乙訓寺(京都府長岡京市) 早良親王ゆかりのお寺

2000株のボタンで埋まる境内はそれほど大きくないが、
乙訓寺の歴史を見ればかっての大寺が偲ばれる。
1940年頃、長谷寺からボタン2株の寄進を受けてそれを
今日の2000株にまで増やしてこられた努力は並大抵のものではない。

乙訓寺は784年長岡京遷都とともに、都の鎮護寺として重視され
建物の造営も増えた。
785年造長岡宮使藤原種継の暗殺事件が発生し、それに連座した
疑いをかけられた早良親王(桓武天皇の弟)は乙訓寺に幽閉され、
その後流罪が決まり、淡路に配流の途次淀川べりで憤死した。
このあと、色々な凶事が発生し、早良親王の祟りと恐れられた。
800年には早良親王は崇道天皇として復権し、奈良に御陵が造られた。

乙訓寺の発掘調査により、平安時代は相当な規模のお寺であった
ことが確認されている。弘法大師空海が811年別当として乙訓寺に
就任しているが、これも早良親王の霊を弔うためではないかといわれている。

(1)寺名:乙訓寺(おとくにでら) (2)住所:京都府長岡京市今里3-14-7
(3)山号:大慈山 (4)宗派:真言宗豊山派
(5)開基:聖徳太子 (6)開創:不詳 (7)本尊:合体大師像(八幡神)
(8)その他
1)主な伽藍
  本堂・鐘楼・表門・裏門・八幡社:市指定文化財 1695年
2)毘沙門天立像:重文 藤原時代
3)空海と最澄が最初に出会ったといわれる寺

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                       表門

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                       裏門

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                       本堂

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                       鐘楼

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                     弘法大師像

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                    早良親王供養塔

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                   地蔵堂(日限地蔵尊)