アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「東海北陸のお寺」のブログ記事

みんなの「東海北陸のお寺」ブログ

タイトル 日 時
運得寺 (愛知県東海市) 木田城主・荒尾氏の菩提寺
運得寺 (愛知県東海市) 木田城主・荒尾氏の菩提寺 運得寺は、16世紀に木田城主・荒尾空善が荒尾氏の菩提寺として 開創したと伝えられ、荒尾氏の墓塔といわれる宝篋印塔が3基 残されている。 荒尾氏は鎌倉時代から続く豪族で、鎌倉幕府の御家人、室町幕府の 奉公衆として、戦国時代に入り木田城主となり、織田信長に従い、 池田氏と縁戚関係となっている。 特に、池田輝政に仕え、江戸時代には鳥取藩主池田氏の家老も 務めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/27 09:48
東海北陸のお寺
東海北陸のお寺 東海北陸の訪問回数は数十回になり、富山県・石川県・静岡県の訪問 が少し残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/26 09:27
龍護寺 (岐阜県恵那市) 明智遠山氏の菩提寺
龍護寺 (岐阜県恵那市) 明智遠山氏の菩提寺 龍護寺の開創は不詳であるが、1521年には楞厳院という草庵があり、 1596年明智城(恵那市明智町)主・遠山利景が再興し、龍護寺として 遠山氏の菩提寺としている。 遠山氏は明智遠山氏ともいい、明智城を根拠にした中世からの 豪族武将であり、江戸時代には幕府旗本であった。 利景の父・遠山景行は、一説には明智光秀の叔父にあたるとも いわれている。 龍護寺には明智光秀の霊廟もあり、光秀の霊を弔っている。 通説では、明智光秀は明智長山城(可児市)で生まれたといわれているが、 恵那市の明智... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/26 09:21
三重県のお寺
三重県のお寺 三重県のお寺を紹介 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/25 09:50
成願寺 (三重県津市白山町)
成願寺 (三重県津市白山町) 伊勢国司・北畠材親の家臣で、小倭郡の領主であり、小倭上ノ村城主・新長門守 が真盛上人に帰依して、長男や一族の菩提を弔うために1493年開創したのが 成願寺と伝えられている。 真盛上人はここを拠点として布教活動を行い、天台真盛宗の中核寺となった。 こうしたことから、文化財も多くあり白山町の名刹として信仰を集めている。 上ノ村城跡は成願寺裏山にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/25 09:37
愛知県のお寺
愛知県のお寺 愛知県のお寺を紹介します。 <お寺の名前をクリックすると概要と写真> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/24 09:48
洞光院 (愛知県尾張旭市)
洞光院 (愛知県尾張旭市) 新居城跡の城山公園の東に建つ洞光院は1558年に開創されたと伝えられる。 新居城は1374年地元の武将・水野良春によって築城され、現在は模造の 天守閣が築造され、旭城と呼んでいる。 水野良春が修験道から持ち込んだといわれる伝統芸能<棒の手>が 尾張地域に残っている。尾張旭市はその代表である。 その<棒の手>にゆかりの寺が洞光院で、棒塚が安置されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/24 09:31
名古屋市のお寺 (愛知県)
名古屋市のお寺 (愛知県) 名古屋市のお寺一覧 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/23 14:16
静岡県のお寺 
静岡県のお寺  東海道の中央に位置し温暖な土地柄もあり古刹・名刹も多いが戦乱の 影響も受けて古い堂舎は少なく、国宝に指定された堂舎はない。 徳川家ゆかりの寺や信仰の篤い遠州三山などがあげられようか。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/23 08:57
行興寺 (静岡県磐田市) 熊野の長藤
行興寺 (静岡県磐田市) 熊野の長藤 能の代表作<熊野(ゆや)>の主人公(シテ)熊野が病没した母の菩提を 弔ったと伝わるのが行興寺である。 熊野は吉田宿の長者女主人で、平宗盛の寵愛を受けて京で暮らして いたが、母の病の便りを受けて宗盛に帰郷を願い出たが、受け入れられず、 清水寺桜見物に供をすることになった。 その席で熊野が詠んだ歌を聞いた宗盛は帰郷を許し、熊野は無事に 吉田宿へもどった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/23 08:50
岐阜県のお寺
岐阜県のお寺 岐阜県には多くの禅寺があり、清楚な雰囲気が漂う風景を持っている。 私が参拝したお寺を紹介します。 飛騨三十三観音霊場も合わせて紹介。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/22 20:05
西光寺 (岐阜県本巣市)
西光寺 (岐阜県本巣市) 本巣市根尾谷に建つ西光寺は1474年開創され、1600年現在地に 移転している。 1891年濃尾地震によって伽藍は倒壊し、その後再興されている。 濃尾地震は、本巣市を震源とする震度7の内陸地殻内地震で、日本史上 この類では最大の地震といわれている。 これにより発生した<根尾谷断層>は現在もハッキリと残され、特別天然記念物 として保存されている。 この根尾谷断層の北500mに建つのが西光寺である。恐らく西光寺も その断層上にあったと思われる。 また、北に2kmには日本三大桜の<根... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/22 19:56
福井県のお寺 
福井県のお寺  福井県は真宗・曹洞宗の王国であるが、若狭地域は趣を異にする。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/20 10:40
長久寺 (福井県鯖江市)
長久寺 (福井県鯖江市) 徳川家康の次男・結城秀康が1600年越前に入ると、重臣と渡辺長久に 命じて北陸道の整備や鳥羽野の開拓に着手し、秀康の嫡男で福井藩主と なった松平直忠が継続して事業を進め、鳥羽野新町が形成された。 この渡辺長久が江戸時代初期に開創したのが長久寺である。 また、地元の人々が松平直忠の供養塔を長久寺に建立し、 現在は鯖江市の文化財に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/20 10:35
石川県のお寺
石川県のお寺 加賀藩主・前田家ゆかりのお寺を始めとして古刹や名刹が あり、特に能登半島には曹洞宗総持寺が元あった総持寺祖院は 曹洞宗らしい風景が残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/19 09:40
龍国寺 (石川県金沢市) 友禅染の祖・宮崎友禅斎の菩提寺
龍国寺 (石川県金沢市) 友禅染の祖・宮崎友禅斎の菩提寺 友禅染の創始者といわれる宮崎友禅斎の経歴については不詳なところが あるが、江戸時代中期に京都で友禅染の絵師として活躍し、晩年は 金沢に移り加賀友禅を創始したといわれている。 友禅斎の墓碑があるのが龍国寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/19 09:25
雲興寺 (愛知県瀬戸市) 赤津瓦の本堂
雲興寺 (愛知県瀬戸市) 赤津瓦の本堂 瀬戸焼の陶祖・加藤藤四郎は1228年、雲興寺近くの赤津地区に窯を 構えて瀬戸焼を始めたとも言い伝えられている。 赤津地区は瀬戸焼の中心地の一つとして栄えていった。 大正〜昭和時代初期にここで焼かれた赤味の瓦を赤津瓦と呼んで 普及された。 その瓦が葺かれた本堂・鐘楼が雲興寺である。 現在では、赤津瓦は赤津地区では生産されていないとか。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/10 08:50
不動寺 (静岡県浜松市浜北区)
不動寺 (静岡県浜松市浜北区) 三方原台地から東の天竜川にかけて、天竜川によって出来た三段の河岸段丘 が拡がり、その二段目と三段目の境に建つのが、身代わり不動の信仰が 篤い不動寺である。 戦時中、兵士がこのお寺の守札を身につけていたお陰で、戦闘から兵士を 守ったといわれ、身代わり不動として信仰が高まったといわれている。 不動寺は奈良時代前半に開創されたと伝えられている。 その後、盛衰を経て1664年黄檗宗の僧によって再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/09 09:21
医王寺 (三重県松阪市飯南町) 鉄製宝篋印塔
医王寺 (三重県松阪市飯南町) 鉄製宝篋印塔 墓塔や供養塔として鎌倉時代から建立された宝篋印塔は石造が大半で、 医王寺の鉄製宝篋印塔は非常に珍しい。 私も宝篋印塔を多く拝観しているが、鉄製のものは初めてである。 1706年2代住職が薬屋の喜捨を受けて建立したもので、津藩お抱えの 鋳物師によって造られている。 医王寺の起源は不詳であるが、中世に近くの安城山に建てられたお寺が 廃れ、江戸時代前期に本尊を移して開創されたのが医王寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/08 15:16
地蔵寺 (愛知県蟹江町)
地蔵寺 (愛知県蟹江町) 蟹江川沿いに建つ地蔵寺の本尊・地蔵菩薩は聖徳太子の造像と伝承される 秘仏で、今まで開帳されていないとのこと。 この地蔵菩薩は海から引き上げられ、蟹江城主・渡辺氏が本尊として 祀るために地蔵寺を開創したと伝えられている。 また、お寺に祀られている弘法大師信仰も篤く、蟹江大師とも 呼ばれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/07 09:31
大乗寺 (静岡県御殿場市)
大乗寺 (静岡県御殿場市) 箱根裏街道と呼ばれる国道138号に面して建つ大乗寺は、富士山の 東南東麓に位置し、1707年の富士山噴火による災禍に遭っている。 この噴火によって降灰は1〜1.5mにも達したといわれている。 大乗寺は1469年開創されたと伝えられ、天正年間(1573〜92年) 現在地に移転したといわれている。 1707年大噴火の後、1771年から再建が始まっている。 本堂前の表庭は1902年頃造園されたといわれ、遠州流庭園である。 本尊は善光寺式阿弥陀三尊である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/05 13:45
東林寺 (岐阜県下呂市金山町)
東林寺 (岐阜県下呂市金山町) 金山町は飛騨川と馬瀬川の交流地点を中心とした飛騨街道の宿場町であった。 馬瀬川を遡った東岸の山裾に建つのが東林寺である。 参道の奥に建つ山門は鐘楼門形式で、梵鐘と太鼓が吊るされた珍しい形式で、 浄土真宗のお寺によくある太鼓楼と鐘楼門を兼ね備えた堂々とした姿である。 山門を潜り境内に入ると、樹齢200年以上といわれる百日紅と柊(ひいらぎ)が 目に飛び込んでくる。 東林寺の目玉は本堂格天井の120枚の絵であろう。 1723年本堂が建立され、1752年に天井絵が描かれている。 ご住職の... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/04 14:04
総光寺 (福井県福井市)
総光寺 (福井県福井市) 総光寺は1583年丹羽長秀によって開創されたと伝えられており、 丹羽長秀の菩提寺である。 丹羽長秀は織田信長の重臣で、柴田勝家と並ぶ家老職であった。 本能寺の変(1582年)で織田信長が亡くなると、長秀は羽柴秀吉の側に 立ち、1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った後、若狭・越前・加賀 の一部を領する戦国大名となっている。 しかし、1585年亡くなり総光寺に葬られている。 ちなみに、羽柴秀吉の羽柴は丹羽と柴田の一字を取って名付けたとも いわれているが、史実はない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/03 09:07
松月寺 (石川県金沢市寺町) 大桜
松月寺 (石川県金沢市寺町) 大桜 松月寺の大桜の支幹が土塀を突き破り、寺町通の歩道にはみ出している 様は、古樹の歴史を物語っている。 この大桜はヤマザクラの一種で<ショウゲツザクラ>の学名がついている。 加賀3代藩主・前田利常が小松城内の桜を住職に与え植えられたといわれ、 推定樹齢400年といわれている。 残念ながら緑の季節に訪問しているので、花満開の写真がない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/04/01 15:16
龍泉寺 (三重県松阪市) 愛宕大権現
龍泉寺 (三重県松阪市) 愛宕大権現 愛宕大権現は京都市愛宕山の神仏習合の神であり、勝軍地蔵を本地仏と している。 8世紀初期に役行者と泰澄大師が愛宕山に祀ったのが始まりで、それ以降 各地に愛宕大権現が祀られた。 その一つが、現在の松阪市嬉野滝之川町に祀られた一宇であり、 龍泉寺の始まりである。 その後大平尾町を経て、1588年現在地に移っている。 明治時代初期の神仏分離によって、寺から離れて愛宕神社になっているが、 龍泉寺は現在までも愛宕大権現を本尊として祀る数少ないお寺である。 京都愛宕山も愛宕神社となっている... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/22 09:28
清涼寺 (愛知県清須市)
清涼寺 (愛知県清須市) 現在の清須市は1405年室町幕府の管領・斯波義重が清州城を築城し、 その後尾張の中心地として栄えた。 1555年織田信長が清州城に入城し、1560年の桶狭間の戦いでは、この城 から出陣している。 10年間信長が清州城を本拠とした間、城下町として栄えたが、1610年 城が廃城になると城下町としての賑わいはなくなった。 しかし、江戸時代になって、東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇街道 として美濃路が整備され、清須宿が設けられて宿場町として再び賑わいを 取り戻した。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/21 11:18
能満寺 (静岡県吉田町) 大ソテツ
能満寺 (静岡県吉田町) 大ソテツ 駿河湾に面した吉田町の能満寺山頂に建っていた吉田小山城は、 1571年武田信玄が築城し、徳川家康と12年間に亘り攻防を繰り返し、 1582年落城した山城である。 この小山城跡の麓に建つ能満寺の大ソテツは日本三大ソテツの一つに 数えられる名木である。 日本三大ソテツとは、  堺市妙国寺、静岡市龍華寺、吉田町能満寺の大ソテツで国の 天然記念物に指定されている。 能満寺ソテツは、推定樹齢が千年といわれ、陰陽師の安倍晴明が 植樹したとも伝承されている。 この古樹も狭い境内にあって窮屈... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/20 09:55
春谷寺 (三重県松阪市飯南町) 青春桜
春谷寺 (三重県松阪市飯南町) 青春桜 飯南町粥見の山麓に建つ春谷寺のエドヒガン桜は推定樹齢400年と いわれる古木であるが、松阪では一番早く満開になり、それもお彼岸の 頃で、彼岸桜ともこの地では青春桜と呼ばれている。 近年は周囲に多数の桜・桃も植生され彩り賑やかになっている。 私の訪れた時期は青葉の頃であるが、古木の威厳を印象づけられた。 春谷寺の史料は皆無に近く、無住で開創について不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/19 10:29
円通寺 (愛知県稲沢市)
円通寺 (愛知県稲沢市) 円通寺は、1337年比叡山の僧・定宗法印が故郷の丹羽郡川井村 (現在の岩倉市川井町)に天台宗・霊照院を開創したのに始まると 伝えられている。 1540年浄土真宗に改宗と同時に円通寺と名を変えている。 その時に、本願寺から阿弥陀如来像(画)を与えられている。 1541年鎌倉街道沿いの現在地に移転している。 周囲はビニールハウスが拡がる農地で、お寺の存在感が目立つ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/18 15:00
林広院 (岐阜県郡上市美並町)
林広院 (岐阜県郡上市美並町) 郡上市美並町は、長良川が南北に流れる山あいの町である。 円空仏の円空が1632年誕生したといわれる地が美並町でも ある。(円空の生誕地・年については諸説あるが、美並説は 有力な説といわれている) 美並には、<円空のふるさと>として円空ふるさと館があり、 円空仏を90数体展示している。 その中には、林広院の円空仏も含まれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/16 09:51
義宣寺 (福井県勝山市)
義宣寺 (福井県勝山市) 1573年織田信長は朝倉義景を滅ぼし、続いて越前一向一揆を治め、 1576年柴田勝家が北陸の統治者として任命されている。 その勝家に信頼を得ていた家臣の柴田勝安(勝政)は勝山地区を統治し、 1580年勝山城を築城している。 この勝安が養父の柴田義宣の菩提を弔うために1577年義宣寺を 開創したといわれている。 勝安は1583年の賤ヶ岳の戦いで戦死したとも生き永らえたとも いわれているが詳細は不詳である。 勝安の菩提も義宣寺で弔らわれいる。   勝安の勝山での活躍も短いが、勝山... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/14 08:30
誓願寺 (石川県金沢市東山)
誓願寺 (石川県金沢市東山) 誓願寺は、かっては浅野川地区の商人が商売繁盛を願い、東茶屋街の 芸妓が芸能上達を祈願した弁財天のお寺として栄えたといわれている。 誓願寺は1636年金沢六枚町に開創され、1671年現在地に移転している。 現在は、かっての賑わいはないようである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/13 09:24
全昌寺 (愛知県北名古屋市)
全昌寺 (愛知県北名古屋市) 師勝幼稚園と並んでこじんまりと建つ全昌寺は1691年に開創されたと いわれ、この地は室町時代後期にあった井関城跡と推定されている。 何の変哲もない風景のお寺ではあるが、室町時代の珍しい 鋳鉄地蔵菩薩立像が祀られていること。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/03 10:08
医王寺 (静岡県島田市金谷) 薬師堂
医王寺 (静岡県島田市金谷) 薬師堂 2016年11月に医王寺を訪れた時は、薬師堂が解体修理中で拝観できず、 工事中の説明板から想像するに留まった。 工事完了は2017年中とのこと。 医王寺は、弘仁年間(810〜824年)弘法大師空海が薬師如来像を彫って 祀った薬師堂に始まると伝えられている。 1596年に曹洞宗になり、1692年に薬師堂は再建されている。 薬師堂の天井画<雲龍図>、<天女図>は渡辺崋山の弟子である 永村茜山が1860年に描いた作品である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/02 09:45
伊賀市のお寺 (三重県)
伊賀市のお寺 (三重県) 三重県伊賀市は奈良・京都に近いこともあり、仏教文化が栄えた。 芭蕉の故郷でもある。 主なお寺を紹介 寺名をクリックすると詳細へ ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/01 22:00
来迎寺 (三重県伊賀市上友田)
来迎寺 (三重県伊賀市上友田) 伊賀市の北東部、滋賀県境に近い上友田地区に建つ来迎寺は、 1964年現在地にあった林泉寺と北に300mほどの坊ヶ谷集落に あった阿弥陀寺が合併して誕生している。 林泉寺、阿弥陀寺の由緒については不詳である。 しかし、境内に安置されている石造宝塔には<1312年に阿弥陀寺に造立> と銘があり、阿弥陀寺から移された宝塔であり、阿弥陀寺は1312年には 存在していた。 この石造宝塔は在銘宝塔としては三重県最古といわれ、三重県文化財に 指定されている。 姿形も端正な宝塔である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/03/01 21:52
徳林寺 (愛知県大口町) 山姥物語
徳林寺 (愛知県大口町) 山姥物語 大口町に昔から言い伝えられる<山姥(やまんば)物語>という伝承がある。 それは、   鎌倉幕府の御家人・梶原景時の家臣で武芸の達人・福富新蔵が、 本宮山頂で山姥と対峙し矢を放ち、確かな手ごたえを得たが、山姥は 姿を消した。しかし、山姥の血跡を追って行くと、余野村(現在の大口町余野) に住む友人の小池与八郎の屋敷前に辿り着いた。 与八郎の妻が山姥の化身であった。 与八郎の子供・与九郎は母の菩提を弔うために徳蓮寺を開創したと 伝えられている。これが徳林寺の前身といわれている。 この... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/28 09:16
般若寺 (静岡県牧之原市)
般若寺 (静岡県牧之原市) 牧之原市相良地区の山手に印象的な本堂の般若寺がり、ここには 江戸時代中期の江戸幕府老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)ゆかりの 遺品が保存されている。 意次は600石の旗本から5万7千石の相良藩主となり、幕府老中まで 昇り詰めた異例の老中である。 老中時期は田沼時代ともいわれ、幕府財政の立て直しの改革に 取り組んだが、反改革グループから<賄賂政治家>と揶揄され、 将軍死亡後には失脚している。 現在から見れば、当然の改革であるが当時の政治状況の中では 早すぎた経済政策であったのか。 ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/27 10:01
長楽寺 (岐阜県中津川市阿木) イチョウ
長楽寺 (岐阜県中津川市阿木) イチョウ 中津川市南西部の山間にある阿木地区を流れる阿木川上流に、 イチョウの大木が目立つ長楽寺が建つ。 このイチョウは推定樹齢800年以上といわれ、一説には1100年とも いわれている。 樹高30m以上もあり、現在も成長しているとか。 天正年間(1573〜92年)武田勝頼軍による兵火で伽藍は灰燼に 帰したが、このイチョウは一部焼け焦げただけで生きながらえたと いわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/26 20:18
西山光照寺跡 (福井県福井市) 石仏群
西山光照寺跡 (福井県福井市) 石仏群 JR九頭竜線一乗谷駅から南へ200mほどの田畑に面した山裾に、 覆屋に40体ほどの石仏群と西山光照寺跡が整備されている。 1994年の発掘調査で500年前の寺跡と石仏群が確認され、 一乗谷朝倉氏遺跡とともに戦国大名朝倉氏の歴史が蘇った。 石仏群は支笏石に半肉彫りされた巨像が多く、1533年銘の石仏も 見つかっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/25 09:34
浄安寺 (石川県金沢市寺町) 金沢四大仏
浄安寺 (石川県金沢市寺町) 金沢四大仏 金沢には<金沢四大仏>と呼ばれる丈六の仏像があり、金沢市観光コース の一つに数えられている。 金沢四大仏   極楽寺・阿弥陀如来坐像(寺町)   浄安寺・阿弥陀如来坐像(寺町)   玄門寺・阿弥陀如来立像(東山)   蓮昌寺・釈迦如来立像(東山) その一つが浄安寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/24 09:20
龍済寺 (愛知県犬山市) 瑞泉寺塔頭
龍済寺 (愛知県犬山市) 瑞泉寺塔頭 犬山遊園の山麓にあって、西に犬山城、北に木曽川が流れる景勝の地に 建つ龍済寺は1446年開創で、名刹・瑞泉寺の塔頭である。 1565年には兵火により焼失しているが1574年再興されている。 瑞泉寺の塔頭は24院あったが、現在は6院である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/13 15:14
円光寺 (石川県金沢市東山)
円光寺 (石川県金沢市東山) 円光寺は1521年能登に開創されたと伝えるが詳細は不詳である。 1585年、後の加賀藩主・前田利長が守山城主(高岡市)になった際に、 利長から円光寺は帰依を受け、その後、利長が拠点を移す度に、 円光寺も移っている。 1636年現在地に移り、利長の持仏聖観音を祀っている。 <開運のあずかり観音>といわれ信仰を集めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/13 09:24
顕正寺 (三重県四日市市)
顕正寺 (三重県四日市市) 南北朝時代、足利尊氏と直義兄弟は夢窓国師の勧めにより、後醍醐天皇および 南北朝争乱の戦没者を弔うために全国に安国寺建立の発願を行い、順次建立 された。 伊勢安国寺は、現在の四日市市西日野町に1339年建立され、塔頭も13建立 され、その一つ総持庵が戦国時代の兵火を免れ顕正寺となった。 伊勢安国寺跡は整備され残され、三重県の史跡に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/12 13:20
善福寺 (愛知県新城市作手) 奥三河の古刹
善福寺 (愛知県新城市作手) 奥三河の古刹 新城市作手の山間部にあって、山腹にそって長い参道のある善福寺は、 推古天皇の代(593〜628年)に開創されたと伝えられている。 弘法大師空海の十大弟子の一人で僧正までなった真済が若い頃、 各地へ修行に出かけた824年に善福寺の伽藍を建立し再興したと いわれ、七坊(大坊、岩本坊、池ノ坊、松本坊、中ノ坊、下ノ坊、 杉本坊)の大寺となった。 これら坊の名前が現在も地名として残っている。 その後、盛衰を経て、奥三河の領主・奥平氏によって再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/12 09:40
永宝寺 (静岡県菊川市)
永宝寺 (静岡県菊川市) 菊川市西北部の山あいに三つの池があり、この地区を瀧之谷と呼んで いるが、最も下にある下池に接して永宝寺が建っている。 その境内から100mほどの対岸に<野猿>が架けられている。 野猿とは、両岸に張ったワイヤーロープに屋形を取り着け、引き綱を 自分で手繰り池を渡る人力ロープウェイである。 <野猿>で有名なのは奈良県十津川村のもので、それに倣って 永宝寺に取り着けた観光用の野猿である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/10 09:37
萬勝寺 (岐阜県恵那市) 飯高観音
萬勝寺 (岐阜県恵那市) 飯高観音 恵那市山岡町の山間部に広大な敷地を擁する萬勝寺の千手観音は <飯高観音>と呼ばれ、厄除け観音として篤い信仰を集めている。 正月の初詣でも多くの参拝者が訪れる日本三大観音の一つといわれて いる。三大観音には諸説あり。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/09 09:41
西光寺 (福井県鯖江市) 石田西光寺
西光寺 (福井県鯖江市) 石田西光寺 浄土真宗本願寺の中興の祖・蓮如上人の父・存如が越前布教の拠点 として、1451年頃に現在の鯖江市石田地区に道場を開いたのが 西光寺の始まりといわれている。 蓮如上人による北陸布教拡大の基礎が築かれたといわれている。 石田西光寺として大いに栄え、戦国時代の越前一向一揆では中心勢力 として織田信長軍と戦っている。 その後、現在地の鯖江市杉本町へ移転している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/07 10:29
極楽寺 (石川県金沢市寺町)
極楽寺 (石川県金沢市寺町) 南北朝の争乱の時、後醍醐天皇の皇子・宗良親王は諸国に潜伏していたが、 1337年現在の富山県高岡市牧野地区に至り、草庵を結び極楽寺を開創したと 伝えられている。 しかし、宗良親王が越中へ至るのは1340〜44年頃と考えられている。 1385年現在の浜松市北区井伊谷で亡くなっていると伝えられている。 1615年極楽寺は現在地に移っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/02/06 09:03
常福寺 (三重県津市白山町) 別所の観音さん
常福寺 (三重県津市白山町) 別所の観音さん 白山町を貫く国道165号の南崖下の別所峡谷に建つ常福寺の 本尊千手観音立像は<別所の観音さん>と呼ばれている。 小像ではあるが、平安時代前期の秀作で重要文化財に指定されている。 通常は非公開であるが、8月9日に開帳される。 常福寺は、814年弘法大師空海がこの地に立ち寄り、千手観音を彫って 祀ったのが始まりと伝えられている。 その後、盛衰を経て明治時代に廃寺となったが、戦後再興され 近くの成願寺が管理している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/28 10:11
養学院 (愛知県豊川市) みちびき不動
東名豊川ICの近くに建つ養学院の本尊<みちびき不動尊>は、厄除け・ 家相判断などに多くの人が祈願に訪れるお寺で、三河三不動 (知立市・総持寺、蒲郡市無量寺、豊川市・養学院)の一つに数えられ、 不動信仰の篤いお寺である。 養学院は、1570年修験道場・法京院として開創され、1819年養学院 となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/27 09:42
来迎寺 (三重県松阪市飯南町深野)
松阪市街地から櫛田川沿いに上流へ18kmほどの山あいにある 飯南町深野地区は、日本三大和牛の松阪牛の発祥の地といわれている。 その深野地区の山裾に建つのが来迎寺である。 鎌倉時代初頭に東大寺を再建した重源上人が伊勢神宮への参詣の折、 この地に立ち寄り、大和初瀬と似た有縁の地と感得し、堂宇を建立する 発願を起こし、村人が1179年念仏道場を開創したのが来迎寺の 始まりと伝えられている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/26 09:52
長存寺 (愛知県蒲郡市)
1445年天台宗実相坊を法華宗の寺として再興され、1518年鵜殿長存 の帰依を受け伽藍が整備され、1543年鵜殿長存が亡くなると長存寺と している。以後、下ノ郷鵜殿氏の菩提寺となっている。 鵜殿氏はもと紀伊熊野の出で、鎌倉時代に現在の蒲郡市中心部(西郡) へ移り、勢力を張った。 室町時代に上ノ郷鵜殿氏と下ノ郷鵜殿氏に分かれ、鵜殿長存は 下ノ郷城(蒲形城)を築き、下ノ郷鵜殿氏として西郡南部を統治した。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/25 09:24
龍眠寺 (静岡県掛川市) 横須賀藩主・西尾氏の菩提寺
龍眠寺は、1496年現在地より西北1kmほどの樹木ヶ谷に道場として 開創されたのが始まりと伝えられている。 一時は戦乱を避けるために信州へ避難したが、治まり元に戻っている。 1600年代初期に、横須賀藩主・大須賀忠次の命により現在地に 移っている。 1682年西尾忠成が横須賀藩主となると、龍眠寺は西尾氏の菩提寺となり、 以後明治維新まで西尾氏が藩主を務め、お寺も藩主の庇護を受けて 大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/24 09:32
正源寺 (岐阜県瑞浪市) 六地蔵石幢
境内に建つ六地蔵石幢は1676年建立で瑞浪市の文化財に指定されている。 円筒の幢身の上に、燈籠のような龕を置き、各面に地蔵菩薩を刻み、 六地蔵信仰を表している。 石幢は鎌倉時代から造られ、南北朝時代から六地蔵を刻み始めている。 六地蔵信仰は平安時代からあるが、室町時代以降盛んになっている。 日本全国のほとんどのお寺には六地蔵が祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/23 09:39
窓安寺 (福井県越前市) 2体の石仏
窓安寺の境内に安置された2体の石仏は、1560年に彫られた支笏石肉彫 の不動明王立像と地蔵菩薩立像である。 像高は2mを超え、越前市で最古・最大の石仏といわれている。 窓安寺は、養老年間(717〜724年)に泰澄大師が現在の福井県池田町野尻 に開創したと伝えられ、1533年現在地に朝倉氏の支援を受けて再興されたと いわれている。 以来、朝倉氏の菩提寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/21 15:40
本光寺 (石川県金沢市)
卯辰山山麓寺院群の一つで広大な境内を有する本光寺は、1416年 現在の富山県射水市に日隆上人によって開創されている。 日隆は射水浅井城主・桃井尚儀の子として生まれ、12歳で出家している。 1415年京都・本能寺を開創し、法華宗中興の祖といわれている。 本光寺はその後転々と移り、1650年現在地に落ち着いている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/21 10:01
蓮泉寺 (愛知県安城市)
徳川家康の家老でありながら、豊臣秀吉の家臣に鞍替えした石川数正 の祖先・石川政康の菩提寺が蓮泉寺である。 石川政康は蓮如上人に帰依し、三河浄土真宗本願寺派の総代として 活躍した小川城主である。 政康の三男・親康が家康の先祖・松平氏の家臣として仕え、数正まで 家老を続けている。 また、政康の四男・康頼が出家して蓮泉寺を開創したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/11 09:31
梅林院 (静岡県森町) いぼ取り様
梅林院の境内に安置されている五輪石塔は<いぼ取り様>と呼ばれ、 線香鉢の灰を持ちかえり、いぼにつけ続けるといつしかいぼがころりと 落ちると言い伝えられ、今もその信仰は篤い。 この五輪石塔は、横須賀初代藩主・大須賀忠政の供養塔と伝えられ、 かっては裏山の庵山に安置されていた。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/10 09:26
阪内不動堂 (三重県松阪市阪内町) 不動滝
阪内川に沿ってはしる県道29号の不動前バス停から不動川にそって 林道を山中へ。600mほどの小丘に阪内不動堂が建ち、その裏手に 落差30mの不動滝が落ちている。 阪内不動堂は、室町時代の阪内城主・阪内氏の菩提寺であった蓮華寺 (廃寺)の奥の院であったといわれている。 阪内城は阪内氏による1415年築城といわれ、1576年坂内氏滅亡に よって廃城となったといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/09 09:22
密蔵院 (愛知県刈谷市) 三河三弘法
815年弘法大師空海は東国巡錫の折、三河の地に1ヶ月逗留し、 三体の弘法大師像を彫って祀ったと伝承されている。 一体は、別れを惜しんで見返った姿の像(見返弘法大師)で、  遍照院(知立市)に。 一体は、別れを惜しんで見送った姿の像(見送弘法大師)で、  西福寺(刈谷市)に。 一体は、別れの涙を流した姿の像(流涕弘法大師)で、密蔵院に。 これを<三河三弘法>と呼んでいる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/08 09:28
本源寺 (静岡県掛川市) 横須賀藩主・井上正就の菩提寺
遠江横須賀藩主・井上正就は徳川家康の家臣で、1622年横須賀藩主と なった譜代大名である。 1628年正就が江戸城に登城した折に、嫡男・正利の婚姻で一悶着あり、 旗本・豊島氏に切りつけられ、殿中で亡くなった。 正就の菩提を弔うために、嫡男・正利が坂下の谷に本源寺を1628年 開創し、1662年現在地に移転している。 山門は横須賀城の遺構といわれている。 本堂天井絵は見ごたえがある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/06 10:34
龍門寺 (岐阜県七宗町) 龍の彫刻
神々の山にみまもられた自然と共生する七宗町(ひちそうちょう)は、 飛騨川や神渕川が流れ、南北に飛騨街道が通る。 飛騨街道近くの葉津集落に建つ龍門寺の総門には龍の彫刻があり、 それには次のような伝承がある。   ある日、見ず知らずの匠がお寺にやってきて、龍の彫り物を 残して去って行った。 その龍を総門に掲げたところ、夜な夜なその龍が抜け出し、暴れた ので、村人が鉄砲で退治し供養した。 村人はこの龍を彫ったのは、飛騨の匠・左甚五郎だと噂したことから 後々、<左甚五郎の龍>と呼ばれた... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/05 09:21
禅興寺 (福井県越前町織田)
禅興寺のある越前町織田(おた)は、織田信長の先祖が発症した地で、 有力な説では劔神社の神官であったといわれている。 1400年頃、織田常松が尾張守護代になって以降、尾張に織田氏の 基盤を築いた。 その劔神社の近くにあるのが禅興寺である。 禅興寺の開創については不詳である。 山門は、もと越前大野藩の飛地領土であった織田村の陣屋門で 明治時代に移築されている。 お寺の横を流れる川堤は桜の名所になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/04 09:36
光覚寺 (石川県金沢市山の上町) 飴買い幽霊伝説
光覚寺に伝わる<飴買い幽霊>伝説のあらましは、  加賀藩初期の頃、光覚寺門前の坂にある飴屋に毎夜飴を買いに来る 女がいた。六日目の夜<今夜が最後>と言って店を出ていった。 店の主人が不思議に思って後をつけて行くと、女は光覚寺の墓地に 入り、新しい土饅頭の前で消えた。翌朝掘り返してみると、柩の中で 男の子が生まれていた。 赤子は元気であったが、一緒に埋めた六文の銭が無くなっていた。 母親の幽霊が毎夜飴を買って赤子に与えていたのだ。 男の子はお寺で育てられ、立派な僧となったと。 ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2017/01/03 10:29
龍雲寺 (静岡県浜松市西区)
佐鳴湖(さなるこ)南端の畔に建つ龍雲寺は、1330年代に木寺宮康仁親王に よって開創されたと伝えられている。 康仁親王は後二条天皇の孫で一時は皇太子になったが、南北朝の動乱で 廃太子となり、遠江入野へ下向したと伝承されている。 (下向説は伝承であり、その事実は不詳) 入野に館を構え、龍雲寺を開創したといわれている。 以後、木寺宮が住職を務めたが、戦国時代に徳川家康に攻められ焼失し、 木寺宮は越後に逃れたと伝承されている。 元禄年間に再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/29 11:26
浄光寺 (三重県津市河芸町)
浄光寺は、鎌倉時代には真言宗の七堂伽藍を備えた大寺であったと 伝えられているが、開創は不詳である。 文明年間(1469〜87年)に栃木県真岡市から専修寺(真宗高田派本山)を 三重県津市一身田に移された時に、それを支援したのが浄光寺の誓祐上人 であり、この時点で真宗高田派に改宗している。 誓祐は佐々木近江守源高昌(不詳)の嫡男といわれている。 本堂は江戸時代前期の真宗様式である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/22 15:18
平勝寺 (愛知県豊田市綾渡町)
紅葉の名所・香嵐渓から東への山あいに建つ平勝寺は聖徳太子によって 開創されたと伝える古刹である。 南北朝時代に、後醍醐天皇の皇子・平勝法親王が立ち寄り、戦勝祈願 をしたと伝えられ、それ以降に平勝寺としたといわれている。 (平勝法親王については不詳である) ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/22 09:37
光勝寺 (三重県津市河芸町)
1601年伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、 円光寺(津市河芸町)東に光勝寺を開創している。 分部光嘉は1594年豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町) 1万石を領した。 1600年関ヶ原の戦いで東軍に加担し、2万石の伊勢上野藩主となったが、 光勝寺開創後亡くなっている。 1751年光勝寺は現在地に移転している。 観音堂に祀られている馬頭観音は初午観音と呼ばれ信仰を集めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/21 09:31
円融寺 (愛知県西尾市吉良町) 清水一学の墓
<吉良の五本松>で知られる円融寺は1525年の開創と伝えられ、 五本松もその頃の植樹といわれている。 円融寺には、忠臣蔵で吉良邸討ち入りの際に、吉良の家臣で最も 活躍したといわれる清水一学(清水一角)の分骨墓がある。 一学は吉良町宮迫の出で、若くして吉良上野介の用人となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/20 09:34
種月院 (静岡県島田市) 牧之原茶園の祖・中條景昭の菩提寺
新幹線の傍に建つ種月院は1856年の開創と新しいが、牧之原台地に 拡がる牧之原大茶園の開墾先駆者・中條金之助景昭の菩提寺である。 景昭は幕末の旗本で、徳川慶喜の精鋭隊長として活躍したが、 明治時代になり、1869年幕臣250戸共々牧之原台地に入り、 茶園を開墾整備したが、1896年亡くなり、勝海舟の葬儀委員長のもと 種月院に葬られた。 現在の牧之原大茶園は東洋一の茶園で、静岡茶生産量の40%を 占める規模となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/18 20:48
崇禅寺 (岐阜県土岐市) 妻木城主の菩提寺
崇禅寺は1354年土岐明智頼重によって開創されたといわれている。 土岐明智頼重は美濃守護・土岐頼貞の孫で、1339年妻木城を築城 し、1351年明智頼兼(土岐氏一族)の養子となり、明智氏を継ぎ 明智城主となっている。 明智光秀はこの明智氏の子孫ともいわれている。 妻木城主はその後、明智氏一族の妻木氏が継いで、 妻木城は1658年廃城となっている。 崇禅寺は妻木城主の菩提寺となり、大いに栄えたといわれている。 土岐市は美濃焼の本場でもあるが、妻木城主が15世紀初頭に美濃焼の 初期... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/17 09:32
盛源寺 (福井県福井市) 石仏群
越前守護の戦国大名・朝倉貞景は、天台真盛宗開祖の真盛上人に 帰依し、上人の布教を支援し、天台真盛宗のお寺の開創を促している。 その一つが盛源寺である。 盛源寺は一乗谷朝倉氏遺跡から一乗谷川上流1kmほどの山麓に 建つ。 開創は1492年といわれ、真盛上人が初めて越前に入った1488年 から4年後である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/15 09:52
妙円寺 (石川県金沢市山の上町)
妙円寺は1586年開創されたと伝えられている。 守護神として開運の神・九曜星を祀り、明治時代には大いに栄えたと いわれている。 九曜星とは  日、月、火、水、木、金、土の7曜の星に、羅喉星、計都星を加えて 九曜星で、これを神として祀り除災招福・開運などを祈る。 日蓮宗では、妙見菩薩、鬼子母神を守護神として祀るのが多いが、 九曜星を守護神として祀るのは珍しい。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/14 09:54
本伝寺 (愛知県碧南市)
天台宗開祖の最澄が815年弟子・円澄を伴って東国へ下り、その帰りの 816年円澄が天白山麓に太子堂を建立し天台宗を伝道したのが 本伝寺の始まりと伝えられている。 なお、円澄は833年第2代天台座主になっている。 1394年現在の碧南市棚尾地区源氏に専光寺として移転し、 1488年蓮如上人に帰依し、浄土真宗の本伝寺となっている。 1712年現在地に移転し、その際イチョウの木を植えたのが現在も 樹勢を保っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/04 20:30
長久寺 (石川県金沢市東山)
織田信長の正室は濃姫であるが、側室は多く、子供も30人近くにのぼる。 その三女・永姫(玉泉院)は7歳で、前田利家の嫡男・利長の正室となっている。 利長との間に子供はなく、加賀藩主2代目は利長の弟・利常が継いでいる。 玉泉院の祈願所が長久寺である。 また、利常の側室・妙雲院の菩提寺でもある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/03 10:19
安楽寺 (三重県津市一志町)
平清盛の曾孫が落ちのびたと伝わる平家伝説の郷・一志町波瀬の 中心地に建つ安楽寺は、919年醍醐天皇の勅願により開創されたと 伝わる古刹である。 1508年焼失したがその後再興されている。 石垣構えの山門(鐘楼門)は江戸時代後期の建立で、石垣と鐘楼門 の構成が妙を得ている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/02 09:33
恩任寺 (愛知県高浜市) 浜の三ヶ寺
日本三大瓦(三州瓦、石州瓦、淡路瓦)の三州瓦生産地の中心地である 高浜市には<かわら美術館>ある。 そこからほど近くに建つのが恩任寺であり、 <三河の浜の三ヶ寺>と呼ばれていた浄土真宗名刹の一つでもある。 浜の三ヶ寺とは、  碧南市大浜地区の西方寺、高浜市高取地区の専修坊、高浜市の恩任寺 恩任寺の開創は不詳であるが、元は天台宗龍現寺であった。 1481年に再興され浄土真宗恩任寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/12/01 09:23
増船寺 (静岡県御前崎市) 遠州七福神
御前崎灯台にほど近い増船寺は、遠州七福神の毘沙門天を祀る。 遠州七福神とは、  極楽寺(森町):寿老人 法雲寺(磐田市):大黒天 福王寺(磐田市):福禄寿  松秀寺(袋井市):弁財天 官長寺(御前崎市):恵比寿  増船寺(御前崎市):毘沙門天 永江院(掛川市):布袋 増船寺は、1450年蔵泉寺として開創されたといわれ、1593年曹洞宗の 禅寺として再興されている。 1666年御前崎の漁夫の安全を祈願して増船寺としている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/30 09:14
齢峯寺 (岐阜県富加町)
1584年、小牧・長久手の戦いで、豊臣秀吉軍の先鋒として徳川家康軍に 挑み、討死した池田恒興父子を荼毘に付し葬儀が行われたのが齢峯寺と いわれている。 なお、恒興の次男・輝政は後に姫路藩主となっている。 その齢峯寺の開創は南北朝時代と伝えられている。 境内には、南北朝時代の無縫塔2基が安置されており、岐阜県の 文化財に指定されており、古類の無縫塔に属している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/29 10:01
龍澤寺 (福井県あわら市) 庭園
龍澤寺は、1382年地元の領主・小布施義氏が能登・総持寺の梅山聞本を 開山に迎えて開創している。 梅山禅師は足利義満や義持から帰依を受けた高僧で、後に総持寺の 住職となっている。 その後、根本道場として大いに栄えたといわれたが、1575年の織田信長 による越前一向一揆鎮圧による兵火で焼失し、門前町も壊滅している。 なお、お寺の本尊は土で造られた土仏観音であり、その由来が民話で 伝承されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/27 09:39
金沢東別院 (石川県金沢市) 真宗大谷派金沢別院
金沢駅前に位置する東別院の始まりは尾山御坊といわれている。 1546年加賀一向一揆の拠点として、空掘や柵などを備えた浄土真宗の 尾山御坊が、現在の金沢城本丸跡の位置に開創され、加賀4郡の組織と 支持によって発展した。 1580年織田信長軍の佐久間盛政によって攻め落とされ、伽藍は金沢城 となり、1583年前田利家が金沢城主となって、尾山御坊は城の西北に 移っている。 1640年東本願寺別院として現在地に落ち着いている。 真宗大谷派金沢別院を東別院、浄土真宗本願寺金沢別院を西別院と ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/25 10:09
西蓮寺 (愛知県安城市)
西蓮寺には<都築弥厚茶室>がある。 これは、西三河の安城が原と呼ばれた枯地に用水を導き、豊かな農地に すべく計画案を立て、幕府に提案した都築弥厚の屋敷にあった茶室である。 都築弥厚の計画は本人が亡くなって頓挫したが、明治維新から工事が 行われ、1880年に通水し、明治用水と呼ばれている。 これによって、碧海地域は<日本のデンマーク>と呼ばれる農業地帯と なった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/15 09:47
撰要寺 (静岡県掛川市) 横須賀城主の菩提寺
掛川市の遠州灘に近い西大渕にかって存在した横須賀城は、 徳川家康が武田軍に対抗するために、家臣の大須賀康高に 命じて、1578年築城させた平城であった。 1580年大須賀康高は横須賀城主となると、1581年大須賀氏の 菩提寺として撰要寺を開創している。 横須賀城主は大須賀氏2代後、めまぐるしく変わり、1868年廃城と なっている。 1645〜82年の城主・本多利長の菩提寺でもある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/14 09:48
神宮寺 (三重県松阪市一志町) 伊勢森本城跡
一志町森本にあった伊勢森本城跡に建つのが神宮寺である。 伊勢国司・北畠氏の一族木造俊重が多気城の支城として、南北朝〜 室町時代にかけて森本城を築城し、俊重は森本飛騨守を名乗ったと いわれている。 その後も飛騨守として森本を治めている。 織田信長の伊勢侵攻においても信長軍と戦っている。 1584年戦いに敗れ森本飛騨守は亡くなるも、一族は一般人として 生きながらえている。その後森本城は廃城となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/13 09:14
乗蓮寺 (愛知県刈谷市) シイの古木
国道1号線の西、旧東海道に面して建つのが乗蓮寺である。 今は、住宅地の中のお寺といった感があるが、旧東海道がメイン街道 であった頃の風景を想像したくなる。 山門を入って左手にシイ(スダジイ)の古木がドッシリと構えている。 このシイは樹齢850年と推定され、幹の根元に空洞があり、昔狸が 棲んでいたといわれている。 1959年の伊勢湾台風で大きな損害を受けたが、現在は樹勢盛んな 古木である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/12 09:27
岐阜市のお寺 (岐阜県岐阜市)
岐阜市のお寺一覧 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/10 10:04
福王寺 (静岡県磐田市) 安倍晴明ゆかりの寺
福王寺は平安時代の10世紀に真言宗のお寺として開創されたと 伝えられている。 開創間もない984年、この地方に大暴風雨が襲った折り、諸国行脚中の 陰陽師・阿部晴明が福王寺境内で祈祷したところ、忽ちにして風雨治まり、 快晴になったといわれ、風の神として安倍晴明を大権現として祀ったと 伝えられている。 これを以て、山号を風祭山とし、毎年3月8日風祭りが行われている。 安倍晴明ゆかりの神社寺院は全国に多くあり、京都の晴明神社が 最も知られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/10 09:19
安楽寺 (岐阜県坂祝町)
安楽寺観音堂に祀られている<西国三十三所観音菩薩>33体は数奇な 由縁で安楽寺に移座されてきた。 現在の岐阜県東白川村神土神付にあった茶菴堂に祀られていたが、明治3年 廃仏毀釈の嵐に見舞われ、東白川村などの全てのお寺が廃寺となっている。 ちなみに、現在においても東白川村にはお寺はなく、これは全国自治体の 中でも唯一の無寺の市町村である。 仏道から神道へ全てが移ったのである。 廃寺となった茶菴堂から何らかの方法で、明治3年観音菩薩33体が 完全無傷で安楽寺に移された。 明治時代初... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/09 13:58
西蓮寺 (福井県福井市東大味町)
東大味集落には、明智神社と西蓮寺がある。 明智神社とは、明智光秀を祀り、かっては明智光秀の屋敷があったと 言われている地であり、近くの西蓮寺には柴田勝家などの安堵状が 残っているお寺である。お互いに関連しているようだ。 明智光秀は斎藤道三に仕えていたが、1556年流浪の生活に入ったが、 いつしか越前守護大名・朝倉義景に召抱えられ、東大味の地に屋敷を 構えたといわれている。 東大味と朝倉義景一乗谷居館とは、朝倉街道で4kmほどの距離で 屋敷を構えるには適地であったのだろう。 10... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/08 09:12
妙法寺 (石川県金沢市寺町)
妙法寺は1573年妙浄法尼によって尾張に開創されている。 妙浄法尼は、加賀藩初代藩主・前田利家の弟・佐脇良之の娘で、 生母は淀君の乳母である。 佐脇良之は当初織田信長に仕えていたが、信長の勘気に触れ徳川家康に 仕え、1572年三方ヶ原の戦いで討ち死にしている。 その父の菩提を弔うために妙浄法尼は妙法寺を開創している。 1615年現在地に移っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/11/07 21:28
飯福田寺 (三重県松阪市) 伊勢山上
<伊勢山上>と呼ばれる飯福田山は、380mほどの丘陵連峰で、山内には 奇岩、怪岩、岩窟の様々な様相を呈し、古来、修験道の祖・役行者が開いた 修験道の道場である。 毎年、4月に山開きを行い、半年後の10月に山閉じがある。 霊場巡りの登山は3時間ほどの行程だそうだ。 私は遠慮して、麓の飯福田寺の探索に終わった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/26 14:07
明眼院 (愛知県大治町) 日本最初の眼科発祥地
明眼院は、802年最澄の弟子によって開創されたと伝える五大山安養寺が 始まりといわれている。 その後荒廃したが、1357年に馬嶋清眼が薬師寺として再興したと いわれている。 その年清眼が夢の中で異国人から医書を示され、それを元に眼の治療を 始めたのが日本最初の眼科の始まりといわれている。 その後、評判となり大々的な眼科治療が行われ、小堀遠州や円山応挙なども 治療に訪れたといわれている。 1632年後水尾天皇の皇女の眼病を治療し、<明眼院>の寺名を 授かっている。 江戸時代の尾... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/25 08:58
誕生寺 (三重県津市一志町) 真盛上人生誕の地
天台宗の一派である天台真盛宗の開祖・真盛上人は誕生寺の地に、 1443年大仰城主・小泉藤能の次男として生まれ、7歳で出家し19歳で 比叡山に入り20年間あまり修行し、1486年大津・西教寺を本拠として 天台真盛宗を開いている。 その後、三重県や福井県などに多くの寺を開創し、布教に努めている。 1495年伊賀市の西蓮寺で亡くなっている。 その年、津市・成願寺の住職によって生誕地に香華寺が開創され、 明治時代に廃寺となったが、その後、誕生寺として再興されている。 真盛上人生誕地として... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/24 09:31
広済寺 (愛知県あま市七宝町) 尾張三十三観音霊場第15番
広済寺のある七宝町は、尾張七宝焼きの町で江戸時代末期に生産が 開始され、明治時代には全盛を迎えている。 現在も高価な装飾品として愛用されている。 広済寺は1394年に開創されたと伝えられ、後には清洲城主織田氏の 庇護を受けているが、戦国時代の蟹江合戦に巻き込まれている。 境内は広く、整備された観音霊場である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/23 09:48
実相寺 (静岡県浜松市北区) 庭園
浜松市北区には名庭園を有するお寺が数多くある。 龍潭寺(引佐町井伊谷)、実相寺(引佐町金指)、長楽寺(細江町)、 摩訶耶寺(三ケ日町)、大福寺(三ケ日町)などがある。 実相寺の庭園は築山式枯山水庭園で、江戸時代前期に作庭され、 1994年石組が見つかるまでは世に知られなかった。 発見後、修復され静岡県指定の名勝庭園となっている。 広さはそれほどではないが、江戸時代前期の築山式の様式を示す 庭園として貴重な存在といえよう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/21 09:44
吉祥寺 (岐阜県関市) 美濃三十三観音霊場第23番
山里にある吉祥寺は1338年鎌倉の臨済宗僧・峰翁祖一によって 開創されている。 峰翁和尚は鎌倉幕府執権・北条時宗の叔父といわれ、大徳寺開祖・ 宗峰妙超と共に大応国師に参禅し、1335年現在の恵那市岩村町に 名刹であった大円寺(現在は廃寺)を開創し、1338年関市に 吉祥寺と大禅寺を開創している。 峰翁和尚は九州や四国へも足を運んでいる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/19 09:07
春慶寺 (福井県鯖江市) 近松門左衛門ゆかりの寺
鯖江市吉江地区は<近松門左衛門の里>と呼んでいる。 近松門左衛門は1653年越前に誕生し、1655年父が吉江藩に 仕えるべく吉江に家族ともども移り住んでいる。 1664年父が何らかの理由で浪人になると生活にも困る状態となり、 一家は春慶寺に身を寄せたといわれている。 その後、一家そろって京都へ出ていった。 近松は1680年代には浄瑠璃・歌舞伎の作者として世に出ている。 10年余りの吉江での生活ではあったが、自然に恵まれた環境の中で 豊かな感性を育み、人情味あふれる作品を作り出して... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/17 14:38
妙泰寺 (石川県金沢市東山) 貞姫の菩提寺
貞姫(理松院)は戦国大名・宇喜多秀家と加賀初代藩主・前田利家の娘・豪姫との 間に生まれた姫で、その貞姫の菩提寺が妙泰寺である。 宇喜多秀家は1600年の関ヶ原の戦いで西軍に与し敗れ、1606年 に八丈島に流罪となっている。 1607年頃、妻の豪姫と貞姫は加賀へ戻っている。 貞姫は加賀で結婚しているが、1615年亡くなり、妙泰寺に葬られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/17 09:17
円光寺 (愛知県稲沢市下津土山町)
稲沢市には、萩の名所となっている円光寺(稲沢市矢合町)とここで紹介する 円光寺がある。 一方は観光客も訪れる禅寺であり、こちらは観光客の訪問はないが歴史の 古いお寺である。 723年、古代日本の重要な湊であった安濃津(三重県津市)の城守であった 志摩益信が開創したと伝わるのが下津の円光寺である。 安濃津は1498年の大津波で壊滅している。 下津の円光寺は戦国時代、兵火に罹り焼失したが江戸時代前期に 再興されている。 お寺の境内はよく整備されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/08 09:15
栄昌院 (岐阜県岐阜市)
近江の浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹(茶々、初、江)は、浅井長政 が戦死した後も数奇な運命を辿った。 茶々は豊臣秀吉の側室淀殿となり、初は若狭小浜藩主・京極高次の正室、 江は徳川2代将軍・徳川秀忠の正室となった。 初(常高院)が1633年江戸屋敷で亡くなると、小浜の常高寺に葬られ、その 侍女7人も尼僧となって小浜に移り、栄昌院を開創し、常高院の菩提を 弔っている。 7人の尼僧も常高寺に葬られている。 明治維新を迎えて、栄昌院も京極氏の領地・丸亀に移ったが、京極氏が 神式に移... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/07 09:41
大日殿極楽寺 (三重県伊賀市)
大日殿極楽寺は鎌倉時代に開創されたと伝えられ、本尊の大日如来は <金胎両部大日如来>と呼ばれる。 金剛界大日如来と胎蔵界大日如来の2体の大日如来から成る本尊で、 各々の胎内には小さな胎内仏が納められている。 この胎内仏は秘仏となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/06 13:58
平田寺 (愛知県北名古屋市)
平田寺は、現在の名古屋市西区城町にあった平田城(詳細は不詳)の城主 平田和泉守が1564年天台宗のお寺として開創したと伝えられている。 平田和泉守は守護大名・斯波氏の一族といわれているが、詳細は不詳である。 1604年再興され曹洞宗の禅寺として再スタートしている。 平田寺の本尊は、珍しい五劫思惟阿弥陀如来で愛知県では希少価値がある。 有名な五劫思惟阿弥陀像は東大寺にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/05 09:08
雲谷寺 (静岡県袋井市) 文化財の東司(トイレ)
雲谷寺の東司(とうす)は茅葺で、1796年建立の袋井市文化財に 指定されている。 東司は禅寺、特に曹洞宗のトイレで、七堂伽藍の一つの堂宇に数えられる 重要な堂宇であった。 東司が文化財に指定されている事例は多くあるが、茅葺東司は珍しい。 雲谷寺は16世紀中頃の開創と伝えられ、1601年には徳川家康から 寺領を安堵されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/03 10:08
善永寺 (岐阜県本巣市) 
柳川市1547年、現在の岐阜県山県市にあった大桑城が斎藤道三によって落城 すると、美濃守護大名であった土岐頼芸は現在の本巣市に逃れ土岐氏も 衰退していった。 その土岐氏の一族であった土岐蔵人なる人が本巣市文殊に移り住み、 浄土真宗本願寺十一世・顕如上人に帰依している。 1570年本願寺と織田信長の石山合戦が始まると、土岐蔵人は本願寺 の軍師として活躍したといわれ、1580年石山合戦が終了すると、 本願寺の陣鐘(麒麟鐘)を顕如から与えられ、1580年山県市にあった お寺を本巣市文殊... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/10/02 10:08
念正寺 (福井県越前町) 大ツガの木
越前町樫津の山寺・念正寺境内の入口で、樹高25mの大ツガの木が 迎えてくれる。 樹齢は不詳であるが、自生ではなく植生されたものといわれている。 ツガはマツ科の一種で、モミの木によく似ている。 本州中部から屋久島にかけてよく見られる木である。 ツガ(別名トガ、栂)といえば、世界遺産の京都・高山寺の地名であり山号 でもある栂尾を想起するが、栂尾とツガの木との関連は? また、ツガの並木参道が強く印象に残る富山県の立山寺がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/30 09:16
妙国寺 (石川県金沢市東山)
日蓮宗の仏壇には、本尊に大曼荼羅、脇侍に鬼子母神と大黒天が祀られる のが一般である。 鬼子母神は日蓮聖人の頃から、守護神として存在したが、大黒天は室町時代 に京都で取り上げられたとする説がある。 妙国寺には、日蓮聖人が刻んだと伝承される大黒天が大黒天堂に祀られ 篤い信仰を受け、別名大黒寺とも呼ばれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/29 08:57
覚王寺 (愛知県扶桑町)
愛知県北部に位置する扶桑町は人口34,000人、名古屋のベッドタウン として位置付けられているが、かっては<桑によって扶養される町>として 養蚕が盛んであった。 その町にあって、伽藍が国登録文化財に指定されているお寺が覚王寺 である。 覚王寺は1330年天台宗のお寺として開創され、1510年臨済宗の禅寺 に変わっている。 江戸時代後期に建てられた伽藍は禅寺の風景を造っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/19 09:41
専光寺 (石川県金沢市本町) 吉藤専光寺
専光寺は、1320年本願寺3世覚如(実質上の本願寺開創)の弟子・志念が 加賀大糠(現在の金沢市大額)に開創したと伝えられている。 その後、1437年迄には加賀吉藤(現在の金沢市専光寺町)に移り、吉藤 を本拠として活動している。 そのことから吉藤専光寺と呼ばれている。 浄土真宗本願寺の加賀における重要拠点として活動し、加賀三大寺の 一つに数えられるほどであった。 1602年本願寺が東西に分離すると、専光寺は東本願寺に属し、 江戸時代初期に現在地に移っている。 明治維新まで、専光寺... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/18 09:14
青龍寺 (三重県鈴鹿市)
鈴鹿市白子海岸に近い白子本町にこじんまりと建つ青龍寺は 830年弘法大師空海によって開創されたと伝承されている。 1460年鈴鹿に根拠を置いて布教に努めた真慧上人に帰依し 真宗高田派に改宗している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/17 09:11
臨渓院 (愛知県犬山市) 瑞泉寺塔頭
犬山城を眺望できる善光寺山の麓に建つ名刹・瑞泉寺の塔頭・臨渓院は 1482年開創され、1625年成瀬正虎が2代犬山城主となると臨渓院を 成瀬氏の菩提寺としている。 成瀬氏は3万石の大名格であったが、尾張藩の家老という立場にあり、 犬山藩とはならなかった。 明治維新時点で犬山藩として独立を認められている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/16 09:01
蓮華寺 (静岡県森町) 桜御前伝説
平安時代末期、左大臣・藤原頼長の娘で宮中一の才色兼備といわれた姫が、 桜町中納言と呼ばれた藤原成範との間に、後に高倉天皇の側室となった 小督の局をもうけたが、1159年の平治の乱で藤原成範が流罪となった。 姫は諸国遍歴の末に、遠州名刹・蓮華寺を頼って庵を設け、地元の人々に 諸芸を教え桜御前と呼ばれたと伝承されている。 藤原成範は赦免され京へ戻ったが、桜御前はそれを知ることもなく蓮華寺 で最期を迎えたとか。 桜御前の供養塔が蓮華寺の境内に寂しく建っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/15 09:07
毘沙門院 (岐阜県池田町) 雲上の桜
毘沙門院の建つ池田町池野の地は、江戸時代中期に宮田吉左衛門などが 雑木林であった地を開拓して出来上がった地であるが、その開拓中に 発掘された銅造毘沙門天像を、1739年エドヒガン桜の傍らに毘沙門院 を開創し祀り、宮田氏の菩提寺としたといわれている。 このエドヒガン桜は500年という推定樹齢で、地元の保存会によって <雲上の桜>と呼ばれている。 樹勢は少し衰え、上部にそれが目立つ。 現在は、桜まつりも行われ、地元の風物詩となっているそうだ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/14 09:06
開善寺 (福井県勝山市) 勝山藩主・小笠原家の菩提寺
江戸時代、勝山にあった越前勝山藩は1623年福井藩の支藩としてスタート したが1644年廃藩となった。 1691年小笠原貞信が美濃高須から越前勝山藩再興として入り、勝山の 基盤を造り、明治維新まで続いている。 小笠原氏の祖先は信濃の名門で守護を勤めたが、武田氏が信濃に侵攻 後小笠原氏は四方に分流していった。 その末裔が小笠原貞信である。 貞信が菩提寺として開創したのが開善寺である。 この開善寺は、1335年小笠原貞宗が飯田市に開創した名刹開善寺に 倣って山号・寺号を受け継いで開... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/11 21:35
立像寺 (石川県金沢市寺町)
金沢寺町寺院群にあって、寺町通に面して銅葺き山門が偉容を誇る お寺が立像寺である。 江戸時代初期の日蓮宗本堂の様式を残す本堂と、一階は吹き放し 二階は花頭窓をつけた楼閣様式の変わった形式の鐘楼が特徴の お寺である。 鐘楼の横に建つ墓塔は、江戸時代後期の第6代横綱・阿武松緑之助 の分骨墓である。 阿武松(おうのまつ)横綱は能登の出身で、現在も年寄名跡として残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/10 09:13
建福寺 (三重県四日市市) 四日市地名の起源
建福寺は、1377年曹洞宗の僧・竺堂了源が開創したと伝えられ、 3代目の住職の時に、毎月4日を初日にして門前に市がたち、これから 四日市の地名が生まれたといわれている。 その後、1470年浜田城を築城した田原(俵)忠秀が田原氏の菩提寺である 建福寺の伽藍を再興し、七堂伽藍の大寺としている。 しかし、1575年織田信長軍によって浜田城は落城し、建福寺も兵火に 罹っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/09/01 09:34
庚申寺 (愛知県新城市)
新城市街地に建つ庚申寺の三猿庚申塔と芭蕉句碑が庚申寺の風景を 造っている。 三猿庚申塔は、ある熱心な仏信者が庚申の日に徹夜して仏道修行し、 3年間続け願をたて、この願いが成就したお礼に三猿庚申塔を1661年に 建てたと。明くる年に庚申堂が建立されている。 芭蕉句碑は、1691年芭蕉が京都から江戸へ帰る途次に、新城の 弟子・太田白雪を訪ねた折に詠んだ句を1799年句碑として建立された。 芭蕉ファンや庚申塔愛好者には見逃せないお寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/31 09:15
等観寺 (三重県伊勢市) 松が造る風景
伊勢神宮外宮の北隣に建つ等観寺は、第100代後小松天皇の 勅願により1394年開創されている。 1648年に中興され大いに隆盛し、末寺36常住雲水30名を数える 大寺となったといわれたが、明治時代の廃仏毀釈により境内も 大幅に縮小されている。 古の歴史からも文化財が豊富である。 参道入口の松が一つの風景を造り、かっての等観寺を想像させている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/30 08:59
宝珠寺 (愛知県東海市) 在原業平伝説
平安時代初期の六歌仙・在原業平の伝説は各地にあるが、ここ東海市にも しっかり残っており、宝珠寺には位牌や業平像が祀られている。 宝珠寺は、伝説を伝える在原業平を開基とするお寺である。 東海市の東に位置する知立市にも、よく知られた八橋の業平伝説が残っている。 共に業平を主人公とする伊勢物語の東下りの途次に、これらの地に立ち寄った とされる伝説によっている。 東海市における伝説には、都から業平を慕って追ってきた女官の悲しい 物語も含まれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/29 09:09
宝持院 (静岡県御殿場市)
小田原城主といえば北条早雲が有名であるが、その北条早雲によって 小田原城を奪われた大森氏の10代目・大森頼春が1417年に小田原城を 築城している。 11代目で小田原城主の大森氏頼が息女の菩提を弔うために、二岡神社 の神宮寺を現在地に移して1458年宝持院を開創している。 二岡神社は御殿場市にあって、現在は心霊スポットとして知られ、宮司は 代々大森氏の系統が継いでいる。 宝持院の地は大森氏の居館があったと思われ、その名残で土居が残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/27 09:32
本善寺 (岐阜県大垣市上石津町) カゴノキ
上石津町は2006年市町村合併で大垣市に編入された自治区で、鈴鹿山脈と 養老山地に囲まれた盆地で、大垣市の飛地になっている。 この地区は、室町時代には越前・加賀に並んで浄土真宗の強い地区で、 蓮如上人に帰依して改宗したり、開創したお寺が多い。 その一つである本善寺は、蓮如上人の弟子が1523年開創した西円坊が 始まりである。 本善寺の本堂横にある<カゴノキ>は、西円坊が開創された時からの古木と いわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/27 09:31
禅林寺 (福井県福井市) 甘露泉
福井市南端の橋立山(261m)山麓にある禅林寺の名水・甘露泉は、 禅林寺が開創された1405年に開創者によって命名されたといわれている。 水源は橋立山といわれ、水は甘くまろやかで、炊飯やお茶に適していると 現在も人気の名水である。 福井県の名水となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/25 09:32
心蓮社 (石川県金沢市山の上町)
金沢の卯辰山山麓寺院群の北端にある心蓮社の寺名にどうしてと。 寺名に社とする例は知らない。 これは、心蓮社の開創者・心蓮社休誉の名をそのまま寺名としたといわれている。 休誉は能登の領主であった長氏の流れをくみ、京都・清浄華院(浄土宗七大本山) の法主であった。 1612年の開創で、1637年現在地に移っている。 庭園を拝観すべく参拝したが、留守で拝観できなかったが、金沢市の名勝 ともなる庭園だけに残念。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/24 09:07
浄源寺 (愛知県瀬戸市) 岩屋堂
東海地方で紅葉人気スポット第2位(1位は香嵐渓、3位は定光寺公園)の 岩屋堂公園は、鳥原川の渓谷と岩屋堂と岩巣山、そしていくつかの滝が 織りなす自然公園として愛知高原国定公園の核となっている。 岩屋堂は、725年行基が草庵を結び、岩窟内に3体の仏像を彫り安置し、 聖武天皇の病気平癒を祈願した岩屋山薬師堂が始まりと伝えられている。 その後、堂宇が整備され天台宗の岩屋山薬師堂として目耳の病護に ご利益ありと大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/15 09:50
乗性寺 (岐阜県郡上市美並町)
下総国(現千葉県)東庄の領主であった東胤行(1194〜1273年)は、 当時名を知られた歌人で藤原定家の孫娘を妻に迎えたと伝わるほであった。 1232年親鸞聖人に帰依し、1257年所領であった郡上郡山田庄の領主 として、戸谷寺を建立している。 東氏の流れを汲む郡上八幡初代藩主・遠藤慶隆が戸谷寺を乗性寺と 改め今日にいたっている。 ちなみに、遠藤慶隆の妹・千代は土佐藩初代藩主・山内一豊の妻である。 乗性寺は東氏・遠藤氏の菩提寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/14 09:12
薬師寺 (三重県松阪市嬉野一志町)
薬師寺は、平安時代末期に一志郡の地方官である郡司の氏寺として 東福寺が開創されたのが始まりと伝えられている。 この地には、古代寺院の一志廃寺が存在したと考えられ、 塔礎石などが発掘され、本堂前に安置されている。 近くには、天華廃寺もあり、松阪周辺には古代寺院の廃寺が多くある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/13 08:17
白毫寺 (名古屋市南区) 年魚市潟景勝の地
名古屋市熱田区から南区の海浜は、古代では<年魚市潟(あゆちがた)>と 呼ばれ、万葉集にも詠まれている。 愛知県の愛知は年魚市に由来するともいわれる名勝であった。 万葉集の歌  <年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ> かっては白毫寺から年魚市潟を望め、景勝の地であったといわれ、 芭蕉も何度となく訪れたといわれている。 芭蕉の句  <春風や戸部山崎のやねの苔> 現在は、埋め立てのためその面影は全くない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/13 08:16
建福寺 (静岡県袋井市) 妻薬師
袋井市西北部の小高い山の間に田園と住宅がひろがる山裾に建つ 建福寺の薬師如来は<妻薬師>と呼ばれ、お薬師様の枕を借りて 良縁をお願いし、叶った時は紅白の枕をお返しすると篤い信仰がある。 全国的にも、妻薬師と呼ばれ、縁結びのご利益があると信仰を集める お寺がある。 中でも袋井の妻薬師は知られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/10 09:20
寺居山五百羅漢 (岐阜県中津川市)
中津川市茄子川の寺居五百羅漢の地には、1775年現中津川市付知町阿弥陀 から阿弥陀堂が移されて建立されていた。 1794年現千葉県市原市の森巌寺16代住職・大蟲越山が引退後、中津川の 知人・中切勝半蔵を訪れ、越山和尚の師・宗龍禅師の遺言により五百羅漢の 霊場開創の相談をしたところ、松林と岩山の寺居山を紹介され、五百羅漢 建立を発願した。 直ちに尾張藩に許可を求め1798年に許可が下りたが、その時すでに 越山和尚は他界していた。 中切勝半蔵は近隣の村々に勧進を募り、1798年五百羅... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/09 14:15
満願寺 (福井県鯖江市)
鯖江市東部を流れる鞍谷川沿いにケヤキの古木が並ぶ満願寺の開創は 不詳であるが、もともとは天台宗のお寺であったといわれている。 1207年親鸞聖人に帰依した住職が浄土真宗に改宗し、その後 真宗高田派に属している。 本願寺の蓮如上人が1471年越前吉崎に赴き布教活動を始めると、 満願寺も本願寺系に変わっている。 北陸においては、真宗内の派閥競合が激しくなっていく。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/08 14:17
真成寺 (石川県金沢市東山)
卯辰山山麓寺院群の一つで、山腹に建てられた真成寺には加賀屋中村歌右衛門 の初代の墓がある。 初代歌右衛門は1714年金沢の医者の子として生まれたが、1730年頃 旅役者の一座に加わり東西旅をし、大坂で歌舞伎役者となっている。 1741年頃に中村歌右衛門を名乗っている。 実悪の名人と謳われ、大坂歌舞伎にその名を残している。 六代目まで歌右衛門は続いている。 真成寺の初代の墓は三代目歌右衛門が建立している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/08/07 14:25
龍拈寺 (愛知県豊橋市)
豊橋市街地に豊橋公園があり、その中に模擬吉田城がたっているが、元々の 吉田城は1505年今川氏の命で、牧野古白が築城したと伝えられ、戦国時代 には徳川家康の三河支配の重要拠点となっている。 江戸時代に入り、吉田城は吉田藩の拠点となっている。 豊橋市は吉田城とともに歩んできたともいえる。 築城主・牧野古白の菩提を弔うために、子の牧野信成が 大永年間(1521〜27年)に龍拈寺を開創している。 その後、牧野氏の菩提寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/28 08:57
長久寺 (石川県金沢市寺町)
寺町通に面して、長久寺と高岸寺が並んで建っている。 高岸寺は、加賀藩始祖・前田利家の家臣であり、また利家の正室・まつの 甥でもある高畠定吉の菩提寺である。 長久寺は、高畠定吉の妻であり、利家の妹である津世姫の菩提寺である。 高畠定吉夫妻の菩提寺が並んで建っているのだ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/27 08:45
延命寺(三重県津市一志町) 石棺
延命寺の境内に安置されている石棺は、200年程前に個人の宅地から 出土したもんで、延命寺に移された。 6世紀古墳時代の家形石棺で保存状態も良好である。 石棺は縄文時代以降使用され、弥生時代を経て、古墳時代に多く 使用されている。 古墳時代の石棺には、  割竹形、舟形、長持形、家形などが見られる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/26 09:30
大善寺 (愛知県新城市)
1575年長篠の戦いで武功をあげた新城城主・奥平信昌は、徳川家康の 褒美の意を込めて、家康の長女・亀姫と結婚し、その後側室を持たずに 大名となっていく。 家康が関東江戸へ移ると同時に、奥平夫妻も群馬県の小幡藩主として 移っている。 関ヶ原の戦い後の1601年、美濃加納藩主(岐阜市)10万石で出世している。 これも亀姫の影の支えであろう。 亀姫は<加納御前>と呼ばれ、夫や嫡男を亡くした後の孫達を支えていく。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/26 09:29
龍禅寺 (静岡県浜松市中区)
浜松の真言三ヶ寺(龍禅寺、鴨江寺、頭陀寺)の龍禅寺は、浜松の古刹で あり、大寺であった。 江戸時代には、藩主の氏族は頻繁に変わったが、藩主の庇護を受けて 大いに栄えたといわれている。 また、本尊千手観音は厄除け観音として信仰が篤い。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/25 09:13
浄光寺 (岐阜県恵那市岩村町)
日本三大山城(岩村城、備中松山城、奈良高取城)の岩村城は、1221年 築城されたといわれ、長きに亘り続き1871年に廃城となっている。 その歴史の中でも、戦国時代の織田信長と武田軍との戦いにおける <女城主おつやの方>の悲哀物語はあまりにも有名である。 関ヶ原の戦い後の1601年、松平家乗を藩主として岩村城を藩庁とする 岩村藩が成立し、藩主居館を山麓に築き、城下町が形成されていく。 その城下町の一角が<岩村町本通り>として重要伝統的建造物群保存地区 として保存されている。 その保... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/22 08:59
宝円寺 (福井県越前市) 前田利家ゆかりの寺
加賀100万石の加賀藩藩祖・前田利家が織田信長の家臣であった 1575年、越前府中城主となった時に、両親の菩提所として宝円寺を再興して いる。 利家が1581年七尾城主に移ると、七尾にも宝円寺(現在の長齢寺)を開創 している。 1583年豊臣秀吉のもとに金沢城へ移り、加賀藩の基礎造りに入っている。 この時も、金沢に宝円寺を開創し、利家夫妻の菩提寺としている。 これほどに、利家は越前宝円寺に帰依していたのである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/20 09:12
月心寺 (石川県金沢市山の上町)
卯辰山寺院群の一つ月心寺には、裏千家始祖・仙叟宗室と大樋焼歴代陶工 の墓がある。 宗室は千家3代の末子であるが、裏千家の始祖であり、1651年加賀藩主 前田氏の茶頭として20数年仕えている。 それに際して、京都の楽焼の弟子を一緒に金沢に伴い、大樋焼を始め、 代々大樋長左衛門として現在も続いている。 金沢における茶道400年の歴史はここにある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/19 10:11
阿弥陀寺 (三重県伊賀市川東)
阿弥陀寺本堂前に安置されている宝篋印塔(1311年銘)と、墓地の最前列に 安置されている五輪石塔(鎌倉時代後期)は、今は廃寺となっている大聖寺 から移設されたといわれている。 阿弥陀寺は1651年、天台真盛宗の宗祖・真盛の菩提寺・西蓮寺の住職 によって開創されている。 柘植川の傍にあって、ゆったりとした境内である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/10 08:39
長源寺 (愛知県東海市)
長寿の双子姉妹で知られた<きんさん、ぎんさん>の蟹江ぎんさんは 108歳の長寿であった。ぎんさんの菩提寺が長源寺である。 長源寺は1492年開創されたと伝えられ、尾張藩主徳川氏の帰依を 深く受けたといわれ、1676年鋳造の梵鐘は尾張2代藩主・徳川光友の 寄進による。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/09 09:50
見性寺 (三重県菰野町) 菰野藩主の菩提寺
右手に鈴鹿山脈の御在所山を眺め金渓川を渡ると、真っ直ぐ延びる参道 が現れる。小高い山裾に見性寺を望む。 参道と周囲の風景が菰野藩主・土方氏の菩提寺の風景を造っている。 見性寺は、1644年菰野第2代藩主・土方雄高が土方氏の菩提寺として 開創している。 菰野藩の初代藩主・土方雄氏(かつうじ)は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦い では徳川家康に従っている。 その後、1万2千石の菰野藩主となり、1635年長男の雄高が継ぎ、菰野の 基礎を造っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/08 08:51
退養寺 (愛知県尾張旭市) 厄除弘法大師
退養寺境内の東に小高い丘があり、その頂きに色鮮やかな10mほどの 弘法大師像が建っている。 1931年地元の電鉄会社が沿線の人口増と観光目的で建立したといわれ、 尾張三大(巨大)弘法の一つと謳われている。 しかし、その後は地元の人達に慕われ、厄除弘法大師として親しまれている。 弘法大師像はあちこちにあるが、このような巨大な像は数少ない。 それも色鮮やかな像はましてや。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/07 14:52
西見寺 (静岡県浜松市西区)
1989年西見寺と花学院とが合併し、花学院の地に(現在地)伽藍を建立 している。 西見寺は1480年開創され、中区平田に移っている。 1850年には琉球の使節が浜松で亡くなり、西見寺で葬り菩提を弔った ことから琉球との関係が深まっている。 一方、花学院は奈良時代の開創で、馬頭観音信仰が深い古刹であった。 合併後も馬頭観音信仰が続いており、3月には馬頭観音大祭が賑やかに 行われている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/05 09:14
桂林寺 (岐阜県下呂市馬瀬) 古木の庭園樹
下呂市北西部を流れる馬瀬川の東岸に建つ桂林寺の境内には、 古木の庭園樹が6本も樹勢を誇っている。 山門左手にはイチイ、山門右手にはコウヤマキ 本堂左手には、手前からカエデ、ヘンパク、サクラ、アオギリと並んでいる。 サクラは上部幹を失っているが生命力を示し、アオギリはイチョウと接近 し過ぎて上部を剪定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/04 08:49
龍生寺 (福井県越前町)
織田信長が好んで舞った<人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の〜> は、幸若舞(こうわかまい)の<敦盛>一節である。 幸若舞は室町時代に流行した曲舞の一つで、越前の桃井直詮が始祖といわれ、 室町〜江戸時代と受け継がれたが、明治時代になって越前の幸若舞は 廃れた。しかし、弟子が引き継いだ大江幸若舞(福岡県みやま町)は現在も 民俗芸能として引き継がれている。 始祖の桃井氏の菩提寺が龍生寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/02 13:35
永福寺 (石川県金沢市) 加賀八家・奥村氏の菩提寺
1686年加賀藩5代藩主の時に、藩の職制改革が行われ、1万石以上の 家老で、八人の家老が加賀八家と呼ばれ、政務を分担し、合議制で藩の 重要事項を決定している。 その内の二人が奥村宗家と奥村支家である。この奥村家の始祖が 前田利家に仕えた奥村永福(永富)である。 この奥村永福が奥村家の菩提寺として開創したのが永福寺である。 天正年間に越中の僧・郷雲が金沢に草庵を築く時に、奥村永福が 支援し、1599年永福寺として開創している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/07/02 13:34
伏見寺 (石川県金沢市寺町)
金沢市には5つの寺院群地域があるが、その中で70ヶ寺近くのお寺が集中する 最大の寺院群が<寺町寺院群>である。 その寺町通に建つ伏見寺は、奈良時代初期に芋掘藤五郎という青年によって 開創されたと伝承されている。 <金沢の地名由来>がこの芋掘藤五郎に関係すると伝承されている。  山芋を掘って売っていた藤五郎という青年が山芋を掘っていると、芋のひげに 砂金がついていたので、その砂金を洗い砂金を採集し、大金持ちになった。 その洗った泉を<金洗沢>と呼んで、後々に金沢と呼ぶようになったと伝... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/30 09:28
高蔵寺 (愛知県春日井市) 地名の起源
高蔵寺といえば、高蔵寺ニュータウンを想起するほどに地名が有名である。 大規模ニュータウンとしては、  大阪・千里ニュータウン(1962年入居開始)  愛知・高蔵寺ニュータウン(1968年)  東京・多摩ニュータウン(1971年) がニュータウンの黎明期を開いている。 その高蔵寺の地名の起源となっているのが、JR中央本線・高蔵寺駅の 近くに建つお寺・高蔵寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/21 09:09
高岸寺 (石川県金沢市寺町)
1583年賤ヶ岳の戦いで秀吉が柴田勝家を征圧すると、前田利家は加賀を ほぼ治め、金沢城を本拠としている。 出城である鶴来・舟岡城の城代として、1583年家臣の高畠石見守定吉を 就かせている。高畠氏はまもなく自らの菩提寺として高岸寺を鶴来に 開創している。 高畠定吉の正室は前田利家の妹・津世であり、利家の正室・まつの継父は 高畠一族の直吉であり、前田家と高畠氏は深い繋がりを持っていた。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/20 10:02
天華寺 (三重県松阪市嬉野) 
松阪市嬉野を流れる中村川左岸を通るJR名松線の左に小高い丘陵がある。 通称天花寺山と呼ばれ、その麓に古代寺院・天華寺廃寺があった。 また、天花寺山の上台地には天花寺城があった。 天華寺廃寺は白鳳時代の創建で、金堂と塔を備えた大寺であった。 天花寺城は北畠氏の出城であった。 永禄年間(1558〜70年)の織田信長の伊勢侵攻により、天華寺廃寺と 天花寺城は完全に焼失している。 発掘調査によって、天華寺廃寺の遺物が発掘され、その規模の大きさが 解明されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/19 09:29
仁昌寺 (愛知県北名古屋市)
真新しい観音菩薩の前に安置された<うなり石>は、2013年に商業施設から 移され安置されている。 このうなり石には伝承がある。   夜になると<う〜う〜>と不気味な唸り声を発し、声の正体を探ろうと何人かが 鍬を入れてみたが、その夜になると重い病気になってしまったと。 結構大きな石で、見ているだけで唸り声が聞こえそうな。写真を撮るのも遠慮した。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/18 10:59
妙立寺 (静岡県湖西市)
トヨタグループの創始者・豊田佐吉の生地は湖西市山口で、その生家を核として 豊田佐吉記念館が建てられ一般に公開されている。 その地から北へ1kmほどの丘陵に建つのが妙立寺であり、豊田家は 妙立寺の檀家であり、菩提寺でもあった。 豊田佐吉が名古屋へ出た時には妙立寺の住職が支援したとも。 また、古くは1568年徳川家康が宇津山城を攻める際に、妙立寺に本陣を 置いている。そうしたことから徳川家の祈願所にもなっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/16 09:35
萬嶽寺 (岐阜県中津川市阿木)
かっては阿木村で、1957年に中津川市と合併した阿木地区は、 人口2500人の山間農村地区である。 その阿木は中津川市の南西端に位置し、恵那市に隣接している 自然溢れる地区である。 その阿木にあって中核的なお寺が萬嶽寺である。 堂々とした山門と子僧像、大きな提灯が迎えてくれる。 夏には、境内一面にハスの鉢が並べられ、ハス祭が行われる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/15 09:18
金相寺 (福井県南越前町)
越前海岸河野浦の北前船の始まりは、1673年頃に金相寺が弁才船を所有し 廻船業を細々と始めたといわれている。 18世紀後半になって本格的な北前船業が行われ、右近氏や中村氏などが 北前船主として大いに栄えたといわれている。 これが明治時代末頃まで続いたそうだ。 金相寺はこれら北前船主や船乗りの菩提寺である。 金相寺は1471年河野浦南ノ町に開創され、1676年の火災後、現在の 北ノ町で再建されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/13 09:08
釜地蔵寺 (愛知県愛西市)
釜地蔵寺の境内に立つ説明板によると、尾張六地蔵第5番札所となっているが、 尾張六地蔵には種々の説があるらしい。 釜地蔵寺の本尊・鋳鉄地蔵菩薩立像は、鉄釜の上に木蓋を置き、その上に 立っていることから、釜地蔵と呼ばれている。 この釜地蔵には、昔幼い子供が継子いじめにあい、地蔵尊が身代りになったと いう物語があるとか。 1653年名古屋の人によって造像され、江戸時代の鉄造地蔵尊として貴重な 資料となっている。 境内には、まだ新しい地蔵堂が建っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/04 09:31
欣浄寺 (三重県伊勢市) 法然上人二十五霊場第12番
法然上人二十五霊場は、宝暦年間(1751〜63年)に二人の僧が法然上人 ゆかりのお寺を巡礼したことから始まったといわれている。 この霊場には、法然上人の直接ゆかりのお寺と、間接ゆかりのお寺がある。 欣浄寺は後者のお寺であり、法然上人ゆかりのものが欣浄寺に所蔵されて いる。 その一つは、法然上人が伊勢参詣の折に感得した<日の丸名号>であり、 一つは、法然上人作と伝えられる<円光大師満月像>である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/02 09:16
広泰寺 (三重県玉城町)
伊勢市の西に隣接する玉城町はかってお伊勢参りの宿場として栄えたが、 現在は農業を主体とした自然溢れる町である。 伊勢道玉城ICの近くに、樹々に覆われた広泰寺がある。 広泰寺は1486年大空玄虎の隠居寺として開創されたのが始まりである。 大空玄虎は後土御門天皇から禅師号を受け、紫衣の勅許を授かっている 名僧で、松阪市の浄眼寺開山でもある。 また、広泰寺は江戸時代には紀州藩主徳川氏の庇護も受ける大寺であったと いわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/02 09:15
太山寺別院 (愛知県西尾市) 三ヶ根観音
三河湾の眺望がすばらしい三ヶ根山(321m)には、有料道路<三ヶ根山 スカイライン>が走っており、観光スポットとなっている。 その山頂附近に建つのが太山寺で、もっぱら三ヶ根観音と呼ばれている。 三ヶ根観音は商売繁盛の観音さんとして信仰が篤い。 また、太平洋戦争で犠牲になった戦没者を慰霊する比島観音が祀られている。 境内からの三河湾の眺望はこれよし。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/06/01 09:06
金剛寺 (静岡県磐田市)
東海道五十三次の28番目の宿場・見附宿は、10世紀には遠江国の国府が 置かれ、中世には最大規模の宿場であった。 その見附(見付)で幕末の侠客であり、清水次郎長の兄貴分であった大和田友蔵 の墓があるのが金剛寺である。 金剛寺は1424年開創され、1610年代に再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/30 09:26
天喜寺 (岐阜県大垣市上石津町)
上石津町は、東に養老山地、西は鈴鹿山脈に挟まれた大垣市の飛地で、 牧田川が中央を流れる自然溢れる山里である。 養老山地の麓に、杉林の参道が続くのが天喜寺である。 天喜寺は、1057年比叡山延暦寺の僧が隠棲のために開創したと 伝えられている。 1366年再興され、臨済宗の禅寺となっている。 その当時からの文化財が残されている禅寺の古刹である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/29 10:06
安泰寺 (福井県越前市)
越前市池泉町にある安泰寺は霊泉寺の前にポツンと建っている。 開創したのは霊泉寺と同じ越前守護・斯波義敏による1486年といわれている。 斯波氏は朝倉氏に敗れ、越前から撤退していく。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/27 09:18
全性寺 (石川県金沢市東山)
卯辰山山麓寺院群は、およそ50ヶ寺余の寺院が江戸時代に、一向一揆 対策のために真宗を除く宗派寺院が集められている。 この寺院群は金沢散策の一つのスポットともなっており、全性寺界隈の 風景が観光写真にも使われている。 薄くなったが、ベンガラの楼門には草鞋がぶらさがり、健康や健脚を 祈って奉納されたものである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/27 09:17
知多四国霊場
1809年妙楽寺住職・亮山阿闍梨が弘法大師の夢告によって発願し、岡戸半蔵と 武田安兵衛の協力を得て、知多四国霊場を開創している。 知多半島を一周する巡礼の旅は人気が出てきている。 <お寺の概要と写真は寺名をクリック> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/17 10:20
円通寺 (愛知県大府市) 知多四国霊場第88番
伊勢湾岸道に面した、こんもりした森の小丘に建つ知多四国霊場最後の札所 円通寺への坂を登る。 少し荒れた境内に入ると、静寂が漂っている。 729年開創と伝える古刹であるが、度々の兵火や火災により罹災し、 1401年現在地に再建されている。 しかし、古刹ゆえの寺宝は守り続けられ今日に至っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/17 10:11
本龍寺 (石川県金沢市) 銭屋五兵衛の墓
海の豪商・海外貿易の先駆者と謳われた銭屋五兵衛は、1773年現在の 金沢市金石の地に生まれ、北前船を使った海運で富をなし、当時鎖国 の中で海外交易により巨額の財をなしたといわれている。 一方、妬みも生まれ、河北潟干拓事業において死魚中毒事故に かこつけた中傷により投獄され、1852年獄死している。 晩年には極悪商人の汚名を着せられた五兵衛であった。 明治時代に入って、再評価され地位を挽回している。 長男が建立した墓が本龍寺にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/16 09:54
常楽寺 (三重県伊賀市) 吉田兼好資料
伊賀市南部の国見山(510m)には、日本三大随筆(方丈記、徒然草、枕草子) の一つ徒然草の作者・吉田兼好が晩年隠棲し亡くなったと伝承される寺跡が あり、兼好塚も建って<兼好法師遺跡公園>となっている。 江戸時代には、この伝承は真実味を持って語られ、芭蕉の弟子・服部土芳も 訪れて句を詠んでいる。 この公園から北に300mの山麓に建つ常楽寺には、 兼好に関係する資料類(兼好法師画像、兼好歌集など)が保存されており、 常楽寺と兼好が隠棲したといわれる寺(草蒿寺)との関係は。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/14 08:58
称名寺 (愛知県碧南市) 徳川家康ゆかりの寺
徳川家康の祖先・松平氏の祖・松平親氏から数えて9代目が徳川家康であるが、 親氏時代から三河に勢力を伸ばし、西三河への浸透時代に称名寺との関係も 深くなっていく。 親氏は1441年称名寺に閑居したとも伝えられるが、親氏のことは不詳なことが 多い。 1543年称名寺において連歌の会が催された時に、家康の父・松平広忠が <神々のながきうき世を守るかな>を受けて<めぐりは広き園のたけ千代> と詠み、住職が家康の幼名に竹千代を薦めたといわれている。 こうした縁もあり、三州大浜東照宮が境内に... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/14 08:57
甘露寺 (静岡県浜松市) 甘露梅
古くは、庭の寺前に梅の古樹があって、徳川家康はこれを<未開紅甘露梅> と名付けたといわれている。 その頃、境内には梅園があって、家康は側室の阿茶局を伴い、度々観梅に 訪れたといわれている。 1724年国学者・賀茂真淵も観梅会を催し、歌を詠っている。  <いかばかり咲くやこの花ながめけむ言葉の匂ひこれもえならぬ> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/13 09:24
蓮光寺 (岐阜県下呂市馬瀬)
飛騨川に注ぐ馬瀬川の上流に位置する下呂市馬瀬は下呂市と合併するまで、 馬瀬村として<日本で最も美しい村>の一つであり、今も何ら変わらない風景 を保っている。 その黒石地区山あいにポツンと佇むのが蓮光寺である。 1478年蓮如上人が京都山科本願寺を建立に着手した際に、馬瀬黒石の 大工・和田惣右衛門が祖師堂建立に携わり、3年間奉仕している。 1480年惣右衛門は蓮如上人の弟子となり、善慶の名前を授かり、郷里に 戻って道場を建て、1489年現在地に道場を移して蓮光寺として開創している。 ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/12 10:05
浄教寺 (福井県南越前町)
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗は真宗十派の宗派から成っている。 親鸞聖人の子孫が継承した<血縁>と聖人の弟子が継承した<法脈> があり、西本願寺(本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)が血縁で、 残りの八派が法脈である。 法脈の一つ<出雲路派>の本山は越前市の毫摂寺であり、末寺は 越前を中心に70弱あり、京都出雲路(京都市北区)が発祥である。 浄教寺の開創は不詳であるが、真宗出雲路派に属している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/10 09:46
金沢西別院 (石川県金沢市) 浄土真宗本願寺派本願寺金沢別院
本願寺第3代覚如上人が親鸞聖人の足跡を辿った際、1339年金沢に 草庵を建て、本源寺としたことに金沢西別院の始まりがある。 1471年蓮如上人が吉崎御坊を開創後もしばしば金沢へ訪れている。 織田信長との一向一揆により西別院も攻め滅ばされている。 その後、加賀藩前田利常によって寺地を安堵され、それが現在の 金沢西別院の礎となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/05/09 09:09
法持寺 (名古屋市熱田区)
芭蕉は1684年8月〜85年4月にかけて江戸〜尾張〜伊賀〜京都〜 熱田〜江戸と旅した<野ざらし紀行>を著しているが、1685年3月 熱田の法持寺で、地元の俳人・桐葉などと句会を持っている。 この時に、桐葉の娘の死を悼んで詠んだ句が   <何とはなしに何やら床しすみれ草>であり、その句碑が法持寺の 境内にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/30 10:36
専長寺 (石川県金沢市)
江戸時代の豪商・銭屋五兵衛の拠点であり、北前船の湊である金石地区 にあって、本堂や山門などの赤瓦屋根が目にも鮮やかに飛び込んでくるのが 専長寺であり、金石寺院群を形成している。 本堂・山門は18世紀末の建立であり、茶室<松帆しゃ;>は銭屋五兵衛の隠居所 にあった物を移築している。 専長寺は1465年宮腰村に念仏道場として開創され、1472年蓮如上人より 専長寺の寺号を授けられている。 再三の火災に遭い、1723年現在地に移っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/28 09:11
祐国寺 (岐阜県本巣市)
安土桃山時代の大名茶人であり、織部焼にも関わったと伝承される古田織部 は、1543年現在の本巣市山口に生まれ、山口城主になったといわれている。 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、千利休の後を引き継ぐ茶道名人と 詠われた。 1615年家康の命により自刃している。 その織部の祖父・古田総兵衛が、山口にあった天台宗祐国院を浄土真宗に 改宗して菩提寺としたのが祐国寺としたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/27 09:36
悟真寺 (三重県鈴鹿市)
1582年本能寺の変後、堺に居た徳川家康は伊賀越えで鈴鹿白子に 逃れ来て、ここから船で常滑へ渡り岡崎へと逃れたといわれている。 この白子で悟真寺が何らかの役割を果たした可能性もあるらしい。 江戸時代になって、悟真寺は徳川将軍の保護のもとに大いに栄えたとも いわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/27 09:35
宝寿院 (愛知県津島市) 津島神社の元神宮寺
宝寿院は、818年頃弘法大師空海が牛頭(ごず)天王社<津島神社>の脇に、 病気平癒を祈願して開創されたと伝えられている。 その後、津島神社の神宮寺として神仏習合の疫病除けの社寺として 多くの参詣者が集まり、門前町もでき津島の核として大いに栄えたと いわれ、東の津島・西の八坂の牛頭社となった。 明治時代初頭の神仏分離により、津島神社の祭神も牛頭天王から 変わり、宝寿院も分離され、神社の仏像など仏教関係の物も宝寿院 に移された。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/26 09:05
普済寺 (静岡県浜松市中区) 曹洞宗の古刹
普済寺は1428年現在の浜松市中区寺島町に開創されたといわれ、 1432年現在地に移っている。 遠州における曹洞宗の中核として多くの末寺を抱えていた。 1573年の三方ヶ原の戦いで徳川家康は武田信玄に大敗を喫し、 浜松城の偽装炎上を謀るために、普済寺に火を放ったといわれている。 その後、家康は帰依していた普済寺を再興したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/23 10:15
円勝寺 (岐阜県本巣市)
鎌倉時代初期に大野・本巣郡の領主であった関谷正善が上洛し法然上人に 帰依し、その後親鸞聖人の弟子となって帰郷し、現在の大野町上秋に 念仏道場を開いたのが円勝寺の始まりといわれている。 その後、転々とし1616年現在地に再興されている。 その時に植えられたカシの木が市の天然記念物となっている。 樹高は17m、推定樹齢は400年である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/22 09:14
観音寺 (福井県福井市)
越前水仙の里・旧越廼村(現在は福井市)は水仙群落の観光名所で、 海岸には<越前水仙の公園>が設けられ、水仙ドームでは温度管理 のもとに年中水仙の花が咲いている。 その公園の小高い所に建つのが観音寺である。 観音寺の開創は不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/20 09:30
蓮華寺 (愛知県あま市蜂須賀) 蜂須賀小六の菩提寺
豊臣秀吉の重臣であり、秀吉の出世街道に寄り添ってきた蜂須賀小六正勝は、 1526年蜂須賀の地で生まれ、何時の頃からか秀吉と縁ができ、1566年の 墨俣城築城では秀吉の元で与力として活躍している。 それ以降、秀吉の片腕として寄り添い、1586年大坂で亡くなっている。 小六の嫡男・家政は徳島藩の藩祖として、蜂須賀氏は明治維新まで徳島藩主 を務めている。 この蜂須賀小六正勝と家政の菩提寺が蓮華寺である。 なお、徳島市興源寺は蜂須賀氏一族の菩提寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/10 09:44
法雲寺 (岐阜県揖斐川町)
根尾川西岸から岐礼谷へ入った小さな集落の山手に、参道が延びる 法雲寺は少し寂れているが、ここに室町時代末期最後の美濃守護大名 土岐頼芸の小さな墓塔が建っている。 美濃を統括する守護大名として250年間土岐氏が君臨したが、最後 となった土岐頼芸は斎藤道三に追い出され、各地を転々とした後、 谷汲岐礼の地で寂しく最期を迎えたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/09 12:53
千福寺 (三重県四日市市) 信貴山別院
千福寺は、736年聖武天皇の勅命により、現在の四日市市尾平町に永代寺 として開創されたのが始まりと伝えられている。 その後盛衰を経て、1300年代前半に京都東福寺の虎関国師が現在地の 生桑山(いくわさん)に毘沙門天石仏を祀って再興したといわれている。 明治時代の廃仏毀釈によって、伊勢市二見の密厳寺が廃寺となった際に、 密厳寺住職・定峯が寺の仏像を他の寺に移座している。 その内の毘沙門天を千福寺へと移している。これが現在の本尊であり、 1958年信貴山の四日市別院となっている。 ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/07 09:22
無量光院 (愛知県稲沢市)
無量光院は735年行基によって開創された満願寺の一院と伝えられ、 941年兵火によって焼失したが、1202年再興され満願寺一山12院 の大寺となったといわれている。 永禄年間(1558〜70年)再び兵火によって壊滅したが、天正年間 (1573〜91年)に無量光院と安楽院(現在の満蔵院)のみが再興され、 満願寺など10ヶ寺の仏像が無量光院に安置されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/07 09:21
庚申寺 (静岡県浜松市浜北区) 庚申信仰
庚申寺は、725年現在地北西の少し離れた堂風呂と呼ばれた地に、 庚申尊天(青面金剛)三尊が出現し、それを祀るお堂が建てられたのが 始まりと伝えられている。 1077年に光明寺となり、1390年現在地に庚申寺として再興されている。 この頃には庚申信仰が芽生えていたのであろう。 江戸時代になり、庚申信仰が隆盛となり、近隣ばかりか遠方からも信仰者 が参詣し、門前町が形成されるほどになった。 現在では、庚申信仰は影を潜めそれを知る人もほとんどいない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/06 08:43
光沢寺 (岐阜県大野町)
背に山、前には田畑が拡がる寺内集落にあって、一際背の高いモミの木が 目立つ光沢寺がある。 開創については不詳であるが、1767年建立の鐘楼門(山門)は町の 文化財に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/04 09:13
芳春寺 (福井県越前市)
芳春寺の開創については不詳であるが、かっては河濯(かわそ)権現と 呼ばれた神仏習合のお寺で、現在も毎年7月末に祭礼が行われている。 境内に安置された芭蕉色紙塚とは、  1689年芭蕉が<奥の細道>紀行で北陸へ来た際に、地元の俳人・露朝 が<古池や蛙飛こむ水の音>の色紙を贈られたといわれている。 1730年、福井藩士の嵐枝が露朝の所持していた色紙を埋めて<色紙塚> を建立したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/03 19:40
集福寺 (石川県能美市) 辰口温泉の守り寺
集福寺は、1533年越中砺波郡小坂村(富山県小矢部市小坂)に開創されたと 伝えられ、1600年金沢へ移り、1895年辰口温泉の守り寺として現在地に 移っている。 寺の名前からも<福を集める>と縁起をかついで信仰があるらしい。 本堂裏の小高い所の地蔵堂に祀られている石造地蔵菩薩坐像は、 享保年間(1716〜36年)江戸相撲の大関が北陸巡業の折に奉納したものと いわれ、石川県では最大級の石造地蔵菩薩といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/04/02 15:40
霊松寺 (愛知県北名古屋市)
豊臣秀吉政権下で、五奉行筆頭であった浅野長政の生誕地が霊松寺の地 であり、長政誕生(1547年)後の1573年薬師寺として開創されている。 この薬師寺が1800年霊松寺となっている。 浅野長政は浅野長勝の養子となっているが、秀吉の正室・ねねも長勝の 養女であった。 長政は秀吉の子飼の重臣で五奉行筆頭として大いに活躍している。 1600年関ヶ原の戦いでは、家康に従いその後、大名となり明治維新まで 浅野氏は大名であった。 その系統の中にあって、忠臣蔵の浅野内匠頭も4代後の子孫である。... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/23 09:40
龍徳寺 (岐阜県池田町)
龍徳寺は、弘仁年間(810〜824年)に伝教大師最澄が雲門寺を開創したのが 始まりと伝えられている。 1334年摂津池田城(大阪府池田市)を築城した城主・池田教依が天皇の勅で 美濃池田庄に下向し、地域の開発に携わり美濃池田庄の郷司となって、 雲門寺を再興したといわれている。 摂津池田氏はその後、摂津と美濃池田氏に分流し、摂津池田氏は戦国時代末期 に滅びているが、美濃池田氏は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、 江戸時代には岡山藩、鳥取藩などの藩主となっている。 特に、池田恒興は信... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/22 09:30
明福寺 (三重県菰野町)
明福寺は永正年間(1504〜20年)に念仏道場として開かれたのが 始まりといわれている。 1814年伊能忠敬は日本地図を作製すべく全国を測量で巡っている際に、 明福寺に宿泊している。 明治時代に入り、廃仏毀釈の影響で廃寺となった伊勢神宮の神宮寺で ある常明寺の円空仏が明福寺に移されている。 阿弥陀如来と薬師如来が裏表に刻まれた両面仏で1674年の円空仏 である。 俳人・山口誓子がこの円空仏を拝観して句を残している。 <円空仏外に出で来て枯銀杏> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/21 09:44
専修院 (愛知県扶桑町)
尾張をほぼ統一していた織田信長は、1564年反抗的な同族の 犬山城主・織田信清を攻めるべく大道寺砦を築き、一気に攻め滅ぼしている。 これによって信長は美濃攻略の態勢を整えていく。 大道寺砦の跡地に、1577年専修院は移ってきている。 専修院は、現在の柏森駅西方に1280年大道寺として開創されている。 何の因果か、1876年犬山城二の丸の矢来門が移築されたのが 現在の専修院東門である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/20 10:05
宿蘆寺 (静岡県浜松市西区)
宿蘆寺は、1466年佐田城主・堀江久実によって開創されたと伝えられている。 佐田城は15世紀初期館山に越前から出てきた堀江氏によって築城されたと いわれているが遺跡は残っていない。 堀江氏は16世紀初頭には今川氏に敗れ、堀江城主の大沢氏が台頭し 江戸時代にはこの地域の領主となっている。 堀江城跡は舘山寺温泉の遊園地となっている。 この大沢氏の菩提寺が宿蘆寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/18 09:10
宝光院 (岐阜県大垣市) 節分会はだか祭
宝光寺は、平安時代初期に伝教大師最澄によって開創されたと伝える 古刹であるが、戦国時代に織田信長の兵火によって灰燼に帰している。 豊臣秀吉の帰依により再興され、江戸時代になり徳川家康など歴代の 徳川将軍の篤い帰依を受け、朱印地として大いに栄えたといわれている。 現在では<御朱印地宝光院>として大垣市の史跡に指定されている。 しかし、明治時代になり衰微に向ったが、戦後<ひだり目不動節分会 はだか祭>が復活し、岐阜県の風物詩ともいわれる祭となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/18 09:09
憶念寺 (福井県南越前町)
小高い山王山南麓に30mにも及ぶであろうケヤキの古木が目につく 憶念寺が建っている。 憶念寺の開創は不詳であるが、南北朝時代に開創されたといわれる 万松寺が始まりと伝えられている。 1505年浄土真宗に改宗している。 明治・大正時代に活躍した仏教学者・南条文雄は憶念寺の養子である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/15 09:05
勝善寺 (石川県白山市) タブの木
田畑の中に赤い屋根の本堂が建つ。 その本堂裏に一対のタブノキの古木が存在感を示している。 元は白山社跡地で、鳥居の木と推測される一対のタブノキではないかと 伝承されている。推定樹齢は400年といわれている。 東樹はもとは樹高16m、西樹は18mほど。村落樹林として代表的なタブノキが 田畑の中に残るのは珍しいとか。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/15 09:04
神王寺 (三重県伊賀市)
伊賀市のシンボル山といわれる霊山(766m)の西麓に建つ神王寺は、 隣に建つ日置神社(平安時代末期の開創)の別当寺であったといわれているが、 1581年の織田信長の伊賀侵攻(天正伊賀の乱)によって焼失し、全てが 失われ神王寺の縁起については不詳である。 17世紀中頃に再興されている。 柘植のお大師さんと信仰を集めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/06 09:43
山王坊 (岐阜県下呂市) 飛騨信貴山
下呂温泉街の東に位置する小高い山へ登って行くと、白川郷などから移築した 10棟の合掌家屋集落の下呂温泉合掌村があり、それを更に登ると山王坊の 参道が見える。 山王坊は境内から下呂温泉街を一望できる地にある。 1939年岐阜県関市から山王坊は移転し、飛騨信貴山と呼ばれている。 関市には鎌倉時代に開創されたと伝えられるが詳細は不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/05 09:32
円光寺 (三重県津市河芸町) 伊勢上野藩主・分部氏の菩提寺
1568年織田信長が伊勢に侵攻して来た時、分部光嘉は織田に味方し、 信長の弟・信包に従って1570年伊勢上野城を築城し、城主となっている。 その時に、栗真庄中山にあった円光寺を上野に移し菩提寺としている。 1600年関ヶ原の戦いで徳川方につき、伊勢上野藩の初代藩主となるが、 1601年に亡くなっている。 2代藩主・分部光信は近江大溝藩主に転封となり、円光寺も同時に近江 に移っている。 残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続している。 近江に移った円光寺は滋賀県高島市に存続し、大... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/04 09:30
宗堅寺 (愛知県新城市) 野田菅沼氏の菩提寺
新城市にあった野田城は1508年野田菅沼氏によって築城され、3代目の 菅沼定盈が野田城主の時の1572年幸春寺を開創している。 (これが宗堅寺の始まりである) 菅沼定盈は1573年武田信玄と徳川家康の<野田城の戦い>で敗れるが、 1575年の長篠の戦い後、再び野田城を取り返している。 1600年関ヶ原の戦いで徳川方で活躍し、次男が伊勢長島藩主となり、 定盈は伊勢長島で1604年亡くなっている。 この時、幸春寺を宗堅寺と改名し、野田菅沼氏の菩提寺としている。 その後、野田菅沼氏は伊... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/03 09:15
東雲寺 (静岡県湖西市) 摩利支天
東雲寺の守護神として祀られている摩利支天は、陽炎を神格化した仏教の 守護神で、自在の通力を発揮するといわれ、武士の間では信仰があったと いわれている。 東雲寺の摩利支天も徳川家康の信仰があったといわれている。 面白いのは、霊山といわれた山の峰に摩利支天の名前をつけて、信仰の 対象としたことであろう。 例えば、木曽御嶽山、乗鞍岳、甲斐駒ケ岳、新潟・八海山などがある。 摩利支天信仰の篤いお寺では、京都・禅居庵、東京・徳大寺などがある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/03/01 14:49
桂昌寺 (岐阜県郡上市美並町)
郡上市の南端に位置する美並は、長良川が中央を流れ自然を満喫できる 郷であるが、円空上人の生誕地(諸説あり)でもある。 その美並にあって、時節ニュースでも取り上げられる<桂昌寺の牡丹> は、150種2,000株の牡丹が1977年から裏山に植生され、またアジサイも 1万株と四季折々の花の寺として知られている。 私の訪れたのは、花の隙間でお寺そのものを拝観した。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/29 09:26
願念寺 (福井県福井市)
1471年蓮如上人が吉崎御坊に入り、北陸に一向宗(浄土真宗)の布教を 拡大したが、この頃から一向一揆が生じた。 1506年北陸一向宗と越前・朝倉氏との九頭竜川の戦いで、一向衆は敗れ 加賀に逃れたが、吉崎御坊は破壊されている。 この時、越前の願念寺も加賀の松任に逃れ、松任願念寺を開創している。 その後、越前願念寺も現在地に再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/27 09:21
本誓寺 (石川県白山市)
加賀藩には加賀八家と呼ばれる大名級の家老(年寄役)職制が 1686年設けられ、藩の最高決定機関となっていた。 筆頭家老・本多家(5万石)、長家(3万3千石)、横山家(3万石)、 長種系前田家(1万8千石)、村井家(1万6千5百石)、奥村宗家(1万3千石)、 奥村支家(1万2千石)、直之系前田家(1万1千石)の八家である。 その中の長家は能登を根拠にしていた。 明治時代になって、長家の広式門が本誓寺に移築されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/26 09:41
定光寺 (愛知県瀬戸市) 尾張徳川初代藩主・徳川義直の菩提寺
徳川家康には多くの側室がいたが、高齢になってからの側室を<中の三人衆> と呼ばれていたそうだが、その中の一人<お亀>を側室にしたのが1594年 53歳の時である。 お亀は京都・石清水八幡宮の社人の娘で既婚者であったが、伏見城で給仕 の折に家康の目にとまり側室となり、1600年家康の九男として 五郎太丸(徳川義直)が誕生している。 1610年11歳で徳川義直は初代尾張藩主となり、1615年名古屋城主と なっている。 義直は名古屋の基盤を築き、名君と呼ばれた。 義直が狩猟の折に、定... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/24 10:41
聖眼寺 (愛知県豊橋市) 芭蕉の松葉塚
芭蕉の愛弟子・坪井杜国が米の売買で詐欺罪に問われ、渥美半島保美 (愛知県田原市保美町)に流刑になり、1687年芭蕉は杜国の身を案じ、 渥美半島へ向う途次に聖眼寺に立ち寄っている。 その時に詠んだ句<松葉を焚て手拭あふる寒さ哉>の句碑が、 聖眼寺に2基ある。 1754年芭蕉50年忌に立てられた句碑を古碑松葉塚と呼び、 1769年建てられた句碑を再建松葉塚と呼んでいる。 この2基の松葉塚が境内に並んで建てられ、山門横に古碑松葉塚を 案内する古標石が建っている。 この3基は資料的にも... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/17 09:44
長国寺 (岐阜県恵那市) 西行伝説
平安時代末期の歌聖と呼ばれた西行は1140年出家後、各地を巡る 漂泊の旅に出て多くの和歌を残しており、また各地に西行伝説が残っている。 1186年東大寺再建の勧進行で奥羽や鎌倉を訪れている。 その帰り途次に、現在の恵那市中野に庵を結び3年間逗留し、そこで最期を 迎え長国寺で葬送され、中野坂(西行坂)に葬られた(西行塚)という伝承が 1614年書写の<長国寺縁起>に記されている。 西行は1190年大阪府弘川寺で最期を迎えたのが通説である。 西行塚は室町時代末期に建立されたと考えられ、... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/16 10:18
青巌寺 (三重県津市一志町) 尾張徳川家ゆかりの寺
1651年尾張第2代藩主・徳川光友と側室・勘解由小路の間に長男として、 松平義昌は青巌寺で生まれ育てられたといわれている。 側室の子として、正室(徳川家光の娘)に憚り青巌寺で生まれ、その上 三男として扱われている。 義昌は1683年陸奥梁川藩主(福島県伊達市)となっている。 こうした経緯から、徳川光友は1692年青巌寺本堂を建立している。 現在の本堂がそれである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/15 09:18
玉林寺 (愛知県豊川市) クスの木
豊川の西岸、東名高速道豊川IC近くに、遠目にも目立つクスの木が 盛んな樹勢を緑濃くしているのが玉林寺である。 右から、左から、正面から眺めつくす。 推定樹齢は600年以上といわれ、20m以上の樹高に圧倒される。 玉林寺は1491年臨済宗のお寺として開創されたといわれている。 その後、豊川稲荷(妙厳寺)の末寺となって曹洞宗になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/13 09:16
大雲院 (静岡県御殿場市)
戦国時代、甲斐武田と相模北条が戦略上の拠点として争った深沢城は 16世紀初頭に築城されたといわれ、1590年廃城となっている。 深沢城は、15世紀小田原城主・大森氏の一族・深沢氏の居館を ベースに今川氏によって築かれたといわれている。 その深沢氏が開創したのが大雲院と伝えられているが、詳細は不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/13 09:15
常照寺 (岐阜県可児市)
織田信長の重臣であり美濃兼山城主であった森可成の妻であり森蘭丸の 生母でもある妙向尼(えい)が、自分の母・妙願尼の菩提を弔うために、 1565年兼山(兼山城下)に妙願寺を開創している。 妙向尼は浄土真宗に深く帰依していたことから、1580年石山本願寺 攻撃の折に、仲介の役割の一旦を担ったといわれている。 1600年森忠政(可成の六男)が川中島〜津山(岡山県津山市)と 移封されると妙願寺も移動し、現在は津山市にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/12 09:36
大宝寺 (福井県越前市)
徳川家康の次男・結城秀康は、長男・信康が1579年に自刃しているので、 家康の後継と考えられたが、母(側室)が身分の低い出であることから結城氏の 養子になっている。 1601年結城秀康は福井藩初代藩主となり、1607年亡くなっている。 秀康の1周忌に、2代藩主・松平忠直(秀康の長男)が弟・吉松を慰めるために、 狩野派の絵師に<結城秀康像>を描かせ、吉松が養子に入った福井藩主の 家老・本多富正が1603年に開創した大宝寺に奉納している。 この肖像画は秀康肖像画の中で最古といわれている... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/10 09:15
小松本覚寺 (石川県小松市)
浄土真宗の越前への浸透は、真宗高田派三河教団の和田信性が鎌倉時代末期 に、足羽川流域の和田(福井市和田)に念仏道場を開いたのが始まりといわれる。 この念仏道場が和田本覚寺の始まりである。 14〜15世紀北陸に浄土真宗が浸透する一方、本願寺派と高田派の勢力争い は激しくなる。 15世紀の初めに、和田道場は和田本覚寺となり本願寺派となる。 和田本覚寺は、越前における本願寺派の拠点として、また蓮如上人が吉崎御坊 へ入る支援を行っている。 1506年越前守護朝倉氏との戦いで敗北し、和田本... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/09 14:06
栄林寺 (三重県名張市)
栄林寺の開創は不詳であるが、当初念仏堂と呼ばれて名張市黒田の法然寺 末寺として存在していたといわれている。 天正伊賀の乱で法然寺は焼失したが、その後念仏堂は栄林寺となった。 法然寺を逆に末寺として大いに栄えたといわれている。 1711年には栄林寺から出火し名張大火となっている。 その後再建され、明治時代になって法然寺も廃寺となり、その寺宝を 管理している。 法然寺跡に小堂があり、そこに安置されている<法然上人供養塔>は 法然の分骨を祀っているといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/02/01 09:41
大鷲院 (愛知県豊田市)
豊田市東部山間地の国道153号線沿いに山を背に建つ山門を潜ると、 青もみじの登り参道が伸び、すると大きな石垣が迫ってくる。  <この石垣は、1816年東海地方を襲った風雨洪水で集落は大飢饉に 陥った。 大鷲院の住職はその惨状を見るに忍びず、壊滅した参道の修理と 石垣を築造して、集落を救うことにした。 寺の保有米を放出し、檀家・信者の有力者を説いて米の寄進を受け、 それを人夫賃として工事を行った。そのお陰で4000人余りの救済 がなったといわれている。> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/31 10:17
徳永寺 (三重県伊賀市) 徳川家康の伊賀越え
1582年本能寺の変後、堺から四条畷に移動していた徳川家康は、明智光秀 の落武者狩りを恐れて30数名の家臣と共に、宇治田原〜信楽〜伊賀〜白子 〜常滑〜岡崎と逃げ帰った<伊賀越え>は家康の最大の危機であったと いわれている。 その途次にある伊賀徳永寺で一時休憩したとか、宿泊したとかいわれている。 後に、徳永寺に対して葵の紋使用の許しを与え、江戸時代になると、 伊賀藩の藤堂藩主から庇護を受けている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/30 10:36
観音寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第86番
江戸時代の儒学者・細井平州が8〜10歳の間学んだのが観音寺である。 細井は西条藩など多くの藩に迎えられたが、晩年米沢藩主・上杉鷹山に 迎えられ、身分を越えた師弟愛が市中で評判になっている。 細井が鷹山に贈った言葉  <勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/28 09:10
見性寺 (静岡県磐田市)
歌舞伎の演目に<白浪五人男>があるが、五人の盗賊の話であり、 その内には弁天小僧も含まれる。 そのリーダーの日本駄衛門だけが実在の人物であったといわれている。 駄衛門は1717年遠州生まれといわれ、義賊として振る廻っていたが、 1747年捕えられ打首となり見性寺に葬られたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/27 09:39
東香寺 (岐阜県富加町)
東香寺は、美濃守護大名の土岐頼遠が1315年夢窓疎石を開山に迎えて 開創されたと伝えられている。 夢窓疎石は1313年多治見の永保寺を開創して美濃を行脚している時に、 土岐氏の帰依が篤い疎石に開山を請うたものと思われる。 東香寺には夢窓疎石作の庭園と伝わる庭園もある。 (残念ながら訪問時は留守で拝観できず) 土岐頼遠はバサラ大名とも呼ばれる勇猛な武将で、1342年光厳上皇 への狼藉事件で夢窓疎石の嘆願も叶わず処刑されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/26 09:50
正等寺 (福井県勝山市)
1580年柴田勝家の一族・柴田勝安が築城した勝山城は、1644年一旦は 廃城となるが、1691年小笠原氏が勝山藩主となると1700年代に再び 築城されている。 現在その面影は無く、市役所が建っている。 そのすぐ近くに建つ正等寺は、1896年の勝山大火に遭って現在地に 移ってきている。 その時、武家屋敷の表門を通用門として譲り受けている。 江戸時代の遺構がここに残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/24 09:52
鶴来別院 (石川県白山市) 真宗大谷派別院
白山への入口となっている鶴来の真宗大谷派鶴来別院は、1903年 真宗大谷派金沢別院から独立して鶴来別院となっている。 鶴来別院の由来を辿ると、  蓮如上人の七男・蓮悟が鶴来に清沢坊を開創し浄土真宗の中核と なったが、1531年の亨禄の乱によって焼失し廃寺となっている。 その後、天文年間(1532〜55年)に集落の人々によって念仏惣道場 が建立されたのが鶴来別院の始まりといわれている。 蓮如上人の子供が開いた鶴来の坊は、浄土真宗にとっては大事な地 なのである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/23 14:54
青雲寺 (三重県伊賀市) 伊賀忍者・百地氏の菩提寺
伊賀忍者には上忍三家(服部、百地、藤林)があり、その一家・百地氏の 代表で伊賀忍者の祖といわれるのが百地三太夫(百地丹波)である。 戦国時代に大いに活躍したが、1581年織田信長との天正伊賀の乱で 戦死したといわれている。 その百地三太夫の居城後が百地丹波城跡(砦跡)として残され、 その一部に青雲寺が建っている。 恐らく百地三太夫が亡くなった後、一族の誰かが菩提寺として開創した と思われる。詳細は不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/15 09:14
瑞林寺 (岐阜県美濃加茂市) 柿寺
蜂屋地区にある瑞林寺は別名を柿寺ともいう。 これは、瑞林寺を開創した仁済宗恕が蜂屋の名物・蜂屋柿を室町幕府将軍に 献上したところ、大いに喜ばれ寺領と柿寺の称を与えられたことに由来する といわれている。 蜂屋柿(堂上蜂屋柿)は千年前の平安時代から蜂屋地区で作られている 干し柿で、糖度が非常に高く日本でも有数の干し柿として知られている。 この柿の木は、蜂屋地区の保存木を接ぎ木した柿に限定されているらしい。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/14 09:29
龍光寺 (三重県鈴鹿市) 鈴鹿の名刹
鈴鹿市の中心市街地である神戸地区は、神戸氏が1550年代澤城から移って 神戸城を築城し城下町神戸を整備して発展した。 1600年には神戸氏は滅びたが、江戸時代には神戸藩が置かれ神戸城が 中心であった。 神戸氏は1367年神戸郷の領主になった盛澄から始まり、澤城を築城している。 1433年伊勢国司・北畠氏が開基、神戸氏が普請奉行として西条に龍光寺が 開創されている。 それ以来、龍光寺は神戸氏の菩提寺となり、神戸氏が神戸城へ移ると 龍光寺も現在地の神戸に移転している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/13 09:14
法蔵寺 (愛知県あま市)
法蔵寺の本尊・鉄造地蔵菩薩には次のような謂れが残っている。  地元(あま市蜂須賀)の領主から豊臣秀吉の片腕となった蜂須賀小六正勝 が、1560年の桶狭間の戦いに出陣の折、戦勝を祈願して蓮華寺(あま市蜂須賀) の鉄造地蔵菩薩を戦場へ持ち出したが、あまりに重いので中橋郷の地に置いて、 錫杖だけを持参し活躍したといわれている。 その後、この錫杖のない鉄造地蔵菩薩を本尊として法蔵寺が開創されたと いわれている。 一方、鉄錫杖は現在の徳島市・如意輪寺に残されている。 これ以来、蜂須賀家では... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/12 09:28
西伝寺 (静岡県浜松市南区)
天台宗の僧・皇円阿闍梨は日本三大史書<扶桑略記>を撰した高僧で、 また法然上人の師でもある。 この皇円阿闍梨が1169年現在の静岡県御前崎の桜ヶ池で入定したと いわれ、1176年法然上人は2人の弟子を伴って桜ヶ池へ参詣したと いわれている。 その帰りに弟子の一人・西伝が草庵を築いたのが西伝寺の始まりと 伝えられている。 本堂前のイブキの木は法然上人の手植えといわれている。 なお、皇円阿闍梨の事は判然としないが、法然上人絵伝が手掛かりと いわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/11 09:49
妙雲寺 (岐阜県川辺町)
飛騨川の畔にある妙雲寺は1537年上川辺の地に開創されたと伝えられ、 1611年川辺の領主で旗本でもあった大嶋光政が現在の中川辺の地に 移し、大嶋氏の菩提寺としている。 大嶋光政は豊臣秀吉に仕えたが、関ヶ原の戦いでは徳川家康に従い、 1611年には川辺の地を与えられ旗本になり、川辺の町造りに貢献している。 妙雲寺は小さなお寺であるが、大嶋氏の位牌堂や墓地が残り、 川辺の歴史散策スポットとなっている。 特に、千体釈迦如来は8月28日のみの公開で、その日には多くの 参拝者があるそうだ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/10 10:21
松龍寺 (福井県あわら市) 千体仏
松龍寺の鐘楼門を入って左手にこじんまりした千体仏堂がある。 1856年熊坂長範物見の松が枯れ、当時の松龍寺住職が立ち木の まま大仏を彫って熊坂に安置(現在の熊坂大仏)し、残った木屑を 刻んで千体の阿弥陀如来を堂に祀ったのが千体仏堂である。 小さな阿弥陀如来も150年過ぎ、古色の気配が窺える。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/08 09:30
願慶寺 (石川県白山市)
1460年代〜1580年代の100年間、各地で浄土真宗本願寺の門徒が 起こした一向一揆の中でも主な一揆は、  近江金森合戦(1466年 最初の一揆)、越中一向一揆(1480〜1576年)  加賀一向一揆(1488〜1582年)、三河一向一揆(1563〜64年)、  石山合戦(1570〜1580年)、長島一向一揆(1570〜74年) がある。 加賀一向一揆の最後は<七ヶ村なでぎり>といわれる300数十名の 惨い磔の死であったといわれ、その中に願慶寺門徒が含まれていた。 織田信長の一... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2016/01/07 09:17
円光寺 (愛知県稲沢市矢合町)
円光寺の開山・円光大照禅師(滅宗宗興)は、鎌倉〜戦国時代に現在の 一宮市にあった中島城の城主・中島蔵人の次男で、鎌倉・建長寺で修行し、 1348年一宮の名刹・妙興寺を開創している。 1300年代後半に円光寺を開創し、1381年円光寺で最期を迎えている。 また、禅師は各地にお寺を開創し臨済宗の普及に努めたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/31 10:12
神光寺 (岐阜県関市)
神光寺は719年泰澄大師によって開創されたと伝えられ、河内源氏の 2代目で源頼朝などの源氏の祖といわれている源頼義が、奥羽の前九年の役 (1051〜62年)で鎮守府将軍として派遣される途次に戦勝祈願をし、 勝利のお礼に伽藍を整備し、1057年天皇の勅願寺となり神光寺となったと いわれている古刹である。 その歴史に相応しい寺宝がつたわり、文化財にもなっている。 また、円空仏4体も残されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/29 09:23
宝性寺 (三重県四日市市)
旧東海道を桑名から朝明川を渡り、四日市に入って1km弱の右手に 宝性寺参道が見える。 宝性寺は740年聖武天皇の勅願によって現在地の西300mの地に開創されたと 伝える古刹であるが、1568年長島一揆の戦乱により焼失している。 その後再建されるも火災に遭い1719年に再興されている。 本堂は1814年に再建され、それが現在の本堂である。 四日市市の文化財になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/27 09:34
西来院 (静岡県浜松市中区) 築山御前の菩提寺
築山御前は、1557年今川義元の人質として駿府にいた松平元信(徳川家康)と 結婚し(正室)、松平信康(家康の長男)と亀姫を産んでいる。 その後、家康は居城・岡崎城に戻ったが、築山御前は一緒に戻れず、幽閉同然 の形で尼寺で生活が続いた。 1579年何らかの理由により、家康の命で築山御前は殺害され、伝承では信長の 命で信康を自刃に追い込んでいる。 何らかの理由には諸説あるが、戦国時代の相争う図の中の悲劇かも。 この築山御前の廟が西来院にあるが、1977年再建されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/26 10:09
松林寺 (愛知県北名古屋市) 亀甲竹
織田信長の筆頭家老であった林秀貞(通勝)の居城・沖村城跡に、 1592年開創された松林寺の境内には、イチョウ・ビャクシン・亀甲竹 の古木が樹勢盛んな姿を呈している。 特に、亀甲竹は下部の節間が亀甲状の模様をした珍しい竹で、 仏面竹ともいわれる。 弘法大師や親鸞の杖とも呼ばれている。 この亀甲竹が群生しているのは珍しい。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/25 09:19
福満寺 (岐阜県岐阜市) 百日紅
百日紅(サルスベリ)は中国南部原産の落葉樹で、夏に比較的長い間 紅色の花を咲かせることから<百日紅>と名付けられ、一方 幹の成長にともなって、古い樹皮が剥がれすべすべした感触の樹皮が 現れ、猿でも滑ることから<サルスベリ>と名付けられた。 福満寺の百日紅は、旧本堂が建立された1777年頃に植樹されたと いわれ、推定樹齢は250年程と考えられている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/24 10:26
興禅寺 (福井県越前市)
越前市を流れる日野川東岸の村国山(239m)の頂上展望台からの 夜景は日本夜景100選に数えられ、市民の憩いの公園にもなっている。 奈良時代には霊地として、白山開祖の泰澄大師も堂宇を建立している。 道路も整備され、まずは山頂展望台へと向かう。 あいにく白山は望めなかったが、越前市・鯖江市を一望し夜景の 想像に浸った。 その村国山の山麓に近い山腹に建つ興禅寺へと向かう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/20 09:27
行勧寺 (石川県白山市)
白山山麓にあって有数の豪雪地である白峰集落は重要伝統的建造物群 保存地区になっている。 そのほぼ中央地区に位置する行勧寺庫裡の屋根は<石置き木羽葺き> で、白峰集落で最後に残った屋根形態である。 <石置き木羽葺き>とは、薄く割った木の板を重ねて葺き、その上に石を 置いている形態で、豪雪地にかっては見られたが現在は少なくなっている。 行勧寺庫裡の屋根は、栗の木を厚さ2cmに割った小板で、毎年5月に板を 天日に乾かしながら裏表をひっくり返し葺き直す<くれ返し>を行っている。 庫裡は明... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/19 10:23
清水寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第85番
清水寺の開創は不詳であるが、丸根の地にあったといわれている。 元禄年間(1688〜1704年)、村の庄屋の家が全焼した時、村人が 丸根にあった観音像を当地に迎え堂宇を建立した。 それ以来、村の火災がなくなり、<火防せの観音>として信仰を 集めたといわれている。 堂宇が建てられたのが1695年で、清水寺は移転したことになる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/09 14:48
高徳寺 (三重県伊賀市) カゴノキ
伊賀市の南東に位置する高山集落の山手に、法面から乗り出すように カゴノキ(鹿子木)が集落を見下ろしている。 カゴノキの樹皮は鹿の子の斑紋に似ていることから鹿子木と名付けられた といわれている。 カゴが火護にあてられて、火災防護の縁起からお寺などに植えられている。 高徳寺のカゴノキは推定樹齢400年ほどといわれるが、樹勢は旺盛である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/07 09:31
正覚寺 (愛知県扶桑町)
尾張北部(尾北地方)にキリシタンが増えたのは、1615年宣教師が美濃を 中心に布教し、それが尾北にも浸透したことによるといわれている。 寛文年間(1661〜73年)のキリシタン迫害の嵐が尾北にも押し寄せ、 各地で処刑が行われ、特にお寺での処刑が多かったといわれる。 その1ヶ所が正覚寺で、キリシタン殉教史跡となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/06 12:29
東福寺 (静岡県湖西市)
東福寺に通称<お経守さま>という行事(大般若経祈祷会)が江戸時代から 集落の人々によって伝えられ、その保存会ができている。 <祈祷会が始まると、お経守(各地区の代表者)の自宅から持ちよった金蘭の 女帯とお札、経本をお盆にのせて各戸を廻る。この時は、どの家に入る際 無言のまま座敷に上がり、床の間にお札を置いてくる。> この<お経守さま>は<橋本大般若経お経守>として民俗文化財になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/04 09:30
一心寺 (岐阜県揖斐川町)
揖斐川の東岸に緩やかな稜線の城台山(城ヶ峰)中腹に建つ一心寺は、 1830年播隆上人が開創し晩年居住したといわれるお寺である。 播隆上人は、1823年北アルプス・笠ヶ岳(2898m)に登り、翌年山頂に 仏像を安置し笠ヶ岳を再興している。 (笠ヶ岳の初登頂は円空上人といわれている。) 1828年槍ヶ岳(3180m)に初登頂し、槍ヶ岳を開き槍ヶ岳開祖と 呼ばれている。 また、播隆上人は円空上人を尊崇し、円空の彫った観音像を背負って 諸国を行脚したといわれている。 一心寺には円空仏観... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/03 09:55
法雲寺 (福井県福井市大味町)
15世紀後半ころから蓮如上人が台頭すると、浄土真宗内の本願寺派と 高田派の抗争は激しくなり、それまで高田派が優位な位置にあったが、 それが逆転していく。 その状況の中で、高田派内において抗争が起こり、より一層高田派 の弱体化を進めてしまった。 その内部抗争の一人・真智は本山専修寺を追い出され、越前守護・ 朝倉義景の支援を得て、現在のあわら市熊坂に熊坂専修寺を開創している。 これが法雲寺の始まりである。 真智は熊坂専修寺こそが、高田派専修寺の本山だと主張していたが、 真智が158... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/01 19:52
建聖寺 (石川県小松市) 芭蕉ゆかりの寺
奥の細道紀行の途次、1689年7月24日(現代の暦9月7日)小松に到着した 芭蕉は句会を催し、4句を残している。 小松での滞在地の一つといわれるのが建聖寺である。 建聖寺には、芭蕉十哲の一人・立花北枝(この時、金沢で芭蕉を迎えている) が彫ったといわれる芭蕉木像と芭蕉が背負っていたつづらが残されている。 境内には芭蕉翁塚と句碑があり、門前には<はせを留杖ノ地>石柱が建っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/12/01 09:25
桃牛寺 (愛知県新城市)
1575年織田・家康連合軍と武田勝頼軍が戦った<長篠の戦い>で、 武田軍に従った田峰城主・菅沼定忠と城所道寿は<田峰・菅沼家の惨劇> の張本人である。 その城所道寿の孫であり、田峰城の家老であった丸山九郎左衛門は家老を 辞し、1576年当地に来て、戦いの戦死者を弔うために庵を建てたのが 桃牛寺の始まりといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/22 09:08
金剛座寺 (三重県多気町)
金剛山の山頂近くに建つ金剛座寺は、673年藤原鎌足の開創とも、 また680年鎌足の子・不比等の開創とも伝えられている。 四国霊場の志度寺とも深いゆかりのある古刹である。 幾多の災害や兵火により盛衰を繰り返したが、戦後には一時無住の 時期もあった。 1996年再興され今日に至っている。 山の上にある山寺然としたお寺で、住職の並大抵でない努力が計り知れる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/19 09:45
玄猷寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第84番
玄猷寺は、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提を弔うための祈願所として 開創されたと伝えられている。 <玄猷>の寺名は、夢窓国師が数多く与えられた国師号の一つ 玄猷国師から与えられている。 1600年曹洞宗のお寺として再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/18 09:22
青龍寺 (静岡県御殿場市)
修験道の開祖といわれる役行者(役小角)は、699年人々を言葉で惑わして いるとの罪で伊豆大島に流された。 その間に島を抜け出て富士山に登り修行を続けたといわれ、その時に 麓の御殿場に青龍寺を開創したと伝えられている。 701年赦免されて奈良に戻るが、その年に亡くなったといわれている。 富士山の初登山者が役行者といわれる伝説がここから来ている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/16 14:42
密厳寺勧学院 (岐阜県神戸町) 日吉神社下宮の別当寺
岐阜県神戸(ごうど)町は817年比叡山日吉大社から御霊を分祀された 日吉神社から始まる。 現在も、日吉神社は七つの宮から成り、神戸町の中心に位置している。 この日吉神社の別当寺であったのが、神護寺善学院と密厳寺勧学院 であり、勧学院は下宮の別当寺であった。 現在の勧学院は日吉神社下宮の参道沿いに建つ。 典型的な神仏習合の神社・寺であった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/15 09:05
興徳寺 (福井県越前市)
戦国時代、長さ3mにもおよぶ刀を振るったといわれる越前朝倉氏の家臣・ 真柄十郎左衛門直隆は、講談・落語などにも登場する豪剣無双の武士で、 1570年朝倉・浅井軍と織田・徳川軍が戦った姉川合戦において、大太刀 を振るって奮戦したが、討ち死している。 真柄氏が使ったといわれる大太刀は熱田神宮などに現存している。 十郎左衛門は真柄氏の菩提寺・興徳寺に葬られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/14 09:59
林西寺 (石川県白山市)
奈良時代の修験道僧・泰澄大師は717年白山に登り、妙理大菩薩を 感得し、白山信仰を開創したと伝えられ、白山といえば泰澄大師と いわれる存在である。 この白山信仰開創時に、白山麓の白峰に草庵を築いたといわれ、 これが林西寺の始まりとされている。 719年以降は各地を巡り、仏教の布教活動を勧めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/13 09:36
円通寺 (愛知県名古屋市熱田区)
熱田神宮は景行天皇43年(113年)に日本武尊が開創したと伝えられ、 その際、火除けの神(秋葉権現)がこの地に出現したといわれる。 この秋葉権現を祀った秋葉社の地が円通寺の地と伝承され、811年 弘法大師空海がこの地に十一面観音を祀ったのが円通寺の始まりと いわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/11/04 08:59
報恩寺 (岐阜県大垣市) 円空仏
円空は1632年美濃に生まれ、出家して全国を巡る廻国僧として多数の 円空仏を刻み、1695年美濃関で亡くなっている。 現在、5300体以上の円空仏が残り、岐阜県には1000体程が残されている。 その中にあって、報恩寺の薬師三尊と十二神将像の15体は完形で残され、 貴重な資料となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/31 21:58
浄眼寺 (三重県松阪市)
鎌倉時代末期から台頭した北畠氏は伊勢の国司として伊勢を支配し、 戦国時代になると戦国大名としても勢力を誇示したが、1582年には 伊勢国司としての北畠氏は滅亡している。 その北畠氏の菩提寺が浄眼寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/29 09:02
省光寺 (静岡県磐田市)
東海道見附宿にあって古刹と伝えられる省光寺の山門(鐘楼門)とイチョウ の古木が目立つ。 鐘楼門は磐田市では珍しく、三例しかないと。 イチョウは推定樹齢250年といわれ、樹高12mほどの巨木である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/28 09:36
薬師寺 (愛知県弥富市)
薬師寺は鯏浦(うぐいうら)城跡に建っているが、鯏浦城は織田信長が 服部党・一向門徒を攻めるために1565年に築いている。 城主・織田信興(信長の弟)は1570年服部党に攻められ戦死している。 1574年信長は服部党・門徒勢を滅ぼしている。 鯏浦城跡には堂宇が建てられ、信興の念持仏薬師如来が祀られたと いわれ、明治時代になって薬師寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/27 13:48
泰心寺 (岐阜県下呂市)
下呂温泉街から500mほど南東の山裾に建つ泰心寺の開創は不詳であるが、 円空仏3体(聖観音2体、日光菩薩)を残している。 円空(1632〜95年)は12万体の仏像(円空仏)を彫ったといわれ、5300体 余が現存しているといわれている。 特に、岐阜県には1000体ほどが残されている。 それも飛騨地域に多い。 泰心寺の円空仏由来については不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/25 19:55
妙泰寺 (福井県南越前町) 北国身延
北国身延と呼ばれ、越前国日蓮宗の中核として、また越前最古の日蓮宗 寺院として栄えた妙泰寺は、京都布教の命を帯びて佐渡島から北陸路を 辿る途次に立ち寄って日像上人によって1294年開創されている名刹である。 江戸時代には、越前初代藩主・結城秀康の祈願所となり、その後 越前松岡初代藩主・松平昌勝の帰依を受け、松平家の準菩提寺と なっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/24 08:54
来生寺 (石川県小松市)
来生寺は、青森県で天台宗・妙円寺として開創されたが詳細については 不詳である。16世紀前半に証如上人に帰依し、浄土真宗に改宗している。 1652年青森県鯵ヶ沢町に移って、来生寺と改名している。 その後、何故かお寺は分寺され、一方は現在の青森県鯵ヶ沢町に残り、 他方は小松市来生寺として移っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/23 09:21
弥勒寺 (愛知県東海市) 知多四国霊場第83番
小高い丘の上に木々に覆われて建つ弥勒寺は749年に開創されたと伝え、 七堂伽藍を備えた大寺であったといわれる。 現在も<大里の大坊>と呼ばれている。 関ヶ原の戦いで兵火に遭い焼失しているが、尾張藩主の寄進を受け 再興されている。 仁王門の仁王像は藤原時代の作で、古刹の歴史が残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/15 09:11
宗源院 (静岡県浜松市)
宗源院は1416年開創された曹洞宗の古刹であるが、その後衰退し、 戦国時代に戦国大名・今川義元によって再興されている。 1573年三方ヶ原の戦いで徳川家康は武田信玄に大敗を喫しているが、 その際、家康の身代りとなって討ち死にした成瀬正義の墓が宗源院に ある。 江戸時代には徳川幕府の庇護もあって、3万石の扱いを受け、広大な 境内を誇っていたらしい。 明治時代になり縮小され、現在はこじんまりとなっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/14 09:11
郡上善光寺 (岐阜県郡上市)
郡上善光寺は、722年白山中宮の社坊として開創され、その後郡上市白鳥町 の長滝寺の持善坊として再生し、1892年郡上八幡城跡の一部である現在地 に移転している。 1901年信州善光寺より善光寺如来を勧請し、郡上善光寺としている。 1950年には、京都鞍馬寺の別院となり、毘沙門天を勧請している。 現在は、鞍馬山郡上別院と称している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/13 18:53
賢明寺 (三重県津市) 久居の名刹
賢明寺は730年に開創されたと伝えられ、1338年兵火に遭い焼失するが、 1366年伊勢国司・北畠氏によって再興され、その後北畠氏の祈願所と なり、大いに栄えたといわれている。 天正年間(1573〜92年)織田信長によって北畠氏は滅ぶが、その兵火 によって再び焼失している。 1670年津藩から分藩された久居初代藩主・藤堂高通によって再興され、 同時に奉納された銅燈籠が現在も残されている。 1719年天皇から子授かりの祈願があり、無事子授かりがかない、 勅願寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/13 08:54
船橋安楽寺 (愛知県稲沢市船橋町)
稲沢市には安楽寺が2ヶ寺あり、船橋町の安楽寺を船橋安楽寺と呼び、 奥田町の安楽寺を奥田安楽寺と呼んでいる。 尾張国分寺が奈良時代に創建された時に、東西南北に四楽寺と呼ばれる 末寺があったといわれ、北の安楽寺(船橋)、東の平楽寺、南の長楽寺、 西の正楽寺とされている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/11 14:52
松林寺 (岐阜県揖斐川町) 揖斐藩主の菩提寺
松林寺は1458年開創されたが、その後衰退していった。 1600年西尾光教が揖斐藩主として揖斐三輪の地に入り、城台山麓に 揖斐城を築いている。西尾光教はまもなく松林寺を再興し、西尾家の 菩提寺としている。 しかし、西尾氏は2代で断絶となり、揖斐藩は廃藩となっている。 それと同時に松林寺も荒廃したが、1651年揖斐の領主となった岡田氏 によって再再興されている。 現在は整備されずに寂しい風景となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/09 09:15
一閑寺 (石川県白山市) 不動明王磨崖仏
磨崖仏を覆う形でお堂が建てられ、外からは拝観できないが、自由に堂に 入ってお参りできる。 8mにおよぶ磨崖仏は赤の彩色が残る巨大な不動明王立像で、眼病の 治癒や商売繁盛などの霊験があると信仰を集めているとのこと。 この磨崖仏は、養老年間(717〜724年)に白山を開いた泰澄大師が 刻んだが、その後風雪に摩耗し、天保年間(1830〜44年)に3年を 掛けて復元されている。 復元後、信仰は篤くなり、加賀藩主も参拝したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/08 09:18
国泰寺 (福井県勝山市) 芭蕉なでしこ塚
竜宮門形式の山門を入った右手奥に建つ芭蕉の<なでしこ塚>は、 当初、松村巴文が1799年伯立院に建立したが、1896年勝山の 大火によって破壊され、1898年再興された国泰寺に<なでしこ塚> が再建されている。 なでしこ塚の句(1687年の句)  <酔うて寝ん撫子咲ける石の上> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/10/06 09:12
無動寺 (三重県名張市) 名張の名刹
無動寺は弘仁年間(810〜824年)に弘法大師によって開創されたと 伝えられ、以降七堂伽藍を備え大いに栄え、伊賀領主の祈願所とも なった。 1581年織田信長の伊賀攻めで伽藍は焼失したが、1593年には 現在地に再興され、津藩主藤堂家の一門・名張藤堂氏が1636年名張を 治めるようになった後、名張藤堂氏や津藤堂氏の祈願所となり、再び 栄えるようになったといわれている。 また、真言宗中本山としての寺格もあった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/28 09:12
龍蔵寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第81番
1617年京の公卿が当地に移り住み、ある年近郷に悪病が蔓延し、 公卿は信仰深い地蔵菩薩に平癒を祈願したところ、たちまち悪病は 去り、喜んだ村人は堂宇を建てて地蔵菩薩を祀ったのが龍蔵寺の 始まりといわれている。 その公卿は出家してお寺の開基となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/27 05:12
蓮徳寺 (三重県伊賀市)
伊賀市南西部に位置する山あいの湯屋谷集落に、新しく整備された 蓮徳寺がある。 本尊薬師如来の脇侍・日光月光菩薩の2体は藤原時代の造立で、 国の重要文化財に指定されている。 また、境内に建つ十三重石塔は鎌倉時代末期の石塔で、 伊賀市の文化財に指定されている。 開創は延暦年間(782〜806年)と伝えられるが、詳細は不詳である。 史料によれば1100年代には存在していたと考えられている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/26 09:26
舘山寺 (静岡県浜松市西区)
浜名湖の一大観光地になった舘山寺周辺には、温泉・ロープウェイ・ レジャーボートなど観光要素が揃い、舘山寺を開創したと伝わる弘法大師は 何を思うだろうか。 きっと喜んでいるだろう。大いに栄えることが。 810年弘法大師空海が諸国行脚の折に、舘山を訪れて修行し、その際に 開創したと伝えられている。 1187年兵火により焼失したが、源頼朝によって再興されている。 江戸時代には、徳川家康の庇護を受け大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/24 13:34
慈眼寺 (愛知県豊田市杉本町) 杉の大木
豊田市の東山間部に位置する杉本町に杉の大木が2本ある。 1本は<貞観杉>と呼ばれ、貞観年間(859〜877年)に創建されたと 伝わる神明神社の境内に、貞観年間に植えられてと伝承されている。 樹高45m、推定樹齢千年以上といわれる大木であり古木であり、国指定の 天然記念物である。 この貞観杉から西へ500mほどの処に建つ慈眼寺の杉は、樹高35m、 推定樹齢300年以上で豊田市の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/23 09:02
美濃安国寺 (岐阜県池田町)
池田山(924m)東麓の茶畑に囲まれて建つ美濃安国寺は、1339年 夢窓国師の勧めにより、南北朝の動乱で亡くなった後醍醐天皇や戦没者の 菩提を弔うために、足利尊氏兄弟が全国66ヶ国に建立した安国寺の 一つで、1340年代に建立されたと伝えられている。 当初は、利生塔など七堂伽藍の大寺であったといわれている。 その後、衰退したが織田信長の次男・信雄の保護などにより再興されている。 現在は、こじんまりとしたお寺であるが、往時が偲ばれる風景を残している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/21 19:20
休岩寺 (福井県敦賀市) ソテツ
休岩寺は日本海に近い南山麓にあって、雪が少ない所ということで、 本来、南系の樹木であるソテツの古木が樹勢を保っている。 生態地理的に貴重な樹木として福井県天然記念物に指定されている。 自生ではなく植樹されたものとのこと。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/19 08:58
法海寺 (愛知県知多市) 知多半島の古刹
知多半島では、古代寺院遺跡が数ヶ所見つかっているが、ここ法海寺の 地も古代寺院の遺跡で、法海寺遺跡と呼ばれている。 発掘調査では、白鳳〜平安時代の瓦が出土しており、法海寺の寺伝を ほぼ裏付けているのではなかろうか。 法海寺は、朝鮮新羅国の太子・道行法師によって668年開創されたと 伝えられている。 日本書紀によると、<道行法師は草薙劔を盗んで朝鮮に帰ろうとしたが、 海が荒れて帰れず>とあり、この道行が知多に来て法海寺を開創し、 天智天皇の病の平癒を祈願したことから、天皇から法海寺... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/09 13:06
徳勝寺 (岐阜県大垣市) 弘安祈願の鐘
<弘安祈願の鐘>は、弘安3年(1280年)に蒙古襲来(元寇)に対して 国難打開と国家安全を祈願して、美濃国一宮・南宮大社に奉納された 梵鐘で、関ヶ原の戦い後大垣八幡神社に移り、明治時代の神仏分離 によって、明治6年徳勝寺に移されている。 この梵鐘は重要文化財に指定されいる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/09 08:58
光福寺 (三重県鈴鹿市)
6〜12世紀に亘り伊勢の古代豪族・大鹿氏の拠点には2説があるが、 その一つが現在の鈴鹿市国分町一帯で、その氏寺・大鹿廃寺が光福寺 を含む一帯と考えられている。 発掘調査では白鳳時代の瓦が出土し、それらが大鹿廃寺のものと 推定されている。 奈良時代に建立された伊勢国分寺の創建に際しては、大鹿氏が大いに 支援したであろうといわれている。 また、その大鹿廃寺跡地に伊勢国分尼寺が創建された説も過去あったが、 現在では国分町北部と推定されている。 大鹿廃寺は平安時代中期まで存在したと。 ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/08 09:17
栖光院 (愛知県知多市) 知多四国霊場第80番
栖光院の起源は元亀年間(1570〜73年)以前といわれ、不詳である。 かっては、慈眼寺で栖光庵と慈林坊を持つ真言宗の一山であったといわれる。 1577年智翁恵了和尚が3寺を合体して曹洞宗栖光庵として開創している。 1942年栖光院となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/07 08:44
西光寺 (静岡県磐田市) パワースポット
近年、地元のマスコミに<縁結び・恋愛成就のパワースポット>として 紹介され、近隣ばかりか遠方からも願いを込めて参拝する若者が増えた と。 それは、本堂斜め前に高く樹勢旺盛なクスの木とそれに隠れるように 生きているナギの木にあるようだ。 説明板によると  <良縁を求める時は、クスの木東側にある小さな社から、奥のナギの木 に向って願い事を念じ、その後クスの木に同じ願い事を念じてください> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/05 19:38
悟竹院 (岐阜県郡上市) 秋葉三尺坊
郡上八幡城の城山麓に建つ悟竹院本堂の裏山に祀られる秋葉三尺坊大権現 は火防の神仏習合の神様で、1881年秋葉総本殿・可睡斎(静岡県袋井市) から勧請され、郡上の火除けとして信仰を集めている。 全国各地に秋葉三尺坊大権現が祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/04 10:31
霊泉寺 (福井県越前市)
霊泉寺は1484年越前守護の斯波義敏によって、斯波氏の菩提寺として 開創されたと伝えられている。 斯波氏の越前守護としての地位は、家臣であった朝倉氏によって奪われ、 それ以降斯波氏は衰えていく。 一方、朝倉氏は織田信長に滅ぼされるまで、越前を中心に大いに隆盛 している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/09/03 09:56
長明寺 (三重県四日市市)
旧東海道四日市宿の蒔田にある長明寺の開創は不詳であるが、当初 現在の川越町豊田にあったと伝えられている。 1651年領主・松平氏の帰依を受けて、現在地の蒔田城跡に移転している。 蒔田城は文治年間(1185〜90年)に蒔田宗勝が築城したといわれる 平城で、現在も水堀が長明寺の周囲に廻らされている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/25 13:41
隣海院 (静岡県湖西市)
江戸時代に設けられた新居関所の西側、山裾を通る寺道に、隣海院は ある。 新居関所は1600年、浜名湖入口に近い元屋敷(今切口)に徳川家康 によって設けられ、元禄年間の津波によって罹災し中屋敷へ移転、 1707年宝永地震によって再び現在地に移転している。 新居関所は東海道の重要な関所であり、新居宿も大いに栄えた。 現在残る新居関所遺構は非常に珍しい関所遺構であり、国の 特別史跡になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/25 09:07
三岳寺 (三重県菰野町)
三岳寺は、807年最澄によって国見岳山中に修行道場として開創されたと 伝えられ、数百名の僧兵をかかえる大寺であったといわれている。 1568年織田信長の北伊勢侵攻により、兵火で焼失している。 1686年菰野藩主が現在地の御在所山麓湯の山温泉に薬師堂を再建したのが 三岳寺の再興となっている。 国見岳山中には旧三岳寺廃寺跡がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/22 09:38
龍秀院 (静岡県浜松市東区) シダレイチョウ
龍秀院本堂前のイチョウは、イチョウの変種<シダレイチョウ>で、枝がシダレ桜 のように垂れ下がっている。 これは、ジベレリンという植物ホルモンが枝から幹へ順調に伝わらず、枝の成長 が不十分のために枝が垂れ下がる変種である。 龍秀院のシダレイチョウは1818年に植樹され、樹齢も200年になる。 龍秀院は1521年開創以来、災難に遭っていないといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/21 09:36
妙楽寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第79番、番外開山所
妙楽寺13世住職・亮山阿闍梨は、1809年弘法大師の霊夢により 知多四国霊場の開創を発願し、16年の歳月を要し1824年その大願 を成就している。 一方では亮山は地域事業にも貢献し、地元の尊崇を受けている。 境内には、亮山を祀る開山堂が建てられ、知多四国霊場第79番と 番外開山所としての札所となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/20 13:26
天猷寺 (岐阜県瑞浪市) ハナノキ門
天猷寺の山門は、1835年ハナノキ材で建てられた日本でも希少な山門で、 瑞浪市釜戸町の<釜戸ハナノキ自生地>(国指定天然記念物)の大木が 使われていると伝えられている。 ハナノキは、日本固有のカエデの一種で、長野県・岐阜県・愛知県に自生して いる。自生地から移植されたハナノキも多く、街路樹などに植生されている 例がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/20 09:18
棟岳寺 (福井県南越前町)
北国街道今庄宿は今もその面影を残す集落であるが、その今庄の 基盤を築いたのが領主の赤座直保(吉家)である。 直保の先祖赤座氏は現在の南越前町新道の領主で、赤座景秋は 1492年新道に菩提寺として棟岳寺を開創したと伝えられている。 後の赤座直保は豊臣秀吉に従い、小田原征伐に貢献したことにより、 今庄を与えられ、1590年居館を今庄に移すと共に、棟岳寺を今庄 の現在地に移し、今庄宿の基盤を築いている。 その後、1603年加賀藩主・前田利長の命により、赤座直保も加賀へ 移ると棟岳寺も加... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/18 08:42
矢合観音 (愛知県稲沢市)
矢合観音はお寺でなく、いわゆる在家で民家に祀られている十一面観音を 矢合観音と呼んで篤い信仰を集めている。 近在に限らず遠方からも参拝が多く、境内の井戸から湧く霊水が霊験 ありといわれている。 矢合観音の開創については諸説があるが、江戸時代後期から矢合観音 として信仰を集めたらしい。 門前町も形成されるほどの賑わいだったといわれている。 現在もその名残が一部残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/09 09:27
愚渓寺 (岐阜県御嵩町) 庭園
1432年頃、義天玄承は先師の足跡をたどり、可児郡中村(御嵩町中)の山中に 愚渓庵を開創したのが、愚渓寺の始まりといわれている。 後に、室町幕府管領・細川勝元の外護を受けている。 細川勝元と義天玄承のコンビは、1450年京都・龍安寺の開創者でも ある。 愚渓庵は戦国大名の庇護を受けて大いに栄え、見事な石庭が造られた といわれ、細川・義天コンビの関係から龍安寺石庭の雛型が愚渓庵に あったのではないかと言われている。 龍安寺石庭の造庭に関しては不詳な面が多く、<龍安寺石庭の謎> と... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/08 09:31
中山寺 (三重県伊勢市)
伊勢神宮内宮と外宮を結ぶ御木本道路の中間点に位置する中山寺は、 1651年伊勢亀山藩主が開創した禅寺で、当時の本堂が残されている。 本堂に安置されている円空仏4体は円空初期の作といわれている。 円空も伊勢神宮に参拝したであろう。その折の作品だろうか。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/07 14:43
福生寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第78番
1809年に発願し、1824年に知多四国霊場を開創した亮山阿闍梨が 1847年往生したのが福生寺といわれている。 1913年の火災で伽藍は焼失したが、大黒天像だけは無事に運び出され、 池に安置すると、大雨が降りだし火災も治まったといわれ、<やけん大黒天> として防火の守護神として信仰を集めているとのこと。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/06 10:56
鴨江寺 (静岡県浜松市中区) 信州善光寺の本尊ゆかりの寺
信州善光寺の本尊・善光寺如来の歴史を振り返ってみよう。 552年 百済から日本に伝来と伝承       その後難波の堀江に捨てられる 602年 信州の本田善光が難波から飯田へ持ち帰り、坐光寺(元善光寺)       に祀る 642年 信州善光寺の本尊として祀られる 鎌倉時代以降 絶対秘仏となる 1555年 武田信玄が本尊善光寺如来を甲斐へ移し、甲斐善光寺を開創 1582年 織田信長が岐阜伊奈波へ移す 1582年 本能寺の変後、織田信雄が愛知甚目寺へ移す 1583年 徳川家康が... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/05 08:34
可成寺 (岐阜県可児市) 森蘭丸一族の菩提寺
1582年本能寺の変で、主君織田信長とともに斃れた近習・森蘭丸の 父・森可成は信長の家臣で、1565年美濃兼山城(可児市兼山)の城主に なっている。 1571年宇佐山城の戦いで可成は戦死し、次男の長可が兼山城主 となっている。 長可は1584年豊臣秀吉と徳川家康の小牧・長久手の戦いで、秀吉軍 の先鋒として戦い戦死している。 可成を始めとする森一族の菩提寺が可成寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/04 15:19
永覚寺 (福井県敦賀市) 天狗党ゆかりの寺
1860年桜田門外の変など、水戸藩尊皇攘夷派(天狗党)は東国での 急先鋒として活動したが、1864年武田耕雲斎をリーダーとして筑波山で 挙兵したが、水戸藩保守派に敗れ、西国へと逃走する途次に、敦賀で 幕府側に捕えられ、残酷な拘束が行われた。 形ばかりの白州が設けられ尋問が行われたのが永覚寺である。 1865年天狗党828名の内、武田耕雲斎など352名が処刑されている。 明治時代になって、天狗党は名誉回復しているが、多くの人材を 失う結果になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/08/03 09:23
長徳寺 (三重県津市芸濃町) 龍王桜
龍王桜と呼ばれている長徳寺の桜はフゲンザクラという桜の異種で、 若葉を交えて咲く遅咲きの桜である。 この龍王桜には次のような伝説がある。  永禄年間(1558〜70年)にお寺の僧が、数日続いて参詣する女に、 その訳を聞いたところ、<自分は門前の淵に棲む大蛇(龍)である。 永年高僧の出現を待っていたが、やっと大器和尚(住職)にめぐり会い、 その法力で済度を受けたい>と申し出たので、和尚は戒めを授け、 蛇身(龍)に転じさせた。 そのお礼にと、龍鱗と桜の種を送ったと。龍鱗は淵鱗大龍王と... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/26 09:09
頭陀寺 (静岡県浜松市) 難除大師
江戸時代初期に、徳川家康の寄進を受けて、住職は自らの血を抜き、 漆に混ぜて弘法大師像を造立している。 その大師像は、その後の火災などの災難に遭いながらも損傷を受けず、 いつしか人々から難除大師と呼ばれ篤い信仰を受けているとのこと。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/25 10:17
薬師寺 (三重県伊賀市治田) 八幡杉
樹高25m越える八幡杉は、1924年の落雷で大きな被害を受け、 現在の樹勢は衰えつつある。 高台にあり、ひときわ突出した姿だけに雷の影響も受け易い。 以前、鎮守の八幡社があったことから八幡杉と呼ばれているらしい。 八幡杉の根元には静御前の供養塔と伝承される五輪石塔がある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/24 08:49
永住寺 (愛知県新城市) 芭蕉とゆかりの俳人・太田白雪の菩提寺
1691年10月芭蕉が京から江戸へ東下する途次に、三河新城の 太田白雪亭に滞在し、共に連れだって鳳来山へ行っている。 その時の芭蕉の句<夜着ひとつ祈り出して旅寝かな> 太田白雪は新城の名家の出で、祖父・父も俳諧をたしなんだことから、 若い頃から地方俳壇の中心として活躍したといわれている。 その太田白雪の菩提寺が永住寺である。 太田白雪の句<山雀の胡桃まはさん雪の宿> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/23 10:02
龍福寺 (岐阜県富加町) 加治田城主・佐藤氏の菩提寺
加治田城は、永禄年間(1558〜70年)に中濃の豪族・佐藤忠能によって 築城され、中濃における重要な拠点とされた。 佐藤氏は当初、美濃斎藤氏に従っていたが、その後織田信長に従い、 信長が斎藤氏を滅ぼすのに一役果たしている。 本能寺の変後の1583年廃城になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/21 09:29
明光寺 (福井県越前市) 大イチョウ
明光寺境内の西南隅の大イチョウは、1474年蓮如上人から寺号・明光寺を 受けた折に、1kmほど東の朽飯から移植されたもので、樹高26m目通り5.5m 推定樹齢500年強の古木である。 福井県下でも最大のイチョウといわれ、県の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/18 11:24
宣光寺 (静岡県磐田市) 身代り地蔵
1572年三方原の戦い直前、武田信玄に追われた徳川家康は見付の地に 逃れて町に火を放った。 宣光寺の地蔵尊は町の人々を助けるために、幼児に化身し火を消しに 廻った。その功徳によって多くの人々が難を逃れた。 後に、家康は地蔵尊に深く帰依したと語り継がれ、身代り地蔵として 人々の信仰を集めた。 1587年には、家康は梵鐘を寄進しており、現在も家康銘の入った梵鐘 が残されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/17 14:02
長楽寺 (愛知県名古屋市南区) 尾張三十三観音霊場第4番
尾張三十三観音霊場は1955年開創で、新しい霊場であるが、江戸時代 にも存在したといわれている。 長楽寺はその4番札所で、札所本尊は立木観音であるが、この観音は 松の立木から刻まれた観音として知られている。 長楽寺のもう一つの顔は、動物霊園としてペット供養で広く知られ、特に 盲導犬で話題となった<サーブ>の墓があり、盲導犬慰霊碑が建てられて いる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/10 09:13
常在寺 (岐阜県岐阜市) 斎藤道三の菩提寺
北条早雲らと並ぶ戦国時代における下剋上大名・斎藤道三は父が築いた 美濃での基盤を拡大し、確固なものにして、1554年嫡子の義龍に家督を 譲ったが、1556年義龍によって討ち死にしている。 常在寺は道三の帰依を受けて改築され、寺領などを与えられ、道三の 菩提寺となり、斎藤氏三代の菩提寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/09 09:07
太巌寺 (三重県亀山市) 長尺の藤
明治時代の初めに、相撲取りの明星岳が、藤の木の如く粘り強く、 逞しく藤の花房のように長く立派な花を咲かせる関取になれるよう 植えたといわれる太巌寺の<長尺の藤>である。 130数年を経て、亀山の藤の名所となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/08 09:17
浄蓮寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第77番
1184年後鳥羽天皇の勅願寺として開創されたと伝える如意寺一山九坊 の一坊が浄蓮寺の始まりといわれている。 明治時代になって、一山四坊となり、1942年浄蓮寺となっている。 知多四国霊場第77番であることから、喜寿にちなんで長寿祈願する 参拝者もいるとか。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/06 10:08
西蓮寺 (岐阜県揖斐川町) ムクノキ
西蓮寺山門前のムクノキは、伊勢湾台風の際に、高さ10mほどの所で 折れてしまったが、樹勢は盛んである。推定樹齢は400年以上といわれ、 岐阜県の天然記念物に指定されている。 西蓮寺から西へ1kmほどの新宮集落田畑の真中に1本立つ <新宮塚のムクノキ>は推定樹齢400年ほどといわれ、これも岐阜県の 天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/05 09:57
放光寺 (福井県越前市) 身代り地蔵尊
越前市を流れる日野川の支流・浅水川を背にして建つ地蔵堂に祀られて いる地蔵尊を<身代り地蔵尊>と呼んで、地元の人々の篤い信仰を 集めている。 それには、次のような伝承がある。  近くの村に、小天狗と呼ばれる剣の使い手がいて、美しい妻を迎えたが、 いつしか妻が夜毎出かけ、放光寺へお参りするのを、小天狗は妻の 浮気と嫉妬し、地蔵尊の陰に隠れて、妻を斬ってしまう。 小天狗は妻を斬ってしまった自らの性におののきながら家に帰ってみると、 妻が目の前にいるではないか。不思議とも恐ろしいとも思... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/04 09:23
長楽寺 (静岡県浜松市北区) 遠州三名園
小堀遠州作と伝わる長楽寺庭園は遠州三名園<龍潭寺庭園(浜松市北区)、 本興寺庭園(湖西市)、長楽寺>に数えられ、静岡県の名勝に指定されている。 長楽寺庭園は池泉回遊式庭園で、ドウダンツツジが見所である。 庭園の2000平方米の広さも見事である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/07/03 08:51
尾張国分寺 (愛知県稲沢市) 
尾張国分寺は、741年聖武天皇の詔で全国66ヶ国に創建された国分寺の 一つであるが、中世にはその姿はなくなっていたものと考えられている。 その尾張国分寺跡地は現在の国分寺の南900mに位置する。 現国分寺は元は円興寺で、鎌倉時代末に一本松の地に開創されたと 伝えられ、17世紀初頭に現在の矢合城跡に移り、同時に尾張国分寺跡から 国分寺堂を移し、その本尊薬師如来を後に円興寺の本尊としている。 1886年円興寺は尾張国分寺の法灯を継いで、国分寺と改名している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/27 09:38
垂坂観音寺 (三重県四日市市) 垂坂元三大師
観音寺の本尊は元三大師(慈恵大師、良源)であり、<垂坂のお大師さん>などと 呼ばれ、1100年の歴史を誇る天台宗の古刹である。 元三大師(912〜985年)は比叡山延暦寺の中興の祖と呼ばれ、荒れた延暦寺 を再興し、多くの弟子を育てている。 一方では、<おみくじ>の創始者ともいわれ、親しみのある僧である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/26 08:49
如意寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第76番
梅の里佐布里に如意寺一山四坊があるが、如意寺が一山にあたり、本堂 の役割をし、本坊は第73番正法院が担っている。 如意寺は1184年後鳥羽天皇の勅願寺として開創されたと伝えられ、一山九坊 から成っていた。 1408年風害によって大破した伽藍が再興されたが、戦国時代の兵火によって ほとんどが焼失している。 その中で、本堂だけが残ったが、1988年の火災で失くしている。 本尊・地蔵菩薩は<雨乞いの本尊>として語り継がれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/25 09:11
伊勢国分寺 (三重県鈴鹿市)
741年聖武天皇の詔によって、全国66ヶ国68ヶ所に国家鎮護の国分寺 が創建されている。 その内の一つ伊勢国分寺は鈴鹿市国分町にその跡地を残している。 伊勢国分寺の開創年など不詳であり、その後の変遷も不明である。 ただ、戦国時代までは何らかの堂宇が建っていたのではないかと推定 されている。 跡地は発掘・整備され、瓦などの出土も確認されているが、塔跡は発見 されていない。 跡地から東に300mほどの所に建つ国分寺(浄土宗)が伊勢国分寺と どんな関係があるか不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/22 13:59
善南寺 (岐阜県池田町) 子安観音
池田山山系の麓を南北に通じる山麓道路(西美濃お茶街道)沿いに 建つ善南寺の本尊・十一面観音には胎内仏が納めてあることから、 子安観音として子授け・安産・子育てなどの信仰が篤い。 善南寺は、811年最澄によって池田山系の善南寺(800m)山頂に 開創されたと伝える古刹で、山全体を寺領とする大寺であったと いわれている。 1159年兵火にかかり灰燼に帰し、寺地を変えている。 その後も転々とし、1943年現在地に移っている。 江戸時代には、広大な善南寺山の寺領帰属を巡って、梅谷村と ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/21 10:01
永厳寺 (福井県敦賀市) 若狭三十三観音霊場第1番
旧国道8号金ヶ崎トンネルの敦賀側口の樹林間に建つ永厳寺は、 1982年に開創された若狭三十三観音霊場の第1番札所である。 旧国道8号からも入れるが、本来の参道は国道の下を潜るトンネルからの 参道である。 永厳寺は1413年に開創されたが、織田信長の越前攻めの際に兵火に遭い、 また太平洋戦争における爆撃で被害を受けている。 しかし、梵鐘や600年以上枯れることのない<泉のお清水>という名水 が残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/20 13:03
応賀寺 (静岡県湖西市)
東海道の関所で現存する唯一の関所・新居関所の近くに建つ応賀寺は、 神亀年間(724〜729年)に聖武天皇の勅願によって行基が開創した と伝える古刹である。 弘仁年間(810〜824年)には、弘法大師空海が巡錫の折に立ち寄り、 鏡光山応賀寺と名付けたといわれている。 応賀寺に祀られている恵比須神は浜名湖七福神霊場の一つである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/20 08:46
誕生堂 (愛知県知多市) 知多四国霊場第75番
梅の里・佐布里集落の如意寺一山四坊の一つ誕生堂は正法院裏山 に建つ正法院管理の堂宇である。 知多四国霊場の開創(1809年)当時は、第75番札所は如意寺一山九坊 の一つ泉蔵坊であったが、明治6年廃寺となり、弘法大師像を本尊として 誕生堂が建立され、第75番札所となった。 四国八十八ヶ所霊場第75番の善通寺が弘法大師の誕生地とあって、 同じ75番札所であるお堂を誕生堂と命名したとのこと。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/09 13:35
全昌寺 (岐阜県大垣市) 奥の細道むすびの地
芭蕉は1689年5ヶ月にわたる<奥の細道>の旅を大垣で終え、船町 から水門川を下り、桑名へ向っている。 芭蕉の句<蛤のふたみに別行秋ぞ> 現在、船町は<奥の細道むすびの地>として、奥の細道むすびの地記念館 や句碑などが建てられ、賑わっている。 また、種々のイベントも催され、俳句の普及にも一役かっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/09 09:00
禅林寺 (三重県菰野町) 千種城主の菩提寺
鎌倉〜南北朝時代にかけて、後醍醐天皇の忠臣として楠木正成などと共に 活躍し、足利尊氏と戦って戦死した千種忠顕が再興したのが禅林寺である。 忠顕は北伊勢の領主として禅林寺を一時拠点とし、禅林寺城とも 呼ばれた。 これが菰野町の歴史の始まりともいわれている。 忠顕の子・顕経は菰野に千種城を築き、千種城主として1615年まで 千種氏は続いた。 禅林寺は千種氏の菩提寺でもある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/08 09:24
密厳寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第74番
知多市佐布里は梅の里と呼ばれるほどに、あちこちに梅の木が見られる。 その佐布里集落に如意寺一山四坊の知多四国霊場がある。 如意寺は1184年後鳥羽天皇の勅願寺として開創されたと伝えられ、 当時の一山九坊は大伽藍を誇り、大いに栄えたといわれている。 その内の一坊が密厳寺の始まりである。 明治時代の廃仏毀釈によって一山四坊に減り、現在に至っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/06 14:27
神護寺善学院 (岐阜県神戸町) 日吉神社の別当寺
善学院は天平年間(729〜749年)に善深和尚によって開創されたと 伝えられ、817年安八郡司・安八大夫安次に招かれた伝教大師最澄 が比叡山日吉権現の来光を仰ぎ、鎮守の社として日吉権現を祀った といわれ、それが日吉神社の始まりである。 その後、日吉神社を護る寺として神護寺となり、元三大師が来錫の 折に神護寺善学院となっている。 神仏習合の日吉神社・善学院などの寺社寺院が一体となった信仰 の集落として神戸町(ごうどちょう)は形成されてきた。 現在の神戸町も日吉神社(7つの宮から構成... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/06 09:26
金前寺 (福井県敦賀市) 若狭三十三観音霊場第2番
<奥の細道>の旅で、1689年8月14日芭蕉は敦賀に入り、翌日金前寺を 訪れている。 この時詠んだ句<月いづこ鐘は沈るうみのそこ> この句の歴史は、1336年の延元の乱(後醍醐天皇と足利尊氏の戦い)で、新田義貞 は金ヶ崎城を根拠として足利軍と戦うが、後醍醐天皇の皇子は捉えられ、義貞 の息子・義顕は自害している。 義貞は敗走するにあたって、陣鐘を海に投げ入れたといわれ、その後この鐘を 引き上げようとしたが、上がらず海に眠っていると。 この鐘を偲んで、延元の乱を振り返り、芭蕉は句を詠... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/06/03 09:24
正法院 (愛知県知多市) 知多四国霊場第73番
知多市佐布里は梅の里と呼ばれ、梅林公園があり、あちこちに梅の木が 植生されている。 その佐布里に如意寺一山四坊が建っている。 如意寺は1184年後鳥羽天皇の勅願寺として開創されたといわれている。 当時は一山九坊と大伽藍を誇ったといわれる大寺であった。 その本坊であったのが正法院である。 1408年風害によって被害をうけたが、再興されている。 明治時代になり、一山四坊となり現在の姿となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/25 10:22
寂照寺 (三重県伊勢市) 千姫の菩提寺
徳川第2代将軍・徳川秀忠の娘・千姫(1597〜1666年)は、政略により 1603年豊臣秀頼と結婚し仲睦じく暮らしたが、1615年大坂の陣で 大坂城が落城する時に助け出され、1616年桑名藩主・本多忠政の 嫡男・忠刻と再婚する。 その後、姫路へ移るが、1626年忠刻が亡くなると出家して天樹院となり 江戸城へ入っている。 1666年に亡くなり、石川伝通院に葬られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/24 09:20
慈雲寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第72番
慈雲寺を開創した一色範光(1325〜88年)は足利将軍の一族として 活躍し、1350年頃、現在の常滑市に大野城を築城し知多半島を 領している。もともと若狭に勢力を持つ若狭守護であったが、三河にも 進出し知多を制している。 そんな折に、自らの菩提寺として慈雲寺を開創したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/23 08:12
明台寺 (岐阜県大垣市墨俣) 橋杭笑地蔵菩薩
明台寺に伝わる<橋杭笑地蔵菩薩>伝承とは、  弘仁年間(810〜824年)、現在地から南500mほどの上宿にあった墨俣川 (長良川)の橋が朽ちて埋もれたが、その後発掘され、その橋杭が地蔵菩薩に 似ており、草庵を建てて祀ったといわれている。 後に、地元の人達が京の小野篁に依願し地蔵菩薩として完成してもらったと。 939年天皇の勅使が関東へ下る途次に立ち寄り、歌を詠んで地蔵菩薩を 参拝したところ、地蔵菩薩がにっこりとほほ笑み、勅使はこの地蔵菩薩を <橋杭笑地蔵菩薩>と名付けたと。 益... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/22 09:32
城福寺 (福井県越前市) <名勝>庭園
1159年平治の乱で平清盛は源氏に勝利し、翌年13歳の源頼朝は捕まるが、 清盛の継母であり平忠盛の正室である池禅尼が清盛に、頼朝の助命を嘆願 し、頼朝は伊豆へ流罪となっている。 後に、源氏が平家を滅ぼした後も、頼朝は池禅尼の恩を忘れず、 池禅尼の実の子・頼盛を優遇し、池一族を優遇している。 その頼盛の子・保盛が1207年に平家一族の菩提を弔うために 開創したのが城福寺である。 代々の住職は池氏である。 以後、池禅尼の関係から源氏の一族が城福寺を訪れることも多く あったといわれて... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/19 09:27
富山県のお寺
高岡市の瑞龍寺は富山県建造物の中で唯一の国宝建造物であり、 その独特の風景はヨーロッパのお城を思わせるものがある。 また、南砺市の瑞泉寺は井波彫刻の原点であり、浄土真宗の拠点でも あった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/18 09:30
十三寺 (富山県入善町) 北陸三十三ヶ所観音霊場第32番
富山県北東部に位置する入善町の山手に建つ十三寺は、北陸観音霊場 の第32番札所である。 開創については不詳であるが、奈良時代に行基が巡錫の途次に 千手観音・聖観音・馬頭観音を祀ったのが始まりとも伝えられている。 戦国時代に災禍に遭い消失している。 江戸時代中頃、山中に埋もれていた3体の本尊が発見され、1761年 再興され安置されたといわれている。 3体の本尊は杉材で鎌倉時代初期の作といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/18 09:27
飛騨三十三観音霊場
高山市、飛騨市の観音霊場で、東にアルプスを頂き自然と文化を満喫できる 霊場といえよう。 多くの霊場には円空仏があり、円空を訪ねる旅も楽しいものである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/12 21:05
凉雲寺 (岐阜県池田町)
池田山(924m)東南麓に位置する池田町片山附近は、平安時代後期 頃から<寝覚の里>と呼ばれ、鶯の名所として知られていたそうだ。 また、室町時代以降は、西国三十三所観音霊場第33番華厳寺(揖斐川町) への巡礼道となり、凉雲寺は巡礼者の宿泊処にもなったそうだ。 穴太積みの石垣がこの地域では非常に珍しい。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/11 10:13
徳王寺 (三重県伊賀市丸柱)
1582年本能寺の変で織田信長が斃れると、明智光秀は京を中心として 四方の固めにはいった。 その時堺にいた徳川家康は少数の家臣と共に、信楽経由で伊賀越えし、 白子から三河の岡崎へからがら逃亡している。 伊賀越えで休憩したお寺が徳王寺といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/10 19:17
祖父江善光寺 (愛知県稲沢市) 信州善光寺東海別院
1582年織田信長が信州善光寺本尊・善光寺如来を岐阜伊奈波(現在の 岐阜善光寺の地)に移したが、本能寺の変後、織田信雄は尾張甚目寺へ 本尊を移す途中に祖父江に立ち寄って甚目寺に移座したといわれている。 1583年徳川家康は浜松鴨江寺に移している。 1910年、1911年と祖父江の蓮田で、1本の茎から2つの花が咲いた 奇縁から、信州善光寺から善光寺如来を勧請し、祖父江善光寺が 開創され、信州善光寺の東海別院となった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/09 09:04
慈眼寺 (福井県南越前町)
南越前町を流れる田倉川上流の山麓に建つ慈眼寺は、杉林の参道が 古刹の面影を残している。 天真禅師が1387年に開創し、曹洞宗の天真派と呼ばれるほどに名僧を 育て、各地に曹洞宗寺院を建立したといわれている。 大寺として栄えたが二度にわたる火災に遭い、その面影は山門や参道に 残っている。 曹洞宗開祖・道元禅師を慕う<釈迦三十二禅刹>の一寺である。 かって、TV放映されたこともあるお寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/06 09:06
元昌寺 (岐阜県多治見市)
甲斐武田氏が1560年代東濃に進出して来た時に、その先陣として 武田一族の若尾元昌が根本砦を城山山頂に築き、居館を山麓に 建立している。 1582年には森長可に従い、1584年の小牧長久手の戦いで、 嫡子の若尾元美が戦死し、若尾氏は農民として根本の里に定着している。 1584年に居館を若尾氏の菩提寺として元昌寺を開創している。 同時に、甲斐から先祖の墓石塔(根本宝篋印塔)を移している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/05 09:22
天真寺 (富山県黒部市) 松桜閣と庭園
初代富山県知事・国重正文氏が1883〜88年在任中に住宅として 使用したのが松桜閣の始まりで、1891年西田豊二がそれを譲り受け、 現在地に移設して別荘としている。 それと同時に庭園を作庭している。 1931年曹洞宗尼僧・佐々木即妙が一部を譲り受け、本堂を建立し 大休庵としている。 1932年から2年かけて現在の庭園の原型を作っている。 1946年寺号を天真寺と改めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/05/03 13:17
松樹院 (三重県菰野町) 竹成大日堂五百羅漢
通称・竹成大日堂と呼ばれている松樹院は、弘法大師空海によって開創された ともいわれているが、詳細は不詳である。 応仁の乱の兵火で焼失し、その後竹成出身で野登寺(亀山市)で修行した 照空上人が1841年に竹成に戻り、願行寺前のお堂を現在地に移し、 再興している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/27 09:12
大興寺 (愛知県知多市) 大日福だるま
知多市の風物詩となっている<大日福だるま大祭>は成人の日に行われる。 神亀年間(724〜729年)行基によって彫られた大日如来像を祀ったことが 起源と伝えられる大興寺である。 その後盛衰を経て、正中年間(1312〜17年)三河の豪族・一色範氏が 再興し、夢窓国師を勧請開山として迎え臨済宗の寺として大興寺に改名。 いつしか、霊験あらたかな大日如来と禅宗の達磨大師に祈願する <大日福だるま大祭>が行われている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/25 09:11
安乗院 (岐阜県岐阜市) 岐阜善光寺
信州善光寺(長野市)の本尊・善光寺如来の歴史を少し振り返ってみよう。 552年:百済から日本に伝わると伝承       難波の堀江に打ち捨てられる 602年:本田善光が難波から飯田へ持ち帰り、坐光寺(元善光寺)に祀る 642年:信州善光寺の本尊となる 鎌倉時代〜:絶対秘仏となる 1555年:武田信玄が善光寺如来を甲斐へ移し、1558年甲斐善光寺に祀る 1582年:織田信長が甲斐善光寺から岐阜伊奈波に移す 1582年本能寺の変後:織田信雄が愛知の甚目寺に移す 1583年:徳川家康... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/24 09:11
徳蓮寺 (三重県桑名市) 絵馬
養老鉄道・下野代駅の裏手にある小高い丘に建つ徳蓮寺本堂に懸けられて いる250点余の江戸時代からの絵馬が目につく。 その内、165点余りがナマズやウナギの絵馬で、地震除けを祈願して奉納 されたといわれている。 これも、かって徳蓮寺が2度の地震で崩壊したことにも由来するのだろう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/23 13:40
龍渓院 (福井県美浜町) 若狭三十三観音霊場第3番
敦賀半島西北の丹生湾には美浜原発があり、丹生集落は静かな漁港である。 その集落の奥まった山麓に静かに建つ龍渓院が若狭三十三観音霊場の 第3番札所である。 本堂と庫裏が一体となった民家風の建物から霊場を感じさせないお寺 である。 龍渓院の開創は不詳である。 薬師堂に祀られる薬師如来は<たこ薬師>と呼ばれ、タコが薬師如来像を 抱いて、海中から引き揚げられたことから呼ばれているそうだ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/21 13:44
長安寺 (富山県黒部市)
長安寺の周囲は土塁で囲まれ、中世の地元豪族の館跡と考えられている。 前方・横の土塁は後世に補強された石垣で覆われ、茅葺の山門と共に 一景を造っている。 長安寺の前身である長方寺の開創は不詳であるが、1652年頃長方寺 から長宝寺が分離し、1749年長安寺と改名している。 山門は鐘楼門で1868年頃の建立である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/21 09:06
勧学寺 (三重県桑名市)
走井山には戦国時代の矢田城跡に勧学寺と桜スポットの走井山公園が ある。 矢田城は地元の豪族・矢田俊元が1570〜77年に築城し、1577年に 織田信長の一軍によって落城したといわれているが、築城年と落城年 については不詳である。 勧学寺は天平年間(729〜749年)走井山北麓に開創されたと伝えられ、 元和年間(1615〜24年)に城跡の現在地に移されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/11 10:42
大智院 (愛知県知多市) 知多四国霊場第71番
大智院は<めがね弘法>と呼ばれ、めがねを掛けた弘法大師像が 祀られ、めがね供養も行われている。 幕末の1860年、盲目の老人が弘法大師が残したと伝えられる身代り大師像 にお祈りしたところ目が見えるようになり、自分のめがねを大師像にかけて 残したと言い伝えられ、めがね弘法と呼んでご利益祈願の信仰を集めた。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/10 09:21
広専寺 (岐阜県大垣市墨俣町)
墨俣は、1181年長良川を挟んだ源平の戦いが行われ<源平墨俣川の合戦> と呼ばれた地であり、1566年織田信長の美濃攻めに際して、木下藤吉郎が 築いた墨俣一夜城でも知られる。 江戸時代には、美濃路墨俣宿が設けられ、寺町には6ヶ寺が集中している。 その寺町にある広専寺は1463年開創の真宗のお寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/09 09:43
大日寺 (三重県四日市市)
大日寺は、736年現在の鈴鹿市国府町に国府寺として開創されたと 伝えられるが詳細は不詳である。 1214年鎌倉将軍・源実朝が京に向う時、寺の衆徒が平家の残党に 味方し、実朝一行を妨害するに及んで、実朝は寺を破壊したと いわれている。 その際、衆徒は本尊を高角城跡の現在地に運び仮堂に安置したと 伝えられている。 1809年になって、大日寺として再興されている。 本尊大日如来坐像は314cmの像高で、四日市市で最大の仏像である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/08 13:42
阿弥陀寺 (福井県美浜町) 若狭三十三観音霊場第4番
敦賀半島の北西部、穏やかな丹生湾に面し里山風景が残る静かな漁師町 丹生集落の山手に建つ阿弥陀寺。 丹生湾の向い岸には美浜原子力発電所がある。 阿弥陀寺の開創については不詳であるが、1755年曹洞宗のお寺として 再興されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/07 10:17
全龍寺 (富山県黒部市)
宇奈月温泉への入口に位置する下立集落の山手に建つ全龍寺は 1552年開創と伝わる禅寺である。 開山堂天井に描かれた<三十六歌仙絵>は1700年代の作と 伝えられるが作者は不明である。 2005年天蓋をはずしたところ、天井絵が見つかり、その彩色の 鮮やかに残っていることで、話題を集めた。 北陸新幹線の開通により、宇奈月温泉を訪れる観光客にも新たな スポットとなるのでは。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/04/06 13:46
教聖寺 (愛知県豊田市小原) イチョウと菩提樹
豊田市小原の里に、イチョウと菩提樹の古木が存在感を示す教聖寺が ある。 25m以上のイチョウは少し勢いがなさそうだが、まだまだ一本立ちの 姿勢を保っている。 本堂前の菩提樹も樹勢は少しなさそうだが。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/30 09:57
梅巌寺 (三重県亀山市)
伊勢亀山藩主・石川氏の先祖・石川家成は徳川家康の忠実なる家臣 であり、石川昌勝が1650年伊勢亀山藩主となった時に、石川家成の 菩提寺を亀山に移して藩主石川氏の菩提寺にしている。 寺名梅巌は石川家成の院号である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/29 09:45
地蔵寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第70番
井戸から上がった<大草のお地蔵さん>と呼ばれ親しまれる地蔵寺に 伝わる話とは、  江戸時代中頃、盲目のお竹さんが、地蔵寺に七日七夜参籠したところ、 満願の日に夢のお告げがあった。<我は竹林の井戸にある地蔵で、 汝、我を助け出して井戸を改修すれば、盲眼必ず開かん> その通りにすると、夜明けと共に目が開いたと。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/28 09:36
立蔵寺 (岐阜県関市) 美濃三十三観音霊場第32番
関市の名刹・関善光寺すぐ近くに、真新しい山門・本堂などが輝きを放つ 立蔵寺が建つ。 1705年龍蔵寺として開創され、その後立蔵寺と改名されている。 厄除け・火災除けの弘法大師が祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/27 13:27
芳春寺 (福井県美浜町)
1563年越前の朝倉義景が若狭侵攻に際して、最初に本陣を置いたのが 芳春寺であり、国吉城の粟屋勝久と対峙した。 1564年芳春寺裏山に中山ノ付城を築き、6年間に及ぶ<国吉城籠城戦> が始まる。 1570年には織田信長の支援を受けて粟屋方の勝利に終わり、朝倉軍は 越前に退く。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/26 09:18
法福寺 (富山県黒部市)
黒部川・宇奈月温泉下流の愛本橋を渡って間もなくの宇奈月町明日(あけび) の集落山手に広大な境内を誇る法福寺は806年開創と伝わる古刹である。 大寺として栄えたといわれたが、戦国時代に上杉謙信の兵火に遭って 衰退している。 1593年前田利家の庇護を受けて再興され、前田家の祈願所となっている。 前田家からの寄進状も残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/25 09:42
満福寺 (岐阜県大垣市) 墨俣御坊
史料的には明確ではないが、1566年木下藤吉郎(秀吉)が一夜で築いたと 伝承される墨俣城の跡地に近い墨俣宿寺町に建つ満福寺は墨俣御坊と 呼ばれた真宗の大寺であった。 満福寺の起源は986年天台宗として開創されたといわれ、1235年 熊谷直実蓮生房の猷子が親鸞聖人に帰依して満福寺として再興している と伝えられている。 蓮生房は源平合戦の源氏側勇士として、また法然上人の弟子としても 活躍した僧である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/16 08:55
石立寺 (三重県伊賀市) 磨崖仏
伊賀市川合集落の山あいに建つ石立寺は無住で、寂れた本堂がポツンと あるが、参道脇に磨崖仏が風景を造っている。 六地蔵など13体の仏が彫られているが、彫られた時期は不詳である。 石立寺の開創など不詳である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/14 09:37
慈光寺 (愛知県知多市) 知多四国霊場第69番
慈光寺は、1394年大野城主で若狭・丹後・三河・知多の守護大名であった 一色満範によって、一色氏の菩提寺として開創されたと伝えられている。 一色氏は応仁の乱後衰退し、佐治氏が大野城主となっている。 慈光寺の寺名は一色満範の法号からきている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/13 09:09
慈恩寺 (岐阜県岐阜市大門町) 芭蕉像
芭蕉が1694年没して82年目の命日1777年10月11日に、地元の 俳諧連中によって造像され、慈恩寺芭蕉庵に安置されている。 この芭蕉坐像は秀作で、伊賀の俳聖殿芭蕉像(伊賀焼陶製)に次ぐ 像だといわれている。 慈恩寺は1187年に開創され、1568年に現在地に移っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/12 09:02
立光寺 (福井県小浜市)
1475年吉崎を退却した蓮如上人は海路で小浜に上陸し、2ヶ月ほど 小浜に逗留し、出口光善寺(枚方市)へ向っている。 小浜に逗留している間にも布教を行い、立光寺などを開創したと 伝えられている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/11 09:38
千光寺 (富山県魚津市)
千光寺は、746年に開創されたと伝えられ、室町時代には16坊を抱える 大寺であったといわれている。 1570年上杉謙信が越中守護代・椎名氏を攻め、松倉城・魚津城の戦い から魚津城主が千光寺へ逃げ込み、千光寺と13坊は焼失している。 その後は、残った3坊(光学坊、心蓮坊、蓮蔵坊)が千光寺の観音堂を 護持している。 観音堂本尊は金銅千手観音で鎌倉時代の作と考えられている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/09 09:02
宝蔵寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第68番
宝蔵寺は宮山金蓮寺(廃寺)の一坊が始まりと伝えられるが、宮山金蓮寺 の開創については諸説ある。  @聖徳太子開創  A弘法大師開創  B中世に大野城主の祈願所として開創 など。 宝蔵寺の縁起では弘法大師開創と伝え、1584年金蓮寺が廃れると、 本尊・千手観音を現在地に移し宝蔵寺として再興されたといわれる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/02 09:07
龍福寺<浜の地蔵> (三重県桑名市) 芭蕉ゆかりの寺
芭蕉は母の墓参のために、1684年秋に江戸を立ち翌年伊賀から江戸に 戻っているが、この紀行を<野ざらし紀行>として発刊している。 この野ざらし紀行の中で、1684年11月桑名の<浜の地蔵>を訪れて、 名句を詠んでいる。   <明ぼのやしら魚しろきこと一寸> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/01 13:24
東龍寺 (愛知県常滑市)
1582年本能寺の変で織田信長の急死を堺で知った徳川家康は、岡崎へ 退散すべく伊賀越えルートを取った。 少人数での逃避行動は難渋を伴ったといわれている。 三重県の白子浜から岡崎へのルートには3説がある。  @白子浜〜海上〜岡崎  A白子浜〜常滑市場浜(正住院)〜常滑成岩(常楽寺)〜岡崎  B白子浜〜常滑大野浜(東龍寺)〜常滑成岩(常楽寺)〜岡崎 東龍寺の住職が家康と縁があり、東龍寺経由で常楽寺へのケースが 東龍寺で語り継がれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/03/01 10:24
法明寺<法妙寺> (岐阜県瑞浪市) 桜堂薬師
東濃の名刹・桜堂薬師は812年開創されたと伝えられ、比叡山・高野山と 並ぶ三霊山と呼ばれたこともある名刹である。 比叡山の三諦上人覚祐がこの地を訪れ、桜の霊木から薬師如来を彫って 祀ったのが始まりといわれ、平安初期の嵯峨天皇の勅願寺となったと いわれている。 七堂伽藍を備えた大寺として栄え、鎌倉時代には<桜堂は花の名所> と記され名刹として知れ渡ったようだ。 ところが、1571年織田信長の命によって焼打ちに遭い、ほとんどが 焼失している。これも天台宗寺院の運命なのだろうか。 1... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/28 11:33
永賞寺 (福井県敦賀市) 敦賀城主・大谷吉継の菩提寺
豊臣秀吉の家臣・大谷吉継は1589年敦賀城主となり、敦賀の城下町整備など 敦賀の基礎を築いている。 1600年の関ヶ原の戦いにおいては、石田三成に与し敗れ自害している。 <義に篤い名将>として、秀吉や家康の信望は厚かったといわれ、敦賀に おいても人望厚く敦賀史上も重要な人物である。 なお、吉継の娘が真田幸村の正室である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/25 13:55
常泉寺 (富山県魚津市)
室町時代、越中新川郡(富山県東半分)の守護代であり、魚津の松倉城主で あった椎名氏の菩提寺であったのが常泉寺である・ 椎名氏は越後・上杉と信濃・武田に挟まれ、流転を経て1576年上杉謙信 に滅ぼされている。 その後、常泉寺は転々と移転し、1950年代に現在地に落ち着いている。 魚津を代表する大寺であったといわれている。 それも、所蔵する文化財から窺い知れる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/24 09:00
光明寺 (愛知県常滑市大野町)
光明寺の開創は不詳であるが、一説には聖徳太子の開創ともいわれている。 平安時代には醍醐天皇の勅願所として天台宗のお寺であった。 1235年親鸞聖人が東国から京へ戻る途次に、三河柳堂で説教を行った 際に、光明寺の住職が親鸞聖人に帰依し浄土真宗のお寺に改宗し、 江戸時代には知多半島における真宗拠点として栄えたといわれる。 1969年<お東騒動>の時に浄土真宗東本願寺派に属している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/16 13:41
善養寺 (三重県川越町)
川越町は三重県北部にあって四日市市と桑名市に挟まれた小さな町で、 平坦な地形に15,000人の人口である。 この川越町で最古のお寺といわれるのが善養寺である。 開創は不詳であるが、蓮如上人が浄土真宗の布教に本格的に乗り出した 寛正年間(1460〜66年)に、上人が善養寺で法話を行い布教したと いわれている。 その時、蓮如上人が種を蒔いたといわれる菩提樹が境内にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/16 09:25
勝楽寺 (愛知県新城市) 長篠の戦い
武田信玄が1573年没後の1575年、武田勝頼軍と織田・徳川連合軍の 一大決戦となった<長篠の戦い>は、武田の衰微へと繋がり、一方 織田信長の伸長へとなった。 この戦いにおける主戦場は設楽原であり、その南端になる勝楽寺前戦場 は、武田四天王・山縣昌景が陣地とした勝楽寺から打って出た戦場である。 この戦いで武田軍の主要な人物が戦死し、山形昌景も露と消えている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/14 14:48
明伝寺 (岐阜県垂井町)
明伝寺のある垂井町大滝集落は垂井町北部にある500人の人口であり、 ほとんどが山林で占められている。 山深くには、落差15mの不破ノ滝があり涼を求める人もある。 その不破ノ滝への道中にあるのが明伝寺である。 開創については不詳であるが、<親鸞聖人御一代木像24体>を祀って いるのが知られている。 聖人の一代における姿を表現し聖人を偲ぶ木像群である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/14 09:13
超恩寺 (福井県越前市)
越前市の寺町とも呼ばれる本町に建つ超恩寺の開創は不詳であるが、 真言宗常念寺として始まったと伝えられている。 蓮如上人が吉崎御坊で浄土真宗の布教を行っている1470年代、 住職が蓮如上人に帰依し浄土真宗に改宗している。 毎年行われる東本願寺〜吉崎御坊<蓮如上人御影道中>の宿舎に なっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/11 13:34
海禅寺 (富山県富山市) 北陸三十三ヶ所観音霊場第30番
北陸三十三ヶ所観音霊場は、富山県・石川県・福井県に33ヶ所、特番2ヶ所 の合計35ヶ所観音霊場からなっている。1979年に開設された新しい霊場 である。 海禅寺は、701年に開創され行基や空海が巡錫したと伝えられる古刹で、 江戸時代には富山藩主の祈願所ともなっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/10 08:57
華渓寺 (岐阜県大垣市) 曽根城跡
華渓寺は曽根城跡に1734年に移転している。 曽根城は、西美濃三人衆の一人で、斎藤・織田信長・豊臣秀吉に仕えた戦国武将・ 稲葉一鉄が永禄年間(1558〜69年)に築城し、本拠とした城である。 1601年には廃城になっている。 <頑固一徹>は稲葉一鉄の頑固さと一鉄から来ているとも。 曽根城内には、春日局の父・斎藤利三の屋敷もあり、春日局の生誕地とも 伝承されているが、丹波黒井城が生誕地といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/02 14:45
尾高観音 (三重県菰野町) 檜の参道
三重県と滋賀県の県境に連なる鈴鹿山系の釈迦ヶ岳(1029m)山麓に、 長く真っ直ぐ続く、檜林の参道が強く印象に残る尾高観音。 釈迦ヶ岳山中に役行者が千手観音を祀ったのが始まりと伝えられる。 平安時代初期、山麓に堂塔が建立され、尾高山引接寺が開創される。 その後大いに栄え、広大な境内に多くの伽藍が建ち並ぶ大寺であった といわれている。 しかし、織田信長の兵火により灰燼と帰し、衰えた。 1887年伊勢の慈眼寺寺号を譲り受け、慈眼寺が再興され、 尾高観音は慈眼寺奥の院として歴史を伝えて... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/02/01 12:42
三光院 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第67番
三光院は蓮台寺の塔頭で、現在は同居の形で霊場となっている。 蓮台寺十七坊の一つで鬼門除けの役割を担って1314年開創されたと いわれる。 いつから同居しているかは定かでない。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/31 10:59
安養寺 (岐阜県郡上市八幡町) 郡上御坊
郡上八幡城足下の三の丸跡地に、岐阜県下でも最大級の本堂を構える 安養寺は郡上御坊と呼ばれ、郡上における真宗拠点であった。 安養寺は、1256年滋賀県蒲生に近江守護・佐々木高綱の三男・高重 が親鸞聖人に帰依して安要寺を開創したのに始まると伝えられている。 その後、蓮如上人から寺号・安養寺を受け美濃に再興し、1588年郡上八幡 に移転し、1881年現在地に再建されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/30 09:09
妙顕寺 (福井県敦賀市) 織田信長ゆかりの寺
1570年信長が越前朝倉氏の天筒山城・金ヶ崎城を攻める際に本陣を 置いたのが妙顕寺である。 しかし、浅井長政の背後からの叛旗に遭い、信長は琵琶湖西の朽木を 経て京へ逃げ帰っている。この時、秀吉が殿軍を務めている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/27 09:18
宝樹寺 (富山県富山市)
富山県と岐阜県の県境にあって、宮川から神通川となる東山麓の山深い 東猪谷に端然と建つ宝樹寺は、その開創は不詳であるが、1505年頃 真言宗から浄土宗のお寺として再興されたと伝えられている。 1816年遊行念仏僧として高名を馳せた徳本上人が立ち寄り、県内最大 といわれる六字名号石仏塔を残している。 徳本上人は全国遊行し念仏の奥義を悟ったといわれ、江戸では庶民から 大名まで帰依を得たといわれている。 特に大奥女中の帰依は深かったといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/26 14:17
長寿寺 (愛知県名古屋市緑区) 知多四国霊場第87番
長寿寺はもと真言宗長祐寺として開創されたが、1560年の桶狭間の戦い の前哨戦である鷲津砦の戦いで織田軍が敗れ、長祐寺も兵火により 焼失し、長祐寺の資料など全てが灰燼に帰し、由来も不詳である。 1682年尾張藩家老で大高領主・志水忠継の母・長寿院の遺命により 長寿寺として再興され、志水氏の菩提寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/16 13:06
寿厳院 (三重県伊勢市)
寿厳院には<眠り地蔵>、<身代り地蔵>尊が祀られ、古来より 信仰の寺であった。 明治初期の廃仏毀釈によって廃れたが合併によって今日に至っているが、 少し荒れている。 境内には六地蔵石幢もある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/16 09:20
蓮台寺 (愛知県常滑市) お江ゆかりの寺
浅井三姉妹のお江が1584年初め大野城主・佐治一成に嫁いで、 その年の末に一成が秀吉の命で大野城追放となっている。 その際、お江は蓮台寺に一時身を寄せたといわれている。 その後、お江は豊臣秀勝と再婚、1595年徳川秀忠の正室となり 徳川将軍確立に向けて大いに貢献したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/15 13:59
円通寺 (岐阜県美濃市)
美濃市の一大観光スポットとなっている<うだつの町並み>にある円通寺 は1626年清泰寺の塔頭として開創されている。 墓地には、江戸時代末期の儒学者・村瀬藤城の墓もある。 村瀬は学者であるとともに庄屋としても民政に尽くしたといわれ、美濃の 郷士として尊崇されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/13 13:46
徳賞寺 (福井県美浜町) 国吉城主・粟屋氏の菩提寺
1561年越前朝倉氏は若狭に攻め入り若狭をほぼ制圧したが、美浜佐柿の 国吉城主・粟屋勝久は籠城して朝倉氏に抵抗を示している。 この国吉城籠城戦は戦国時代の中でもよく知られる戦で、6年間に及ぶ 籠城戦で織田信長との連携もあり、朝倉氏を撃退している。 粟屋氏はその後信長に仕え、1585年頃に亡くなったといわれている。 城山(197m)山頂にある国吉城跡は発掘調査され、その資料が 麓の若狭国吉城歴史資料館で展示されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/12 13:17
東薬寺 (富山県富山市)
東薬寺は701年行基によって薬師如来を本尊として開創されたと 伝えられ、南北朝時代に越中守護・桃井直常によって再興され、 大伽藍を誇る大寺であったといわれている。 その後、戦国時代に上杉勢の兵火により焼失したといわれている。 江戸時代中期に再興され、いつしか本尊は不動明王となり、 牧野不動尊と呼ばれるようになった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/12 09:45
中之坊寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第66番
中之坊寺は、聖徳太子が開創したと伝えられた宮山金蓮寺(現在は廃寺) の一山十二坊の一坊として、また大野城主の祈願所として天文年間(1532〜55年) に開創されたと伝えられている。 1584年の兵火で金蓮寺一山が壊滅し、金蓮寺は廃寺となったが、1591年 中之坊寺は再興されている。 中之坊寺の寺宝は金蓮寺から伝えられたものである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/04 09:58
梅龍寺 (岐阜県関市) 関の孫六菩提寺
名刀孫六で知られる<関の孫六>は、刀鍛冶孫六2代目・孫六兼元(1523〜 38年作刀)の名刀が武田信玄、豊臣秀吉、青木一重などの武将が持ち、 名刀の誉を受け、以降孫六累代が現在まで続いている。 梅龍寺には、孫六兼元など孫六一族の墓があり菩提寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/03 18:44
光明寺 (愛知県常滑市栄町) やきもの散歩道の中心
常滑市栄町界隈に市観光協会が設けている<常滑やきもの散歩道>は、 レンガ造りの煙突や窯、陶器の廃材を利用した坂(土管坂など)など独特の 風景と常滑焼の歴史を伝える2km弱の散策道である。 その中心に位置するのが光明寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2015/01/01 15:54
大法寺 (富山県富山市) 富山2代藩主・前田正甫の菩提寺
富山2代藩主・前田正甫が腹痛を起こした時に反魂丹(腹痛の薬)が効き、 薬の製造販売者である万代常閑を富山に呼んで薬の調合を教わり、 それに自らの工夫を加えて反魂丹を作りだした。 その薬が諸大名に評判となり、正甫は薬商の松井屋源右衛門に製造 させ、全国に行商させたのが<富山の置き薬>の始まりとなった。 これから前田正甫を富山薬業の祖として大法寺で法祭が行われている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/29 10:04
横瀧寺 (三重県松阪市) 
松阪森林公園から山腹沿いに北へ横瀧寺〜瑞巌寺と走る林道を辿る。 横瀧寺の山門へ続く参道がまたよし。 鐘楼に吊るされた梵鐘(銅鐘)は鋳物師・天命図書安次の1648年作で、 天命氏の室町時代の茶釜<天命釜>は幻の名品といわれた。 将軍足利義政の東山御物にもあり、<芦屋釜>と双璧に並んでいる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/27 15:24
真願寺 (福井県敦賀市) 敦賀城跡
1582年本能寺の変後、秀吉が台頭し、家臣の蜂屋頼隆が敦賀の領主となり、 1583年蜂屋は平城の敦賀城を、現在の真願寺を含む結城町に築城している。 1589年大谷吉継が敦賀城主となり、敦賀の町整備が本格的に始まった。 しかし、1600年の関ヶ原の戦いで吉継が自刃すると、敦賀城は福井藩の支城 となり、1616年廃城となっている。 現在、城跡は痕跡がなく、真願寺に礎石が残り、来迎寺に城門が残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/25 10:16
相持院 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第65番
相持院は1560年神明社(常滑市栄町)の一院として開創されたといわれる 神仏習合のお寺であったが、明治時代の神仏分離により宝全寺に統合 されている。 1903年に再興され、1947年現在地に移転し堂宇が整備されている。 鐘楼の大梵鐘は知多一の大きさといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/20 09:34
浄蓮寺 (三重県津市芸濃町) 石山観音
津市最北端の鈴鹿CCゴルフ場の北外れに、石山観音と呼ばれる40数体の 磨崖仏が集積する公園(石山観音公園)がある。 古いものは鎌倉時代末期まで遡り、新しいものは江戸時代末期のものまで、 長い期間に亘っている。 江戸時代初期以降、浄蓮寺の別坊・浄蓮坊がこれらの石山観音磨崖仏を 護ってきたといわれている。現在は津市が管理している。 浄蓮寺には、<聖観音磨崖仏>のモデルとなった唐招提寺・聖観音の 模写が残っており、貴重な資料となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/19 09:09
宝全寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第64番
常滑市の中心街にあって、信仰の篤い宝全寺は1573年に開創されたと 伝えられるが詳細は不詳である。 明治時代になって、近隣の廃寺となった堂宇が移築され再興されている。 三宝荒神、金毘羅、秋葉大権現、三十三観音、イボ取り地蔵などが 境内に祀られているが、珍しく石造三宝荒神像を見つけることができた。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/18 09:23
円龍寺 (岐阜県岐阜市) 大イチョウ
大門町に並んで建つ円龍寺と上宮寺には、ともに市の天然記念物に指定 された大イチョウが聳えるがごとくの姿をしている。 円龍寺のイチョウは推定樹齢500年、樹高30mの巨樹である。 明治24年の濃尾大震災の時、鍛冶屋町より出火し岐阜一円が焦土となるが、 円龍寺のイチョウが水気を発し、火の南進を防いだといわれ、<火伏せ銀杏> と呼ばれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/17 09:06
蓮尚寺 (福井県越前市)
蓮尚寺は、応永年間(1394〜1428年)越前守護・朝倉氏の庇護を受けて 一乗谷に開創されたと伝えられる。 上杉謙信の兄・長尾晴景の子孫が天正年間(1573〜92年)に蓮尚寺を 現在の府中に移している。 また、福井藩家老で府中の領主・本多氏の庇護もあり、本多氏正室の 菩提寺になっている。 なお、本多氏の菩提寺は龍泉寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/15 09:57
最勝寺 (富山県富山市) 蜷川城主の菩提寺
最勝寺は1197年越中新川・砺波を領地とした蜷川親綱が、父であり 蜷川氏の祖である蜷川親直の菩提を弔うために黒崎の地に 開創されたのが始まりと伝えられている。 1506年蜷川城は落城したが、その後四国の長宗我部氏の庇護を受け、 江戸時代には幕府旗本となっている。 最勝寺は元禄年間(1688〜1704年)に蜷川城跡に再興され現在に 至っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/14 09:52
正住院 (愛知県常滑市)
徳川家康は<本能寺の変>後の混乱から逃れるために、堺から伊賀越えで 三河に帰っているが、その途中に正住院裏手の海岸に船で辿り着いたとも いわれている。そこから正住院の親寺・常楽寺に向ったとも。 現在の正住院裏手は埋め立てられ常滑港から100mほど離れている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/05 14:30
転輪寺 (三重県伊賀市) 七本松
織田信長の1581年伊賀攻め<天正伊賀の乱>で最後の抵抗を示した 柏野城が落城し、伊賀は信長の領地となっている。 その柏野城跡の麓に建つ転輪寺も類焼を受け観音像が不明となったが、 後に土中から発見され観音堂に祀られたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/05 09:33
大善院 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第63番
大善院は、684年に開創された高讃寺(常滑市)の三百坊ともいわれる 坊の一つに始まると伝えられている。 戦火などで荒れ果てたその坊の本尊十一面観音を養春上人がこの地に 移座して大善院を開創したと伝えられている。 その後、常滑初代城主・水野忠綱が鎌倉様式鉈彫りの十一面観音を 本尊に据えて再興したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/04 13:41
願證寺 (岐阜県垂井町) 平尾御坊
美濃国分寺の西・垂井町平尾に広い境内を持つ願證寺を訪れて、真宗伽藍の 典型をこの地に見ることに驚いた。 織田信長と長島(桑名市長島町)信徒との長島一揆の拠点であった長島願證寺が 平尾御坊の始まりであったことも関心を呼ぶ。 長島願證寺は一揆によって壊滅したが、現在はその地に長島願證寺が再興されて いる。 一方、一揆の後、長島願證寺の開創者・蓮淳の孫が平尾に移り、この地にあった 真徳寺を再興し開基となっている。 この真徳寺が1773年になって、願證寺と改名し平尾御坊と呼ばれた。 長... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/03 09:29
照臨寺 (福井県鯖江市) センダンの木
本堂前の境内にどっしりと腰を据えたセンダンの木は樹高20mほど、 推定樹齢300年以上の古木であるが、その樹勢は旺盛である。 照臨寺が隣の仰明寺から分家して開創された1687年頃に 植栽されたのではないかと。 センダンは温暖な地に多く、福井県は北限にあたるといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/02 09:25
正源寺 (富山県富山市) 鳴龍
1835年富山10代藩主となった前田利保は、常願寺川からの水害から 城下を守るために、藩の絵師に描かせた龍図の天井絵が正源寺本堂 に残されている。 この龍が氾濫を事前に知らせるために鳴いたと伝えられ、鳴龍と呼ばれて いる。 今でも、天井絵の下で手拍子を打つと、龍が鳴いているような反響を 響かせることで知られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/12/01 13:55
弘法院 (三重県亀山市) 亀山の弘法さん
弘法院は1932年秀範奇水和尚が弘法大師を本尊として開創した 新しいお寺であるが、奇水和尚の霊験により多くの人を救ったと いわれ、亀山の弘法さんとして信仰を集めたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/21 09:30
長福寺 (愛知県名古屋市緑区)
長福寺の開創は不詳であるが、1538年善空上人が再興し、 1560年今川義元の軍勢が桶狭間に到来すると、この寺の 僧が酒食を献じたといわれている。 この後の桶狭間の戦いで今川義元は敗れこの地で討ち死にし、義元を 供養している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/18 14:35
寿量寺 (三重県桑名市)
高台寺の豊臣秀吉像(画)を描いた桃山時代の狩野光信が、1606年徳川幕府 の命で江戸へ赴き、江戸城殿舎に障壁画を描いて1608年京へ戻る途中、 桑名で病死し、寿量寺に葬られた。 光信は狩野永徳の長男で、多くの作品を残し、秀吉像は代表的な作品といえよう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/14 09:33
安楽寺 (岐阜県大垣市) 家康ゆかりの寺
1600年関ヶ原合戦に際して、徳川家康が安楽寺で戦勝を祈願し、裏山(岡山) に本陣を築いている。その岡山は戦の後、勝山と命名されている。 また、安楽寺には家康から葵の紋が授けられたり、敵将・大谷吉継の陣鐘などが 寄贈されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/13 09:45
来迎寺 (福井県敦賀市) 水戸天狗党
江戸時代末期、尊皇攘夷の嵐が吹く中で、その先鋒の一つであった水戸藩 の天狗党は、1865年京へ西進の途次、越前で幕府軍の前に投降し、 リーダー・武田耕雲斎など353人が来迎寺で斬首されている。 この2年後には徳川幕府は崩壊し明治政府が誕生している。 明治時代になり、水戸天狗党の名誉も回復され、来迎寺の裏手に353名の 墓所が造られている。 天狗党411柱を祀る松原神社も近くにある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/11 09:36
宝寿院 (富山県富山市)
参道を登ると赤い楼門形式の山門が目に入ってくる。 この山門は薬医門の上に二階部分を後補しており、普通の楼門とは異なった 形式になっている。 境内はよく整備され、アジサイなどの草花も植生されている。 無住であったお寺をここまでよく整備されたものだ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/10 15:02
高讃寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第61番
高讃寺は天武天皇の勅願により684年開創されたと伝えられる古刹で、 かっては知多四国霊場43番岩屋寺、82番観福寺とともに知多三山と 呼ばれる名刹である。 堂宇も300以上の大伽藍を備えていたが、幾度かの兵火などで伽藍を 失い、南の坊一院を残すのみとなった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/04 08:51
光明寺 (三重県伊勢市)
光明寺は天平年間(729〜749年)に聖武天皇の勅願によって開創されたと 伝えられるが詳細は不詳である。 伊勢神宮の禰宜であった度会氏の氏寺であったといわれている。 1319年再興され臨済宗の禅寺となったといわれている。 また、1339年には南北朝の南朝方が東国勢力回復のために光明寺を 本拠にしたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/03 15:25
天澤院 (愛知県常滑市) 常滑城主の菩提寺
知多の豪族水野忠綱は常滑に進出し、1479年頃常滑城を築き、三代に わたって常滑城主(常滑水野氏)が続くが、三代水野守次が明智光秀に与し、 城を出ている。1590年に常滑城は廃城となっている。 常滑水野氏の本家(緒川水野氏)には徳川家康の母・於大の方がいる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/02 13:58
大菩提寺 (岐阜県養老町) 大悲閣
養老の滝へ向う県道沿いに、イチョウやもみじの木々に覆われた大菩提寺が 建つ。 大菩提寺は大悲閣と呼ばれた観音堂を20世紀初期にお寺として開創された。 観音堂の本尊・聖観音は由緒のある仏像であり、現在の本尊・如意輪観音は 多くの信徒から集めた毛髪を奉織した毛髪観音である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/11/01 12:56
長福寺 (福井県小浜市平野) 
小浜市と若狭町の境にあって国道27号に面して建つ長福寺の開創については 不詳であるが、観音堂の十一面観音立像は安産祈願の仏として信仰が篤いと いわれている。 鎌倉時代の造像と考えられ秘仏となっている。 若狭は仏像の宝庫であるが、若狭でも仏像盗難事件が相次ぎ、長福寺も 被害にあっている。 加害者に天罰がくだるだろう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/31 13:47
光厳寺 (富山県富山市) 富山藩主の菩提寺
1639年、加賀藩三代藩主・前田利常が隠退する時に、次男利次に富山藩を 支藩として与えて富山藩が始まる。 利次は光厳寺を富山藩前田家の菩提寺としている。 しかし、富山藩二代の正甫が日蓮宗に帰依し、自らの菩提寺を大法寺とし、 以降、光厳寺と大法寺が富山藩主の菩提寺となっている。 江戸時代は大寺として大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/31 09:32
洞雲寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第62番
知多四国霊場第61番高讃寺が法灯を継いだ<御嶽三百坊高讃寺>は 知多半島第一の巨刹であったが、兵火や火災などでほとんど壊滅し、 唯一残った南の坊が現在の高讃寺と伝えられている。 この時、池から掘り出された阿弥陀如来を本尊として1555年開創された のが洞雲寺と伝えられている。 洞雲寺も御嶽三百坊の法灯を継いでいるといえよう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/29 11:13
小山寺 (岐阜県美濃加茂市) 小山観音
飛騨川と木曽川が合流する手前の飛騨川に浮かぶ巨岩の上に建つ観音堂に 祀られている馬頭観音は小山観音と呼ばれ篤い信仰を集めている。 平安時代末期、木曽義仲の母・若名御前が信州から京へ向う途中に、 美濃加茂の山本で病死したことを知り、義仲は当地へ来りて、母の菩提を 弔うために巨岩の上に堂宇を建て、母の念持仏・馬頭観音を祀ったと 伝えられている。 下流にダムが建設され巨岩は川中島となり、観音橋が架けられている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/20 09:11
大石不動院 (三重県松阪市) ムカデラン群落
松阪市西南端から伊勢湾へと流れる櫛田川岸に建つ大石不動院は、 不動信仰の篤いお寺であると同時に、ムカデラン群落でも知られている。 ムカデランは日本特産のランの一種で、ムカデのように樹木や岩に 着生するが、ここのムカデランは30m近い岸壁(ほうろく岩)に群落をなして着生し、 まじかに鑑賞できる点が珍しい。 国の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/18 09:10
安楽寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第60番
参道の擁壁に常滑焼の土管を利用し、いかにも常滑のお寺という風情である。 安楽寺は1586年に開創され、1845年に再興されている。 境内には、四国の地形を模ったお砂踏み場が設けられ、整備が行き届いている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/17 09:17
普賢寺 (岐阜県多治見市)
石燈籠の建ち並ぶ参道を抜けると、小川のような大沢川に出る。 この大沢川はホタルの名所といわれ、多くの人出があるといわれている。 川に架かるベンガラの橋を渡ると鐘楼門の前に出る。 そこが普賢寺である。 普賢寺は1672年に開創された禅寺で、徳川幕府の旗本・林丹波守の 菩提寺でもある。 丹波守の領地が多治見大原郷であったこともあるのだろう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/15 09:55
浄妙寺 (福井県美浜町早瀬)
若狭湾と三方五湖の一つ久々子湖を結ぶ早瀬運河、5月5日に行われる 子供歌舞伎、さだまさし原作の映画<サクラサク>の舞台などの美浜町早瀬 に建つ浄妙寺は1607年に開創された真宗のお寺である。 本堂は入母屋・妻入りの個性的な造りで、1871年に建立されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/12 09:06
長慶寺 (富山県富山市) 
呉羽山(80m)山腹に拡がる境内一帯は桜谷と呼ばれ市民の散策地と なっているが、境内に安置された石造五百羅漢も見逃せない。 五百羅漢は、1799年から50年の歳月を掛けて富山の豪商によって、 佐渡の石工に刻ませ安置されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/10 09:41
大神宮寺 (三重県津市) 御倉堂
大神宮寺の寺領であった津市安濃町神田から伊勢神宮に献納される米を、 現在も残る古枡で計量して送っていたことから、大神宮寺本堂を御倉堂と 呼んでいる。 御倉堂は再建を繰り返し、現在の御倉堂は1634年再建と考えられている。 津市内では最古の木造建築物といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/01 13:43
薬師寺 (愛知県豊田市川見町) 三河三薬師
三河三薬師とは、  真福寺(岡崎市)、天宗寺(豊田市)、薬師寺(豊田市)で、薬師寺は <川見の薬師さん>と呼ばれ、信仰を集めている。 薬師寺の四季桜公園は、1200本の四季桜が紅葉とともに咲く風景が見事らしく、 多くの観光客・参拝客で賑わうそうだ。 新緑の訪問であったが、それを想像しての参拝であった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/10/01 09:16
蓮華寺 (岐阜県関市) 源頼政の菩提寺
1180年源頼政は後白河天皇の第三皇子・以仁王と結んで平家打倒の挙兵 をあげたが、宇治平等院の戦いで敗れ自害している。 首級を頼政の伯父・山県国直の居地である美濃植野の地に家臣が葬ったと いわれている。なお、頼政の墓は平等院にある。 この挙兵が源平合戦の始まりとなっている。 源頼政の辞世の歌  <埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/30 09:39
仰明寺 (福井県鯖江市) 
福井藩は徳川家康の次男・結城秀康が初代藩主となって1601年に設けられ、 越前松平家が始まり、明治維新まで続く。 福井藩主の菩提寺は福井市の大安禅寺とされているが、それに準ずるお寺が 10ヶ寺以上あるといわれている。 福井市・瑞源寺などもその一寺であり、仰明寺も準菩提寺といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/29 09:44
海岸寺 (富山県富山市) 
1639年加賀藩三代藩主・前田利常が隠居する時に、加賀藩の支藩として 富山藩(10万石)を分立し、次男・前田利次が初代藩主となっている。 その時、城下に海岸寺を移して富山藩主前田家の祈願所としている。 藩主の庇護を受けて大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/28 09:05
西光寺 (三重県伊賀市) 
平安時代末期、平家の家人であった平宗清が平家没落後、伊賀の柘植山中に 隠れ棲み柘植氏と名乗ったのが柘植氏の始まりといわれている。 柘植氏は織田信長に従軍したり、本能寺の変で徳川家康が伊賀越えで三河に 逃れる際に援助している。 その後、家康を助けた功もあって幕府の旗本となっている。 その柘植氏一族の墓所が西光寺にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/17 09:51
玉泉寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第59番
常滑市大谷の海岸沿いにあったと言われる大谷城の築城主・岸田繁張の 菩提を弔うために、玉泉寺は1556年に開創されたと伝えられている。 大谷繁張は、源頼朝・義経の父で、知多半島野間で謀殺された源義朝の 家臣であったといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/15 09:17
青蓮寺 (三重県名張市) 青蓮寺城跡
名張市青蓮寺の地名は青蓮寺に由来するが、青蓮寺湖・香落渓・観光農園など 観光地として栄えている。 室町時代後期に伊賀の豪族・青木信定が築城した青蓮寺城が天正伊賀の乱に おいて、1581年織田信長軍と伊賀豪族連合が戦い、伊賀連合軍は悲惨な 敗北を喫し、青蓮寺城は落城している。 現在の青蓮寺は1601年城跡に再建されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/12 09:06
上宮寺 (岐阜県岐阜市) 大イチョウ
境内の真中に樹高24m・推定樹齢400年といわれるイチョウが鎮座する上宮寺 は、浄土真宗本願寺派・上宮寺(岐阜市西野町)から分立して1556年に開創 されている。 上宮寺の名前や、山号の太子山からも聖徳太子を崇拝した親鸞聖人に因んで 名付けられたと思われる。 岐阜市には<上宮寺>が3ヶ寺も存在している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/11 08:54
本隆寺 (福井県敦賀市) 芭蕉ゆかりの寺
1689年奥の細道紀行の最終盤になる敦賀紀行において、敦賀湊から船で 敦賀半島東岸に位置する色ヶ浜(種の浜)に向い、芭蕉が尊崇する西行 ゆかりの地に降り立つ。 色ヶ浜にある法華宗・本隆寺に一泊して西行を偲んでいる。  芭蕉の句   <寂しさや須磨にかちたる濱の秋>   <浪の間や小貝にまじる萩の塵>  西行の歌   <汐そむるますほの小貝拾ふとて色の濱とはいふにやあるらん> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/10 09:24
見付来迎寺 (富山県富山市) 北国念仏最初道場
来迎寺の寺号を持つお寺が富山市に3ヶ寺あることから、ここで取り上げる来迎寺 は見付来迎寺と呼ばれている。 当寺は、かって円福寺と呼ばれ、立山信仰の始まりを開創したと伝承される 佐伯有頼(慈興上人)が702年立山説法ケ原に開創したのが始まりといわれるが 詳細は不詳である。 1155年に婦中に移転し、住職の林海は法然上人のもとで修行し、1197年 <北国念仏最初道場>として浄土宗来迎寺を開山したと伝えられ、 1661年に現在地に移転している。   立山信仰は富士山信仰・白山信仰と並... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/09/09 09:00
誓願寺 (愛知県名古屋市緑区) 芭蕉の最古の供養塔
芭蕉は名古屋に足を運んだ時は、芭蕉の門弟で鳴海六俳仙のリーダー・知足 (千代倉吉親)の家にしばしば逗留している。 1694年芭蕉が没した翌月、鳴海の門弟達が句会を開き、芭蕉の供養塔を 如意寺に建立している。芭蕉供養塔では最古といわれる。 なお、芭蕉墓は大津市義仲寺にある。 その後、知足の菩提寺・誓願寺に移され、1858年には供養塔の側に 芭蕉堂が建立されている。 芭蕉が初めて知足宅を訪れた時に詠んだ句  <京まではまだ半空や雪の雲> ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/29 08:59
法因寺 (三重県亀山市) 左巻きカヤの木
<左巻きカヤ>はカヤの変種で、種子が大型で、種子の殻の表面にみられる 螺旋状の線が左巻きのカヤで、少なく奈良市都祁など9例が知られている。 法因寺の<左巻きカヤ>は推定樹齢300年といわれている。 法因寺の開創は不詳であるが、蓮如上人ゆかりの寺といわれることから、 室町時代中期には存在したのであろう。 また、幕末の亀山藩の藩政改革に貢献した黒田孝富の菩提寺でもある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/28 09:09
来応寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場第58番
常滑市の大谷漁港に近い来応寺は1582年に開創されたと伝える霊場で、 商売繁盛のご利益があるといわれる<分身弘法>やポックリ往生がかなうと 信仰される<ぽっくり地蔵>などが祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/27 09:00
専精寺 (岐阜県垂井町) 垂井城跡
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、西軍に属していた平塚為広の居城が 垂井城であり垂井の領主であった。 垂井城の築城は不詳であるが前身は長屋氏の居館といわれている。 平塚氏は大いに善戦したが、山内一豊の家臣に討たれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/26 08:55
心月寺 (福井県福井市) 朝倉教景の菩提寺
朝倉氏5代・朝倉教景は室町時代中期の戦国武将で、越前守護の斯波氏家臣で あったが戦功により頭角を現し、孫の7代孝景が越前守護になると孝景を支援して いる。 11代朝倉義景の時に盛時をむかえるが、1573年織田信長に破れて朝倉氏 100年の栄華は終焉している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/25 08:48
円浄寺 (富山県南砺市) 五箇山合掌集落のお寺
富山県南砺市五箇山には世界遺産に登録された相倉合掌集落と菅沼合掌集落 の間に<こきりこの里>があり、上梨合掌集落を成している。 ここには、国指定重要文化財で400年の歴史を誇る<村上家合掌造り>が ある。 村上家の山手に建つ円浄寺の開創は不詳であるが、1825年には道場として 存在し、茅葺の鐘楼堂は1846年の建立である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/24 09:39
温泉寺 (岐阜県下呂市) 
日本三名泉(有馬温泉、草津温泉、下呂温泉)の一つ下呂温泉は、延喜年間 (901〜923年)に現在の温泉街から東の湯ヶ峰(1067m)山頂に湧き始め、 近在の人々のみならず遠方からも湯あみに訪れたと伝えられている。 ところが、1265年に突如湯が止まってしまうと、益田川(現在の飛騨川)河原 に一羽の白鷺がいることに気付いた村人が行って見ると、そこに温泉が湧いて いるのを発見したと伝承されている。 その白鷺は薬師如来の化身であったと言い伝えられ、いつしか薬師堂が 建てられたいわれる。 ... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/16 08:56
十念寺 (三重県桑名市) 
幕末の桑名藩士・森陳明(森常吉)は、幕末の戦いにおいて会津藩とともに 桑名藩は旧幕府軍として最後の函館戦争まで戦ったが、その全責任を 一身に担い自害して藩主・松平定敬を護っている。 桑名藩の鑑としてその名を残した。 十念寺は森陳明の菩提寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/15 09:25
祝峰寺 (愛知県豊田市) だるま寺
豊田市北東の山間部に位置する小原地区は<和紙のふるさと>として 知られている。 その山腹に建つ祝峰寺は<だるま寺>と呼ばれ、だるま祈祷の信仰が 篤いといわれている。 道路のあちこちに<だるま寺>の案内標識が立ち、近在では観光スポット ともなっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/14 10:17
開元院 (岐阜県瑞浪市) 
鎌倉時代初期に美濃守護職に就いた土岐光衡が築城したと伝えられる 鬼ヶ城(瑞浪市土岐町)を本拠として美濃を治めたが、1339年土岐頼遠 が守護に就くと、本拠を長森城(岐阜市)へ移している。 以降、鬼ヶ城は土岐氏の東美濃拠点として土岐一族が城主となっている。 1570年代には鬼ヶ城は織田信長の武田軍に対する拠点となった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/13 08:56
西光寺 (福井県福井市) 柴田勝家の菩提寺
越前守護で大いなる勢力を誇った一乗谷城主の朝倉貞景の命で、 家臣・上田兵衛尉が真盛上人を開山として次郎丸(福井市次郎丸町)に 西光寺を1489年に開創している。 1573年織田信長によって朝倉氏が滅ぶと、1575年柴田勝家が 北ノ庄城主として越前に入っている。 1576年柴田勝家は西光寺を現在地へ移し、柴田氏の菩提寺とした。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/13 08:55
行徳寺 (富山県南砺市) 合掌造りの庫裡
世界遺産五箇山・菅沼集落の隣にある赤尾集落にも<重文>岩瀬家、 行徳寺庫裡などの合掌造りが残っている。 岩瀬家合掌造りは300年の歴史を持ち、白川・五箇山で最大級の 合掌造りといわれている。 岩瀬家の隣に建つ行徳寺庫裡は江戸時代末期の建立で、お寺の 庫裡としての様式を備えている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/12 09:47
九品寺 (三重県伊賀市) 寝釈迦
九品寺は、天平年間(729〜749年)行基が開創した往生院が始まりと 伝えられているが詳細は不詳である。 1491年頃、天台真盛宗祖・真盛上人が再興し、念仏道場九品寺としている。 釈迦涅槃像が小堂に祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/04 09:02
曹源寺 (愛知県常滑市) 知多四国霊場番外
曹源寺のお大師は<一切厄除大師>とよばれ、大正時代に足の不自由な 青年が夢のお告げで参拝したところ、よろめきもせず立ち上がることができ、 そのお礼に奉納した手押し車が残されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/03 09:10
真宗大谷派岐阜別院 (岐阜県岐阜市) 東別院
岐阜市には真宗大谷派(京都東本願寺)の別院と浄土真宗本願寺(西本願寺) の別院がある。 東別院は1601年建立の道場に始まるといわれ、1624年に現在地に移っている。 1891年の濃尾地震で全て倒壊し、1916年に再建されている。 広大な境内と大きな本堂は真宗特有の風景である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/02 08:52
青蓮寺 (福井県美浜町) <重文>聖観音立像
2013年に国の重要文化財に指定された青蓮寺の本尊・聖観音立像は 平安時代初期の檀像風で、翻波式衣文の平安時代初期の特徴が見られる。 美浜町では、有形文化財で初の重要文化財となる。 小さな本堂がポツンと建つ青蓮寺は725年開創と伝わる古刹であり、 今まで知られていなかったことが不思議でもある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/08/01 08:48
道善寺 (富山県南砺市) 丸池の霊水
世界遺産<白川郷・五箇山の合掌造り集落>の五箇山赤尾谷にある 道善寺は室町時代15〜16世紀に赤尾道宗によって開創されたと 伝えられ、道宗が熊野権現のお告げによって得た霊水が現在も 湧き出ており、丸池の霊水として富山県の名水となっている。 霊水の傍には道宗作の石庭も残されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/31 08:49
瑞巌寺 (三重県松阪市) 庭園
伊勢自動車道・松阪IC西方の山麓に拡がる瑞巌寺は弘法大師空海によって 開創されたと伝えられるが、詳細は不詳である。 18世紀末に浄土宗のお寺として再興されている。 それと同時に、灌漑用の溜池(鏡池)も1812年に完成し、鏡池を含めて 境内全体を奇岩などを活かして庭園風に整備している。 この境内庭園を瑞巌寺庭園と称して三重県の名勝庭園となっている。 残念ながら現在は荒廃し、古の資産が活かされていない。 一部に再興を願っている団体があるとか。是非お願いしたいものだ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/28 09:37
斉年寺 (愛知県常滑市) 
画聖といわれた雪舟77歳(1496年)の作<慧可断臂図>は日本禅宗の 祖師図において光輝く存在であり大作であろう。 私が京都国立博物館(斉年寺が寄託している)で鑑賞した時に受けた衝撃 は今も強く残っている。 雪舟の作品はよく鑑賞するが、この作品は私にとって最高の芸術である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/21 09:09
寒松院 (三重県津市) 津藩主・藤堂家の菩提寺
1608年今治藩主から津藩主となった藤堂高虎は津城や伊賀上野城の 城下町整備に尽力し、藩政の基礎を築いている。 12代に亘って藩主を勤め、明治維新を迎えている。 高虎は戦国から江戸時代にかけて仕える主人を多く変遷している代表的な 大名といえるが、最後に仕えた徳川家康の信頼は厚かったといわれている。 第2代藩主・藤堂高次が1631年昌泉院を開創しているが、後に藤堂家の 菩提寺となって高虎の院号から寒松院と改名している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/20 10:44
医王寺 (愛知県新城市) 
1575年武田軍と信長・家康軍の<長篠の戦い>で、武田勝頼の本陣が 医王寺とその裏山・医王寺山に設けられ、医王寺山には砦も設けられて いる。 長篠設楽原の戦いに敗れて、勝頼は敗走し、信長の勢力は益々強まった。 歴史的な戦いが行われた長篠の地は、新城市の歴史そのものである。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/19 08:57
玉泉寺 (岐阜県垂井町) 垂井の泉
玉泉寺門前の<垂井の泉>は推定樹齢800年といわれる大ケヤキの 根元から湧き出し<垂井>の地名の起源といわれている。 740年聖武天皇が美濃行幸の際立ち寄った<宮処寺><曳常泉>の 曳常泉は垂井の泉と考えられている。 11世紀の貴族・歌人である藤原隆経が詠んだ  <昔見したるいの水はかはらねどうつれる影ぞ年をへにける> 芭蕉が垂井の本龍寺に逗留した時に詠んだ  <葱白く洗ひあげたる寒さかな> などの歌や句が残っている。 なお、岐阜県の名水に選定されている。 大ケヤキは衰えを見... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/18 09:13
白道寺 (福井県坂井市丸岡町) 丸岡藩主有馬家の菩提寺
1695年丸岡藩主・本多家に替って入った丸岡藩主・有馬清純の祖父・直純 はキリシタン大名であったが、徳川幕府の禁制と家康の側近として仕えた ことから、キリシタンから改宗している。 有馬直純は島原藩主の時の1613年島原に有馬家菩提寺として白道寺を 開創してキリシタン脱却を宣言し、以降はキリシタン弾圧に切り替えている。 1614年日向延岡藩主になると白道寺も移転している。 有馬清純が丸岡に入ると、白道寺も移り有馬直純の墓所も移している。 しかし、清純以降の藩主墓所は幕府に遠慮して高岳... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/17 08:50
万福寺 (富山県砺波市) 
万福寺の山門は、1801年南砺市・善徳寺の山門であったものを移築 したもので、1688年に建立された山門である。 城ヶ端城の遺構と考えられていたこともあったが、もと城門のあった場所に 1688年建立されたことが判明している。 薬医門でいかにも城門らしい構えではある。富山県の文化財である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/16 09:00
大乗寺 (岐阜県郡上市) 
宮津藩主であった青山幸道は1758年美濃郡上藩主に移封され、明治維新 まで青山氏が7代に亘って藩主を務めている。 青山氏の江戸屋敷が青山にあったことから青山の地名が生まれたといわれ、 墓所は青山の梅窓院にあるが、郡上における菩提寺は大乗寺となっている。 青山氏ゆかりのものがお寺に所蔵されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/09 10:10
福泉寺 (三重県亀山市) 
亀山市街地の中心部にあって平安時代に開創されたと伝わる福泉寺は、 現在は保育園の経営や子育て支援など地域に貢献するお寺でもある。 山門は1795年の建立で、この時期の寺院建築様式の典型例といえよう。 境内裏手にキリンの模型が建てられ印象の残るお寺であった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/09 10:08
海音寺 (愛知県常滑市) 
織田信長の三男・信孝は1583年柴田勝家と共に賤ヶ岳の戦いで秀吉に 敗れ、美浜町の大御堂寺で自害している。 <信長公記>の著者で信長の家臣であった太田牛一は海音寺で密葬を 営み、信孝の木像を海音寺に祀っている。 その木像は後の火災で焼失したといわれている。 現在は信孝の位牌が祀られている。 信孝の墓所は大御堂寺の塔頭・安養院にあり、首塚は三重県亀山市福蔵寺に ある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/08 09:09
道樹寺 (岐阜県美濃市) 
楓谷ヤマモミジ群に至る途中に広大な境内を有する道樹寺は永正年間 (1504〜21年)に、美濃国最後の守護代・斎藤利良が開創している。 美濃市でも有数の境内面積で、それも平地の境内は珍しい。 イチョウの大木が聳え、禅寺の整然とした佇まいが名刹の風景を作っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/07 08:53
瑞林寺 (福井県美浜町) 若狭三十三観音霊場第5番
瑞林寺は1430年に開創されたと伝えられ、その後の200年余の間に 現在地に移って来たといわれている。 1727年に再興されている。 2014年公開された映画、さだまさし作<サクラサク>の舞台となったお寺で 桜も見所である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/06 20:16
専念寺 (富山県射水市) 傘松
専念寺の傘松は、室町時代後期の越中守護代・神保慶宗が専念寺に 帰依した関係でその菩提を弔うために植えられたと伝えられている。 枝が地を這うようにはびこり、まるで傘を広げたような姿から傘松と 呼ばれている。 赤松と黒松の雑種・アイグロマツで、突然変異で傘状になったと考え られている。富山県の天然記念物であり、樹高3.3m、傘の径が16m となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/07/05 08:34
松尾観音寺 (三重県伊勢市) 
龍に纏わる伝説<龍神伝説>は各地にあるが、中でも  和歌山県田辺市龍神村、沖縄県うるま市、秋田県十和田湖・田沢湖・八郎潟、  三重県伊勢市松尾観音寺、千葉県栄町印旛沼龍角寺、福岡県大牟田市三池山 などはよく知られている。 松尾観音寺の龍神伝説は、  1403年本堂から出火すると、裏の池から雌雄の龍が現れて、雄が本尊の 十一面観音を救い出し、雌が消火にあたったと伝承され、それ以降災難除け の信仰が集まり、日本最古の厄除け観音ともいわれるそうだ。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/30 09:08
報恩寺 (愛知県美浜町) 知多四国霊場第57番
報恩寺は、野間で源義朝とともに殺害された家臣・鎌田正家の乳母が1185年 その菩提を弔うために開創したと伝えられている。 鎌田正家は舅の長田忠致に騙され命を奪われた悲運の武将であった。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/29 21:23
光徳寺 (三重県桑名市) 万古焼の祖・沼波弄山の菩提寺
三重県四日市を中心とする伝統工芸品・万古焼は地場産業でもあるが、 その主たる陶器は急須や土鍋で、特に土鍋の全国シェアは70%以上と いわれている。 その万古焼の創始者が桑名の沼波弄山(ぬなみろうざん)(1718〜77年)で、 自分の作品に<萬古>や<萬古不易>と印を押したのが萬古焼(万古焼)の 始まりとなっている。 当時の作品は<古萬古>と呼ばれ、美術工芸品として扱われている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/28 09:35
永建寺 (福井県敦賀市) 
曹洞宗開祖・道元禅師の教えに学び、正しい仏法の実践を目指して 石川県・福井県・滋賀県・京都府に1996年設けられた霊場が <釈迦三十二禅刹>である。 永平寺、総持寺祖院などがあり、永建寺もその一寺である。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/27 09:01
蓮王寺 (富山県射水市) 小杉大仏
蓮王寺の本尊・阿弥陀如来坐像は5mほどの総高があり、小杉大仏として 親しまれ、越中三大仏(高岡大仏、庄川大仏、小杉大仏)の一仏として 数えられている。 顔と手は藤原時代のもので、胴体は江戸時代に造立されている。 木造仏としては富山県最大といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/27 09:00
長敬寺 (岐阜県郡上市八幡町) 
戦国・桃山時代と八幡城主であった遠藤慶隆は江戸時代になって、最初の 郡上藩(美濃八幡藩)主となり郡上郡と越前の一部を統治している。 慶隆は郡上八幡の整備と<郡上おどり>の発祥に関わっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/22 16:25
瑞泉寺 (愛知県名古屋市緑区) 
旧東海道鳴海宿にある瑞泉寺は小高い丘の上に建ち、東海道を 西へ向うと大きく目に入るランドマークと捉えられていたらしい。 その風景は江戸時代にタイムスリップして想像したくなる。 この景観から瑞泉寺の伽藍は名古屋市の景観重要建築物になっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/21 09:35
果号寺 (三重県伊賀市) シブナシガヤ
シブナシガヤはカヤと同種の針葉樹であるが、種子の胚乳についている 渋皮が無いか、とれやすい特徴を持っているカヤの変種である。 伊賀地域には国の天然記念物に指定されたシブナシガヤは2本あり、 果号寺、高倉神社のそれである。 果号寺のシブナシガヤは18世紀中頃にはシブナシガヤとして認知されて いたらしい。 全国的にも珍しいカヤの木といえよう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/20 10:41
全忠寺 (愛知県美浜町) 
美浜の河和城は1470年頃までに戸田宗光(後の田原城主)が築いたと いわれているが、実質的には2代目の戸田憲光(法名:信渓全忠)が今川義元 の命により河和城を拠点として九鬼水軍を監視したと言われている。 憲光は1534年戸田家の菩提寺として全忠寺を開創している。 4代目の戸田守光は秀吉の小田原城攻めで討ち死にしたことから、 河和城下が不穏になり、村人によって河和城は崩壊したといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/20 10:40
永泉寺 (岐阜県多治見市) 池田五山
聖武天皇の皇后・光明皇后は仏教の庇護者としても知られているが、皇后の 発願で多治見池田に華厳宗の普及の意味を込めて五山(地蔵院、蓮華院、 仏光院、明円寺、観音院)を行基が開創したと伝承されている。 東濃における一大道場として大いに栄えたといわれている。 しかし、鎌倉時代になると衰退し、寛文年間(1661〜72年)蓮華院を 現在地に永泉寺として再興させ、五山の仏教美術を永泉寺が受け継いで いると言われている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/19 08:46
本光院 (福井県坂井市丸岡町) 丸岡藩主・本多家の菩提寺
<一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ>の日本一短い手紙として 有名な、家康の三河三奉行・本多作左衛門(重次)の嫡男・成重が1624年 福井藩から独立して丸岡藩初代藩主に取り立てられたが、4代藩主の代で 改易となり、1695年で有馬家が丸岡藩主を継いでいる。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/18 13:56
光徳寺 (石川県七尾市) 
光徳寺は、1274年豪族・冨樫氏(後に加賀守護大名)の一族である宗性が 加賀木越(金沢市木越町)に真言宗光徳寺を開創したと伝えられている。 1449年蓮如上人が北陸に布教行脚の時に光徳寺は浄土真宗に改宗し、 以後加賀において<木越光徳寺>として本願寺門徒の核の一つになる。 1471年越前吉崎に蓮如上人が吉崎御坊を開創し、北陸において本願寺門徒 が一気に拡大する。 1488年〜1580年の加賀一向一揆においては、木越光徳寺は重要な一寺 として門徒を統率している。 1580年織田信長... ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/18 13:55
向善寺 (岐阜県飛騨市古川町) イチイの木
飛騨の木工品として知られる一位一刀彫は用材としてイチイを使用し、 イチイの赤い内側と白い外側をそのまま活かして手彫りで彫り跡を 残す工芸品で土産品として珍重されている。 そのイチイの木で推定樹齢300年以上といわれる古木が向善寺に あり、岐阜県の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/12 09:20
浄明院 (三重県津市) 津藩主・藤堂家ゆかりの寺
お城公園から海岸に向って通るフェニックス通りに面している浄明院は、 三代津藩主・藤堂高久が1680年父・藤堂高次側室・於振(浄明院)の 菩提を弔うために開創している。 藤堂高久の母は高次の正室であるが、側室の菩提を弔い藤堂家の 菩提寺の一つにしている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/11 09:28
法山寺 (愛知県美浜町) 知多四国霊場第55番
1160年平治の乱で敗れて知多半島・野間の地に逃れてきた源義朝 (源頼朝・義経の父)が入浴中に長田忠致父子に謀殺されたと伝わる 場所が法山寺であり、その地は<御湯殿跡>として残されている。 源義朝の墓所は大御堂寺にある。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/10 09:21
円徳寺 (岐阜県岐阜市) 
円徳寺は1183年上加納村長旗(岐阜市長旗)に法泉寺として開創され、 その後浄土真宗の常泉坊となり、室町時代には寺内町を形成した。 1567年織田信長が稲葉山城を攻略し、岐阜城と改めて入城し、 岐阜の改革に乗り出している。 その時に打ち出した楽市楽座の最初の場が常泉坊門前であり、その 楽市楽座制札が現在も円徳寺に残されている。 常泉坊はその後まもなく現在地に移り、円徳寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/10 09:20
龍澤寺 (福井県美浜町) 
浅井くすは浅井長政の妾娘ともいわれ、浅井三姉妹と姉妹の関係になるが、 詳細は不詳である。 浅井くすは秀吉の側室・松の丸殿の侍女として秀吉に近く、龍澤寺再興 についての秀吉に宛てた書状と秀吉の朱印状が龍澤寺に残っている。 また、浅井くす木像と豊臣秀吉木像が祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/09 09:51
東嶺寺 (石川県七尾市) 
加賀藩には加賀八家と呼ばれる8人の大名家老がいた。 その中で2番目の石高(3万3千石)を擁した長氏は、もとは室町時代の 能登守護・畠山氏の重臣であったが、畠山氏が滅ぶと長連龍(長氏20代) は織田信長に従い活躍し、その後前田利家の重臣となっている。 加賀藩成立と共に、加賀藩の家老として明治維新まで続く。 東嶺寺は、長連龍の菩提を弔うために整備されその後、長氏の菩提寺 となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/08 09:40
宝泉院 (福井県若狭町) 若狭三十三観音霊場第6番
宝泉院の開創については不詳であるが、現在は無住で小浜市の多田寺が 管理している。 町指定文化財で室町時代の薬師如来坐像、鎌倉時代の阿弥陀如来坐像から 鎌倉時代にまで遡る開創かもしれない。 10月21日に行われる厄除け行事の火渡りはこの地域の風物詩といわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/03 09:11
太江寺 (三重県伊勢市) 
伊勢市二見浦夫婦岩の後方にある音無山(120m)の山腹に展開する 太江寺は天平年間(729〜749年)に開創されたと伝えられるが、当寺の 勧進帳によると延喜年間(901〜923年)に観音堂が建てられたとある。 本尊の千手観音坐像は鎌倉時代の造立で、国の重要文化財に指定。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/02 09:15
金蓮寺 (岐阜県垂井町) 
1439年関東公方・足利持氏は足利幕府に反抗し敗れ(永享の乱)、 その子供(春王丸・安王丸、成氏)は日光へ逃れ、結城氏に囲われた。 1440年結城氏が足利幕府に敗れ(結城合戦)、春王丸と安王丸は 京都へ護送される。その途次、垂井御所野にあった金蓮寺境内で 幕府の命で斬首されている。 その最期の地には春王丸・安王丸の墓碑が建てられ岐阜県の史跡 として残されている。 現在の金蓮寺は東へ200m。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/01 09:36
満光寺 (愛知県新城市) 徳川家康と鶏
元亀年間(1570〜73年)頃は、徳川家康と武田信玄との戦いが続くが、 家康は不利な戦いが続いていた。 そんなある夜、家康は敗走して満光寺に辿り着き、その一夜の宿泊を 住職に頼み、<明朝早く出たいので、一番鶏が鳴いたら起こしてくれるよう> と依頼して寝についた。夜中に突然、鶏が鳴き住職は約束通り家康を起こし、 家康一行はすぐ出ていった。 まもなく武田軍に満光寺は囲まれたが、無事家康一行は逃れることができた。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/06/01 09:36
高徳寺 (福井県敦賀市) 
外回りはガラスで覆っているが、1615年に建立された本堂は真宗の 古い形式をよく伝え貴重な真宗本堂とされている。 越前など北陸は、蓮如上人の布教などにより真宗のお寺が多いが、 敦賀は真宗のお寺は少ないといえよう。高徳寺は1500年に開創さている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/31 09:12
山田寺 (石川県中能登町) 北陸三十三ヶ所観音霊場第20番
山田寺の同一境内に白比古神社がある神仏習合のお寺であった。 白比古神社は白山社と呼ばれたいたが、白山信仰創始者の泰澄大師 が757年白比古神社(白山社)の別当として山田寺などの坊を開創したと 伝えられている。 白比古神社(山田寺などの坊も一体)は能登一宮・気多大社の摂社として 大いに栄えたといわれている。 明治維新により神仏分離となり、山田寺と白比古神社は分離された。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/30 09:13
広禅寺 (三重県伊賀市) 
広禅寺は、江戸時代伊賀一国の曹洞宗寺院を統括する重要なお寺であった。 1802年建立の本堂は禅宗寺院形式と規模を誇る仏堂であろう。 また、大般若経600巻を納めた転輪蔵は1717年の建立で、三重県の 文化財に指定されている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/27 09:21
石上寺 (三重県亀山市) 
旧東海道の和田一里塚のすぐ近くにある石上寺は、796年大和の紀真龍が 石上神宮(天理市)のお告げで那智熊野権現を勧請し、新熊野三社として祀り、 弘法大師空海が地蔵菩薩を刻み堂宇を建立して石上寺として神宮寺とした と伝えられている。 神廟寺院として大伽藍となり、鎌倉幕府などの庇護を受けたといわれる。 残っている古文書からも中世においては大いに栄えたと考えられている。 織田信長の侵攻により大伽藍を失っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/26 08:45
安養院 (愛知県美浜町) 知多四国霊場第53番
大御堂寺の塔頭・安養院は承暦年間(1077〜81年)白河天皇勅願の 大御堂寺の南の坊として開創されたと伝えられている。 1583年には織田信長の跡目争いで羽柴秀吉に敗れた織田信孝はこの南の坊で 自刃している。墓所は大御堂寺にある。 宝暦年間(1751〜64年)に安養院となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/24 10:54
浄徳寺 (岐阜県飛騨市古川町)
浄徳寺の開創については不詳であるが、当初飛騨市宮川町落合にあったが、 江戸時代前期に、現在地周辺(中野集落)の新田開拓により落合の人々が 移住したのと合わせて、浄徳寺も移転している。 浄徳寺の山門は飛騨増島城の城門を移築し改修したものである。 また、庫裡書院は1869年の梅村騒動によって刀傷などが残っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/24 10:53
三方石観世音 (福井県若狭町) 若狭三十三観音霊場特別霊場
雲谷山(787m)山麓から山腹に拡がる参道境内は、新緑と紅葉の眩しい 風景に魅了される。 三方石観世音は古来から手足の不自由な人々の信仰が篤く、全快のお礼 と観音功徳に謝して木製の手足などが奉納される信仰のお寺である。 本尊・磨崖仏観音菩薩は、弘法大師空海が岩に観音菩薩を刻んでいたが、 朝になって右手首が未完成のまま下山したことから片手観音と呼ばれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/23 09:47
本土寺 (石川県中能登町) 
日蓮聖人の孫弟子・日像上人が1294年日蓮聖人の遺命により京都における 布教を行う前に聖人法難の聖地佐渡に行った折、能登の石動山の法印に 請われて石動山に登り教化しようとしたが、追われて災難に遭った時に地元の 農夫兄弟に助けられたが、兄弟は石動山衆に敗れ討ち死にしたといわれる。 日像上人は1300年兄弟の菩提を弔うために本土寺を開創している。 本土寺は日蓮宗にとっては日像上人由緒の古刹であり、文化財も多い。 不思議な縁で、石動山の仁王像が本土寺に移されたといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/22 09:31
観音寺 (愛知県豊田市千洗町) 仁王像
豊田市東北の山間部にある観音寺は820年開創と伝えられる古刹であり、 道慈集落の行事の場である。 集落では昔多くの馬が飼われ、境内では馬の競走などが行われたといわれる。 馬に因んで馬頭観音石像が祀られている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/19 09:14
法盛寺 (三重県桑名市) 桑名西御坊
本統寺は真宗大谷派で東御坊と呼ばれ、法盛寺は浄土真宗本願寺派で 西御坊と呼ばれる東西の大寺であり、桑名における布教拠点であった。 法盛寺はもと岡崎矢矧にあったが、1468年桑名に移り江戸時代初期に 現在地に移転している。 (親鸞聖人ゆかりの三河柳堂の跡寺ともいわれる) 末寺200ヶ寺を数える大寺で大伽藍を誇ったが、戦災により焼失し現在の姿 になっている。 本尊の阿弥陀如来像は歯が表現され<歯吹如来>と呼ばれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/17 19:42
密蔵院 (愛知県美浜町) 知多四国霊場第52番
赤門の寺と呼ばれる密蔵院は、承暦年間(1077〜81年)白河天皇の勅願寺と なった大御堂寺の一坊である宝乗坊として開創されたと伝えられている。 1751年頃密蔵院と改称している。 祀られている如意輪観音は<かじとり観音>と呼ばれ、野間の船乗りなどの 信仰が篤いといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/17 09:24
宝勝院 (岐阜県美濃市) 
<うだつの上がる町並み>で観光客の多い美濃市街地の真中にある 宝勝院は通称・金毘羅さんと呼ばれている。 海にはほど遠い地域であるが、金毘羅さんが祀られている。これは、和紙 の生産地(美濃和紙)として長良川の舟運を大いに利用したことから、舟の 安全を祈って金毘羅信仰が深まったといわれている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/16 14:03
安養寺 (福井県福井市) 
福井市は<優れた都市景観を創造し、又は保全することにより、福井を魅力ある 個性豊かな美しいまちにする>を目的にした都市景観条例を制定し、特に重要な 建築物を指定している。 文化財の指定とは異なり、景観上の建築物であり歴史的な価値とは区別している。 安養寺は1473年一乗谷に開創され、1575年現在地に移っている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/15 13:55
長楽寺 (石川県中能登町) 北陸三十三ヶ所観音霊場第21番
中能登町東部の石動山(564m)は古代からの山岳霊場の聖地として 能登・加賀・越中に勢力を占め、天平寺と伊須流岐比古神社の神仏習合で 数千人の衆徒と350近い院坊をかかえる霊場であった。 明治時代の神仏分離により、天平寺は廃寺となっている。 長楽寺はもと安楽寺と称し、石動山の一角を占める別院であったと 伝えられている。 1649年長楽寺として現在地に再興され、石動山からの山門・仏像などを 継承している。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/14 08:57
薬師寺 (岐阜県垂井町) 在原業平ゆかりの寺
平安時代の六歌仙の一人である在原業平は880年美濃権守に任じられ、 美濃国府(現在の垂井町府中)に赴任し、垂井の表佐(おさ)に館を建立 したといわれている。 その年に業平が亡くなると、天皇の勅願により館跡に業平寺が開創された と伝えられている。 1783年永平寺の天海和尚が業平寺を再興して薬師寺となっている。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/09 09:08
西来寺 (三重県津市) 
別格中本山とは宗派の総本山に次いでの寺格で江戸時代における 寺格であるが、現在では寺格制度はない。 しかし、暗黙の格は残っており総本山は宗派を統括している。 西来寺は天台真盛宗の中において大寺であり、宗祖・真盛上人ゆかりの 寺宝を多く蔵し、文化財の宝庫といえよう。 ...続きを見る

トラックバック / コメント

2014/05/08 16:26

トップへ | みんなの「東海北陸のお寺」ブログ

お寺の風景と陶芸 東海北陸のお寺のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる