1568年織田信長が伊勢に侵攻して来た時、分部光嘉は織田に味方し、 信長の弟・信包に従って1570年伊勢上野城を築城し、城主となっている。 その時に、栗真庄中山にあった円光寺を上野に移し菩提寺としている。 1600年関ヶ原の戦いで徳川方につき、伊勢上野藩の初代藩主となるが、 1601年に亡くなっている。 2代藩主・分部光信は近江大溝藩主に転封となり、円光寺も同時に近江 に移っている。 残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続している。 近江に移った円光寺は滋賀県高島市に存続し、大溝藩主・分部氏の 菩提寺となっている。 円光寺は1358年後光厳天皇の勅願寺として、現在の津市栗真中山町 に開創されたと伝えられている。 <三重県のお寺一覧>参照 (1)寺名:円光寺(えんこうじ) (2)住所:三重県津市河芸町上野2861 (3)山号:萬松山 (4)宗派:臨済宗東福寺派 (5)開創:1358年 (6)本尊:釈迦牟尼 山門 本堂 分部氏の墓 |
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