宗堅寺 (愛知県新城市) 野田菅沼氏の菩提寺

新城市にあった野田城は1508年野田菅沼氏によって築城され、3代目の
菅沼定盈が野田城主の時の1572年幸春寺を開創している。
(これが宗堅寺の始まりである)
菅沼定盈は1573年武田信玄と徳川家康の<野田城の戦い>で敗れるが、
1575年の長篠の戦い後、再び野田城を取り返している。
1600年関ヶ原の戦いで徳川方で活躍し、次男が伊勢長島藩主となり、
定盈は伊勢長島で1604年亡くなっている。
この時、幸春寺を宗堅寺と改名し、野田菅沼氏の菩提寺としている。
その後、野田菅沼氏は伊勢長島~近江膳所~丹波亀山(亀岡)と転封し、
宗堅寺も移転し、1648年野田菅沼氏が新城に戻って、宗堅寺も
現在地に落ち着くことになった。

野田城の戦いで、武田信玄に向って撃ったと伝えられる鉄砲(信玄砲)が
お寺の寺宝となっている。
なお、丹波亀岡にも宗堅寺は残っている。

<愛知県のお寺一覧>参照

(1)寺名:宗堅寺(そうけんじ) (2)住所:愛知県新城市宮ノ前48
(3)山号:幸雲山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:菅沼定盈 (6)開創:1572年 (7)本尊:釈迦牟尼
(8)その他
1)信玄砲:市指定文化財 16世紀

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                        山門

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                        本堂

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