1651年尾張第2代藩主・徳川光友と側室・勘解由小路の間に長男として、 松平義昌は青巌寺で生まれ育てられたといわれている。 側室の子として、正室(徳川家光の娘)に憚り青巌寺で生まれ、その上 三男として扱われている。 義昌は1683年陸奥梁川藩主(福島県伊達市)となっている。 こうした経緯から、徳川光友は1692年青巌寺本堂を建立している。 現在の本堂がそれである。 青巌寺の開創は不詳であるが、南北朝時代には慈恩寺として、 伊勢国司・北畠氏の祈願所であったといわれている。 1561年真宗高田派の青巌寺として再興されている。 <三重県のお寺一覧>参照 (1)寺名:青巌寺(せいがんじ) (2)住所:三重県津市一志町小山1375 (3)山号:金龍山 (4)宗派:真宗高田派 (5)開創:不詳 (6)中興:1561年 了珍 (7)本尊:阿弥陀如来 (8)その他 1)本堂:市指定文化財 1692年 2)本尊・阿弥陀如来立像:市指定文化財 13世紀 像高77cm 3)仏涅槃図:市指定文化財 室町時代 聖徳太子及び浄土高僧連坐像(画):市指定文化財 室町時代 4)青巌寺古文書:市指定文化財 室町〜江戸時代初期 全景 山門 本堂 |
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