若松地区にあって、集落の最奥に小高い山の麓にポツンと建つ
のが東光寺である。揖斐川町小野にも東光寺があることから
若松東光寺ともいわれている。
瀟洒な伽藍であるが、山を借景にした風景は見応えがある。
由緒については不詳であるが、本尊薬師如来坐像は藤原時代の
造像で、秀逸の像として岐阜県の文化財に指定されている。
<岐阜県…
折立称名寺と呼ばれる称名寺は足羽川上流の川沿いにあって、
豪壮な楼門形式の山門が目を惹く。
称名寺は、源頼朝の重臣・佐々木盛綱の子である光実が折立に草庵を
建立したのが始まりと伝えられ、その後子孫が北坊、南坊に分かれて
堂宇を建て、対立するようになった。
その後、南坊は三国町へ移り、黒目称名寺とよばれ、北坊は折立称名寺
と呼…
木曾義仲の俱利伽羅源平の戦いで、俱利伽羅峠の埴生入口として
知られ、埴生護国八幡宮で戦勝祈願し勝利した義仲ゆかりの郷
として伝承されている埴生の郷に建つのが医王院である。
医王院は旧北陸街道に面し、裏には6世紀の前方後円墳・若宮古墳
があり、古墳からの眺望もよい。
埴生口
…
旧名張街道沿いに、小高い山麓に建つ光明寺へ。
室町時代の灯籠形の地蔵石幢と地藏石像を拝観すべく訪れた。
地蔵石像には天文23年(1554年)の銘があり、地蔵石幢
の地蔵との類似からほぼ同時期の作と推定されている。
石幢の六面に地蔵尊が彫られた六地蔵であり、中世に多く
見られる。
全…
旧東海道沿いの浜屋町(旧大浜茶屋村)に建つ永安寺の<雲竜の松>
は、その姿形と樹齢から愛知県の天然記念物に指定されている。
それほど広くない境内一杯に枝が伸び、その樹勢は旺盛である。
推定樹齢は300年以上といわれ、その年輪はお寺の歴史を刻んで
いる。
雲竜の松
…
袋井市街地の東、観音山麓にあって杉木立の参道を登ると岩松寺
が建っている。
岩松寺は725年の開創と伝えるが詳細は不詳である。
しかし、平安時代後期には存在したと考えられる古刹である。
江戸時代初期に岩松寺として再興されたが、寛文年間(1661~72年)
の火災で全てを失くしている。
再建後、大工棟梁に棟上げ式次第の伝授を行…
竹鼻町の竹鼻別院の前身は御坊専福寺で、1886年真宗大谷派の別院
となった。
専福寺の名が消えるのを惜しんで、同時に新たに現在の専福寺を開創
している。
御坊専福寺は、1235年親鸞聖人が関東から京へ帰る途次に、
現在の笠松町の住人が聖人に帰依し、現在の岐南町に草庵を開創した
のが始まりといわれ、真宗大谷派にとっても親鸞聖人…
松本盆地南西部に位置する朝日村にあって、平安時代後期の開創と伝わる
古川寺は、厄除け観音のお寺として信仰篤く、1月の初縁日には数千人の
参拝者で賑わうとか。
古刹の風景に加え、四季折々の花木が彩りを添える風景が心を癒すお寺で
ある。特に、朝日村の花となっている<カタクリ>の群生地があり、5月頃
には2万株の花が見事だとか。
…
1207年承元の法難によって越後配流となった親鸞聖人が、
鯖江の地に入った折に、地元の豪族波多野景之が自らの別荘に
聖人を招き、教えを受けた。
その後、この別荘を念仏道場とし、聖人に帰依した。
聖人が車のついた輿に乗っていたことから<車の道場>と呼んで
親鸞聖人旧蹟としている。
現在は、真宗誠照寺派本山・誠照寺の別堂とし…
本願寺5世綽如上人は、1384年北陸布教のため、現在の南砺市杉谷に
草庵を結び、1385年、現在の加賀市弓波に勝光寺を開創したと
伝えられている。
更に、綽如上人は1390年に井波瑞泉寺を開創し、本願寺の教線を
北陸に根付く端緒とした。
勝光寺は加賀打越に移転し、江戸時代初期に本願寺が東西に分かれた
後、小松に東本願寺の…
加賀藩の重臣<加賀八家>の中で重きを置き、3万3千石を擁した
長氏の初代ともいえる家老長連龍(おさつらたつ)が、前田利家に
仕える前の1578年、1年間滞在したのが金光院といわれ、それ以降、
金光院住職と長氏は深い繋がりを持ったといわれている。
金光院は、717年に開創された二上山養老寺の塔頭で、養老寺の
法灯を継いでいる…
新名神箕面とどろみICを9時過ぎに出る。
今日は大阪府北部の豊能町(とよのちょう)の石仏を探索する。
豊能町には多くの古い石仏が残り、町をあげての資産保護
に努め、道路標識や説明板が整備されている。
石仏巡りには、これほど有難いことはない。
国道423号
…
豊平川を渡り、月寒通を南下すると、通りに面して豪壮な
仁王門が建つ龍松寺がある。
仁王像も巨大で、北海道でも最大級の仁王像といわれ、月寒通
のシンボル的存在と感じる。
龍松寺は、明治33年(1900年)に中央寺(札幌市中央区)
の布教拡大の一環として開創されている。
<北海道東北のお寺一覧>
(1)寺名:龍松寺(り…
伊丹市鴻池は鴻池財閥発祥の地であり、伊丹清酒発症の地でもある。
その鴻池財閥の始祖・鴻池新六は、戦国時代の武将で知られる
山中鹿介の子といわれ(諸説あり)、鴻池の地に逃れ、清酒の醸造を
始めたのが鴻池財閥の始まりといわれている。
その新六の墓が慈眼寺にある。
慈眼寺の開創は不詳であるが、本尊の釈迦如来坐像は1195年の
…
鳥取市街地の東部にあって、源太夫山の麓に本慈院、芳心寺と
並んで建つのが完龍院である。
完龍院は芳心寺の塔頭であるが、芳心寺より早い開創といわれる。
山門は3ヶ寺共通で、境内右手に完龍院、真ん中奥に芳心寺、
左手に本慈院となっている。
<鳥取県のお寺一覧>
(1)寺名:完龍院(かんりゅういん)
(2)住所:鳥取県鳥…
熊本城の東に位置する坪井地区には、お寺が多く建つことから
散策してみた。
その中で、アーチ形の山門に惹かれて参拝してみた。
縁起などは不詳で、お寺の風景を語るものは見つからなかった。
すぐ隣には、千体仏報恩寺がある。
<熊本県のお寺一覧>
(1)寺名:安養院(あんよういん)
(2)住所:熊本県熊本市中央区坪井3-8…
四国中央市の市街地にあって、伊予三島港に近い住宅地に三重塔が
建っている。それも三島幼稚園の園地に建っている。
この幼稚園は興願寺の経営で、客殿を園舎として1921年開設
されている。
三重塔は、1684年徳島県阿南市の太龍寺に建立されたもので、
1953~59年に移築され、現在は幼稚園と同居し、園児に
囲まれて親しまれてい…
瀬戸大橋を渡り切り、坂出北ICを出て、聖通寺山(117m)へ登り、
公園から瀬戸大橋の眺望を堪能した後に、南へと下った麓に建つ
聖通寺を訪れた。
聖通寺山方向
聖通寺山から瀬戸大橋
聖通寺前
聖通寺は天平年間(…
眉山東麓の寺町に建つ寿量寺は、徳島藩重臣の樋口正長が藩主から
寺地を授かり1616年に開創している。
樋口正長は大坂冬の陣で功績をあげ、徳川秀忠から感状を受けており、
徳島藩においても重きをなしたといわれている。
寺町にあって、寿量寺はソテツ寺ともいわれるほどに、境内のソテツには
由緒があるらしい。
<徳島県のお寺一覧>…
三次市南東部に位置し、尾道道吉舎(きさ)ICがある吉舎町にあって、
町の市街地西部にある小高い南天山には、14世紀中頃に和智資実が
築城した南天山城の城跡がある。
その和智資実が築城と同時に、西麓に氏寺として開創したのが善逝寺である。
戦国時代に毛利氏の侵攻によって、南天山城は落城し、和智氏も没落した。
本尊の釈迦如来坐像…
阪和道湯浅ICを8時半過ぎに出る。
2020年最初の探索になるこの日は、快晴に恵まれた
絶好の一日となった。
<稲むらの火>の町広川町(ひろがわちょう)から海岸沿いに
御坊市へと、海とお寺の風景を満喫する。
広川港
稲むら
…
法万寺が建つ岡山市北区原地区は、オリンピックで活躍した
有森裕子さんの郷里で、お寺の近くに有森裕子資料館が
ある。
法万寺が所蔵する江戸時代初期の古図によると、笠井山西麓
にあった堂屋敷廃寺、おそらく妙塔寺を起源とするのが
法万寺といわれている。
少し南にある法界院も、同じ妙塔寺を起源とするといわれ、
天平勝宝年間(749…
鳥取道用瀬ICを出て、千代川(せんだいがわ)沿いに、国道482号を
上流へ、直ぐに<流し雛の里>の用瀬に入る。
旧街道へ入ると、用瀬番所跡碑が建ち、そこには芭蕉塚があるではないか。
芭蕉は鳥取へ来たことはないが、芭蕉百回忌を経た1797年に有志が
建立した句碑で、
<夏来ても多ゞ一つ葉乃ひとつかな>
…
円山川右岸にあって、玄武洞より少し上流の山腹に、
ひっそりと建つのが帯雲寺である。
帯雲寺は、応永年間(1394~1428年)の開創で、
但馬における曹洞宗寺院の中で、最も古いお寺といわれている。
但馬への曹洞宗流入は、若狭から海を経て、円山川を遡って
養父市にまで及んだと考えられている。
本尊の十一面観音は、平安時代中…
<石の文化財>として知られる豊能町の<遊仙寺寄せ墓>、
<余野十三仏>を探索すべく、新名神箕面とどろみICから、
国道423号を7kmほど北上し、切畑口を県道109号へ
右折して直ぐの左手、小高い所に遊仙寺が建つ。
国道423号
山門から参道を
…
北野天満宮への御前通に面し、平安京の北限・一条通下ルに建つ
十如寺は、1313年日像が開創した法華堂が始まりと
伝えられている。
1293年日蓮聖人の遺命を受けて、京都へ上り布教に努め、
その足掛かりを築いているが、法華堂はその本拠として
重要な役割を果たしたといわれている。
明治45年(1912年)には、広大な境内に撮影所…
旧東海道石部宿にあって、東海道から路地を入ったところに
真明寺は建つ。
1597年、地元の有力武士青木氏の意を受けて開創された
と伝え、山号には青木山と残している。
1685年、芭蕉が<野ざらし紀行>で石部に立ち寄った際に
詠んだ句<つつじいけてその蔭に干鱈さく女>を、地元の
社中が、1796年句碑として真明寺に建てている。…
田辺市中芳養(なかはや)地区にあって、梅林の一角に建つのが
泉養寺である。
泉養寺の開創は天正年間(1573~92年)と伝えられている。
熊野古道が世界遺産になったのを契機として、和歌山県南部の
33ヶ所の神社・寺院で構成される<熊野曼陀羅33ヶ所霊場>
が設けられ、泉養寺は霊場第4番となっている。
客仏として、明治時代の神…
室生地区の北部に位置する向渕(むこうぢ)集落には、スズラン群落
など自然の恵みに溢れる里であるが、一つの伝承が残る里でもある。
それは、親鸞聖人の生母・吉光御前が晩年、向渕で隠棲したと伝わる
伝承である。
通説では、聖人若かりし頃に亡くなっている。
この伝承がある地に、本願寺三世・覚如の嫡男・存覚が1348年
開創したと伝わ…
日高町荒川にあって、広大な境内には四季折々の花木が
植えられ、特に牡丹が広く知られる<関西花の寺>である。
古い石垣構えの総門を入ると、樹木に覆われた感の楼門形式の
山門が目に飛び込んでくる。
山門から本堂、境内と花木の間を巡ると、これぞ<もくもく探索>
の醍醐味である。
訪れた時期が、牡丹が終わり、あじさいの時期であったが…
近鉄大阪線・法善寺駅西側に建つ壺井寺は、平安時代開創の
大寺であった法禅寺(地名はこの寺名からの由来)の跡地に、
1617年開創されたと伝えている。
観音堂の本尊・銅造観音は雷除けの観音として信仰され、
避雷観音と呼ばれている。
この観音は白鳳時代の作で、正式名は銅造菩薩立像であるが、
久しく観音として祀られている。
…
<京都市北区>
金閣寺(鹿苑寺):世界遺産
大徳寺:臨済宗大徳寺派大本山
<大徳寺塔頭>
興臨院:加賀藩主前田家の菩提寺
高桐院:細川三斎とガラシャ夫人の菩提寺 通常公開
大仙院:大徳寺北派本庵 通常公開
芳春院:加賀藩主前田利家の妻まつの菩提寺
龍源院:大徳寺南派本庵 通常公開
真珠庵:一休禅師の…
北区の小高い所に建つ招善寺には、いくつかのキーワードがある。
御土居、時代劇ロケ地、ハクモクレン、サツキ庭園、小さな紅葉風景と
多彩な風景を持っている。
1591年豊臣秀吉が築いた御土居の遺構が残されている<大宮御土居>
の傍に、元禄年間(1688~1704年)開創されたのが招善寺で、
御土居の守り寺ともいわれている。
サツ…
1971年から始まった野洲川改修工事において、川底から縄文~
平安時代の複合遺跡服部遺跡が発見され、日本有数の複合遺跡と
して注目された。
その遺跡の右岸に位置する服部町の中心部に、鐘楼・太鼓楼を
備えた伽藍を持つのが最光寺である。
最光寺は、15世紀後半に天台宗のお寺として開創されたと
伝えられている。
<滋賀県湖南…