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zoom RSS テーマ「中国四国九州のお寺」のブログ記事

みんなの「中国四国九州のお寺」ブログ

タイトル 日 時
徳島県のお寺
徳島県のお寺 徳島県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2017/11/20 09:27
見性寺 (徳島県藍住町) 勝瑞城跡
見性寺 (徳島県藍住町) 勝瑞城跡 見性寺が建つ勝瑞城跡は、鎌倉時代に築城された勝瑞城で、室町時代には 阿波守護・細川氏、戦国大名・三好氏の本拠となる城であったといわれている。 1582年勝瑞城は長宗我部元親に攻められ落城している。 見性寺は1249年、現在の美馬市脇町に宝珠寺として翠桂和尚によって 開創されたのが始まりと伝えられている。 この翠桂和尚が藍葉で僧衣を染めたのが、阿波藍染の始まりとも いわれている。 永正年間(1504〜21年)、勝瑞城の西に移り見性寺と改め三好氏の 菩提寺となっている。 1722年... ...続きを見る

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2017/11/20 09:18
鳥取県のお寺
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2017/10/27 16:29
青龍寺 (鳥取県八頭町) 因幡の成田山
青龍寺 (鳥取県八頭町) 因幡の成田山 青龍寺は、710年元明天皇の勅願により、中山山頂付近に行基が開創した 浄光寺が始まりと伝えられている。 鎌倉時代には、源範頼の嫡男・吉見範国が築城したといわれる中山城 とも近く、源範頼の帰依も受け大いに栄えたといわれている。 1581年豊臣秀吉軍が鳥取城を攻めた際、中山城も落城し、浄光寺も 兵火に罹り全焼したといわれている。 その後、現在地に移っている。 明治時代に入り、成田山新勝寺から不動明王を勧請し、成田山青龍寺 として再興され、因幡の成田山と呼ばれている。 ...続きを見る

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2017/10/27 16:22
岡山県のお寺
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2017/10/26 09:35
善福寺 (岡山県津山市)
善福寺 (岡山県津山市) 6世紀、物部・蘇我の権力争いで知られる物部氏の一派とみられる 肩野物部氏は、現在の大阪府交野市を本拠地とした肩野物部氏と 岡山県津山市を本拠地とした肩野物部氏がどうした関係にあるかは 不詳であるが、共に古代の製鉄集団であったといわれている。 津山の肩野物部氏の妻が860年開創したのが善福寺と伝えられている。 ...続きを見る

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2017/10/26 09:29
中国・四国・九州のお寺  総覧
中国・四国・九州のお寺  総覧 中国・四国・九州のお寺を県別に紹介 ...続きを見る

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2017/10/24 10:20
香川県のお寺
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2017/10/24 10:15
蓮成寺 (香川県三木町) イヌマキ
蓮成寺 (香川県三木町) イヌマキ 高松市の東隣に位置し、人口2万7千余の三木町にある蓮成寺の境内には、 推定樹齢800年という樹勢盛んなイヌマキの古木が根を張っている。 樹高は14mほどになり、その枝にはランの一種フウランが自生し、初夏には、 白い花を咲かせるとか。 ...続きを見る

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2017/10/24 10:10
備前国分寺跡 (岡山県赤磐市)
備前国分寺跡 (岡山県赤磐市) 741年国家鎮護のために、聖武天皇の詔により全国66ヶ国に建立された 国分寺(正式名:金光明四天王護国之寺)の内、備前国に建立されたのが 備前国分寺である。 その後、盛衰を経て、16世紀後半には廃寺となったといわれている。 備前国分寺の伽藍配置は東大寺式伽藍配置で、七重塔が建っていた。 現在は整備され、鎌倉時代に建立された七重石塔や礎石が残されいる。 法灯を引き継ぐお寺は円寿院(赤磐市)といわれているが、定かではない。 円寿院の山号は金光山であり、国分寺の正式名からの由来か。 ... ...続きを見る

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2017/10/02 09:47
円通寺 (徳島県北島町) 観音樹
円通寺 (徳島県北島町) 観音樹 徳島市北端に隣接する北島町は人口2万3千人の市である。 その西部に、推定樹齢500年ほどのモッコクが目立つのが円通寺である。 このモッコクは円通寺の開創時に植樹されたと伝えられ、本尊の 十一面観音とともに、人々を見守り続けたことから、観音樹と呼ばれ 集落の誇りとなっている。 北島町の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2017/09/30 15:29
多聞寺 (岡山県矢掛町)
多聞寺 (岡山県矢掛町) 旧山陽道の宿場町として栄えた矢掛宿の中にあって、色鮮やかな 鐘楼が目に飛び込んでくるのが多聞寺である。 この多聞寺は<祀られているお大師さまは眼の病気にご利益がある> と信仰の篤いお寺として知られている。 8月20,21日の弘法大師夏の大祭には多くの参拝者があると。 ...続きを見る

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2017/09/08 20:07
鷲峰寺 (香川県高松市)
鷲峰寺 (香川県高松市) 国分寺町の鷲ノ山山麓に建つ鷲峰寺の山門を潜ると、本堂に向かってなだらかな 勾配の参道が、古色蒼然とした風景を漂わせている。 参道の右手には、四天王立像を安置した収蔵庫が建つ。 この四天王立像は鎌倉時代後期の造像で、奈良興福寺の北円堂・四天王立像 の姿形とほぼ一致するといわれ、奈良仏師の作なのだろうか。 ...続きを見る

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2017/09/07 09:21
西方寺 (岡山県新庄村)
西方寺 (岡山県新庄村) 新庄村は岡山県の西北端に位置し、瀬戸内海に注ぐ旭川の上流・新庄川が 南北に流れ、出雲街道の宿場町として栄えた村である。 宿場町・新庄宿の面影が残り、街道の桜並木は桜名所となっている。 西方寺は新庄宿の近くに建つ<観音のお寺>として信仰を集めている。 観音堂には西国三十三観音が祀られ、西国巡礼が一度に参ることが できる。 ...続きを見る

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2017/08/13 08:28
鬼骨寺 (徳島県鳴門市) 鬼伝説
鬼骨寺 (徳島県鳴門市) 鬼伝説 瀬戸内海に面した鳴門市北灘町折野に、朱の鐘楼門が建つ鬼骨寺には、 法然上人の教化を受けた鬼の伝説があり、鬼の歯や角といわれる遺物 が残されている。  法然上人が1207年建永の法難で讃岐に配流された折、折野に棲み 村人を苦しめていた親と4匹の子鬼が法然上人の教化を受けて、 今まで村人を苦しめてきた贖罪と来世での安寧を願って、海に身を 投じ、これを思った村人が鬼たちの骨を鬼骨寺に埋葬したと。 当時は、鬼骨寺は薬師寺と呼ばれていたが、後に鬼骨寺と改名した といわれている。 ...続きを見る

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2017/08/12 09:05
常福寺 (鳥取県日南町)
常福寺 (鳥取県日南町) 中国山地にあって、冬季は100日間も雪に閉ざされる日南町多里の山麓に 建つのが常福寺である。 常福寺は、1559年亀尾山城主・宮盛佑が開創したと伝えられている。 その後、火災に遭い17世紀後半に再興されている。 山門を潜った正面に建つ経蔵は下半分が海鼠壁で、県内でも最古類の 海鼠壁といわれている。 内部には、黄檗宗萬福寺の鉄眼版一切経が納められている。 ...続きを見る

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2017/07/13 09:11
極楽寺 (香川県さぬき市) 古刹
極楽寺 (香川県さぬき市) 古刹 極楽寺は、729年行基が現在の寒川町石田東極楽寺集落に開創したと 伝えられている。 現在は<極楽寺跡>遺跡として一部残され、瓦や鉄錫杖などが出土し、 四天王寺式伽藍配置であった。 809年火災で焼失したが、821年弘法大師空海が現在の鴨部東山に 再興し、824年七堂伽藍の宝蔵院として整備され、後に談義所(学問所) として格上げされている。 14世紀に入って、兵火により壊滅し、14世紀中頃、現在地の長尾東へ 移ったといわれている。 ...続きを見る

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2017/07/11 09:13
泉勝院 (岡山県浅口市)
泉勝院 (岡山県浅口市) 金光町の山里に、小さな池の向こうの山裾に青屋根の鐘楼門が見えてくる 風景を持つのが泉勝院である。 泉勝院は、承和年間(834〜848年)現在地より北3km弱の遥照山(406m) 西谷に、慈覚大師円仁が唐から帰国して立ち寄った時に開創されたと 伝えられている。 その後、室町時代に幕府管領・細川頼之によって本尊の奉納などの支援を 受けて、大いに栄えたといわれている。 1704年現在地に移されている。 ...続きを見る

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2017/06/17 09:42
長谷寺 (徳島県鳴門市)
長谷寺 (徳島県鳴門市) 鳴門IC近くの山裾に金刀比羅神社と接して建つ長谷寺は、1480年 阿波守護・細川氏の家臣といわれた船戸氏が奈良の長谷寺本尊と 同じ木で彫られたと伝承される十一面観音を請来し祀ったのが 始まりと伝えられている。 1598年蜂須賀氏が阿波の大名として入ると、寺領を与えられ 阿波の<駅路寺>としての役割を与えられ、大いに栄えたといわれる。 1601年隣地に金刀比羅神社が創建されると、長谷寺は別当寺となっている。 駅路寺とは、蜂須賀氏が導入した阿波独特の制度で、阿波の主要街道に 8ヶ寺を... ...続きを見る

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2017/06/16 09:18
専教寺 (岡山県矢掛町) 臥龍松
専教寺 (岡山県矢掛町) 臥龍松 専教寺の臥龍松は推定樹齢が300年といわれ、北へ伸びる枝は15mほど あり、龍が寝そべっている姿から臥龍松と呼ばれている。 一般に、高さが低い幹に比べて、枝が横に伸びている松を臥龍松と呼んで、 各地に見受けられる。 特に、有名な臥龍松は山形県村山市の高谷家と京都市善峯寺の松であろう。 善峯寺では遊龍の松と呼んでいる。 ...続きを見る

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2017/05/28 19:41
玉泉寺 (香川県さぬき市)
玉泉寺 (香川県さぬき市) 四国八十八ヶ所霊場第87番長尾寺の奥の院であり、新四国曼荼羅霊場第9番 でもある玉泉寺の本尊・地蔵菩薩は<日限地蔵>と呼ばれ信仰を集めている。 日限地蔵とは、<日を限って祈願すると願いが叶えられる>といわれ、 全国各地に日限地蔵信仰がある。 この信仰の始まりは、天正年間(1573〜92年)会津若松・西光寺に3体の 地蔵菩薩を日限地蔵として祀ったことから日限地蔵信仰が全国に広まった といわれている。 ...続きを見る

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2017/05/27 09:26
感応寺 (鳥取県米子市) 米子藩主の菩提寺
感応寺 (鳥取県米子市) 米子藩主の菩提寺 感応寺は米子藩主・中村一忠の菩提寺である。 1600年関ヶ原の戦いで、豊臣政権の三中老の一人であった中村一氏が 家康側についたことから、戦い後、一氏の嫡子・中村一忠が17万5千石の 大名として初代米子藩主に就いている。 一忠は家老・横田村詮をして感応寺を開創し、一忠の菩提寺にしている。 1609年一忠は20歳で急死し、中村氏に代わって加藤氏が藩主になったが、 1632年米子藩は廃藩となり、鳥取藩の治下に入った。 米子藩は32年の短命であった。 ...続きを見る

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2017/05/08 09:42
三宝寺 (香川県東かがわ市) 菩提樹
三宝寺 (香川県東かがわ市) 菩提樹 三宝寺の境内は樹木が豊富で、ボダイジュ、チシャノキ、イチョウなどの 古木が目を楽しませてくれる。 ボダイジュは、1834年下野国(栃木県)の人が苗木を境内に植えたとの 記録が残る200年の古木である。 チシャノキは、柿の木に似ていることからカキノキダマシともいわれ、 大宰府神社のチシャノキが代表的な古木である。 イチョウは、落葉して境内一面を黄色く染める風景が地元のスポット となっているらしい。 ...続きを見る

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2017/05/07 09:54
慈眼院 (岡山県瀬戸内市長船) 長船刀匠の菩提寺
慈眼院 (岡山県瀬戸内市長船) 長船刀匠の菩提寺 日本刀の国宝に指定された中でも、備前長船の数は少なくない。 備前長船は鎌倉〜戦国時代に多く作られているが、1590年の吉井川水害 で大打撃を受けている。 そうした備前長船の刀匠を供養し菩提を弔っているのが慈眼院であり、 毎年<刀匠慰霊祭>があるらしい。 ...続きを見る

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2017/04/18 09:10
建治寺 (徳島県徳島市) 四国霊場第13番大日寺の奥の院
建治寺 (徳島県徳島市) 四国霊場第13番大日寺の奥の院 徳島市西端の西龍王山(495m)中腹の崖際に建つ建治寺からは、 徳島市内や眉山などの雄大な眺望を楽しむことができる。 建治寺は四国八十八ヶ所霊場第13番大日寺の奥の院として、それに 相応しい山岳奥の院となっている。 ...続きを見る

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2017/04/17 09:59
島根県のお寺
島根県のお寺 島根県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2017/04/01 09:35
出雲安国寺 (島根県松江市)
出雲安国寺 (島根県松江市) 南北朝時代初期に夢窓国師の薦めに応じて、南北朝動乱で戦死した 人々を弔い国家安寧を祈るために、足利尊氏・直義兄弟が全国66ヶ国に 安国寺を開創している。 出雲安国寺はその一つで、それまで存在した円通寺を1345年再興し 出雲安国寺としたと伝えられている。 江戸時代になって、1634年松江藩主となった京極忠高が父・高次の 供養塔を建立し、京極氏の菩提寺としている。 しかし、忠高が1637年亡くなり、後継がなく一代で松江藩主は松平氏 に代っている。 ...続きを見る

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2017/04/01 09:24
正花寺 (香川県高松市) 菩薩立像
正花寺 (香川県高松市) 菩薩立像 木彫仏像は日本において飛鳥時代から彫られているが、その様式が 後々影響を与えるのは奈良・唐招提寺の木彫仏像群といわれている。 その中にあって、衆宝王菩薩像はその典型的な仏像である。 正花寺の菩薩立像は衆宝王菩薩立像を写して奈良時代後期に 造像されたと考えられている。 菩薩立像はカヤの一木造りで、衆宝王菩薩像に比べて和風が少し 入った惚れ惚れする美しい姿である。 ...続きを見る

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2017/03/31 09:04
長川寺 (岡山県浅口市)
長川寺 (岡山県浅口市) 長川寺の裏山には、1407年備中分郡守護・細川満国が築城した鴨山城が あった。 細川満国は細川本家から分流した細川野洲家の祖といわれ、野洲家は 7代に亘って鴨山城主として備中分郡を統治している。 戦国時代に7代城主・細川通薫は長川寺を菩提寺として整備している。 その長川寺は、源平合戦の端緒となった源頼政の末裔・西山宗久によって 鎌倉時代末期に建立された草庵が始まりで、1412年開創されていると 伝えられている。 ...続きを見る

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2017/03/12 19:53
願興寺 (香川県さぬき市)
願興寺 (香川県さぬき市) さぬき市を流れる鴨部川中流にある願興寺は、現在地より南100mほどの 地に、奈良時代に開創されたと推定されている。 その地からは奈良時代の古瓦が出土しており、大寺であったともいわれている。 史料からは830年創建となっているが、再建された年紀かも。 戦国時代兵火により焼失し、現在地に移転している。 なんと言っても、所蔵されている<脱活乾漆造聖観音坐像>がこのお寺の 寺宝であろう。 ...続きを見る

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2017/03/11 20:12
禅源寺 (岡山県矢掛町) ふくふく地蔵
禅源寺 (岡山県矢掛町) ふくふく地蔵 禅源寺の境内には、かって六道地蔵が祀られ、土造地蔵尊が6万体埋められ 霊場を造ったと伝承されていた。 1983年境内整備の工事に際して、土中から首なし地蔵が掘り起こされた。 <こ地に祀られるならご利益があるだろう>との天の声で祀ったところ 色々なご利益が見られるようになった。 いつしか<ふくふく地蔵>と呼ぶようになり信仰を集めている。 ...続きを見る

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2017/02/23 09:53
童学寺 (徳島県石井町) 四国別格二十霊場第2番
童学寺 (徳島県石井町) 四国別格二十霊場第2番 徳島県石井町南端に位置する山裾に建つ童学寺は、白鳳時代末に 開創されたと伝えられ、弘法大師空海が7〜15歳の間このお寺で 学び、<いろは48文字>を創作したとも伝承されている。 この伝承から<童学寺>と呼ばれたともいわれている。 童学寺から東北300mほどに<石井廃寺跡>があり、この石井廃寺は 地元の豪族によって白鳳時代末期に建立されたと推定されており、 これが童学寺の前身との説もある。 発掘調査によって、石井廃寺は三重塔を備えた伽藍で、阿波では最古類 の寺院と見られている。 ... ...続きを見る

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2017/02/22 09:37
解脱寺 (鳥取県日南町)
解脱寺 (鳥取県日南町) 鳥取県の西南端に位置する日南町は中国山地の山村で、過疎化が進む 市町村で、4900人の人口である。 その町の北部に位置する阿毘縁(あびれ)地区にあって、名刹と謳われる のが解脱寺である。 参道の途中に馬場があり、モミなどの大木が並木を成している。 推定樹齢200年のモミの木を始めとして5本のモミ、アスナロ5本、 杉3本が並ぶ様は地域のシンボルともなっている。 ...続きを見る

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2017/02/05 09:52
宝光寺 (香川県東かがわ市) 石庭
宝光寺 (香川県東かがわ市) 石庭 県道40号を四国山脈に向って入った山あいの東山集落の外れに建つ 宝光寺は曹洞宗の禅寺であるが、<子授かり、安産、子育て>の信仰 が篤いお寺である。 本堂裏手の石庭は1999年発掘調査され、江戸時代後期の石庭と 判明し整備されている。 石が300ほど山に沿って組み立てられ、枯山水の石庭である。 ...続きを見る

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2017/02/04 11:12
妙興寺 (岡山県瀬戸内市長船町福岡) 黒田官兵衛の祖父の菩提寺
妙興寺 (岡山県瀬戸内市長船町福岡) 黒田官兵衛の祖父の菩提寺 黒田官兵衛の曾祖父・高政は現在の長浜市木之本町黒田の出身といわれ、 1511年現在の瀬戸内市長船町福岡に移住し、15年を過ごしている。 1522年高政はこの地で亡くなり、妙興寺に葬られている。 高政の子・重隆は1525年播磨へ移り、姫路の領主となっている。 重隆は官兵衛の祖父にあたる。1564年亡くなり、分骨が妙興寺に 納められたといわれている。 官兵衛の嫡男・長政が福岡藩初代藩主となるが、この福岡は長船町福岡 の地名に由来するといわれている。 ...続きを見る

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2017/01/20 09:26
弘憲寺 (香川県高松市) 高松藩初代藩主・生駒親正の菩提寺
弘憲寺 (香川県高松市) 高松藩初代藩主・生駒親正の菩提寺 豊臣秀吉が四国を平定した後、1587年生駒親正は讃岐一国の戦国大名 となり、1590年には高松城を築城している。 この時に城下町を高松と呼んだといわれている。また、今日の高松の 基礎を築いている。 1600年徳川政権となり、高松藩の初代藩主となり、1603年高松城で 亡くなっている。 嫡男・2代藩主の生駒一正は親正の菩提を弔うために、現在の丸亀市に あった法勲寺を移して、親正の法号から弘憲寺として開創している。 その際、法勲寺の寺宝も移している。 ...続きを見る

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2017/01/19 09:35
円珠院 (岡山県浅口市)
円珠院 (岡山県浅口市) 慈覚大師円仁が847年中国唐から帰国し、この地に立ち寄り、竜王山から 湧く泉水を修法の閼伽水として使ったとの伝承から、後に円仁を開基 として閼伽井坊を開創したのが円珠院の始まりと伝えられている。 円仁は比叡山延暦寺の開祖・最澄の高弟で、第3代天台座主である。 838〜847年の間、遣唐使の一員として中国唐に渡り、唐の方々を 巡り<入唐求法巡礼行記>を著している。 円仁開創と伝わるお寺は全国にあるが、東北・関東に多い。 浅口市にも数ヶ寺ある。 ...続きを見る

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2017/01/02 15:24
愛染院 (徳島県板野町) 四国八十八ヶ所霊場第3番金泉寺の奥の院
愛染院 (徳島県板野町) 四国八十八ヶ所霊場第3番金泉寺の奥の院 四国霊場金泉寺から西へ3kmほどの山裾に建つ愛染院は金泉寺の 奥の院である。 <金泉寺>参照 愛染院は、816年弘法大師空海が不動明王を刻み祀ったことに 始まると伝えられている。 戦国時代、板西城主・赤沢宗伝が長宗我部元親の攻撃を受け、 草履の紐が切れ討死し、愛染院に廟が建てられた。 このことから草履に縁があるお寺でもある。 ...続きを見る

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2017/01/01 10:18
長寿寺 (鳥取県南部町) 樹叢
長寿寺 (鳥取県南部町) 樹叢 鳥取県西部、米子市の南に位置する南部町は人口1万1千の小さな市町村 であるが、日本最大級のフラワーパーク<とっとり花回廊>の存在が町を 知らしめている。 その落合集落に、照葉樹林群を背に建つのが長寿寺である。 長寿寺と落合神社に挟まれた小山の末端にスダジイ樹叢が連なり、 青年期から壮年期の樹盛を保持している。 鳥取県の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2016/12/13 09:10
與田寺 (香川県東かがわ市) 四国八十八ヶ所霊場総奥の院
與田寺 (香川県東かがわ市) 四国八十八ヶ所霊場総奥の院 739年行基によって開創されたと伝える薬王寺が始まりといわれる 與田寺は四国八十八ヶ所霊場総奥の院とも呼ばれている。 何故総奥の院なのか。諸説あり。 13世紀後半頃、増吽上人によって中興され、千を超す末寺を有した 讃岐第一の大寺院となった歴史を持ち、四国霊場第88番大窪寺を 終えた遍路さんが三本松の湊から出る前に、大寺の與田寺に参拝 することが多いことから総奥の院と呼んでいるのではと。 ...続きを見る

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2016/12/12 09:20
大通寺 (岡山県矢掛町) 庭園
大通寺 (岡山県矢掛町) 庭園 旧山陽道の宿場矢掛の中心部から北西2km、高峰山麓の谷間に穏やかな 姿で建つのが大通寺である。 大通寺の庭園は、高峰山を借景にした池泉鑑賞式庭園で、石組を多く使い、 全体的に絵画的意匠を展開している。 1793〜1813年に亘って、地元の庭師・中西源兵衛が作庭している。 岡山県の名勝庭園に指定されている。 ...続きを見る

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2016/11/24 13:48
香西寺 (香川県高松市) 四国別格二十霊場第19番
香西寺 (香川県高松市) 四国別格二十霊場第19番 香西寺は、739年勝賀山北麓に行基によって勝賀寺として開創されたのが 始まりと伝えられ、817年弘法大師空海によって現在地に移されていると 言われている。 その後廃れたが、1221〜1235年間に地元の有力武士・香西資村に よって香西寺として再興され、以後香西氏の庇護を受けている。 その後、寺名や場所も変わったが、1669年現在地に落ち着き、香西寺 として定着している。 ...続きを見る

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2016/11/24 09:20
妙興寺 (鳥取県米子市)
妙興寺 (鳥取県米子市) 妙興寺は1564年の開創で、寺町では最古のお寺である。 お寺は米子藩主・中村一忠の家老・横田内膳村詮の菩提寺である。 中村一忠は1600年若干12歳で17万5千石の米子藩主となり、横田は 少年大名を補佐し、米子城築城や城下町の整備を図った。 しかし、1603年側臣のざん言を受けた主君によって暗殺されてしまう。 その後、家康の信任厚かった横田暗殺に対して首謀者は処刑される。 中村一忠は1609年に亡くなり、中村氏は断絶している。 ...続きを見る

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2016/11/07 09:21
潮明寺 (徳島県鳴門市土佐泊浦) 紀貫之歌碑
潮明寺 (徳島県鳴門市土佐泊浦) 紀貫之歌碑 古今和歌集の主要な選者である紀貫之が、930〜934年に土佐の国司 として赴任し、土佐から京への帰途に土佐泊に立ち寄り歌を残している。 <年ごろをすみし所の名にしおへば来るよ浪をもあはれとぞ見る> この歌碑が潮明寺に建てられている。 土佐泊は京と土佐を結ぶ海上交通の要所であった。 また、潮明寺の裏山にあった土佐泊城は、阿波水軍を率いた森氏が 築城している。その森氏の菩提寺が潮明寺である。 ...続きを見る

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2016/11/04 09:47
法泉寺 (岡山県和気町) 疑似洋風の本堂
法泉寺 (岡山県和気町) 疑似洋風の本堂 明治時代になって、日蓮宗不受不施派(日蓮宗を信仰しない者から施しを 受けず、施しをしない)は認められ、キリスト教の影響を受け、 1878年第10番教会所として、法泉寺本堂は建立された。 随所に洋風の造作が見られる疑似洋風建築で、異色の本堂である。 法泉寺は康永年間(1342〜45年)に開創され、1619年再興されている。 ...続きを見る

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2016/10/16 09:31
西教寺 (香川県さぬき市) 奥の院磨崖仏
西教寺 (香川県さぬき市) 奥の院磨崖仏 さぬき市津田海岸を見下ろす火山(260m)裏中腹に西教寺奥の院 がある。 大川町富田東から急坂を登ること30分、小さな奥の院堂が建ち、 その背後の岩に弘法大師空海が一夜で彫ったと伝承される磨崖仏が 少し剥げ落ちた姿で建っている。 その場から見下ろす富田東の風景が、磨崖仏が見続けた風景と 重なり感慨ひとしおのものがある。 ...続きを見る

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2016/10/15 09:16
泉龍寺 (鳥取県日野町) 因藩二十士
泉龍寺 (鳥取県日野町) 因藩二十士 江戸時代末期における各藩内部には、尊皇攘夷派と親幕派の対立があり、 鳥取藩においてもしかりであった。 鳥取藩主・池田慶徳は穏やかな尊皇攘夷派であったが、急進的な志士・ 河田など22名が京都において、藩主側近の4名を斬ってしまう事件が生じ、 河田など20名(後に因藩二十士と呼ばれた)が日野黒坂の泉龍寺に 幽閉され、8ヶ月後鳥取へ戻っている。 この8ヶ月において、志士達は黒坂の人々に武術や学問を教えたりして 人々からも慕われたといわれている。 彼らの遺品などがお寺に残されている。 ... ...続きを見る

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2016/09/28 09:04
東海寺 (香川県東かがわ市馬宿) 源義経ゆかりの寺
東海寺 (香川県東かがわ市馬宿) 源義経ゆかりの寺 源平合戦において、1185年3月に行われた<屋島の戦い>に向けて、 源義経軍は5艘150騎で摂津渡辺津(大阪市)を暴風雨の中強行出航し、 短時間で阿波勝浦(徳島市南部〜小松島市)に到着している。 そこから北上し、平家の味方をしていた豪族桜庭良遠を倒し、大坂峠 (東かながわ市と鳴門市との境)を越えて、馬宿に入り、大寺であった 東海寺で休息(一泊したとも)し、屋島に向ったと伝えられている。 東海寺にはその伝承に因む義経ゆかりの<鞍掛けの松>などが 伝えられている。 ...続きを見る

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2016/09/27 19:42
観音寺 (徳島県徳島市勢見町) 本堂と庭園
観音寺 (徳島県徳島市勢見町) 本堂と庭園 徳島市のシンボル・眉山の東麓に建つ観音寺は、1616年徳島藩祖・蜂須賀家政 が現在の徳島市北山町(現東海寺)から移転し開創したと伝えられている。 江戸時代は大いに栄えたといわれる大寺であった。 本堂は1745年の再建であるが、桃山時代の権現造りを残している。 書院庭園は移転した頃の作庭といわれ、眉山山麓を活かした池泉鑑賞式庭園 である。残念ながら庭園拝観できず。 本堂・庭園は市指定文化財である。 ...続きを見る

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2016/09/12 09:06
東林院 (徳島県鳴門市) 四国霊場第1番札所奥の院
東林院 (徳島県鳴門市) 四国霊場第1番札所奥の院 四国霊場(四国八十八ヶ所霊場)には、特別の仏像や祖師・開山などを祀る 場所・堂宇を奥の院として、巡礼の中に加えることを薦めている。 四国霊場札所境内、境外や遥か離れた山上に存在することがある。 東林院は四国霊場第1番霊山寺の奥の院で、種蒔大師と呼ばれる弘法大師 の像を祀る大師堂がある。 霊山寺とは少し離れた場所にあり、明治時代の神仏分離により、それまでの 奥の院であった大麻比古神社に代って、東林院が奥の院として参拝されるようだ。 ...続きを見る

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2016/09/09 09:29
城安寺 (島根県安来市) 広瀬藩主の菩提寺
1638年松平直政が松江藩主に就くと、1666年直政の次男・近栄を 3万石をもって松江藩の支藩として安来広瀬に広瀬藩を開いている。 以後、広瀬藩主は広瀬松平氏として明治時代まで存続している。 この広瀬松平氏の菩提寺が城安寺である。 城安寺は正和年間(1312〜17年)に開創されたと伝えられ、移転を 経て1887年現在地に落ち着いている。 戦国大名・尼子氏の月山富田城の北麓に位置し、偉容を誇る山門を 構えた大寺である。 少し離れた小丘に広瀬松平氏の墓がある。 ...続きを見る

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2016/08/23 09:08
大賀島寺 (岡山県瀬戸内市) 大雄山上
戦国大名で、備前備中を治め岡山の城下町の基盤を造りあげた宇喜多直家 や宇喜多秀家の宇喜多氏の発祥が備前邑久といわれている。 直家の祖父・宇喜多能家は砥石城主(邑久)として活動し、砥石山から すぐ近くの大雄山の山上にある大賀島寺を支援し、自らの菩提寺としている。 しかし、1534年宇喜多能家は攻められ、砥石城で自害している。 孫の直家は逃げ延び、後年見事に花を開いている。 ...続きを見る

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2016/08/06 09:10
長楽寺 (鳥取県日野町)
鳥取県南西部に位置し、岡山県と接する日野町は人口減少が 続く山間の町であるが、自然が色濃く残っている。 その自然の中に、文化財の仏像が多く残る古刹が長楽寺である。 長楽寺の開創は不詳であるが、平安時代には鵜の池(現在地の西) 畔に12坊を有する大寺であったといわれている。 平安時代末期の源平の戦いのきっかけとなった<以仁王の挙兵>で 以仁王を支えたが、平清盛によって日野に流された長谷部信連が 長楽寺を再興している。 慶長年間(1596〜1615年)に現在地に再建されている。 ... ...続きを見る

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2016/07/18 09:15
清水寺 (岡山県真庭市久見)
高速米子道を湯原ICで出ると、旭川と米子道に囲まれた地域が久見集落 であり、美作三湯(湯郷温泉、奥津温泉、湯原温泉)の湯原温泉への 入口である。 人口は120余りの小集落であるが、交通の要点となっている。 その集落の山手に建ち、集落の中核寺が清水寺である。 江戸時代中期に起こった<山中一揆>で犠牲になった義民を供養する 供養塔や碑がこの地域のあちこちに建てられているが、清水寺にも 供養碑が建てられている。 ...続きを見る

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2016/07/01 08:33
心光寺 (鳥取県米子市)
中村一忠が1600年米子藩主となって、米子に寺町が形成された。 現在9ヶ寺が寺町通に沿って建っている。 心光寺も1602年藩主の意向により、尾高村(現米子市尾高)の源光寺を 移して心光寺を開創している。 庭園は天保年間(1830〜44年)に造庭され現在に引き継がれており、県の名勝に 指定されている。 残念ながら庭園を鑑賞できず、説明板の写真を掲載する。 ...続きを見る

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2016/06/12 09:48
宇南寺 (岡山県真庭市美甘)
出雲街道(現国道181号)の美甘宿は古刹・宇南寺を中心に開け、 江戸時代に入って津山藩が宿場を整備している。 宇南寺は、奈良時代前半に雲南寺として開創されたと伝えられ、 鎌倉時代には幕府から寺領を与えられている。 1332年後醍醐天皇が隠岐へ配流の際に、宇南寺に宿をとったと 伝えられている。 ...続きを見る

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2016/05/25 09:09
観照院 (鳥取県岩美町)
山陰海岸ジオパークの一つ浦富海岸に近い岩美町岩本の小高い山に建つ 観照院の始まりは、810年浦富海岸の沖から光が差しているのを見た村人 が船を出してみると、観音さんから光が出ており、その観音を引き上げ、 網代の浜に庵を建てて祀ったのがはじまりだと伝承されている。 観照院は因幡観音霊場第6番の札所である。 ...続きを見る

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2016/05/08 09:10
本成寺 (岡山県和気町)
本成寺の前身は1574年に和気の倉氏が創建した草庵が始まりと いわれている。 1596年戦国大名・浦上宗景の家臣・秋山氏が現在地に堂宇を再興し、 日然上人を堺から迎えて開基とし、1601年顕本法華宗として開山している。 本堂は1601年の建立で文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2016/04/19 09:39
長法寺 (岡山県備前市)
備前焼の始まりは、鎌倉時代初期に熊山の麓で生活用器が焼かれ、熊山遺跡 として残されている。 鎌倉〜室町時代になって、備前焼の特色が現れている。 備前焼の中心地となった伊部(いんべ)は長法寺古文書の1324年文書で 初めて現れている。 桃山茶陶の時代には、確固たる地位を築いている。 長法寺は伊部の里にあって古刹であり、大茶会が催されている。 ...続きを見る

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2016/04/01 10:29
東寿院 (岡山県瀬戸内市牛窓町) 弘法寺塔頭
東寿院は662年開創と伝えられる弘法寺の塔頭で東門坊である。 東寿院の本尊・阿弥陀如来立像は大仏師・快慶の作で重要文化財に 指定されている。 足裏のほぞに<巧匠 法眼快慶 建暦元年三月二八日>と墨書があり、 1211年の作と記されている。 一度火災に遭った形跡があり、頭部は面相部を除いて桃山時代の 補作になっている。 胎内納入文書から、1210年僧覚勝が快慶に依頼した経緯などが 判明している。 年代が判明する貴重な仏像である。 ...続きを見る

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2016/03/14 09:15
本久寺 (岡山県和気町)
吉井川の西岸にある大王山(435m)山頂近くに密厳寺跡が残り、 町の史跡になっているが、この密厳寺は真言宗であった。 1581年当地の領主・宇喜多土佐守(忠家?)が日蓮宗への改宗を迫ったが、 受け入れられず密厳寺を破却し、和気町佐伯の小高い丘陵地に 本久寺を開いたといわれている。 この時、密厳寺の堂宇の一部を移して建てた本堂が現在の本堂といわれている。 境内に安置されている五重石塔や九重石塔も後年に密厳寺跡から 移している。 本久寺も江戸時代には岡山藩の迫害に遭っている。 ...続きを見る

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2016/02/21 13:09
西念寺 (岡山県備前市日生町) 陣屋門
日生の山麓に建つ西念寺の山門は、和気町佐伯にあった土倉氏の陣屋門を 1874年移築したもので、寛文年間(1661〜73年)に建立されたものと いわれている。 土倉氏は岡山藩主池田氏の家老で、1630年代に備前佐伯を知行地として 佐伯陣屋を構え明治維新まで続いている。 明治時代になって陣屋が取り壊される際に、陣屋門を移築したものである。 ...続きを見る

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2016/02/08 09:23
宝光寺 (岡山県瀬戸内市牛窓町)
牛窓の海から山手に入った小高い位置に建つ宝光寺からは、牛窓の海が 遠望できる。 宝光寺は7世紀中頃に法道仙人によって開創されたと伝えられ、1391年 澄円律師によって再興されたといわれている。 古刹に相応しい文化財が数多く残っている。 本堂裏手の祠に安置された石造地蔵菩薩は石灰岩から彫り出された 中世の作といわれる。 ...続きを見る

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2016/01/23 10:23
遍明院 (岡山県瀬戸内市) 弘法寺本坊
備前の名刹・弘法寺は1967年の火災でほとんどの伽藍を失い、 本坊の遍明院が中心となって弘法寺の役割を担っている。 また、弘法寺の寺宝なども管理している。 日本三大練供養といわれる弘法寺練供養も1967年以後中断していたが、 1997年に復活し遍明院と塔頭・東寿院で行われている。 また、12月には遍明院で大根まつり(大根炊き)が執り行われ無病息災祈願 が行われている。 ...続きを見る

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2016/01/06 09:17
弘法寺 (岡山県瀬戸内市)
県道28号を岡山から牛窓方向へ走ると、左手に朱色の楼門が見えてくる。 これが弘法寺の山門である。山門だけがポツンと建っている。 近くに寄って見ると、参道らしき道が残っており、県道を越えて山手に 通じている。 境内は、1967年の火災で本堂など主要な伽藍が焼失し、その後 再建されず常行堂などが残るのみの野原となっている。 塔頭の遍明院と東寿院が法灯を継いで、寺宝を管理している。 ...続きを見る

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2015/12/18 09:52
西願寺 (岡山県備前市日生町)
瀬戸内海に面する日生(ひなせ)町寒江集落の山手に建つ西願寺は、 1503年祐西が草庵を建立したのが始まりと伝えられ、姫路・亀山本徳寺の 道場となり、1682年に西願寺となった。 1735年現在地に移っている。 その時に植樹されたといわれる菩提樹とイチョウが280年後も樹勢を 保っている。 現在は剪定され、大木とはいえないがお寺のシンボルとなっている。 ...続きを見る

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2015/11/30 09:32
金剛頂寺真光院 (岡山県瀬戸内市)
瀬戸内のエーゲ海と呼ばれる牛窓の阿弥陀ヶ峰に建つ真光院からの眺望は、 まさしくエーゲ海を想わせる風景である。 真光院は地元では西寺(にしでら)とも呼ばれ、観音院の東寺と、牛窓東西の お寺となっている。 金剛頂寺は、報恩大師が開創した備前四十八ヶ寺の一つとして天平勝宝年間 (749〜757年)に開創されたと伝えられる大寺であったが、1666年岡山藩 の寺社整理によって廃寺とされたといわれる。 1696年高野山の金剛頂院の末寺として、残っていた本坊を真光院として <金剛頂寺真光院>の... ...続きを見る

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2015/11/12 20:54
安養寺 (岡山県和気町) 和気の名刹
金剛川北岸にある安養寺は、天平勝宝年間(749〜757年)に報恩大師に よって開創されたと伝えられ、大師開創の備前48ヶ寺の一つといわれている。 報恩大師は備前出身で、吉野山で修行し、752年孝謙天皇の病気平癒の 祈祷をし、報恩の名を与えられ、備前に48ヶ寺建立の勅許を得たと いわれている。 ...続きを見る

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2015/10/22 15:31
観音寺 (岡山県美作市)
美作市の名所・琴弾の滝に近い黒見山(441m)の麓に、もみじの木々に 覆われた観音寺がある。 <もみじ寺>と呼ばれ、紅葉名所として人気があるらしい。 緑のもみじ風景を見たが、紅葉風景が大いに想像できる。 紅葉時期に、<琴弾の滝>、<もみじ寺>と観光を楽しむによし。 ...続きを見る

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2015/10/07 08:57
宝土寺 (広島県尾道市)
境内西側にある吉備津彦神社(一宮神社)の神宮寺だった宝土寺が 神社を含めた境内となり、神仏習合のお寺であった。 宝土寺は貞和年間(1345〜49年)に開創されたと伝えられる。 吉備津彦神社の<ベッチャー祭り>は秋の尾道の風物詩といわれ、 1807年病魔退散の祈祷とともに神輿行列が行われたのが始まりと いわれている。 ...続きを見る

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2015/10/05 09:47
広島県のお寺
広島県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2015/09/18 10:15
海福寺 (広島県尾道市) 三ツ首様
尾道はかって海賊の拠点であり、海運の拠点として商業も大いに栄えたことから、 多種の宗派寺院が多くある。 中でも、時宗のお寺が6ヶ寺もある珍しい地である。 海福寺は1328年に開創されたと伝えられている。 本堂の西側にある<三ツ首様>は処刑された盗賊の首を祀ったもので、 次のような伝承がある。  1828年頃、尾道に3人の盗賊がいたが、一風変わっていて、常に貧しい 人に施しをしていた。 3人が捕えられ処刑された夜、この寺の住職の夢枕に3人の霊が現れ、 <我々3人の首を埋葬供養した... ...続きを見る

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2015/09/18 09:43
松本寺 (岡山県備前市)
松本寺の南2kmに建つ<閑谷(しずたに)学校>は、備前岡山藩主・池田光政 によって開かれた日本最古の庶民学校で、1673年に開校している。 現在、特別史跡に、講堂は国宝に指定され、2015年日本遺産に 指定されている。 近くに日本遺産を持つ松本寺も奈良時代に開創されたと伝わる古刹で、 幾度かの盛衰を経て、元禄年間(1688〜1704年)に伽藍が整備され、 現在の原形が始まっている。 ...続きを見る

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2015/09/17 09:16
薬王寺 (岡山県真庭市)
薬王寺とその南に建つ久世中学校周辺に、古代寺院(白鳳期)があったと 推定されている。地名から五反廃寺と呼ばれている。 この古代寺院は朝鮮半島の軒丸瓦文様を持ち、朝鮮との交流があったと 考えられている。 薬王寺の開創は不詳であるが、史料によると1172年には存在した 考えられる。 1327年の火災で衰退したが、17世紀初期に再興されている。 ...続きを見る

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2015/09/02 09:20
星友寺 (岡山県岡山市北区)
秀吉の水攻めで知られる備中高松城の三の丸跡に建つ星友寺は、 戦国大名・宇喜多氏の家臣で、後に徳川幕府旗本となった花房正成 (1582年の備中高松城落城後に高松城主)の意向を受けて、 その嫡子・花房幸次が他所から移して、宇喜多直家の菩提を弔うために 直家の戒名から星友寺として開創されたといわれている。 花房氏は宇喜多直家・秀家をいつまでも支えた家臣であった。 ...続きを見る

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2015/08/17 09:10
龍泉寺 (岡山県岡山市北区)
日本三大稲荷の一つといわれる最上稲荷の北・1kmほどの山中を 開拓して建つ龍泉寺は、最上稲荷と同じく、天平勝宝年間(749〜757年)に 報恩大師によって開創されたといわれ、最上位経王菩薩(稲荷)を祀る 神仏習合のお寺である。 最上稲荷と同じ日蓮宗であるが、龍泉寺は明治時代初期に現在の伽藍 が再興され、それ以降信仰が深まったといわれる。 周囲には、龍王池などがあり、散策のコースともなっている。 ...続きを見る

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2015/08/02 09:31
妙教寺 (岡山県岡山市北区) 最上稲荷
日本三大稲荷(伏見稲荷、豊川稲荷、最上稲荷)<諸説あり>といわれる 最上稲荷は豊川稲荷と同じく、神仏習合の形態を今も引き継いでいるお寺 で、本殿(霊光殿)には<最上位経王大菩薩(稲荷明神)>が祀られ、 祈祷本尊となり、根本大堂には<久遠実成本師釈迦牟尼仏(釈迦如来)> が祀られ、お寺としての本尊となっている。 三大稲荷といわれるだけに、参拝者も数百万人/年といわれている。 伽藍も整備され、参拝者の便もよくなっている。 ...続きを見る

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2015/07/16 10:13
化生寺 (岡山県真庭市) 殺生石
古狐の伝説が化生寺の開創に関わっていると伝承されている。 中国で9千年を永らえた白面金毛九尾の古狐が、735年吉備真備が唐から 帰国する船で日本に入り込み、約400年身を隠した。 そして、鳥羽法皇寵愛の<玉藻の前>となりすまし、時の帝近衛天皇が 病に臥されたので、美福門院が祈祷師に病回復の祈祷を命じると、 古狐は正体をあらわし、那須野原(現在の栃木県)へと飛び去ったが、 そこで矢に射られて巨大な石になったが、地元の人々を苦しめていた。 1385年玄翁和尚が差し向けられ、法力をもって... ...続きを見る

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2015/07/02 15:53
大雄寺 (島根県松江市) 小泉八雲ゆかりの寺
松江城が5番目の城で国宝に指定される運びとなり、観光都市として 益々賑やかになることだろう。 その観光ルートの一つに、小泉八雲ゆかりの地を巡るルートがある。 その中の一つ・大雄寺は、八雲怪談<飴を買う女>の舞台になった お寺である。 <子育て幽霊>の民話は各地にあるが、八雲の子育て幽霊<飴を買う女> の結びとして<母の愛は死よりも強い>と。 ...続きを見る

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2015/06/19 13:23
持宝院 (岡山県岡山市北区) 秀吉の本陣跡
1582年4月、羽柴秀吉は備中高松城を攻めるために、高松城の 北方にある龍王山に本陣を構え、5月には石井山中腹にある持宝院 に本陣を移し、高松城の水攻めに箸手している。 本能寺の変後、6月に入って毛利方と和睦をかわし、中国大返しで 明智光秀を討っている。 持宝院はその後、山麓に再興されている。 ...続きを見る

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2015/06/02 08:38
勝入寺 (鳥取県倉吉市)
織田信長の重臣・池田恒興は本能寺の変後、豊臣秀吉に仕え、大いに 活躍したが、1584年小牧・長久手の戦いで戦死している。 その子・輝政は関ヶ原の戦いで家康について功績をあげ、1600年 姫路初代藩主となっている。 姫路に入ると、家老・伊木忠次は姫路に池田恒興の菩提を弔うために、 恒興の法号・勝入を号して勝入寺を開創している。 輝政の孫・光政(3代姫路藩主)が1617年鳥取藩主となると、伊木忠次 の孫・忠貞も鳥取藩の倉吉へ赴任している。 その時、勝入寺も倉吉へ移している。 ...続きを見る

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2015/05/17 20:58
成就寺 (岡山県岡山市北区)
岡山市の北部・建部町山麓に建つ成就寺は、報恩大師が建立したと伝わる 備前48ヶ寺の一つである。 報恩大師は備中・備前山中で修行し霊験を積み、朝廷に召され、 孝謙天皇の病を癒したことから、備前に48ヶ寺建立の勅許を得て、 最初に金山寺(岡山市北区)を建立し、最後に成就寺を建立したと伝えられ、 山上に大伽藍を構える大寺であったといわれる。 1358年天台宗から日蓮宗に改宗している。 ...続きを見る

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2015/05/03 09:36
本経寺 (岡山県美咲町)
美咲町は岡山県中部北端に位置し、津山市の南部にある山林の町である。 2008年<卵かけごはん>で一躍有名になり、町おこしに貢献している。 本経寺は美咲町東部にある法華宗のお寺であるが、開創については 不詳である。 1496年法華宗のお寺として再興され、1618年現在の本堂が再建されている。 桃山時代の様式を残した、この地方では貴重な仏堂である。 山里のお寺の典型といえる。 ...続きを見る

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2015/04/20 13:42
瀬戸観音寺 (鳥取県北栄町)
倉吉市の北に位置し、日本海に面する北栄町は<名探偵コナン>の 著者・青山剛昌のふるさとである。 北栄町中央部の瀬戸に建つ瀬戸観音寺は、1713年瀬戸地区の庄屋などが 東高尾観音寺から千手観音を勧請し、松月庵を建立したのが始まりである。 1952年に観音寺としている。 ...続きを見る

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2015/04/06 09:26
守福寺 (岡山県岡山市北区下足守) <重文>石造宝殿
龍王山(265m)南麓の木々に覆われた荒地に、壊れかけた堂宇と石鳥居と 石造宝殿が無造作に据え置かれている。 石造宝殿は1338年の銘があり、南北朝時代の建造である。 かっては、龍王山中腹にあった王子権現堂にあったが、一度盗難に遭い、 その後守福寺住職が買い戻して現在地に安置されたといわれている。 この時代の石造宝殿は珍しく、重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2015/03/23 09:00
地蔵院 (岡山県津山市)
江戸時代に多くの大名が家康を祀る東照宮を藩内に建立しているが、 津山藩においても1682年に地蔵院の境内に建立し家康を祀っている。 その東照宮を1963年本堂に転用し保存されている。 地蔵院は670年頃開創されたと伝えられ、江戸時代に入り津山藩主 が再興されている。 津山藩最後の藩主の廟所(愛山廟)も設けられ菩提寺となっている。 ...続きを見る

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2015/03/08 16:20
南苑寺 (鳥取県三朝町)
世界有数のラドン含有量を誇り、免疫力や自然治癒力を高める効果があり、 古来療養目的の湯治地として知られている三朝温泉は1163年に発見 されたと伝えられている。 この温泉地の山腹に建つ南苑寺は、臨済宗相国寺派の管長でもあった 村松独山禅師が三朝温泉で神経痛の治癒に訪れ、快癒したことから 1925年に開創した新しいお寺である。 開創年代を感じさせない落ち着きを漂わせる。 ...続きを見る

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2015/02/22 13:36
美作国分寺 (岡山県津山市)
741年聖武天皇は国家鎮護安寧のために、66ヶ国68ヶ所に国分寺・国分尼寺 を創建すべく詔を発し、逐次創建された。 美作国分寺の開創は不詳であるが、741年近くに創建されたと推定されている。 1172年に兵火により焼失したといわれ、1623年津山藩主によって再興される。 現在の国分寺は旧国分寺跡地内に1828年再建されている。 旧国分寺跡地は保存され、徐々に整備されつつある。 ...続きを見る

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2015/02/08 16:30
妙円寺 (岡山県真庭市勝山)
妙円寺は1360年高田城(勝山城)主・三浦貞宗の支援を受けて開創 されたと伝えられている。 1340年地頭に任じられた三浦貞宗は高田城(後の勝山城)を築城している。 その後様々な変遷を経て、1764年同族の三浦明次が勝山藩主となり、 勝山城として修築され、交通の要衝として城下町が整備されている。 現在の勝山にはその時の町並みが残っている。 ...続きを見る

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2015/01/24 09:49
本光寺 (岡山県津山市) 津山藩主の香華所
津山藩第2代藩主・森長継は1634年藩主につき、津山の礎を築き、 城下町の整備や藩体制の確立に尽力し、1674年隠居している。 1661年黄檗宗の僧・鉄堂が薬師如来を祀る神徳寺に草庵を結んで いるのを知り、森長継は1673年その堂宇を整備し、森家の香華所 として本光寺を開創している。 長継には多くの側室がいたが、その内の2人の側室の墓がある。 ...続きを見る

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2015/01/09 09:30
広徳寺 (鳥取県鳥取市)
1607年姫路藩主・池田輝政は父・池田恒興、兄・池田元助の菩提を弔うために、 姫路山野井に龍峰寺を開創しているが、このお寺が広徳寺の始まりである。 輝政の三男・忠雄が岡山藩主となり、忠雄の嫡男が鳥取藩初代藩主となると 広徳寺も鳥取へ1649年に移転している。 なお、鳥取藩主・池田家の菩提寺は興禅寺で、広徳寺は池田家分家の 菩提寺である。 ...続きを見る

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2014/12/27 09:54
長興寺 (岡山県美作市) 湯郷温泉の守り寺
湯郷温泉は美作三湯(奥津温泉、湯原温泉、湯郷温泉)の中でもアクセスが よく、最近では女子プロサッカーの<湯郷Belle>本拠地として有名に なっている。 平安時代初期、比叡山の慈覚大師円仁が西国巡錫の折に、この地で鷺が お湯で傷を癒しているのを見て温泉を発見したと伝承されている。 円仁が薬師如来を塩垂山麓に祀ったのが長興寺の始まりと伝えられ、 薬師堂が建てられたという。 隣には湯神社がある。 かっては神仏習合のお寺であろう。 ...続きを見る

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2014/12/12 09:33
大光寺 (岡山県岡山市北区足守)
岡山市北区足守は足守川中流に位置し、1601年木下家定(北政所の兄)が 2万5千石で足守藩を立てている。 一時浅野氏が藩主になるが木下家が260年ほど藩主を務めている。 木下家の菩提寺が大光寺である。 1600年代中頃、3代藩主木下利当が菩提寺として大光寺を開創している。 ...続きを見る

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2014/11/30 16:16
勇山寺 (岡山県真庭市)
勇山寺は726年に国府大寺として開創されたと伝えられる古刹であり、 平安時代には公卿九条家の祈願所にもなったといわれる名刹でもある。 鎌倉時代初期には源頼朝の命により、当時美作守護職であった頼朝の 家臣・梶原景時によって再建されたと伝えられている。 江戸時代に勇山寺となっている。 当寺には4躯の重要文化財仏像が所蔵され、古刹の伝統を護持している。 ...続きを見る

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2014/11/09 14:06
東光寺 (岡山県勝央町) 油地蔵尊
東光寺山門前の地蔵堂に祀られている延命地蔵相の地蔵尊は全身が油で 光っている。これは、油をかけるといかなる難病も治癒するといわれている ご利益があり、油地蔵と呼ばれ信仰を集めているらしい。 1380年の銘があり、岡山県の文化財にも指定されている。 油地蔵は他にもあるが、京都市伏見区西岸寺の油懸地蔵はよく知られている。 ...続きを見る

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2014/10/28 10:47
長崎県のお寺  異国情緒あふれる風景
長崎県は海外への門戸が開いていた歴史から、色々な面で 異国情緒あふれる風景が残っている。 長崎市の中国風寺院、平戸市のお寺と教会の風景などは他県では 見られないお寺の風景であろう。 ...続きを見る

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2014/10/08 09:55
江東寺 (長崎県島原市) 涅槃像
本堂裏に1957年建立された涅槃像は全長8mほどの鉄筋コンクリート造りで、 日本一の涅槃像といわれている。 島原の見所の一つでもある。 江戸時代初期の藩主・松倉氏などの追善供養のために造立されている。 島原藩主・松倉重政は島原城の築城主であるが、悪大名の評判があり、 領民は相当苦しめられたといわれている。 ...続きを見る

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2014/10/08 09:54
木山寺 (岡山県真庭市) 中国三十三観音霊場第4番
430mの山上にある木山寺は、明治維新までは木山宮と呼ばれた神仏習合の お寺であり、明治時代の神仏分離で木山寺と木山神社に分離された。 しかし、木山寺には神仏習合の様がいまだに色濃く残っている。 815年に弘法大師によって開創されたと伝えられる古刹である。 薬師如来と十一面観音を本尊とし、中国三十三観音霊場の札所になっている。 ...続きを見る

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2014/09/26 09:18
本光寺 (長崎県島原市) 島原藩主・松平家の菩提寺
島原藩といえば、1637年天草四郎を総大将とする島原の乱で有名であるが、 1668年藩主となった深溝松平忠房以降、一時期を除いて明治維新まで 深溝松平氏が藩主を務めている。 島原藩は何度か藩主家が替っているが、深溝松平が最も長い。 深溝松平氏はもともと三河深溝(現在の愛知県幸田町)の出身で、深溝藩主 を皮切りに各地を転々と移った藩主である。 島原藩主松平家の菩提寺が本光寺である。 ...続きを見る

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2014/09/06 09:21
新善光寺 (岡山県津山市) 善光寺由来の寺
新善光寺は831年弘法大師空海によって開創されたと伝えられ、1382年 に地元の土豪が善光寺ブームにあやかり、信州善光寺の脇立阿弥陀如来 を勧請し本尊として祀り、新善光寺としたといわれている。 現在は、全国善光寺会に参加している。 ちなみに、善光寺と名がつくお寺は119ヶ寺に及ぶ。 ...続きを見る

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2014/09/05 08:54
大分県のお寺 総覧
大分県の国東半島には山岳宗教の霊場・六郷満山があり、石造物の 宝庫でもある。 特に、石造仁王像・国東塔は最も特色のある石造物であろう。 ...続きを見る

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2014/08/22 09:50
安住寺 (大分県杵築市) 杵築城主・木付氏の菩提寺
鎌倉〜戦国時代に北九州を支配した大友氏の一族・木付親重(大友親重を改名) が1250年木付(後の杵築)の領主となり、竹ノ尾城を築き、4代木付氏が木付城 を築城している。 以後、1593年まで木付氏が滅ぶまで木付城主であった。 <木付>の地名が<杵築>に変わったのは、1712年徳川将軍の朱印状 に杵築と書かれていたことから。   安住寺は、木付親重が1259年木付氏の菩提寺として開創している。 ...続きを見る

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2014/08/22 09:42
菩提寺 (岡山県奈義町) 法然上人と大イチョウ
1141年9歳の勢至丸(法然上人の幼名)は菩提寺住職・観覚に引き取られ、 1145年比叡山に登るまで学問を修めている。 菩提寺は<法然上人初学の地>と呼ばれている。 勢至丸が菩提寺に向う際に、麓のイチョウの枝を杖にして登り、菩提寺の 境内に<学問成就を祈願して>挿した杖が芽吹いて大イチョウとなったと 伝承されている。 大イチョウは推定樹齢が900年といわれ、目通りが13m・樹高40mと 圧倒される巨木である。 国指定天然記念物であり、全国名木100選の1本である。 ...続きを見る

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2014/08/21 09:29
大聖寺 (岡山県美作市) 不死鳥のイチョウ
吉川英治は<宮本武蔵>を著すにあたり、何度も大聖寺に逗留し構想を 練ったといわれている。 武蔵が吊るされる千年杉のモデルとなった2本のイチョウの木が迎えてくれる 大聖寺である。 このイチョウは1980年落雷のため瀕死の状態となったが、2年後若木を 瀕死の胴部に接木したところ見事に蘇生し、マスコミによって全国放映され、 <蘇った不死鳥の大樹>として感銘を与えたといわれている。 6月末〜7月上旬には一万株のアジサイが境内を彩る。 私は7月末の訪問で数株は花を咲かせていた。 ...続きを見る

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2014/08/10 08:56
満明寺 (長崎県雲仙市) 雲仙温泉発祥
雲仙温泉は、701年行基が温泉を見つけて、温泉山満明寺を開創した ことに始まると伝えられている。 1640年島原藩主・松平忠房が満明寺を再興し、雲仙は温泉地として 開発が始まっている。 シーボルトによって海外にも紹介され、明治時代になり外国人の保養地 にもなっていった。 ...続きを見る

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2014/07/26 08:54
西勝寺 (長崎県長崎市) 
江戸時代に拷問や迫害によって棄教したキリシタンが書いた誓詞を <ころび証文>というが、西勝寺に残るころび証文は、  キリシタンの九介夫婦が弾圧に耐えかねて奉行所に出すために書いた 証文であるが、書き損じたもので西勝寺に残ったものである。 この証文のキリシタン資料として貴重な資料であるのは、聖職者であった クリストファン・フェレイラのころび誓詞が書き添えてあり、1645年の年号 が書かれていることである。 クリストファン・フェレイラのころびを題材にキリシタン弾圧を通じて、神と 信仰... ...続きを見る

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2014/07/15 09:03
高知県のお寺
高知県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2014/06/25 09:00
太平寺 (高知県四万十市) 
室町時代には国司の力は弱まり、守護がとって替るようになっていた。 しかし、土佐国司の一条氏は現在の四万十市中村に拠点を置き、戦国三国司に 数えられる戦国大名として勢威を誇り、中村御所と呼ばれていた。 特に、4代一条房基は伊予にまで勢力を拡大している。 太平寺は一条房基が城と見立てて土塀に矢狭間が設けられ、要塞化した 時期もあった。 ...続きを見る

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2014/06/25 08:49
岩本寺 (高知県四万十町) 四国八十八ヶ所霊場第37番
土佐の清流・四万十川が北から西へ流れを変える屈曲点に位置する 岩本寺は、四国霊場では珍しい五尊を本尊とするお寺である。 これは岩本寺の歴史に関わっている。 現在の岩本寺の北2kmの仁井田明神(現在の高岡神社)の別当寺として 行基が福円満寺(岩本寺の前身)を開創し、後に弘法大師空海が明神を五社 に分けて、それぞれに本地仏を祀っている。 その後変遷を経て、明治時代の神仏分離により岩本寺に五尊の本地仏を 移座して本尊としている。 明治維新までは、典型的な神仏習合の霊場であった。 ...続きを見る

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2014/05/29 09:43
一行寺 (鳥取県鳥取市) 
1965年、当時の一行寺住職・中野氏(故人)が鳥取県若桜町で大きさ・品質 ともに世界一といわれるヒスイ原石を発見している。 住職は鉱物趣味の持ち主で、暇さえあれば鉱物収集に歩いておられたそうだ。 集められた大量の原石で庭池を造られたそうだ。 一行寺は1577年に開創されている。 ...続きを見る

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2014/05/21 09:23
新興寺 (鳥取県八頭町) 
八頭町は鳥取県内でも早くから仏教文化が伝えられ、709年には 新興寺、710年には青龍寺が開創されるなどしている。 新興寺は因幡国役所の祈願寺となり、多くの末寺をかかえる大寺で あったと伝えられている。 しかし、戦国時代には荒廃し、大寺の面影はなくなっている。 1385年の宝篋印塔や古文書が往時を偲ばせる遺物といえよう。 また、地名にしっかりと残っている。 ...続きを見る

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2014/05/05 09:32
竹林寺 (高知県高知市) 四国八十八ヶ所霊場第31番
高知のシンボル的な五台山(146m)頂上付近に建つ竹林寺は 四国の名刹である。 四国霊場の札所であり、土佐の観光スポットでも賑わっている。 五台山からは高知市内や浦戸湾が一望でき、四国霊場の中でも随一の 眺望を持っている。 ...続きを見る

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2014/03/19 09:45
青龍寺 (高知県土佐市) 四国八十八ヶ所霊場第36番
浦ノ内湾に架かる宇佐大橋を渡った半島の先端部に位置する小高い山腹に 三重塔や多宝塔などが建つお寺が青龍寺である。 弘法大師が唐から帰国の際に、東方へ向って投げた独鈷杵が松の木に あると感得して、唐の青龍寺に模して弘仁年間(810〜824年)に開創した のが青龍寺と伝えられている。 ...続きを見る

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2014/03/01 09:37
宝福寺(岡山県総社市) 画聖雪舟ゆかりの寺
現在の総社市赤浜で1420年生誕の雪舟は幼くして宝福寺に修行に 入ったが、絵の好きな雪舟が修行を怠ったため、住職は雪舟を本堂の 柱に縛り付けたところ、落ちる涙で板敷にねずみの絵を描き、その ねずみが生きているように見え、住職は感心し絵を描く修業を許した と伝説が伝わっている。 雪舟は11歳頃、京都相国寺に入り絵の修業を本格的に始めている。 ...続きを見る

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2014/02/28 15:31
興福寺(長崎県長崎市) 日本最古の唐寺
黄檗宗の開祖隠元禅師初登の聖地で、黄檗宗最古の興福寺は 1620年中国僧真円が草庵を築いたのが始まりで、その後 中国浙江省・江蘇省出身の華僑の支援を受けて伽藍も整備された。 資材も中国からの日本最古の本格的な唐寺である。 ...続きを見る

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2014/02/27 10:07
福済寺(長崎県長崎市) 長崎観音
総高35mの長崎観音は原爆投下の慰霊鎮魂のために1979年に造像され、 今や長崎の名物ともなっている。 観音像の建っている場所は、福済寺の大雄宝殿跡で、原爆投下で福済寺の伽藍は 焼失している。 伽藍の多くは当時国宝に指定されていた。 ...続きを見る

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2014/02/19 09:40
丈六寺(徳島県徳島市) 
丈六寺は阿波の法隆寺と呼ばれる文化財の宝庫であり、徳島の名刹でもある。 勝浦川沿いの参道のもみじが迎えてくれ、私が訪問した新緑のもみじからも 紅葉の鮮やかな風景が想像される。 総門(一の門)、二の門と潜り三門前に至る参道を歩いているとこれぞ名刹と 感じられる空気が流れている。 ...続きを見る

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2014/02/18 11:03
箸蔵寺(徳島県三好市池田町) 
箸蔵寺は標高600mの箸蔵山頂に建つ四国別格二十霊場第15番で、 池田町の麓から箸蔵寺まで全長950mをロープウェイに乗って眺望を 楽しみながら霊場へ。 仁王門・高燈籠を見下ろし方丈前に到着する。 箸蔵寺の本尊は金毘羅大権現で、琴平金刀比羅宮の奥の院になっている。 典型的な神仏習合のお寺である。 ...続きを見る

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2014/02/17 10:22
摩尼寺(鳥取県鳥取市) 
鳥取市東方の摩尼山(357m)麓にある摩尼寺は山頂に帝釈天が降臨したのが 始まりと伝えられ、834年慈覚大師円仁が唐から帰る途次に摩尼寺を開創した といわれる古刹である。 江戸時代になって鳥取藩主池田家によって山麓に再興されている。 帝釈天信仰が篤く多くの参拝者が訪れ、名物コンニャク田楽の店も出ている。 ...続きを見る

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2014/02/17 10:19
最教寺(長崎県平戸市) 
最教寺の地は、弘法大師空海が806年唐から帰国して最初に護摩を焚いた と伝えられる地で、西の高野山と呼ばれている。 1607年初代平戸藩主・松浦鎮信が真言宗の篤い帰依者であり、空海への 想いからこの地に既にあったお寺を廃却して最教寺を開創している。 毎年節分の日に行われる<子泣き相撲>の由来は、開創にまつわる伝説にも あるといわれている。 ...続きを見る

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2014/02/16 14:08
観音院 (鳥取県鳥取市) <名勝>庭園
観音院の庭園は江戸時代初期を代表する国指定名勝の庭園で、書院からの 座観と庭園の築山上からの鑑賞が妙をなす。 鳥取藩主池田光仲が観音院を庇護し、1650年から10年近くかけて作庭したと いわれている。 ...続きを見る

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2014/02/16 14:08
聖福寺(長崎県長崎市) 
じゃがたらお春(1625〜97年)はイタリア人と長崎の貿易商の子女の 間に生まれた女性で、鎖国令が厳しくなり1639年ジャカルタへ追放 され、現地でオランダ人と結婚し、72歳で亡くなっている。 お春がジャカルタから長崎の人々に送った<じゃがたら文>は有名であるが、 お春の真作かどうかで議論されている。 そのお春の供養のため、吉井勇の歌を添えた碑が1952年に聖福寺の 境内に建立された。 吉井勇の歌  <長崎の鶯は鳴く今もなほじゃがたら文のお春あはれと> ...続きを見る

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2014/02/16 14:07
観善寺 (長崎県長崎市) 大クス
観善寺の大クスの樹齢は不明であるが、樹高20m幹周8mの大木で、 長崎市の天然記念物に指定されている。 歌手・さだまさしの小説・解夏の主人公・高野隆之の実家の墓がある お寺が観善寺で、この大クスも登場している。 観善寺は1626年に開創され、1671年に現在地に移転している。 ...続きを見る

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2014/02/16 10:21
本経寺(長崎県大村市) 大村藩主の菩提寺
大村氏はこの地域の領主として長い命脈を保ち、大村家18代の純忠は 戦国時代のキリシタン大名として活動し、長崎開港の立役者といわれている。 純忠の子喜前は徳川幕府の大村藩初代藩主として2万7000石を領し、 明治維新まで存続する。 その初代藩主大村喜前が加藤清正の支援を得て本経寺を開創した。 以後、大村家の菩提寺となり、この地域における日蓮宗の本拠となる。 ...続きを見る

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2014/01/27 15:36
聖無動寺 (長崎県長崎市) 勝海舟ゆかりの寺
明治維新の勝海舟は1855年から4年間、長崎の海軍伝習所で学んで いるが、その時に恋したお久さん(梶クマ)と一男一女をもうけている。 そのお久さんの菩提寺が聖無動寺である。 聖無動寺は長崎観音像の真下に、一般民家の佇まいである。 聖無動寺は1644年に開創され、オランダ船などの航海安全祈願の お寺として栄えたが、原爆投下によって焼失している。 ...続きを見る

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2014/01/04 09:10
真如寺 (高知県高知市) 土佐藩主山内家の菩提寺
土佐初代藩主・山内一豊は信長・秀吉・家康に仕えた武将であるが、 1600年の関ヶ原の戦いで徳川方につき、その功績で静岡県の掛川城主 から土佐藩の初代藩主になり、明治維新まで山内家が藩主を務めている。 ...続きを見る

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2013/12/25 10:08
本蓮寺 (長崎県長崎市) 長崎三大寺
境内が広く、江戸幕府や長崎奉行などからの庇護を受けて大いに 栄えた長崎三大寺(皓台寺、大音寺、本蓮寺)の一つが本蓮寺である。 勝海舟が1855年から4年間長崎海軍伝習所で学んでいた時期に 本蓮寺の塔頭・大乗院に宿泊し、長崎女性・梶くまとの間に一男一女 をもうけている。 ...続きを見る

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2013/11/26 09:00
種間寺 (高知県高知市) 四国八十八ヶ所霊場第34番
周囲には田畑が残るのんびりした環境の中に建つ種間寺の起源は、 585〜587年頃百済の仏師が難波からの帰途、嵐に遭い 秋山に漂着して航海の安全を願って薬師如来を彫って本尾山に 祀ったのに始まると伝承されている。 その後、弘法大師空海が当地に巡錫し堂宇を建立し、その 薬師如来を祀って開創したといわれている。 この薬師如来は安産祈願の薬師さんと信仰を集めている。 ...続きを見る

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2013/11/06 09:44
大音寺 (長崎県長崎市) 長崎三大寺
長崎三大寺と呼ばれる<大音寺、皓台寺、本蓮寺>は、どれもの境内が 広大で堂宇も大きなのは共通しているが、江戸時代に江戸幕府や長崎奉行 などとの関係も密で、大いに栄えたことから三大寺と呼ばれたのであろう。 大音寺は長崎奉行の帰依を受けて、寺地を広げ堂宇の寄進を受けている。 1614年の開創である。 ...続きを見る

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2013/10/01 09:00
雪蹊寺 (高知県高知市) 四国八十八ヶ所霊場第33番
土佐の戦国大名で四国の覇者であった長宗我部元親一族の 菩提寺は雪蹊寺であるが(元親の法名が雪蹊恕三)、元親の墓所は 雪蹊寺から南東1kmほどの天甫寺山にある。 長宗我部元親は秀吉に敗れるまで、四国の覇者として勢力を持ち、 土佐の立役者といえよう。 ...続きを見る

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2013/09/19 09:34
晧台寺 (長崎県長崎市) 長崎大仏
晧台寺の長崎大仏と呼ばれる毘廬舎那仏は、像高3.6m、総高6.7mで 1677年造立されている。 この頃は中国・明からの長崎への渡来人が増え、長崎には中国風の寺院 が多く建立されている。 長崎大仏もその影響から中国様式の仏像である。 ...続きを見る

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2013/08/29 09:30
長安寺 (長崎県大村市) 力道山の分骨墓
日本プロレス界の父と呼ばれる力道山の菩提寺は東京・池上本門寺であるが、 その分骨墓が長安寺の百田家の墓所にある。 力道山は朝鮮で生まれ、その後大村市の百田家の養子となり、相撲・プロレス 界で大活躍し、テレビの普及に合わせてテレビのスターとなった。 ...続きを見る

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2013/07/29 09:06
禅師峰寺 (高知県南国市) 四国八十八ヶ所霊場第32番
南国市南端の土佐湾に面した小高い山の上に建つ禅師峰寺からは 土佐湾を一望でき、西に桂浜をハッキリと望むことができる絶景の 地である。 禅師峰寺の仁王像(金剛力士像)は、国宝・重要文化財に指定された 仁王像28件の一つであり、私の訪問の楽しみでもあった。 現在は、仁王門にはなく収蔵庫に安置されている。 文化財に指定されると収蔵庫に安置されるケースが多く、仁王門 の護り神としての役割も減じ ...続きを見る

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2013/07/18 09:23
正法寺 (長崎県大村市) 肥前大村16代純伊の菩提寺
肥前大村藩は、1600年関ヶ原の戦いで徳川についた大村喜前が 初代藩主として2万7千石の大名となり、明治維新まで続くが、 喜前の3代前といわれる大村氏16代・純伊の菩提寺が正法寺である。 喜前の父・純忠以降は史料的にも大村氏のことは明確であるが、それ 以前については不明なところが多いらしい。 ...続きを見る

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2013/06/26 09:38
土佐国分寺 (高知県南国市) 四国八十八ヶ所霊場第29番
741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ国に68ヶ寺の国分寺が創建されて いくが、全国全てに創建されるのは741年以降数十年に亘っている。 土佐国分寺は741〜756年の間に創建されたと考えられている。 その後、何度かの火災などで盛衰を繰り返すが、1558年には長宗我部氏 によって再興されている。 現在の金堂はその時に再建されたものである。 ...続きを見る

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2013/06/15 09:07
大光寺 (長崎県長崎市) 山門額縁の親鸞聖人像
風頭山(152m)山麓に連なるお寺は20ヶ寺近くにのぼるが、 山麓沿いの道を散策する中で、大光寺の山門を額縁とする親鸞聖人像 が強く印象に残っている。 聖人が<ようお参り>と山門越しに親しげに呼びかける風景は余り お目にかからない。 ...続きを見る

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2013/05/24 09:36
大日寺 (高知県香南市) 四国八十八ヶ所霊場第28番
県道22号を、日本8大鍾乳洞の一つ龍河洞への途中にある小高い丘陵上 にある大日寺は、天平年間(729〜749年)行基によって開創されたと 伝えられている。 弘法大師空海が815年四国巡錫の折大日寺に立ち寄り、楠木に爪で 薬師如来を彫って祀り、お寺を再興したと伝えられている。 この薬師如来は爪彫り薬師と呼ばれかって奥の院に祀られていた。 ...続きを見る

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2013/05/23 09:29
本源寺(岡山県津山市) 津山藩主森家の菩提寺
1603年森蘭丸の弟森忠政が津山に入り、初代津山藩主となり、 1604年から津山城の築造にかかり、1616年完成した。 また、津山城下町の整備も勧め藩政の基礎が築かれた。 ...続きを見る

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2013/05/18 20:05
清水寺 (長崎県長崎市) <重文>本堂
長崎市の高台に建つ清水寺は、1623年京都・清水寺の僧・順慶が 開創している。 当初の本堂は京都・清水寺と同じ舞台造りであったが、1646年に 現在の石垣・石造高欄・石畳構造(石舞台)に改修され、現在の本堂は1668年に 唐商・何高材が妻の菩提を弔うために再建している。 中国様式の混在した構造となっている。 この本堂は2010年に重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2013/04/15 09:10
地蔵寺 (徳島県小松島市) いねむり大師
地蔵寺は弘法大師空海によって開創されたと伝えられ、それを継いだ住職が いねむりをしていたので四国八十八ヶ所霊場からはずされたと伝承される <いねむり大師>などの言い伝えが残っている。 地蔵信仰と名水<宝寿水>で地元の人達に親しまれているお寺である。 ...続きを見る

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2011/11/28 08:58
竹林院 (徳島県徳島市) 眉山山麓の黄檗宗寺院
眉山(290m)山麓から山腹にかけて展開する竹林院は、徳島市でも 数少ない黄檗宗系のお寺である。 1685年鉄崖和尚によって開創された黄檗宗系単立のお寺で、書院庭園や 青石が使われた本堂前の前庭などにその趣を残す。 ...続きを見る

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2011/11/15 12:55
瑞巌寺 (徳島県徳島市) 眉山山麓の庭園
徳島市のシンボル・眉山(290m)の山麓天狗谷に展開する瑞巌寺の 庭園は江戸時代初期に築庭されたと伝わる池泉回遊式の庭園で、 阿波特有の青石がふんだんに使われている。 山腹から流れる湧水は茶の湯にも使われ、鳳翔水と呼ばれる名水として 親しまれている。 桜や紅葉、新緑の庭園・境内は心を癒してくれる。 ...続きを見る

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2011/11/02 08:46
興源寺 (徳島県徳島市) 徳島藩主蜂須賀家の菩提寺
徳島藩主蜂須賀家といえば、なんといっても豊臣秀吉との逸話で有名な 蜂須賀小六であろう。小六の正式名は蜂須賀正勝で蜂須賀家の家祖と して興源寺墓所に祀られている。 正勝の長子・家政が1585年徳島城を築城した時は、蜂須賀家の菩提寺 は城内の福聚寺にあったが、1586年現在地の下助任町に移され、 1636年興源寺と改名している。 ...続きを見る

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2011/10/23 08:51
太龍寺 (徳島県阿南市) 四国八十八ヶ所霊場第21番
太龍寺は太竜寺山(618m)山頂ちかくにある四国八十八ヶ所霊場第21番 で<西の高野>とよばれている霊場である。 太龍寺の名前は、弘法大師24歳の出家宣言であり最初の著作である <三教指帰>に<阿国太龍の嶽にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念す ・・・>とあるのが太龍嶽で空海が100日間修行した19歳の頃である。 この修行の場はお寺の境内から600mほど離れた舎心嶽といわれ、 現在はそこに修行する空海像が建てられている。 ロープウェイで山頂駅に近づくと右の方に見える。 ...続きを見る

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2011/10/14 10:50
東高尾観音寺 (鳥取県北栄町) 仏像の宝庫
大山(1729m)北東麓の山里にポツンと建つ東高尾観音寺には、 鳥取県でも最古に属する仏像や数多くの仏像群が安置されている。 東高尾観音寺の開創については不詳であるが、平安時代末期から 鎌倉時代初期ではないかとの伝承もある。 安置されている仏像は45体を数え、重要文化財に指定されている 千手観音立像・十一面観音立像、県指定文化財に指定されている 11体の仏像などである。 ...続きを見る

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2011/10/06 09:10
永昌寺 (鳥取県倉吉市) 貴重な石塔
十三重石塔は岩倉城跡の山裾から発掘されたもので、一部補修して 永昌寺に安置されている。 鎌倉時代末期の作と推定されているが、鳥取県では時代性・形姿から 貴重な石塔として文化財として指定されている。 また、3基の石造宝塔も十三重石塔の近くの所から発掘されており、 同じく鎌倉時代末期のものと推定されている。 ...続きを見る

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2011/10/04 08:51
大雲院 (鳥取県鳥取市) 中国三十三観音霊場第33番
岡山市の西大寺を第1番、鳥取市の大雲院を第33番とする中国地方 5県に及ぶ中国三十三観音霊場は1981年に開創された新しい 霊場である。 札所は各県の古刹・名刹から成り、観光巡礼の意味合いもある。 ...続きを見る

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2011/10/01 08:55
豊乗寺 (鳥取県智頭町) 鳥取の名刹
鳥取県智頭町の中心部から西にある籠山(905m)山麓の木々に 覆われた豊乗寺は、嘉祥年間(845〜851年)に弘法大師の実弟・真雅僧正 によって開創されたと伝えられている。 僧坊12を数える大寺として栄えたといわれているが、1580年豊臣秀吉による 鳥取城侵攻の際に兵火により焼失している。 寛永年間(1624〜43年)に再興されたが、かっての面影は戻ってこず、 現在は静かな山中にひっそりと佇んでいる。 ...続きを見る

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2011/09/28 12:24
学行院 (鳥取県鳥取市国府町) <重文>薬師三尊像
鳥取市国府町の山里にポツンと建つ学行院・収蔵庫(本堂)の中に 鳥取市で唯一の重要文化財に指定された仏像である薬師三尊像と 吉祥天立像の4体の仏像が安置されている。 このような山里に貴重な文化財が残る歴史は面白い。 この地は奈良時代、因幡国庁や国分寺が置かれていた因幡の中心地 であった。 ...続きを見る

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2011/09/25 12:33
長通寺 (鳥取県鳥取市国府町) 八百谷冷泉の襖絵
八百谷冷泉(1887〜1959年)は鳥取市生まれで、京都に出て 丸山応挙風の写生画に独自の画風を取り入れた日本画家である。 1944年郷里に疎開して長通寺に逗留し、10年間に襖絵などの 大作を残している。 1956年には志賀直哉も訪れて襖絵に感銘を受け、<妙>という 一字を残している。 ...続きを見る

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2011/09/22 14:36
隆光寺 (鳥取県北栄町) 儒学者・正墻適処ゆかりの寺
正墻適処(1818〜1875年)は幕末鳥取藩に仕えて教育に力を注ぎ、 明治時代に入って隆光寺に研志塾を開き地域の子弟教育に尽力している。 ...続きを見る

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2011/09/14 13:31
転法輪寺 (鳥取県琴浦町) 空也上人ゆかりの寺
醍醐天皇のご落胤と噂された空也上人は903年の生まれで、 922年尾張国分寺で出家し諸国を巡り念仏を広めている。 転法輪寺の寺伝ではこの地に巡行し転法輪寺で972年亡くなって いると伝えられている。 通説では、972年六波羅蜜寺で亡くなっている。 ...続きを見る

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2011/09/12 08:53
極楽寺 (鳥取県倉吉市) 深緑のシダレ桜
倉吉市を流れる神通川の東にある極楽寺のシダレ桜は、推定樹齢140年 ともいわれる古木であるが、その深緑の勢いは強く、恐らく桜の時期は 見逃せない風景をみせるのであろう。 この一帯でもよく知られた名木らしい。 ...続きを見る

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2011/09/09 14:37
本願寺 (鳥取県鳥取市) 平安時代の<重文>梵鐘
本願寺の<重文>梵鐘は<竜宮の鐘>と呼ばれ、山陰の海から引き揚げられ 龍女に頼まれて浪人が本願寺に運んだという伝承がある。 本願寺の竜宮門に吊るされていたが、2011年8月から鳥取市のやまびこ館で 常設展示されている。 梵鐘は奈良時代の様式が残る平安時代前期の作と推定されており、古鐘として 貴重な資料である。 <やまびこ館で鑑賞するも写真はなし> 一目見て、その優美な姿に感銘を受ける。 ...続きを見る

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2011/09/07 08:59
東昌寺 (鳥取県鳥取市気高町) キリシタン灯籠
キリシタン灯籠は別名織部灯籠とも呼ばれ、桃山時代に茶の湯の隆盛により 夜の茶会の灯り取りのために武士で茶人の古田織部が創案したと伝えられ ている。 江戸時代に地蔵信仰に似せた隠れキリシタンの尊像として祀ったといわれる ことからキリシタン灯籠とも呼ばれている。 ...続きを見る

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2011/09/05 09:18
常忍寺 (鳥取県鳥取市) 日蓮聖人の檀越・富木常忍を偲ぶ寺
富木常忍は1216年現在の鳥取市に生まれ、父の代に下総(千葉県)に 移住し下総の豪族になっている。 日蓮聖人の若い頃から日蓮を支援し、日蓮が佐渡へ流された時も物心両面から 支援したといわれている。 日蓮聖人が亡くなると出家して日常となり、現在千葉県にある法華経寺を 開創し、日蓮の教えを布教している。 ...続きを見る

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2011/09/03 09:04
譲伝寺 (鳥取県鳥取市鹿野町) 鹿野城主・亀井滋矩の菩提寺
応安年間(1368〜1375年)に、鹿野町の鷲峰山(921m)西麓に開創された 抱月寺は1489年笑巌和尚によって曹洞宗となり、16世紀末に鹿野城主と なった亀井滋矩によって現在地に移り譲伝寺と改名し、亀井滋矩の菩提寺 となっている。 因幡の曹洞宗中核として大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2011/09/01 15:24
幸盛寺 (鳥取県鳥取市鹿野町) 山中鹿之助の菩提寺
山中鹿之助(本名:幸盛)は山陰の戦国大名・尼子義久の家臣で、 <尼子十勇士><山陰の麒麟児>などと呼ばれ、講談などで人気を博した 戦国武将であるが(地元鳥取では評判が今一つの逆賊という説あり)、 1578年現在の岡山県高梁市で謀殺されている。 ...続きを見る

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2011/08/30 13:32
三徳山三仏寺 (鳥取県三朝町) <国宝>投入堂
修験道の祖・役行者が三徳山(900m)の断崖絶壁にお堂を投げ入れたとの 伝承から、三仏寺奥院は<投入堂>と呼ばれている。 三仏寺の境内は、三徳山の山上と山下の本堂などに分かれていて、 山上に登るには厳しい制限があり(一人では禁止)、私のもくもく探索は 適わずであった。 山麓の県道沿いにある遥拝所から望遠鏡で仰ぎ見るのに止まり、再度 連れを伴って挑戦してみよう。 ...続きを見る

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2011/08/28 16:31
安養寺 (鳥取県米子市) 後醍醐天皇内親王ゆかりの寺
1332年後醍醐天皇が隠岐に流される時、天皇の内親王・瓊子も一緒に 隠岐へ渡ろうとしたが、それが適わず米子のこの地に留まり父の帰りを 待つことにした。 出家して安養尼となり、安養寺を開創し、8年後の24歳で安養寺で 亡くなっている。 現在も皇族墓所として残っている。 ...続きを見る

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2011/08/25 09:37
伯耆安国寺 (鳥取県米子市) 足利尊氏発願の安国寺
南北朝争乱の後、足利尊氏と直義の兄弟は夢窓疎石(天龍寺の開祖)の 勧めを受けて、争乱の犠牲者を弔うために全国66ヶ国2島に安国寺を 置くことを発願し人心の安寧を図った。 伯耆安国寺は、現在の伯耆町大殿に白鳳時代に開創された大寺を安国寺とし、 大いに栄えたといわれている。(白鳳時代の遺物が出土している) その跡地には福樹寺がある。 ...続きを見る

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2011/08/22 08:59
円成寺 (島根県松江市) 松江開府の祖・堀尾氏の菩提寺
1600年浜松から月山富田城に移った堀尾吉晴は、1611年松江城 を築き移るに際して菩提寺を現在の天倫寺に移して瑞応寺を建立 している。 堀尾家が断絶すると1635年瑞応寺を現在地に移して円成寺としている。 瑞応寺・円成寺の開山・春龍和尚は<松江>の命名者だといわれている。 堀尾三代目・堀尾忠晴(初代松江城主)の墓がある。 ...続きを見る

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2011/08/20 15:17
光明寺 (島根県雲南市) <重文>朝鮮鐘
光明寺の朝鮮鐘には銘がないが、文様などから新羅時代の9世紀半〜末の ものと考えられている。 いつの頃から渡来し、1379年には増輝寺に伝来し、1408年には報徳寺、 1492年になって光明寺に伝来している。 朝鮮鐘は日本に47個現存し、出雲地域には他に2個(天倫寺、雲樹寺) ある。3個ともに重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2011/08/18 08:45
峯寺 (島根県雲南市) 出雲国神仏霊場第17番
峯寺は658年役行者によって開創されたと伝えられる修業道場で あった。山腹に広がる境内からは三刀屋の風景が望め、精進料理も 提供する癒しのお寺である。 出雲国神仏霊場の札所で、出雲地方の古刹として参拝者や観光客も 結構多いと聞く。 ...続きを見る

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2011/08/15 09:10
禅定寺 (島根県雲南市) 中国三十三観音霊場第24番
三刀屋の禅定寺山(372m)頂上付近にある禅定寺は、中国三十三観音霊場 第24番札所になっており、本尊・聖観音立像は平安時代の作で重文に指定 されている。 中国三十三観音霊場は、中国地方5県の33ヶ所札所と4ヶ寺の特別霊場から 成る37ヶ寺の観音菩薩を巡る霊場となっている。 名刹・古刹のお寺ばかりで、観光としても見ごたえがある。 禅定寺の境内からは奥出雲の山並みが望め、自然の豊かさを教えてくれる。 ...続きを見る

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2011/08/13 08:09
勝定寺 (島根県出雲市) ツツジと睡蓮の庭園
境内全体に数千株の多種類のツツジが植生され、本堂前の庭は 桃山形式の雄大な庭とし、ツツジが山裾に沿って展開している。 本堂裏の庭は二つの池を配し、一つは心字池、その背後には 睡蓮の池が配されている。 その背後にはツツジと木々が配され、奥行きのある庭園を作りだしている。 今回の訪問では、睡蓮の花を愛でることができた。 ...続きを見る

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2011/08/11 09:03
神門寺 (島根県出雲市) いろは歌の伝承
<いろはにほへと〜>のいろは歌は弘法大師空海が始めたと平安時代後期 から伝承され、その空海筆のいろは歌が神門寺に伝わると伝えられている。 文献上、最初にいろは歌が現れるのは1079年と考えられ、いろは歌が成った のは10世紀末頃と考えられている。 しかし、空海の創始とする伝承はあちこちに残り、それだけに空海の尊崇が 高いといえよう。 ...続きを見る

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2011/08/09 08:41
鰐淵寺 (島根県出雲市) 出雲の名刹
鰐淵寺は、594年智春上人が推古天皇の眼疾を浮浪滝で祈って 平癒したことから、天皇の勅願で開創されたと伝えられている。 その浮浪滝は鰐淵寺本坊から谷川を20分ほど登った所にある らしいが、訪問当日は雨の直後でもあり寺の方のご意見もあり 断念し登ることができず残念。 平安時代は修行道場として大いに栄え、松江誕生伝説の武蔵坊弁慶 も18歳から3年間修業したと伝えられている。 弁慶に関わる遺品が残されているらしい。 ...続きを見る

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2011/08/06 08:45
東光寺 (山口県萩市) 長州萩藩主・毛利家の菩提寺
黄檗宗特有の総門を入ると、広々とした境内を真っ直ぐに参道が 延びる。禅寺の匂いが漂う参道の正面にこれも禅宗様の三門が 聳えるかのように迎えてくれる。これほどの規模を持つ山門は この地域では見かけない。 三門を潜ると正面に本堂である大雄宝殿がどっしりと構えている。 総門から大雄宝殿までの参道の長さが丁度お寺の風格に合うかの ような風景を呈している。 ...続きを見る

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2011/08/03 13:01
康国寺 (島根県出雲市) 借景枯山水庭園
アメリカの庭園専門誌<Journal of Japanese Gardening>の2005年版で 第8位にランキングされた康国寺庭園は、旅伏山(たぶしさん412m)と 貯水池(錦鏡池)を借景に取り入れた枯山水の庭園で、松江藩主第7代 松平不昧の庭師・沢玄丹により1830年から3年半の歳月をかけて築かれた。 枯山水の白砂と池と山の木々が絶妙に調和し、日本庭園の真髄を 醸し出している。 ...続きを見る

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2011/08/03 08:59
一畑薬師<一畑寺> (島根県出雲市) 目のお薬師さま
<目のお薬師さま>として全国的にも知られる一畑薬師は、300mの 一畑山上にあり1164段の石段参道でも名を馳せている。 現在は、山上近くまで車道があり、参拝者も気軽に参拝できる。 1100年程前、漁師の与市が海中から薬師如来を引き上げ、その 薬師如来のお告げによって母親の目が開き、一畑山上にその薬師如来 を祀ったと伝えられている。 それ以来、目の病治癒の信仰が高まったといわれ、現在では全国から 参拝者がある。 ...続きを見る

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2011/07/31 08:43
華蔵寺 (島根県松江市) 出雲国神仏霊場第7番
出雲国神仏霊場は、2008年出雲大社を第1番として20社寺を巡る 日本で最初の神仏習合霊場として設けられた。 華蔵寺はその第7番霊場で、枕木山(456m)山頂にある古刹で、 808年天台宗の智元上人によって開創された修行道場である。 ...続きを見る

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2011/07/29 09:13
月照寺 (島根県松江市) 松江藩主松平家の菩提寺
1638年〜1871年の松江藩主松平家は初代直政(家康の孫)から十代安定 まで続いたが、初代から九代までの藩主菩提寺が月照寺である。 元は洞雲寺という禅寺であったが、1664年初代直政が生母・月照院の位牌を 祀るために、荒廃していた洞雲寺を再興して月照寺とし、その後松平家の 菩提寺となった。 ...続きを見る

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2011/07/28 13:23
仏谷寺 (島根県松江市美保関町) 出雲様式の<重文>仏像
美保関港の山麓にある仏谷寺の5体の仏像は、平安時代初期の 出雲様式の仏像で、このお寺が古く大寺であったことを物語っている。 出雲様式の特徴は、平安時代初期のこの地方独特の腹部の二重円弧 や全体に簡略化された衣、下半身に重心を置いた体躯などに見られる。 ここ仏谷寺にこれだけの仏像が残っているのが驚きである。 ...続きを見る

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2011/07/24 11:38
天倫寺 (島根県松江市) <重文>朝鮮鐘
天倫寺の朝鮮鐘は、出雲市多岐町の本願寺の僧が朝鮮から持ち帰って 多岐町慈眼寺に奉納していたが、1609年初代松江藩主・堀尾吉晴が 陣鐘として築城中の松江城に持ち込んだが、1638年松平直政が藩主 となると1639年天倫寺を開創しここに鐘を移している。 ...続きを見る

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2011/07/21 20:26
羅漢寺 (島根県大田市) 世界遺産石見銀山
2007年に登録された世界遺産<石見銀山遺跡とその文化的景観>の 構成員の一つとして羅漢寺は含まれている。 羅漢寺の五百羅漢はその構成員として、石見銀山で亡くなった人々の 霊と先祖の霊を弔うために彫られ、1766年に完成している。 五百羅漢は石窟の中に安置され、それに到る反橋3基も文化的景観と して構成員になっている。 ...続きを見る

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2011/07/16 09:50
西本寺、栄泉寺 (島根県大田市) 石見銀山のお寺
石見銀山の中央を通る道路沿いに、山門が特色のお寺が西本寺と 栄泉寺である。 石見銀山には10ヶ寺のお寺があるが、山門に魅かれるお寺は他に 勝源寺の楼門だろう。 ...続きを見る

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2011/07/16 09:02
清水寺 (島根県大田市) 石見銀山の最古刹
石見銀山にある清水寺は、7世紀初期に石見銀山遺跡の仙山(538m)頂上付近の 石銀に天池寺として建立されたのが始まりと伝えられている。 仙山一帯は銀産出が最も多かった地区といわれている。 その後、何度か場所を変えて、1878年現在地に落ち着いている。 戦国時代から江戸時代初期にかけては銀山統治者の庇護も受けて大いに 栄えたと言われている。 特に、徳川家康から安原伝兵衛への贈り物といわれる<辻ケ花染丁字文胴服> が伝兵衛の奉納品として清水寺に伝わることが、その栄えた様子を伝えている。... ...続きを見る

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2011/07/11 08:39
勝源寺 (島根県大田市) 石見銀山奉行・代官の菩提寺
徳川家康は石見銀山の重要性に鑑み、1601年石見銀山奉行を設け、 その初代奉行に大久保長安を命じ、2代奉行に竹村丹後守を当らせ、 銀山の開発に力を注いでいる。 徳川幕府は1675年には奉行に代わって代官を任じている。 江戸時代を通じて石見銀山の産出量は世界でも有数の産出量を誇り、 徳川幕府の財政を支えている。 ...続きを見る

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2011/07/08 09:41
満行寺 (島根県大田市) 石見における真宗拠点
大田市仁摩町天河内の丘陵部にある満行寺の始まりは真言宗の 西光寺と伝えられている。 永禄年間(1558〜1570年)に照善坊照西が浄土真宗に改宗し、 石見地域での浄土真宗布教の拠点としたといわれている。 照西は石見銀山山吹城の城代・小笠原氏の子息で、山吹城が落城 の時に西光寺に入り出家したといわれている。 ...続きを見る

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2011/07/05 09:17
医光寺 (島根県益田市) <名勝>雪舟庭園
1478年益田七尾城主・益田兼堯の招きで益田に入った雪舟は、翌年 万福寺と医光寺に庭園を作ったと伝えられている。 その庭園が雪舟庭園として国の名勝に指定されており、雪舟を偲ぶ 貴重な資料となっている。 池泉観賞式の石庭で、石の配置の妙が特色である。 ...続きを見る

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2011/07/04 14:13
万福寺 (島根県益田市) <名勝>雪舟庭園
1478年頃、益田七尾城主15代・益田兼堯の招きにより益田に入った 画聖雪舟は翌年に万福寺と医光寺に庭園を築いたと伝えられている。 万福寺庭園は須弥山世界を象徴した石庭で、池と石の配置が絶妙な ハーモニーを奏でる名庭園といえるだろう。 雪舟は益田に逗留中に<益田兼堯像(画)>も残している。 ...続きを見る

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2011/07/03 10:24
永明寺 (島根県津和野町) 津和野城主の菩提寺
1282年能登から津和野に入った吉見頼行は、1295年から山上に城を 築き始め1324年吉見氏2代の頼直が完成させている。 以降、明治維新まで津和野は城下町として栄え、現在は小京都と呼ばれて 観光地として栄えている。 吉見氏・坂崎氏・亀井氏と続く津和野城主の菩提寺が永明寺である。 ...続きを見る

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2011/07/01 12:58
亨徳寺 (山口県萩市) 山門の彫刻
1695年に建立された山門は楼門形式で、萩市の文化財に指定されて いるが、扉の彫刻<孔雀><鳳凰>は飛騨甚五郎の作と伝えられ、 山門は京都聚楽第の北門を移築したという伝承もあるらしい。 ...続きを見る

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2011/06/30 11:31
海潮寺 (山口県萩市) 藩校明倫館遺構
海潮寺は1874年山門と蔵を残して焼失したため、長州藩の藩校であった 明倫館の遺構・聖廟(孔子を学神として祀った)を買収し本堂として1875年に 移築している。 明倫館は1718年に創建されており、日本三大学府の一つに数えられていた。 <日本三大学府:明倫館、水戸・弘道館、岡山・閑谷学校> ...続きを見る

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2011/06/28 09:13
常念寺 (山口県萩市) <重文>表門
萩市の寺町界隈の狭い道路に面して建つ<重文>表門は、 豊臣秀吉が建立した聚楽第(京都)の裏門であったと伝えられているが 確たる資料は残っていない。 毛利輝元が秀吉から裏門を譲られそれを伏見の自邸に移築し、その後 萩城築城に際してその裏門を萩城内に再度移築している。 萩城築城の時に輝元は常念寺を宿舎にした縁で、長州萩初代藩主・毛利秀就 が1633年常念寺に寄進している。その移築時の棟札が残っている。 ...続きを見る

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2011/06/25 13:32
大照院 (山口県萩市) 長州萩藩主毛利家の菩提寺
萩市街地の南端山麓にある大照院は長州萩初代藩主・毛利秀就を始めとした 偶数代の藩主6名の墓所がある毛利家の菩提寺である。 大名菩提寺として江戸時代は大いに栄えたと思われるが、今日では寺域も 縮小され少し寂しい空気が漂っている。 しかし、伽藍5棟は重要文化財に指定され、庭園や整然と並んだ藩主墓所の 石燈籠など見るべきものも多い名刹である。 ...続きを見る

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2011/06/24 13:33
円政寺 (山口県萩市) 伊藤博文ゆかりの寺
円政寺は、1254年現在の山口市円政寺町に守護大名・大内氏の祈願所 として開創され、1604年毛利氏が萩に移封された頃円政寺も萩塩屋町 に移転している。 一方、現在円政寺のある地には法光院が江戸時代に開創され、金毘羅社 も建造された神仏習合のお寺で、幕末には伊藤博文が幼少の頃法光院で 1年半ばかり学んだといわれている。 明治時代になって、円政寺が廃寺となり法光院と合併して現在の円政寺が 再出発している。 ...続きを見る

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2011/06/23 14:29
山口県のお寺
山口県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2011/06/23 09:42
願成院 (大分県竹田市) <重文>本堂(愛染堂)
竹田市の<歴史の道>を辿って行くと八幡山への石段参道へと続くが、 それを登り切った所に願成院愛染堂(本堂)が姿を現す。 願成院はもともと岡城西尾根に、2代藩主・中川久盛が1618年岡藩の祈祷所 として開創した密教寺院で、藩内の安全及び蕃の繁栄を祈願していた。 ...続きを見る

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2011/06/22 09:13
観音寺 (大分県竹田市) 十六羅漢
竹田市の一大イヴェントとなっている竹燈籠二万本を燈す<竹楽>の メイン会場となっている<歴史の道>が参道である観音寺。 また、江戸時代後期に彫られたといわれる石造十六羅漢がその参道崖に 安置され、竹田市観光のスポットとなっている。 ...続きを見る

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2011/06/16 09:48
豊音寺 (大分県竹田市) 山門の龍図
竹田市は豊後岡城の城下町として栄え、現在は観光都市として再生を 図っているが、その施策として2000年から竹燈籠によるライトアップ <竹楽>を11月下旬に行っている。 その行事の一つの拠点になっている豊音寺は寛永年間(1624〜44年)に 開創された曹洞宗のお寺である。 ...続きを見る

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2011/06/14 09:18
英雄寺 (大分県竹田市) 織田信長家臣・佐久間盛政の菩提寺
豊後岡藩の初代藩主・中川秀成の正室・虎姫の父・佐久間盛政の菩提寺が 英雄寺であるが、2代藩主・中川久盛(虎姫は母)が佐久間盛政の菩提を 弔うために1644年開創している。 佐久間盛政(1554〜1583年)は織田信長の家臣で、鬼玄蕃と呼ばれた 猛将として活躍し、信長亡き後柴田勝家に従ったが賤ヶ岳の戦いで敗れ、 秀吉によって斬首されている。 ...続きを見る

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2011/06/13 19:43
碧雲寺 (大分県竹田市) 岡藩主中川家の菩提寺
1594年播磨三木から豊後岡城(竹田市)に入城した中川秀成が1600年 に岡藩初代藩主になって以来、江戸時代末期の13代藩主まで中川家が 治め、竹田の城下町としての繁栄が続いた。 秀成が築いたお茶屋を2代藩主・久盛が秀成死去の1612年菩提寺として 碧雲寺を開創している。 ...続きを見る

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2011/06/11 09:27
普光寺 (大分県豊後大野市) 不動明王磨崖仏
大分県には臼杵磨崖仏を始めとして多くの磨崖仏があり、豊後磨崖仏 と呼んでその存在感が高い。 その一つである普光寺磨崖仏は鎌倉時代に彫られたと推定され、高さ15m と国内最大級の磨崖仏といわれている。 谷を挟んで本堂境内から眺める磨崖仏と洞窟に建てられた護摩堂の 風景は圧巻である。 ...続きを見る

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2011/06/09 09:04
神角寺 (大分県豊後大野市) 九州で唯一の<重文>仁王像
豊後大野市の神角寺山(730m)頂上付近にある神角寺へのルートは 解り難いルートで、迷い迷いしながらの登り道である。 朝倉文雄記念館からのルートを探し出すのに一苦労。 それほどに奥深い所であるが、頂上には神角寺を含めて県立自然公園と なっており、シャクナゲの咲く5月には多くの観光客が押し寄せるらしい。 帰り道でまたまた迷い、記憶に深く刻まれたお寺となった。 ...続きを見る

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2011/06/08 09:14
熊本県のお寺
熊本県といえば加藤清正が思い浮かぶが、彼の菩提寺が熊本市にある 本妙寺で、熊本県では代表的なお寺といえよう。 国の重要文化財に指定されているお寺の建造物は全て球磨地域に 集中しており、それも山里の中に残されている。 ...続きを見る

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2011/06/07 10:55
千光寺 (熊本県南小国町) 平重盛を供養する寺
南小国の山里にどうして平重盛(平清盛の長男)を供養する寺を開創した のか不思議に思いつつ訪れた。 観音堂のみが建つ無住のお寺だけにその<どうして>も不明のままに 引き上げた。教育委員会の説明板では、重盛の遺臣によって菩提を弔うために 開創されたとしか記されていない。 ただ、本尊十一面観音像の後背に<安元元年(1175年)末三月中旬建立>の墨書が あるが、平重盛の没年は1179年でありその前後については不詳といえよう。 ...続きを見る

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2011/06/03 08:50
満願寺 (熊本県南小国町) 阿蘇山一帯の名刹
阿蘇山の北に位置する南小国町は豊かな自然と温泉の郷として、近年 脚光を浴びている。その中心が<黒川温泉>で女性旅行者には抜群の 人気があり、予約も困難な温泉郷である。 その黒川温泉に近い<満願寺温泉>は地元の人達の生活に密着した 温泉といえるが、その温泉の中心が鎌倉時代の名刹・満願寺である。 ...続きを見る

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2011/06/01 14:25
願成寺 (熊本県人吉市) 人吉藩主・相良家の菩提寺
相良氏は平安時代末期頃、遠江(静岡県)相良荘の地頭であったといわれ、 1193年相良頼景は源頼朝の命により多良木村(熊本県多良木町)の地頭 で入り、1198年頼景の長男・長頼が人吉に配され、 1205年人吉の地頭になっている。 その後も人吉を中心に肥後南部を相良氏(長頼系統)が統括し、江戸時代には 人吉藩の藩主として明治維新まで相良家は続いた。 このように長い期間にわたって一地域を統治した氏族は珍しいと思われる。 ...続きを見る

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2011/05/31 15:36
石水寺 (熊本県人吉市) 海棠の花
球磨川の支流・馬氷川を山手に向かって入った下原田の山麓に海棠のピンクの花が 迎えてくれる石水寺の風景は一幅の絵画である。 石の眼鏡橋と石門の造り出す参道が参拝者の気持ちをまず静めてくれ、 石門を潜ると境内一面に海棠の花が彩りを放っている。 ...続きを見る

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2011/05/30 13:47
大信寺 (熊本県人吉市) 西南の役ゆかりの寺
明治10年(1877年)5月31日、西南の役(西南戦争)で官軍は人吉に入り、 永国寺を本営とする西郷軍との戦いが始まり、33日間人吉の戦いが続いた。 この時、大信寺は官軍の拘置所として使われいる。 西南の役での戦死者は、官軍6843名西郷軍7476名にのぼっているが、 その慰霊塔が境内に建てられている。 ...続きを見る

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2011/05/29 15:33
永国寺 (熊本県人吉市) 西郷隆盛ゆかりの寺
人吉市街地にある永国寺は、幽霊伝説の<幽霊の掛け軸>が展示され、 別称・ゆうれい寺とも呼ばれている。 明治10年熊本田原坂の戦闘で敗れた西郷軍は4月27日人吉に逃れ、 ここ永国寺に本営を築き、33日間奮戦の後西郷は小林へと退却している。 ...続きを見る

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2011/05/28 14:28
八勝寺 (熊本県湯前町) <重文>阿弥陀堂
熊本県湯前町の城泉寺近くの農道沿いにポツンと建つ八勝寺阿弥陀堂は、 一つのお堂のみで八勝寺はお寺としての機能は果たしておらず、集落の 人達が維持管理している。 阿弥陀堂は2002年に重要文化財に指定された新しい文化財である。 阿弥陀堂の建立は15世紀後半と考えられており、厨子は16世紀の作と 推定されている。 人吉・球磨地方の中世様式を残す貴重な資料となっている。 ...続きを見る

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2011/05/27 13:47
宝陀寺 (熊本県湯前町) 山中の観音堂
城泉寺に近い山中にポツンと建つ宝陀寺観音堂は明治維新後廃寺となった 宝陀寺の唯一残るお堂であるが、1696年建立と考えられる古いお堂である。 宝陀寺の開創については不詳であるが、室町時代中期まで勢いを持った 地元の豪族・久米氏の開創と伝えられている。 なお、観音堂は元は茅葺であったが、現在は瓦葺となっている。 本尊十一面観音立像は南北朝時代の作で、京から運ばれたという伝承が あるらしい。 ...続きを見る

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2011/05/27 09:11
明導寺 (熊本県湯前町) 木造洋風の本堂
宮崎県境の熊本県湯前町にある明導寺は、明治14年(1881年)浄照和尚が 浄土真宗の布教のためにこの地に開創したのが始まりである。 この球磨の地域や薩摩は江戸時代、浄土真宗はご法度となっていた。 ...続きを見る

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2011/05/24 09:13
城泉寺<明導寺> (熊本県湯前町) <重文>阿弥陀堂
鎌倉時代初期に、地元の豪族・久米氏が菩提寺として浄心寺を開創したのが 城泉寺の始まりであると伝えられている。 現在は、阿弥陀堂と石塔が残っているが、1915年阿弥陀堂が文化財に 指定される時に城泉寺と誤記されその後、城泉寺となっている。 また、無住のため明導寺が飛地境内として所有・管理するようになった。 ...続きを見る

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2011/05/23 09:04
生善院 (熊本県水上村) <重文>観音堂
宮崎県境に位置する熊本県水上村の生善院は、1582年謀反の疑いで非業の死を とげた普門寺盛誉と、その後を追って死んだ母・玖月善女の菩提を祀るために、 1625年人吉藩主・相良長毎によって開創されている。 その時創建された観音堂が現在も残り、堂の内外を漆塗りし金箔などを使った 江戸時代前期の様式と霊屋的な意匠がこの地域では希少な価値を 残している。 ...続きを見る

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2011/05/21 11:47
青蓮寺 (熊本県多良木町) <重文>阿弥陀堂
肥後国球磨地域の領主であった相良氏は、1193年遠江(静岡西部)から相良頼景 が多良木に来たことから始まり、1198年頼景長男の長頼が人吉に来て、 多良木相良と人吉相良の二家が誕生した。 その後、1448年には両家は争い人吉相良が球磨を統一し、明治維新まで 相良氏が肥後南部を統治している。 ...続きを見る

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2011/05/19 09:21
往生院 (熊本県熊本市) 熊本での浄土宗中核であった
法然上人の高弟で、浄土宗第二祖でもある弁長(鎮西国師)が1226年に 開創したと伝えられている名刹で、江戸時代には寺社奉行と浄土宗寺院との 間を管轄する触頭としてこの地域の中核として栄えたといわれている。 現在は、境内が墓地化し寂しい風景となっている。 ...続きを見る

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2011/05/16 09:24
大慈寺<大慈禅寺> (熊本県熊本市) 曹洞宗の元九州本山
熊本市の南を流れる緑川沿いにある大慈寺は、1278年道元禅師の高弟・ 寒厳禅師によって開創され、明治時代初期の廃仏毀釈の嵐が吹くまでは 九州本山として九州曹洞宗の中核として栄えたといわれている。 明治時代以降は荒廃したが、戦後再興され多くの修行僧が修行している。 ...続きを見る

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2011/05/12 09:22
長寿寺 (熊本県熊本市) 木原不動尊
熊本市の南端にある雁回山(517m)北麓に位置する長寿寺は、通称 木原不動尊と呼ばれ親しまれている。 木原不動尊は日本三大不動尊の一つに数えられ、2月28日の春季大祭 では大護摩祈祷・火渡り・湯立ての荒行が行われ数万人の参拝者で 賑わうそうだ。 日本三大不動尊には諸説あるが、成田不動尊(千葉県)目黒不動尊 (東京都)が数えられている。 ...続きを見る

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2011/05/10 09:40
本妙寺 (熊本県熊本市) 加藤清正の菩提寺
熊本市のシンボル熊本城は日本三名城の一つに数えられているが、その 実質上の築城主・加藤清正の菩提寺が本妙寺である。 本妙寺は1585年加藤清正が父・清忠の菩提を弔うために大阪に開創された のが始まりである。 1586年に熊本城主となった清正は、1600年に熊本城下に本妙寺を移し、 1611年清正が没すると現在の浄池廟に祀られている。 1614年本妙寺が火災で焼失した後、現在地に本妙寺が再興されている。 清正は熱心な日蓮宗信者で、日蓮宗のお寺で清正を祀る堂宇を結構見かける。 ...続きを見る

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2011/05/08 08:48
雲巌寺 (熊本県熊本市) 宮本武蔵ゆかりの霊巌洞
熊本市の西・松尾町の山里にある雲巌寺は、岩戸観音の通称で呼ばれ、 雲巌寺の奥の院・霊巌洞に岩戸観音(馬頭観音)が祀られている。 1643年宮本武蔵はこの霊巌洞に籠って<五輪書>を書き始め、 1645年には熊本城内の屋敷で62歳の生涯を閉じている。 ...続きを見る

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2011/04/30 16:58
曹源寺 (岡山県岡山市) 岡山藩主池田家の菩提寺
岡山県岡山市にある曹源寺は、岡山藩主第2代池田綱政が祖父と父 光政の菩提を弔うために開創した禅寺で、その後岡山藩主の菩提寺 となった。 藩主菩提寺に相応しい境内の広さと伽藍の充実・池泉回遊式庭園を 備えた雅致と幽玄に富んだ風景が展開される。 ...続きを見る

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2011/02/06 09:05
不洗観音寺 (岡山県倉敷市) 子授り・安産祈願の寺
岡山県倉敷市の帯江にある不洗観音寺は、天平年間(729〜749年) に行基と菩提遷那によって観音菩薩を安置したことに始まると伝えられて いるが、同じ天平年間に増慶上人が夢告によって大和長谷寺に参籠し 勧請した十一面観音を子授け・安産の本尊として祀ったのが不洗観音 の始まりと言われている。 江戸時代になると多くの女性の信仰を集め、この地域ばかりでなく 遠くからからも子授り・安産祈願に参拝者が訪れたと記録にある。 ...続きを見る

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2011/02/06 08:55
善導寺(福岡県久留米市) 浄土宗の七大大本山
九州のお寺を廻っていて思うには、善導寺の伽藍・境内の趣など九州随一の ものがあり、奈良や京都のお寺に匹敵する風格を感じる。 ...続きを見る

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2011/02/03 16:30
清水寺 (福岡県みやま市) <名勝>借景庭園
九州のお寺の庭園では一番見ごたえのある庭園が清水寺の 庭園ではないだろうか。 愛宕山を借景にした池泉回遊式の庭園で、紅葉は言うに及ばず 四季を通じて絶景を楽しめるだろう。 何度も足を運びたいお寺である。アクセスは少し不便だが。 ...続きを見る

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2011/02/03 10:47
誕生寺(岡山県久米南町) 法然上人生誕地
法然上人の生誕地に1193年法力房蓮生法師(熊谷直実)によって開創された 誕生寺は浄土宗の聖地として参拝される人が絶えないお寺である。 ...続きを見る

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2011/01/24 19:51
頼久寺(岡山県高梁市) 小堀遠州の庭園
難攻不落の山城といわれた<重文>備中松山城(高梁城)の代官(城主) となった小堀遠州(当時は政一)は城が荒れていたため、頼久寺に住し 天守閣の改修を行った。(1600〜1617年) 頼久寺の庭園はその時に小堀遠州によって作庭された。 小堀遠州作の庭と伝えられる庭は数多くあるが、真作の庭として 貴重な庭園である。 ...続きを見る

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2011/01/15 21:20
富貴寺 (大分県豊後高田市) <国宝>富貴寺大堂
大分県豊後高田市にある富貴寺は、718年仁聞菩薩によって開創されたと 伝えられているが詳細は不詳である。 仁聞菩薩は国東半島に山岳宗教の28道場を開いたと言われる伝説上の僧で、 六郷満山霊場の始まりを築いたと伝承されている。 ...続きを見る

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2010/12/30 13:16
本山寺(岡山県美咲町) 法然上人ゆかりの寺
法然上人の両親−−漆間時国・秦氏−−が子授け祈願をされ、法然上人が 無事誕生された(誕生寺の地で)と伝わる本山寺は、城郭風の石垣が目立つ お寺である。 ...続きを見る

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2010/12/29 13:17
浄土寺(広島県尾道市) その1 国宝のお寺
浄土寺 その1 国宝のお寺 ...続きを見る

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2010/12/08 10:50
崇福寺(そうふくじ)(長崎県長崎市) 中国風の<国宝>伽藍
中国様式では日本最古の国宝伽藍のお寺、崇福寺は中国福建省出身の 華僑が中心となって創建されたお寺で、別名福州寺ともいわれている。 ...続きを見る

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2010/12/08 10:40
永勝寺 (福岡県久留米市) 日本三薬師
福岡県久留米市の耳納山地山麓にある永勝寺は、680年天武天皇が皇后の 病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願されたがその同じ頃開創されたと 伝えられている。 境内から奈良時代の瓦などが出土したことからも奈良時代に遡る古刹と 考えられている。 平安時代には白河天皇からも帰依を受け大いに栄えたと言われている。 また、<島根県出雲市の一畑寺(一畑薬師)><愛媛県西予市の善福寺 (山田薬師)>とともに日本三薬師と呼ばれ鎮西一の大寺として隆盛を 誇ったと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/12/08 09:24
福岡県のお寺
福岡県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2010/12/07 09:04
千光寺 (福岡県久留米市) 筑後の名門・草野氏の菩提寺
福岡県久留米市の耳納山地山麓にある千光寺は、1180年栄西禅師が 薬師如来・釈迦三尊を山中に祀り、白銀山千光院を建立したのに 始まると伝えられている。 宋から帰朝した栄西は筑後の主・草野永平の支援を得て1192年七堂伽藍 を建立し千光寺を開創した。 これは禅寺としても最古級といえよう。 その後盛衰を経て、1502年黙巌和尚が草野重永の招きに応じて中興し、 曹洞宗の寺として筑後・曹洞宗の中核寺となった。 ...続きを見る

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2010/12/06 09:40
観興寺 (福岡県久留米市) 九州西国三十三観音霊場第18番
福岡県久留米市の耳納山地山麓にある観興寺は、650年頃草野の豪族・ 草野常門が千手観音を祀ったのが始まりと伝えられている。 境内の池から大宰府の都府楼(奈良〜平安時代)と同じ観興寺の銘の入った 布目瓦が発見され、お寺の隆盛が偲ばれる。 ...続きを見る

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2010/12/03 09:18
専念寺 (福岡県久留米市) 九州の日光
福岡県久留米市東部の草野にある専念寺は、1204年持願上人によって 開創されたと伝えられている(一説には1233年)。 16世紀半ばに善導寺の僧・清巌によって再興されている。 本堂は1854年に再建されているが、1911年に内部装飾や壁画が 施され<九州日光>と呼ばれる華麗な彩りとなっている。 ...続きを見る

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2010/12/01 09:51
観音寺 (福岡県久留米市) 九州西国三十三観音霊場第19番
福岡県久留米市の東端にある観音寺は、673年天武天皇の勅願によって 開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 709年観音寺となり、713年には多くの末寺と寺領を持つ筑後路最大の 大寺であったと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/11/29 09:32
本仏寺 (福岡県うきは市) 西身延
福岡県うきは市の耳納山地山麓にある本仏寺は、1875年鎮西栴檀林として 開基され、1884年堂宇が建立され開山となっている新しいお寺である。 またその時に身延山から日蓮聖人の遺骨の分骨が運ばれ、納められている。 境内は広大で、伽藍・参道なども整備され日蓮宗の西身延と呼ばれるに 相応しい規模を誇っている。 ...続きを見る

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2010/11/25 12:27
大生寺 (福岡県うきは市) 山寺の和尚さん
福岡県うきは市の耳納山地山麓にある大生寺は、奈良時代前半に行基が 道場を開いたのが始まりと伝えられている。 782年五台山大聖寺として勅願寺となり大いに栄えたが、その後衰え 1391年曹洞宗の無箸禅師によって再興されたが、盛衰を経て1648年 久留米藩主の支援によって臨済宗の寺として復興している。 ...続きを見る

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2010/11/23 09:54
清水寺 (福岡県うきは市) 名水百選の清水湧水
福岡県うきは市の耳納山地東端の山麓にある清水寺は、1249年常陸の 修行僧・日用比丘が当地に巡錫した折、清浄な湧水を発見し、ここに逗留し 草庵を築いたことに始まると伝えられている。 盛衰を経て、1668年久留米藩の支援を受けて再興された。 ...続きを見る

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2010/11/21 19:38
長福寺 (大分県日田市) <重文>本堂
大分県日田市の伝統的建造物のある豆田町の中心地にある長福寺は、 1584年宗榮が日田の城内村に草庵を開いたのが始まりと伝えられて いる。1615年に東本願寺に属し、1637年現在の地に移っている。 ...続きを見る

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2010/11/19 09:38
松屋寺 (大分県日出町) 日出藩主木下家の菩提寺
大分県日出町にある松屋寺は、養老年間(717〜724年)に千手観音三尊を 祀って水月堂として開創されたと伝えられている。 文応年間(1260〜1261年)に西明寺として天台宗の寺となり、1607年 日出藩初代・木下延俊(豊臣秀吉正室・ねねの甥)が祖母(ねねの母)・朝日局 の菩提を弔うために堂宇を修復し、松屋寺として木下家の菩提寺とした。 ...続きを見る

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2010/11/17 13:24
願成就寺 (大分県日出町) 国東六郷満山霊場第33番
大分県日出町の豊前街道沿いにある願成就寺は、伝説上の僧・仁聞菩薩 が六郷満山最後に開創したと伝えられている。 別名日出妙見と呼ばれ開運祈願の信仰が篤い古刹である。 ...続きを見る

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2010/11/15 09:47
妙経寺 (大分県杵築市) 枯山水庭園
大分県杵築市の妙経寺は平安時代末期に開創されたと伝えられているが、 詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2010/11/13 09:31
長昌寺 (大分県杵築市) 杵築藩主松平家の奥方の菩提寺
大分県杵築市の寺町にある長昌寺は、杵築初代藩主・松平英親が 奥方の菩提寺として開創した。 藩主の菩提寺は同じ寺町にある養徳寺である。 ...続きを見る

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2010/11/11 10:01
養徳寺 (大分県杵築市) 杵築藩主松平家の菩提寺
大分県杵築市の寺町にある養徳寺の開創については不明であるが、 徳川家康の先祖・松平氏の傍流・能見松平家の松平英親が1645年 豊後高田藩主から豊後杵築藩主に移封した頃に、養徳寺は松平家の 菩提寺となっている。 現在は第6代・第7代藩主の墓塔が残っている。 ...続きを見る

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2010/11/09 09:30
照恩寺 (大分県国東市) <重文>国東塔
大分県国東市武蔵町の照恩寺の開創については不詳である。 <重文>国東塔は、もとは近くの椿八幡神社の池の中島に建っていたが、 明治維新の神仏分離により倒され放置されていたが、1889年照恩寺の 要請で照恩寺の境内に移され今日に至っている。 この国東塔は1316年のもので、国東塔の中でも最も美形とうたわれている。 ...続きを見る

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2010/11/03 10:10
報恩寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第17番
大分県国東市武蔵町にある報恩寺は、718年伝説上の僧・仁聞菩薩 によって開創されたと伝えられている。 六郷満山寺院として山岳信仰の布教拠点として活動していたと思われる。 ...続きを見る

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2010/11/01 09:20
西光寺 (大分県国東市) 珍しい国東塔
大分県国東市武蔵町にある西光寺の開創については不詳であるが、 国東塔に刻まれた銘文から1387年以前の開創と推察される。 ...続きを見る

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2010/10/30 09:30
安国寺 (大分県国東市) 豊後安国寺
大分県国東市国東町にある安国寺は、1394年絶海中津禅師によって 開創されたと伝えられている。 1338年頃足利尊氏・直義兄弟が夢窓国師の意を受けて、南北朝争乱の 犠牲者の霊を弔うために全国66ヶ国・2島の68ヶ所に安国寺・利生塔を 建立することを発願した。 1338年から建立が始まり、豊後安国寺は68番目の最後に建立されたと 伝えられているが、実際はもっと早く建立されていたのではないかと 考えられている。 ...続きを見る

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2010/10/28 09:41
泉福寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第32番
大分県国東市にある泉福寺は、1375年豊後国の支配者・大友氏の 一族・田原氏能が母・無伝尼の発願で開創したと伝えられている。 開山・無著妙融が迎えられ、曹洞宗寺院として開創されたが、一般民衆 にも根付いた曹洞宗として発展し、江戸時代には九州曹洞宗の中核拠点 として栄えたと言われている。 ...続きを見る

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2010/10/26 09:10
両子寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第13番
大分県国東市の国東半島最高峰・両子山(721m)の中腹に展開する 両子寺は、718年伝説上の僧・仁聞菩薩によって開創されたと 伝えられている。 六郷満山の修行寺として栄え、江戸時代には六郷満山寺院を総括する 総持院として、また杵築藩主・松平家の祈願所として大いに栄えたと 言われている。 ...続きを見る

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2010/10/24 09:56
成仏寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第29番
大分県国東市国東町にある成仏寺は、718年伝説上の僧・仁聞菩薩によって 開創されたと伝わるが詳細は不詳である。 この仁聞菩薩が伝えたと言われている<鬼会式>は平安時代末期には史実と して記されており、多くの六郷満山寺院では行われていたと考えられている。 しかし、現在では、天念寺・岩戸寺・成仏寺に伝えられているのみで、旧正月 に<修正鬼会>として行われている。 ...続きを見る

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2010/10/22 09:33
文殊仙寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第25番
大分県国東市の文殊山(617m)の山腹に広がる文殊仙寺は、 648年役行者が文殊菩薩を祀ったのが始まりと伝えられている。 718年仁聞菩薩が山岳宗教の道場として開き、六郷満山寺院として 栄えたと伝えられている。 江戸時代には杵築藩主松平家の祈願所にもなっている。 ...続きを見る

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2010/10/20 09:18
岩戸寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第26番
大分県国東市国東町にある岩戸寺は、718年宇佐八幡の応現と伝承される 仁聞菩薩によって開創されたと伝えられている。 平安時代末期には<六郷二十八山本寺目録>に見られるように山岳宗教の 布教寺として活動していた。 ...続きを見る

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2010/10/18 09:20
長慶寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第27番
大分県国東市国東町にある長慶寺の開創については不詳であるが、 国東六郷満山霊場第27番としてそれなりの歴史を有するものと思われる。 樹林に囲まれ静寂の環境にある。 ...続きを見る

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2010/10/16 10:02
清浄光寺 (大分県国東市) 国東六郷満山霊場第22番
大分県国東市国見町にある清浄光寺は、718年伝説上の僧・仁聞菩薩によって 開創されたと伝えられているが、詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2010/10/14 09:08
実相院 (大分県豊後高田市) 国東六郷満山霊場第21番
大分県豊後高田市の夷耶馬と呼ばれる夷谷にある実相院の開創については 不詳であるが、昔は隣にある霊仙寺の僧坊で実相坊と称していたらしい。 江戸時代の初期に実相院と呼ばれるようになったと言われている。 ...続きを見る

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2010/10/12 08:56
霊仙寺 (大分県豊後高田市) 国東六郷満山霊場第20番
大分県豊後高田市の<夷耶馬>と呼ばれる夷地区にある霊仙寺は、 718年伝説上の僧・仁聞菩薩によって開創されたと伝えられている。 六郷満山末山本寺として山岳宗教の布教にあたったと言われている。 ...続きを見る

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2010/10/10 09:23
無動寺 (大分県豊後高田市) 国東六郷満山霊場第10番
大分県豊後高田市の黒土耶馬絶壁の下にある無動寺は、718年宇佐八幡神 の応化と言われる伝説上の僧・仁聞菩薩によって開創されたと伝えられている。 修行と祈祷の道場として栄え、藤原時代から鎌倉時代にかけての仏像が 多く護持されてきている。 ...続きを見る

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2010/10/08 09:26
応暦寺 (大分県豊後高田市) 国東六郷満山第11番
大分県豊後高田市大岩屋にある応暦寺は、718年宇佐八幡神の応化と言われる 伝説上の僧・仁聞菩薩によって開創されたと伝えられている。 縁起については不詳な所があるが、修行道場として六郷満山の中での位置づけに あったと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/10/06 09:14
天念寺 (大分県豊後高田市) 川中不動
大分県豊後高田市にある天念寺は、718年伝説上の僧・仁聞菩薩によって 開創されたと伝えられている。 仏像などから平安時代末期には、六郷山の修行道場として存在したと 考えられている。 また、天念寺に伝わる火祭り<修正鬼会>の歴史からも平安時代の 開創とみていいのだろう。 ...続きを見る

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2010/10/04 09:19
長安寺 (大分県豊後高田市) 国東六郷満山霊場第8番
大分県豊後高田市の屋山(543m)中腹にある長安寺は、718年伝説上の 僧・仁聞菩薩によって開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 平安時代末期には六郷山の山岳宗教の中核的な存在であったと考えられている。 ...続きを見る

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2010/10/02 08:48
胎蔵寺 (大分県豊後高田市) 国東六郷満山霊場第5番
大分県豊後高田市の田原山(542m)山麓にある胎蔵寺の開創については 不詳であるが、国東半島山岳宗教の霊場(六郷満山)であり、また修験者の 峰入りの出発点にもなっている。 また、裏山には熊野磨崖仏があり、観光スポットにもなっている。 ...続きを見る

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2010/09/28 20:05
真木大堂 (大分県豊後高田市) 仏像の宝庫
大分県豊後高田市にある真木大堂は、718年に仁聞菩薩によって開創されたと伝える 伝乗寺の一堂宇と言われている。 1300年頃火災によって伝乗寺の各坊が悉く焼失し、それらの仏像が真木大堂に 集められ、真木大堂が伝乗寺を引き継いでいる。 ...続きを見る

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2010/09/26 19:37
合元寺 (大分県中津市) 赤壁寺
大分県中津市寺町にある合元寺は、1587年初代中津城主となった黒田如水 (孝高)が開創したと伝えられている。 1589年旧豊前国大名であった城井鎮房(宇都宮鎮房)が暗殺された後、 合元寺に拠点を置いていた城井家臣団が黒田軍によって滅ぼされ、その時 血潮が寺の塀などに飛び散った。 以来、何度塗り替えても血の色が落ちないことから、壁などを赤に塗ったと 伝承されている。 ...続きを見る

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2010/09/24 15:02
羅漢寺 (大分県中津市本耶馬渓) 岩窟の日本三大五百羅漢
大分県中津市本耶馬渓にある羅漢寺は、インドから渡来したと伝承される 法道仙人が645年開創したと伝えられているが詳細は不詳である。 1338年頃栄西禅師の弟子・円龕昭覚禅師が、近くにある古羅漢に堂宇を 建立したのが実質上の開創と推定されている。 以来、円龕禅師は逆流建順とともに五百羅漢など三千数百体の石仏を 彫り祀っている。 ...続きを見る

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2010/09/22 09:52
芝原善光寺 (大分県宇佐市) 豊前善光寺
大分県宇佐市にある芝原善光寺(正式名:善光寺)は、958年空也上人によって 開創されたと伝えられている。 空也上人は信濃善光寺に参籠した時、信濃善光寺から仏勅を受けて九州に下り 、宇佐八幡宮で神のお告げを受けて堂宇を建立し、信濃から持ってきた 一光三尊如来を祀ったと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/09/17 06:08
自性寺 (大分県中津市) 池大雅ゆかりの寺
大分県中津市の市街地にある自性寺は、中津藩主・奥平家の先祖・奥平信昌 が1577年三河新城(愛知県)に奥平家の菩提寺として万松寺を開創したのが 始まりである。 奥平氏は信昌以降、徳川家康の外孫として重視され、藩主として各地の藩主 を務め、最後に1711年中津藩主になっている。 これに伴い、万松寺も転々と移り、1717年現在の中津に移転している。 1745年に自性寺と改名している。 ...続きを見る

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2010/09/15 08:40
龍岩寺 (大分県宇佐市) 岩窟の<重文>奥の院礼堂
大分県宇佐市院内の山間にある龍岩寺は、746年行基が宇佐神宮に 参籠の折、龍女に導かれてこの地に三体の仏像を岩窟に祀ったのが 始まりと伝えられている。 行基開創の49院の一つと伝承され、この地を院内と呼ぶ由来とされている。 ...続きを見る

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2010/09/13 09:09
正楽寺 (岡山県備前市) 中国三十三観音霊場第3番
岡山県備前市の蕃山にある正楽寺は、749年報恩大師による開創と 伝えられる古刹で、江戸時代には岡山藩主池田家の祈願所となり、 陽明学者の熊沢蕃山が一時隠棲した地であり、現在の地名は熊沢 蕃山から来ている。 山門は日光の陽明門を模して造られたとも言われ、その彫刻は 見るべきものがある。 静かな境内と伽藍の配置の妙がお寺の風格を造っている。 ...続きを見る

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2009/07/02 08:47
静円寺 (岡山県瀬戸内市邑久町) 竹久夢二ゆかりの寺
岡山県瀬戸内市邑久町にある静円寺は、730年行基によって開創 されたと伝えられている。 江戸時代現在地に移転し大いに栄えたと言われているが、現在は 無住で三つの子院が護り伝えている。 この地で生まれた<夢二式美人画>の竹久夢二は、15歳で神戸へ 行くまでこの地で育ち、静円寺でもよく遊んだと言われている。 ...続きを見る

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2009/07/01 09:26
由加山蓮台寺 (岡山県倉敷市) 厄除け瑜伽大権現
岡山県倉敷市の南に位置する由加山(274m)山頂付近にある 蓮台寺は、明治時代の神仏分離政策により蓮台寺と由加神社に 分離されるまでは<瑜伽大権現>と呼ばれる神仏習合の霊場で あった。 讃岐の金毘羅大権現(神仏分離後は金刀比羅宮)とともに、 権現信仰として大いに栄え、両方お参り(両参り)することが慣例と なっていた。 ...続きを見る

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2009/06/30 08:59
五流尊瀧院(岡山県倉敷市) 修験道総本山
修験道の開祖といわれる役行者の弟子5人が紀州熊野本宮大社と同様の 社殿を児島の現在地に築き、新熊野権現として神仏習合の形態で開創 されたと伝えている。 その後衰退したが、1223年承久の乱により頼仁親王がこの地に配流となり、 頼仁親王により再興された。 明治時代の神仏分離により、新熊野権現は熊野神社と五流尊瀧院に分離され、 戦後五流尊瀧院は<修験道総本山>を宣言した。 ...続きを見る

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2009/06/29 08:48
遍照寺 (岡山県笠岡市) <重文>多宝塔
岡山県笠岡市にある遍照寺は、弘法大師空海によって笠岡市にある石槌山の 北麓吉田に開創されたと伝えられ、1331年地元の豪族陶山義高が笠岡の 中心地(中央町)に移して再興し、陶山氏の祈願所とした。 その後、応仁の乱以降陶山氏が没落するのに合わせて遍照寺も衰退した。 江戸時代初期、小堀遠州の支援を受けて再興され、1606年<重文>多宝塔が 建立されている。 1977年都市計画により、多宝塔を残して寺は西の浜へ移転した。 ...続きを見る

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2009/06/27 14:53
竹林寺 (広島県東広島市) <重文>本堂
広島県東広島市の篁山(535m)の山頂にある竹林寺は、730年 行基によって桜山花王寺として開創されたと伝えられている。 その後、802年このお寺の本尊千手観音の授かりによって地元の 女性が産んだ子が、後の小野篁であるとの伝承がある。 史実とは異なると考えられる伝承がどのように作られたか興味が湧く。 篁の父は小野岑守で、母は不詳であることから母がこの地の 出身として伝えられているのであろう。 この伝承を伝える<竹林寺縁起絵巻>は広島県の文化財に指定され、 室町時代から伝えられてい... ...続きを見る

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2009/06/26 08:58
佛通寺 (広島県三原市) 臨済宗佛通寺派大本山
広島県三原市の山間を流れる仏通寺川の谷間にある佛通寺は、 1397年沼田庄地頭の小早川春平が愚中周及禅師を開山に 迎えて開創した禅寺である。 小早川氏の支援を得て大いに栄えたが、応仁の乱で荒廃し、 小早川隆景の代になって再興された。 その後も広島藩主浅野氏の支援を受けて、この地域において 中心的寺院として機能した。 しかし、1796年の火災で地蔵堂・開山堂を除く伽藍はほとんどが 焼失し衰微した。 1906年臨済宗佛通寺派大本山として独立し、伽藍も徐々に整備された。 臨済宗には... ...続きを見る

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2009/06/25 09:06
米山寺 (広島県三原市) 安芸小早川家の菩提寺
広島県三原市沼田の山間にある米山寺は、1153年天台宗の巨真山寺として 開創され、1235年小早川氏第4代の茂平によって小早川家の菩提寺となった。 小早川氏初代の土肥実平は源頼朝に仕えた相模の武士で、三代景平 がここ沼田の地頭として安芸に入り、以降17代隆景まで沼田を本拠と して活躍した。特に、小早川隆景は毛利元就の三男として生まれ 小早川家に養子として入り、後に豊臣秀吉の五大老までになった 名将である。 隆景は1567年三原城を築城し、本拠を三原に移している。 しかし、隆景の養... ...続きを見る

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2009/06/24 09:05
宗光寺 (広島県三原市) <重文>山門
広島県三原市本町にある宗光寺は、1577年小早川隆景が本郷に 開創し、その後1582年隆景が築城した三原城の城下に移転した。 山門は、三原城が築城される迄隆景の居城であった本郷の新高山城 の城門を移築したものである。 ...続きを見る

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2009/06/23 10:36
妙正寺 (広島県三原市) 三原城主浅野家の菩提寺
広島県三原市本町の小高い所にある妙正寺は、1674年三原城主の 三代浅野忠真が浅野家の菩提寺として東町の米田山麓に開創し、1724年 四代城主忠義が現在地に移してから三原4ヶ寺の一つに数えられている。 本堂・庫裡・山門など6棟が市指定文化財に指定され、当時の日蓮宗の 伽藍をよく物語っている。 <三原4ヶ寺:宗光寺、妙正寺、正法寺、大善寺> ...続きを見る

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2009/06/22 09:40
正法寺 (広島県三原市) 三原城主の祈願所
広島県三原市本町の路地奥にある正法寺は、開創については不詳で あるが、小早川隆景が1567年三原城を築城したのにともない、 本郷沼田から三原に移転してきた。 江戸時代三原城主浅野氏の祈願所として三原4ヶ寺の一つに数えられ、 1890年現在地に移転し今日に至る。 ...続きを見る

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2009/06/21 11:09
松寿寺 (広島県三原市) 三原で最古刹の禅寺
広島県三原市の寺町にある松寿寺は、1365年備後守護職の細川頼有 が京都建仁寺の住職惟忠禅師を開山に迎えて昌寿寺として開創した ことに始まる。 この時点では三原城もなく、昌寿寺が最初のお寺であった。 その後、小早川隆景が三原城を築城し、本郷から三原に移ってきたのに ともない多くの寺院が移動してきた。 ...続きを見る

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2009/06/21 09:38
国前寺 (広島県広島市) 広島藩主第2代浅野光晟の菩提寺
広島市の広島駅北にある国前寺は、1340年暁忍が暁忍寺として開創 したのが始まりである。 その後、1656年浅野2代藩主光晟の夫人満姫が光晟の菩提寺として 再興し、国前寺と改名している。 歴代浅野藩主の菩提寺は国泰寺であったが、原爆投下により壊滅し、 現在は西区に再建されている。 国前寺は1945年原爆投下により爆風を受けながらも残り、今日まで維持されて きている。 ...続きを見る

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2009/06/20 09:12
観音寺 (広島県三原市) 三原やっさ踊りの原形念仏踊り
広島県三原市の寺町にある観音寺は、1567年小早川隆景が三原城 を築いたのに伴い、前の新高山城のあった本郷から多くの寺院が三原に 移動した内の一つである。 この三原城築城完成時にこれを祝って踊られ、現在は<三原やっさ踊り> として30万人以上が集う三原の一大イベントとなっている踊りの 原形といわれる念仏踊りは観音寺に由来すると伝えられている。 ...続きを見る

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2009/06/18 09:05
三瀧寺 (広島県広島市) 三滝観音
広島市の三滝山(356m)の中腹に建つ三瀧寺は、三滝観音と 呼ばれ観音信仰の篤い古刹である。 境内にある三つの小さな滝(駒ヶ滝、梵音の滝、幽明の滝)から三瀧寺と 名付けられ、山腹に沿って拡がる境内は手入れも行き届き境内全体が 滝を組み入れた庭園の風景を成している。 809年弘法大師空海が<正観示現>の梵字を刻み、岩窟に安置した ところから始まると伝えられている。 ところが、土石流により何度も壊滅し、記録が全く残っていない。 1826年の再興いらい今日の姿に少しずつ整備され、194... ...続きを見る

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2009/06/17 09:16
不動院 <安芸安国寺>(広島県広島市) 禅宗様式の<国宝>金堂
広島市にある不動院は、開創は不詳であるが本尊の時代から 推定して平安時代には創建されていたと考えられている。 その後、南北朝時代に足利尊氏の発願によって全国68ヶ所に設立された 安国寺の一つとして安芸安国寺となった。 戦国時代には荒廃したが、毛利氏の外交僧安国寺恵瓊によって天正年間 に再興され、この時山口の凌雲寺から仏殿を移築し金堂としている。 江戸時代に入り、広島藩主から篤い庇護を受け大いに栄え、江戸時代初期 に禅宗から真言宗へと改宗している。 ...続きを見る

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2009/06/16 09:29
大願寺 <厳島弁財天>(広島県廿日市市宮島町) 日本三弁財天
広島県廿日市市宮島の大願寺は、日本三弁財天の一つに数えられ 明治時代の神仏分離までは厳島神社に祀られていたが、その後 弁財天が大願寺に移座され厳島弁財天を継承している。 大願寺の開創は不詳であるが、1201〜1203年に再興され、 室町時代以降厳島神社の普請奉行として神社の修理造営に 携わってきた。 ...続きを見る

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2009/06/15 09:20
大聖院 (広島県廿日市市宮島町) 厳島神社の別当寺
広島県廿日市市宮島にある大聖院は、明治時代の神仏分離がなされる までは厳島神社の別当寺として神社の祭祀を司り、社僧を統括していた。 厳島神社は593年創建と伝えられ、806年弘法大師空海が弥山に入って 修行し霊場を開いたと伝えられこれが大聖院の始まりといわれている。 平安時代末期の1168年には、現在見られる厳島神社社殿が平清盛によって 造営されて、この頃には大聖院はすでに別当寺となっていたと考えられて いる。 宮島は島全体が神聖な地とされ、厳島神社と弥山を中心とした神仏習合の ... ...続きを見る

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2009/06/14 08:54
円通寺 (広島県庄原市) 禅宗様式の<重文>本堂
広島県庄原市の甲山中腹にある円通寺は、天平年間行基が千手観音などを 祀った千手堂が始まりと伝えるが、1324年甲山城城主山内首藤通資が城域内に 菩提寺として円通寺を開創した。 1532年山内直通が再建した禅宗様式の本堂が今日まで維持され、 甲山城は山内氏が毛利氏の支配下になる1591年まで続いた。 ...続きを見る

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2009/06/13 14:52
愛媛県のお寺
愛媛県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2009/02/16 09:39
伯耆国分寺 <国分寺>(鳥取県倉吉市) 聖武天皇詔の国分寺の一つ
鳥取県倉吉市を流れる国府川の西にある国分寺は、聖武天皇が741年 詔を発して全国の国に、東大寺を総国分寺として、68ヶ寺の国分寺を 建立された内の一つ<伯耆国分寺>の跡を引き継いだお寺である。 伯耆国分寺は火災や戦火により1580年代には壊滅したと言われ、 1693年伯耆国分寺跡の北東約500mの所に現国分寺が再興された。 ...続きを見る

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2009/02/09 09:53
備後安国寺 (広島県福山市) 足利尊氏発願の一国一寺安国寺
広島県福山市の鞆の浦にある備後安国寺は、1273年法燈国師を 開山として金宝寺として開創されたと伝える。 1338年から足利尊氏は全国66ヶ国・2島に安国寺を建立することを 発願し、約10年間で建立を終えている。 金宝寺はこの時尊氏により再興され安国寺の一つになり、1399年に 安国寺と改名されたと伝える。 ...続きを見る

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2009/01/18 19:55
海岸寺奥の院 (香川県多度津町) 四国別格二十霊場第18番
香川県多度津町の海岸沿いにある海岸寺奥の院は、弘法大師空海が 産湯を使った地と伝えられているが、出生地は善通寺の地と一般には いわれている。 いずれにしても空海の母玉依御前ゆかりの地であろう。 海岸寺本堂と本坊は少し離れたところにあるが、大師堂と産湯の井戸 は奥の院にある。 ...続きを見る

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2009/01/17 16:27
一宮寺 (香川県高松市) 四国八十八ヶ所霊場第83番
香川県高松市にある讃岐一宮である田村神社の向い側にある一宮寺は、 大宝年間(701〜704年)に奈良の岡寺を開創した義淵僧正により 開創されたと伝わり、後に行基が一宮寺とした。 1679年までは、田村神社と一体の神仏習合の寺社であったが、 高松藩主によって分離された。 ...続きを見る

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2009/01/15 12:03
明王院 (広島県福山市) 優美な<国宝>五重塔
広島県福山市を流れる芦田川に面した愛宕山の麓にある明王院は、 弘法大師空海が807年開創した常福寺を前身とすると伝えられている。 芦田川の中州と周辺から発掘された<草戸千軒町遺跡>は明王院の 前にあり、草戸千軒町は鎌倉〜室町時代に栄えた大集落・港町であり、 また常福寺の門前町であった。 ...続きを見る

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2009/01/14 16:03
根香寺 (香川県高松市) 四国八十八ヶ所霊場第82番
香川県高松市の西にある五色台の青峰(449m)の中腹に位置する 根香寺は、弘法大師空海が弘仁年間(810年〜824年)に花蔵院を 創建し五大明王を祀った。その後、832年智証大師円珍が千手院を 創建し千手観音を祀り、2院を総称して根香寺となったと伝えられている。 ...続きを見る

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2009/01/14 09:07
天皇寺 <高照院>(香川県坂出市) 四国八十八ヶ所第79番
香川県坂出市にある天皇寺は、810〜824年に弘法大師空海が 十一面観音を本尊として堂を建てたのに始まると伝えられている。 当初は妙成就寺と称していた。 その後、保元の乱で敗れた崇徳上皇が坂出に配流となり、1164年 この地で亡くなり、亡骸は白峰山に葬られ(白峯御陵)、霊は妙成就寺 の境内に崇徳天皇社が建てられ祀られた。 それ以降、妙成就寺は別当寺となり、神仏一体の霊場であった。 明治維新の神仏分離により、妙成就寺は廃寺となり、天皇社は白峰宮 となったが、その後末寺の高照院が移り... ...続きを見る

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2009/01/12 09:26
郷照寺 (香川県宇多津町) 四国八十八ヶ所霊場第78番
香川県宇多津町の宇多津港を見渡す高台にある郷照寺は、 <厄除うたづ大師>として信仰を集める四国八十八ヶ所霊場第78番 札所で、725年行基により開創されたと伝えられている。 後に一遍上人が踊り念仏の道場寺とした縁から、1664年の寺再興の 時に時宗に属し、四国霊場唯一の時宗札所でもある。 ...続きを見る

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2009/01/10 10:25
前神寺 (愛媛県西条市) 四国八十八ヶ所霊場第64番
愛媛県西条市にある前神寺は日本7霊山の一つ石鎚山(1982m)の 山麓にあり、明治維新までは神仏習合の石鎚信仰別当寺として 第60番の横峰寺とともに石鎚信仰・修験道を運営していたが、 明治の神仏分離により一時廃寺となった。 その後現在地に再興され、石鎚修験道の根本道場として 真言宗石鈇派の総本山となっている。 ...続きを見る

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2009/01/08 12:37
吉祥寺 (愛媛県西条市) 四国八十八ヶ所霊場第63番
愛媛県西条市の国道11号線に面してある小さなお寺吉祥寺は、 四国八十八ヶ所霊場の中で唯一毘沙門天を本尊とする第63番である。 宗派は珍しい<真言宗東寺派>で、1963年に東寺(教王護国寺)から 分離独立した宗派で、東寺を中心とする宗派は東寺真言宗である。 ...続きを見る

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2009/01/06 22:03
宝寿寺 (愛媛県西条市) 四国八十八ヶ所霊場第62番
愛媛県西条市の国道11号線に面してある宝寿寺は、聖武天皇の 勅願によって建立されたと伝えられる四国八十八ヶ所霊場第62番 である。 境内入口にある標石<一國一宮別當寶壽寺>から、どこの<一宮> か興味が湧く。JR伊予小松駅の北にある<一之宮神社>と思われるが、 <一之宮神社>が<一国一宮>なのかは私には知識がない。 12世紀以降、伊予国の一宮は<大山祇神社>である。 大いに関心がある。 ...続きを見る

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2009/01/05 12:50
薬王寺 (徳島県美波町) 四国八十八ヶ所霊場第23番
徳島県美波町の日和佐にある薬王寺は、厄除け祈願のお寺と して篤い信仰を集めている四国八十八ヶ所霊場第23番札所である。 境内参道には、33段の女厄坂・42段の男厄坂・61段の還暦厄坂 があり、一段ずつ賽銭を置いて登っていく習わしが今も続いている。 境内から眺める日和佐の町・港・太平洋の風景はのどかな日本の 原風景を醸し出している。 ...続きを見る

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2009/01/03 15:46
平等寺 (徳島県阿南市) 四国八十八ヶ所霊場第22番
徳島県阿南市にある平等寺は、792年弘法大師空海が薬師如来を 彫り安置したのが始まりと伝えられている四国八十八ヶ所霊場第22番 である。 境内にある<弘法の霊水>は万病に効く霊水として知る人ぞ知る 枯れない湧水といわれ、開運鏡の井戸と呼ばれている。 ...続きを見る

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2008/12/31 17:38
鶴林寺 (徳島県勝浦町) 四国八十八ヶ所霊場第20番
徳島県勝浦町の標高570mの山頂にある鶴林寺は、四国霊場の中で 6大難所(焼山寺、鶴林寺、太龍寺、神峯寺、横峰寺、雲辺寺)の 一つに数えられている。 現在は、林道が整備され、歩き遍路でない限り随分と楽な遍路になっている。 しかし、鶴林寺の林道は狭く、難路と言えるだろう。 ...続きを見る

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2008/12/29 20:41
立江寺 (徳島県小松島市) 四国八十八ヶ所霊場第19番
徳島県小松島市にある立江寺は、四国八十八ヶ所霊場第19番であり、 本尊の地蔵菩薩は子安地蔵として広く篤い信仰を集めている。 関西を始め広く立江地蔵として多くのお寺に祀られ、その信仰が 広く深いことを如実に物語っている。 例えば、四天王寺(大阪市)、須磨寺(神戸市)、善長寺(京都市)など 立江地蔵信仰はその名を知られている。 ...続きを見る

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2008/12/27 20:21
恩山寺 (徳島県小松島市) 四国八十八ヶ所霊場第18番
徳島県小松島市にある恩山寺は弘法大師空海の母(玉依御前)が 剃髪し、出家したと伝わるお寺で四国八十八ヶ所霊場第18番である。 境内にはビランジュの木(県指定天然記念物)、樹齢350年といわれる ソテツ、色鮮やかなイチョウの木などが霊場の異なる風景を醸し出している。 ...続きを見る

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2008/12/25 17:31
井戸寺 (徳島県徳島市) 四国八十八ヶ所霊場第17番
徳島県徳島市国府町にある井戸寺は、673年天武天皇の勅願により 創建されたと伝えられている四国八十八ヶ所霊場第17番の札所である。 本尊七仏薬師如来は珍しい本尊で、全国でも数少ない本尊である。 ...続きを見る

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2008/12/23 21:46
観音寺 (徳島県徳島市) 四国八十八ヶ所霊場第16番
徳島県徳島市国府町の住宅街にある観音寺は、741年聖武天皇の 勅願で創建されたと伝えられ、816年弘法大師空海が千手観音を 本尊としたと伝えられている四国八十八ヶ所霊場第16番である。 小さなお寺であるが、山門の鐘楼門は中々のものである。 ...続きを見る

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2008/12/21 20:15
阿波国分寺(徳島県徳島市) 四国八十八ヶ所霊場第15番
徳島県徳島市国府町にある四国八十八ヶ所霊場第15番の阿波国分寺は、 741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ国68ヶ寺の国分寺が設置され、 阿波国分寺も756年までには創建されていたといわれている。 その後、衰退再興を繰り返し、1741年に徳島藩主蜂須賀氏により 再建され、今日に至っている。 境内には、創建時の七重塔心礎が残されており、古を想起させてくれる。 ...続きを見る

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2008/12/19 13:42
常楽寺(徳島県徳島市) 四国八十八ヶ所霊場第14番
徳島県徳島市の国府町にある四国八十八ヶ所霊場第14番札所の 常楽寺は、815年弘法大師空海によって開創されたと伝えられている。 その後、1818年に灌漑用の貯水池を造るために岩盤を切り崩した 現在地に移転したといわれている。 岩盤上に拡がる流水岩は、水の浸食も手伝って水の流れ模様を 呈し、風景を造っている。 ...続きを見る

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2008/12/16 21:29
大日寺(徳島県徳島市) 四国八十八ヶ所霊場第13番
徳島県徳島市を流れる吉野川の支流鮎喰川の畔にある大日寺は、 四国八十八ヶ所霊場第13番札所で、阿波の一宮神社の神宮寺で あった。 明治時代以前は神仏習合で、一宮神社・大日寺は一体であった。 明治時代の神仏分離により、一宮神社の本地仏であった十一面観音像 を大日寺に移座して本尊とした。 大日如来は現在、脇仏として祀られている。 ...続きを見る

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2008/12/15 17:53
焼山寺(徳島県神山町) 四国八十八ヶ所霊場第12番
徳島県神山町の焼山寺山(938m)の中腹(約800m)にある焼山寺は、 かっては四国霊場の中でも最大の難所といわれ、第11番藤井寺から 16kmの遍路道は<遍路ころがし>と呼ばれていた。 現在は、神山町から中型車も登れる林道が境内近くまで整備され、 お遍路さんもころがることなくお参りできる。 境内の杉木立はその奥深いお寺の歴史を物語ってくれる。 ...続きを見る

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2008/12/13 19:17
藤井寺(徳島県吉野川市) 四国八十八ヶ所霊場第11番
徳島県吉野川市鴨島町の山麓にある四国霊場第11番の藤井寺は、 どこにでもありそうな小さなお寺であるが、本尊の<重文>薬師如来坐像 は1148年に仏師経尋によって彫られたと判明している貴重な仏像である。 当初釈迦如来坐像として彫られ、その後薬師如来として祀られている。 境内には弘法大師空海が藤を植えたという伝承から藤棚が造られている。 ...続きを見る

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2008/12/11 20:11
明王院(広島県福山市) <国宝>本堂・五重塔
国宝本堂・五重塔が物語る古刹 中国三十三観音霊場第8番札所 ...続きを見る

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2008/12/01 22:31
大宝寺(愛媛県松山市) 県下最古の<国宝>本堂
松山市大峰ヶ台(140m)の東南麓にある小さなお寺大宝寺には 愛媛県下最古の木造建築である<国宝>本堂がある。 平安時代の阿弥陀堂様式で、鎌倉時代前期に建立されている。 本尊は長らく薬師如来として信仰されてきたが、1959年の修理の 時、阿弥陀如来と判明した藤原時代の仏像である。 ...続きを見る

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2008/11/05 11:06
太山寺(愛媛県松山市) 県下最大の<国宝>本堂
松山市経ヶ森(203m)の中腹に位置する太山寺は四国八十八ヶ所霊場 第52番であり、愛媛県下でも有数の名刹である。 <国宝>本堂は1305年の再建で、愛媛県下でも最大の木造建築と いわれている。 開創には<一夜建立の御堂>という伝承があり、豊後国の真野長者が 一夜にしてお寺を建立したと伝えられている。 また、739年聖武天皇の勅願で行基が十一面観音を祀り開創したとも 伝えられている。 その時代ごとの地元権力者の庇護を受けて大いに栄えたといわれ、 今日も四国霊場として大いに栄えて... ...続きを見る

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2008/11/04 13:58
遍照院(岡山県倉敷市) 美形の<重文>三重塔
遍照院は倉敷市の市街地から西方の高梁川に近い平地に位置し、 周りには住宅地が押し寄せてきている環境にあるが、<重文>三重塔が 高い樹木のない境内にスッキリとその美しい形を現わしている。 全体のバランス、屋根の勾配・反りがその美形を表現している。 室町時代1416年に再建され600年、よくここまで生きながらえてきた ものと感銘を覚える。 ...続きを見る

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2008/10/12 10:20
佐賀県のお寺
佐賀県のお寺は余り知られていないが、大名の菩提寺あり、つつじ寺あり、 近松門左衛門ゆかりの寺ありと興味を惹くお寺がある。 ...続きを見る

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2008/10/06 16:23
尾道および周辺のお寺(広島県尾道市)
風光明媚な尾道市とその周辺のお寺をまとめて紹介します。 ...続きを見る

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2008/10/04 15:39
安住院(岡山県岡山市) 後楽園の借景多宝塔
天平勝宝年間(749〜756年)に報恩大師が開創した禅光寺は、 備前48ヶ寺のひとつで安住院はその本坊にあたる。 数多くの塔頭が無くなり、安住院が禅光寺の後を継いでいる。 ...続きを見る

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2008/10/04 11:17
大日寺(鳥取県倉吉市) 大日寺式の石造五輪塔群
841年慈覚大師円仁によって開創されたと伝える大日寺には 多種に及ぶ文化財があり、その歴史には驚きがある。 ...続きを見る

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2008/10/03 21:03
退休寺(鳥取県大山町) 山陰最古の曹洞宗寺院
伯耆の岩井垣城城主箆津敦忠(〜1359年)の愛妻が病で亡くなり、 その後悪夢に悩まされていた時、源翁禅師に会い妻の供養をしてもらい、 退休寺を建立すると悪夢も消えたと伝承されるお寺である。 1941年の火事で、勅使門と土塀を除き焼失している。 ...続きを見る

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2008/10/03 16:08
地蔵院(鳥取県倉吉市) 関金温泉の<重文>地蔵菩薩
関金温泉は地蔵院とほぼ同時期に開発されたと伝えられ、古い温泉 の部類に入る。鄙びた温泉の趣が地蔵院の周りにも漂っている。 ...続きを見る

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2008/10/02 13:23
千光寺(岡山県赤磐市) 貴重な<重文>備前四耳壺
備前焼は13世紀頃備前市の伊部で始まったといわれており、 16世紀末頃までは壺や甕など生活雑器が主に作られていた。 この時代の備前焼は<古備前>ともいわれるが、その代表的な 壺が千光寺に伝来する<重文>備前四耳壺である。 この壺には<・・・福安(文安と思われる)元年三月・・・>と胴体に 銘が入っていて、制作年代が明確な備前焼として貴重な作品である。 また、作品そのものが室町時代を代表する備前焼でもある。 この貴重な壺が千光寺に伝来してきたのは驚きである。 ...続きを見る

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2008/09/30 22:10
福生寺<大滝山>(岡山県備前市) <重文>三重塔
熊山(508m)山塊の中腹にある福生寺は754年鑑真和上によって 開創されたと伝わる古刹であるが、現在は福生寺そのものは無く、 塔頭の実相院、福寿院、西法院によって運営・管理されていて、 全体を大滝山と呼んでいる。 平安時代初期の史料には828年の存在が記されており、また 足利幕府の庇護も受けた大寺であったようだ。 ...続きを見る

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2008/09/30 16:08
真光寺(岡山県備前市) <重文>三重塔
三重塔と本堂が重要文化財に指定されている真光寺は、国道2号線と JR赤穂線に分断された形で仁王門がさびしく建っている。 ...続きを見る

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2008/09/30 12:40
妙本寺(岡山県吉備中央町) 日蓮宗西国布教の拠点
妙本寺は1281年鎌倉の武士伊達朝義によって開創され、以降 ここを拠点として日蓮宗は西国への布教が始まったといわれている。 ...続きを見る

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2008/09/29 11:28
覚苑寺(山口県下関市) <和同開珎>鋳造の跡地
和同開珎は708年頃から長門・武蔵・近江・河内・播磨・太宰府の6ヶ所 で鋳造されたといわれているが、関係する遺構が確認されているのは 長門だけである。 長門鋳銭所は825年に廃止され、鋳銭所は周防の山口に移っている。 ...続きを見る

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2008/09/28 15:12
洞春寺(山口県山口市) 毛利元就の菩提寺
山口は大内氏の時代に基礎が造られ、それを継いだ毛利元就は 更に勢力を拡張し、織田信長と対峙した。 元就亡き後、元就の孫毛利輝元が安芸吉田(元就の本拠)に元就の 菩提を弔うため創建したのが洞春寺である。 関ヶ原の戦い後、毛利氏は萩に藩を構えると同時に洞春寺も移転した。 ...続きを見る

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2008/09/27 21:12
大寧寺(山口県長門市) 西国の覇者大内氏終焉の地
周防・長門を本拠とする守護大名大内氏は平安時代から勢力を持ち、 1400年代の大内教弘・政弘の時代には九州北部・安芸にまで勢力を伸ばし、 足利幕府にも影響を及ぼすまでの勢力になった。 大内氏第16代義隆は1551年武断派の重臣陶隆房の謀反に遭って (大寧寺の変)、大寧寺で自刃し永く続いた大内氏の終焉を迎えた。 ...続きを見る

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2008/09/27 17:17
周防国分寺(山口県防府市) 聖武天皇詔の国分寺
741年聖武天皇の詔によって、全国66ヶ国に68の国分寺が建立され、 その総国分寺が東大寺である。 周防国分寺は8世紀中頃の創建と思われるが、詳細は不明である。 現在の<重文>国分寺金堂は、発掘調査により創建当初の金堂跡に 建っており、現在の伽藍は創建当初の伽藍跡とほぼ一致している。 ...続きを見る

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2008/09/27 16:17
瀧光徳寺(佐賀県基山町) 五重塔
瀧光徳寺は1921年に開創された新しいお寺で、宗派も真言宗系の 中山身語正宗の大本山である。 境内は山腹に展開する広大な敷地を有し、伽藍も整い新しい宗派の 匂いがただよう。 紅葉の時期には訪れる人も多いのではないだろうか。 ...続きを見る

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2008/09/27 13:36
遍照院(福岡県久留米市) 高山彦九郎の墓
高山彦九郎(1747〜1793年)は江戸時代後期の尊王思想家で、 寛政三奇人の一人といわれている。 彦九郎は勤皇論を説いて、全国を廻り最期は久留米で自刃している。 彦九郎の日記は幕末の志士に大きく影響を及ぼしたといわれている。 その彦九郎の墓が遍照院にあり、墓参に訪れる人が少なくない。 ...続きを見る

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2008/09/26 20:22
金龍寺(福岡県福岡市) 貝原益軒の墓
平賀源内(1728〜1780年)とともに博学の天才といわれた 貝原益軒(1630〜1714年)は福岡藩士で、本草学者・儒学者として 多くの著書を著し、平易な文体で多くの人に判るように書かれている。 中でも<養生訓>は最も多く読まれた健康生活書であろう。 金龍寺には貝原益軒夫妻の墓と益軒の銅像がある。 ...続きを見る

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2008/09/26 17:02
筑前国分寺(福岡県太宰府市) 聖武天皇詔の国分寺
741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ国に68の国分寺が建立された。 筑前国分寺は8世紀中頃の創建と思われるが、詳細は不明。 発掘調査の結果、典型的な国分寺式伽藍配置であり、七重塔・講堂 は11世紀後半には焼失、金堂は平安時代末期には壊滅状態に あったと推定されている。 ...続きを見る

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2008/09/26 14:56
南淋寺(福岡県朝倉市) <重文>薬師如来坐像
伝教大師最澄が805年唐から帰国して、九州で七体の薬師如来 (七仏薬師)を彫って、その内の一体をここ朝倉の地に祀ったと伝承 されている。 現在の<重文>本尊薬師如来坐像は藤原時代に造像されたカヤ材の 一木造である。 ...続きを見る

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2008/09/26 13:21
大興善寺(佐賀県基山町) つつじ寺
九州でも有数のつつじの名所で、約5万本のつつじが境内を埋めている。 80年前から少しずつ植栽が増え、現在では裏山につつじ園が開設されている。 ...続きを見る

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2008/09/26 12:02
近松寺(佐賀県唐津市) 近松門左衛門ゆかりの寺
近松門左衛門(1653〜1725年)の生誕地には諸説あるが、 唐津の近松寺で遠室禅師について修行の後、京都へ出て 浄瑠璃・歌舞伎作家となったと伝承されている。 1725年亡くなると遺言によりここ近松寺に葬られたと伝えている。 <境内の地層から1726年の石碑が出土> 森鴎外も墓参しているらしい。 ...続きを見る

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2008/09/25 21:23
光勝寺(佐賀県小城市) 日蓮宗九州本山
光勝寺は小城の領主九州千葉氏第2代千葉胤貞が子の日祐上人を 開山として1317年開創された。 千葉氏の宗家は下総千葉氏で、法華経寺の開創にも千葉氏が関係していた こともあり、法華経寺の僧も関与して光勝寺は創建され、日蓮宗(法華宗) の九州本拠地として活動を開始した。 ...続きを見る

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2008/09/25 20:13
香園寺(愛媛県西条市) 四国八十八ヶ所霊場第61番
香園寺は聖徳太子の開創と伝えるが、戦国時代には兵火に遭い、 1913年に再建されている。 本堂・大師堂のある大聖堂は1976年に建立された鉄筋コンクリート造り の大建築である。 ...続きを見る

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2008/09/25 10:07
横峰寺(愛媛県西条市) 四国八十八ヶ所第60番
横峰寺は、西日本最高峰の石鎚山(1983m)北側中腹(750m)に あり、四国霊場六難所(鶴林寺、太龍寺、神峯寺、横峰寺、雲辺寺、焼山寺) のひとつである。 現在は、林道が整備され車遍路にとっては難所といえないかも。 境内からは瀬戸内海の眺望がすばらしい。 ...続きを見る

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2008/09/24 22:26
切幡寺(徳島県阿波市) 四国八十八ヶ所霊場第10番
切幡寺には南面・北面の二体本尊千手観音という珍しい形態になっている。 815年弘法大師空海がこの地を訪れた時、衣の破れを繕うため機織りの娘に 所望したところ、惜しげもなく白布を空海に差出し、空海は何か礼ができなかと 娘に尋ねると、父母の供養のために観音像をたのんだ。 空海は千手観音を刻み、娘を得度させ潅頂を授けると、娘が千手観音に 変わったという。 この二体の千手観音が現在の本尊と伝承されている。 ...続きを見る

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2008/09/24 21:33
法輪寺(徳島県阿波市) 四国八十八ヶ所霊場第9番
法輪寺は田園地帯にある小さな霊場であるが、清潔感が漂い気持ちの良い 霊場である。 本尊は四国霊場でも唯一の涅槃釈迦如来で、5年に一度の開扉の秘仏であり、 足の病や健脚祈願の草鞋が多く奉納されている。 ...続きを見る

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2008/09/24 20:26
熊谷寺(徳島県阿波市) 四国八十八ヶ所霊場第8番
境内から離れた所に建つ仁王門(山門)は1687年の建立で、高さが 13mもある楼門形式になっていて、四国霊場では最大の山門と いわれている。 熊谷寺は仁王門を始めとして伽藍の多くが県指定の文化財に指定され、 四国霊場の中でも古い伽藍が残っている霊場である。 ...続きを見る

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2008/09/22 17:14
安養寺(岡山県美作市) 安養寺会陽(裸まつり)の寺
岡山県には会陽(裸まつり)が幾つかあるが、岡山市の西大寺会陽は 日本三大奇祭の一つになるほど有名であるが、ここ安養寺会陽は 西大寺会陽より古い歴史を持っているといわれている。 <日本三大奇祭:岩手県黒石寺の蘇民祭、岡山県西大寺の会陽、 大阪府四天王寺のどやどや> ...続きを見る

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2008/09/15 21:58
長福寺(岡山県美作市) 岡山県最古の木造建築 <重文>三重塔
長福寺は開創以来、真木山(430m)の山上にあったが、1928年 山麓の現在地に本堂を建てて移転した。 さらに1951年山上に残されていた<重文>三重塔も解体修理の際、 現在の境内に移転された。 ...続きを見る

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2008/09/15 20:03
安国寺(岡山県津山市) 美作安国寺の名前を継いだお寺
足利尊氏発願の美作安国寺は神戸村(現在の兵庫県宍粟市の一部)に あったが、1607年津山藩主森忠政が津山に龍雲寺として移転し菩提寺とし、 後に本源寺と改名されている。 本源寺三代住職万愚が作東町の善福寺を津山に移転し、安国寺の 名前を継いだといわれている。 以後、本源寺住職を退いた僧侶が安国寺の住職になっているとのこと。 (大正時代まで続いたそうである) ...続きを見る

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2008/09/15 12:35
愛染寺、妙法寺(岡山県津山市) 津山市街地寺町のお寺
津山城の西側に位置する西寺町界隈には愛染寺、妙法寺、本源寺など 15のお寺がある。 17世紀初め城下町の整備に合わせて寺町が形成された。 ...続きを見る

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2008/09/15 12:01
長法寺(岡山県津山市) 詩人薄田泣菫ゆかりの寺
明治時代後半の代表的詩人薄田泣菫が1901年津山を訪れ滞在した時に、 長法寺の大イチョウを歌った詩<公孫樹下にたちて>の詩碑が大イチョウの 下に建っている。 ...続きを見る

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2008/09/15 11:28
臍帯寺(岡山県高梁市) <重文>保月六面石幢
高梁市有漢にある<保月の塔>と呼ばれる<重文>六面石幢と <重文>石造板碑は共に鎌倉時代の名工井野行恒の作で、1306年と 1305年の銘が入っている。 特に、六面石幢は銘のある石幢で最古のものといわれ、また美しい 形をしている名品である。 ...続きを見る

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2008/09/13 22:32
松連寺、薬師院(岡山県高梁市) <男はつらいよ>ロケ地
映画<男はつらいよ〜口笛を吹く寅次郎>のロケ地となった真言宗の お寺で、松連寺・薬師院は城郭様の石垣上に並んで建っている。 備中松山城の砦の役割を兼ねて建てられたといわれている。 ...続きを見る

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2008/09/13 21:23
藤戸寺(岡山県倉敷市) 源平藤戸合戦ゆかりの寺
藤戸界隈は1184年源平藤戸合戦が行われ、源氏の佐々木盛綱が先陣の 功で勝利し、源平の兵士・漁師(先陣の際、浅瀬を教えてくれた漁師を口封じ の為殺害した)などの供養を大々的に藤戸寺で行ったと伝えられている。 ...続きを見る

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2008/09/12 11:54
明王院(岡山県浅口市) 檀家の多い寺
伝教大師最澄の開創と伝える明王院は檀家数が2000を超える 大寺で、新しい堂宇が着々と整備されている。 広大な境内には真新しい本堂、多宝塔などが整然と建てられ、多くの 檀家と信者に支えられているのが一目瞭然の風景である。 ...続きを見る

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2008/09/11 21:50
円通寺(岡山県倉敷市) 良寛修行の寺
禅僧良寛(1758〜1831年)は越後出雲崎で生まれ、22歳の時 岡山玉島の円通寺に入り修行を行った。 33歳で一人前であるお墨付(印可)を与えられる。 39歳の時越後に帰り、僧侶・歌人として清貧の生活を送る。 ...続きを見る

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2008/09/11 20:57
如法寺(愛媛県大洲市) 大洲藩主加藤家の菩提寺
如法寺は大洲市の東にある富士山(とみすやま)(320m)の中腹に位置し、 1669年大洲藩主2代加藤泰興によって開創された臨済宗のお寺である。 以後、大洲藩主の菩提寺になった。 この名刹も少し荒れているが、緑深い樹木に囲まれて幽玄の雰囲気を 漂わす風景である。 紅葉の時期は訪れる人も多いそうだ。 ...続きを見る

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2008/09/11 13:20
高昌寺(愛媛県内子町) 巨大な涅槃像
高昌寺は1441年に開創された曹洞宗のお寺で、内子では 広い境内を有する大寺である。 1998年高昌寺の伝統行事である涅槃会にちなんで、石造の 長さ10m、重さ200トンの涅槃仏が造立され訪れる人も多い。 ...続きを見る

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2008/09/11 12:10
岩屋寺(愛媛県久万高原町) 四国八十八ヶ所霊場第45番
標高670mにある岩屋寺は岩峰の中腹の狭い敷地にに建つ 四国八十八ヶ所霊場第45番で、まさしく修行を行うに相応しい 霊場である。 境内を覆うようにそそり立つ岩峰群は国の名勝に指定され、 高さは約120mにも及び、狭い境内に本堂、<重文>大師堂、方丈などが へばり付く様は幽玄の風景そのものである。 266段余りの石段を登ってきて、この岩壁にぶつかった瞬間、よくも こんな所に堂宇を建てたものだと。 ...続きを見る

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2008/09/11 11:19
大宝寺(愛媛県久万高原町) 四国八十八ヶ所霊場第44番
樹齢が数百年といわれる杉や檜の樹林の中にある大宝寺は 四国霊場の中間点となり、霊場の雰囲気を充分に満喫できる。 ...続きを見る

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2008/09/10 20:06
浄瑠璃寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第46番
松山市の最南端に位置する浄瑠璃寺は<ご利益のよろず屋>と呼ばれ、 お遍路さん以外の参詣者も多いと聞く。 ...続きを見る

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2008/09/08 15:14
八坂寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第47番
四国遍路の開祖と伝わる伝説上の人・衛門三郎が弘法大師空海を 捜し求めて最初に訪れたと伝わるお寺が八坂寺といわれている。 ...続きを見る

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2008/09/08 13:54
文殊院(愛媛県松山市) 四国別格20霊場第9番
1966年に創設された四国別格20霊場は、四国八十八ヶ所霊場と 合わせて108の霊場となり、<108煩悩消滅の弘法大師の道>として 創設された。弘法大師信仰や伝説などに深い関係を持つ20霊場と なっている。 ...続きを見る

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2008/09/08 11:07
西林寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第48番
西林寺の奥の院<杖の淵>は、弘法大師空海が杖を突いた地から霊泉が 湧き出したという伝説のある場所で、名水100選にも選ばれている。 現在も名水が湧き出ており、周辺は公園として整備されている。 ...続きを見る

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2008/09/07 17:18
浄土寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第49番
空也上人は全国念仏布教の途次、ここ浄土寺に3年間滞在し、 布教したと伝えられている。 浄土寺の<重文>空也上人立像は、京都六波羅蜜寺の<重文>空也上人立像 と同形で、口から六体の仏像が出ているが、 六体の仏像は<南無阿弥陀仏>の六字を表している。 ...続きを見る

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2008/09/07 14:34
繁多寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第50番
背後に山が迫り、境内も広く樹林に囲まれた風景の繁多寺は 四国霊場の典型的なお寺ではないだろうか。 文化財は無いが、徳川第4代将軍家綱の念持仏といわれる 歓喜天が祀られ、お遍路さん以外の信者も多いといわれている。 ...続きを見る

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2008/09/07 12:30
常信寺(愛媛県松山市) 松山藩主松平家の菩提寺
常信寺は690年の開創と伝えられるが、江戸時代1650年松山藩主松平家初代の 松平定行は松山城の北にあった勝山寺を城の鬼門にあたる現在地に 移転し、名前を常信寺とした。 お寺には松平定行と弟の定政の廟が造られ、松山藩主松平家の 菩提寺になっている。 松山藩主松平家の菩提寺は、常信寺以外に大林寺、法龍寺、法華寺が あるが常信寺は祖廟となっている。 ...続きを見る

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2008/09/07 11:09
石手寺(愛媛県松山市) マントラ洞窟のある四国有数の古刹
四国有数の古刹であり、四国八十八ヶ所霊場第51番である石手寺は お遍路さんや道後温泉観光客でいつも賑わう観光寺でもある。 <国宝>二王門や重文の建造物も多く、文化財の宝庫でもある。 こうした古刹の顔とマントラ洞窟が織りなす石手寺は京都や奈良にない 古刹の顔を持っている。 ...続きを見る

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2008/09/06 17:11
宝厳寺(愛媛県松山市) 一遍上人誕生の地
道後温泉のネオン歓楽街を抜けると山麓に山門が見えてくる宝厳寺は 、夏目漱石<坊っちゃん>にも出てくる一遍上人生誕の地である。 一遍上人は1239年道後の地に生まれ、15歳で出家し、1274年に 時宗をおこし、全国遊行で念仏の教えを説いて廻った。 空也上人とともに念仏布教の立役者といえるだろう。 ...続きを見る

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2008/09/05 20:37
円明寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第53番
当初は749年行基によって松山市勝岡町の海岸に開創されたが、 荒廃し1633年豪族須賀重久によって現在地に再興されたと伝わる。 小さなお寺であるが、珍しい貴重な資料が残されており、四国霊場の 歴史を物語っている。 それは、1650年の銅板納札で四国最古のものといわれる。 ...続きを見る

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2008/09/05 15:12
長尾寺(香川県さぬき市) 四国八十八ヶ所霊場第87番
長尾寺は1689年それまで真言宗であったが、高松藩主松平氏の命に より、天海僧正によって天台宗に改宗した。 高松藩主の庇護を受け堂宇の造営を行い、今日の姿を造ってきた。 ...続きを見る

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2008/07/05 10:54
八栗寺(香川県高松市) 四国八十八ヶ所霊場第85番
奇勝五剣山(375m)の山腹にある八栗寺へはケーブルカーを 使ってのお遍路さんが多く、年間30万人の利用者があるそうだ。 四国霊場のお遍路さんは年間30万人といわれているから おおよそ合致しているのかもしれない。 ...続きを見る

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2008/07/04 17:53
讃岐国分寺<国分寺>(香川県高松市) 四国八十八ヶ所霊場第80番
741年聖武天皇の詔で全国68ヶ寺国分寺の建立が始まったが、 讃岐国分寺がいつ創建されたかは不詳であるが、756年には 完成していたことが続日本紀に記載されている。 1983年の発掘調査で創建当初の伽藍は東西220m、南北240mの 境内に南大門・中門・金堂・講堂・僧房が一直線上に並び、金堂の南東に 七重塔が建っていた。 ほぼ当初の礎石などが発掘され、全国の国分寺としては3ヶ所の 特別史跡に指定されている。 <3ヶ所の特別史跡国分寺:讃岐、遠江、常陸> 現在も金堂・塔礎石が残さ... ...続きを見る

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2008/07/02 12:53
志度寺(香川県さぬき市) 四国八十八ヶ所霊場第86番
志度寺は四国霊場の中でもバラエティーに富んだ霊場である。 文化財が豊富、<海女の玉取り>伝説、五重塔など伽藍が充実、 庭園、庶民信仰などと事欠かないお寺である。 ...続きを見る

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2008/06/30 15:02
三角寺(愛媛県四国中央市) 四国八十八ヶ所第65番
三角寺山(450m)の中腹に位置する三角寺は伊予国最後の霊場で 讃岐との関所寺になっていた。 現在は道路も整備され車遍路には難所とはいえない。 三角寺は四国霊場の典型的な霊場のひとつである。 山手にあり、観光するものが無い、こじんまりした境内、仁王門への石段 とまさしく霊場である。 ...続きを見る

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2008/06/22 17:03
屋島寺(香川県高松市) 四国八十八ヶ所霊場第84番
源平合戦の古戦場として有名な屋島山上にある屋島寺は四国霊場として、 香川県の観光スポットとして人が絶えないお寺である。 ユニークな姿の宝物館や庭園などもあり、他の霊場とは一味違う趣を 漂わせている。 ...続きを見る

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2008/06/22 15:43
十楽寺(徳島県阿波市) 四国八十八ヶ所霊場第7番
太平洋戦争の戦没者慰霊碑として立てられている不動明王像が 中々ユニークで、こうした不動明王像は珍しい。 十楽寺は明治時代の神仏分離で廃れその後復興してきた歴史を持つが かっては大寺であったらしい。 ...続きを見る

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2008/06/22 13:49
安楽寺(徳島県上板町) 四国八十八ヶ所霊場第6番
安楽寺は江戸時代、駅路寺に指定されていた。 駅路寺とは、蜂須賀家政が1598年、街道を行く旅人の便を図るために、 阿波国内の主要街道沿いに8ヶ寺を宿泊施設に指定したもので、 阿波独特の制度である。 ...続きを見る

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2008/06/12 22:09
地蔵寺(徳島県板野町) 四国八十八ヶ所霊場第5番
地蔵寺の広い境内には五百羅漢(実際は200弱)の羅漢堂、 樹齢800年といわれる大イチョウの木、八角経蔵などがあり、 本尊の地蔵菩薩は<勝軍地蔵>と呼ばれる馬にまたがり、 兜をつけた5cmの地蔵菩薩らしい。 ...続きを見る

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2008/06/12 20:12
大日寺(徳島県板野町) 四国八十八ヶ所霊場第4番
鉢伏山(439m)山麓の緑に囲まれた小さな境内の四国霊場大日寺には 33体の観音菩薩があるが、1700年代に奉納されたものらしい。 ...続きを見る

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2008/06/12 17:09
金泉寺(徳島県板野町) 四国八十八ヶ所霊場第3番
源義経が屋島の源平合戦(1185年)に向かう途中、この金泉寺に 立ち寄り、観音菩薩に戦勝祈願をしたと伝えられており、その折り 士気を鼓舞する意味で、弁慶が大きな石を持ち上げたという伝説がある。 その石が庭園の片隅に置かれている。 ...続きを見る

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2008/06/12 16:10
極楽寺(徳島県鳴門市) 四国八十八ヶ所霊場第2番
広い境内には、洒落た庭園あり、樹齢1100年といわれる長命杉あり、 安産祈願の安産大師ありと四国遍路にプラスするものがある。 長命杉の樹齢はさて置き、杉に触れて祈願すると長生きできる気持ちに させてくれる立派な杉である。 ...続きを見る

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2008/06/11 20:42
道隆寺(香川県多度津町) 四国八十八ヶ所霊場第77番
道隆寺の開創は和気道隆(金倉寺を開いた和気道善の弟)であるが、 3代住職法光大師真雅、4代住職智証大師円珍、五代住職理源大師聖宝 と高僧が名を連ねているらしい。 ...続きを見る

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2008/05/12 20:20
金倉寺(香川県善通寺市) 四国八十八ヶ所霊場第76番
金倉寺は智証大師円珍の生誕地で、円珍の祖父和気道善が774年に 創建したと伝えられている。円珍の母は弘法大師空海の姪になる。 ...続きを見る

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2008/05/12 16:37
善通寺(香川県善通寺市) その2 四国八十八ヶ所霊場第75番
このページでは、善通寺の文化財と東院(伽藍)を見てみよう。 ...続きを見る

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2008/05/12 15:29
善通寺(香川県善通寺市) その1 弘法大師空海生誕の地
弘法大師空海は774年、現在の善通寺の地に、父佐伯善通・母阿刀の 三男として誕生したといわれ、その屋敷の跡に御影堂が建っている。 空海は唐から帰って後、807年父善通氏から屋敷などの寄進を受けて 、祖先の霊を弔うために寺の建立に着手し、813年伽藍が完成したと 伝えられている。 ...続きを見る

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2008/05/12 14:14
甲山寺(香川県善通寺市) 四国八十八ヶ所霊場第74番
香川県まんのう町にある満濃池は日本一の灌漑用溜池として 知られているが、821年弘法大師空海が監督者として修築に あたり約3か月で完成させたことでも有名である。 現在の満濃池は何度かの修築・改築を経て今日の姿を築いて いるが、弘法大師空海と満濃池は一体となった姿でもある。 ...続きを見る

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2008/05/12 11:28
曼荼羅寺、出釋迦寺(香川県善通寺市) 四国八十八ヶ所霊場第72番、73番
曼荼羅寺は弘法大師空海の祖先佐伯氏の氏寺として開創されたと 伝えられています。空海が唐から請来した曼荼羅を、母の菩提を 弔うために安置し、曼荼羅寺と改名したと伝わっている。 ...続きを見る

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2008/05/11 21:37
弥谷寺(香川県三豊市) 四国八十八ヶ所霊場第71番
弥谷山に死者の霊が帰って住む所として信仰されてきた <弥谷信仰>が今も一部<いやだにまいり>の風俗として 残っているらしい。 秋の2泊3日のお寺巡りで、最初に参拝した弥谷寺の風景は まさしく<弥谷信仰>が残る雰囲気を漂わせる風景であった。 ...続きを見る

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2008/05/11 17:09
覚城院、常徳寺(香川県三豊市) 仁尾の町にある重要文化財
四国のお寺巡りの目的のひとつが、国宝・重要文化財の建造物を 拝観させていただくのもあるが、思いもよらない風景に出会うことが ある。三豊市仁尾町を訪ねて、その思いもよらないものに出くわした。 ...続きを見る

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2008/05/11 15:10
神恵院、観音寺(香川県観音寺市) 四国八十八ヶ所霊場第68番、69番
ひとつのお寺(観音寺)に、二つの(神恵院と観音寺)霊場札所がある 四国霊場でも唯一のお寺である。 江戸時代末期までは、琴弾八幡宮の別当であった神恵院は68番札所、 琴弾八幡宮の神宮寺であった観音寺は69番と別々のものであったが、 明治時代に入って神仏分離令によって、神恵院が八幡宮から離れて 観音寺と合体した。 神恵院に祀られていた阿弥陀如来を観音寺のお堂に祀り、札所としては 68、69番と継続して今日に至っている。 故に、観音寺の境内には神恵院本堂、大師堂が置かれているが、 そ... ...続きを見る

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2008/05/11 12:39
大興寺(香川県三豊市) 四国八十八ヶ所霊場第67番
2泊3日の四国のお寺巡りも、2日目の陽も傾いた時刻に大興寺を 参拝した。この後、ビジネスホテルを探すことになるが、いつものように 観音寺市内のホテルがみつかった。携帯電話のありがたさを感じる。 <私のお寺巡りは予約なしの、天気次第で廻ることにしている> ...続きを見る

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2008/05/11 11:15
萩原寺(香川県観音寺市) 四国別格二十霊場第16番
萩原寺の山号は巨鼇山(きょごうざん)というが、四国八十八ヶ所霊場 第66番の雲辺寺と同じ山号であるから関係があるのであろう。 昔は萩原寺が地蔵院という雲辺寺の郷坊であったが、室町時代の 頃に地蔵院が権勢を持ったという話である。 ...続きを見る

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2008/05/11 09:48
雲辺寺(徳島県三好市) 四国八十八ヶ所霊場第66番
標高927mの雲辺寺山頂にある雲辺寺へは、香川県観音寺市の山麓から ロープウェイで7分ぐらいで行ける高くて近いお寺である。 四国霊場では最も高いところにあり、昔はお遍路さんも大変であったろう。 霊場の分布を見てみると、所々に山上の霊場が挟まり変化に富んだ 札番になっている。 ...続きを見る

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2008/05/10 21:53
雲樹寺(島根県安来市) 吹き抜けの楼門
出雲の禅寺では最古参のひとつに数えられる雲樹寺は印象に残る お寺の一つである。 それは、楼門の下層が吹き抜けになっていて、境内の風景を造り あげているからである。 他にも吹き抜けの楼門はあるが、このような風景を造っている楼門は 知らない。 ...続きを見る

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2008/05/10 17:24
福善寺、浄泉寺(広島県尾道市) 山門の彫刻と本堂の鬼瓦
<ええもんは福善寺>といわれる山門の彫刻がすばらしいことから いわれている。江戸時代末期京の名工が彫り、尾道の職人が組み立てた 山門はひときわ目立つ豪華さである。 ...続きを見る

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2008/04/30 20:59
光明寺(広島県尾道市) 瀬戸内水軍ゆかりの寺
室町時代に光明寺は、瀬戸内村上水軍の将宮地一族の帰依を受けた。 その一族の向島余崎城主島居資長の念持仏千手観音(浪分観音)の 寄進を受け、庇護されると同時に水軍からの篤い観音信仰を受けた。 ...続きを見る

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2008/04/30 19:20
持光寺(広島県尾道市) 石の門
持光寺の石の門は延命門ともいい、延命祈願のご利益を求めて 門をくぐる。 五劫思惟阿弥陀如来が本尊で、延命祈願の仏さまである。 ...続きを見る

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2008/04/30 15:08
海龍寺、大山寺(広島県尾道市) 尾道七佛めぐり
2002年から始まった尾道七佛めぐり、観光促進を目的として 尾道の主なお寺で結成された。 @持光寺:阿弥陀如来 延命祈願 A天寧寺:釈迦如来 病気平癒祈願 B千光寺:千手観音 開運厄除祈願 C大山寺:地蔵菩薩 合格祈願 D西国寺:薬師如来 健脚祈願 E浄土寺:十一面観音 必勝祈願 F海龍寺:不動明王 技芸上達祈願 ...続きを見る

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2008/04/30 13:45
西郷寺(広島県尾道市) 天平建築を思わせる<重文>本堂
天平建築を思わせる曲線の屋根と姿の美しさを持つ本堂は 時宗の本堂で最古のものといわれ、足利尊氏の建立と伝えられいる。 ...続きを見る

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2008/04/30 11:46
天寧寺(広島県尾道市) 五百羅漢のお寺
五百羅漢を祀っている天寧寺、滋賀県彦根市にある天寧寺も同じ曹洞宗で 五百羅漢を祀っている。 なにか関係があるのだろうか。なさそうである。 ...続きを見る

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2008/04/30 10:47
常称寺(広島県尾道市) 5棟が2007年重要文化財に指定
JR山陽本線の踏切を渡ってすぐの小さなお寺が重要文化財に指定された ばかりの常称寺であるが、今まで忘れられた存在が一躍脚光を浴びた。 お堂もひどく傷み、早い修理が待たれる。 ...続きを見る

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2008/04/29 23:11
千光寺(広島県尾道市) 尾道のシンボル
尾道観光のシンボルとして、千光寺公園・ロープウェイ・眺望のすばらしさ と観光客が必ず訪れるスポットとなっている千光寺。 公園も明治時代に寺から市に境内の一部が寄付されて築かれてきた。 ...続きを見る

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2008/04/29 21:35
西国寺(広島県尾道市) 大草鞋のある尾道三山
仁王門にかかる大草鞋が目につく西国寺は、尾道で最も広い境内を有し、 浄土寺と並ぶ名刹である。 ...続きを見る

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2008/04/29 17:20
余慶寺(岡山県瀬戸内市)
吉井川の東岸になだらかな稜線を表す上寺山の山上にひろがる 三重塔や本堂の伽藍、広々とした桜並木の参道、そこが余慶寺。 こうした風景のお寺は珍しいのではないだろうか。 ...続きを見る

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2008/04/05 17:19
金山寺(岡山県岡山市)
現在、岡山県で会陽(えよう)と呼ばれる裸祭りが行われているのは、 西大寺(岡山市)、金山寺(岡山市)、安養寺(美作町)の三ヵ所であるが、 かっては他でも行われていた。 金山寺会陽は2月第1土曜日に行われる。 ...続きを見る

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2008/04/05 14:37
西大寺観音院<西大寺>(岡山県岡山市)
西大寺の裸祭りは<西大寺会陽(えよう)>といい、日本三大奇祭 の中でも1万人の裸の男が<宝木(しんぎ)>を奪い合う様は強烈な 風景を作り出している。 <日本三大奇祭:黒石寺の蘇民祭(岩手県水沢市)、四天王寺のどやどや   (大阪市)、西大寺会陽(岡山市)> ...続きを見る

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2008/04/05 13:22
伊予国分寺<国分寺>(愛媛県今治市) 四国八十八ヶ所霊場第59番
伊予国分寺は741〜756年の間に創建された記録があり、伊予の 仏教拠点としての役割を果たしてきたが、何度かの兵火に遭いその都度 再建されてきた。 このお寺も長宗我部元親による兵火で焼失しているが、四国の阿波、讃岐、 伊予国分寺が災禍にあい土佐国分寺は無事であった。 四国のお寺は長宗我部元親、滋賀県のお寺は織田信長と、時の覇権を 求める戦国大名に蹂躙される歴史をもっている。 しかし、それを乗り越えて再建され、地域の人たちの信仰に支えられて お寺は生きてきた。 <現代社会における... ...続きを見る

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2008/03/14 20:30
仙遊寺(愛媛県今治市) 四国八十八ヶ所霊場第58番
今治市の四国霊場6ヶ寺の中で唯一山上(330m)にある仙遊寺からの 眺望はすばらしく、お遍路さんの気持ちを和ませてくれるお寺である。 お寺の道路が整備されおり、宿坊も近代的な建物になっている。 また、この3月に足湯の設備も出来、癒しの空間をつくろうと努力 しておられる。 ...続きを見る

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2008/03/14 16:57
栄福寺(愛媛県今治市) 四国八十八ヶ所霊場第57番
栄福寺で印象に残ったのは、本堂回廊に奉納された箱車と松葉杖である。 これは1933年15歳の足の不自由な少年がこのお寺で不意に歩ける ようになった御礼に箱車と松葉杖を奉納したものである。 信仰心の篤さがその少年を救ったのであろう。 ...続きを見る

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2008/03/14 14:24
泰山寺(愛媛県今治市) 四国八十八ヶ所霊場第56番
四国八十八ヶ所霊場をお参りさせていただいて、どこにでもある小さなお寺が 結構あるのも四国霊場の歴史が物語っているのだろう。 弘法大師空海の霊跡は当初、山の上や海岸の峻険な岩場などにあったと 考えられ、それが一般の人が巡礼するようになり、平地などに移転してきたのでは ないだろうか。 平地にあるお寺と山の上にあるお寺が旨く霊場に組まれている。 ここ泰山寺も山の上から平地に移転して、巡礼者には廻りやすくなっている。 ...続きを見る

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2008/03/14 13:29
西山興隆寺(愛媛県西条市)
愛媛県でも有数の紅葉の名所といわれる西山興隆寺は四国別格二十霊場の 第10番でもある。 私が訪れた時は、紅葉にはちょっと早かったかなと感じる染め具合であった。 多くの人たちが口々に、今年は遅いな〜と。 私の感触では新緑がこのお寺に似合う風景だと思う。古刹の趣と杉林が 調和して山寺の風格を醸し出すのではないだろうか。 ...続きを見る

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2008/03/14 09:51
高伝寺(佐賀県佐賀市) 佐賀藩主鍋島家の菩提寺
高伝寺が梅の名所と知りつつ、五月の新緑期に寄せていただいた私は 矢張り頓珍漢でした。もう一度<霊徳寿梅>の花盛りを見に。 福岡県の方で高伝寺の梅をバッチリ載せておられるブログを拝見して 感動しました。もう一度、梅の季節に高伝寺と久留米市の梅林寺へ 行こう。どちらのお寺も大名の菩提寺。 ...続きを見る

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2008/03/09 22:07
恵日寺(佐賀県唐津市)
重要文化財に指定されている朝鮮鐘のある恵日寺を訪れ、 日本三大悲恋伝説<松浦佐用姫悲恋伝説>ゆかりのお寺ということで 色々調べてみて、山上憶良の歌が万葉集に出てくるとはオドロキである。 万葉集の歌をあまり知らない私にとって、伝説の古さに驚いた。 ちなみに三大悲恋伝説には諸説あるが、この<松浦佐用姫悲恋伝説>は 史実に基づいた伝説であるらしい。 ...続きを見る

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2008/03/09 17:22
円清寺(福岡県朝倉市) 朝鮮鐘について
円清寺には初代福岡藩主黒田長政が寄贈したと伝えられる重要文化財の <朝鮮鐘>があるが、ここで<朝鮮鐘>について簡単に触れてみよう。 <朝鮮鐘>と<和鐘>の特徴的な相異は @和鐘の胴体には袈裟襷の文様があり、朝鮮鐘にはない A鐘を吊るす部分に龍が巻きついているが、和鐘は2頭、朝鮮鐘は1頭 が大きな相違点である。写真で見てみよう。 ...続きを見る

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2008/03/09 14:52
普門院(福岡県朝倉市)
福岡県には古刹・名刹のお寺が多いにも関わらず、国宝・重文に指定された 建造物があるお寺は善導寺と普門院の2ヶ寺しかなく、それも筑後川の流域 にあるという偶然。 やはり昔の兵火に遭ったのであろう。 ...続きを見る

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2008/03/08 23:33
福厳寺(福岡県柳川市)
福岡県の南端に位置する柳川市は、なんと言っても<水郷と北原白秋> を思い出すが、この城下町柳川の礎を築いたのが柳川藩初代藩主の立花宗茂 である。 1587年秀吉の眼にかない、筑後三郡を与えられ柳川の地に城地を構えたが、 関ヶ原の戦で西軍に味方して一時改易となるが、1620年に再び柳川城主として 復活し、その後柳川の発展に寄与した。 ...続きを見る

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2008/03/08 22:18
古心寺(福岡県朝倉市)
<筑前の小京都>といわれる朝倉市の秋月は鎌倉時代からの小さな 城下町であった。明治時代に入り町は衰え人口も減少したが、それとは 逆に自然や町の風情は残され今日の小京都としての秋月をなしている。 ...続きを見る

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2008/03/08 20:51
光明禅寺<光明寺>(福岡県太宰府市) 九州随一の枯山水庭園
春はシャクナゲ、初夏は新緑、秋は紅葉、それに苔と石が織り成すハーモニー と四季を通じて名演奏を奏でる光明禅寺の庭園は、渡唐天神の縁起に基づき 海をテーマに作庭された枯山水庭園である。 石組や苔を島と大陸に見立て、水を表す白砂が東から西へ流れて大海となる 風景を演じている。<一滴海の庭>と名づけられている。 ...続きを見る

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2008/03/07 23:44
梅林寺(福岡県久留米市) 久留米藩主有馬家の菩提寺
久留米市の梅の名所梅林寺といったほうが梅林寺の名前にピッタリ。 梅林の外苑を久留米発祥のブリジストン創始者石橋正二郎が寄贈したと 説明板にあり、これこそ市民への寄贈なんだろう。 私が訪れたのは12月初旬で残念ながら見ごたえのある梅林を鑑賞できず。 しかし、梅林寺の寺格が醸し出す風景には感動を憶えた。 ...続きを見る

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2008/03/07 21:12
福聚寺(福岡県北九州市)
江戸時代に入って、大名の菩提寺として創建されたお寺が結構黄檗宗である のも面白い事実であるが、これも徳川家綱が隠元禅師に深く帰依した関係なのであろう。 福聚寺も小倉藩初代藩主小笠原忠真が中国僧即非如一を開山として開創した 黄檗宗のお寺で、小笠原家の菩提寺である。 ...続きを見る

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2008/03/07 19:50
東長寺(福岡県福岡市)
東長寺といえば福岡大仏と言われるほどに、いや博多のスポットになっている 福岡大仏は1993年にお寺の隆盛と界隈の活性化を図ろうと造立された。 さらに、五重塔を建立して一層の隆盛と博多のシンボルにしようとする計画が あるそうだ。 空海が唐から帰って博多に着いた折に創建されたと言われる古刹が大胆な 計画をもって挑もうとしている。住職の心意気は凄い。 <ちなみに、大仏拝観は無料> ...続きを見る

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2008/03/07 17:08
崇福寺(福岡県福岡市) 福岡藩主黒田家の菩提寺
福岡市博多区には名刹4ヶ寺があり<三禅窟(崇福寺、聖福寺、承天寺)、東長寺> 、喧騒な街の風景を和ませている。 崇福寺は1240年堪慧禅師が大宰府に開創し、1272年大応国師が勧請開山として 迎えられている。1586年兵火により焼失し、1600年福岡藩初代藩主黒田長政によって 現在地に黒田家の菩提寺として再建された。 ...続きを見る

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2008/03/07 16:12
聖福寺(福岡県福岡市)
博多の市街地にある聖福寺は、臨済宗の開祖といわれる栄西禅師が1195年 宋から帰国した際に開創した禅寺である。 室町時代には五山十刹に序され大いに興隆したが、戦国時代には一時衰退 した。1587年には秀吉の区画整理(太閤町割)によって境内地も現在の規模まで 縮小された。 ...続きを見る

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2008/03/07 12:15
千如寺(福岡県糸島市)
福岡県でも五指に入る紅葉の名所千如寺は雷山(955m)の中腹に位置し、 725年聖武天皇の勅願によってインドの僧清賀上人によって開創されたと いわれている。 鎌倉時代には元寇に対する祈祷寺として栄えたが、戦国時代末期には 衰退していた。 1753年福岡藩主黒田継高によって塔頭大悲王院が創建され、明治時代の 神仏分離により千如寺は廃寺となり、大悲王院がその総てを引き継いだ。 現在の千如寺は大悲王院そのものであり、今日の隆盛をみている。 ...続きを見る

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2008/03/05 22:54
備中国分寺(岡山県総社市)
備中国分寺といえば吉備路の風景と溶け込む五重塔。 五重塔が生み出す風景のNO1といえる備中国分寺の吉備路は2〜3世紀の 大和朝廷に匹敵する勢力を誇った吉備王国の中心で、造山古墳などの古墳群、 吉備津神社などの古社寺が集中するロマン溢れる地域である。 ...続きを見る

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2008/03/05 21:02
延命寺(愛媛県今治市) 四国八十八ヶ所霊場第54番
延命寺は明治時代までは円明寺といっていたが、53番の円明寺と紛らわしい ということで通称名をそのまま延命寺とした。 もとは近見山にあったが、1727年現在地に移転。 どこにでもある小さな可愛いお寺だが、お遍路さんで賑わっているのは 随分違いがある。 ...続きを見る

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2008/03/01 22:01
乗禅寺(愛媛県今治市)
今治には伊予国分寺が置かれ、奈良時代から伊予の中心地であった。 今は、しまなみ海道を通じて尾道と直結し、愛媛県の玄関口になっている。 この今治に重要文化財に指定された石塔が16基もあり、指定されない 石塔もそれに匹敵する年代・技術的に優れたものが多い。 その内、11基が乗禅寺に集中している。 ...続きを見る

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2008/03/01 20:26
本山寺(香川県三豊市) 四国八十八ヶ所霊場第70番
戦国時代の土佐大名長宗我部元親が1575年四国統一を狙って讃岐・伊予・ 阿波を襲ったが、そのとき香川県のお寺はほとんどその災禍に遭い堂塔を 失くしているが、本山寺の本堂・五重塔・仁王門は奇しくも残った。 その時の伝説が<太刀受けの阿弥陀如来>として残っている。 本堂は香川県で唯一の国宝建造物であるのも、長宗我部の戦によるのである。 <長宗我部元親が讃岐・伊予・阿波で人気が悪く、土佐では名君> ...続きを見る

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2008/03/01 17:43
大岳院(鳥取県倉吉市)
倉吉の打吹山にある長谷寺の絵馬を拝観させていただこうと倉吉へ やってきたが、あいにくお寺の住人がお留守で拝観できず、折角の 機会と市内のお寺を探索することにした。 ...続きを見る

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2008/02/26 21:20
玄忠寺、景福寺(鳥取県鳥取市)
鳥取藩主池田家の菩提寺興禅寺を訪れた時、渡辺数馬の墓を見つけ 荒木又右衛門のことを思い出しご内儀にお聞きしたところ荒木又右衛門の 菩提寺が同じ市内の玄忠寺にあるとお聞きし、このお寺を訪れた。 また、<大阪夏の陣>で有名な後藤又兵衛の墓も同じ町内の景福寺にあると 聞き及んで景福寺へも足を運んだ。 ...続きを見る

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2008/02/26 14:46
興禅寺(鳥取県鳥取市)
興禅寺の由来を見ると複雑な経緯があるようだが、江戸時代は黄檗宗の 三大叢林<他に東光寺(山口県萩市)、大年寺(宮城県仙台市)>といわれるほど 鳥取藩主の庇護を受けて栄えたと伝わるお寺。 ...続きを見る

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2008/02/26 13:39
長谷寺(鳥取県倉吉市)
白壁土蔵群や商家の街並みが残る小京都といわれる倉吉に足を運んだ のは、街並みを見学すると同時に背後にある打吹山にある長谷寺の絵馬を 拝観させてもらおうという目的があった。 400mぐらいの山道(西参道)を登って絵馬が見たいと本坊へ行ったところ あいにく留守で、結局見られずじまいに終わった。 室町時代以降の絵馬が数多く残る珍しいお寺なのだ。 ...続きを見る

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2008/02/25 23:17
大山寺(鳥取県大山町)
大山(標高1709m)は中国地方で最高の山であると同時に信仰の山として 古くから崇められてきたが、今やこの地方での最大の観光地としての存在である。 その中腹にある大山寺(標高800m)周辺は観光・登山の拠点となっている。 お参りする前の想像とは全く異なる大山寺であったが、一歩阿弥陀堂の境内へ足を 踏み入れると想像に少し近い風景と古の信仰が漂う空気を味わいほっとした。 さすが登山者や観光客もここまでは足を向けないらしいが、是非立ち寄って 欲しい阿弥陀堂である。 ...続きを見る

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2008/02/25 22:31
善導寺(福岡県久留米市) その2
このページでは善導寺の文化財などを記してみよう。 ...続きを見る

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2008/02/20 22:54
戒壇院(福岡県太宰府市)
戒壇院はもと観世音寺に属していたが、1703年福岡藩の指示で 博多の聖福寺の末寺となった。 761年東の下野薬師寺と西の観世音寺に戒壇が設けられ、西の 戒律を授ける場所となった。東大寺を含めて<天下の三戒壇>と いわれたが、平安時代初期に比叡山延暦寺に戒壇が設けられ大いに 揉めたそうである。しかし、奈良時代・平安時代と正式な戒壇の機能を 果たしていたが、鎌倉新仏教が興隆するとその役割も減じて戒壇院も 影が薄くなっていった。 ...続きを見る

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2008/02/20 17:29
観世音寺(福岡県太宰府市)
大宰府天満宮で有名な大宰府は古い歴史を持つ街であるが、 7〜8世紀頃の観世音寺は大宰府政庁・筑前国分寺とともにその 中心的役割を果たすお寺であった。 現在のお寺は金堂と講堂が残るのみで、その面影は感ずることは 少なくなっているが、当時の堂塔跡が物語ってくれている。 ...続きを見る

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2008/02/20 16:24
誕生寺(岡山県久米南町) その3 景物
誕生寺の境内には<法然上人旅立ちの像>、<産湯の井戸>など 上人にまつわる景物があり、また客殿の裏には池泉回遊式の庭園もある。 ...続きを見る

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2008/02/20 11:03
誕生寺(岡山県久米南町) 伽藍その2
誕生寺のあらましを簡単に記しておこう。 ...続きを見る

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2008/02/19 23:59
瑠璃光寺(山口県山口市) 美しい姿の<国宝>五重塔
日本三名塔<法隆寺五重塔、醍醐寺五重塔、瑠璃光寺五重塔>のひとつであり、 私なりの日本五重塔三風景<羽黒山五重塔、備中国分寺五重塔、瑠璃光寺五重塔> のひとつであろう。 それほどにこの五重塔は風景そのものであろう。 大内文化の粋として<西の京>山口を代表する名所でもある ...続きを見る

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2008/02/14 22:54
向上寺(広島県尾道市)
瀬戸内しまなみ海道を南へ生口島北ICを下りて耕三寺の方向へ。 というほどに耕三寺への観光客は多いが向上寺を訪れる人は少ない。 ...続きを見る

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2008/02/14 21:16
白峯寺(香川県坂出市) 四国八十八ヶ所霊場第81番
高松市の西、五色台の西端にあたる白峰山(坂出市)上に位置する白峯寺 は四国八十八ヶ所霊場第81番であるとともに崇徳天皇の廟所としての寺格を 有している。 崇徳天皇御陵と廟所の頓証寺殿、十三重石塔の供養塔2基がある。 <御陵が京都・奈良・大阪以外にある珍しい事例> 崇徳天皇は保元の乱でこの地に配流され9年後の1164年に崩御された。 後に西行が訪れその霊を慰め、歌を残している。 <よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせん> ...続きを見る

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2008/02/11 23:09
光明坊(広島県尾道市)
尾道から瀬戸内しまなみ海道を南へ生口島北ICを出て島の東側沿いに10分 目的とする光明坊の十三重石塔の先端が見えてきた。 ところが、以外にも法然上人ゆかりのお寺ではないか。それも松虫・鈴虫の 名前まででてくるわ。驚きの一語。 どこで何に出くわすかこの世は摩訶不思議。ありがたい。 京都の安楽寺を思い出した。 ...続きを見る

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2008/02/11 21:06
浄土寺(広島県尾道市) その4
浄土寺 その4 庭園、石塔、仏像<写真不可>、その他 ...続きを見る

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2008/02/09 21:37
浄土寺(広島県尾道市) その3
浄土寺 その3 文化財以外の伽藍 ...続きを見る

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2008/02/09 20:32
浄土寺(広島県尾道市) その2
浄土寺 その2 文化財伽藍について ...続きを見る

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2008/02/09 17:56
吉祥寺(福岡県北九州市)
浄土宗第二祖の鎮西上人の生誕地であり、藤の名所でもあるお寺 ...続きを見る

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2008/01/18 22:53
承天寺(福岡県福岡市)
博多祇園山笠発祥の地といわれるお寺 ...続きを見る

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2008/01/18 22:11
功山寺(山口県下関市)
国宝仏殿を擁する長府藩主毛利家の菩提寺 中国三十三ヶ所観音霊場 ...続きを見る

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2008/01/16 21:12
常栄寺(山口県山口市)
画聖雪舟が作ったと伝わるお庭が迫ってくるお寺 ...続きを見る

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2008/01/16 20:03
保国寺 (愛媛県西条市) <名勝>庭園
茅葺屋根の本堂と庭園が醸し出す風景が別世界に誘うお寺 ...続きを見る

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2008/01/15 22:48
南光坊(愛媛県今治市) 四国八十八ヶ所霊場第55番
今治の市街地にある四国八十八ヶ所霊場第55番札所 ...続きを見る

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2008/01/15 21:55
霊山寺(徳島県鳴門市) 四国八十八ヶ所霊場第1番
四国八十八ヶ所霊場第1番札所(発願の寺) ...続きを見る

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2008/01/15 21:19
金剛福寺(高知県土佐清水市) 四国八十八ヶ所霊場代38番
足摺岬にある四国八十八ヶ所霊場第38番札所 ...続きを見る

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2008/01/15 20:17
豊楽寺(高知県大豊町) <国宝>薬師堂
吉野川北岸の険しい山あいに建つ国宝薬師堂、そこが豊楽寺 ...続きを見る

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2008/01/15 15:10
大窪寺(香川県さぬき市) 四国八十八ヶ所霊場第88番
四国八十八ヶ所霊場第88番札所(結願寺) ...続きを見る

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2008/01/14 23:40
法然寺(香川県高松市) 法然上人ゆかりの寺
浄土宗開祖の法然上人が1207年四国に配流され、逗留された生福寺 (現在のまんのう町)が江戸時代に移転し創建されたお寺 ...続きを見る

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2008/01/14 22:55
磐台寺 福禅寺(広島県福山市)
磐台寺(阿伏兎観音)と福禅寺は瀬戸内海に面して建ち、そこからの眺望は 観光スポットになっている。 ...続きを見る

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2008/01/06 22:03
宝福寺(岡山県総社市) その2
画聖雪舟が涙で鼠の絵を描いた逸話で有名なお寺 ...続きを見る

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2008/01/06 17:56
本蓮寺(岡山県瀬戸内市)
日本のエーゲ海といわれる牛窓にある古刹 ...続きを見る

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2008/01/05 22:13
清水寺(島根県安来市) その2
厄払いの古刹 中国観音霊場第28番札所 ...続きを見る

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2008/01/05 21:16
清水寺(島根県安来市) その1
厄払いの古刹 中国三十三観音霊場第28番札所 ...続きを見る

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2008/01/05 20:52
不動院岩屋堂(鳥取県若桜町)
不動院岩屋堂は自然の洞窟内に作られた舞台造りの不動堂で、 三仏寺投入堂の形態を採っている。 ...続きを見る

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2008/01/05 16:59
お寺の庭園 その2 九州
九州にもすばらしい庭園がありますよ。 是非訪問してください。京都だけでなく。 なによりも拝観者が京都ほど多くないので ゆっくり落ち着いて拝観できます。 ...続きを見る

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2008/01/05 12:15
定光寺 祥雲寺(愛媛県上島町) 瀬戸内海の島にあるお寺
瀬戸内海の島にあるお寺 ...続きを見る

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2008/01/03 00:27
光明寺 瑞雲寺(長崎県平戸市)
お寺と教会が見える風景 平戸の観光スポット ...続きを見る

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2008/01/02 23:37
天祐寺(長崎県諌早市) 諫早領主の菩提寺
この地域は<伊佐早>と呼ばれていた時期、1474年西郷氏が統一して 100年後の1587年、龍造寺家晴が伊佐早を領し、2代目の直孝の時 地名と家名を<諫早>とした。 諫早領は鍋島佐賀藩の支藩にあたる領地となった。 ...続きを見る

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2008/01/01 21:21

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