日本海に面した諸寄(もろよせ)港は、往古より天然の良港といわれ、
江戸時代には、北前船の寄港地として栄えたとか。
諸寄近辺で難破し、犠牲となった北前船の船人を弔ったのが龍満寺
である。
日本遺産<北前船寄港地・船主集落>の一構成として、諸寄港や
龍満寺も指定されている。
龍満寺は、慶長年間(1596~1615年)開創とい…
<あたご灯籠>から府道752号を岩船寺へ300mほど行くと、
<穴薬師>への標識があり、それを左へ100m進むと<穴薬師>
の標識あり それを左へ100mほど行って、右へ進むと<穴薬師>
の石龕、愛宕灯籠、小石仏が安置されている。
石龕の中に、小さな薬師石仏が祀られ、鎌倉時代の石仏といわれ、
耳の病にご利益があるとか。
…
源平合戦で名を馳せた那須与一の子孫が開創または再興した近江の
七ヶ寺の弘誓寺を<近江七弘誓寺>と呼んでいる。
東近江市瓜生津、東近江市建部、東近江市五個荘、東近江市射光寺、
東近江市小田苅、東近江市中一色の弘誓寺、彦根市の法蔵寺
小田苅(こたかり)弘誓寺の開創については不詳である
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
…
湯浅町東部の山手にあって、ミカン畑に囲まれて建つのが證大寺
で、その開創は不詳である。
小さなお寺であるが、板碑を求めて訪問したが、どれが該当する
板碑か判然とせず、引き返す結果となり残念
<和歌山県のお寺一覧>
(1)寺名:證大寺(しょうだいじ)
(2)住所:和歌山県湯浅町山田1490
(3)山号:光照山 (4)…
山添村広代(ひろだい)地区にあって、波多野街道(県道80号)沿いに
建つ<YHKサービスステーション>の道路向側高台に、広代墓地がある。
墓地最奥に十三仏板碑が建っている
板碑は損傷があり補修されているが、室町時代後期の造立と推定されて
いる。
山添村には、北野墓地十三仏板碑があり、共に村指定文化財となっている
<奈良県…
玄武洞へ向う県道548号から、金剛寺川に沿って山間部へ
お寺名に由来する金剛寺集落の最奥に建つのが金剛寺である。
シャクナゲの寺として、時期には多くの参拝者があるとか
金剛寺の開創は不詳であるが、1339年の<足利尊氏寄進状>
が残り、尊氏が全国の各国に一基、利生塔を建立すべく寺領の
寄進を記した文書で、当時の金剛寺は但馬国で…
池田市北部にあって、禅寺陽松庵の西隣りに建つ、慈恩寺境内の
高台に<寒山寺の鐘>が吊るされている。
この鐘は、池田市と中国蘇州市姉妹都市25周年の記念に、蘇州市
寒山寺の鐘のレプリカが贈られたものである。
寒山寺は寒山拾得の故事で有名な名刹で、500年代初期の開創と
いわれている。
慈恩寺は、725年池田市最北の長尾山山…
京都愛宕神社は防火の神様で、かっては、京都市内の家の台所には、
<阿多古祀符 火廼要慎>のお札が貼ってあった。現在も愛宕信仰
は続いており、お札を見かける。
愛宕灯籠は、愛宕神社への参道灯籠として、また、各地における
防火を祈念する灯籠として、また常夜灯として建てられた。
当尾のあたご灯籠は、防火の意義として建てられ、正月には…
加茂町は、天智天皇が日本で最初の馬牧場を開いたといわれる
<馬の聖地>と呼ばれる。
賀茂神社の近くに建つ生蓮寺の開創は不詳であるが、本尊阿弥陀如来像
は平安時代の造像である。
現在は、ひっそりとした佇まいである。
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
(1)寺名:生蓮寺(しょうれんじ)
(2)住所:滋賀県近江八幡市加茂町2…
有田川北部の岩室山(260m)南西麓にあって、宮原町に建つ
西法寺は、徳本上人に帰依した吉田氏が1835年開創している。
徳本上人は江戸時代後期の念仏行者で、1794~1801年の
7年間、岩室山で修行し、全国行脚で皇室、大名、民衆から深い
帰依を受けた稀代の行者である。
西法寺には、多くの徳本上人ゆかりの遺品が残されている。…
山添村菅生集落にあって、都祁山道(国道)沿いに<大井戸の杉>が
存在感を誇示している。推定樹齢400年といわれ、山添村の
天然記念物である。
その杉を左に、坂を50mほど登ると、三叉路の角の小高い所に
蓮照院の本堂が建っている。開創は不詳であるが、地蔵堂に祀られている
2体の地蔵石仏は室町時代造像である。
地蔵堂に安置されて…
国道432号の左右に広がる神鍋高原は、関西随一のスキー場で、キャンプ場
ゴルフ場などリゾート地として知られている
その高原の中心集落にあって、道の駅神鍋高原の近くに、神鍋山を背に建つ
のが大円寺である。
大円寺は、1603年、京都南禅寺の269世悦叔禅師が開創した由緒のある
お寺で、集落の中核寺院となっている。
楼門形式の山…
箕面市北部にあって、余野川沿いの止々呂美(とどろみ)地区の
下止々呂美集落に建つのが青龍寺である。
この集落には、承安年間(1171~75年)に築城され、1579年まで
続いた止々呂美城があり、その城主が塩山氏である。
1579年、織田信長軍の攻略により、城を明け渡し落城している。
この時の城主塩山平衛門は出家し、僧宗湛となっ…
往古、奈良~笠置の笠置古道奈良道は浄瑠璃寺、岩船寺を経て、笠置へ
通じていたが、現在は山道で、その古道沿いに、石仏、磨崖仏が多く
残されている。
その内の一つが、<カラス(唐臼)の壺>に残る二尊磨崖仏である。
<唐臼の壺>とは、三叉路にある岩が唐臼に擬していることに由来するとか
そのカラスの壺近くに、一岩の一つの面に阿弥陀磨崖…
日野小学校に面して建つ長福寺は、お寺として廃寺に近いが、地元では
毘沙門堂と呼ばれている。
また、日野公民館の一部として利用されている。
かっては、面影はないが近江落合城の城跡ともいわれている。
お寺の寺宝十一面観音立像は11世紀中頃の造像で、重要文化財に指定
され、琵琶湖文化館に保存されている。
<滋賀県湖東地域のお寺…
県道165号を東へ、紀州徳川家の菩提寺・長保寺の手前、道路脇に
コウヤマキが目立つのが東光寺である。
開創は不詳であるが、平安時代に遡ると伝えられている。
本堂脇壇に祀られている薬師如来坐像、天部立像は共に藤原時代の
造像で、下津町最古のお寺といわれ、多数の文化財を擁している。
<和歌山県のお寺一覧>
(1)寺名:東…
柳生の里のシンボル、十兵衛杉は枯木となったが、その姿はまさしく
シンボルといえよう。
柳生十兵衛が西国観察の旅に出る前に、中宮寺の先祖墓を参った際に、
植えられたと伝わる杉で、樹齢350年以上となっているが、落雷の
ために枯木となっている。
中宮寺は、1354年柳生家重が葬られた時から、代々柳生氏の
菩提寺であったといわれて…
<丹波のお寺>
太寧寺(丹波篠山市):篠山城の鬼門を護る寺
大国寺(丹波篠山市):<重文>本堂
高蔵寺(丹波篠山市):丹波篠山もみじ三山
長谷寺(丹波篠山市):<重文>妙見堂
文保寺(丹波篠山市):丹波篠山もみじ三山
洞光寺(丹波篠山市):紅葉スポット
西光寺(丹波篠山市):重文仏像4体
龍蔵寺(丹波篠山市):丹波古…
八鹿町八木地区にあって、国道9号沿いに、しだれ桜の大木が目立つ
西方寺は、八木城主八木重家によって、1374年開創されたと伝える。
八木城跡は西方寺背後の山頂にあり、八木氏は代々の城主で、但馬守護
山名氏の四天王といわれた有力武家である。
八木城は八木豊信によって1063年築城といわれ、1600年廃城と
なったと伝えている。
…
豊能町余野を流れる切畑川に架かる十三仏橋の袂に建つのが
<余野十三仏>である。
府道109号中所バス停を南へ、田畑道を入る。
豊能町には多尊石仏が多いが、その中でも最古の、1564年造立
の逆修塔で、豊能町の代表的石仏といえる。
表面、裏面各々に20体の仏像が半肉彫りされている。
表面は全て地蔵菩薩、裏面は上段中央に阿弥陀如…
京都府南西部(向日市、長岡京市、大山崎町、八幡市)
のお寺総覧
<向日市>
石塔寺:鶏冠井題目踊り
南真経寺:関西最初の日蓮宗寺院
北真経寺:関西最初の日蓮宗寺院
来迎寺:種子両界曼荼羅板碑
慶昌院:田植え地蔵尊
泉福寺:洛西三十三観音霊場第16番
持泉寺(向日市):上植野城跡
法道寺:地蔵菩薩半跏像
<長…
天王山東北麓にあって、大山崎町円明寺地区に、百日紅の花を咲かせる
円明教寺がひっそりと建つ。
お寺の開創は奈良時代とも、平安時代末期ともいわれ、開創については
不詳であるが、平安時代末期には円明寺として存在したといわれている。
鎌倉時代になると、西園寺公経~九条道家~一条家と公卿の山荘が建てられ、
山荘地の中に円明寺は法灯を守…
日野町の下駒月集落に、古刹安楽寺と並んで建つ西照院は、1522年
開創されたと伝えられている。
安楽寺は無住で、西照院が集落の菩提寺となっているのだろう。
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
(1)寺名:西照院(さいしょういん)
(2)住所:滋賀県日野町下駒月1059
(3)山号:月光山 (4)宗派:浄土宗
(5)開基:…
滋賀県信楽町~三重県伊賀市の県道138号御斎(おとぎ)峠に
7時到着 展望台に登ったが、霞んで眺望きかず
伊賀~名張の石仏探索となる 伊賀石仏探索は3度目となるが、
伊賀には石仏が多く、4回目の探索がこれからも。
名張の石仏は初めてで、どうなるか楽しみに
名残の紫陽花
…
了源寺は、鎌倉時代末期に京都仏光寺中興の祖了源上人が伊賀で布教中
開創したと伝えられている。
伊賀の布教を終えて京へ戻る途中、現在の国道422号桜峠で賊に襲われて
最期を迎えている。
<了源上人遺跡>
襲われた理由については諸説ある。
亡骸は了源寺に葬られたといわれている。
了源上人は仏光寺7代であるが、実質上の開…
名古屋城の南、通称南寺町と呼ばれる門前町に、インド天竺様式の本堂を
構えるのが名古屋西別院である。
名古屋西別院の始まりは、明応年間(1492~1501年)に、
蓮如上人の六男蓮淳が、現在の桑名市長島町に開創した願証寺である。
長島一向一揆(1570~74年)によって焼失したが、1584年頃、
現在の清須市に再興され、名古屋城…
滋賀県甲賀市信楽町から三重県伊賀市へ入る国道422号の桜峠に、
パーキングがあり、<中興了源上人遺跡>の標石が立つ。
その標石から林への林道を道なりに100mほど入った林間に、
整備された了源上人遺跡がある。
ここは、1335年了源上人が賊に襲われた最期の地である。
了源上人は、真宗仏光寺派本山の京都仏光寺第7代で、実質上…
中村区中村町の中村公園、その中に建つ豊国神社、公園の東隣に建つ
常泉寺、隣接する妙行寺など一帯は、豊臣秀吉と加藤清正ゆかりの地
である。
豊臣秀吉生誕地といわれるのが常泉寺である。
1537年、通説として、木下弥右衛門となか(大政所)の間に、この地で
生まれている。
1606年、この地に加藤清正が秀吉の廟堂として開創したのが…
朝比奈川を眼下に、遠く駿河湾を望む丘陵地に建つのが萬松院である。
萬松院は、駿河武士の代表的存在であった岡部氏の菩提寺で、
永禄年間(1558~70年)の開創と伝えている。
岡部氏は、平安時代末期に、入江氏が京から岡部郷に入り、鎌倉時代に
岡部を名乗ったといわれ、朝日山城を根拠とし、今川氏に仕えた。
駿河で名を高めた世代は、久…
西岸寺が建つ竹鼻町は、羽島市の中心地で、江戸時代には商業地として
、竹鼻別院の門前町としても栄えた。
しかし、1891年の濃尾地震によって大半が倒壊焼失し、西岸寺も
その被害を受けている。
西岸寺は1584年、僧祐慶による開創と伝え、祐慶が伝えた数々の
寺宝の多くを、濃尾地震によって失っている。
現在、女性住職であるが、…
名阪国道五月橋ICを7時半に出る。
山添村、伊賀市は石仏の宝庫といえよう~
川辺、林の中、路傍、山中の磨崖仏、お寺・神社と様々な環境にある
石仏を探すのも、もくもく探索の醍醐味となる。
中には、探し廻りに林の中を、道なき探索で、衣服はドロドロと。
山添村
…
敦賀市南部に位置する御名(ごみょう)地区にあって、田園に囲まれて建つ
のが宝国寺である。
小さなお寺であるが、1851年に開創された<若越新四国八十八ヶ所霊場>
の札所である。
若越新四国八十八ヶ所霊場は、敦賀市、美浜町を中心に、主に地蔵菩薩を
札所本尊としたミニ四国八十八ヶ所霊場で、お寺だけでなく、野仏や祠なども
含まれて…
砺波平野の特色といえば散居村である。
砺波平野に<カイニョ>と呼ばれる屋敷林に囲まれた農家が、ポツポツと
7000戸ほど点在する様を散居村と言っている
砺波市宮村の散居村に建つのが景完教寺である。
お寺は1300年頃に開創されたと伝えるが詳細は不詳である。
お寺には、室町時代造像の聖徳太子孝養像が祀られているが、この像には…