もくもく探索日誌 2009年9月8日 大和郡山

奈良県大和郡山市は奈良市の南に位置し、城下町と金魚で
知られるが、日本で山形県庄内とともに金魚養殖で栄えたのも
昔日の感があり、養殖池も埋め立てが進み、工業団地や住宅地
に変わりつつある。金魚養殖は江戸時代に武士の副業として
始まったといわれている。

郡山城は<洞ヶ峠の日和見>で知られる筒井順慶によって
1580年築城され、その後豊臣秀長・増田長盛・水野勝成・
松平家・本多家・柳沢家と城主が引き継がれていった。

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                      郡山城址

今日は、これら城主の菩提寺を中心として探索に出かけたが、
1ヶ月ぶりの探索になる。

まずは、豊臣秀長の菩提寺春岳院に進路をとったが、街中の
狭い道路と一方通行に悩まされながらやっと辿り着く。
小さな寂しいお寺で、秀長の菩提寺としては予想外であった。
しかし、秀吉とともに京都豊国神社に祀られ、秀長の威厳は
保たれているようだ。

近くの実相寺を経て、城址の近くにある永慶寺を訪れて
その繁栄ぶりに、春岳院との落差を痛く感じる。
1724年甲府から郡山へ移ってきた大老格の柳沢吉保の
菩提寺として甲府から移ってきたのが永慶寺である。
境内は隅から隅まで手入れされ、柳沢家の歴史を感じさせる。


矢田丘陵に向って行く途中にある登志禅院は本多家の
菩提寺で、ここも禅寺らしく手入れが行き届いている。
大名の菩提寺は禅寺が圧倒的に多いが、その盛衰と歴史を
背負ったお寺の経営は大変であろう。
今までにも、多くの大名菩提寺を訪れて強く感じている。


ここまで来たからと、矢田丘陵の東明寺へと向かう。
矢田寺・松尾寺と並ぶ古刹であるが、その寂れた風景は
悲しいものである。


大和郡山市の南部にある本門寺は、筒井順慶の菩提寺
であるが、もとは寿福院であったが明治時代に本門寺に
移されている。現在修復中であったが、庭園を少し見ることが
できたのが幸い。(通常非公開)


帰路に日本最古の安産祈願で多くの参拝者がある帯解寺(おびとけでら)に
立ち寄ったが、今日は参拝者の姿を全く見かけずちょっとビックリ。
大いに繁栄している寺の風景がある。
そう言えば、今日はどのお寺でも参拝者を見かけなかったのには
驚き。もくもく探索でも初めてではないだろうか。