源光庵 (京都市北区) 悟りと迷いの窓

底冷えのする本堂に座って<悟りの窓>と<迷いの窓>から望む風景と <血天井>には少なからず底冷え以上の冷気を感じる。 紅葉や新緑の時期に感じる空気との大きな違いであるが、冷気の中での 真の悟りと迷いについてそれなりの思考が自然とわき起こる。 冬の参拝者が少ないのは致し方ないであろうが、このお寺こそ冬に 訪れて本堂に座してみ…

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正伝寺(京都市北区) 比叡山を借景とする庭園

京都で比叡山を借景にした庭園としては、修学院離宮、円通寺、正伝寺の 名前が浮かんでくる。 円通寺と正伝寺の庭園は、借景が比叡山であることが大前提の庭園である。 正伝寺の血天井は、関ヶ原の戦いの前に伏見桃山城で徳川の重鎮鳥居元忠 以下1200余名が割腹した時の廊下の一部を移したもので、他にも 源光庵(北区)、宝泉院(左京区)…

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上品蓮台寺(京都市北区) 仏師定朝の墓

仏師定朝(~1057年)は日本を代表する仏師で、和様の仏像を 完成させ、造像技法の革新により仏像の大量製造や大きな仏像 の造像を可能にした。 文献上は多数の仏像が知られているが、現存する仏像は平等院の 本尊<国宝>阿弥陀如来座像があるのみで、同じく平等院の <国宝>雲中供養菩薩が定朝およびその工房の作と見られている。 造像技…

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等持院(京都市北区) 足利尊氏の菩提寺

足利尊氏は1341年等持寺を創建し、2年後現在地に別院北等持寺 を建て、尊氏死後、北等持寺を等持院とし、墓所となった。 応仁の乱で等持寺が焼失し、等持院が本寺となった。 足利尊氏は後醍醐天皇に反逆したとして、江戸時代から特に明治時代 から逆賊扱いされてきたが、戦後の歴史観の変遷を経て再評価される ようになった。 京都の時…

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円楽寺 (愛知県豊田市) 2本の名木・松

豊田市南部の若林地域にあって、戦国時代の若林城跡の近く、 小高い丘に建つのが円楽寺である。 若林城を築いた本多親平(本田親平)が出家して建てた草庵 が円楽寺の始まりと伝えられ、1631年再興されている。 境内には、背の高い五葉の松と、枝を伸ばした黒松が存在感 を示し、松のお寺と言えよう。 共に、樹齢は不明であるが、豊田市…

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