真念寺 (岐阜県関ケ原町) 班女の観音堂

平安時代中頃、公卿吉田少将が野上の長者宅に泊まった際、もてなしをした
花子と契りを結び、子供・梅若丸が授かり、東国に向った少将の許に梅若丸
は送られる。便りがないので、花子も東国へ向うが、梅若丸が亡くなっている
のを知り、狂気して野上に戻り観音菩薩にひたすら念じたと伝承されている。
この話には、いくつかの伝説があり、世阿弥の能楽にもなっている。
中国の班女の話によく似ていることから、班女の名前が付けられたといわれて
いる。
真念寺の始まりは、一説には野上の人々がこの班女の観音堂を建立したこと
にあると伝えられている。

裏山の中腹には、672年の壬申の乱において、大海人皇子が本拠地を
築いた跡(野上行宮跡)が残されている。
奈良時代に、行基がこの行宮跡に南方六坊を開創し、その内の一坊が
真念坊と呼ばれ、それが後に真念寺となったともいわれている。

<岐阜県のお寺一覧>参照

(1)寺名:真念寺(しんねんじ) (2)住所:岐阜県関ケ原町野上1280-1
(3)山号:鶏籠山 (4)宗派:真宗大谷派
(5)開基:行基 (6)開創:奈良時代前半 (7)本尊:阿弥陀如来

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                        全景

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                        参道

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                      班女観音堂

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                        本堂