法隆寺から南東1.5kmほどの、金網に囲まれ木々に覆われた地に
<太子道>石碑が建つのが成福寺跡である。
この地は、聖徳太子が晩年住まわれた<飽波葦垣宮>の跡地と伝え、
太子が斑鳩から飛鳥へ往来した<太子道>の起点ともいわれている。
この聖徳太子ゆかりの地に、849年頃聖徳太子像を本尊として開創
されたと伝えるのが成福寺である…
毫摂寺は越前市、加賀市、宝塚市にあり、元々福知山市に開創され、
その後京都市北区の出雲路に移り栄えたが、明徳の乱で焼失し、
越前市に移り、毫摂寺を再興している。
一方、京都にあった頃の住職善入の末裔善秀が15世紀末に宝塚市小浜
に毫摂寺を開創し、小浜御坊として寺内町を形成し、
大いに栄えたといわれている。
豊臣秀吉や利休…
北生駒山地の西麓にあって、人口55,000人の郊外都市である
四條畷市には遺跡などが多く、古い歴史を持っている。
そんな中にあって、南北朝時代の<四條畷の戦い>で戦死した
楠木正行(くすのきまさつら)<小楠公>の墓所が中心街にある。
ここは四條畷の聖地であり、そこのクスノキは市の木となっている。
墓所の裏手に建つのが法念寺であ…
大門石仏群から南へ100mほど浄瑠璃寺へ向った所に、
東小墓地があり、五輪石塔、板碑、石仏などが集められている。
中でも、五輪石塔は鎌倉時代のものといわれ、大きさも当尾では
岩船寺五輪石塔に次いで2番目に大きい。
<京都府南部のお寺一覧>
(1)石仏名:東小(ひがしお)墓地の石塔、石仏
(2)所在地:京都府木津川市加…
甲良町下之郷(こうらちょうしものごう)地区は近江米の農業地区で、
清流と水車の里として売り出している。
その集落に、大きな桜の木が目立つのが西応寺である。
下之郷は奈良時代からの農村集落として歴史を刻んでおり、西応寺は
平安時代末期に開創されたと伝える古刹である。
15世紀、蓮如上人が当地に巡錫した折に、住職が帰依し浄土真宗に…
中国道加西ICを7時半に出る。快晴に恵まれ、少し肌寒い朝
加西市の北部山間農村地区を巡ることから始まる。
なんといっても、殿原地区の庚申山頂上めざしての登山が。
<清水寺庚申堂>が建ち、その傍に推定樹齢300年の
<オハツキイチョウ>が樹勢旺盛な姿を~
登って来た甲斐がある
加西最北端に神社と併設された<東光寺薬師堂>と塔頭…
海岸沿いの県道24号、小引漁港の山手に建つ円明寺は、由良町に円明寺が
2ヶ寺あることから、地名を採って小引円明寺と呼ばれている。
漁港から集落の中を通って山手に登ると、こじんまりとした円明寺が
あり、ここを訪れたのは、日高地域では珍しい道祖神がある。
江戸時代中頃に彫られた神像で、かっては子安神社に安置されていたが、
明治時代…
當麻寺境内の北東部に長屋門を構えるのが千仏院である。
千仏院は當麻寺の13院ある塔頭の一つで、浄土宗のお寺
であるが、その開創は不詳である。
千仏院は牡丹、日本さくら草などで知られ、東塔を借景に
した池泉回遊式の庭園が招いてくれる。
<奈良県のお寺一覧>
(1)寺名:千仏院(せんぶついん)
(2)住所:奈良県葛城市…
猪名川町肝川地区の戸隠神社は本殿が重要文化財で、肝川村の
鎮守として建立されたといわれている。
その入口、すぐ横の小高いところに観音堂が建っているが、この
観音堂は多田銀銅山から移されたといわれ、巨大なモミの木を護っている。
モミの木は、推定樹齢500年といわれ、樹高25m以上と巨木で、
古木である。
なお、戸隠神社の建…
江戸時代には枚方は宿場町として栄え、その中にあって浄念寺は
西本願寺の枚方西御坊として栄えたといわれている。
戦国時代は、この一帯は順興寺の寺内町として形成され、浄土真宗
の勢いが隆盛を極めたが、江戸時代になり、東海道宿場町へと変遷した
地区である。
現在、宿場町の風景はほとんどないが、お寺が集まった寺町の
様子は残っている…
東小墓地から大門へ、山道を100mほど行くと、右手に小さな
社(春日社)と左手に石仏群が現れる。
春日社はかって、大門にあったといわれる阿弥陀寺の鎮守で、
阿弥陀寺跡や鎮守周辺の石仏、石塔などを村人が集めて置かれた
のが、大門石仏群である。年代的には室町時代以降の石仏である。
多種多様な石造物で、一つずつ眺めると面白い。
…
湖東三山金剛輪寺に近く、岩倉山の山腹に矢取地蔵堂の建つ仏心寺の
開創は不詳であるが、平安時代の検非違使(けびいし)であった
平諸道の氏寺で、別の場所に開創され、1781年現在地に移転している。
本尊の地蔵菩薩は、<今昔物語集>に登場する逸話をもつ地蔵尊で、
通形の地蔵菩薩像と異なり、左手に宝珠、右手に矢を持つ姿である。
<…
大王崎灯台の近くにあって、江戸時代の石垣土塀を周囲に巡らせる
大慈寺の開創は天文年間(1532~55年)と言われているが、詳細は
不詳である。
戦国時代、九鬼水軍の総帥九鬼嘉隆の家臣として仕え、波切丸の大将として
活躍した川面右近の菩提寺でもある。
志摩市波切は、九鬼氏が1585年鳥羽に本拠を移すまでの本拠で、波切
地頭の川…
春を呼ぶ西尾の風物詩<矢田のおかげん>は、毎年3月下旬に
養寿寺境内に露店が並び、雅楽演奏も行われる釈迦涅槃会で、
江戸時代から続く行事である。
大いに賑わうとか
養寿寺は、806年弘法大師空海の師といわれる勤操僧正による
開創と伝える古刹で、1461年浄土宗のお寺として再興されている。
<愛知県のお寺一覧>
(1…
能登半島の一大観光スポットとなった白米千枚田から、国道249号
を海岸沿いに曾々木海岸へ、2kmほどの名舟町(なふねまち)へ入る。
名舟町は<御陣乗太鼓の発祥地>として知られる漁業の町で、小さな
名舟漁港があり、その山手に名船寺が建っている。
すぐ目に飛び込んでくるのが、樹高25mほどのイスノキである。
樹齢は不明であるが、イ…
鳥羽市の南東に位置し、天然の良港といえる安楽島(あらしま)漁港
の一角に建つ伝法院は、安楽島漁港の菩提寺的存在である。
伝法院の開創は天授年間(1375~81年)と伝え、安楽島の漁業
と共に歴史を刻んでいる。
残念ながら、1854年の火災によって、全ての記録を失い、その
詳細は不詳となっている。
現在、漁港の催しに積極的に関…
松並木の旧東海道にほど近い、安城市街地の今本町に、崇福寺、白山比売神社、
専超寺が隣り合って建っている。
この一帯だけが緑のオアシスとなっており、8月に行われる崇福寺の
<ちょうちんまつり>は風物詩となっている。
崇福寺は713年、白山権現を勧請し、鎮守として開創されたと伝えられ、
その白山権現を祀るのが白山比売神社であり、神…
大桑地区にあって、県道174号に面して建つ円教寺の前に立つと、
山門、本堂のいたる所に仏語が目立つお寺である。
このお寺の所蔵する<養叟禅師の円相>が山県市の文化財となっている
養叟禅師といえば、一休和尚と大喧嘩した僧として有名で、一般的には
知られていない。
その禅師が一筆書きした<〇>(円相)が残っているが、その由来は
…
京奈和道御所ICを7時半に出る
高取町に入り、<子嶋寺>近くの駐車場に停め、子嶋寺から
土佐街道を散策
久しぶりの高取であるが、土佐街道を歩くのは初めて
街並みも趣のある風景で、朝早くの散策もこれまたよし。
街道沿いのお寺も巡る
高取に入って
…
日蓮聖人の念願の京都布教遺命を受けて、日像上人は、1293年佐渡から
北陸を経て、1294年京都へ入るが、その途次、越前今宿において
疫病に苦しむ村民のために祈祷を念じ全快、村あげて日像上人に帰依したと
伝えられ、弟子の妙文が堂宇を建立したのが妙勧寺の始まりと言われている。
妙勧寺を始めとして、日像上人ゆかりの四箇聖跡とされてい…
能登半島西海岸に位置する志賀町鹿頭(しかまちししず)に建つ
常徳寺本堂横に、幹の大半が洞になったモチノキがある。
能登半島のお寺に多くあるモチノキであるが、防火樹としてイチョウ
と共にその役割がある。
このモチノキは中でも、堂々とした大木で、志賀町の天然記念物
となっている。
常徳寺には<黄檗版大蔵経>の存在でも知られて…
氷見市街地の中心部にあって、日宮神社の北隣に建つのが円照寺である
円照寺の開創は不詳であるが、17世紀に柿屋地区から移転し、数ある
氷見市真宗大谷派の大寺であったといわれている。
ちなみに、氷見市内には47ヶ寺の真宗大谷派寺院がある。
本尊阿弥陀如来像は藤原時代の造像で、その由来は不詳である。
<富山県のお寺一覧>
…
熊野古道伊勢路の起点となる玉城町田丸には、南北朝時代に築城された
田丸城があった。
1619年この地が紀州徳川の藩領となった折に、家老の久野氏が
城代家老として田丸城に入り、この地を治め、明治維新まで続いた。
その久野氏の菩提寺が大得寺である。
大得寺は、久野氏が田丸に入る前の遠江周智郡(現在の静岡県袋井市)に
開創され、久…
海会寺の呼び名は一般的には、<かいえじ>であるが、このお寺は
<かいえいじ>と呼ぶ。
海会寺の本尊は聖観音であるが、ここは元々海原の入江であったらしく、
この聖観音が牡蠣殻のついた状態で打ち寄せられ、これを祀ったのが
海会寺の始まりと伝えられ、<牡蠣の観音>とよばれているとか。
開創は不詳であるが、刈谷市最古のお寺と言われてい…
伊勢道津ICを8時に出る
市街地の<福蔵寺>を皮切りに、津市の西北部地域へ
初めての訪問となる安濃町に入る
安濃町は田畑が広がる農業地域で、西に経が峰、稲子山、擂鉢山を
望む
<長久寺>などを巡って、芸濃町に入る
経が峰
擂鉢山
…
江戸時代後期の仏教行者・木喰上人は全国を行脚し、各地に木喰仏を
多数残している。
1800年6~8月の2ヶ月、藤枝市岡部に滞在し、木喰仏を残して
いるが、その内の2体が光泰寺に残されている。
木喰仏の再発見者・柳宗悦が、全国の木喰仏調査の際に一目惚れした
木喰仏が、光泰寺の<聖徳太子立像>である。
<静岡県のお寺一覧>
…
本巣市には願成寺が2ヶ寺あり、こちらは政田地区にある日蓮宗の
お寺である。
長屋門を構え、こじんまりとしたお寺であるが、このお寺を知らしめて
いるのは、江戸時代造像の日蓮聖人坐像である。
精緻に細工され、本巣市の文化財に指定されている。
<岐阜県のお寺一覧>
(1)寺名:願成寺(がんじょうじ)
(2)住所:岐阜県本…
川島町に建つ加多志波神社は、718年泰澄大師が開創した蓮華寺の跡地に
建立されたといわれ、蓮華寺の法灯を継ぐ浄願寺、蓮華寺の奥の院の法灯を
継ぐのが専立寺といわれている。
蓮華寺は大寺であったが、1573年の兵火で焼失している。
専立寺は、越前戦国大名・朝倉貞景の四男・景紀が晩年過ごしたお寺で、
近年景紀の墓が発見されてい…
新名神宝塚北スマートICを8時前に出る
宝塚市北部の西谷地区に入る
山間田園が広がる山里で、新名神が開通してアクセスが
便利になった。
<満福寺>を皮切りに巡り、<宝山寺>では話に花が咲く
茅葺の山門も久しぶりの出会いとなる。
千刈水源池に架かる参道橋を渡り、小丘に建つ<普明寺>
では、宝篋印塔など石造物が豊富で、その探索…
全国に巨大な大仏や観音像が立っているが、それらの多くは、資産家が
様々な意趣で建立したもので、中には放置されているものも多い。
ここ穴水町乙ケ崎に建つ能登大仏は、能登半島観光案内にも掲載されている
スポットとなっている。
2003年地元の建設会社オーナー堀内秀雄が造立し、周囲を仏教公園
(真和園)とし、三重塔などが整備されてい…
能登半島の根元にあって、石川県と富山県の県境に連なる宝達丘陵を
源とし、富山湾に注ぐ2級河川・余川川中流域に開けた余川集落に
建つ円光寺を訪れたのは、氷見市名木に数えられる<モチノキ>を
拝観するはずであったが、その場所に行けず参拝してひきあげた。
円光寺の由緒については不詳である。
<富山県のお寺一覧>
(1)寺名…