大雲寺 (兵庫県宍粟市山崎町) 山崎藩主本多氏の菩提寺

宍粟市山崎町は、古来因幡街道の拠点であったが、1615年姫路藩主・ 池田輝政の四男・輝澄が山崎藩を立てたが、その後藩主がいくつか 変わり、1679年本多氏が入って明治維新まで続き、山崎町の基礎を 築いている。 城はなかったが陣屋が置かれ、城下町として発展した。 藩主本多氏の菩提寺が大雲寺である。 大雲寺の建つ一帯は、山崎藩の…

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常運寺 (広島県三次市)

浅野長治が、広島藩の支藩として1632年三次藩主となり、1633年長治は 菩提寺として鳳源寺を開創しているが、長治の家臣・今中勘太夫は同年 自らの菩提寺として、増上寺の欣誉休山を勧請開山として常運寺を 開創している。 常運寺は三次の代表的な照林坊の裏に建っている。 <広島県のお寺一覧>参照 (1)寺名:常運寺(じょう…

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浄土寺 (岡山県赤磐市) 備前48ヶ寺

県道27号軽部下から山あいの参道を登って行くと、楼門形式の山門が 迎えてくれる。 山門を回り込んで更に登って行くと、山裾に浄土寺伽藍が忽然と 現れてくる。周囲は幾ばくかの田畑と小高い山に囲まれたかっての 古寺を想像できるが、現在の境内・伽藍は整備され爽やかさを感じ さてくれる。 本堂の内陣は室町時代の様子を残し、外観は江戸時…

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蓮花寺 (徳島県徳島市) 法制史上最後の切腹地

明治3年(1870年)、徳島藩家臣が洲本城代家老稲田氏の屋敷などを 襲い、稲田氏家臣の無抵抗にもかかわらず稲田氏側に多くの死傷者を 出した<庚午事変>の首謀者10名に、法制史上最後といわれる切腹刑 が言い渡され、蓮花寺で4名、万福寺で4名が切腹している。 この事件により、淡路島は徳島から兵庫県に編入されている。 蓮花寺は、…

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威音寺 (京都府南丹市日吉町)

桂川支流が流れる日吉町四ツ谷風呂ノ本の谷筋山麓にポツンと建つのが 威音寺である。 造成中の参道を登っていくと、宝篋印塔などの石造物がいくつか安置され、 これから何が見つかるか楽しみを持って登りきると、本堂と廃れた庭園跡 があった。 庭園跡から古の姿を想像するのが出来なかった。 他に石造物がないか探索したが見つからず。 …

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正観院 (奈良県奈良市) 東大寺塔頭

東大寺ミュージアムの裏側に建つ正観院は、1844年現在の正倉院境内に 開創された。現存する東大寺塔頭では最新の塔頭である。 明治8年(1875年)、正倉院が東大寺から明治政府内務省管轄に 移った際に、正観院は一旦閉じて、1917年現在地に再興されている。 <奈良市のお寺一覧>参照 (1)寺名:正観院(しょうかんいん) …

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蓮華寺 (兵庫県姫路市夢前町)

蓮華寺は天長年間(824~834年)に慈覚大師円仁よって開創されたと 伝えられるが、その詳細は不詳である。 本堂は懸造りで、本尊は秘仏の石造地蔵菩薩。 本堂内に安置されている十一面観音坐像は10世紀頃の造像と考えられ、 近年補修され古の姿を取り戻したといわれている。 <兵庫県のお寺一覧>参照 (1)寺名:蓮華寺(れん…

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本受寺 (大阪府堺市) 西宗真の菩提寺

妙国寺の斜め前に門を閉ざして建つ本受寺は、西宗真(洗礼名ルイス)の 菩提寺である。 西宗真はもと肥前大村藩士であったが、マニラルソン島に渡り、そこを 拠点に日本貿易を行っていた。 江戸時代になって、徳川家康の目にかかり、駿府で謁見し、海外事情を 話し、朱印船貿易を許可され、財を成した。 元和年間(1615~24年)堺に移り、…

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真福寺 (京都府亀岡市)

西国三十三所観音霊場第21番穴太寺西の細い路地を入った突き当りに 建つのが真福寺である。 真福寺の若い住職は、地域との繋がりを積極的に勧めておられ、 椿コンサートや法話会などを行われている。 地域とお寺の在り方を模索され、今後の活躍が楽しみと感じた。 真福寺は、1650年宇治市興聖寺の第5世萬安英種によって開創 されてい…

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竹蓮寺 (滋賀県長浜市高月町) 宝冠阿弥陀如来像

山本山の麓に位置する西阿閉(にしあつじ)集落に建つ竹蓮寺の 宝冠阿弥陀如来像は、地元では永らく観音菩薩として祀られてきた。 一部補正が施され観音像に見えるが、もともと宝冠阿弥陀如来像で ある。 宝冠阿弥陀如来像は数は少なく、真言密教系と天台宗常行系に二分 され、竹蓮寺の阿弥陀如来像は密教系と考えられている。 有名な宝冠阿弥陀…

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西禅院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院

西禅院は平安時代後期に開創されたと伝えるが、詳細は不詳である。 東国から京へ戻ったばかりの親鸞聖人62,3歳頃、聖人は高野山に 入り、西禅院の地に庵を結んで修行したといわれている。 もともと西禅院の本尊は観音菩薩であったが、聖人が自ら彫ったと いわれる阿弥陀如来をその後本尊とした。 現代では、松下幸之助氏が長らく逗留された…

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徳正寺 (京都市下京区)

1272年親鸞聖人の大谷廟堂が、現在の知恩院塔頭・崇泰院の地に建立され、 1321年大谷廟堂が本願寺となった。 1465年蓮如上人の時代に、比叡山の衆徒によって本願寺は破却されたが、 蓮如上人に帰依していた越前の井上願知が親鸞聖人の墳墓を守護し、 大谷道場とした。 その後、二度にわたり破却されたが、1589年井上願知の子孫・祐…

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