宝積寺 (岐阜県美濃加茂市) 志野もみじ街道

岐阜県の主要な道路には、花に因んだ愛称が付けられ、宝積寺前 の国道248号は<志野もみじ街道>と名付けられている。 宝積寺近辺の街道には、もみじは見かけないが、こうした愛称に より、今後植樹が整備されていくようだ。 岐阜県の試みは面白い。 宝積寺を訪れたのは、十一面観音像であったが突然の訪問であり、 また法事が行われてい…

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長野県のお寺一覧

長野県といえば善光寺と浮かぶ名刹であり、日本のお寺を代表する 信仰のお寺ともいえよう。 長野県には多くの仏教文化財も多く、お寺探索の宝庫でもある。 長野県を大きく5つの地域に分けて今後少しずつ紹介していきたい。 <北信地域> 岩松院(小布施町):秀吉子飼の福島正則の菩提寺 浄光寺(小布施町):<重文>薬師堂 善光寺…

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常光寺 (長野県塩尻市片丘) ボタン寺

塩尻市片丘地域にあって、北熊井城跡近くに建つのが常光寺 である。塩尻市には常光寺が2ヶ寺あるが、片丘の常光寺は ボタン寺、上西条の常光寺はシャクナゲ寺と呼ばれている。 なお、お寺の東隣に、重要文化財に指定された<小松家住宅> がある。 残念ながら、私の訪れた時期はボタンの季節ではなかった。 しかし、弘法大師像が3像もあるのが…

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もくもく探索日誌 2021年10月28日 京都市左京区

京都地下鉄東西線三条京阪駅を10時半下車 今日は、三条界隈の<新洞学区寺町>55ヶ寺が集中する 地区を、15年ぶりに再度探索 このお寺群は、1708年の<宝永の大火>で御所近くに あった町ごと移転したといわれている。 市街地の寺院群だけに、風景は殺風景ともいえるが、中には 大寺もあり、もくもく探索を楽しむ 万歩計1万1千歩…

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妙満寺(京都市左京区) 安珍・清姫の鐘

妙満寺には二つの宝がある。一つは安珍・清姫で有名な道成寺伝来の鐘 二つ目は、京の雪月花三名園といわれた<雪の庭>がある。 京の雪月花三名園とは、芭蕉の師といわれる松永貞徳が作った庭園で (1)妙満寺<雪の庭> (2)清水寺成就院<月の庭> (3)北野成就院<花の庭>(現在廃寺になっている) 雪の庭は枯山水庭園で、比叡山…

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峰定寺 (京都市左京区) 

京都市左京区花背の仙境・大悲山(746m)山腹に展開する峰定寺は、 1154年鳥羽法皇の勅願により大峰熊野の修行者観空上人によって 開創され、勅命により藤原信西・平清盛が造営に携わっている。 本尊千手観音菩薩は法皇の念持仏で、同時に不動明王・毘沙門天 が奉納されている。 1676年聖護院の支援を受けて再興され、この時以来聖護院…

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上行寺 (山梨県富士吉田市) 日蓮聖人ゆかりの寺

鎌倉時代中期に起こった<蒙古襲来>の前の時期、中国元朝 からの揺さぶりがあった1269年、日蓮聖人は国家安泰を 祈念し、富士山五合目の姥ヶ懐に法華経を埋納したと伝えら れているが、その時案内した浅間神社の宮司・塩屋平内左衛門 の草庵で聖人は法華経を書写したといわれ、その草庵が上行寺 の始まりと伝えられている。 姥ヶ懐のあ…

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聖護院 (京都市左京区) 本山修験宗総本山

京都市左京区にある聖護院は、1090年園城寺の僧・増誉 大僧正によって開創された。 1090年白河上皇が熊野詣の折、増誉が先達として案内し たことにより、増誉は白河上皇から常光寺(円珍開創と伝わ る)を下賜され、現在地に聖護院として開創している。 1236年後白河法皇の皇子・静慧法親王が入寺して以来、 明治維新まで門跡寺院と…

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実光院 (京都市左京区大原)

三千院周辺の賑わいにあって、庭園と魚山声明楽器の拝観で賑わう 実光院は、勝林院学僧の僧坊として開創され、魚山声明を伝えている。 声明はお経に節をつけた仏教音楽の一つで、各宗派で唄われている。 中でも、天台声明・真言声明は歴史も古く、天台声明はここ大原の里 で集大成され魚山声明(大原声明)として受け継がれている。 実光院では、そ…

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寂光院(京都市左京区) 建礼門院ゆかりの寺

1185年壇の浦の戦いで平家は、源義経に敗れ、建礼門院徳子と その子安徳天皇、母の二位尼は海中に入水するが、徳子は引き上げ られ、京へ送られた後落飾し、直如覚と名乗った。 同年9月大原寂光院に侍女阿波内侍とともに隠棲し余生を送った。 1186年後白河法皇の大原御幸があり、平家物語の諸行無常を 象徴するエピソードとなった。 …

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福井県のお寺一覧

福井県は真宗・曹洞宗の王国であるが、若狭地域は趣を異にする。 <若狭三十三観音霊場> 1982年に開創された福井県若狭地方の観音霊場 三方石観世音(若狭町):若狭三十三観音霊場特別霊場 永厳寺(敦賀市):若狭三十三観音霊場第1番 金前寺(敦賀市):若狭三十三観音霊場第2番 龍渓院(美浜町):若狭三十三観音霊場第3番 …

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称念寺 (福井県福井市西木田)

足羽山(あすわやま)南麓の寺院群が集まる西木田地区にあって、 不動公園の隣地に建つのが称念寺である。 その開創は不詳であるが、かっては浄土真宗の古刹で、越前において 中核的役割を持っていた大町専修寺の末寺で、専修寺が1575年 織田信長軍との一向一揆の戦いに敗れ、廃寺となると、称念寺は 1602年北庄に移り、1659年の福井大…

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金福寺(京都市左京区) 芭蕉・蕪村ゆかりの寺

京都市左京区の一乗寺にある金福寺は芭蕉がよく訪れたお寺で、 その後蕪村などが俳諧の集いをこのお寺で行っている。 また、蕪村は芭蕉庵を再興し句を残しており、蕪村の墓もある。 芭蕉の句<うき我をさびしがらせよ閑古鳥> 蕪村の句<耳目肺腸ここに玉巻く芭蕉庵> 庭園はサツキの枯山水庭園である。 <京都市左京区のお寺一覧>…

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円通寺 (京都市左京区) <名勝>庭園

円通寺の元は、後水尾天皇(1596~1680年)の 山荘・幡枝離宮で、修学院離宮の造営にともない、近衛 家に譲り渡された。 1678年霊元天皇の乳母であった瑞雲文英尼がお寺と して円通寺を開創している。 比叡山を借景とする庭園は幡枝離宮の時に作庭された 庭園といわれている。 京都には借景庭園が多くあり、京都市眺望条例によっ…

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円光寺(京都市左京区) 徳川家康創建の寺

京都市左京区の一乗寺にある円光寺は、1601年徳川家康によって 京都伏見に学校として創建された。 その後、相国寺境内への移転を経て1667年現在地に再興された。 伏見時代には多くの書籍を刊行し、その時使用された木活字5万個が 残っており、出版文化史上貴重な資料である。 明治時代以降臨済宗南禅寺派の尼僧修学道場であった。 …

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曹源寺 (石川県珠洲市) 阿弥陀三尊

奥能登の外浦にあって、日本海沿いの国道249号を輪島に向って、 長橋バス停手前を左、山手に登った先に、一対の六地蔵が迎えて くれる。一対の六地蔵も珍しく、それも姿形の異なる六地蔵でもある 境内には2本の百日紅の老木、花をつけた姿を9月末にもかかわらず 残してくれている。 このお寺を訪れたのは、藤原時代の阿弥陀三尊であるが、…

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もくもく探索日誌 2021年10月24日 京都市上京区

京都地下鉄烏丸線今出川駅を10時過ぎ下車 今日は上京区東部を巡る 特別公開している<相国寺>を拝観し、寺町通最北部の 鞍馬口へ そこから寺町通に面するお寺を巡りながら、 寺町通を南下する                 烏丸今出川                 同志社大学             …

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宝鏡寺 <人形寺>(京都市上京区) 尼門跡

京都市上京区にある宝鏡寺は、応安年間(1368~75年) に光厳天皇皇女・恵厳禅尼が景愛寺の子院・建福尼寺に聖観音 を祀って宝鏡寺として開創したのが始まりである。 景愛寺は当時尼五山の筆頭で無外如大禅尼によって1277年 開創されている名刹であったが1498年焼失し再興されず、 宝鏡寺はその景愛寺の法燈を引き継いで今日に至って…

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妙蓮寺 (京都市上京区) 

京都府上京区寺之内通にある妙蓮寺は、1295年造り酒屋の柳屋 中興の帰依を得て日像上人が開創した京都最初の法華宗寺院である。 当初は妙法蓮華寺として始まったが、1394年妙蓮寺として再興 される。 1587年豊臣秀吉の都市整備に伴い、現在地に移転している。 この秀吉の計画により、今日の寺町通・寺之内通の寺院群がある。 町…

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本満寺 (京都市上京区) 

京都市上京区寺町通に面してある本満寺は、1410年関白近衛家 の日秀上人によって新町通今出川にあった近衛家邸宅内に開創され たと伝えられている。 その後、1539年天文法華の乱により焼失し、現在地に再興され たと伝えられている。この再興については異説もある。 幾度となく火災に遭いながら、その都度再建され、1751年将軍 徳川…

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立本寺 (京都市上京区) 

京都市上京区にある立本寺は、1321年日像上人が開いた 妙顕寺龍華院が始まりと伝えられているが、開創については 異説もある。 山号を具足山と称し、三具足山(妙顕寺、妙蓮寺、立本寺) の一つに数えられる。 宝永の大火後、現在地に移転し現在に至る。 その時建立された堂宇は京都市文化財に指定されている。 毎月8日に安産・子育…

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京都市北区・上京区のお寺一覧

<京都のお寺総覧> <京都市北区> 金閣寺(鹿苑寺):世界遺産 大徳寺:臨済宗大徳寺派大本山  <大徳寺塔頭>  興臨院:加賀藩主前田家の菩提寺  高桐院:細川三斎とガラシャ夫人の菩提寺 通常公開  大仙院:大徳寺北派本庵  通常公開  芳春院:加賀藩主前田利家の妻まつの菩提寺  龍源院:大徳寺南派本庵 通常公開 …

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廬山寺(京都市上京区)

紫式部の住宅跡と伝えられる廬山寺は、節分会の<鬼の法楽>でも 賑わうお寺である。 紫式部の世界最古の長編小説<源氏物語>が世に出て千年の今年 2008年は<源氏物語千年紀>で、京都・大津を始め全国で いろいろな催しが行われる。 京都では、ここ盧山寺を始め紫式部ゆかりの地を巡る観光ルートも 設けられている。 庭園は<源氏の庭…

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富山県のお寺一覧

高岡市の瑞龍寺は富山県建造物の中で唯一の国宝建造物であり、 その独特の風景はヨーロッパのお城を思わせるものがある。 また、南砺市の瑞泉寺は井波彫刻の原点であり、浄土真宗の拠点でも あった。 十三寺(入善町):北陸三十三ヶ所観音霊場第32番 法福寺(黒部市):明日の大桜 全龍寺(黒部市):天井絵 長安寺(黒部市):山門と…

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妙蓮寺 (富山県南砺市)

瑞泉寺を中心とした井波地域のお寺探索の途次に、瑞泉寺の 隣地に建つ妙蓮寺に立ち寄ってみた。 寺名から日蓮宗のお寺と思ったが、立地からも真宗のお寺で、 瑞泉寺の塔頭的存在であった。 後日、ネットで調べてみると、元は天台宗のお寺であったとか 住職は、聖徳太子伝の絵解き数十年の経歴を持った住職として 著名な僧と解った~お会いしたか…

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妙顕寺(京都市上京区)

寺之内界隈は寺町通とともにお寺の集中した寺院街であるが、 その中にあって京都で最初に日蓮宗の道場が開かれた妙顕寺 はその風格を今も伝えている。 尾形光琳・乾山兄弟の菩提寺であり、そのお墓は塔頭泉妙院 にある。 また光琳が設計したと伝わる<光琳曲水の庭>が書院の前に ひろがる。 <京都市上京区のお寺一覧> (1)寺…

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妙覚寺(京都市上京区)

妙覚寺の位置する寺之内界隈は日蓮宗を始め数多のお寺が集中してあり、 寺町通とともにお寺街を形成している。 これは、秀吉時代に京の町を整備するにあたり計画的にお寺を配置した ものである。 寺之内界隈に日蓮宗が多いのは、町衆の多くの信者がこの地域に集中し ていることと表裏の関係にある。 織田信長の京での常宿は妙覚寺で、本能寺…

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本法寺(京都市上京区)

茶道家元の表千家と裏千家に向かい合って建つ本法寺は日蓮宗本山の ひとつで、本阿弥光悦など本阿弥家の菩提寺であるとともに、 桃山時代の大画家長谷川等伯と縁の深いお寺である。 長谷川等伯は能登から京へ出てきた時、本法寺の塔頭教行院に住し、 住職の日通上人や千利休と親交を深め、中央画壇への進出の礎を 築いていった。 一方、…

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釘抜地蔵<石像寺>(京都市上京区)

上京区はお寺の多い街であるが、その中で庶民の信仰に支えられて 歴史を生き抜いてきたお寺も多く、釘抜地蔵はその典型的な存在である。 もともとは<諸々の苦しみを抜き取る>という信仰から<苦抜地蔵>と 呼ばれていたが、いつしかそれが訛って<釘抜地蔵>になったと いわれている。 今もその信仰は篤く、いつもお参りの人が絶えないお地蔵さん…

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相国寺(京都市上京区) 臨済宗相国寺派大本山

室町幕府第3代将軍の足利義満は、京都御所の北に一大禅宗伽藍を 建立することを1382年に発願する。 義満としては、南北朝も終焉し幕府の威光をより一層高める象徴と して大伽藍の創建を急いだ。 10年後には大伽藍が完成し、1399年には高さ106mの 七重塔を完成させている。 相国寺は京五山の第二位に列せられ、宗教政策の中心…

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千本閻魔堂<引接寺>(京都市上京区)

百人一首の歌<わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ  海人の釣舟>の歌人小野篁(おののたかむら)が開基といわれる千本 閻魔堂は、山門もない街中の小さなお寺であるが、精霊迎えの根本道場 としてかっては栄えた。 5月に行われる<千本閻魔堂狂言>は京都三大念仏狂言のひとつ として貴重な文化財でもある。 <京都三大…

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千本釈迦堂<大報恩寺>(京都市上京区)

京都で<大報恩寺>と聞いてもほとんどの人が首をかしげるが、 <千本釈迦堂>というと<ああ~あそこかいな>と頷いてくれる。 京都にはこのような通称名でないと通じないお寺が多く、正式名は パンフレットや案内書などでも使われないのがほとんどである。 金閣寺<鹿苑寺>、銀閣寺<慈照寺>、東寺<教王護国寺>、 西本願寺<本願寺>、東本願…

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清浄華院(京都市上京区) 法然上人ゆかりの寺

京都の通りでお寺の多い通りは、清浄華院が位置する寺町通と寺之内通 であるが、これは豊臣秀吉の京都改造にともないお寺が移転させられた 結果である。 平安時代末期、法然上人は後白河法皇や高倉天皇に戒を授ける時に、 清浄華院を宿舎として利用し、後に後白河法皇は清浄華院を法然上人を 中興開山として浄土宗の寺とし、上人に与えている。…

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阿弥陀寺(京都市上京区) 織田信長の墓

織田信長の墓と伝えられるものは全国10数か所あるといわれている。 <阿弥陀寺(京都市上京区)、本能寺(京都市中京区),大雲院(京都市東山区)、 総見院(京都市北区)、玉鳳院(京都市右京区)、高野山(和歌山県)、 安土城跡(滋賀県安土町)、本源院(大阪府堺市)、瑞龍寺(富山県高岡市)、 崇福寺(岐阜県岐阜市)、西山本門寺(静岡県芝…

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大仙院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 通常公開

大仙院は1509年の開創で、大徳寺塔頭の中でも北派本庵として 尊重される名刹であり、非公開が多数を占める塔頭の中でも、 数少ない公開塔頭(ただし、撮影不可)である。 沢庵和尚が宮本武蔵に剣道の極意を教えた所として、前住職の 尾関宗園の法話などの名物和尚が輩出しているお寺である。 <京都市北区のお寺一覧> (1)寺名:…

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龍光院(京都市北区) 大徳寺塔頭 通常非公開

龍光院は非公開塔頭で、多くの文化財が拝観できない残念な塔頭 福岡藩主黒田長政が、父如水の菩提を弔うために建立した塔頭で、 数多くの文化財を擁している。 <京都市北区のお寺一覧> (1)寺名:龍光院(りょうこういん) (2)住所:京都市北区紫野大徳寺町14  (3)宗派:臨済宗大徳寺派(大徳寺塔頭)  (4)開山:春…

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地蔵院 (京都市北区) 椿寺

京都市北区大将軍にある地蔵院は、726年行基によって伊丹市の 昆陽池の辺に開創されたと伝えられている。 1391年火災で焼失し、足利義満によって京都衣笠に移され、さら に豊臣秀吉の京都改造計画により現在地に再興されたといわれる。 1587年北野大茶会の折、宿となった地蔵院に、加藤清正が朝鮮 から持ち帰ったといわれる五色八重…

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総見院 (京都市北区) 織田信長の菩提寺

京都市北区にある大徳寺には、2ヶ寺の別院と22ヶ寺の塔頭があるが、 その一つ総見院は、1583年織田信長の一周忌追善供養に豊臣秀吉によって 開創され、信長一族の菩提寺となった。 当初は、同じ塔頭の黄梅庵が信長の父・信秀の菩提寺であったことから信長の 墓所として黄梅庵を改築したが、あまりにも狭いとのことで一周忌に総見院を 創建し…

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瑞峯院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺・塔頭22ヶ寺があり、 その塔頭の一つ瑞峯院は、1535年九州のキリシタン大名・ 大友宗麟によって開創され、宗麟夫妻の菩提寺となっている。 大友宗麟は戦国時代の九州最強の大名として君臨したが、薩摩 ・島津義久に敗れ豊臣秀吉の下では豊後一国の大名にまで衰退 した。 1551年豊後へ布教のため…

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玉林院 (京都市北区) 大徳寺塔頭 山中鹿之助の菩提寺

京都市北区にある大徳寺の塔頭・玉林院は、1603年後陽成天皇の侍医・ 曲直瀬正琳が月岑宗印を開山に正琳院として開創された。 1609年大部分が焼失したが、1621年には再興され<琳>を分解して 玉林院と号した。 1742年には、戦国大名・尼子氏の家臣で<山陰の麒麟児>と呼ばれた 山中鹿之助の末裔といわれる富豪・鴻池氏が山中…

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真珠庵 (京都市北区) 一休禅師ゆかりの大徳寺塔頭

京都市北区にある大徳寺には別院2ヶ寺塔頭22ヶ寺があり、 大徳寺四派の一つ真珠派本庵の真珠庵は、1429~41年の間に 一休禅師(1394~1481)を開山に創建されたが、応仁の乱で 焼失し1491年堺の豪商尾和宗臨によって再興された。 真珠庵は文化財の宝庫であるが、<重文>方丈(本堂)の障壁画は 特に注目されている。 曽我…

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龍源院(京都市北区) 大徳寺古参の塔頭 四つの庭園

龍源院は1502年能登の畠山義元などによって開創された大徳寺でも 古い塔頭で、大徳寺南派の本庵(北派本庵は大仙院)である。 方丈・表門・玄関は1517年頃の創建当初のもので、なんと言っても 方丈の周囲に展開する四つの庭園が見どころである。 北と南の異なる趣を持つ庭園に接して何を考えるか。 また、寺宝として秀吉と家康が対局し…

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高桐院(京都市北区) 庭園がすばらしい大徳寺塔頭

高桐院は1602年細川忠興(三斎)が開創した大徳寺塔頭で、 細川家の菩提寺でもある。 細川忠興の正室はかのガラシャ夫人であり、忠興は知将・文化人 ・茶人として戦国・桃山・江戸時代を生き抜いた武将であり、 熊本藩の礎を築いた豊前小倉藩初代藩主である。 茶人としての細川三斎は千利休の一番高弟で、利休七哲の一人に あげられ…

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興臨院(京都市北区) 大徳寺塔頭

興臨寺は大永年間(1521~28年)に能登守護大名畠山義総 (よしふさ)によって開創された大徳寺塔頭である。 能登畠山氏は1408年~1577年上杉謙信に滅ぼされるまで 170年間も続いた能登の名門であり、特に第7代当主畠山義総 は名君といわれ、城下町七尾は小京都といわれるほどに繁栄し、 能登畠山氏の最盛期を築いた。 義…

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伊賀市のお寺一覧 (三重県)

三重県伊賀市は奈良・京都に近いこともあり、仏教文化が栄えた。 芭蕉の故郷でもある。 主なお寺を紹介 <三重県のお寺一覧> <伊賀市のお寺> 伊賀国分寺跡:聖武天皇詔の国分寺 新大仏寺:東大寺ゆかりの寺 観菩提寺:正月堂 西蓮寺:真盛上人ゆかりの寺 常福寺:五大明王 宝厳寺:十一面観音 愛染院<願成寺>:芭蕉…

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治田地蔵磨崖仏 (三重県伊賀市治田) 名張川沿いの磨崖仏

三重県伊賀市と奈良県山添村の県境を流れる名張川と支流・与野川の 合流地点にあって、伊賀市側(右岸)の巨岩に、地蔵菩薩と十王像が 刻まれた磨崖仏が<治田(はった)地蔵磨崖仏>である。 所在地は伊賀市治田であるが、拝観するには対岸の山添村中峰山から がお薦めである。そこには、8千年前の大川(おおこ)遺跡を整備 した<カントリー…

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宗蓮寺 (京都市北区中川) 北山大台杉

周山街道(国道162号)を北へ京北に向けて走ると、2000年 に開通した中川トンネル(1700m)が見えてくる。 その手前を右折し、朝霧の中、清滝川沿いの旧周山街道を走る。 中川北山町に入って直ぐに右折し、山沿いの参道を進む。 まもなく<北山大台杉>が目に飛び込んでくる。 台杉とは、地上から数mの幹から何本もの細い杉が伸びてお…

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長泉寺 (三重県伊賀市小杉)

伊賀市北東部の小杉地区にあって、整備された広域農道・伊賀 コリドールロード沿いに建つのが長泉寺である。 コリドールロード小杉に、大きな二つの岩(磐座)と大岩谷 地蔵尊があり、そこを丘へ長泉寺参道が続く。 この辺りは蛍が生息し、長泉寺で<小杉ほたるまつり>が行われ 地域活性化に一役買っているそうだ。 <伊賀市のお寺一覧> …

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源光庵 (京都市北区) 悟りと迷いの窓

底冷えのする本堂に座って<悟りの窓>と<迷いの窓>から望む風景と <血天井>には少なからず底冷え以上の冷気を感じる。 紅葉や新緑の時期に感じる空気との大きな違いであるが、冷気の中での 真の悟りと迷いについてそれなりの思考が自然とわき起こる。 冬の参拝者が少ないのは致し方ないであろうが、このお寺こそ冬に 訪れて本堂に座してみ…

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正伝寺(京都市北区) 比叡山を借景とする庭園

京都で比叡山を借景にした庭園としては、修学院離宮、円通寺、正伝寺の 名前が浮かんでくる。 円通寺と正伝寺の庭園は、借景が比叡山であることが大前提の庭園である。 正伝寺の血天井は、関ヶ原の戦いの前に伏見桃山城で徳川の重鎮鳥居元忠 以下1200余名が割腹した時の廊下の一部を移したもので、他にも 源光庵(北区)、宝泉院(左京区)…

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上品蓮台寺(京都市北区) 仏師定朝の墓

仏師定朝(~1057年)は日本を代表する仏師で、和様の仏像を 完成させ、造像技法の革新により仏像の大量製造や大きな仏像 の造像を可能にした。 文献上は多数の仏像が知られているが、現存する仏像は平等院の 本尊<国宝>阿弥陀如来座像があるのみで、同じく平等院の <国宝>雲中供養菩薩が定朝およびその工房の作と見られている。 造像技…

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等持院(京都市北区) 足利尊氏の菩提寺

足利尊氏は1341年等持寺を創建し、2年後現在地に別院北等持寺 を建て、尊氏死後、北等持寺を等持院とし、墓所となった。 応仁の乱で等持寺が焼失し、等持院が本寺となった。 足利尊氏は後醍醐天皇に反逆したとして、江戸時代から特に明治時代 から逆賊扱いされてきたが、戦後の歴史観の変遷を経て再評価される ようになった。 京都の時…

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円楽寺 (愛知県豊田市) 2本の名木・松

豊田市南部の若林地域にあって、戦国時代の若林城跡の近く、 小高い丘に建つのが円楽寺である。 若林城を築いた本多親平(本田親平)が出家して建てた草庵 が円楽寺の始まりと伝えられ、1631年再興されている。 境内には、背の高い五葉の松と、枝を伸ばした黒松が存在感 を示し、松のお寺と言えよう。 共に、樹齢は不明であるが、豊田市…

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善導寺 (京都市中京区) 善導寺型燈籠本歌

二条通に面し高瀬川の起点近くに、竜宮門形式の山門を構えるのが 善導寺である。 善導寺の前庭に安置されている石燈籠は<善導寺型燈籠>の本歌で、 その特徴は、火袋の面に茶碗・炭斗・茶釜・火鉢・火箸・杓などが 彫られ、茶人に愛好された燈籠である。 また、前庭に安置されている釈迦三尊石仏は1278年銘の清涼寺 式釈迦像で珍しい石仏で…

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本能寺(京都市中京区) 本能寺の変

本能寺は1415年、油小路高辻と五条坊門の間に創建されたが、火災 などにより、移転・再建を繰り返し、1548年四条西洞院・油小路の (現在地名元本能寺南町一帯)広大な寺地に伽藍を再建した。 この本能寺が<1582年本能寺の変>発生のお寺で、築地塀・石垣・ 水掘が周囲に廻らせてあった。 織田信長が上洛の折は本能寺が宿所になってい…

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天性寺 (京都市中京区寺町通) 子宝祈願の弁財天

京都市中京区寺町通にある天性寺は1577年上立売大宮に開創 されたと伝えられているが、豊臣秀吉の京都改造計画により現在地 に移転している。 本堂などは1880年に再建されいる。 天性寺の弁財天はいつの頃からか子宝祈願の弁天さんとして 信仰を集めている。 本能寺の南にあって、京都のど真ん中に結構広い境内を持っているが、 …

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矢田寺 (京都市中京区寺町通) 矢田地蔵

京都市中京区寺町通にある矢田寺は、平安時代前期に大和郡山の 矢田寺の別院として五条坊門に開創され、1579年現在地に 移転したと伝えられている。 本尊の地蔵菩薩は代受苦地蔵(だいじゅくじぞう)と呼ばれ、 地獄で亡者を救う地蔵として信仰されている。 また、本堂前にある鐘は死者を冥土へ送るために撞く<送り鐘> と呼ばれ、六道珍皇…

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誠心院 (京都市中京区新京極通) 和泉式部ゆかりの寺

京都市中京区の繁華街新京極通にある誠心院は、1027年藤原道長が 和泉式部に法成寺内の一庵を与えたのが始まりと伝えられている。 寺名は和泉式部の法名からつけられている。 豊臣秀吉の京都改造計画により、当時の寺町通沿いに移転している。 (新京極通は明治時代に造られている) 和泉式部は平安時代の歌人で、藤原道長の娘藤原彰子の女房と…

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万年寺 (静岡県藤枝市岡部町) カヤの大木

玉露の三大産地(京都宇治、福岡八女、静岡朝比奈)の一つ、 朝比奈玉露の産地、藤枝市岡部町朝比奈地域にあって、県道 209号沿いの道の駅<玉露の里>がそれを物語っている。 その玉露の里南に万年寺は建ち、カヤの大木がシンボルと なっている。 カヤの樹齢は不明であるが、樹高は30mほど、幹周は6m 弱の大木で、樹勢は旺盛である。 …

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平等寺<因幡薬師>(京都市下京区) 日本三如来

平等寺の薬師如来は、三国伝来の三如来(善光寺の阿弥陀如来、 清涼寺の釈迦如来、平等寺の薬師如来)のひとつで、元々、因幡 の国にゆかりのあることから、因幡薬師と呼ばれている。 その縁起は<重文>因幡堂縁起絵巻に記されている伝説を持ち、 庶民の篤い信仰に支えられ、室町時代から江戸時代にかけて平等寺 は町衆の町堂として栄えた。<革堂…

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照慶寺 (岐阜県関市)

関市街地のお寺探索の途中に、山門が工事中であったが、お参り すると、アンパンマンや遊具が境内を占拠し、本堂の裏には揄祇塔 もどきの納骨堂が建ち、少し親しみを感じた。 隣接して保育園を経営されており、よく見るお寺である。 揄祇塔を擬した納骨堂は珍しい~ <岐阜県のお寺一覧> (1)寺名:照慶寺(しょうけいじ) (2)…

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単伝庵 (京都府八幡市) らくがき寺

八幡市街地に建つ単伝庵は<らくがき寺>として知られる禅寺で、 江戸時代初期に単伝士印という臨済僧によって開創されたと伝え、 1721年現在地に再興されている。 1957年大黒堂が建立された際に、地元の人々の援助を受け、 大黒天さまに人々の願い事が通じるようにと、壁に願い事を書 いていただくようにした。 これが今日有名になり、…

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神応寺 (京都府八幡市) 

京都府八幡市の男山山腹にある神応寺は、859年石清水八幡宮を 開いた弘法大師の弟子で奈良・大安寺の僧行教律師によって860 年に開創されたと伝えられている。 石清水八幡宮は当初から神仏習合の八幡宮で、明治時代初期の 神仏分離までは神応寺も八幡宮の別当所であった。 神応寺は豊臣秀吉や徳川将軍家の支援も受けて栄えたと言われてい…

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達磨堂円福寺 (京都府八幡市) ダイコンツリーの風景

京都府八幡市の洞ヶ峠の近くにある円福寺は、1783年に開創 された臨済宗の専門道場で現在も多くの修行僧が修行に励んでいる。 宗派を問わず禅の修行ができるとのこと。 この円福寺で4月20日、10月20日に行われる<万人講>は、 達磨堂の<重文>達磨大師坐像が開帳され、赤膳で精進料理がふる まわれ、開運・厄除け・中風除けの祈願…

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正法寺(京都府八幡市) 尾張徳川家ゆかりのお寺

1594年徳川家康が石清水八幡宮を詣でた折、正法寺住職志水宗清の 娘(お亀)を見染め側室とした。 この時、お亀には一人の息子がおり、夫は死別していた。 お亀は1600年五郎太(後の尾張藩祖徳川義直)を生み、家康が亡く なると相応院と名乗り、1642年亡くなるまで尾張名古屋城で暮らした。 前夫の息子は竹腰正信といい、尾張徳川…

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乙訓寺(京都府長岡京市) 早良親王ゆかりのお寺

2000株のボタンで埋まる境内はそれほど大きくないが、乙訓寺 の歴史を見ればかっての大寺が偲ばれる。 1940年頃、長谷寺からボタン2株の寄進を受けてそれを 今日の2000株にまで増やしてこられた努力は並大抵のものではない。 乙訓寺は784年長岡京遷都とともに、都の鎮護寺として重視され 建物の造営も増えた。 785年造長…

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頼重院 (長野県諏訪市) 諏訪頼重の菩提寺

戦国時代、信濃は群雄割拠の状態であったが、その中で、北信の 村上氏、中信の小笠原氏、南信の木曽氏、諏訪大社大祝・諏訪氏 が<信濃四大将>と呼ばれ、それなりの勢力を持っていた。 諏訪氏の19代・頼重は、信濃に勢力を伸ばし始めた武田信玄と、 1542年桑原城での戦いに敗れ、甲府に連行され自害している。 その菩提を弔うために頼重…

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もくもく探索日誌 2021年10月14日 京都中心街

京都地下鉄烏丸線五条で10時半に降りる 久しぶりに京都中心街のお寺を巡る~15年ぶりのお寺もあり、 どうのように変化しているかも興味が湧く 中心街も観光客が少なく、寂しい限り 烏丸五条~烏丸六角通り~新京極~御池寺町通り~河原町二条 と10ヶ寺を巡る                 烏丸五条        …

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大善寺<伏見六地蔵>(京都市伏見区) 京都六地蔵巡り

毎年8月22,23日に行われる京都六地蔵巡りは、800年以上続く 京都の伝統行事であり、京都の地蔵信仰の原点になっている。 9世紀小野篁が6体の地蔵尊を造像し、大善寺に祀り、その後 1157年後白河法皇が平清盛に命じて、京都の出入りになる六街道 の入口に六角堂を建て(西光法師が実施)、大善寺の6体の地蔵尊を 各々に祀ったと…

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耕雲院 (山梨県都留市) 近辺に太郎次郎滝

都留市夏狩(なつがり)地区は富士山の湧水が出る地区として、 是非訪れたいと思いが叶い、耕雲院を訪れた。 お寺は、湧水の滝・太郎次郎滝の近くにあり、その鑑賞もさる ことながら、お寺の副住職が地域活動、仏教青年会などの活動、 映画<典座>の主役を演じたりと活発な活動をネットで知り、 お寺を訪れた。 太郎次郎滝は名前もユニーク…

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地蔵禅院 (京都府井手町) しだれ桜

京都府井手町の丘陵地にある地蔵禅院は、白鳳時代に橘諸兄によって 開創されたと伝えられるが、1628年惣外禅師を開山として曹洞宗の 禅寺として再興され今日に至っている。 地蔵禅院のしだれ桜は、1727年に植樹され280年の樹齢を重ねて いる古木であるが、京都円山公園の先代しだれ桜(1947年枯死)は 地蔵禅院の280年前の先代し…

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大御堂観音寺(京都府京田辺市) 国宝十一面観音

奈良時代に造られた国宝十一面観音立像が本尊の観音寺は、 京都の田辺(同志社大学の裏山)にあるこじんまりしたお寺 であるが、周りは桜並木と菜の花畑の色香が漂う瀟洒な風景 、秋には紅葉に染まる風景を持っている。 国宝十一面観音像は7体あり、観音寺のそれと聖林寺(奈良県桜井市) の十一面観音立像とはほぼ似通った年代・姿をしている…

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禅定寺 (京都府宇治田原町) 現代の涅槃図壁画

京都府宇治田原町は宇治市に隣接する緑茶発祥の地として知られる <宇治茶>の産地で、その山間にある禅定寺は東大寺の別当を務めた 平崇上人によって991年開創された古刹である。 その後、藤原氏の支援を受けて1071年には平等院の末寺となり 大いに栄えたが、戦国時代には衰微した。 1680年曹洞宗の月舟禅師が入り再興し、これ以降禅定…

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興聖寺(京都府宇治市) 四季の風景

1228年中国宋から帰朝した道元は、1233年京都伏見の深草に 興聖寺を開創する。<曹洞宗最初の寺> その後、1243年道元は越前に下向し、1244年永平寺を開いた。 興聖寺は道元下向後、荒廃し応仁の乱で廃絶した。 1649年淀城主の永井尚政が道元開創興聖寺の状態を憂い、両親の 菩提を弔うためにこの宇治の地に再興した。 現在…

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橋寺放生院 (京都府宇治市) 宇治橋の守り寺

宇治川の右岸にあって、宇治橋近くに位置するこじんまりした橋寺が 意外な由緒のあるお寺である。 橋寺の名前は通称で、正式には放生院というが、宇治橋の守り寺で あったことから呼ばれている。 宇治橋は646年に僧・道登によって架橋されたと、<宇治橋断碑>に 記されている。 幾度か再建を繰り返した歴史の中で1281年西大寺(奈良市)…

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東本願寺<真宗本廟>(京都市下京区) 真宗大谷派本山

親鸞聖人を祖とする真宗十派(浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、 真宗高田派など)の中で二番目に末寺の多い真宗大谷派の本山 東本願寺の正式名称は真宗本廟である。 1602年徳川家康の宗教政策も手伝って、本願寺から分離し 教如を法主とする東本願寺が成立し、本願寺は西本願寺・ 東本願寺の二寺体制となる。 東本願寺の伽藍は江戸時代4…

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西本願寺<本願寺>(京都市下京区) 世界遺産 浄土真宗本願寺派本山 

1262年親鸞聖人入滅の後、末娘の覚信尼が1272年、現在の 知恩院塔頭の崇泰院付近に廟堂を設け、遺骨を安置したのが本願寺 の発祥といわれる。 3代覚如が再建し専修寺と言っていたが、その後本願寺と改名した。 その後、寺基は転々としたが、1591年豊臣秀吉の寄進によって 現在地に再建された。 1602年本願寺は東西に分割され、…

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金蔵寺 (京都市西京区大原野) 青もみじと紅葉の風景

京都市西京区大原野の小塩山(642m)の中腹にある金蔵寺は 718年に開創され、平安京造営にあたり桓武天皇によって都の 西南の鎮護寺となったと伝える。 その後、戦火などにより荒廃したが、1687年から桂昌院に より再興されている。 桂昌院は幼少の頃金蔵寺や善峯寺を度々訪れたことがあり、その 関係から金蔵寺や善峯寺の復興に力を…

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正法寺(京都市西京区大原野) 石庭と桜

京都西山の大原野界隈は竹林が多く、春の時期には道端で 筍が売られている風景にあちこちで出会う。 そんな大原野の一角にあって、大原野神社に面して建つ 正法寺は借景式の石庭で人気があり、 梅、桜、新緑、紅葉と四季を通じて拝観者がみられる。 また、春日不動信仰も篤く、新年や節分には厄除け祈願に お参りされる人も多い。 この近…

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正法寺 (京都市西京区大原野) 2013年の紅葉

2013年11月27日紅葉狩り。 大原野は桜よし、紅葉よし。 大原野神社の向いに建つ正法寺 <正法寺 石庭と桜>                  参道                  参道                  多宝塔                  不動堂…

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十輪寺(京都市西京区) 在原業平ゆかりの寺

平安時代前期の歌人で六歌仙の一人でもある在原業平が晩年 住んだと伝わる十輪寺は、京都西山の大原野の里にこじんまりと 佇んでいる。 業平が塩を焼いて藤原高子への思いを伝えようとした塩竃の跡や 業平の墓といわれる宝篋印塔などがある。 在原業平ゆかりの寺といわれるお寺には ①不退寺:奈良市 在原業平創建の寺 ②十輪寺:京都市…

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舞楽寺 (京都市山科区) 本願寺山科別院

山科本願寺は蓮如が1478年から1483年にかけて造営した本願寺御堂 であり、堀と土塁を築いて城塞的形態の寺内町となっていった。 1499年蓮如は山科本願寺において85歳で亡くなる。 1532年法華宗との戦いで山科本願寺は壊滅し、 1533年石山本願寺(大阪市 現在は廃寺)が本寺となり、山科本願寺は 廃寺となった。 その後、…

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長福寺 (京都市山科区) 真宗大谷派山科別院

山科区の中心部にあって、蓮如上人が1478~83年に築いた 山科本願寺の跡地に建つのが、真宗大谷派山科別院の長福寺である。 長福寺は元々、東本願寺の境内にあったが、東本願寺17世真如 上人によって現在地に移し、別院としている。 近くに、蓮如上人廟があり、西本願寺山科別院と共同管理している 山科本願寺は、本願寺の勢力を大きく…

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円立寺(圓立寺) (福井県大野市) 水かぶりの寺

南北に16ヶ寺が並んだ寺町通の中央に建つのが円立寺である。 日蓮宗の荒行の一つ、水行はおなじみであるが、このお寺では、 水行体験を定期的に行っていることから、水かぶりの寺として 知られている。 円立寺は、現在の日吉町に1556年開創され、1576年から 城下町の形成が始まる中で、寺町形成が徐々に行われた過程で 円立寺も現…

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もくもく探索日誌 2021年10月9日 京都 東・西本願寺

お堂の大修理が終わって、初めての東本願寺(真宗本廟)、西本願寺 (本願寺)を久しぶりに訪問 JR京都を9時半に降りる~今日も快晴で暑くなりそうだ 今回も、隅々まで探索するが、以前と大きく変わることもないようだ 京都タワーに登り、上から両本願寺を俯瞰~ 京都タワーも久しぶり                  東本願寺 …

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石峯寺(京都市伏見区) 伊藤若冲ゆかりの寺

伊藤若冲(1716~1800)は近年評価が高まり、人気もすごく 各地で展覧会が催される状況である。 若冲は京都で生まれ生涯独身で、清貧の生活を送り84歳で大往生 を遂げている。 若冲の代表作<動植綵絵>は、42歳くらいから描き始めた30幅に のぼる大作で、日本美術史に残る花鳥画の最高傑作といわれている。 これは相国寺から宮内…

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宝筐院(京都市右京区) 青もみじと紅葉の風景

平安時代白河天皇の勅願寺として開創された善入寺が宝筐院の 始まりと伝えられている。 南北朝時代に黙庵禅師が禅寺として中興し、1348年四条畷 の戦いで敗れた南朝の忠臣楠木正行を弔って首塚を設けたとい われる。 正行の相手2代将軍足利義詮はこれを聞いて、自分が死去した後、 正行の首塚の隣に墓を設けるよう依願し、死後そのように墓…

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厭離庵 (京都市右京区) 紅葉の小倉山荘跡

京都嵯峨野の小倉山(286m)東麓にあり、祇王寺と清涼寺の 中間地の住宅地に樹々に覆われた厭離庵がある。 この地は、百人一首の選者・藤原定家の小倉山荘の跡地で、この 地で百人一首を選したといわれている。 二尊院にも小倉山荘跡があり、諸説あり。 藤原定家の歌  <小倉山しくれの頃の朝な朝な昨日はうすき四方の紅葉葉> …

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妙光寺(京都市右京区) <国宝>風神雷神図の古里

京都市右京区宇多野にある妙光寺は、1285年内大臣・花山院師継が 長子の死を悼んで別荘をお寺とし、法燈国師を開山として迎えて開創された。 南北朝時代は大いに栄えたが、室町時代の応仁の乱後は廃れた。 1639年建仁寺の三江紹益が、豪商打陀公軌(糸屋十右衛門)の支援を 得て再興した。 その時、打陀公軌が俵屋宗達の風神雷神図を奉納し…

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二尊院(京都市右京区) 青もみじと紅葉の風景

二尊院は紅葉の季節、人人人~。<紅葉の馬場>と呼ばれる参道は 名所のひとつになっている。 青もみじの季節は静寂が漂い、晩秋の頃が嘘のようだ。 <お寺の風景>は私にとって新緑・深緑の風景が物語ってくれると 思っていますが、紅葉と比して眺めるのも。 二尊院は、平安時代初期慈覚大師円仁によって創建されたと伝えられて いますが、…

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岩倉寺 (石川県輪島市) 北陸三十三観音霊場第16番

奥能登有数の景勝地、曾々木海岸に背後から迫り込んでいる岩倉山 の中腹に建つのが岩倉寺である。 また、岩倉山南西麓には、<重文>時国家住宅があり、岩倉山周辺 は奥能登観光のスポットとなっている。 曾々木海岸から県道6号に入り、時国家住宅方向への途中にお寺の 標識あり、左へ岩倉山へ登る~細い山道であるが、舗装され難儀 するこ…

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西明寺(京都市右京区)  紅葉の三尾

西明寺のある槙尾、高山寺のある栂尾、神護寺のある高雄は、 いずれも清滝川の渓流沿いにあり、<紅葉の三尾(さんび)> と呼ばれる室町時代以来の紅葉の名所である。 神護寺や高山寺ほど名前は知られていないが、小さな境内と そこに鬱蒼と繁る紅葉の木々が山寺の風景を醸しだしている。 創建当初は神護寺の別院であったが、鎌倉時代に独立し…

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常寂光寺(京都市右京区) 青もみじと紅葉の風景

紅葉の嵯峨野は人人人~。二尊院と常寂光寺はそのメッカとなっている。 藤原定家が百人一首を選定したと伝わる時雨亭がここ小倉山にあった ことから、二尊院と常寂光寺それぞれに時雨亭跡といわれる遺跡がある。 共に紅葉と時雨亭の共通項のある嵯峨野のお寺である。 <近くの厭離庵も時雨亭があったといわれる> いづれにしてもこの小倉山界隈…

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鹿王院(京都市右京区) 嵐山を借景とする庭園

京都市右京区の鹿王院は臨済宗の禅寺で、1380年足利義満によって 開創された宝幢寺の塔頭として始まる。 応仁の乱で宝幢寺は廃絶し、鹿王院のみが残り宝幢寺を引き継いでおり、 多数の文化財を有している。 庭園は嵐山を借景とする枯山水庭園で、苔の緑が鮮やかで静かな風景を 展開している。 また、女性専用の宿坊もあり、坐禅を体験す…

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一心院 (京都市東山区) 浄土宗捨世派本山

1175年法然上人が比叡山から下りて、専修念仏の道に入って 行った年が浄土宗の始まりといわれている。 その後、浄土宗も種々の教えが生まれ、現在は5つの宗派がある。  浄土宗:総本山知恩院  西山浄土宗:総本山光明寺  浄土宗西山禅林寺派:総本山禅林寺(永観堂)  浄土宗西山深草派:総本山誓願寺  浄土宗捨世派:本山一心寺 …

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厳照寺 (富山県砺波市) 門杉

砺波市福岡地区に巨大な2本の杉を見るべく、厳照寺を訪れた。 こんもりとした森の中に、お寺が建ち、その本堂の前に2本の 杉が門構えのように屹立し、それ故に<門杉(もんすぎ)>と 呼ばれているようだ。 樹齢は450年以上といわれ、その威容に圧倒された。 厳照寺は、本願寺第5世・綽如上人が南砺市井波に瑞泉寺を 1390年開創し…

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雙林寺 <双林寺>(京都市東山区) 西行ゆかりの寺

京都市東山区の円山公園に隣接している雙林寺は、805年伝教大師最澄 が桓武天皇の支援を得て、護摩祈祷道場として開創したと伝えられている。 その後、宮中の庇護も受けて広大な境内に多くの子院を持つ大寺となったが、 1335年の兵火により荒廃し、盛衰を繰り返した。 1584年には秀吉により本堂も再建され、花見も行われたと言う。 …

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正法寺 (京都市東山区) 

京都市東山区の霊山(176m)中腹にある正法寺は、 延暦年間(782~806年)に最澄によって霊山寺として開創されたと 伝えるが詳細は不詳である。 その後、荒廃したが1383年国阿上人によって再興され、時宗の正法寺 となった。以降、江戸時代末期までは大いに栄えたと言われている。 霊山観音の背後霊山の中腹まで石段200段弱を…

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大谷祖廟 <東大谷>(京都市東山区) 東本願寺・親鸞聖人廟所

京都市東山区の通称・東大谷と呼ばれる大谷祖廟は、東本願寺の 飛地境内の堂舎で、親鸞聖人の廟所であり、また一般の墓地でもある。 1262年:親鸞聖人が善法房(現在の西本願寺・角坊)で亡くなる。       鳥辺野の南で火葬後、北大谷に葬られる。 1272年:親鸞聖人の末娘覚信尼などが西吉水北辺(現在の崇泰院あたり)     …

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大谷本廟 <西大谷>(京都市東山区) 西本願寺・親鸞聖人廟所

京都市東山区の通称・西大谷と呼ばれる大谷本廟は、西本願寺の 飛地境内の堂舎で、親鸞聖人の廟所であり、また一般の墓地でもある。 1262年:親鸞聖人が善法房(現在の西本願寺・角坊)で亡くなる。       鳥辺野の南で火葬後、北大谷に葬られる。 1272年:親鸞聖人の末娘覚信尼などが西吉水北辺(現在の崇泰院あたり)     …

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北海道東北のお寺

北海道のお寺訪問は2019年8月が最初。 東北地方の訪問は5回であるが、満足な探索はできていない。 東北独自の仏像や堂宇を求めて今後の探索を期待している。 <北海道> 本願寺札幌別院(札幌市):札幌五大寺 経王寺(札幌市):札幌五大寺 新善光寺(札幌市):札幌五大寺 中央寺(札幌市):札幌五大寺 真宗大谷派札幌別院(…

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妙心寺 (北海道札幌市)

東本願寺札幌別院を訪問後、南へ歩を進めると、明るい浅葱色の 目立つお寺を発見。 山門の屋根が見事な浅葱色、まさしく青銅葺の屋根である。 1957年に開創された新しいお寺である。 <北海道東北のお寺一覧> (1)寺名:妙心寺(みょうしんじ) (2)住所:北海道札幌市中央区南11条西9-2-10 (3)山号:豊葦山 (…

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知恩院(京都市東山区) 浄土宗総本山

知恩院は法然上人開山の浄土宗総本山であり、7000余の末寺をかかえ ている。 法然上人は1133年、現在の岡山県久米南町で生まれ、13歳で比叡山 に上がり15歳で得度した。30年間比叡山で修行し、1175年43歳 の時に<専修念仏>の道を歩むべく比叡山を下り、浄土宗を開宗した。 晩年に四国へ配流されたが、その後京へもどり121…

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香川県のお寺一覧

香川県のお寺を紹介 <四国八十八ヶ所霊場> 神恵院(観音寺市):四国八十八ヶ所霊場第68番 観音寺(観音寺市):四国八十八ヶ所霊場第69番 萩原寺(観音寺市):四国別格二十霊場第16番 萩の寺 宗林寺(観音寺市):新四国曼荼羅霊場第24番 大興寺(三豊市):四国八十八ヶ所霊場第67番 本山寺(三豊市):四国八十八ヶ…

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向庵 (香川県小豆島町) 小豆島八十八ヶ所霊場第7番

碁石山の麓にあって、8番常光寺と2番碁石山の中間に、 こじんまりと建つのが向庵である。 ここからは内海湾や寒霞渓を一望でき、遍路で一息つける 札所といえよう。 開創は不詳で、説明板もなく、庵については~ <香川県のお寺一覧> (1)寺名:向庵(むかいあん) (2)住所:香川県小豆島町苗羽川向86 (3)山号、宗派…

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もくもく探索日誌 2021年10月2日 京都東山を歩く

京都地下鉄東西線蹴上駅を9時半にでる。 5月以来のもくもく探索となる~待ちに待った~ 京都のもくもく探索は、2005年から始まり、1500ヶ寺を 超えているが、これから、15年前訪問したお寺を中心に再度 巡ることにした。 今日は、東山山麓のお寺から始まる コロナ禍で観光客は激減、私のもくもく探索にとっては、好都合 ただし、…

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圓徳院<円徳院>(京都市東山区) 高台寺塔頭

高台寺の前に位置する圓徳院は、北政所が1605年伏見城の 化粧御殿を移築し、19年間居住した住まいを1632年 円徳院として創建された。 庭園(北庭園)は同じく伏見城から移設された枯山水庭園で、 国指定の名勝である。 近年、ライトアップの期間も長くなり、拝観者が多い。 <京都市東山区のお寺一覧> (1)寺名:圓徳院…

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両足院 (京都市東山区) 建仁寺塔頭

京都市東山区祇園花街の南にある建仁寺塔頭・両足院の特別公開を機に 冬の探索を試みてみた。京都の冬にしては穏やかな陽が降り注ぐ日と なり、冬景色らしくない風景に出会った。 表門から玄関へのアプローチも禅寺らしく白砂と敷石の見事なコンビ ネーションを見せている。 1350年代に龍山徳見禅師が開創した知足院が始まりとなり、 1…

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禅居庵 (京都市東山区) 日本三大摩利支天

京都市東山区の祇園花街に隣接している建仁寺には16ヶ寺の塔頭が あり、その一つ禅居庵は開創(1333年)以来摩利支天が鎮守として 祀られ、篤い摩利支天信仰が続いている。 勝利を願って戦国時代には武将に、現在は開運を願って祇園花街の 舞妓や芸女・地元の多くの人たちの信仰を受けている。 <日本三大摩利支天:京都の禅居庵、金沢の宝泉…

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六道珍皇寺 (京都市東山区) 

京都市東山区の<六道の辻>にある六道珍皇寺の開創については 不詳な点があるが、おおよそ二説が伝えられている。 ①延暦年間(782~805年)に空海の師・慶俊僧都が開創した 珍皇寺が始まりである。 ②承和年間(834~848年)に地域の豪族・山代淡海によって 開創されたと伝える。 など他にも説がある。 その後盛衰を経て、13…

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岡山県のお寺一覧

岡山県のお寺を紹介 真光寺(備前市):<重文>本堂・三重塔 福生寺<大滝山>(備前市):<重文>三重塔 正楽寺(備前市):中国三十三観音霊場第3番 松本寺(備前市):閑谷学校近辺の古刹 西願寺(備前市):菩提樹とイチョウ 西念寺(備前市):陣屋門 長法寺(備前市):備前の古刹 安養寺(和気町):和気の名刹 本久寺(…

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恩徳寺 (岡山県岡山市中区) 備前48ヶ寺

百間川の南、東西に連なる操山(みさおやま)丘陵の麓に 抱かれるように建つのが恩徳寺である。 仁王像が迎えてくれる山門を潜り、木々に覆われた石段を 上がると、正面に本堂がデン~と構え、参拝を終え、上を 見上げると、外陣天井に格子絵が描かれている。 本堂など伽藍は、幕末の火災で焼失したが、明治時代初期 に再建された近代伽藍である…

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