瑞峯院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺・塔頭22ヶ寺があり、 その塔頭の一つ瑞峯院は、1535年九州のキリシタン大名・ 大友宗麟によって開創され、宗麟夫妻の菩提寺となっている。 大友宗麟は戦国時代の九州最強の大名として君臨したが、薩摩 ・島津義久に敗れ豊臣秀吉の下では豊後一国の大名にまで衰退 した。 1551年豊後へ布教のため…

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玉林院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 山中鹿之助の菩提寺

京都市北区にある大徳寺の塔頭・玉林院は、1603年後陽成天皇の侍医・ 曲直瀬正琳が月岑宗印を開山に正琳院として開創された。 1609年大部分が焼失したが、1621年には再興され<琳>を分解して 玉林院と号した。 1742年には、戦国大名・尼子氏の家臣で<山陰の麒麟児>と呼ばれた 山中鹿之助の末裔といわれる富豪・鴻池氏が山中…

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真珠庵 (京都市北区) 一休禅師ゆかりの大徳寺塔頭

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺塔頭22ヶ寺があり、 大徳寺四派の一つ真珠派本庵の真珠庵は、1429~41年の間に 一休禅師(1394~1481)を開山に創建されたが、応仁の乱で 焼失し1491年堺の豪商尾和宗臨によって再興された。 真珠庵は文化財の宝庫であるが、<重文>方丈(本堂)の障壁画は 特に注目されている。 曽我…

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龍源院(京都市北区) 大徳寺古参の塔頭 四つの庭園

龍源院は1502年能登の畠山義元などによって開創された大徳寺でも 古い塔頭で、大徳寺南派の本庵(北派本庵は大仙院)である。 方丈・表門・玄関は1517年頃の創建当初のもので、なんと言っても 方丈の周囲に展開する四つの庭園が見どころである。 北と南の異なる趣を持つ庭園に接して何を考えるか。 また、寺宝として秀吉と家康が対局し…

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高桐院(京都市北区) 庭園がすばらしい大徳寺塔頭

高桐院は1602年細川忠興(三斎)が開創した大徳寺塔頭で、 細川家の菩提寺でもある。 細川忠興の正室はかのガラシャ夫人であり、忠興は知将・文化人 ・茶人として戦国・桃山・江戸時代を生き抜いた武将であり、 熊本藩の礎を築いた豊前小倉藩初代藩主である。 茶人としての細川三斎は千利休の一番高弟で、利休七哲の一人に あげられ…

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興臨院(京都市北区) 大徳寺塔頭

興臨寺は大永年間(1521~28年)に能登守護大名畠山義総 (よしふさ)によって開創された大徳寺塔頭である。 能登畠山氏は1408年~1577年上杉謙信に滅ぼされるまで 170年間も続いた能登の名門であり、特に第7代当主畠山義総 は名君といわれ、城下町七尾は小京都といわれるほどに繁栄し、 能登畠山氏の最盛期を築いた。 義…

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伊賀市のお寺一覧 (三重県)

三重県伊賀市は奈良・京都に近いこともあり、仏教文化が栄えた。 芭蕉の故郷でもある。 主なお寺を紹介 <三重県のお寺一覧> <伊賀市のお寺> 伊賀国分寺跡:聖武天皇詔の国分寺 新大仏寺:東大寺ゆかりの寺 観菩提寺:正月堂 西蓮寺:真盛上人ゆかりの寺 常福寺:五大明王 宝厳寺:十一面観音 愛染院<願成寺>:芭蕉…

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治田地蔵磨崖仏 (三重県伊賀市治田) 名張川沿いの磨崖仏

三重県伊賀市と奈良県山添村の県境を流れる名張川と支流・与野川の 合流地点にあって、伊賀市側(右岸)の巨岩に、地蔵菩薩と十王像が 刻まれた磨崖仏が<治田(はった)地蔵磨崖仏>である。 所在地は伊賀市治田であるが、拝観するには対岸の山添村中峰山から がお薦めである。そこには、8千年前の大川(おおこ)遺跡を整備 した<カントリー…

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宗蓮寺 (京都市北区中川) 北山大台杉

周山街道(国道162号)を北へ京北に向けて走ると、2000年 に開通した中川トンネル(1700m)が見えてくる。 その手前を右折し、朝霧の中、清滝川沿いの旧周山街道を走る。 中川北山町に入って直ぐに右折し、山沿いの参道を進む。 まもなく<北山大台杉>が目に飛び込んでくる。 台杉とは、地上から数mの幹から何本もの細い杉が伸びてお…

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三重県のお寺一覧

三重県のお寺を紹介  津市、松阪市のお寺  伊賀市のお寺  東林寺(いなべ市):白滝  行順寺(いなべ市):蓮如上人ゆかりの寺  聖宝寺(いなべ市):浄土庭園  長楽寺(いなべ市):樅の木  光蓮寺(いなべ市):梅戸城主の菩提寺  覚通寺(いなべ市):寄せ燈籠  源盛院(木曽岬町):芭蕉句碑  了清寺(木…

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長泉寺 (三重県伊賀市小杉)

伊賀市北東部の小杉地区にあって、整備された広域農道・伊賀 コリドールロード沿いに建つのが長泉寺である。 コリドールロード小杉に、大きな二つの岩(磐座)と大岩谷 地蔵尊があり、そこを丘へ長泉寺参道が続く。 この辺りは蛍が生息し、長泉寺で<小杉ほたるまつり>が行われ 地域活性化に一役買っているそうだ。 <伊賀市のお寺一覧> …

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源光庵 (京都市北区) 悟りと迷いの窓

底冷えのする本堂に座って<悟りの窓>と<迷いの窓>から望む風景と <血天井>には少なからず底冷え以上の冷気を感じる。 紅葉や新緑の時期に感じる空気との大きな違いであるが、冷気の中での 真の悟りと迷いについてそれなりの思考が自然とわき起こる。 冬の参拝者が少ないのは致し方ないであろうが、このお寺こそ冬に 訪れて本堂に座してみ…

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正伝寺(京都市北区) 比叡山を借景とする庭園

京都で比叡山を借景にした庭園としては、修学院離宮、円通寺、正伝寺の 名前が浮かんでくる。 円通寺と正伝寺の庭園は、借景が比叡山であることが大前提の庭園である。 正伝寺の血天井は、関ヶ原の戦いの前に伏見桃山城で徳川の重鎮鳥居元忠 以下1200余名が割腹した時の廊下の一部を移したもので、他にも 源光庵(北区)、宝泉院(左京区)…

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上品蓮台寺(京都市北区) 仏師定朝の墓

仏師定朝(~1057年)は日本を代表する仏師で、和様の仏像を 完成させ、造像技法の革新により仏像の大量製造や大きな仏像 の造像を可能にした。 文献上は多数の仏像が知られているが、現存する仏像は平等院の 本尊<国宝>阿弥陀如来座像があるのみで、同じく平等院の <国宝>雲中供養菩薩が定朝およびその工房の作と見られている。 造像技…

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等持院(京都市北区) 足利尊氏の菩提寺

足利尊氏は1341年等持寺を創建し、2年後現在地に別院北等持寺 を建て、尊氏死後、北等持寺を等持院とし、墓所となった。 応仁の乱で等持寺が焼失し、等持院が本寺となった。 足利尊氏は後醍醐天皇に反逆したとして、江戸時代から特に明治時代 から逆賊扱いされてきたが、戦後の歴史観の変遷を経て再評価される ようになった。 京都の時…

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岡崎市、豊田市、豊橋市のお寺一覧 (愛知県)

岡崎市、豊田市、豊橋市のお寺一覧 滝山寺(岡崎市):滝山東照宮 大樹寺(岡崎市):松平・徳川家の菩提寺 天恩寺(岡崎市):徳川家康ゆかりの寺 妙源寺(岡崎市):徳川家ゆかりの寺 信光明寺(岡崎市):徳川家ゆかりの寺 真福寺(岡崎市):竹膳料理 本宗寺(岡崎市):蓮如上人ゆかりの寺 法蔵寺(岡崎市):徳川家康ゆかりの寺…

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愛知県のお寺一覧

愛知県のお寺を紹介します。 名古屋市のお寺一覧 岡崎市、豊田市、豊橋市のお寺一覧 知多四国霊場 尾張四観音:龍泉寺観音、甚目寺観音、荒子観音、笠寺観音 高徳院(豊明市):桶狭間古戦場跡 甚目寺(あま市):尾張四観音 法蔵寺(あま市):鉄造地蔵菩薩 蓮華寺(あま市):蜂須賀小六の菩提寺 広済寺(あま市):尾張…

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円楽寺 (愛知県豊田市) 2本の名木・松

豊田市南部の若林地域にあって、戦国時代の若林城跡の近く、 小高い丘に建つのが円楽寺である。 若林城を築いた本多親平(本田親平)が出家して建てた草庵 が円楽寺の始まりと伝えられ、1631年再興されている。 境内には、背の高い五葉の松と、枝を伸ばした黒松が存在感 を示し、松のお寺と言えよう。 共に、樹齢は不明であるが、豊田市…

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善導寺 (京都市中京区) 善導寺型燈籠本歌

二条通に面し高瀬川の起点近くに、竜宮門形式の山門を構えるのが 善導寺である。 善導寺の前庭に安置されている石燈籠は<善導寺型燈籠>の本歌で、 その特徴は、火袋の面に茶碗・炭斗・茶釜・火鉢・火箸・杓などが 彫られ、茶人に愛好された燈籠である。 また、前庭に安置されている釈迦三尊石仏は1278年銘の清涼寺 式釈迦像で珍しい石仏で…

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本能寺(京都市中京区) 本能寺の変

本能寺は1415年、油小路高辻と五条坊門の間に創建されたが、火災 などにより、移転・再建を繰り返し、1548年四条西洞院・油小路の (現在地名元本能寺南町一帯)広大な寺地に伽藍を再建した。 この本能寺が<1582年本能寺の変>発生のお寺で、築地塀・石垣・ 水掘が周囲に廻らせてあった。 織田信長が上洛の折は本能寺が宿所になってい…

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