醍醐寺(京都市伏見区) その1 雪景色

世界遺産に登録されている醍醐寺の総てを紹介しましょう。
<残念ながら三宝院殿舎・庭園は撮影禁止>

(その1)ではめったに見られない雪の醍醐寺を紹介します。
今年は例年になく雪が降り醍醐寺も新たな気分になったのではないか。

醍醐寺 その2その3その4その5その6>参照

醍醐寺の歴史に簡単に触れてみよう。

京都の東山を東へ越えると山科盆地(京都市山科区・伏見区の一部)がひろがる。
この地は古く北陸から近江・宇治を経て大和に至る幹線道路(奈良街道)があり、
平安京の東南の一地区として注目されてきた。
<奈良街道とは大和に至るいくつかのルートの総称で、京から大和への街道(上記
の街道)は京都では奈良街道と呼び、奈良では京街道と呼んでいる>
醍醐寺はこの街道沿いの醍醐山(454m)の麓から山上にかけての広大な地域にひろがり
(約200万坪)、山上一帯を<上醍醐(かみだいご)>、麓を<下醍醐(しもだいご)>
と呼んでいる。

平安時代初期874年に弘法大師の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音・
如意輪観音を開眼供養し、上醍醐の地にお堂を開創したのが醍醐寺の始まりである。
醍醐寺は上醍醐から始まり、醍醐天皇の在位中に上醍醐の伽藍が整った。
926年下醍醐に釈迦堂が建立され、それ以降下醍醐の伽藍建立が続き、
日本三名塔のひとつ五重塔が951年に建立され、一山の尊容が整えられた。

平安・鎌倉・南北朝・室町時代と大きな損壊もなく来たが、応仁の乱(1467~77年)
により五重塔を除いて下醍醐の伽藍が壊滅し、その後醍醐寺の寺勢も
衰えていった。

この状態を救ったのが豊臣秀吉であった。
秀吉は金堂の再建、三宝院の殿舎庭園の新増築など伽藍の再興を
行い、1598年あの有名な<醍醐の花見>を催した。
秀吉没後も秀頼は伽藍の整備を行ったが、豊臣没落により醍醐寺の名前は
その後薄くなって行った。

今日ある醍醐寺は数ある寺宝<国宝41点、重要文化財39360数点>と
真言宗醍醐派の総本山として、また修験道の本山として、桜の名所として
、日本有数の庭園ありと世界遺産に恥じない歴史的遺産に負ている。

理源大師聖宝・醍醐天皇・豊臣秀吉は醍醐寺を語るとき忘れることのできない
人物であるが、その理源大師聖宝の1100年御遠忌が2009年に行われるに
際して、全山桜の植樹が計画されているそうです。
それがなった時、秀吉の<醍醐の花見>がよりスケール大きく再現される
ことであろう。

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                          参道

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                        三宝院唐門

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                       三宝院大玄関

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                        三宝院殿舎

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                       参道(仁王門へ)

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                         五重塔

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                         五重塔

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                          金堂

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                         大講堂

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                         弁天堂