正法寺(京都府八幡市) 尾張徳川家ゆかりのお寺
1594年徳川家康が石清水八幡宮を詣でた折、正法寺住職志水宗清の
娘(お亀)を見染め側室とした。
この時、お亀には一人の息子がおり、夫は死別していた。
お亀は1600年五郎太(後の尾張藩祖徳川義直)を生み、家康が亡くなると
相応院と名乗り、1642年亡くなるまで尾張名古屋城で暮らした。
前夫の息子は竹腰正信といい、尾張徳川家の付家老として義直に仕えた。
相応院は1630年には正法寺の伽藍を寄進し、現在の伽藍が整った。
相応院の死後、菩提寺として尾張徳川家の庇護を受けた。
正法寺は浄土宗であるが、禅寺のような雰囲気を持つお寺である。
関連するお寺で、下記の寺名をクリック
<清涼院(京都市伏見区)、定光寺(愛知県瀬戸市)>
(1)正法寺(しょうぼうじ) (2)住所:京都府八幡市八幡清水井75
(3)山号:徳迎山 (4)宗派:浄土宗 (5)開基:高田忠国
(6)開創:1191年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)尾張藩祖徳川義直の生母(お亀)の菩提寺
2)主な伽藍
本堂:重文 1630年 垂木の金箔逆輪は珍しい
大方丈:重文 1630年 玄関・中門:重文
唐門:重文 1630年
小方丈:府指定文化財 1630年頃
書院:府指定文化財 1630年頃
鐘楼:府指定文化財 1630年頃
3)重文仏像
阿弥陀如来坐像:鎌倉時代初期
元三大師坐像:鎌倉時代
4)庭園:府指定名勝 池泉鑑賞式庭園
山門
<重文>唐門
<重文>玄関・中門
庫裡
鐘楼
<重文>大方丈
<重文>大方丈
<重文>本堂
<重文>本堂の金箔逆輪
方丈前庭
書院(手前)小方丈(奥)
庭園
お亀(相応院)の墓
娘(お亀)を見染め側室とした。
この時、お亀には一人の息子がおり、夫は死別していた。
お亀は1600年五郎太(後の尾張藩祖徳川義直)を生み、家康が亡くなると
相応院と名乗り、1642年亡くなるまで尾張名古屋城で暮らした。
前夫の息子は竹腰正信といい、尾張徳川家の付家老として義直に仕えた。
相応院は1630年には正法寺の伽藍を寄進し、現在の伽藍が整った。
相応院の死後、菩提寺として尾張徳川家の庇護を受けた。
正法寺は浄土宗であるが、禅寺のような雰囲気を持つお寺である。
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<清涼院(京都市伏見区)、定光寺(愛知県瀬戸市)>
(1)正法寺(しょうぼうじ) (2)住所:京都府八幡市八幡清水井75
(3)山号:徳迎山 (4)宗派:浄土宗 (5)開基:高田忠国
(6)開創:1191年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)尾張藩祖徳川義直の生母(お亀)の菩提寺
2)主な伽藍
本堂:重文 1630年 垂木の金箔逆輪は珍しい
大方丈:重文 1630年 玄関・中門:重文
唐門:重文 1630年
小方丈:府指定文化財 1630年頃
書院:府指定文化財 1630年頃
鐘楼:府指定文化財 1630年頃
3)重文仏像
阿弥陀如来坐像:鎌倉時代初期
元三大師坐像:鎌倉時代
4)庭園:府指定名勝 池泉鑑賞式庭園
山門
<重文>唐門
<重文>玄関・中門
庫裡
鐘楼
<重文>大方丈
<重文>大方丈
<重文>本堂
<重文>本堂の金箔逆輪
方丈前庭
書院(手前)小方丈(奥)
庭園
お亀(相応院)の墓