<禅と庭のミュージアム>と銘打つ広島県の観光スポットとして、
地元沼隈町の活性化を図るべく、初代沼隈町長であった神原秀夫
が1965年開創したのが神勝寺である。
周囲には、遊園地<みろくの里>などの観光施設も併設された
一大観光地となっている。
実業家でもあった神原氏は、建仁寺派菅長益州禅師に帰依し、
勧請開山に迎えて開創し…
県道27号沿いの多賀出屋集落の山間に建つ西光寺は、760年報恩大師
が開創したと伝える備前四十八ヶ寺の一寺である。
平安時代末期には大いに栄えたといわれ、三重塔の建つ七堂伽藍の大寺
であったと伝えられている。
現在、その大寺の面影を残す佇まいである。
<岡山県のお寺一覧>
(1)寺名:西光寺(さいこうじ)
(2)住…
東名大井川焼津ICを、6月26日14時過ぎに出る。
今回は、もくもく探索では初めての焼津市、藤枝市となる。
26日は焼津市、27日は藤枝市と主に平地のお寺となるが、
一部山手のお寺では、あじさい真盛りの風景を楽しむ。
マスクの六地蔵(十輪寺)
手前に藤枝…
鳥取市西部の青谷町にあって、山間部へ通ずる県道280号が日置川と
交差する小畑集落入口に建つ、清宗院の開創は不詳であるが、境内山裾
のシイの木は、推定樹齢は不明であるが、数百年の古木である。
少し枯れが進捗しつつあるが、幹回りは23mとまれにみる大木である。
<鳥取県のお寺一覧>
(1)寺名:清宗院(せいそういん)
…
和歌山市街地に建つ高野寺を訪れた2017年9月では、拝堂が
再建中で、境内も一部の拝観となった。
本尊弘法大師は、厄除け大師、舎利吹き大師、不蒔菜大師などの
別称があり、信仰の篤い大師である。
高野寺は慶長年間(1596~1615年)、徳川家康の信任厚い
勢誉法印の開創といわれ、高野山と紀州藩の交流拠点となって、
大いに栄え…
蓮如上人が1475年、現在のあわら市吉崎御坊を退出し、若狭を
経て枚方、高槻に道場を開いて布教に努めている。
1476年高槻に開いた<富田道場>は、1536年教行寺として
大いに栄えたが、1580年石山合戦が終わった段階で、河合町佐味田
に移り、<佐味田教行寺>と呼ばれた。
その後、教行寺は田原本町、広陵町と移っている。
現…
山崎町の最上山東麓にあって、山崎町の寺町に鐘楼門を構える恩澤寺は、
1414年天台宗心光寺として開創されたと伝えられている。
1580年、豊臣秀吉の播磨侵攻の際、心光寺に陣地を設け、恩澤寺の
北に位置する長水山頂にあった長水城を攻めたが、一時敗走し、
心光寺は焼失した。
その後、長水城は落城し、秀吉はさらに西へ侵攻した。
1…
茨木市北部にあって、竜王山麓を通る府道1号沿いの小高い所に
建つ浄福寺の開創は、1641年と伝えられている。
すぐ近くには古刹忍頂寺があり、地名にもなっている。
浄福寺の境内は広くはないが、地蔵尊の背後には、樹齢400年
といわれるシイの大木がデンと構えている。
<大阪府のお寺一覧>
(1)寺名:浄福寺(じょうふくじ…
長岡京市神足の住宅街に、住宅に囲まれて建つ潤福寺は、1394年の
開創と伝わる禅寺である。
本尊十一面観音の脇侍薬師如来は、かって京都広隆寺に祀られていたが、
桂川の大洪水によって流され、この地に辿り着いたという伝説がある。
狭い境内であるが、萩が一面に植生され萩寺として地元に根付いている。
<京都府南西部のお寺一覧>
…
安楽寺は、平安時代中期に、信仰の山といわれた小岳(302m)に、
日吉神社とともに開創されたと伝えている。
いつの頃かに、下駒月の地に移り真言宗のお寺として再興されている。
現在、安楽寺が所蔵する三体の仏像は、小岳に開創された頃の仏像で、
重要文化財に指定されている。
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
(1)寺名:安楽寺…
南部川河口近くにあって、熊野九十九王子の一つ<三鍋王子>参道に建つ
丹河地蔵堂には、樹齢300年以上といわれるイチョウが参道を覆っている。
延命地蔵として、地元の人たちの信仰を集め維持されてきた。
地蔵堂は江戸時代中期の建立とみられ、イチョウもその頃、植えられたと
推定されている。
現在は住宅地となり、イチョウも剪定されたが樹…
広大な共同墓地<八ヶ郷墓地>に墓寺として建つのが安養院と極楽寺
である。
安養院の開創は不詳であるが、室町時代には存在していたようだ。
墓地も古代から存在し、集落毎の墓地が集約されて大墓地となった。
この墓地で、盂蘭盆に行われる<八ヶ郷の墓会式>はロウソクの
灯火で埋められる地区の風物詩となっている。
<奈良県のお寺一覧…
6月16日8時前に山陽道倉敷ICを出る。
岡山県と関西との往来が解禁となり、早速もくもく探索に。
今回は倉敷市~倉敷宿泊~玉野市~岡山市と巡る。
久しぶりの倉敷、初めての玉野市、半年ぶりの岡山市で、
鷲羽山からの眺望も楽しむ。
あちこちで紫陽花も。
鷲羽山から
…
姫路市北西部に位置する安富町の安志(あんじ)集落にあって、山麓の
木々に囲まれて、廃れた本堂が残るのが開善寺で、現在は廃寺となっている。
1717年、開善寺を開創した小笠原長興は安志藩初代藩主で、
信濃小笠原氏の末裔である。
信濃小笠原氏の7代小笠原貞宗が長野県飯田市に中興した開善寺の法灯を
継いで開創されたのが、安志の開善寺…
府道4号を登った北の谷分岐点を右へ100mほど行くと、
ガードレールの手前に<川尻北の谷磨崖仏>の説明板が立っている。
その説明板の下、道路側壁にある岩に不動明王と地蔵菩薩の2体が
肉彫りされている。
薄い肉彫りで、苔むした磨崖仏であるが、場所的に道路工事の関係上、
移された可能性もあるかな。
<大阪府のお寺一覧>
…
浄瑠璃寺参道から山道を登り、赤門坂峠から<水呑み地蔵>を経て、
赤門坂峠へ戻り、東へ山道を20分ほど唐臼(からす)の壺へ歩くと、
<一鍬地蔵>の木札が置かれ、上を見上げると<一鍬地蔵磨崖仏>
がぼんやりと見える。
<唐臼の壺>からは南へ100mほどの所。
ぼんやりと見えるのは、線彫りの地蔵仏で、摩耗が激しいためである。
…
かっては日野町の古刹金剛定寺の塔頭として、永正年間(1504~21年)に
開創されたのが光明院であるが、1503年の兵火で金剛定寺・光明院ともに
焼失している。
江戸時代初期に再興され、金剛定寺から独立し、浄土宗に改宗している。
光明院の本尊阿弥陀如来像は、日野町にある国指定重要文化財15体仏像の
内の一体である。
<滋…
中世、紀中(有田町~みなべ町)を制した亀山城主・湯川氏の菩提寺が、
亀山城跡の亀山東麓に建つ鳳生寺である。
亀山城は室町時代初期、湯川氏3代湯川光春が築城し、1585年
豊臣秀吉の紀州征伐によって落城し、湯川氏は滅亡している。
その湯川氏7代光英が1449年、湯川氏の菩提寺として再興している。
亀山城跡は公園として整備され…
室町時代に築城されたと伝わる大和小泉城は、平安時代からの地侍であった
小泉氏が、室町時代に勢力を伸ばし築き、江戸時代には小泉藩片桐氏の陣屋が
置かれた。
この小泉城主・小泉重順が、1561年松永久秀に攻められ自害し、
小泉氏は没落していった。
重順の妹が菩提を弔うために開創したのが善福寺といわれている。
<奈良県のお寺一…
1207年、浄土宗開祖の法然上人が承元の法難によって讃岐に
配流の折に、漁師の求めに応じて高砂に上陸し、十輪寺において
仏の教えを話したといわれている。
これを機に、十輪寺は法然上人を中興の祖として浄土宗となっている。
法然上人ゆかりの霊場<法然上人二十五霊場>の第3番となっている。
<法然上人の足跡>
十輪寺は81…
豊能町の石仏巡りは観光資源として整備され、道路標識や石仏説明板が
立てられ、迷うことなく楽しめる。
<川尻北の谷多尊石仏>へも要所に標識があり、木々の中に安置された
石仏群が見つかる。
多尊石仏は豊能町石仏群の中に多く、造立した人々の逆修塔と考えられ、
紀年銘が刻まれている。
<大阪府のお寺一覧>
<川尻北の谷多尊…
奈良市中から京都府笠置町への笠置古道は、平安時代から通じていたといわれ、
その内、奈良市中ノ川町~浄瑠璃寺~岩船寺南部~奈良市西狭川町が支道として
奈良道(中川越)があり、奈良~当尾間の古道として利用されていた。
現在では、この奈良道は山道で利用されずハイキング道となっている。
この奈良道に面して、浄瑠璃寺南大門(赤門)が建…
舞鶴若狭道舞鶴東ICを8時前に出る。
外出自粛を終えて、2ヶ月ぶりのもくもく探索となる。
舞鶴市の訪問も数度になるが、今日の未知のお寺巡りで、舞鶴探索
も制覇となる。
今日は、山寺、里寺、漁港のお寺と変化に富んだ風景を楽しむ。
舞鶴クレインブリッジ
舞…
田畑に囲まれた日野町蓮花寺集落に信楽寺は建つ。
信楽寺は1615年に開創された浄土真宗のお寺であるが、
日野町中心部に建つ古刹信楽院との関係は不詳である。
信楽寺は小さなお寺であるが、室町時代の宝篋印塔が
文化財として知られている。
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
(1)寺名:信楽寺(しんぎょうじ)
(2)住所:滋賀…
関西から関東にかけて、しばしば見かける<徳本六字名号>(南無阿弥陀仏)
は、江戸時代後期の念仏行者・徳本上人が巡った足跡として残されている。
徳本上人は、1758年現在の日高町で生まれ、29歳の時、現在の尊光寺
の地で水行などの荒行を6年間続け、その後各地を巡って念仏を布教している。
1814年江戸に入り、熱狂的な帰依を受け、そ…
濃い霧に包まれた生駒の石仏めぐりのスタートが<稲葉谷行者磨崖仏>
である。
所在地住所に着いて、驚いたことに住宅地入口の大きな岩の上部に、
磨崖仏が彫られ、周りは一般的な磨崖仏の風景といえない。
1980~90年代に丘を削り住宅地開発が行われ、磨崖仏の岩のみを
残した結果である。
こうした開発に伴う文化遺産の保存の一つで、他…
かっては加古川河口に位置していた稲屋地区に建つ福田寺は、
606年聖徳太子の開創と伝承されるが、詳細は不詳である。
中世には播磨の覇者・赤松氏の庇護を受け栄えたといわれる。
永禄年間(1592~96年)に曹洞宗のお寺として再興され
ている。
境内に安置されている十一重石塔は1313年の建立で、
石造物が多く残る加古川市でも貴…
戦国時代に浄土真宗の寺内町として、江戸時代には宿場として栄えた
枚方にあって、1592年開創されたのが台鏡寺である。
江戸時代、台鏡寺の地蔵石仏が夜になると、宿場の悲しい身を持つ
女性の悩みを聞きに歩き回ったと伝承され、<夜歩き地蔵>と呼ばれている。
台鏡寺は小高い所に建ち、周りのお寺に比べて境内も広く、お寺らしい
風景を持っ…
当尾は古くから奈良の影響を受けて(特に、興福寺)、多くのお寺や石仏が
建立されたが、兵火などでお寺の多くを失い、現在は浄瑠璃寺、岩船寺、石仏
などの石造物が残った。
中でも石仏は<当尾の石仏>と呼ばれ、貴重な文化遺産となっている。
当尾の中核である浄瑠璃寺の石造物を見てみよう。
<浄瑠璃寺>
<浄瑠璃寺の紅葉>
浄…
竜王町田中集落は田園の中に40数世帯を擁する小さな集落
であるが、そこに浄満寺、八幡神社が隣り合って建っている。
明治時代以前は神仏習合の形態であった。
八幡神社で毎年1月14日に行われる、稲の作柄を占う<粥占い>は
古から全国で行われている。
現在、竜王町ではここだけで行われている。
浄満寺の開創は不詳であるが、所蔵す…