草津市中心部の住宅地にこじんまりと建つ神宮寺は、その名の通り
1kmほど離れたところに、767年創建された立木神社の神宮寺
として開創され、明治時代初期の神仏分離によって現在地に
移転している。
神仏分離による神社とお寺の分離は数多く、その影響は日本人の
宗教観を大きく変えた。
<滋賀県湖南地域のお寺一覧>
(1)…
聖徳太子がこの三日市の地に、太子堂と如来堂を建立されたと
伝承され、その後太子堂は太子寺、如来堂は如来寺となったと
いわれている。
親鸞聖人が、関東から京都へ戻る際に、この地に立ち寄り
聖徳太子を偲ばれたともいわれ、弟子の顕智と善然(善念)が
ここに留まり、念仏の布教に努め、伊勢における浄土真宗の
出発点となったといわれてい…
徳川家康が1610年、名古屋城の築城を開始すると同時に、
それまで尾張の中心地であった清洲から、100余りの寺社など
多くのものを名古屋へ移転させている。これを<清洲越し>
と呼んでいる。
その中で、お寺は名古屋城の南(南寺町)、東(東寺町)に
配置されている。
現在でも、その多くが残り、大須観音を中心とした南寺町には、
…
揖斐川上流に沿って走る国道303号の東津汲(ひがしみむら)を、
県道268号へ、支流小津川に沿って山中へ小津集落に出る。
集落の山麓に洞泉寺の石段参道が延び、背の高い木々に囲まれた
境内に立つと、眼下に集落と山並みが広がる。
洞泉寺の開創は不詳であるが、天文年間(1532~55年)に
地元の領主小川氏によって再興されたと伝える…
四日市市西部の六名町(ろくみょうちょう)に建つ光輪寺は、
寛正年間(1460~66年)栃木県真岡市の本寺専修寺の僧
真慧上人が布教の折、この地に六字名号を授けたのを契機に、
念仏道場を開いたのが光輪寺の起源と伝えられている。
六名の地名は、この六字名号に由来すると思われる。
真慧上人はこの後、津市に本山専修寺を開創し、真宗高田…
中川区の古刹・宝珠院は、港区・辯天寺、港区・善光寺と共に
<名古屋三弘法>と呼ばれる霊場であり、また、<なごや七福神>
の大黒天、更に<東海三十六不動尊霊場第13番>でもある。
宝珠院は729年、白山信仰の祖・泰澄大師によって開創されたと
伝える古刹で、境内も都会にあって広い。
<名古屋市のお寺一覧>
(1)寺名:宝…
大野町北西部にあって、山麓に建つのが長念寺である。
門前近くには、1677年頃に建てられた牛洞陣屋跡が
あり、旗本・牛洞戸田氏の管轄領であった。
牛洞戸田氏の祖は初代大垣藩主・戸田氏鉄の六男・氏照で
その子・氏胤が陣屋を築いている。
長念寺は1244年開創と伝えるが詳細は不詳である。
長念寺と牛洞戸田氏の間に何らかの関係…
若狭湾の早瀬漁港から、県道214号を西へ日向漁港へ向かう右手の
高台に、こじんまりとした観音堂が建っている。
これが日向観音寺である。
由緒も宗派も不詳で、無住の観音堂であるが、ここには美浜町の
文化財に指定された千手観音と薬師如来像が祀られている。
当然、仏像はどこか博物館に保管されているのだろう。
この周辺は三方五湖の観…
砺波市街地にあって、イチョウが目立つ真光寺は浄土真宗の
お寺である。
このイチョウは砺波市指定の保存樹第1号で古木である。
砺波市のお寺は浄土真宗系のお寺が多く、その数は60ヶ寺
にも及び、真宗王国といわれる北陸の縮図を示している。
<富山県のお寺一覧>
(1)寺名:真光寺(しんこうじ)
(2)住所:富山県礪波…
東海環状線・東員ICのちかくにあって、小高い所に石垣を積んだ
上に建つのが善正寺である。
この地は暦応年間(1338~42年)に地元の豪族富永氏によって
築城された長深城の城跡といわれ、1568年織田信長の伊勢侵攻に
よって落城している。
1581年富永氏の一族が城跡に、菩提を弔うために善正寺を開創
したと伝えられている。
…
愛知県西部、木曽川下流のデルタ地帯に位置する弥富市は、
愛知県の市で最小人口の市である。
その中央部に建つのが<弥富観音>と呼ばれる大慈院であり、
1955年に設けられた尾張三十三観音霊場第14番札所である。
こじんまりとしたお寺ながら、境内は整備されている。
<愛知県のお寺一覧>
(1)寺名:大慈院(だいじいん…
池田町北部にあって、揖斐川の支流粕川の南岸、揖斐川ふれあい街道沿いに
建つ神護寺は、<病封弘法大師>として信仰を集めている。
神護寺の開創は不詳であるが、当初は真言宗のお寺であったろう。
寛永の粕川洪水で壊滅し、記録は残っていない。
1697年地元代官・野原氏が臨済宗神護寺として再興している。
1951年廃寺となった薬師寺と合…
天竜川左岸の河岸段丘に立つ常秀院からは、天竜川と中央アルプスを
望めるが、残念ながらアルプスは雲に覆われていた。
常秀院山門前の宝篋印塔は1392年、地元の豪族菅沼氏によって
建立されたと伝わる。
菅沼氏の菅沼城はお寺から南200mの台地上にあったといわれているが、
戦国時代に武田信玄との戦いで落城したといわれる。
常秀院の…
国道27号(丹後街道)の<瓜割の滝口>から名刹天徳寺への参道を入ってすぐ、
左手に楼門形式の山門を構えるのが良念寺である。
天徳寺は名水<瓜割の滝>で観光客も訪れる名刹であるが、良念寺は
ひっそりとしたお寺である。
良念寺の開創は不詳であるが、室町時代の阿弥陀如来立像が本尊として
祀られている。
<福井県のお寺一覧>
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本願寺3代覚如(1271~1351年)の高弟・乗専が、現在の
京都市北区出雲路に開創した毫摂寺が、応仁の乱(1467~
78年)で焼失し、時の住職善幸は越前證誠寺へ身を寄せ、その
子達は、各地に毫摂寺を開創した。
その一つが加賀毫摂寺である。
開創は不詳であるが、1640年加賀大聖寺に再興されたといわれる。
<石川県のお…
小矢部のシンボルタワー<クロスランドタワー(118m)>を
目の前にする乗永寺は、小矢部市にある真宗大谷派40数ヶ寺の
有数なお寺といわれている。
1290年現在の砺波市に開創され、室町時代には越中一向一揆、
戦国時代には石山合戦などに参加し衰退したが、1758年頃
現在地に移転している。
1759年には、南砺市善徳寺(城瑞…
千歳市街地に、ベンガラ塀の目立つ千正寺が建つ。
富山県富山市の妙教寺で生まれた團正が1900年、
北海道に渡り、千歳市根志越(ねしこし)地区に
説教所を開いたのが千正寺の始まりである。
その頃の千歳は、札幌本道が開通し、宿場町として
スタートした時期になる。
現在の千正寺住職は4代目で、種々の行事活動に熱心で、
檀家信者も…
鎌倉時代末期~戦国時代末期の長い期間、播磨に君臨した
赤松氏にあって最盛期を築いた9代赤松政則が、鷹狩りで
宿泊していた長円寺で最期を迎えたといわれている。
赤松氏の3代赤松円心が播磨に君臨したが、8代満祐の
嘉吉の乱(1441年)で一時没落するが、政則が盛り返し
赤松氏の最盛期を築いている。
長円寺は650年開創と伝わ…
綾部市東部に位置する上林地区の睦寄町(むつよりちょう)山麓に
建つのが金剛寺である。
金剛寺は、元亨年間(1321~24年)紫王庵として開創されたと
伝え、1390年金剛寺となっている。
この間、実質上の相国寺開山で、五山文化の貢献者として名をなした
普明国師(春屋妙葩)が一時舞鶴に隠棲した折に、紫王庵に度々
宿泊したといわ…
鳥取市街地の東に位置し、源太夫山の山麓に建つ芳心寺は、
日蓮宗総本山身延山の別院で、山陰身延といわれ、日蓮聖人の
真骨の一部を安置している。
この経緯は、芳心寺に分骨墓がある鳥取藩主池田光仲の正室
芳心院(因幡姫)が日蓮宗信者として、聖人真骨の一部を
奉納したことにある。
芳心院は、紀州藩主徳川頼宜の長女で、祖母が徳川家康の…
小高い菊池公園の南端にひっそりと建つのが東福寺であるが、
熊本地震で多くの石塔が倒れ被害を受けている。
938年の開創と伝える古刹で、平安時代後期に菊池氏の
庇護を受け菩提寺となっている。
鎌倉時代末期に菊池氏の全盛期を迎え、菊池に菊池五山が
設けられ、その筆頭として東福寺がなっている。
その後、菊池氏の衰退と共に東福寺も衰…
北に比熊山、東に西城川、西に江の川に囲まれた三次市三次町は、
三次藩の城下町として栄えた地区である。
その町を南北に通る<みよし本通り>は、2007年無電柱、石畳
の通りとして整備され、三次の文化・観光の拠点となっている。
その本通りの南端西側に建つ名刹・照林坊境内に常順寺がある。
照林坊の末寺で、現代的な建築である。
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