随願寺 (兵庫県姫路市) 姫路藩主榊原忠次の菩提寺
姫路藩は西国統治の要でもあり、徳川幕府は藩主について留意したことから、
藩主は池田~本多~奥平松平~越前松平~榊原~越前松平~本多~榊原
~越前松平~酒井と変えている。
榊原忠次は1649年~1665年の間姫路藩主を勤めているが、その間姫路の
新田開発を行い姫路の発展に寄与している。
忠次は随願寺の再興にも尽力し、現在の本堂などを再建着手している。
随願寺は聖徳太子の命により、高麗僧・慧便が開創した増位寺が始まりと
伝えられ、行基が中興しているといわれている。
平安時代には皇室の行幸などもあり大いに栄え、播磨六山の一つに数えられ、
円教寺とともに名刹といわれるようになった。
1573年戦火により全焼したが、1586年には秀吉により再興され、
1660年代に姫路藩主榊原忠次によって本堂などが再建着手されている。
増位山の山間にあり、いつもは静寂に包まれた伽藍が古の盛りを
言わんとしているようだ。
(1)寺名:随願寺(ずいがんじ) (2)住所:兵庫県姫路市白国3-12-5
(3)山号:増位山 (4)宗派:天台宗
(5)開山:慧便 (6)開創:飛鳥時代 (7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)重要文化財伽藍
本堂・厨子:1692年 元禄時代の代表的な建築
開山堂・厨子:1654年頃 寺最古の建築
経堂:1761年頃 撞木造り
鐘楼:1718年 袴腰
榊原忠次墓所唐門:1731年
2)仏像
本尊薬師如来坐像:県指定文化財 藤原時代
毘沙門天立像:重要文化財 藤原時代初期
行基菩薩坐像:市指定文化財 南北朝時代
3)榊原忠次墓所・榊原政邦墓所:市指定史跡
境内
<重文>本堂
<重文>本堂
<重文>開山堂
<重文>経堂
<重文>鐘楼
榊原忠次墓所
<重文>榊原忠次墓所唐門
藩主は池田~本多~奥平松平~越前松平~榊原~越前松平~本多~榊原
~越前松平~酒井と変えている。
榊原忠次は1649年~1665年の間姫路藩主を勤めているが、その間姫路の
新田開発を行い姫路の発展に寄与している。
忠次は随願寺の再興にも尽力し、現在の本堂などを再建着手している。
随願寺は聖徳太子の命により、高麗僧・慧便が開創した増位寺が始まりと
伝えられ、行基が中興しているといわれている。
平安時代には皇室の行幸などもあり大いに栄え、播磨六山の一つに数えられ、
円教寺とともに名刹といわれるようになった。
1573年戦火により全焼したが、1586年には秀吉により再興され、
1660年代に姫路藩主榊原忠次によって本堂などが再建着手されている。
増位山の山間にあり、いつもは静寂に包まれた伽藍が古の盛りを
言わんとしているようだ。
(1)寺名:随願寺(ずいがんじ) (2)住所:兵庫県姫路市白国3-12-5
(3)山号:増位山 (4)宗派:天台宗
(5)開山:慧便 (6)開創:飛鳥時代 (7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)重要文化財伽藍
本堂・厨子:1692年 元禄時代の代表的な建築
開山堂・厨子:1654年頃 寺最古の建築
経堂:1761年頃 撞木造り
鐘楼:1718年 袴腰
榊原忠次墓所唐門:1731年
2)仏像
本尊薬師如来坐像:県指定文化財 藤原時代
毘沙門天立像:重要文化財 藤原時代初期
行基菩薩坐像:市指定文化財 南北朝時代
3)榊原忠次墓所・榊原政邦墓所:市指定史跡
境内
<重文>本堂
<重文>本堂
<重文>開山堂
<重文>経堂
<重文>鐘楼
榊原忠次墓所
<重文>榊原忠次墓所唐門