大覚寺 (兵庫県姫路市) 網干の名刹
姫路市の網干の名は、魚吹八幡神社の放生会が行われる日に、氏子の漁師が
漁を止めて網を干したことから名付けられたといわれている。
揖保川が播磨灘に流れ込む河口に位置している。
大覚寺は、この網干の古い漁港(古網干余子浜)にあった釈迦堂が前身といわれ、
1233年以後に真言宗光接院として開創している。
永正年間(1504~21年)に浄土宗に改宗したが、1534年兵火によって焼失
している。
1556年現在地に大覚寺として再興され、江戸時代には大名クラスの格式を
持つ名刹となっている。
それに相応しい文化財が残っている。
広い境内は整備され、大寺の佇まいを残している。
<兵庫県のお寺一覧>参照
(1)寺名:大覚寺(だいかくじ) (2)住所:兵庫県姫路市網干区興浜151
(3)山号:鶴立山 (4)宗派:浄土宗西山禅林寺派
(5)開基:定翁隆禅 (6)開創:1233年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)釈迦三尊像(画):重要文化財 鎌倉時代
十六羅漢像(画):重要文化財 鎌倉時代
当麻曼荼羅図:県指定文化財 鎌倉時代末期
地蔵菩薩像(画):市指定文化財 鎌倉時代
2)毘沙門天立像:市指定文化財 鎌倉時代前期 慶派作
3)市指定文化財の伽藍
本堂:1634年 荒神社本殿:1635年 観音堂:1671年
総門:17世紀後半
4)孔雀文磬:市指定文化財 鎌倉時代
総門
総門
境内図
東門
境内
境内
本堂
釈迦堂
観音堂
庫裡
荒神社
漁を止めて網を干したことから名付けられたといわれている。
揖保川が播磨灘に流れ込む河口に位置している。
大覚寺は、この網干の古い漁港(古網干余子浜)にあった釈迦堂が前身といわれ、
1233年以後に真言宗光接院として開創している。
永正年間(1504~21年)に浄土宗に改宗したが、1534年兵火によって焼失
している。
1556年現在地に大覚寺として再興され、江戸時代には大名クラスの格式を
持つ名刹となっている。
それに相応しい文化財が残っている。
広い境内は整備され、大寺の佇まいを残している。
<兵庫県のお寺一覧>参照
(1)寺名:大覚寺(だいかくじ) (2)住所:兵庫県姫路市網干区興浜151
(3)山号:鶴立山 (4)宗派:浄土宗西山禅林寺派
(5)開基:定翁隆禅 (6)開創:1233年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)釈迦三尊像(画):重要文化財 鎌倉時代
十六羅漢像(画):重要文化財 鎌倉時代
当麻曼荼羅図:県指定文化財 鎌倉時代末期
地蔵菩薩像(画):市指定文化財 鎌倉時代
2)毘沙門天立像:市指定文化財 鎌倉時代前期 慶派作
3)市指定文化財の伽藍
本堂:1634年 荒神社本殿:1635年 観音堂:1671年
総門:17世紀後半
4)孔雀文磬:市指定文化財 鎌倉時代
総門
総門
境内図
東門
境内
境内
本堂
釈迦堂
観音堂
庫裡
荒神社