陶芸サークルの活動 京都祇園祭山鉾 その1

祇園祭の山鉾32基を紹介してみよう。
祇園祭は平安時代869年に八坂神社のお祭りとして始まったといわれ、
山鉾巡行は室町時代1500年に始まり、500年の歴史がある。

なお、京都市は祇園祭を世界無形文化遺産に登録すべく申請の
準備に入っている。
現時点(2008年7月)では代表リストが出来上がっており、世界で
90件が入っている。日本では、<能楽><人形浄瑠璃文楽>
<歌舞伎>の3件が入っていて、2009年にこの90件が登録される
予定になっている。
<祇園祭>はその後の申請になるであろう。

山鉾は鉾が9基、山が23基で、巡行の順番は<くじ取らず>と言って
順番が決まっているものと、<くじ取り式>で毎年順番が決まるものがある。
<くじ取らず>の山鉾は、
①長刀鉾:1番 ②函谷鉾:5番 ③放下鉾:21番 ④岩戸山:22番
⑤船鉾:23番 ⑥北観音山:24番 ⑦橋弁慶山:25番 ⑧南観音山:32番
また、稚児が実際に乗るのは長刀鉾だけで、他は人形である。

山鉾の懸装品(胴体を飾る織物)は前懸、胴懸、見送(後懸)と呼び、
中には重要文化財に指定されたものもある。
こうした美術品から山鉾を<動く美術館>と表現している。

2008年の巡行順に山鉾を簡単に紹介しよう。

<その1では、1番~10番> <その2では、11番~20番
その3では、21番~32番>を参照

1番<長刀鉾(なぎなたほこ)>
1522年長刀を鉾に飾ったところ疫病が退散したといわれ、疫病邪悪を払う
長刀といわれている。稚児が乗る唯一の鉾。真木は20m。

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                      長刀鉾

2番<孟宗山(もうそうやま)>
中国の孟宗が、病気の母が欲しがる筍を、雪の中を探しまわり、
やっとのことで掘り当てたことに由来している。
<見送>は竹内栖鳳筆の孟宗竹林図

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                      孟宗山

3番<油天神山(あぶらてんじんやま)>
公家風早家の屋敷に祀られていた天神(菅原道真)を朱塗の社殿に安置したもの
<見送>は梅原龍三郎画の富士山

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                      油天神山

4番<保昌山(ほうしょうやま)>
文武の才がある平井保昌が、恋した和泉式部に頼まれて紫宸殿前の梅の一枝を
手折って、北面の武士に矢を射られ、やっとのことで逃げ帰る様子を表している。

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                      保昌山

5番<函谷鉾(かんこぼこ)>
中国戦国時代、孟嘗君が函谷関まで逃げて来て、家来に鶏の鳴き真似をさせ、
関門を開けさせ逃げ通したことを表す。真木は22m。
<前懸>は16世紀作で<重文>に指定

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                      函谷鉾

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                  函谷鉾<重文>前懸

6番<太子山(たいしやま)>
聖徳太子が四天王寺を建立するための良材を求めて山に入り、老人に大杉を
教えられ六角堂(頂法寺)を建てたことを表す。
真木は杉であるが、他の山鉾は松を使う。

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                      太子山

7番<四条傘鉾(しじょうかさほこ)>
1987年117年ぶりに新調され復活した傘鉾で、応仁の時代以来の
原型をとどめた花傘。

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                      四条傘鉾

8番<占出山(うらでやま)>
神功皇后が肥前松浦でアユ釣りをし、戦勝を占ったことを表す。
安産のご利益があるそうだ。

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                      占出山

9番<鶏鉾(にわとりほこ)>
中国堯の時代に、天下泰平で使われなくなった訴訟用の太鼓に、鶏が巣を
作ったことを表す。<見送>は16世紀作で<重文>指定

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                       鶏鉾

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                       鶏鉾

10番<白楽天山(はくらくてんやま)>
中国唐の詩人白楽天が、帽子を被った道林禅師に仏法の大意を
問う様子を表す。

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                      白楽天山