テーマ:庭園

真珠庵 (京都市北区) 一休禅師ゆかりの大徳寺塔頭

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺塔頭22ヶ寺があり、 大徳寺四派の一つ真珠派本庵の真珠庵は、1429~41年の間に 一休禅師(1394~1481)を開山に創建されたが、応仁の乱で 焼失し1491年堺の豪商尾和宗臨によって再興された。 真珠庵は文化財の宝庫であるが、<重文>方丈(本堂)の障壁画は 特に注目されている。 曽我…
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霊雲院 (京都市右京区) 妙心寺塔頭

京都市右京区にある妙心寺の塔頭は46ヶ寺あり、妙心寺四派本庵の 一つ霊雲院は、細川氏の重臣で摂津守護代の薬師寺国長の妻清範尼 の援助のもと大休宗休が師である特芳禅傑を勧請開山として1526年 に開創された。 <妙心寺四派本庵:龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院> (1)寺名:霊雲院(れいうんいん) (2)住所:京都市右京区…
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衡梅院(京都市右京区) 妙心寺塔頭

京都市右京区にある妙心寺には46ヶ寺の塔頭があり、その一つの 衡梅院は、1480年室町幕府の管領細川政元が妙心寺の中興開山と いわれる雪江宗深を開山として創建した。 雪江宗深は応仁の乱後、荒廃した妙心寺を再興し、<米銭納下帳> という帳簿を作成し財政面からの再建を図った。これが<妙心寺の算盤づら> と呼ばれる遠因になっている。…
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大心院 (京都市右京区) 妙心寺塔頭

京都市右京区にある妙心寺には46ヶ寺の塔頭があり、その一つ 大心院は1479年細川政元が妙心寺第10世景川宗隆を開山に迎えて、 相国寺の西に創建し、後に細川幽斎が妙心寺山内に移して再興した。 細川政元(1466~1507年)は室町幕府の管領で、細川京兆家の 当主であるが、実子がなく3人の養子を迎えたが、家督争いになり 家臣…
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大法院 (京都市右京区) 妙心寺塔頭

京都市右京区にある妙心寺の塔頭は46ヶ寺あり、その一つの 大法院は1612年信濃松代初代藩主真田信之の孫長姫によって、 信之の菩提を弔うために開創された。 真田信之は真田幸村の兄で、真田昌幸の長子であるが、昌幸・幸村 親子は豊臣家に、信之は徳川家について別れたが、信之の政治的手腕 で真田家は存続し、信濃松代藩の藩主として明治維…
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大雄院 (京都市右京区) 妙心寺塔頭

京都市右京区にある妙心寺塔頭は46ヶ寺あり、 大雄院は1603年尾張藩家老石河光忠が父親の菩提を弔うために 開創され、歴代石河家の菩提寺となっている塔頭である。 住職の石河正久氏が研究開発した<蚕繭紙>は特に有名である。 通常は非公開であるが、特別公開時に趣のある庭園を拝観できる。   (1)寺名:大雄院(だいおういん) (…
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阿波国分寺(徳島県徳島市) 四国八十八ヶ所霊場第15番

徳島県徳島市国府町にある四国八十八ヶ所霊場第15番の阿波国分寺は、 741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ国68ヶ寺の国分寺が設置され、 阿波国分寺も756年までには創建されていたといわれている。 その後、衰退再興を繰り返し、1741年に徳島藩主蜂須賀氏により 再建され、今日に至っている。 境内には、創建時の七重塔心礎が残され…
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天授庵(京都市左京区) 南禅寺塔頭

京都市左京区の東山山麓に位置する南禅寺の塔頭天授庵は 1339年南禅寺の開山無関普門の塔所として開創され、その後 細川幽斎(1534~1610年)によって再興され、幽斎の菩提寺と なっている。 <重文>方丈障壁画32面は長谷川等伯により1602年制作されて いる。残念ながら非公開になっている。 庭園は枯山水の方丈(本堂)前庭…
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永観堂 <禅林寺>(京都市左京区) 浄土宗西山禅林寺派総本山

京都市左京区の東山山麓にある永観堂はこの時期、境内全体が 朱を中心とした多彩な色で染まり、緑の残る東山と絶妙のコントラス を展開する。<秋はもみじの永観堂> 永観堂は通称名で、正式には浄土宗西山禅林寺派総本山の 禅林寺で853年に開創されている。 当初は真言宗であったが、12代住職・静遍上人が法然上人に帰依し、その後 浄土宗…
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百済寺(滋賀県東近江市) 紅葉の風景

滋賀県東近江市にある紅葉の名所湖東三山(百済寺、金剛輪寺、西明寺) のひとつ百済寺に11月14日お参りしたが、紅葉には少し早かった。 陽当たりの良いところは紅葉していたが、本堂近くは未だしであった。 <百済寺 湖東三山>クリック参照                       拝観入口               …
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曼殊院(京都市左京区) 天台五箇室門跡

曼殊院は京都市左京区一乗寺にある門跡寺院で、天台五箇室門跡の ひとつで、五筋の築地塀に囲まれた風格の漂うお寺である。 <天台五箇室門跡:三千院、青蓮院、曼殊院、妙法院、毘沙門堂> <国宝>黄不動像(画)は三井寺(大津市)の<国宝>黄不動の模写で 、最も優れた模写として国宝に指定されている。 黄不動は青不動、赤不動と共に三大…
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詩仙堂(京都市左京区) ししおどしの元祖

京都市左京区にある詩仙堂は、江戸時代初期の徳川家家臣であり、 文人である石川丈山(1583~1672年)が1641年隠居のために 創建した山荘で、現在は詩仙堂丈山寺として曹洞宗の禅寺である。 庭園は丈山自身の設計になり、サツキの刈り込みと紅葉を主体とする 枯山水式になっているが、奥に池泉回遊式庭園が造られ、庭園様式の 全て…
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浄瑠璃寺(京都府木津川市)

宝池を中心とした浄土式庭園の東(此岸)に薬師如来を本尊とする三重塔、 西(彼岸)に九体阿弥陀如来を本尊とする阿弥陀堂(本堂)とまさに浄土を 連想さす風景が浄瑠璃寺そのものである。 平等院(京都府宇治市)、白水阿弥陀堂(福島県いわき市)と浄土式庭園を代表する 浄瑠璃寺は文化的には奈良の影響が強いが、お寺の境内構想は平安そのものであ…
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円光寺(京都市左京区) 徳川家康創建の寺

京都市左京区の一乗寺にある円光寺は、1601年徳川家康によって 京都伏見に学校として創建された。 その後、相国寺境内への移転を経て1667年現在地に再興された。 伏見時代には多くの書籍を刊行し、その時使用された木活字5万個が残って おり、出版文化史上貴重な資料である。 明治時代以降臨済宗南禅寺派の尼僧修学道場であった。 …
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金福寺(京都市左京区) 芭蕉・蕪村ゆかりの寺

京都市左京区の一乗寺にある金福寺は芭蕉がよく訪れたお寺で、 その後蕪村などが俳諧の集いをこのお寺で行っている。 また、蕪村は芭蕉庵を再興し句を残しており、蕪村の墓もある。 芭蕉の句<うき我をさびしがらせよ閑古鳥> 蕪村の句<耳目肺腸ここに玉巻く芭蕉庵> 庭園はサツキの枯山水庭園である。 (1)寺名:金福寺(こんぷ…
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鹿王院(京都市右京区) 嵐山を借景とする庭園

京都市右京区の鹿王院は臨済宗の禅寺で、1380年足利義満によって 開創された宝幢寺の塔頭として始まる。 応仁の乱で宝幢寺は廃絶し、鹿王院のみが残り宝幢寺を引き継いでおり、 多数の文化財を有している。 庭園は嵐山を借景とする枯山水庭園で、苔の緑が鮮やかで静かな風景を 展開している。 また、女性専用の宿坊もあり、坐禅を体験す…
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興聖寺(滋賀県高島市)

若狭小浜から京都へ魚介類(鯖が多かった)を運んだ街道<鯖街道>の中間に 位置する朽木の里にある興聖寺は、曹洞宗開祖道元禅師が1237年近江守護職 佐々木信綱の招請によって開創された禅寺である。 1729年当初開創された上柏村から現在の地にあった秀隣寺に移ってきて 今日にいたっている。 旧秀隣寺にあった庭園は、1528年足利12…
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龍潭寺(静岡県浜松市) 浜名湖湖北五山 <名勝>庭園

龍潭寺は733年行基によって開創されたと伝えられており、当初は 地蔵寺と呼ばれたが、平安時代11世紀に井伊谷に根拠を構えた 井伊氏の始祖共保が1093年亡くなり葬られて自浄寺となった。 これ以降井伊氏の菩提寺になり、1500年代前半20代井伊直平の 帰依により黙宗禅師を開山として臨済宗になり、1560年龍潭寺と 改名した。 …
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三室戸寺(京都府宇治市) その1 花の寺

三室戸寺は西国三十三所観音霊場第10番であると同時に花の寺としても 親しまれている。 5月は2万株のツツジ、千本のシャクナゲ 6月は1万株のアジサイ 7月はハス 秋は紅葉 それに木々に囲まれた新緑の境内 1年中色とりどりの風景を醸し出す境内と庭園をちょっと覗いてみよう。                    …
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金剛輪寺(滋賀県愛荘町) 湖東三山

金剛輪寺は741年行基によって開創されたと伝えられているが、 800年代の中頃慈覚大師円仁によって再興され、多くの近江の寺院と 同様に天台宗となっている。 その後、織田信長の兵火により本坊などは罹災したが、山腹にある本堂・ 三重塔は兵火から免れた。 金剛輪寺は<西明寺、 百済寺>とともに湖東三山と呼ばれ、紅葉の 名所にな…
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大福寺<浜名薬師>(静岡県浜松市) 浜名湖湖北五山 浜名納豆の元祖

大福寺は875年鳳来山に開創された幡教寺が始まりと伝えられているが、 1209年に現在地に移転に移転して大福寺とした。 中国の僧から伝来された大福寺納豆は浜名納豆の元祖で、江戸時代中期 から浜名納豆と呼ばれている。 庭園は広大な(900坪)池泉鑑賞式庭園で、茶の湯者山田宗徧が こよなく愛したといわれている。 …
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摩訶耶寺(静岡県浜松市) 浜名湖湖北五山 中世の庭園

摩訶耶寺の庭園は鎌倉時代1240年頃作庭といわれる中世を代表する 庭園と評価されている。<調査に基づき復元> 池の地割り・築山構造・石組の調和が精神的な世界を表現している。 広々とした庭園と借景の山並みが醸し出す風景は明るく雄大な気持ちを 湧き起こさせてくれる。 <浜名湖 湖北五山>参照 <静岡県のお寺>クリック参照…
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教林坊(滋賀県近江八幡市安土町) 紅葉の庭園

教林坊は西国三十三所観音霊場第32番観音正寺の塔頭で、 観音正寺のある繖山(きぬがさやま)の麓にある庭園と紅葉の お寺で、最近観光客が多くなっている。 紅葉の時期にはライトアップも行われている。 <滋賀県湖東のお寺一覧>参照 (1)寺名:教林坊(きょうりんぼう)  (2)住所:滋賀県近江八幡市安土町石寺1145 (…
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金剛輪寺(滋賀県愛荘町) その2

湖東三山 紅葉の名所 紅葉の風景                               境内の紅葉                                境内の紅葉 …
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三室戸寺(京都府宇治市) 2万株のツツジと1千本のシャクナゲ

年に2,3回は訪れる三室戸寺が年々変化していく風景を楽しみに すると同時に、どこまで花木を増やすのだろうと少々心配する気持ち もある。樹木に囲まれた西国三十三所観音霊場の風景が失われは しないかと。 緑と花木の鮮やかな色が織り混ざった風景を失わないで欲しいと 願いつつ、今日は境内の隅から隅まで歩いてみた。 その中からツツ…
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称名寺(神奈川県横浜市) 浄土式庭園

称名寺は鎌倉幕府執権北条氏の一族である金沢北条氏の祖である北条実時 (1224~1276年)が開創したお寺であるが、その時期は不詳である。 1258年実時が建てた持仏堂(阿弥陀堂)が起源と伝えられているが、 1267年下野薬師寺の審海を開山として真言律宗の寺となっている。 以後、金沢北条氏の菩提寺となった。 実時の孫北条貞…
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真如堂<真正極楽寺>(京都市左京区) うなずきの弥陀

慈覚大師円仁が如来を彫って比叡山の修行者の本尊として祀ろうとすると 如来は三度首を振って拒否した。 そこで、<京の都に下って衆生を導き、特に女人を救ってください>と円仁が 言うと如来はうなずき、白毫をいれずに常行堂に安置したと伝承されている。 これから、阿弥陀如来立像は<うなずきの弥陀>と呼ばれている。 984年比叡山の戒算上…
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円満院(滋賀県大津市) 大津絵美術館の寺

江戸時代初期、大津宿追分で絵師や画商が軒を連ねて売っていた 仏画などの民画(鬼の念仏、藤娘、座頭、槍持奴など)で、日本の 代表的な民画である。 芭蕉の<大津絵の筆のはじめは何仏>などにも読まれている。 この大津絵を収集し展示しているのが円満院の大津絵美術館である。 <滋賀県大津市のお寺>をクリック参照 (1)寺名:円…
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南宗寺(大阪府堺市) 千利休ゆかりの寺

南宗寺は河内飯盛城主の三好長慶が父元長の菩提を弔うために、1557年 大徳寺の大林宗套を開山に迎え現在の堺市宿院町付近に開創した。 1615年大阪夏の陣で堺市街ともども罹災し、当時の住職であった 沢庵宗彭によって現在地に移転再興され、江戸時代は堺の文人サロンと して堺の文化興隆に貢献した堺の名刹である。 宿院で生まれた宗易…
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神泉苑(京都市中京区) 平安京の禁苑

794年平安京遷都と同時に、大内裏の南に南北400m東西200m の禁苑(天皇のための庭園)神泉苑が設けられ、天皇や廷臣の宴遊 の場となった。 824年ここで祈雨の競争があり、東寺の空海が勝ったので神泉苑は 東寺の管轄となった。 その後、神泉苑では祈雨や御霊会などが頻繁に行われている。 869年には祇園社の御霊会が行われ、こ…
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