もくもく探索日誌 2009年11月26日 小町伝説の京都随心院

快晴に恵まれ小町祭が催されている京都山科の随心院に出かけてみた。
11月14~30日の間種々の催しが行われるのだが、今日は催しが
無い日にあたりゆっくりと秋の随心院を満喫させてもらった。

小町伝説に彩られた随心院は四季を通じて花木に彩られ、まさしく
小町が現れそうな風景を呈している。

<花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に>

と詠われる百人一首の歌は誰もが知る名歌であり、古今和歌集にも
17首が載せられ六歌仙にも数えられている小野小町。
また、美人の代表として日本では世界三大美人に数えられている。

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                       参道

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                    小野小町歌碑

しかし、小野小町の生没年を始めその歴史は不明に包まれている。
だからこそ、日本中に小町伝説があり、260数ヶ所の地に小町が
現れるのだろう。

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                      薬医門

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                       梅園

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                       境内

生誕地の主な伝承では、
 (1)秋田県湯沢市小野で、小野篁の孫として815年に生まれ京へ
   上ったとする。
 (2)京の藤原冬嗣の邸で、小野篁の娘として826年に生まれ、
   長い間宮中に仕えたとする。
 (3)他に福井県越前市、福島県小野町など多くの伝承地がある。

終焉地の主な伝承では、
 (1)京から帰って湯沢市小野で没したとする。
 (2)宮中を出てから京都市山科区小野(随心院の地)に庵を
   築いて晩年の余生を送った。
 (3)京丹後市大宮町など数多くある。

しかし、歌人として平安時代初期に京の宮中で仕えたのはほぼ
推定されている。

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                       本堂

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                       庭園

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                       庭園

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                       書院

随心院の寺伝では、宮中に仕えた後、小野の里に庵を構えて
70歳を越えて侘びしく亡くなったといわれ、その間に深草少将との
<百夜通い(ももよがよい)>伝説、貴公子からの恋文などの伝説が
生まれたと伝えられ、その庵の跡地に随心院が991年開創された。
境内には<小町化粧井戸><文塚>や<小町文張り地蔵尊>
<卒塔婆小町坐像>など多くの遺跡・遺物が残され、史跡に指定
されている。

<随心院 梅の風景>参照
<随心院 雪の風景>参照

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                      化粧井戸

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                       文塚