太龍寺 (徳島県阿南市) 四国八十八ヶ所霊場第21番
太龍寺は太竜寺山(618m)山頂ちかくにある四国八十八ヶ所霊場第21番
で<西の高野>とよばれている霊場である。
太龍寺の名前は、弘法大師24歳の出家宣言であり最初の著作である
<三教指帰>に<阿国太龍の嶽にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念す
・・・>とあるのが太龍嶽で空海が100日間修行した19歳の頃である。
この修行の場はお寺の境内から600mほど離れた舎心嶽といわれ、
現在はそこに修行する空海像が建てられている。
ロープウェイで山頂駅に近づくと右の方に見える。
太龍寺は793年桓武天皇の勅願により空海が虚空蔵菩薩を祀ったのが
始まりと伝えられている。平安時代から戦国時代にかけては大いに
栄えたといわれているが、長宗我部の兵火により焼失したが、江戸時代
になり徳島藩主蜂須賀家の庇護で再興されている。
1992年ロープウェイができて参拝し易く多くのお遍路さんが訪れ、眺望
を楽しむ観光客も多い。
現在は台風6号の影響で本堂が修復中であり、2011年10月9日に参拝
した時は覆いがかけられていた。
本来の参道には南北朝時代の丁石が残され、参道が国の史跡に指定
さている。
次回参拝する時は本来の参道を歩いてみよう。
(1)寺名:太龍寺(たいりゅうじ) (2)住所:徳島県阿南市加茂町龍山2
(3)山号:舎心山 (4)宗派:高野山真言宗
(5)開山:弘法大師空海 (6)開創:793年 (7)本尊:虚空蔵菩薩
(8)その他
1)四国八十八ヶ所霊場第21番
2)太龍寺参道:国指定史跡
3)丁石11基:県指定史跡 南北朝時代
丁石7基:市指定文化財
4)大杉:推定樹齢600年
ロープウェイ山麓
ロープウェイ
舎心嶽弘法大師像
本堂への参道
本坊
鐘楼門
大杉の参道
大師堂
多宝塔
弘法大師像
で<西の高野>とよばれている霊場である。
太龍寺の名前は、弘法大師24歳の出家宣言であり最初の著作である
<三教指帰>に<阿国太龍の嶽にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念す
・・・>とあるのが太龍嶽で空海が100日間修行した19歳の頃である。
この修行の場はお寺の境内から600mほど離れた舎心嶽といわれ、
現在はそこに修行する空海像が建てられている。
ロープウェイで山頂駅に近づくと右の方に見える。
太龍寺は793年桓武天皇の勅願により空海が虚空蔵菩薩を祀ったのが
始まりと伝えられている。平安時代から戦国時代にかけては大いに
栄えたといわれているが、長宗我部の兵火により焼失したが、江戸時代
になり徳島藩主蜂須賀家の庇護で再興されている。
1992年ロープウェイができて参拝し易く多くのお遍路さんが訪れ、眺望
を楽しむ観光客も多い。
現在は台風6号の影響で本堂が修復中であり、2011年10月9日に参拝
した時は覆いがかけられていた。
本来の参道には南北朝時代の丁石が残され、参道が国の史跡に指定
さている。
次回参拝する時は本来の参道を歩いてみよう。
(1)寺名:太龍寺(たいりゅうじ) (2)住所:徳島県阿南市加茂町龍山2
(3)山号:舎心山 (4)宗派:高野山真言宗
(5)開山:弘法大師空海 (6)開創:793年 (7)本尊:虚空蔵菩薩
(8)その他
1)四国八十八ヶ所霊場第21番
2)太龍寺参道:国指定史跡
3)丁石11基:県指定史跡 南北朝時代
丁石7基:市指定文化財
4)大杉:推定樹齢600年
ロープウェイ山麓
ロープウェイ
舎心嶽弘法大師像
本堂への参道
本坊
鐘楼門
大杉の参道
大師堂
多宝塔
弘法大師像