もくもく探索日誌 2015年9月5日 泉南~紀ノ川流域
阪和道泉南ICを8時に出る。
泉南海岸に出て、関西空港と連絡橋を遠望することから、本日の
泉南~和歌山市内~紀ノ川南岸を上流へと辿る。
九度山~橋本~御所と経由して。
泉南市の<極楽密寺>は奈良時代の偉大な僧・行基が開創したという
古刹である。
関西空港
極楽密寺
阪南市へ入る。
重層屋根の本堂<瑞宝寺>、尾崎御坊<本願寺尾崎別院>の浜街道を
南へ。
豊臣秀次の娘・お菊の像が安置されて、お菊寺と呼ばれる<法福寺>、
地蔵菩薩の<宗福寺>は山門が閉じられ参拝できず。
瑞宝寺
本願寺尾崎別院
法福寺
宗福寺
海岸沿いに阪南市~岬町~和歌山市加太へと。
加太港に立ち寄り、推定樹齢400年といわれるビャクシンの<常行寺>。
本堂では法事が。
和歌山市内へ。
徳川第8代将軍・吉宗の祖母の菩提寺<大立寺>から東へ。
ここからが難渋する道探しが始まる。住宅街に建つ<薬徳寺>へ細い
道を行きつ戻りつ、対向車の度にバックしたりと、もくもく探索の醍醐味を
味わう。執念と忍耐で辿り着く。
次の<阿弥陀寺>へも同様の難渋。
加太港
常行寺
薬徳寺
和歌山市内を離れ、紀ノ川南岸を上流へ。快適なドライブと一変。
和歌山市東端のクスの木が風景を作っている<光恩寺>は小規模ながら
お寺然としている。
紀ノ川南岸を30km上流へ。真田幸村ののぼりが目立つ九度山に入る。
来年の大河ドラマは真田幸村ということで、九度山は燃えている。
弘法大師空海ゆかりの世界遺産<慈尊院>と、その裏山に建つ<勝利寺>と。
勝利寺では、町職員と懇談。来年の九度山観光対策など。
高野山への町石道をほんの少し歩く。
光恩寺
紀ノ川
慈尊院
勝利寺
町石道
橋本市学文路(かむろ)にはいる。<学文路(かむろ)>と誰が読むだろう。
山手へ。苅萱堂<西光寺>を経て、信仰の篤い<かむろ大師>では、
年輩の地元夫人と話し込む。かむろ大師が山手に移動した経緯など。
西光寺
西光寺から眺望
かむろ大師
かむろ大師から
御所市へ。
峯山百体観音の<弥勒寺>へ。百体観音を求めて探す。
時刻も気になり、もくもく探索に反して今回は諦めて帰路に。
万歩計七千歩。
弥勒寺
泉南海岸に出て、関西空港と連絡橋を遠望することから、本日の
泉南~和歌山市内~紀ノ川南岸を上流へと辿る。
九度山~橋本~御所と経由して。
泉南市の<極楽密寺>は奈良時代の偉大な僧・行基が開創したという
古刹である。
関西空港
極楽密寺
阪南市へ入る。
重層屋根の本堂<瑞宝寺>、尾崎御坊<本願寺尾崎別院>の浜街道を
南へ。
豊臣秀次の娘・お菊の像が安置されて、お菊寺と呼ばれる<法福寺>、
地蔵菩薩の<宗福寺>は山門が閉じられ参拝できず。
瑞宝寺
本願寺尾崎別院
法福寺
宗福寺
海岸沿いに阪南市~岬町~和歌山市加太へと。
加太港に立ち寄り、推定樹齢400年といわれるビャクシンの<常行寺>。
本堂では法事が。
和歌山市内へ。
徳川第8代将軍・吉宗の祖母の菩提寺<大立寺>から東へ。
ここからが難渋する道探しが始まる。住宅街に建つ<薬徳寺>へ細い
道を行きつ戻りつ、対向車の度にバックしたりと、もくもく探索の醍醐味を
味わう。執念と忍耐で辿り着く。
次の<阿弥陀寺>へも同様の難渋。
加太港
常行寺
薬徳寺
和歌山市内を離れ、紀ノ川南岸を上流へ。快適なドライブと一変。
和歌山市東端のクスの木が風景を作っている<光恩寺>は小規模ながら
お寺然としている。
紀ノ川南岸を30km上流へ。真田幸村ののぼりが目立つ九度山に入る。
来年の大河ドラマは真田幸村ということで、九度山は燃えている。
弘法大師空海ゆかりの世界遺産<慈尊院>と、その裏山に建つ<勝利寺>と。
勝利寺では、町職員と懇談。来年の九度山観光対策など。
高野山への町石道をほんの少し歩く。
光恩寺
紀ノ川
慈尊院
勝利寺
町石道
橋本市学文路(かむろ)にはいる。<学文路(かむろ)>と誰が読むだろう。
山手へ。苅萱堂<西光寺>を経て、信仰の篤い<かむろ大師>では、
年輩の地元夫人と話し込む。かむろ大師が山手に移動した経緯など。
西光寺
西光寺から眺望
かむろ大師
かむろ大師から
御所市へ。
峯山百体観音の<弥勒寺>へ。百体観音を求めて探す。
時刻も気になり、もくもく探索に反して今回は諦めて帰路に。
万歩計七千歩。
弥勒寺