地蔵院 (京都市北区) 椿寺

京都市北区大将軍にある地蔵院は、726年行基によって伊丹市の 昆陽池の辺に開創されたと伝えられている。 1391年火災で焼失し、足利義満によって京都衣笠に移され、さら に豊臣秀吉の京都改造計画により現在地に再興されたといわれる。 1587年北野大茶会の折、宿となった地蔵院に、加藤清正が朝鮮 から持ち帰ったといわれる五色八重…

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総見院 (京都市北区) 織田信長の菩提寺

京都市北区にある大徳寺には、2ヶ寺の別院と22ヶ寺の塔頭があるが、 その一つ総見院は、1583年織田信長の一周忌追善供養に豊臣秀吉によって 開創され、信長一族の菩提寺となった。 当初は、同じ塔頭の黄梅庵が信長の父・信秀の菩提寺であったことから信長の 墓所として黄梅庵を改築したが、あまりにも狭いとのことで一周忌に総見院を 創建し…

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瑞峯院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺・塔頭22ヶ寺があり、 その塔頭の一つ瑞峯院は、1535年九州のキリシタン大名・ 大友宗麟によって開創され、宗麟夫妻の菩提寺となっている。 大友宗麟は戦国時代の九州最強の大名として君臨したが、薩摩 ・島津義久に敗れ豊臣秀吉の下では豊後一国の大名にまで衰退 した。 1551年豊後へ布教のため…

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玉林院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 山中鹿之助の菩提寺

京都市北区にある大徳寺の塔頭・玉林院は、1603年後陽成天皇の侍医・ 曲直瀬正琳が月岑宗印を開山に正琳院として開創された。 1609年大部分が焼失したが、1621年には再興され<琳>を分解して 玉林院と号した。 1742年には、戦国大名・尼子氏の家臣で<山陰の麒麟児>と呼ばれた 山中鹿之助の末裔といわれる富豪・鴻池氏が山中…

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真珠庵 (京都市北区) 一休禅師ゆかりの大徳寺塔頭

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺塔頭22ヶ寺があり、 大徳寺四派の一つ真珠派本庵の真珠庵は、1429~41年の間に 一休禅師(1394~1481)を開山に創建されたが、応仁の乱で 焼失し1491年堺の豪商尾和宗臨によって再興された。 真珠庵は文化財の宝庫であるが、<重文>方丈(本堂)の障壁画は 特に注目されている。 曽我…

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龍源院(京都市北区) 大徳寺古参の塔頭 四つの庭園

龍源院は1502年能登の畠山義元などによって開創された大徳寺でも 古い塔頭で、大徳寺南派の本庵(北派本庵は大仙院)である。 方丈・表門・玄関は1517年頃の創建当初のもので、なんと言っても 方丈の周囲に展開する四つの庭園が見どころである。 北と南の異なる趣を持つ庭園に接して何を考えるか。 また、寺宝として秀吉と家康が対局し…

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高桐院(京都市北区) 庭園がすばらしい大徳寺塔頭

高桐院は1602年細川忠興(三斎)が開創した大徳寺塔頭で、 細川家の菩提寺でもある。 細川忠興の正室はかのガラシャ夫人であり、忠興は知将・文化人 ・茶人として戦国・桃山・江戸時代を生き抜いた武将であり、 熊本藩の礎を築いた豊前小倉藩初代藩主である。 茶人としての細川三斎は千利休の一番高弟で、利休七哲の一人に あげられ…

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興臨院(京都市北区) 大徳寺塔頭

興臨寺は大永年間(1521~28年)に能登守護大名畠山義総 (よしふさ)によって開創された大徳寺塔頭である。 能登畠山氏は1408年~1577年上杉謙信に滅ぼされるまで 170年間も続いた能登の名門であり、特に第7代当主畠山義総 は名君といわれ、城下町七尾は小京都といわれるほどに繁栄し、 能登畠山氏の最盛期を築いた。 義…

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伊賀市のお寺一覧 (三重県)

三重県伊賀市は奈良・京都に近いこともあり、仏教文化が栄えた。 芭蕉の故郷でもある。 主なお寺を紹介 <三重県のお寺一覧> <伊賀市のお寺> 伊賀国分寺跡:聖武天皇詔の国分寺 新大仏寺:東大寺ゆかりの寺 観菩提寺:正月堂 西蓮寺:真盛上人ゆかりの寺 常福寺:五大明王 宝厳寺:十一面観音 愛染院<願成寺>:芭蕉…

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治田地蔵磨崖仏 (三重県伊賀市治田) 名張川沿いの磨崖仏

三重県伊賀市と奈良県山添村の県境を流れる名張川と支流・与野川の 合流地点にあって、伊賀市側(右岸)の巨岩に、地蔵菩薩と十王像が 刻まれた磨崖仏が<治田(はった)地蔵磨崖仏>である。 所在地は伊賀市治田であるが、拝観するには対岸の山添村中峰山から がお薦めである。そこには、8千年前の大川(おおこ)遺跡を整備 した<カントリー…

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