に剣道の極意を教えた所として、前住職の 尾関宗園の法話などの名物和尚が輩出しているお寺である。 <京都市北区のお寺一覧> (1)寺名:…
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龍光院(京都市北区) 大徳寺塔頭 通常非公開

龍光院は非公開塔頭で、多くの文化財が拝観できない残念な塔頭 福岡藩主黒田長政が、父如水の菩提を弔うために建立した塔頭で、 数多くの文化財を擁している。 <京都市北区のお寺一覧> (1)寺名:龍光院(りょうこういん) (2)住所:京都市北区紫野大徳寺町14  (3)宗派:臨済宗大徳寺派(大徳寺塔頭)  (4)開山:春…
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地蔵院 (京都市北区) 椿寺

京都市北区大将軍にある地蔵院は、726年行基によって伊丹市の 昆陽池の辺に開創されたと伝えられている。 1391年火災で焼失し、足利義満によって京都衣笠に移され、さら に豊臣秀吉の京都改造計画により現在地に再興されたといわれる。 1587年北野大茶会の折、宿となった地蔵院に、加藤清正が朝鮮 から持ち帰ったといわれる五色八重…
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総見院 (京都市北区) 織田信長の菩提寺

京都市北区にある大徳寺には、2ヶ寺の別院と22ヶ寺の塔頭があるが、 その一つ総見院は、1583年織田信長の一周忌追善供養に豊臣秀吉によって 開創され、信長一族の菩提寺となった。 当初は、同じ塔頭の黄梅庵が信長の父・信秀の菩提寺であったことから信長の 墓所として黄梅庵を改築したが、あまりにも狭いとのことで一周忌に総見院を 創建し…
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瑞峯院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺・塔頭22ヶ寺があり、 その塔頭の一つ瑞峯院は、1535年九州のキリシタン大名・ 大友宗麟によって開創され、宗麟夫妻の菩提寺となっている。 大友宗麟は戦国時代の九州最強の大名として君臨したが、薩摩 ・島津義久に敗れ豊臣秀吉の下では豊後一国の大名にまで衰退 した。 1551年豊後へ布教のため…
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玉林院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 山中鹿之助の菩提寺

京都市北区にある大徳寺の塔頭・玉林院は、1603年後陽成天皇の侍医・ 曲直瀬正琳が月岑宗印を開山に正琳院として開創された。 1609年大部分が焼失したが、1621年には再興され<琳>を分解して 玉林院と号した。 1742年には、戦国大名・尼子氏の家臣で<山陰の麒麟児>と呼ばれた 山中鹿之助の末裔といわれる富豪・鴻池氏が山中…
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真珠庵 (京都市北区) 一休禅師ゆかりの大徳寺塔頭

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺塔頭22ヶ寺があり、 大徳寺四派の一つ真珠派本庵の真珠庵は、1429~41年の間に 一休禅師(1394~1481)を開山に創建されたが、応仁の乱で 焼失し1491年堺の豪商尾和宗臨によって再興された。 真珠庵は文化財の宝庫であるが、<重文>方丈(本堂)の障壁画は 特に注目されている。 曽我…
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龍源院(京都市北区) 大徳寺古参の塔頭 四つの庭園

龍源院は1502年能登の畠山義元などによって開創された大徳寺でも 古い塔頭で、大徳寺南派の本庵(北派本庵は大仙院)である。 方丈・表門・玄関は1517年頃の創建当初のもので、なんと言っても 方丈の周囲に展開する四つの庭園が見どころである。 北と南の異なる趣を持つ庭園に接して何を考えるか。 また、寺宝として秀吉と家康が対局し…
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高桐院(京都市北区) 庭園がすばらしい大徳寺塔頭

高桐院は1602年細川忠興(三斎)が開創した大徳寺塔頭で、 細川家の菩提寺でもある。 細川忠興の正室はかのガラシャ夫人であり、忠興は知将・文化人 ・茶人として戦国・桃山・江戸時代を生き抜いた武将であり、 熊本藩の礎を築いた豊前小倉藩初代藩主である。 茶人としての細川三斎は千利休の一番高弟で、利休七哲の一人に あげられ…
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興臨院(京都市北区) 大徳寺塔頭

興臨寺は大永年間(1521~28年)に能登守護大名畠山義総 (よしふさ)によって開創された大徳寺塔頭である。 能登畠山氏は1408年~1577年上杉謙信に滅ぼされるまで 170年間も続いた能登の名門であり、特に第7代当主畠山義総 は名君といわれ、城下町七尾は小京都といわれるほどに繁栄し、 能登畠山氏の最盛期を築いた。 義…
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宗蓮寺 (京都市北区中川) 北山大台杉

周山街道(国道162号)を北へ京北に向けて走ると、2000年 に開通した中川トンネル(1700m)が見えてくる。 その手前を右折し、朝霧の中、清滝川沿いの旧周山街道を走る。 中川北山町に入って直ぐに右折し、山沿いの参道を進む。 まもなく<北山大台杉>が目に飛び込んでくる。 台杉とは、地上から数mの幹から何本もの細い杉が伸びてお…
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源光庵 (京都市北区) 悟りと迷いの窓

底冷えのする本堂に座って<悟りの窓>と<迷いの窓>から望む風景と <血天井>には少なからず底冷え以上の冷気を感じる。 紅葉や新緑の時期に感じる空気との大きな違いであるが、冷気の中での 真の悟りと迷いについてそれなりの思考が自然とわき起こる。 冬の参拝者が少ないのは致し方ないであろうが、このお寺こそ冬に 訪れて本堂に座してみ…
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正伝寺(京都市北区) 比叡山を借景とする庭園

京都で比叡山を借景にした庭園としては、修学院離宮、円通寺、正伝寺の 名前が浮かんでくる。 円通寺と正伝寺の庭園は、借景が比叡山であることが大前提の庭園である。 正伝寺の血天井は、関ヶ原の戦いの前に伏見桃山城で徳川の重鎮鳥居元忠 以下1200余名が割腹した時の廊下の一部を移したもので、他にも 源光庵(北区)、宝泉院(左京区)…
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上品蓮台寺(京都市北区) 仏師定朝の墓

仏師定朝(~1057年)は日本を代表する仏師で、和様の仏像を 完成させ、造像技法の革新により仏像の大量製造や大きな仏像 の造像を可能にした。 文献上は多数の仏像が知られているが、現存する仏像は平等院の 本尊<国宝>阿弥陀如来座像があるのみで、同じく平等院の <国宝>雲中供養菩薩が定朝およびその工房の作と見られている。 造像技…
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