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zoom RSS テーマ「関東甲信越のお寺」のブログ記事

みんなの「関東甲信越のお寺」ブログ

タイトル 日 時
長野県のお寺 
長野県のお寺  長野県といえば善光寺と浮かぶ名刹であり、日本のお寺を代表する 信仰のお寺ともいえよう。 長野県には多くの仏教文化財も多く、お寺探索の宝庫でもある。 ...続きを見る

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2017/11/26 09:02
宝蔵寺 (長野県売木村)
宝蔵寺 (長野県売木村) 長野県の最南端に位置し、人口600人弱の山村・売木村(うるぎむら)で唯一の お寺・宝蔵寺は、村でも桜の名所になっており、夜にはライトアップも行われる。 駐車場脇の数本の桜と、隣に建つ売木観音堂のシダレ桜(推定樹齢140年) が競演する風景が人気らしい。 ...続きを見る

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2017/11/26 08:56
耕雲寺 (長野県飯田市)
耕雲寺 (長野県飯田市) 耕雲寺は伊那河岸段丘上に建ち、座光寺北本城跡である。 ここからは天竜川方面の眺望が良い。 座光寺北本城は15世紀に地元の豪族・座光寺氏によって築城されたと 推定され、戦国時代の武田軍の侵攻によって落城したとみられる。 座光寺氏は江戸時代には寄合旗本として続いている。 ...続きを見る

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2017/10/31 09:17
関東甲信越のお寺
関東甲信越のお寺 関東甲信越の訪問はこれからといえる。 群馬県は念願の訪問を果たした。 ...続きを見る

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2017/10/05 09:30
光福寺 (埼玉県東松山市) 宝篋印塔
光福寺 (埼玉県東松山市) 宝篋印塔 埼玉県の中心に位置する東松山市に建つ光福寺には、ほぼ完形で 残る宝篋印塔が安置されている。 1323年の建立で、上部は関東型、下部は関西型で貴重な資料として 重要文化財に指定されている。 <お寺の宝篋印塔>参照 また、1306年建立の板石塔婆が安置され、貴重な石造物が 維持管理されている。 ...続きを見る

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2017/10/05 09:18
見宗寺 (長野県辰野町) 戦艦大和の艦長・有賀幸作の菩提寺
見宗寺 (長野県辰野町) 戦艦大和の艦長・有賀幸作の菩提寺 戦艦大和の最後の艦長として殉じた有賀幸作は、1897年辰野町に生まれ、 1917年海軍兵学校を卒業し、駆逐艦艦長などを経て、1944年戦艦大和の 第6代艦長になっている。 1945年4月7日、坊ノ岬沖海戦において、アメリカ海軍空母艦載機386機の 攻撃を受け、大和は沈没している。 この時、有賀は羅針儀に自らを縛り付け、大和と共に殉じたといわれている。 この有賀の菩提寺が見宗寺である。 ...続きを見る

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2017/09/12 08:56
田ノ上観音堂 (長野県木祖村)
田ノ上観音堂 (長野県木祖村) 木曽川源流の木祖村小木曾に建つ田ノ上観音堂の開創は不詳であるが、 現在の観音堂は1776年再建の茅葺観音堂で、木曽谷では最古の茅葺 観音堂である。 この本尊聖観音は飛騨高山から江戸へ運ぶ途中、ここ小木曾で休憩 したところ、急に重くなって運べなくなり、村人が堂宇を建てて祀られたと 伝承されている。 観音堂傍のシダレ桜は、推定樹齢が数百年といわれ、観音堂と桜の 風景が木祖村のスポットとなっている。 観音堂は木祖村極楽寺によって維持管理されている。 ...続きを見る

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2017/08/18 09:21
長松寺 (長野県天龍村)
長松寺 (長野県天龍村) 国指定の重要無形民俗文化財の<下伊那のかけ踊>は飯田市の一部、 阿南町、天龍村、泰岐村で8月に行われている。 天龍村向方地区で8月16日行われている<かけ踊>は長松寺が主舞台の 行事で、盆踊りも並行しておこなわれ、この山中集落の一大イベントであるが、 近年は人口減少で太鼓の打ち手が少なく、数年前からかけ踊は中止らしい。 長松寺の開創については不詳である。 長松寺は国道418号から山手に上った処に建つ。 ...続きを見る

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2017/07/18 13:53
明光寺 (長野県辰野町)
明光寺 (長野県辰野町) 辰野町伊那富の山麓に建つ明光寺は、シダレ桜の見どころとして、季節には 多くの参拝者が訪れるお寺である。 もう一つ見落とせないのが、山門である。 この山門は1825年、諏訪立川流の小口直四郎棟梁により建立されている。 諏訪立川流は楼閣建築の宮大工の流派で、彫刻を得意とし、立川和四郎が 創始者で、小口直四郎はその弟子である。 諏訪立川流の建築には、長野善光寺、京都御所など多くの建築がある。 明光寺の山門は薬医門形式の単純な形式であるが、龍の彫刻が特色 といわれている。 ...続きを見る

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2017/06/20 09:01
龍光寺 (群馬県富岡市) 富岡製糸場工女の墓
龍光寺 (群馬県富岡市) 富岡製糸場工女の墓 2014年世界遺産に登録された富岡製糸場は、1872年(明治5年)明治政府 により設立され、近代製糸業の模範として日本近代化のシンボルとなった。 日本全国から集まった工女の勤務条件も良かったが、途中で病に斃れる 工女も出た。 明治6年〜34年の間に60人の工女が亡くなり、龍光寺と海源寺に葬られ、 龍光寺には30基の墓石が建てられている。 現在、富岡製糸場には多くの観光客が訪れるが、工女のお墓を訪れる人は どれくらいいるのだろうか。 ...続きを見る

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2017/05/30 14:00
長福寺 (長野県木曽町) 木曽三大寺
長福寺 (長野県木曽町) 木曽三大寺 信濃国木曽といえば、源義仲(木曽義仲、木曽次郎)が頭に浮かぶ。 この義仲を祖と自称する木曽氏が、南北朝〜戦国時代の長き期間に亘り、 木曽谷を支配している。 木曽氏の出自は明確ではないが、義仲の末裔といわれる沼田氏が 上野国から木曽谷に入って木曽氏を名乗ったといわれている。 この義仲を祖とする木曽氏13代・木曽豊方が長福寺を再興し、 木曽氏の菩提寺となり、興禅寺・定勝寺と共に木曽三大寺と呼ばれている。 ...続きを見る

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2017/05/10 13:27
極楽寺 (長野県木祖村)
極楽寺 (長野県木祖村) 木曽路藪原宿のJR中央線に面した小高い地に建つ極楽寺は、 天正年間(1573〜92年)に木曽川辺の倉籠に開創されたと伝えられ、 水害のために移転し、2ヶ所を経て1689年現在地に落ち着いている。 1691年に本堂、1698年に山門が建立され現在に至っている。 拝観はできなかったが、遠州流の庭園や藤田嗣治の天井絵などが ある。 ...続きを見る

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2017/04/21 10:04
得成寺 (群馬県富岡市) 小野小町伝説
得成寺 (群馬県富岡市) 小野小町伝説 絶世の美女と言い伝えられた平安時代の歌人・小野小町ゆかりの 伝説は全国各地にある。 その内の一つが得成寺に伝わっている。それは  京の宮中に仕えていたが、奈良長谷寺の観音のお告げを受けて、 故郷の出羽へ帰る途次に病を患い、富岡の村人に教えられた 薬師如来に祈願を続けたところ、病も癒えて出羽の国へと旅立った。 この間、小町が住した庵が得成寺の起源と伝えられている。 ...続きを見る

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2017/04/04 08:56
自慶院 (長野県天龍村)
自慶院 (長野県天龍村) 天龍村は長野県南端に位置し、村の中心部を南北に天竜川が流れる 渓谷の村である。 アクセスは不便であるが、川と自然とブッポウソウ(仏法僧)の村として 知られ、5月〜7月上旬の期間はブッポウソウが飛来し、野鳥愛好家 には人気のスポットとなっている。 ブッポウソウは長野県の天然記念物であり、天龍村の村鳥に指定 されている。 天龍村役場の屋上に巣箱が設けられ、役場の下に建つ自慶院から 観察する愛好家が多いと聞く。 私の訪れた7月下旬は、既に巣立ちした後で観察ができず残念。 また、自慶... ...続きを見る

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2017/03/15 09:30
関昌寺 (長野県阿南町) 樹林の参道
関昌寺 (長野県阿南町) 樹林の参道 長野県南端に位置する阿南町を南北に走る国道151号(遠州街道)の 富草地区山裾に樹林に覆われた参道が印象的な関昌寺が建つ。 下条村、阿南町はかって下条郷と呼ばれ、室町〜戦国時代末期に 下条氏が支配していた。 1582年織田信長が伊那谷に侵攻した際、11代下条信正は亡くなり、 若き康長が12代目となり、1585年父の菩提を弔うために関昌寺を 開創したと伝えられている。 康長は若年ということもあり、一族内に内紛が起こり、徳川家康の 策略で下条氏は没落したといわれている。 ...続きを見る

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2017/02/25 20:13
観音寺 (群馬県藤岡市)
観音寺 (群馬県藤岡市) 高速道路の藤岡JCTの近くに建つ観音寺は1200年に開創されたと 伝えられ、大寺として大いに栄えたといわれた。 1582年本能寺の変で織田信長が亡くなると、織田方の上州支配者・ 滝川一益と小田原北条氏が戦いを始め、戦国時代において関東では 最大の野戦といわれる<神流川の戦い>によって滝川一益が敗走した。 この兵火により観音寺は灰燼に帰している。 1653年になって再興されている。 ...続きを見る

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2017/02/08 09:20
雲彩寺 (長野県飯田市) 雲彩寺古墳
雲彩寺 (長野県飯田市) 雲彩寺古墳 2016年飯田古墳群13基が国の史跡に指定された。 5〜6世紀頃、飯田は馬の生産集積地で、大和政権と深く関係したことから、 数多くの古墳がある。 その飯田古墳群にあって、最大規模の古墳が雲彩寺古墳(飯沼天神塚)で、 全長78mの前方後円墳である。 この古墳に接して建つのが雲彩寺である。 雲彩寺は、白雉年間(650〜654年)現在地から北3kmほどの地に開創 されたと伝えられている。 1874年現在地に移転している。その際に、飯田城の遺構を山門として 移設している。 ...続きを見る

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2017/01/22 20:15
宗源寺 (長野県根羽村)
宗源寺 (長野県根羽村) 長野県根羽村(ねばむら)は豊田市から飯田街道を50kmほどの、 長野県最南西端に位置する人口千人弱の山村である。 三河湾に注ぐ矢作川の上流域で、昔から三河の影響が強い。 川沿いの<月瀬の大杉>は推定樹齢が1800年といわれ、長野県で 最大の巨木であり、国の天然記念物に指定されている。 その根羽村の山寺が宗源寺である。 宗源寺は1395年の開創と伝えられ、桜の名所にもなっている。 ...続きを見る

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2017/01/04 15:28
慈眼院 (群馬県高崎市) 高崎観音
慈眼院 (群馬県高崎市) 高崎観音 慈眼院は、もと高野山の子院として鎌倉時代中期に北条重時が 高野山に開創したと伝えられている。 北条重時は鎌倉幕府第2代執権・北条義時の三男で、第3代〜第5代の 執権を支え、幕府政治の安定に寄与した評価の高い政治家であった といわれている。 33歳から17年間、京都の六波羅探題を務め、この間に慈眼院を開創 したのではないだろうか。 慈眼院は1941年高野山から離れて、高崎の地に移っている。 ...続きを見る

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2016/12/16 14:35
薬王寺 (長野県辰野町)
薬王寺 (長野県辰野町) 薬王寺は、607年現在地の背後の桑沢山(1538m)中腹に開創されたと 伝えられ、1676年現在地に移転している古刹である。 旧跡の堂跡からは、人骨の入った鎌倉初期の四耳壷が発掘されている。 現在の本堂は杉林の中にどっしりと構え、杉林の参道が印象に残る。 また、芭蕉句碑が1891年に建てられている。  句碑<初さくらをりしもけふハよき日なり> ...続きを見る

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2016/11/28 09:15
金蔵院 (埼玉県吉見町) 毘沙門堂
金蔵院 (埼玉県吉見町) 毘沙門堂 金蔵院は通称毘沙門堂と呼ばれているが、平安時代末期〜鎌倉時代に 地元の武蔵武将・大串次郎重親が毘沙門信仰が篤く、これを本尊として 開創したと伝えられている。 一時は七堂伽藍の大寺であったといわれたが、天文年間(1532〜55年) の兵火により灰燼に帰している。 その後、毘沙門堂だけが再建され、現在は近くの観音寺が管理している。   大串重親は、1184年の宇治川の合戦や1189年の奥州征伐などで 活躍した武将として地元では名高い。 その重親の墓と伝えられる宝篋印塔が毘沙門堂の西... ...続きを見る

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2016/11/09 09:38
瑞光院 (長野県阿南町) 日差城主・関氏の菩提寺
瑞光院 (長野県阿南町) 日差城主・関氏の菩提寺 伊勢亀山城の歴代城主であった関氏(伊勢平氏)の一族であった 関盛春が1448年下伊那の新野に土着し、日差城を築き領主として 根を張った。 盛春が1453年亡くなると、2代目の関盛国が父の菩提を弔うてめに、 城の北東に伊勢関氏の菩提寺・瑞光寺から瑞光庵と名付けて開創 したのが瑞光院の始まりと伝えられている。 1529年庵を現在地に移して、瑞光院としている。 阿南町の名刹として大寺を維持している。 ...続きを見る

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2016/10/18 09:21
清水寺 (群馬県高崎市)
清水寺 (群馬県高崎市) お寺のもくもく探索は、晴れた日を選んで予定を建てるが、あいにく高崎市の 探索は雨模様の中で強行した。 清水寺の600段余りの石段も登れず、観音山の車道を使っての参拝となる。 あじさい寺とも呼ばれる清水寺ではあるが、11月の季節外れとちぐはぐ。 清水寺は、808年坂上田村麻呂が蝦夷征討の祈願をすべく、自ら開創した 京都清水寺から勧請開創したと伝えられる古刹である。 本堂内には、江戸時代に描かれた絵馬や算額があるらしいが、これも 拝観できずに。 廻廊に掲げられた絵馬で自らを納得させる... ...続きを見る

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2016/10/01 12:35
瀧水寺 (長野県上田市真田町) 懸造りの観音堂
瀧水寺 (長野県上田市真田町) 懸造りの観音堂 真田幸村の出身地・上田市真田町にある瀧水寺は、鎌倉時代の正応年間 (1288〜93年)に開創されたと伝えられ、1587年矢沢頼綱によって 再興されている。 矢沢頼綱(綱頼)は真田幸村の祖父・真田幸隆の弟で、矢沢氏に養子で 入り真田氏に仕え、真田氏家臣団において重きを置いた。 矢沢氏は後々松代藩真田家の筆頭家老を勤めている。 ...続きを見る

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2016/09/13 08:45
龍嶽寺 (長野県下條村) 地元豪族下條氏の菩提寺
龍嶽寺 (長野県下條村) 地元豪族下條氏の菩提寺 1350年頃、甲斐国下條から下伊那の地に移った下條頼氏を初代として 5代まで伊那下條の地を治めた。 6代目になる康氏を信濃守護・小笠原氏から迎えて、下條氏は隆盛と なり、吉岡城を築城している。 下條氏8代目・時氏が父・家氏の菩提を弔うために龍嶽寺を開創している。 下條氏は小笠原氏、武田氏と仕えたが、1587年徳川家康により 滅ぼされている。 下條村は下條氏とともに栄え、地名も下條氏に由来している。 ...続きを見る

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2016/08/26 09:00
妙安寺 (埼玉県東松山市) 上岡観音
妙安寺 (埼玉県東松山市) 上岡観音 国道ヨンマルナナ沿いに建つ上岡観音は上岡馬頭観音よも呼び、 馬頭観音を祀り、関東では最も知られた馬頭観音である。 鎌倉時代に馬頭観音を本尊とした上岡観音堂が建立され、 16世紀の後半に妙安寺が開創され、観音堂を管理するようになったと いわれている。 江戸時代になり、上岡観音には馬の所有者など馬に関わる人々の 信仰を集め、宿場が出来るほどに栄えたといわれている。 現在でこそ、馬に関わる人も減ったが、競馬関係者などの信仰を 集めている。 ...続きを見る

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2016/08/08 14:18
頼岳寺 (長野県茅野市) 諏訪藩主諏訪氏の菩提寺
頼岳寺 (長野県茅野市) 諏訪藩主諏訪氏の菩提寺 諏訪藩(高島藩)初代藩主・諏訪頼水は、諏訪大社の大祝職(神職の最高位) であり諏訪の領主として平安時代からの名門諏訪氏の系統である。 頼岳寺はこの諏訪頼水によって1631年開創された頼水と父母の菩提寺 である。 2代目以降の諏訪藩主の菩提寺は諏訪市温泉寺である。 頼岳寺は修行道場としても活動してきている。 ...続きを見る

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2016/07/21 09:24
金龍寺 (群馬県太田市)
金龍寺 (群馬県太田市) 1300年頃、現在の群馬県太田市で生誕といわれる新田義貞は、鎌倉幕府を倒し 南北朝時代への武将として、楠木正成とともに活躍した武将である。 特に、鎌倉へ攻め込み幕府を倒した武将の名を留めている。 この新田義貞の追善供養のために、義貞の子孫である横瀬貞氏が1417年開創 したのが金龍寺と伝えられている。開創年代を文明年間(1469〜86年)とする 説もある。 新田義貞は越前で1338年に戦死し、福井県坂井市の称念寺に墓がある。 その後、金山城(太田市)の城主となった横瀬氏の菩提寺とも... ...続きを見る

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2016/07/03 20:14
長谷寺 (長野県上田市) 真田幸村の祖父と父の菩提寺
長谷寺 (長野県上田市) 真田幸村の祖父と父の菩提寺 戦国時代の英雄的武将・真田幸村(信繁)の祖父・真田幸隆と父・昌幸の 菩提寺・長谷寺を訪れたのは霧の深い11月2日であった。 真田氏の郷・上田市真田の山麓へ霧の中を向う。 大河ドラマ真田丸に決定後ということもあって、長谷寺へ向う道路も整備 が進んでいる。 戦国時代の英雄・真田氏の菩提寺が霧の中に包まれ、往時の想像を 膨らませてくれる。 ...続きを見る

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2016/06/14 09:18
安楽寺 (埼玉県吉見町) 坂東三十三観音霊場第11番 吉見観音
安楽寺 (埼玉県吉見町) 坂東三十三観音霊場第11番 吉見観音 安楽寺は坂東三十三観音霊場第11番札所で、古来より厄除けの<吉見観音> と呼ばれ信仰の篤いお寺である。 安楽寺は、行基が東国巡錫の折に岩窟に聖観音を祀ったのが始まりと 伝えられている。 平安時代初期、坂上田村麻呂が奥州征討の折に戦勝祈願をし、七堂伽藍を 建立したのが安楽寺の開創となる。 鎌倉時代になり、源頼朝の弟・源範頼が吉見の領主となり、安楽寺の再建 を行ったといわれている。 伝承によると、範頼は幼い頃に安楽寺僧となったともいわれ、安楽寺と 範頼との関係は深いと伝えられている... ...続きを見る

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2016/05/28 09:43
西岸寺 (長野県飯島町) 伊那禅宗の古刹
西岸寺 (長野県飯島町) 伊那禅宗の古刹 天竜川河岸段丘の西岸に位置する西岸寺は四季折々の風景を 醸し出す禅寺で、伊那地域においても禅宗の古刹である。 参道の両脇に黒松が並木を造り出す風景は何とも言えない。 1772年住職が切り開いた参道両脇に黒松を植生したといわれ、 飯島町の名勝となっている。 山門に近づくと、門前左に推定樹齢400年というシダレ桜が迎えてくれる。 境内に入ると、目に飛び込んでくるのが、推定樹齢500年といわれるカヤの木 で、上半分には杉の木が生えているのである。 境内左手には弁天堂と庭園が一つの風景を... ...続きを見る

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2016/05/11 09:12
大光院 (群馬県太田市) 子育て呑龍
大光院 (群馬県太田市) 子育て呑龍 大光院は、1613年徳川家康が徳川氏の祖とした新田義重(平安末期〜 鎌倉時代初期)を追善供養するために、増上寺から呑龍上人を迎えて 開創している。 呑龍は庶民教育に熱心で、生活困窮者の子供を弟子の名目で養育、 その高徳により<子育て呑龍>として、以降信仰が高まっていった。 現在も、安産子育ての信仰が篤く、七五三などのお参りが多い。 また、大光院は浄土宗関東十八檀林の一つである。 ...続きを見る

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2016/04/21 09:11
惣持院 (長野県茅野市) 白岩観音堂
惣持院 (長野県茅野市) 白岩観音堂 惣持院は1462年開創と伝えられ1570年現在地に移ったといわれている。 境内の奥まった所に建つ白岩観音堂は、惣持院の北に位置する永明寺山 (1119m)中腹の観音平にあって諏訪高島藩主の信仰篤く、元禄年間に 藩主の命により惣持院に移されたといわれている。 1774年諏訪立川流の初代宮大工・立川和四郎富棟によって現在の 白岩観音堂が建立されている。 諏訪立川(たてかわ)流は江戸時代後期に富棟が起こした宮彫(彫刻) に卓越した宮大工の集団で、信州から東海・京へと波及した江戸時代 の... ...続きを見る

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2016/04/04 09:12
曹源寺 (群馬県太田市) さざえ堂
曹源寺 (群馬県太田市) さざえ堂 曹源寺のさざえ堂(栄螺堂)は、日本に6ヶ所あるさざえ堂の中でも最大と いわれ、会津若松の三匝堂と共によく知られている。 2015年訪問時点では修理中で拝観できなかったが、外観は2階建て、 内部は三層構造になっていて、一方通行の回廊が上へと螺旋状に伸び、 百体観音が安置されている。 さざえ堂(観音堂)は本堂を兼ねているが、観音堂としての本尊は 魚籃観音であり、曹源寺の本尊は阿弥陀如来である。 ...続きを見る

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2016/03/16 09:14
信綱寺 (長野県上田市) 真田信綱の菩提寺
信綱寺 (長野県上田市) 真田信綱の菩提寺 真田信綱は真田氏の祖・真田幸隆(幸綱)の嫡男であり、真田昌幸の長兄であり、 真田幸村(信繁)の伯父である。 信綱は武田信玄・勝頼に仕え、武田二十四将の一人であり、豪勇の武士と いわれた。 1567年幸隆が隠居し信綱が真田氏の家督を継いだが、1575年長篠の戦いで 信綱と弟の昌輝が討死している。 武田の没落が始まり、真田氏も窮地に追い込まれるが、真田氏の家督を継いだ 昌幸が真田氏の興隆に向けて活躍する。 ...続きを見る

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2016/02/28 20:50
広徳寺 (埼玉県川島町) <重文>大御堂
広徳寺 (埼玉県川島町) <重文>大御堂 広徳寺は大同年間(806〜810年)に開創されたと伝えられるが、詳細は 不詳である。その後衰退し、源頼朝の家臣である美尾屋十郎広徳が 館を築いたといわれている。 美尾屋十郎は平家物語にも記述はあるが、詳しいことは不詳である。 美尾屋十郎が亡くなると、源頼朝の妻・北条政子がその菩提を弔う ために、13世紀初期美尾屋館跡に十郎広徳の名を冠した広徳寺を 開創したと伝えられている。 その時、本堂などと同時に、阿弥陀如来を祀る大御堂を建立したと いわれている。 現在の大御堂は室町時代の後... ...続きを見る

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2016/02/12 09:35
常泉寺 (長野県中川村)
常泉寺 (長野県中川村) 天竜川東岸の河岸段丘にあり、中央アルプスの眺望が開ける大草の地に 建つ常泉寺。 春には桜、秋には紅葉・イチョウと四季を楽しませる風景を持っている。 人口5千人の小さな中川村にあってその存在感を示している。 ...続きを見る

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2016/01/25 09:30
達磨寺 (群馬県高崎市) だるま寺
達磨寺 (群馬県高崎市) だるま寺 おなじみの<だるま>は全国にあり、地域の名前を冠しただるまが数多くある 中で、高崎だるまは知名度・生産量ともに日本一である。 この高崎だるまの発祥地が達磨寺なのである。 達磨寺で1月6〜7日に行われる<七草大祭だるま市>には数十万の 人が集う盛況で、関東の風物詩となっている。 この<高崎だるま>は、天明の飢饉(1782〜88年)の後、1800年初期に 達磨寺住職・東嶽が達磨大師を手本にして木型を作り、農家の副業として 和紙を張らせ、張り子のだるまを七草大祭で売らせたのが始まりといわ... ...続きを見る

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2016/01/09 10:10
仲仙寺 (長野県伊那市) 紅葉の羽広観音
仲仙寺 (長野県伊那市) 紅葉の羽広観音 中央アルプス北端に位置する経ヶ岳(2296m)の東山麓に建つ仲仙寺は、 816年比叡山延暦寺の慈覚大師円仁が夢告によって、信州伊那の 大神護山に登って十一面観音を彫り、木片にお経を書いて祀ったと 伝えられ、これが仲仙寺の始まりといわれている。 それ以降、大神護山は経ヶ岳と呼ばれるようになったと。 十一面観音は羽広観音と呼ばれ、江戸時代には馬の観音さんとして、 馬の健康を願って参拝者が増え、馬の絵馬が奉納された。 現代では、馬に代って車の安全祈願に参拝する人が増えたそうだ。 ...続きを見る

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2015/12/26 10:03
瑞応寺 (長野県松川町)
瑞応寺 (長野県松川町) 賤ヶ岳七本槍の一人・片桐且元や大名茶人・片桐石州の祖先・片桐氏 (江戸時代以前は片切)の地は、現在の松川町上片桐で昔は片切郷と呼ばれた。 ここには、片切氏の居城・船山城があり、平安時代末〜戦国末期まで国人領主 として片切郷を治めていたが、織田信長に滅ぼされている。 しかし、片切氏の一部が近江に移り、片桐且元や片桐石州が現れている。 片切郷の片切氏の氏寺が船山城跡端の瑞応寺である。 ...続きを見る

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2015/12/23 09:14
鑁阿寺 (栃木県足利市) 足利氏の氏寺
鑁阿寺 (栃木県足利市) 足利氏の氏寺 近年、従来の芳しくない評価が見直されている室町幕府初代将軍・足利尊氏 の8代前の足利氏初代・足利義康が、足利の地に居館(足利氏館)を築いたのは 12世紀中頃といわれ、これが足利氏の始まりといわれている。 義康の子・義兼が2代目となり、1196年居館内に大日如来を祀る持仏堂を 建立したのが鑁阿寺の始まりである。 1234年伽藍が整備され、それ以降鑁阿寺は足利氏の氏寺となった。 足利の地は足利氏の隆盛にともなって発展した。 ...続きを見る

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2015/12/09 09:28
歓喜院 (埼玉県熊谷市) 妻沼聖天山
歓喜院 (埼玉県熊谷市) 妻沼聖天山 妻沼(めぬま)聖天は日本三大聖天(東京・待乳山聖天、生駒市・生駒聖天、 妻沼聖天)の一つに数えられ、聖天信仰のメッカとなっている。 その上、2012年聖天堂(本殿)が国宝に指定され、関東で数少ない国宝 建造物の仲間入りしたことで、観光客が増えている。 聖天堂の奥殿の彫刻は日光東照宮の技術が生かされ、埼玉日光とも 呼ばれている。 ...続きを見る

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2015/12/02 09:24
茂林寺 (群馬県館林市) 分福茶釜
茂林寺 (群馬県館林市) 分福茶釜 猛暑の町・館林市の観光目玉は<ツツジと分福茶釜>であり、館林の ゆるキャラも分福茶釜を模した<ぽんちゃん>と。 その分福茶釜のルーツが茂林寺である。 茂林寺の分福茶釜伝説が元になって、お伽噺<分福茶釜>が江戸時代に 流行ったといわれている。 茂林寺の分福茶釜伝説については、茂林寺のHPを参照。 ...続きを見る

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2015/11/23 10:04
実相院 (長野県上田市真田町)
実相院 (長野県上田市真田町) 真田町の洗馬城跡の北に位置し、山裾に建つ実相院は725年現在地の北・堂平 に開創されたと伝えられ、806年坂上田村麻呂が東征の折、現在地に実相院 として移しているといわれる。 兵火などにより盛衰を経て、1742年再興されている。 なお、真田氏の発祥地については不詳なところがあるが、一説には実相院 近辺といわれている。 ...続きを見る

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2015/11/14 19:42
真楽寺 (長野県御代田町) 霧の紅葉
真楽寺 (長野県御代田町) 霧の紅葉 浅間山の南麓に広がる高原地域の御代田町(みよたまち)にあって、 586年用明天皇の勅願によって、浅間山の噴火が鎮まることを祈願して 開創されたと伝える名刹が真楽寺である。 1189年には、源頼朝が観音堂を建て、自らの厄除けを祈願したことから 厄除け観音と呼ばれるようになったとか。 江戸時代になると、寺領も増え坊も多く大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2015/11/10 19:44
大宝寺 (長野県塩尻市奈良井)
大宝寺 (長野県塩尻市奈良井) 中山道奈良井宿の真中にある大宝寺は、木曽義仲を祖とする木曽氏の一族 奈良井義高が奈良井地域を治めていた頃の1582年、自らの菩提寺として 開創したと伝えられている。 義高は武田氏に仕えていたが、木曽義昌によって殺害されている。 ...続きを見る

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2015/10/24 19:20
信濃安国寺 (長野県茅野市)
信濃安国寺 (長野県茅野市) 1338年天下を平定した足利尊氏は夢窓国師の勧めによって、後醍醐天皇や 元弘の乱の戦死者などの菩提を弔うために、1345年全国66ヶ国に安国寺と 利生塔の建立を発願し、足利幕府の威信を示した。 信濃安国寺は諏訪領主で幕府奉行であった諏訪円忠によって1350年代に 諏訪大社上社前宮附近に開創された。 その後衰微したが、武田信玄などの帰依を受けて再興され、安永年間 (1772〜81年)干沢城跡の麓である現在地に再建されている。 ...続きを見る

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2015/10/08 13:56
真浄寺、医泉寺 (長野県喬木村)
真浄寺、医泉寺 (長野県喬木村) 喬木村(たかぎむら)は飯田市の北に接し、天竜川の東岸河岸段丘上に ある6,300人強の小さな村である。 その村中央にあって真浄寺・医泉寺は古刹である。 真浄寺は文明年間(1469〜87年)に集落の人達によって開創されたと いわれている。 医泉寺は1154年比叡山の僧によって薬師堂が建立されたのが始まりと 伝えられ、1533年真浄寺の住職が再興し、真浄寺の末寺としている。 江戸時代前期に真浄寺が医泉寺を管理するようになり現在に至っている。 医泉寺の本尊薬師如来は医泉薬師と呼ばれ篤い... ...続きを見る

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2015/09/20 20:15
法華寺 (長野県諏訪市) 諏訪大社上社の神宮寺
法華寺 (長野県諏訪市) 諏訪大社上社の神宮寺 諏訪大社の創建は不詳であるが、日本最古類の神社といわれ、大社は 上社(諏訪市)と下社(下諏訪町)の2社から成っている。 それぞれに神宮寺が開創され、上社には大坊・上ノ坊・下ノ坊・法華寺が あり、弘法大師空海が開創したともいわれているが、不詳である。 法華寺は天台宗のお寺であったが、鎌倉時代に臨済宗となっている。 明治時代に神仏分離によって、神宮寺は廃寺となったが、法華寺のみが 法灯を継いでいる。 ...続きを見る

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2015/09/03 14:24
経蔵寺 (長野県飯田市) 飯田城遺構の山門
経蔵寺 (長野県飯田市) 飯田城遺構の山門 飯田城は13世紀に、飯田の地頭であった坂西長由によって築城されたと 伝えられるが詳細は不詳である。 戦国時代には武田氏の秋山信友によって改築され、江戸時代になって 飯田藩の藩庁となり、藩主・脇坂氏により整備が進み、建立された <桜丸の門>がその後転々と移り、1914年経蔵寺山門として落ち着いている。 明治時代に廃城となった飯田城の跡地は、長姫神社などとなり、遺構は ほとんどない。 数少ない飯田城遺構として、   桜丸の門<17世紀>(経蔵寺)、桜丸御門<1754年>(合同庁舎近辺... ...続きを見る

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2015/08/19 08:59
長泉寺 (長野県塩尻市奈良井) お茶壺道中ゆかりの寺
徳川幕府第3代将軍・家光の1633年から幕末1867年まで、毎年1回 宇治茶を幕府に献上するために茶壺100個以上に宇治茶を詰め、 大名行列のように中山道〜甲州街道を運んでいる。 これを<お茶壺道中>と呼び、大名行列以上の優先度を設けたと いわれる。 中山道の木曽路宿場・奈良井宿での宿泊処が長泉寺であった。 奈良井宿は中山道の中間に位置し、大いに栄えた宿場であったらしい。 現在も、1kmにおよぶ宿場風景が残され、多くの観光客で賑わっている。 ...続きを見る

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2015/08/03 14:13
阿弥陀寺 (長野県飯田市)
飯田藩第2代藩主・脇坂安政は1654年第2代藩主となり、1672年播磨龍野 の藩主に移封するまで先代の安元が築いた飯田を発展させた。 1672年龍野へ移る前に、阿弥陀寺に父の供養を祈願して千体仏観音堂を 建立している。 また、シダレ桜を植樹したり伽藍の整備を行っている。 シダレ桜は樹齢350年を数え、現在も樹勢盛んである。 ...続きを見る

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2015/07/20 13:57
瑠璃寺 (長野県高森町) 高森町の名刹
西に中央アルプス、東に伊那山脈・南アルプスを望む伊那谷の河岸段丘に 展開する高森町の名刹と呼ばれるのが瑠璃寺である。 瑠璃寺は、1112年比叡山竹林教院の観誉僧都によって開創され、 1197年源頼朝が善光寺詣でを行ったといわれる際に、頼朝の祈願所と なり、寺領および桜が与えられたと伝えられている。 この寄進されたシダレ桜の子孫のシダレ桜が推定樹齢200年以上で、 高森町のシンボル樹ともなっている。 ...続きを見る

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2015/07/04 13:07
正願寺 (長野県諏訪市) 俳人・曽良の菩提寺
俳人・曽良(1649〜1710年)は諏訪に生まれ、33歳の頃江戸に出て、 芭蕉の門人となり、芭蕉庵近くに住み、芭蕉の日常生活を支援している。 1689年芭蕉のお供として<奥の細道>の旅に出ている。 5ヶ月にわたる2400km(江戸〜東北〜北陸〜大垣)の旅の中で、 芭蕉は松島で句を詠まなかったが、曽良が詠んでいる。  曽良の句<松島や鶴に身を借れほととぎす> この随行で記した<曽良旅日記>は<奥の細道>の研究資料として 貴重な文化財となっている。 1709年幕府の役人として壱岐に渡... ...続きを見る

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2015/06/22 09:22
柏心寺 (長野県飯田市) 菱田春草の菩提寺
横山大観、下村観山とともに岡倉天心の門下で、明治時代の日本画 の大家であり、日本画の改革者であった菱田春草の生誕地が飯田であり、 36歳の若さで亡くなり、柏心寺に葬られている。 代表作として、  黒き猫:重要文化財  落葉:重要文化財などがある。 ...続きを見る

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2015/06/05 09:36
東漸寺 (長野県塩尻市)
源平盛衰記によれば、長瀬判官代義員は木曽義仲の従兄で、義仲とともに 平家追討をめざして京へ入ったが、1184年源頼朝との宇治川の合戦で 獅子奮迅の活躍したが敗れ、三条河原で斬首されている。 義員の子孫は、義員の菩提を弔う為に文永年間(1264〜75年)に西光寺 を開創したと伝えられている。 その西光寺が東漸寺の起源といわれている。 西光寺はその後廃れ、1400年代初頭に東漸寺として再興されている。 ...続きを見る

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2015/05/20 09:36
慈恩院 (長野県豊丘村)
伊那谷にあって、東に伊那山脈を頂き、天竜川が形成した日本一といわれる 河岸段丘の中心に位置する豊丘村の慈恩院には、幕末に活躍した <おばさん力>のシンボル松尾多勢子(1811〜1894年)の墓がある。 松尾多勢子は、現在の豊丘村で主婦の役割を終え、52歳で上洛し尊皇攘夷 の志士を支援し、岩倉具視の女参事のような仕事もやり、王政復古の一助 ともなり、尊皇派女性志士とも呼ばれた。 島崎藤村<夜明け前>にも度々登場する<おばさん>である。 ...続きを見る

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2015/05/07 10:16
地蔵寺 (長野県諏訪市) 庭園
諏訪の名門・諏訪氏は戦国時代には甲斐武田氏の軍門に下るが、 諏訪頼忠は1582年徳川家康に臣従し、1583年諏訪の領主として復活し、 1584年金子城(現在の中州)を築城し、その鎮護として地蔵寺を開創している。 1590年家康が関東へ移ると、諏訪頼忠も関東へ移り、金子城は1592年に 廃城となっている。 1601年頼忠の嫡男・頼水が初代諏訪藩主として諏訪に戻ってきている。 1689年諏訪3代藩主・忠晴は高島城の鬼門除けに、地蔵寺を現在地に 移転し、諏訪藩の祈願所としている。 ...続きを見る

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2015/04/22 09:21
長石寺 (長野県飯田市)
飯田の風物詩となっている<時又初午はだか祭>は、鎌倉時代の甲斐武士で 信濃を拠点とした有力武士・小笠原長清が戦勝を感謝し、亡くなった兵士 の霊を弔うために、長石寺を開創し、木馬を奉納したのが始まりと 伝えられている。 小笠原氏は後に信濃の守護大名となっている。 ...続きを見る

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2015/04/08 09:35
貞松院 (長野県諏訪市)
本堂前のシダレ桜が目立つ貞松院は、諏訪初代藩主・諏訪頼水の正室で、 岡崎藩主・本多康重の長女である貞松院殿の菩提寺である。 貞松院は、1593年諏訪頼水によって開創され、1645年貞松院殿が 亡くなると、2代目藩主・諏訪忠恒は菩提寺として寺名を貞松院として 修復している。 本堂裏手には、貞松院殿の墓所がある。 また、徳川家康六男・松平忠輝の墓所もある。 ...続きを見る

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2015/03/26 14:32
長興寺 (長野県塩尻市) 妙義山城主・三村氏の菩提寺
16世紀初期に洗馬の妙義山に山城を築いた地元の豪族・三村氏は、 1548年塩尻峠の戦いにおいて武田信玄に与し小笠原氏を滅ぼすが、 1555年逆に武田氏によって滅ぼされ三村氏は絶える。 戦国時代の様相を物語る変遷である。 その三村氏の菩提寺として1527年開創されたのが長興寺と伝えられている。 1559年武田信玄などによって再興されている。 ...続きを見る

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2015/03/11 14:21
東照寺 (長野県飯田市)
飯田市を流れる天竜川の東岸丘陵地に位置する龍江地区はリンゴの里 として、天竜峡観光の起点として自然豊かな丘陵地である。 その丘陵地に建つ東照寺は、1430年地元の住民が建立したと伝わる 珍しいケースとも。 ...続きを見る

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2015/02/26 09:50
温泉寺 (長野県諏訪市) 上諏訪温泉の守り寺
江戸時代には湧出していた上諏訪温泉は明治時代以降に温泉地として 発展し、諏訪市の観光地として栄えている。 温泉地の東山手に建つ温泉寺は、諏訪藩(高島藩)主・諏訪忠恒が1641年に 開創したといわれている。 山手から上諏訪温泉を見守り、温泉の発展を願っているのだろう。 温泉寺は諏訪氏の菩提寺として大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2015/02/13 09:01
定継寺 (長野県飯田市)
1344年現在の大鹿村大河原に入った宗良親王(後醍醐天皇の皇子)に 従って、京から来た桃井定継が今田郷の領主となり、菩提寺として 開創されたのが定継寺と伝えられている。 当時は大寺といわれたが、その後衰退したが現在地に再興されている。 1430年制作の雲版が残されており、この雲版は武田軍に一時持ち去られたが 祟りを恐れて戻されたという伝承がある。 ...続きを見る

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2015/01/29 10:20
西福寺 (長野県塩尻市) 武田信玄開基の寺
武田信玄は1541年家督を相続すると、1542年信州への侵攻を開始し、 1553年には北信州を除いて信州を平定している。 1553年〜1564年の長きに亘り、上杉謙信との川中島の戦いが続くが 決着はつかずに終わっている。 1565年信玄は西福寺創建の寄進状を圭嶽珠白和尚に与え、西福寺が 開創されている。 ...続きを見る

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2015/01/13 08:54
保寿寺 (長野県飯田市) 花木の禅寺
訪問したのが9月13日、参道の萩が満開で迎えてくれたのを忘れない。 保寿寺の自生シャクナゲがよく知られており、飯田市の観光スポットにも 数えられる<シャクナゲ寺>であるが、秋の萩もよし。 境内から天竜川を見下ろし、伊那の風景を楽しむ。 ...続きを見る

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2014/12/31 14:23
仏法紹隆寺 (長野県諏訪市) 諏訪の古刹
1997年頃、仏法紹隆寺の不動明王立像が運慶の作か?と話題に なった時に、私の脳裏に仏法紹隆寺の名前が焼きつけられ、2014年に その念願が叶い訪れることができた。 不動明王像を拝観することは出来なかったが、古刹であるお寺の由緒や 佇まいから運慶の作品が存在しても不思議でない感想を抱いた。 運慶の作とは確定していないが、慶派の作であると考えられている。 ...続きを見る

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2014/12/16 09:33
大願寺 (長野県飯田市)
天竜峡東の丘陵地に拡がるりんご園に囲まれて建つ大願寺は1661年に 開創された厄除観音で知られている。 毎年2月には<天竜峡ご縁やなぎ>と呼ばれる絵馬を奉納して大願成就 を祈祷する行事が行われ、地元の篤い信仰を集めているとのこと。 ...続きを見る

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2014/12/02 13:48
永福寺 (長野県塩尻市) 木曽義仲ゆかりの寺
木曽義仲は木曽馬を愛し、馬頭観音を信仰したといわれ、木曽路には 義仲ゆかりの馬頭観音を祀ったお寺がある。 その中の一観音が永福寺の馬頭観音であると伝えられ、義仲の武運は 馬頭観音を深く信仰したものと伝承されている。 永福寺の馬頭観音を祀る旭観音堂は、義仲が呼ばれた旭将軍からの 呼称である。 旭観音堂は春日造り茅葺の堂々とした様式で1860年に建立されている。 ...続きを見る

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2014/11/12 09:23
諏訪善光寺 (長野県諏訪市)
推古天皇の命により、552年百済から渡来した阿弥陀三尊像を飯田市に祀り、 元善光寺が開創され、その後諏訪に祀られ諏訪善光寺が開創され、長野市 へ最終的に祀られて信州善光寺が開創されたと伝えられている。 信州善光寺と元善光寺はよく知られ、お参りする人も多いが、諏訪善光寺は 取り残された感がある。 ...続きを見る

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2014/11/01 09:32
立石寺 (長野県飯田市) 柿の観音
立石柿は南信濃の吊し柿の源流といわれ、室町時代には立石柿が食され、 江戸時代には江戸や大坂では人気の吊し柿であったといわれている。 立石柿の立石集落は現在も多くが栽培し出荷している。 集落の拠点・立石寺の本尊・十一面観音は<柿の観音>と呼ばれ、柿の 豊穣を祈願して江戸時代には絵馬も奉納されている。 ...続きを見る

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2014/10/13 09:21
長岳寺 (長野県阿智村) 武田信玄の火葬地
1573年武田信玄は西上作戦で三河に入り、野田城(新城市)を落すが、 その頃から喀血し、甲斐に引き上げるべく三州街道の途次、現在の 阿智村駒場で亡くなったといわれている。(死亡場所については諸説あり) その際に、火葬が長源寺で行われたと伝えられている。 信玄の遺言により、その死は伏せられ、1575年に葬儀が山梨県恵林寺で 行われている。 長源寺には供養塔が建てられている。 ...続きを見る

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2014/10/03 09:11
浄久寺 (長野県阿智村) 家康側室・於仙の方の菩提寺
於仙の方は武田氏の家臣であった宮崎泰景の娘といわれ、1588年頃 父とともに家康の側に仕え、家康の側室となり1619年駿府城で亡くなり、 藤枝の浄念寺に葬られたが、その後郷里の浄久寺に改葬されている。 法号は泰栄院と号す。 泰栄院は、同じ側室・あ茶の局の菩提を弔うために京都・上徳寺を あ茶の局の菩提寺としている。 上徳寺には泰栄院の供養塔がある。 ...続きを見る

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2014/09/29 09:44
福徳寺 (長野県大鹿村) <重文>本堂
東に南アルプス、西に伊那山脈に挟まれた山村・大鹿村の人口は1,100人強 と典型的な過疎山村であるが、その上蔵(わぞ)集落に長野県最古といわれる 鎌倉時代の福徳寺本堂がある。 上蔵集落は、南北朝時代に後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王が大河原城を 拠点に征東府を置いて30年余り居住したといわれている由緒ある集落で、 山あいに南アルプスの赤石岳(3121m)を望む美しい集落である。 ...続きを見る

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2014/09/16 09:00
建長寺 (神奈川県鎌倉市) 臨済宗建長寺派大本山
神奈川県鎌倉市の北鎌倉にある建長寺は、1253年北条時頼が 中国僧蘭渓道隆を開山として迎え開創した日本で最初の本格的な 純粋禅の道場である。 日本で最初の禅道場は栄西禅師が1195年九州博多に開創した 聖福寺であるが、本格的な純粋禅道場は蘭渓道隆によって始まった。 蘭渓道隆は厳しい純粋禅を行い、その後京都建仁寺においても純粋禅 を始めている。 これ以降、純粋禅は広く普及していった。 ...続きを見る

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2014/08/26 08:40
山梨県のお寺  総覧
山梨県のお寺は、甲府市を中心にした武田信玄一族ゆかりの寺が多く、 また身延山久遠寺を中核とする日蓮宗のお寺が南部に多い。 国宝建造物のあるお寺も2ヶ寺あり、重要文化財の建造物も多くみられる。 ...続きを見る

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2014/08/17 20:08
新潟県のお寺
新潟県のお寺には良寛さんゆかりの寺が出雲崎などに、 親鸞聖人ゆかりの寺が上越市に、日蓮聖人ゆかりの寺が佐渡にある。 ...続きを見る

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2014/08/17 14:00
千葉県のお寺 総覧
千葉県のお寺では、何と言っても成田山新勝寺が浮かぶが、他にも 古刹・名刹が多くあり、特に日蓮聖人ゆかりのお寺が結構ある。 重要文化財に指定された建造物も関東では多い部類に入るだろう。 ...続きを見る

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2014/08/17 09:55
成田山新勝寺 (千葉県成田市) 成田不動
千葉県成田市の新勝寺は、平将門の乱平定を願って朱雀天皇が939年 寛朝大僧正を東国に送り、940年下総公津ヶ原(現在の成田市成田ニュータウン) で護摩祈祷したことに始まり、これを開山としている。 1566年頃に伽藍が建立されたと言われている。 ...続きを見る

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2014/08/17 08:47
善光寺 (長野県長野市) (1)代表的な庶民信仰
<牛に引かれて善光寺詣り> <身はここに心は信濃の善光寺> <月とほとけとおらが蕎麦> <女人救済の仏>など善光寺を表す言葉は多くを数えるが、ここまで 庶民信仰のお寺の代表として一大霊場となったのだろうか。 歴史を追って分析している説も多く見かけられる。 ...続きを見る

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2014/08/16 09:33
善光寺 (長野県長野市) (2)本尊と本堂
善光寺は<大勧進>とその子院25院、<大本願>とその子坊14坊によって 経営され、大勧進貫主と大本願上人(尼僧)が善光寺の住職を務める形態に なっている。 文化財も善光寺所蔵と大勧進などの所蔵に分かれているが、このページでは 善光寺所蔵のものを取り上げる。 ...続きを見る

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2014/08/16 08:55
鎌倉市のお寺  
<青色の寺名をクリックすると詳細へ> ...続きを見る

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2014/08/15 11:26
恵林寺 (山梨県甲州市塩山) 武田信玄の菩提寺
山梨県甲州市塩山の恵林寺は、1330年鎌倉幕府の御家人であり甲斐牧庄領主・ 二階堂貞藤(道蘊)が夢窓国師(疎石)を招いて自宅を禅寺として開創したと 伝えられている。 1305年にも二階堂貞藤は牧庄に夢窓国師を招いて浄居寺を開創し、国師に深い 帰依をしている。 ...続きを見る

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2014/08/15 09:40
大善寺 (山梨県甲州市勝沼町) <国宝>本堂
山梨県甲州市勝沼町にある大善寺は、718年行基が葡萄を右手に持った 薬師三尊像を彫って祀ったのに始まると伝えられている。 この時行基が村人に薬となるぶどうの栽培を教えたのが甲州ぶどうの 始まりと伝承されている。 ...続きを見る

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2014/08/10 12:53
柴又帝釈天 <題経寺>(東京都葛飾区) 寅さんゆかりの寺
東京都葛飾区にある寅さんゆかりの柴又帝釈天は、1629年法華経寺 19代の日忠上人による開山であるが、寺伝によると実際は弟子の日栄 といわれている。 柴又帝釈天として信仰を集めるようになったのは18世紀末頃からであり、 門前町も形成されていった。 また、映画<男はつらいよ>の寅さんで一躍有名になり、多くの観光客 が詰めかけている。 ...続きを見る

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2014/08/10 08:47
円覚寺(神奈川県鎌倉市) 臨済宗円覚寺派大本山
神奈川県鎌倉市のJR北鎌倉駅前に総門のある円覚寺は、 1282年北条時宗が元寇の戦没者を弔うために、中国僧である 仏光国師無学祖元を開山に招いて開創された。 鎌倉時代末期〜室町時代に設けられた鎌倉五山の第2位に 位置する円覚寺は、坐禅を通じて修行するお寺として現在も 活動している。 ...続きを見る

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2014/03/08 16:54
長寿寺(神奈川県鎌倉市) 
神奈川県鎌倉市の北鎌倉にある長寿寺は建長寺の塔頭で、 1336年足利尊氏が開創したと伝えられている。 尊氏没後、足利基氏によって尊氏を弔うために堂宇が建立され、 境内裏山のやぐらに尊氏の遺髪を埋葬した墓がある。 現在の堂宇は2006年に建立され、2008年から公開される ようになった。 境内は整備され、鎌倉の穴場であろう。 ...続きを見る

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2014/03/06 21:01
明月院(神奈川県鎌倉市) 
鎌倉市山ノ内にある明月院は寺伝によると1160年に明月庵として 開創され、1300年代後半に上杉憲方によって中興されている。 現在は、鎌倉観光スポットの一つに数えられ、アジサイの時期には 多くの観光客が訪れ、本堂の円窓から眺める庭園は人気がある。 境内にある<明月院やぐら>には上杉憲方墓と伝わる宝篋印塔があり、 鎌倉地域独特の洞穴墓である。 ...続きを見る

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2014/03/05 14:38
徳音寺 (長野県木曽町) 木曽義仲の菩提寺
木曽町日義の<木曽義仲の里>にある徳音寺は、1168年木曽義仲が 母・小枝御前の菩提を弔うためと平家追討の祈願するため柏原寺として 開創されたのが始まりと伝えられている。 1184年31歳で大津・粟津の戦いで討たれた後、朝日将軍の名を後世に 残そうと山号を日照山、義仲の法名・徳音院から徳音寺と改名し義仲の菩提寺 としている。 木曽義仲の墓は徳音寺の他に、   大津市・義仲寺、木曽町・興禅寺、首塚が京都・法観寺にある。 ...続きを見る

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2014/02/11 19:40
長谷寺 (新潟県佐渡市) 佐渡のぼたん寺
佐渡には京都の清水寺を模した清水寺(せいすいじ)と、奈良の長谷寺を 模した長谷寺(ちょうこくじ)があり、清水寺には舞台造りの観音堂、 長谷寺はぼたんを植生し佐渡のぼたん寺と呼ばれている。 5月中旬の土、日曜日に<ぼたん祭>が盛大に行われる。 私が訪れた時にぼたん祭が行われていて、多くの参拝者で 賑わいを見せていた。 ...続きを見る

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2014/02/05 14:17
高徳院 (神奈川県鎌倉市) 鎌倉大仏
神奈川県鎌倉市の<鎌倉七切通し>の一つ<大仏坂切通し>を 下った所にある高徳院は、その開創は判明していないが、本尊の <国宝>銅造阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)は1252年から10年前後 の歳月をかけて造立されたと伝えられている。 1238年から木造大仏の造立が始まって、1243年に完成したが、 何らかの事由で失われ、銅造大仏が造られたと考えられている。 ...続きを見る

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2014/01/22 21:31
寛永寺 (東京都台東区) 徳川将軍家の菩提寺
東京都台東区の上野公園にある寛永寺は、1622年徳川将軍第2代秀忠 から上野台地を与えられた天海僧正が第3代将軍家光の支援を受けて 1625年に創建した本坊を始まりとする。 当初は徳川家の祈願所であったが、その後増上寺と並んで徳川将軍の 菩提寺となり、現在の上野公園の2倍に及ぶ寺地を有した。 幕末の1868年彰義隊の戦いで伽藍のほとんどを焼失し、明治維新後 明治政府によって寺地を没収され公園指定となった。 しかし、1875年かっての寺地の10%をもって再興され、今日に至っている。 ... ...続きを見る

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2013/12/14 10:28
世尊寺 (新潟県佐渡市) 佐渡最初の法華経道場
1221年順徳上皇は後鳥羽上皇と共に起こした倒幕<承久の乱>に敗れ、 佐渡へ配流されたが、その時お供をした遠藤盛国が1273年に開創した と伝えられるのが世尊寺である。 順徳上皇は配流後の1242年に佐渡で崩御しているが、その後も遠藤は 佐渡に留まり、1271年佐渡に配流された日蓮聖人に帰依して、日興上人 を開山として迎え、世尊寺を開いたといわれている。 これは佐渡において、法華経道場の最初といわれ、日蓮宗道場の佐渡最初 のお寺といえよう。 ...続きを見る

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2013/09/04 09:40
根本寺 (新潟県佐渡市) 日蓮聖人ゆかりの地
日蓮聖人は1271年佐渡に配流となり、11月から翌年4月半ばまで修行 を積み重ね、また多くの僧と問答を重ねた三昧堂が根本寺の始まりと 伝えられている。 この期間が日蓮聖人の本地を開顕した重要な期間であったといわれている。 1587年根本寺がこの地に建立され伽藍が整備されていったといわれている。 ...続きを見る

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2013/06/27 10:54
清水寺 (新潟県佐渡市) 舞台造りの観音堂
舞台造り(正式には懸造り)のお堂は全国に多く見られるが、いつ頃 その建築構造が出現したのか? 明確な史料が無いらしく、平安時代の中頃には造られたのではと 考えられている。 舞台造りの代表といえる京都清水寺本堂の舞台造りは、平安時代後期 には史料に見られるらしい。 また、鳥取県三仏寺の投入れ堂は、年輪年代測定によって11世紀後半 〜12世紀前半の木材が使用されている。 ...続きを見る

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2013/05/24 10:18
蓮華峰寺 (新潟県佐渡市) 真言の三大霊地
蓮華峰寺は、大阪・金剛寺、奈良・室生寺とともに真言の三大霊地(または聖地)と 呼ばれているらしい。 806年京都の海上の鬼門にあたる佐渡に、王城鎮護のために弘法大師空海 によって開創されたと伝えられているが、詳細は不詳である。 江戸時代には大いに栄え、多くの末寺を抱えていたといわれ、徳川家の霊廟も 残っている。 ...続きを見る

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2013/04/03 09:16
妙照寺 (新潟県佐渡市) 日蓮聖人ゆかりの寺
日蓮聖人は1271年鎌倉幕府により佐渡流罪となり、塚原三昧堂で流罪生活 に入り、1272年一谷入道領内の草庵(妙照寺の地)に移り、 1274年に赦免されて、鎌倉に戻っている。 日蓮聖人にとって、この佐渡流罪生活が教学や人生を大きく変えたといわれて いる。 1275年日静上人がこの草庵跡に、日蓮聖人から妙照寺の寺号をもらって 開創したといわれている。 ...続きを見る

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2013/02/21 09:17
佐渡国分寺 (新潟県佐渡市) 聖武天皇詔の国分寺
741年聖武天皇の詔により全国66ヶ国に、東大寺を総国分寺として68ヶ寺 が開創されたが、佐渡国分寺は764年までに開創されている。 1301年には落雷により七重塔が焼失し、1529年には堂宇が焼失している。 1674年現在地(旧国分寺の隣地)に再興され今日に到っている。 旧国分寺跡地は整備され、金堂などの礎石が残されている。 ...続きを見る

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2013/01/18 10:23
海潮寺 (新潟県佐渡市) 御所桜
佐渡おけさに<小木の岬の四所御所桜 枝は越後に葉は佐渡に>と 歌われている御所桜は、1221年承久の乱後佐渡に配流となった 順徳上皇が手植えされたと伝わるサトザクラの子孫である。 現在は、2本の若い御所桜が本堂前に可憐な姿で迎えてくれる。 ...続きを見る

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2012/12/08 10:02
妙宣寺 (新潟県佐渡市) <重文>五重塔
新潟県で唯一の五重塔である妙宣寺・五重塔は日光東照宮の五重塔 に模して、1827年佐渡の棟梁・茂三右衛門父子によって建立されている。 江戸時代に建立された数少ない五重塔で、保存状態も良好である。 高さは24mと小ぶりであるが、地方色の残る塔といえよう。 重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2012/11/09 09:03
隆泉寺 (新潟県長岡市) 良寛さんの墓所
1826年69歳の時、人里離れた山中の生活から離れて、島崎の 木村家屋敷に草庵を設けて住むようになった。 その翌年、良寛さんより40歳若い女性・貞信尼が訪ねてきて、 良寛さんの手助けをするようになり、良寛さんも生きがいを感ずる 晩年を送ったといわれている。 1831年その草庵で貞信尼に看取られて、良寛さんは74歳の最期を 迎えている。 ...続きを見る

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2012/10/02 09:14
円明院 (新潟県出雲崎町) 良寛さんの生家・山本家の菩提寺
良寛さんは1758年に名主・橘屋(山本家)の長男として生まれ、18歳で 出家している。その跡は弟・泰儀が引き継いだが、父親が川に身を投げて 以降山本家は没落の道を辿ることになっていく。 橘屋の跡地には良寛堂と良寛像が建てられている。 山本家の菩提寺が円明院で、良寛さんの2番目の弟が10代目の住職 を勤めている。 ...続きを見る

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2012/09/01 08:39
茨城県のお寺
茨城県の訪問回数は2回と少なく、今後に期待している。 ...続きを見る

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2012/08/18 14:21
栃木県のお寺
栃木県の訪問は2回と少なく、今後に期待している。 ...続きを見る

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2012/08/18 14:20
光照寺 (新潟県出雲崎町) 良寛さん出家の寺
良寛さんは1758年出雲崎の地で、名主・橘屋(山本家)の長子として 誕生し、15歳で元服し18歳の時に突然光照寺へ入り剃髪している。 4年間光照寺で修行し、22歳で岡山県倉敷市玉島の円通寺へ。 本格的に修行に入っている。 越後には39歳頃に戻っている。 ...続きを見る

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2012/08/15 09:34
相模国分寺 (神奈川県海老名市) 聖武天皇詔の国分寺
741年聖武天皇が詔を発して、東大寺を総国分寺として全国66ヶ国に 68ヶ寺の国分寺を建立しているが、相模国分寺も700年代中期に建立 されている。 海老名市に相模国分寺跡が残り、その南に現在の相模国分寺が再建 されている。 相模国分寺は盛衰を繰り返し、明治初めには全く衰退していたが、 明治後期に再建されている。 ...続きを見る

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2012/08/01 19:41
心岩寺 (神奈川県座間市) 心岩寺湧水
心岩寺本堂の横に造られた不動池に流れ込んでいる水は、裏山で湧水 している心岩寺湧水であり、水量も豊富といわれている。 現在は、飲料には用いていないが、この近くで発掘された縄文中期の 遺跡などから湧水としては生活価値の高い湧水であったと考えられている。 ...続きを見る

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2012/07/22 10:57
紹太寺 (神奈川県小田原市) 小田原藩主・稲葉家の菩提寺
1632年小田原藩主となった稲葉正勝(春日局の先夫との子)の子・正則 は、城下町にあったお寺を現在地に移して紹太寺として開創し、稲葉家の 菩提寺としている。 江戸時代の大火などで焼失し、現在は塔頭の清雲院が法灯を継いでいる。 境内山腹に広がる樹叢は神奈川県でも数少ない貴重な自然林で、 その中に一本のしだれ桜が優雅を添えている。 石段公園として散策の場にもなっている。 ...続きを見る

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2012/07/12 09:30
総世寺 (神奈川県小田原市) 曹洞宗小田原三山
総世寺は、曹洞宗小田原三山(香林寺・海蔵寺・総世寺)の一つで、 1590年の小田原征伐に際して、豊臣側の秀次が陣を張ったお寺である。 秀次が寄進した梵鐘が残されている。 山門横のカヤの木が目立つお寺でもある。 ...続きを見る

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2012/07/03 08:59
長泉院 (神奈川県南足柄市) 小田原城主・大森氏の菩提寺
1417年頃小田原城を築いて、南関東に覇権を築いた大森頼春が 亡くなった後、その子・大森氏頼は頼春の菩提を弔うために1470年清泉院を 移して長泉院を現在地に開創し、大森氏の菩提寺としている。 1495年には、北条早雲によって小田原城は奪われ、大森氏は没落 していった。 ...続きを見る

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2012/06/22 09:33
早雲寺 (神奈川県箱根町) 小田原城主・北条氏の菩提寺
1417年大森頼春が築城した小田原城を1495年に奪った北条早雲 は、戦国時代の幕開けにその名を高め、その後北条氏は小田原城を 拠点に関東を治めた。 1590年秀吉の小田原征伐に屈し、江戸時代は河内狭山藩の大名と なっている。 ...続きを見る

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2012/06/14 09:33
光明寺 (神奈川県平塚市) 坂東三十三観音霊場第7番
平塚市の金目川の辺にそれほど広くない境内を占める光明寺は、 金目観音として坂東三十三観音霊場の第7番札所の信仰を集め、 特に安産祈願のお寺としてその古格を保っている。 鎌倉時代に源頼朝の帰依を受け、妻・北条政子の安産祈願を祈った といわれる故事が信仰を多く集めるようになったともいわれている。 ...続きを見る

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2012/06/06 09:43
最乗寺 (神奈川県南足柄市) 道了尊
曹洞宗の僧・慧明禅師が1394年最乗寺を開創するにあたって、慧明禅師の 弟子で修験道の行者である妙覚道了(道了尊と呼ばれる)が建立工事に力量 を発揮し、その後も天狗となってお寺の護持に務めたと伝えられ、お寺の 守護神として祀られている。 庶民の間にも道了尊信仰が広まり、江戸時代には講も結成される程の信仰が 浸透している。 ...続きを見る

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2012/05/28 10:02
宝城坊 (神奈川県伊勢原市) 日向薬師
宝城坊(かっての霊山寺の別当坊)は通称・日向薬師(地名が日向)と呼ばれ、 平安時代末期頃から病気平癒の薬師霊場として篤い信仰を集めていると いわれている。 日向薬師は日本三大薬師<他の薬師は、柴折薬師(高知県)、米山薬師( 新潟県)>に数えられている。 ...続きを見る

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2012/05/17 09:36
星谷寺 (神奈川県座間市) 坂東三十三観音霊場第8番
星谷寺は、天平年間(729〜749年)に行基が座間を訪れた際、 本堂山(座間谷戸山公園の伝説の丘)に聖観音を刻んで祀った観音堂 が始まりと伝えられている。 鎌倉時代に焼失し、その後現在地に再建されたといわれている。 観音信仰の篤かった源頼朝や徳川家康の帰依を受け、坂東三十三観音 霊場として栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2012/05/03 10:22
長谷寺 (神奈川県厚木市) 坂東三十三観音霊場第6番
飯山観音と呼ばれ縁結びの観音さんとして信仰がある長谷寺は、725年行基 によって開創されたと伝えられているが、別の説では810年頃弘法大師が 十一面観音を飯山権太夫に授け、権太夫が観音堂を建立して観音を祀った との説である。 いずれにしても行基・弘法大師信仰の縁起によっている。 ...続きを見る

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2012/04/25 09:22
勝福寺 (神奈川県小田原市) 坂東三十三観音霊場第5番
勝福寺は通称・飯泉観音(いいずみかんのん)と呼ばれ、坂東三十三観音霊場 の第5番札所になっている名刹である。 勝福寺は、皇位を企んだ弓削道鏡が770年下野薬師寺に左遷される途次に 足柄千代の里に十一面観音を祀り弓削寺を建立したのが始まりと 伝えられている。 830年に現在地に移り、室町時代に勝福寺となっている。 ...続きを見る

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2012/04/16 09:46
光徳寺 (長野県南木曽町) 妻籠宿のお寺
中山道木曽路の木曽11宿場の一つ妻籠宿は伝統的な町並みが維持されて いる有名な観光名所で、1kmの町並みは往時の宿場を再現し、 国の重要伝統的建造物群保存地区に最初に選ばれている。 本陣、脇本陣など主要な施設が整備され、その中央部の高台に光徳寺は 建っている。 ...続きを見る

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2011/11/10 08:57
等覚寺 (長野県南木曽町) 円空仏
中山道妻籠宿を少し北に上った中山道沿いの山麓に建つ等覚寺は、 開創については不詳であるが、天正年間(1573〜92年)に現在地に 移り曹洞宗になったと伝えられている。 円空仏が3体保存維持されている。 ...続きを見る

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2011/11/08 14:56
妙覚寺 (長野県大桑村) マリア観音
江戸時代の禁教で、観音像や地蔵像を聖母マリアに見立てたり、 キリシタン灯籠を建てたりして仏教徒として振舞っていた隠れキリシタン は全国に見られたが、ここ木曽路にもいくつか残っている。 その一つが千手観音をマリア像に見立てた妙覚寺の石造マリア観音像 である。 この石像は1971年野尻川の向い側にあったものを移している。 ...続きを見る

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2011/10/31 08:58
大通寺 (長野県木曽町) 中山道木曽路福島宿のお寺
中山道木曽路の福島宿は中山道の中心で、江戸時代には関所が 設けられ代官も着任していた。 その第2代代官の山村良勝が1600年代初期に開創したのが大通寺 である。 1778年に建立された鐘楼門は木曽町最古の木造建築として残っている。 また、福島宿も一部整備され観光に寄与している。 ...続きを見る

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2011/10/27 12:31
牛伏寺 (長野県松本市) 信州の名刹
鉢伏山(1928m)の山腹に沿って展開する牛伏寺は、聖徳太子が観音像を 祀ったのが始まりと伝承されているが、詳細は不詳である。 756年2頭の牛が大般若経を善光寺に運ぶ途中このお寺で斃れ、経巻を ここに納め、牛の霊を弔って使者は戻り、これ以降牛伏寺としたという 伝承がある。 この牛伏せが本尊十一面観音の厄除け霊力に結びついて厄除観音として 信仰を集めたといわれている。 元々は山岳信仰の修験道場として出発しているのであろう。 文化財の宝庫でもあり信州の名刹といえよう。 ...続きを見る

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2011/10/21 08:53
玄向寺 (長野県松本市) 松本藩主水野家の菩提寺
1642年水野忠清が松本藩主になって6代84年間水野家が藩主を 続けるが、3代忠直は2代忠職の菩提を弔うために清光寺を菩提寺 として玄向寺と改名している。 それ以降水野家の菩提寺となり大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2011/10/18 09:08
満願寺 (長野県安曇野市) 信濃三十三観音霊場第26番
北アルプス常念岳の東麓にある満願寺は信濃三十三観音霊場第26番である。 信濃観音霊場は江戸時代初期頃に始まったと伝えられている。 アルプスに囲まれた観音霊場は自然と共にその歴史を刻んできており、 観音巡礼と自然に触れる旅はよし。 満願寺は725年頃聖武天皇の勅願で開創されたと伝わる<信濃高野> と呼ばれる古刹である。 ...続きを見る

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2011/10/15 08:29
松尾寺 (長野県安曇野市) <重文>薬師堂
遠く北アルプスを背に杉林の中にポツンと建つ薬師堂(本堂)は松尾寺の 創建時1528年に建立されたと考えられている。 屋根は茅葺から茅葺形銅板葺になっているが往時の姿が想像できる。 安曇の領主であった仁科氏によって松尾寺は開創され薬師堂が 建立されている。 明治時代の廃仏毀釈により廃寺同然となったが大正元年に再興されている。 ...続きを見る

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2011/10/13 09:20
盛蓮寺 (長野県大町市) <重文>観音堂
1470年建立と伝えられる盛蓮寺観音堂は松本平で最古の木造建築 として貴重な建物であるが、近年の修理で茅葺から茅葺形銅板葺に 変えられその趣が減じている。 これも維持管理の面で致し方ない処置であろう。 観音堂の本尊は鎌倉時代の如意輪観音である。 ...続きを見る

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2011/10/11 08:34
大日堂 (長野県筑北村) 岩殿寺塔頭
岩殿寺から北西に1kmほど離れた山里にある大日堂は、849年 慈覚大師円仁が開創したと伝えられている岩殿寺の塔頭である。 県道55号線沿いに大日堂と仁王門だけがポツンと建つ無住の 霊場である。 本尊大日如来坐像は岩殿寺にあるが、重要文化財に指定され、 県下では唯一の重文大日如来である。 ...続きを見る

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2011/10/07 08:39
岩殿寺 (長野県筑北村) 信濃の古刹
岩殿山(1008m)山麓にある岩殿寺は、奈良時代の初めに岩殿山を修行道場 として開かれたのが始まりと伝えられている。 慈覚大師円仁が848年三所権現を岩殿山に祀り一向大乗寺を開創したのが 岩殿寺の開創といわれている。 修験道場として大いに栄え大寺となったといわれている。 明治時代に山上の堂宇を焼失してから山麓の本坊が中心となって 岩殿寺が引き継いでいる。 ...続きを見る

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2011/10/05 08:47
智識寺 (長野県千曲市) <重文>大御堂
姨捨山の東南麓にある智識寺は740年に開創されたと伝える古刹で、 元は姥捨山東麓にあり、その後現在地に移されている。 本堂の大御堂は1541年に再建された禅宗様の茅葺で、本尊は 3mあまりの十一面観音である。 少し傷みが目立ち、屋根の茅も悲鳴をあげる寸前に来ている。 文化財も多く抱えるお寺であるがなんとかならないのだろうか。 ...続きを見る

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2011/10/02 15:21
長楽寺 (長野県千曲市) 姨捨田毎の月と棚田
姨捨の棄老伝説や名月は平安時代前期に大和物語や古今和歌集に語られ 詠われており、棚田は16世紀後半には現れ始め17世紀にはその姿を 形造っているようだ。 古今和歌集の紀貫之歌   君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき 新古今和歌集の藤原定家歌   更級や昔の月の光かはただ秋風ぞ姨捨の山 松尾芭蕉句   おもかげや姨ひとり泣く月の友 小林一茶句   姨捨てし国に入りけり秋の風 詠み人知らず   信濃では月と佛とおらがそば など枚挙にいとまのない程に詠われ読まれて... ...続きを見る

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2011/09/29 09:24
長雲寺 (長野県千曲市) <重文>愛染明王坐像
千曲市長雲寺の愛染明王像は1673年京仏師・久七の作で、年代的には 新しい仏像であるが、様式的には鎌倉時代の風を持つ秀作といわれており、 重要文化財に指定されている。 予約すれば拝観可能。 愛染明王像は全国的にも少ない部類に属する仏像といえよう。 愛染明王は<愛情・情欲を悟りの心にたかめる>仏として信仰されるようだ。 山梨県の放光寺・天弓愛染明王坐像は余りにも有名である。 ...続きを見る

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2011/09/26 09:05
信濃長谷寺 (長野県長野市篠ノ井) 日本三大長谷寺
通称信濃長谷寺と呼ばれる篠ノ井の長谷寺は日本三大長谷寺の 一つに数えられている。 奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺は三大長谷寺の定説の二つであるが、 三つ目の長谷寺には色々と説があり面白い。 例えば、茨城県古河の長谷寺、秋田県由利本荘市の長谷寺、 福岡県鞍手町の長谷寺など枚挙に暇がない。 ...続きを見る

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2011/09/24 09:19
善光寺 (長野県長野市) (6)世尊院釈迦堂
仁王門から三門に続く仲見世通りの中間西側に安置されている延命地蔵尊 の位置は、1700年の火災発生まで本堂(如来堂と呼ばれた)が有った場所 で、その東側奥に世尊院釈迦堂がある。 釈迦堂の本尊・釈迦涅槃像は銅造の等身大で、珍しい仏像である。 縁起では、974年越後の海岸で漁師の網にかかって引き上げられたと 伝えられているが、造立年代は鎌倉時代末期と推定されている。 ...続きを見る

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2011/09/21 08:45
善光寺 (長野県長野市) (5)大本願
大本願は浄土宗大本山の一つで、天台宗大勧進とともに善光寺の 経営に携わり、両者の住職がともに善光寺の住職を務めている。 歴史的には両者の間に主導権争いがあり、江戸時代には大本願上人が 善光寺住職を一時務めている。 明治時代になり両者が対等の立場で善光寺を運営・護持している。 ...続きを見る

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2011/09/20 09:32
善光寺 (長野県長野市) (4)大勧進
<大勧進>は善光寺の本坊に相当するお寺で、天台宗に属している。 浄土宗の<大本願>とともに善光寺の経営に携わり、大勧進貫主と 大本願上人はともに善光寺の住職を務めている。 大勧進は元々布教や寄付集めなどの勧進の総元締めとして経理面を 担当していたらしい。 歴史的には大勧進と大本願は幾度となく主導権争いをしたが、 明治時代になって両者が住職を務めるようになっている。 ...続きを見る

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2011/09/19 09:33
善光寺 (長野県長野市) (3)景物
ぜ善光寺境内入口から石畳の参道を仁王門、三門、本堂、本堂裏と 歩いて種々の仏や景物を探索してみよう。 ...続きを見る

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2011/09/17 09:10
往生寺 (長野県長野市) 苅萱堂
<苅萱道心と石童丸>の悲話は浄瑠璃などで取り上げられ、高野山苅萱堂 や苅萱堂往生寺、善光寺近くの西光寺などで絵解説法が行われている。 善光寺の西にある小高い山腹に佇む往生寺は、苅萱上人が高野山から 善光寺に参籠し、お告げを受けたこの地に草庵を築いたことに始まると 伝えられている。 苅萱上人はこの地で83歳の生涯を閉じている。 苅萱上人が彫ったといわれる地蔵菩薩と石童丸が彫ったと伝わる地蔵菩薩 が<親子地蔵尊>として祀られている。 ...続きを見る

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2011/09/13 09:00
開善寺 (長野県長野市松代町) 松代藩主真田家ゆかりの寺
開善寺は、平安時代900年頃真田家の祖清和天皇の第3皇子・貞元親王 が現在の長野県東御市に海善寺を開創したことに始まると伝えられている。 その後、上田に移り、1622年真田信之が上田から松代藩主に移封した時 1624年に海善寺も移り、開善寺として信之が建立している。 ...続きを見る

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2011/09/10 09:06
林正寺 (長野県長野市松代町) 新劇女優・松井須磨子の故郷
松井須磨子は1886年現在の長野市松代町清野で9人兄妹の末っ子で 生まれ、1902年上京し1909年最初の新劇女優となり、1913年トルストイ の<復活>でカチューシャ役が大ヒットし<カチューシャの唄>が一躍 有名になる。 1918年不倫関係にあった島村抱月が亡くなると、翌年自殺している。 ...続きを見る

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2011/09/08 09:37
大英寺 (長野県長野市松代町) 松代藩主真田信之の妻・小松姫の菩提寺
松代藩初代藩主・真田信之の妻・小松姫は徳川四天王の一人本多忠勝の 長女で後に徳川家康の養女となって、1589年上田城にあった真田昌幸の 長子・真田信幸(信之)に嫁いでいる。 1620年病で亡くなり、上田の常福寺に埋葬され霊屋も建立された。 1622年真田信之が松代藩に移封されると、1624年信之は小松姫の 霊屋や表門を松代に移し、大英寺を開創し菩提寺としている。 ...続きを見る

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2011/09/05 14:12
岩松院 (長野県小布施町) 秀吉子飼の福島正則の菩提寺
尾張に生まれた福島正則は加藤清正とともに秀吉子飼の武将として 秀吉に貢献したが、関ヶ原の戦いでは家康に味方し、安芸・備後の 大名として広島の基礎を築いている。 しかし、故あって1619年信州川中島など小さな大名に移封され、 1624年現在の高山村で亡くなっている。 福島正則は岩松院に帰依して菩提寺としている。 ...続きを見る

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2011/09/04 13:00
清水寺 (長野県長野市松代町) 北信濃厄除大師
いつの頃からか北信濃厄除大師と呼ばれて、大師信仰の篤い 清水寺は、803年寛空上人が開創し坂上田村麻呂が創建したと 伝えられている古刹である。 元は現在地から少し南西に位置する十二原にあり、18世紀初頭に 現在地に移ってきている。 松代藩主真田家の支援を受けて大いに栄えたといわれているが、 幾度となく火災に遭い、現在地に移ったといわれている。 ...続きを見る

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2011/09/03 13:14
西楽寺 (長野県長野市松代町) 信濃埴科藩主・真田信重の<重文>霊屋
真田信重は松代藩主・真田信之の三男で、1639年兄の信政が埴科藩主から 沼田藩主に移封となりその後を受けて埴科第2代藩主となっている。 1648年現在の埼玉県鴻巣市で亡くなったが、後継ぎがなく埴科藩は 松代藩に吸収されている。 信重は生前西楽寺に帰依していた関係から、死後まもなく西楽寺に 霊屋が建立されている。 ...続きを見る

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2011/09/02 09:02
長国寺 (長野県長野市松代町) 松代藩主真田家の菩提寺
上田城(長野県上田市)を築いた真田昌幸の長子・信之は父や弟・幸村と 異なり、関ヶ原の戦いでは徳川方について父弟と戦うことになった。 その後、真田信之は上田藩主となり、1622年には松代藩主に移っている。 松代に移った時に、真田家の菩提寺・長谷寺の住職を開山として松代に移し、 長国寺として松代真田家の菩提寺としている。 上田市には長谷寺が再興され残っている。 ...続きを見る

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2011/08/31 09:20
清水寺 (長野県長野市若穂) 北信濃三大霊場
清水寺(せいすいじ)は742年行基によって開創されたと伝えられ、 806年坂上田村麻呂が堂宇を創建したといわれている。 北信濃三大霊場(善光寺、戸隠神社、清水寺)の一つに数えられる 霊場として栄えたといわれている。 観音信仰が篤く保科観音と呼ばれる。 しかし、1916年の大火に遭い、堂宇や仏像などが全焼しかっての 姿はなくなったが、徐々に再興され、仏像は奈良県桜井市の石位寺 から移座され重要文化財の宝庫となっている。 ...続きを見る

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2011/08/29 09:30
浄光寺 (長野県小布施町) <重文>薬師堂
乱積の石段を150段ほど登った境内の最奥に建つ薬師堂は 2007年に新しく茅を葺き替えた姿で迎えてくれる。 昭和の大修理の際に、組物に<応永15年2月薬師堂作(1408年)> の銘が、また薬師如来の胎内から<応永16年(1409年)> の銘が発見され、600年の年月を絶えてきた重みを残している。 薬師如来は<雁田薬師>と呼ばれ、縁結びのお薬師さんとして 信仰を集めている。 ...続きを見る

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2011/08/26 09:15
常敬寺 (新潟県上越市) 親鸞聖人の孫・唯善上人開基
常敬寺の開基・唯善は、親鸞聖人の末娘・覚信尼と小野宮禅念の間に 生まれ、異父兄・覚恵と確執が生じ、大谷廟堂の土地を巡って紛争が 生じている。 唯善は下総関宿に西光院を建立したが、西光院は転々と移り蓮如上人に よって常敬寺となり、1666年現在地に落ち着いている。 現在、関宿(千葉県野田市)には浄土真宗本願寺派の常敬寺もある。 ...続きを見る

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2011/08/21 09:49
浄興寺 (新潟県上越市) 親鸞聖人ゆかりの寺
1207年承元の法難で越後国府に配流となった親鸞聖人は、その後7年間 越後に滞留した後、1214年妻子とともに常陸稲田におもむき、稲田草庵を 営み、ここを根拠として布教している。 <教行信証>を著した1224年に草庵を浄土真宗興行寺(浄興寺)としたと 伝えられている。(これには異説もある) ...続きを見る

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2011/08/19 13:20
林泉寺 (新潟県上越市) 上杉謙信ゆかりの寺
1497年越後守護代・長尾能景(上杉謙信の祖父)は父・重景の供養のために 春日山城の麓に林泉寺を開創し長尾氏の菩提寺とした。 1536年謙信の父・為景が亡くなると、幼少の謙信(長尾虎千代)は林泉寺に 預けられ7年間学問を学んでいる。 謙信は春日山城と林泉寺が拠り所として戦国時代を戦い1578年急死している。 ...続きを見る

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2011/08/16 08:48
大泉寺 (新潟県柏崎市) <重文>観音堂
日本海に面する200mの山の頂上近くにある大泉寺観音堂は、通称 大清水観音堂と呼ばれ、落雷で罹災したが1559年再建され今日に到っている。 茅葺屋根に板壁の地方独特の様式で、素朴な堂宇として趣を感じる。 ...続きを見る

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2011/08/14 10:15
五智国分寺 (新潟県上越市) 聖武天皇詔の国分寺
741年聖武天皇は国家鎮護のために全国66ヶ国68ヶ寺の国分寺を 建立するよう詔を発し、順次各国に建立され奈良時代には建立が終わって いる。越後の国分寺の創建は不詳であるが、越後国分寺の跡地は不明で ある。 現在の国分寺は1562年上杉謙信によって現在地に再興されたもので、 本尊が五智如来であることから五智国分寺と呼ばれている。 ...続きを見る

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2011/08/12 09:08
本願寺国府別院 (新潟県上越市) 親鸞聖人ゆかりの地
1207年承元の法難で越後配流となった親鸞聖人は、現在の五智国分寺の 地に竹之内草庵を営み、その1年後に国府別院の地に竹ヶ前草庵を営んで、 1214年関東へ旅立つまで、妻・恵信尼とともに滞在し念仏の教えを伝えている。 ...続きを見る

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2011/08/09 15:12
向嶽寺 (山梨県甲州市塩山) 臨済宗向嶽寺派大本山
山梨県甲州市塩山の塩ノ山(555m)南麓に位置する向嶽寺は、1378年抜隊禅師 が市内竹森の地に草庵を結んだのが始まりとされている。 1380年甲斐守護・武田信成から現在の寺地を与えられて向嶽庵が 創建されている。以後、武田氏の庇護を受けて大いに栄えたといわれる。 ...続きを見る

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2011/06/22 10:16
円光院 (山梨県甲府市) 武田信玄正室・三条夫人の菩提寺
山梨県甲府市の躑躅ヶ崎にある円光院は、甲斐源氏(武田信玄の祖先)の祖 といわれる逸見清光(源清光)が保元年間(1156〜1159年)に石和に建立 した清光寺が始まりと伝えられている。 その後、1560年武田信玄によって甲府城下に移転(現在地)建立し、1570年 正室・三条夫人が亡くなると菩提寺として円光院とした。 武田信玄が定めた甲府五山の一つとなっている。 ...続きを見る

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2011/06/22 09:11
定勝寺 (長野県大桑村) 木曽路の名刹
木曽路の須原宿にある名刹・定勝寺は、嘉慶年間(1387〜88年)に木曽家 11代木曽親豊によって木曽川畔に開創されたと伝えられている。 その後、木曽川の氾濫で何度となく倒壊・再建を繰り返したが、1598年 犬山城主・石川光吉によって現在地に再興されている。 その時の本堂が現在も残され重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2011/05/10 20:10
開善寺(長野県飯田市) 鎌倉式庭園
天竜峡の西に位置する開善寺には重要文化財に指定された山門(この地方では 唯一)があり、鎌倉式庭園(典型的な庭園は京都の苔寺)を有するお寺である。 こじんまりした構えの中に禅寺特有の森閑な雰囲気が漂う。 ...続きを見る

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2011/05/02 20:36
長禅寺 (茨城県取手市) さざえ堂
取手市の長禅寺は、931年に取手競輪場(かっての大鹿原)近辺に平将門 によって開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 江戸時代前期に現在地に移転したといわれている。 ...続きを見る

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2011/05/02 09:16
龍禅寺 (茨城県取手市) <重文>三仏堂
取手市の利根川近くにある龍禅寺の三仏堂は、取手市で唯一の国指定文化財 であり貴重なお堂である。 三仏堂は1569年銘の木札が発見され、1500年代後期に創建されたと考えられ ている禅宗様と和様の折衷様式で、この地域では貴重な建築となっている。 三仏堂には釈迦・弥陀・弥勒の三仏が祀られている。 ...続きを見る

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2011/04/28 09:02
東海寺 (千葉県柏市) 布施弁天
利根川の近くに位置する東海寺は布施弁天と通称される関東三弁天の 一つで、厄除弁天の篤い信仰を集めている。 807年弘法大師空海が弁財天を祀り開創したと伝えられている古刹である。 承平年間(931〜938年)に平将門の乱で焼失したが、本尊弁財天は 難を逃れ再興されている。 ...続きを見る

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2011/04/25 09:49
中院 (埼玉県川越市) 島崎藤村ゆかりの寺
喜多院の南にある中院は、830年慈覚大師円仁が開創した無量寿寺の3院 北院(現在の喜多院)・中院・南院(明治時代に廃寺)があり、江戸時代までは 中院が中核的存在であったが、天海僧正が北院の住職となり北院を 無量寿寺喜多院として以降喜多院(北院)が中核となった。 ...続きを見る

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2011/04/23 09:14
喜多院 (埼玉県川越市) 川越大師
埼玉県の名刹・喜多院は<厄除のお大師さま>として深い信仰をあつめ、 1月3日の初大師には数10万の参拝者で賑わい、境内には<だるま市>が 立ち並ぶ風景が展開される。 お大師とは慈恵堂に祀られる<元三大師(慈恵大師良源)>で、天台宗では よく厄除大師と呼ばれている。 ...続きを見る

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2011/04/21 10:48
高倉寺 (埼玉県入間市) <重文>観音堂
入間市の丘陵地帯にある高倉寺は天正年間の1570年代に開創された 曹洞宗のお寺である。 重要文化財に指定されている観音堂は、もと飯能市の長念寺に室町時代初期に 建立され1744年に移築されている。 茅葺形銅板葺の禅宗様で埼玉県を代表する古建築である。 観音堂前の2本のイチョウの大木とよく調和がとれ一つの風景を作っている。 ...続きを見る

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2011/04/19 09:36
円照寺 (埼玉県入間市) <重文>板碑
入間川の辺にある円照寺は、1205年地元の豪族・加治家茂が父・家季の 菩提を弔うために開創し、以後加治氏の菩提寺となっている。 円照寺に残る多くの板碑は加治氏の供養板碑で、その内6基が重要文化財に 指定されている。 中でも1333年銘の板碑は貴重な資料価値が高く、板碑の代表的な存在である。 1333年は鎌倉幕府滅亡の年で、幕府の武将として敗れ亡くなった加治家貞の 供養するために建立されている。 板碑は関東に多く見られ、古い板碑の多くが関東特に、埼玉県に多いと いわれている。 ... ...続きを見る

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2011/04/16 11:39
塩船観音寺 (東京都青梅市) 花と文化財の古刹
ツツジの季節になると参拝客や観光客で溢れる塩船観音寺は、大化年間 (645〜650年)に伝説上の尼僧・八百比丘尼が千手観音を安置したのが 始まりと伝えられているが詳細は不詳である。 八百比丘尼は諸説あるが、若狭で生まれ人魚の肉を食べて800年に亘って 美貌を保ち、尼となって全国行脚に出たとする伝説である。 ...続きを見る

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2011/04/14 08:47
法住寺 (長野県上田市) <重文>虚空蔵堂
上田市から松本市に到る国道254号線沿いの独鈷山(1266m)南麓にある 法住寺は、平安時代初期の開創と伝えられているが詳細は不詳である。 虚空蔵菩薩信仰が非常に篤くこの地域の信仰の中核をなしている。 <重文>虚空蔵堂は1486年に再建され、和様の建築様式であるが 懸魚などは禅宗様を取り入れている。 ...続きを見る

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2011/04/12 09:24
前山寺 (長野県上田市) 未完成の<重文>三重塔
信州の鎌倉と呼ばれる塩田平の独鈷山(1266m)山麓にある前山寺は、 812年弘法大師空海によって開創されたと伝えられているが詳細は 不詳である。 1331年四国・善通寺の長秀上人によって現在地に移転し再興されている。 ...続きを見る

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2011/04/06 10:26
龍光院 (長野県上田市) 塩田北条氏の菩提寺
上田市塩田平の龍光院は、1282年塩田城主であった北条国時が父・義政 の菩提を弔うために龍光院の前身・仙乗寺を開創したのに始まる。 塩田北条氏は1333年新田義貞が鎌倉を攻めた際に応援に駆け付けたが、 その甲斐もなく滅ぼされ3代で終わっている。 その後1601年龍光院と改め曹洞宗の寺として再興されている。 ...続きを見る

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2011/04/04 09:25
中禅寺 (長野県上田市) <重文>薬師堂
塩田平を潤す産川の水源となっている独鈷山(1266m)山麓にある中禅寺は、 平安時代初期に弘法大師空海が独鈷山山頂に開いたと伝えられているが 詳細は不詳である。 平安時代末期〜鎌倉時代初期に安然坊が山麓に開創したのが実質的な開創 と考えられ、その時に建立された薬師堂が今日まで残っている。 ...続きを見る

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2011/04/02 14:01
北向観音 (長野県上田市別所温泉) 善光寺と一対の厄除観音
別所温泉の真中に建つ北向観音は、来世の利益を願う信州・善光寺と現世利益 を願う北向観音の両方に参ることで現世・未来の幸福を得られるとの篤い信仰に 支えられ、別所温泉の護り寺ともなっている。 観音堂と本尊は北向きに据えられ、善光寺本堂と対面する配置になっている。 また、観音堂は撞木造で善光寺と同じ建築様式となっている。 ...続きを見る

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2011/03/30 08:54
安楽寺 (長野県上田市別所温泉) <国宝>八角三重塔
別所温泉の北山麓にある安楽寺・八角三重塔は日本で残る唯一の 古い八角三重塔で、1290年代の禅宗様建築と考えられている。 禅宗様建築の最古であるこの塔は資料的にも価値の高い建造物としての 存在感を示している。 また、別所温泉客の観光スポットとしてのシンボルとなっている。 ...続きを見る

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2011/03/26 09:45
常楽寺 (長野県上田市別所温泉) 北向観音本坊
日本最古とも伝承される別所温泉の北斜面にある常楽寺は、温泉街のシンボル 北向観音の本坊であり、鎌倉時代には宗教・学問の寺で<信州の学海>とも 呼ばれた名刹である。 ...続きを見る

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2011/03/24 14:53
大法寺 (長野県青木村) <国宝>三重塔
全国にある国宝三重塔は13塔を数えるが、ここ大法寺の三重塔は <見返りの塔>と呼ばれ親しまれている。 これは、思わず振り返って再度見たいと思わせる美しさがある塔と 言われており、周囲の環境に調和した姿はまさにそれを物語っている。 前からも、山手の後ろからも見てみたい衝動にかられる。 特に、初重の平面広さが広いことから、二重・三重とのバランスが 絶妙であることにもよる。 ...続きを見る

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2011/03/22 09:23
信濃国分寺 (長野県上田市) 
741年聖武天皇の詔によって全国66ヶ国68ヶ所に国分寺が創建されたが、 信濃国の国分寺は現在の上田市に創建され、その遺構も判明している。 当時は、信濃国の国府も上田の地に置かれていたと(遺跡は判明せず) 考えられており、後に国府は松本市付近(遺跡は判明せず)に移ったと 推定されている。 ...続きを見る

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2011/03/10 09:25
最恩寺 (山梨県南部町) <重文>仏殿
山梨県の最南端に位置し、静岡県境に接する南部町の山里にある最恩寺は 山麓に佇む小さなお寺であるが、室町時代には甲斐武田氏の庇護を受けて 伽藍も整備され(その時建立された仏殿のみが残り、重文に指定されている) 、大いに栄えたと言われている。 武田信玄の家臣で、信玄死後は武田家から離反した穴山梅雪の息子・勝千代 (武田信治)の菩提寺として、母・見性院(信玄の娘)が1589年再興している。 ...続きを見る

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2011/01/26 09:51
身延山久遠寺 (山梨県身延町) 日蓮宗総本山
久遠寺の寺域は広く、身延門前町を含めてどれくらいあるのだろうか。 大きく分けて、西谷(日蓮聖人草庵跡・廟所)・身延山山麓(本堂・塔頭など)・ 身延山奥の院(身延山山頂)・七面山奥の院(七面山山頂付近)の四域に なるだろう。 身延山山頂へはロープウェイがあるが、七面山山頂へは徒歩4〜5時間の 行程となるそうだ。 <2010年の訪問では西谷と身延山麓のみ> ...続きを見る

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2011/01/18 09:35
本遠寺 (山梨県身延町) 徳川家康側室・お万ゆかりの寺
山梨県身延町の富士川西岸の大野山(400m)山麓にあり、日蓮宗総本山 身延山久遠寺に近い本遠寺の境内に入ると、目に飛び込んでくる大クスの木 が広い境内を引き締めている。 あちこちに桜の木もあり、特に庫裡の裏手には樹齢300年以上の古桜が あるらしいが、季節が秋ではその姿を拝見しても〜。 本堂と鐘楼が重要文化財で、それを拝観するのが主目的であったが、 徳川家康の側室・お万の方(養珠院)に深い関係があるお寺としても魅力を 感じる。 ...続きを見る

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2011/01/16 10:02
上沢寺 (山梨県身延町) 日蓮聖人ゆかりのお葉つき銀杏
山梨県身延町の上沢寺は真言宗のお寺として開創されたが詳細は不詳である。 1274年日蓮聖人が身延山に入ってまもなく修験僧善知と法論を交わしたが、 善知は敗れたため上沢寺住職・法喜とともに毒入りの餅を聖人に供した。 聖人はたまたま近いづいて来た白犬に与えると白犬は悶えて死に、これを 憐れんだ聖人は、この白犬を葬った塚に手持ちの銀杏の杖を立て弔った。 この杖が成長し大きな樹となり、現在の<お葉つき銀杏>になったと 伝承され、篤い信仰を集めている。 ...続きを見る

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2011/01/14 09:20
古長禅寺 (山梨県南アルプス市) 武田信玄ゆかりの寺
山梨県南アルプス市にある古長禅寺は、奈良時代前期に行基が開創した と伝えられている西光寺の地に、1316年夢窓疎石(夢窓国師)が長禅寺を 開創したと伝えられている。 中世にこの地域を支配した大井氏の菩提寺となり、戦国時代に住職・岐秀元伯 の教えを受けた武田信玄の母・大井夫人は大井氏の出である。 信玄は岐秀元伯に帰依し、大井夫人が亡くなると甲府に元伯を開山として 新たに長禅寺を開創し、大井夫人の菩提寺としている。 その後は今までの長禅寺を古長禅寺と改名している。 ...続きを見る

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2011/01/12 09:28
万福寺 (山梨県甲州市勝沼町) 杉の御坊
山梨県甲州市勝沼町のブドウ畑に囲まれて建つ万福寺は、600年頃 聖徳太子の命を受けて調子麿が開創したと伝えられているが詳細に ついては不詳である。 1228年遊化した親鸞聖人に帰依した住職が1244年浄土真宗に 改宗している。 親鸞聖人が来られた時に、杉の箸を地面に挿して帰った後、その箸が 大木になったとの伝承から<杉の御坊>と呼ばれるようになり、 親鸞聖人ゆかりのお寺である。 江戸時代は数多くの伽藍を備えた大寺であった境内絵図が残されている。 ...続きを見る

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2011/01/10 09:47
光照寺 (山梨県甲斐市) 室町時代の<重文>薬師堂
山梨県甲斐市岩森の丘陵にある光照寺は、開創については不詳であるが、 1510年に甲斐市団子新居から岩森坊沢に移転し、その後江戸時代初期に 現在地に薬師堂を移築して移転している。 ...続きを見る

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2011/01/09 10:55
清白寺 (山梨県山梨市) <国宝>仏殿
山梨県山梨市のブドウ畑に囲まれている清白寺は、1333年足利尊氏が 夢窓疎石を勧請開山に戦勝祈願寺として開創させたと伝えられている。 1682年の火災に遭い、仏殿を除いて焼失したが、その後再興されている。 ...続きを見る

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2011/01/07 09:57
立正寺 (山梨県甲州市勝沼町) 日蓮聖人ゆかりの寺
山梨県甲州市勝沼のブドウ畑の中に建つ立正寺は、702年役行者によって 開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 その後地蔵寺、胎蔵寺と呼ばれていたらしい。 文永年間(1264〜74年)日蓮聖人が訪れ、立正安国論を法話し、 1276年には日法上人の法話によって日蓮宗の立正寺となったと言われている。 ...続きを見る

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2011/01/05 09:28
放光寺 (山梨県甲州市塩山) <重文>天弓愛染明王像
山梨県甲州市塩山にある放光寺は、1184年甲斐源氏の安田義定が大菩薩山麓に あった法光寺を移し、安田氏の菩提寺として開創したと伝えられている。 その後、安田義定が反逆の罪を負いこのお寺で自害し、お寺も衰退したが 武田氏の支援を受けて栄え、武田信玄の祈願所にもなっている。 武田氏が滅びると織田軍の兵火に遭っている。 江戸時代には徳川将軍の庇護も受けて大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2011/01/01 10:14
浄居寺 (山梨県山梨市牧丘町) 夢窓国師ゆかりの寺
山梨県山梨市牧丘町の浄居寺は、1305年牧荘の領主・二階堂貞藤が夢窓疎石 に深く帰依して開創したと伝えられている。 1306年には夢窓疎石も住持したと言われている。 その後、1311年に再度疎石は住持したが、多くの信者や修行僧が集まり、 これを避けるべく更に山中に庵を建て移り住んだが、それでも多くの人が 集まったといわれ、山を下りて1313年頃まで浄居寺に在住したと 伝えられている夢窓国師ゆかりの寺である。 その後、夢窓国師は1330年恵林寺を開創しその時に浄居寺を訪れている。 ... ...続きを見る

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2010/12/29 09:30
雲峰寺 (山梨県甲州市塩山) 武田氏の祈願所
山梨県甲州市塩山の笛吹川支流上流・大菩薩峠への道沿いにある雲峰寺は、 745年行基が十一面観音を彫って祀ったのに始まると伝えられている。 室町時代になり甲斐武田氏の祈願所となり、武田信虎・信玄の篤い支援を 受けて堂宇が再興されている。 現在の伽藍はこの再興時のものと考えられている。 ...続きを見る

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2010/12/25 12:30
慈雲寺 (山梨県甲州市) 樋口一葉両親ゆかりの地
山梨県甲州市塩山中萩原にある慈雲寺は、暦応年間(1338〜42年)に夢窓国師 によって開創されたと伝えられている。 1691年堂宇が再建されているが、その時植樹されたと考えられているイトザクラが 境内一帯に広がり、開花の季節には見事な風景を見せるらしい。 <今回の訪問は深緑のイトザクラ> ...続きを見る

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2010/12/23 09:15
三光寺 (山梨県甲州市勝沼町) 甲州の古刹
山梨県甲州市勝沼町にある三光寺は、1400年程前、聖徳太子に仕えた 帰化人・秦河勝が甲斐を訪れ勝沼の山中に三岳寺を建立し、聖徳太子像を 祀ったのが始まりと伝承されている。 奈良時代に入り三光寺と改名し、平安時代には大いに栄えたと伝えられている。 (近世に編纂された地誌類によれば、奈良時代に開創されたと考えられている) ...続きを見る

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2010/12/21 09:10
景徳院 (山梨県甲州市) 武田勝頼最期の地
山梨県甲州市の日川渓谷上流にある景徳院は、1582年武田勝頼主従が 織田・徳川連合軍に追い詰められ、天目山に入ろうとしたがこの田野の地で 夫人・子息・主従ともども自害し武田氏の最期の地となったが、同年徳川家康の 命によりこの地に田野寺を建立し、勝頼主従の冥福を弔ったのが始まりと 伝えられている。 ...続きを見る

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2010/12/17 09:58
栖雲寺 (山梨県甲州市) 武田一族ゆかりの寺
山梨県甲州市の天目山(1380m)中腹にある栖雲寺は、1326年中国・天目山の 普応国師のもとで修行・帰国した業海本浄が天目山に似た場所を求めて辿り着いた 木賊山を適地と考え1348年に開創されている。 木賊山はその後、天目山と呼ばれるようになった。 その後、甲斐武田氏の庇護を受けて栄え、兵庫県丹波市の高源寺を西天目、 栖雲寺を東天目と呼び臨済宗中峰派の道場として活動していた。 ...続きを見る

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2010/12/15 09:58
法善寺 (山梨県南アルプス市) 甲斐の古刹
山梨県南アルプス市にある法善寺は、806年現在の北杜市白州町大坊に 開創されたと伝えられている。 822年真言宗に変わり、武田八幡宮の別当(宮司)となっている。 その後衰退したが、1193年加賀美遠光によって移転再興され、1208年 加賀美遠経によって現在地(加賀美遠光公館跡)に移転している。 ...続きを見る

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2010/12/13 09:15
長遠寺 (山梨県南アルプス市) 石橋湛山ゆかりの寺
山梨県南アルプス市にある長遠寺は、鎌倉時代初期に源頼朝の家臣・ 加賀美遠光が祈願所として旧甲西町(南アルプス市の南部)に開創した と伝えられている。 1279年に現在地に移り、武田氏との縁も深く栄えたと言われている。 ...続きを見る

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2010/12/09 09:18
長谷寺 (山梨県南アルプス市) <重文>観音堂
山梨県南アルプス市にある長谷寺は、718年行基が十一面観音を彫って 治水を祈願したのが始まりと伝えられているが詳細は不詳である。 原七郷の守り観音として信仰を集めたと言われている。 ...続きを見る

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2010/12/07 08:42
慈眼寺 (山梨県笛吹市) <重文>鐘楼門・本堂・庫裡
山梨県笛吹市一宮町の桃畑に囲まれた慈眼寺の開創は不詳であるが、 甲斐では屈指の古刹と伝えられている。 文明年間(1469〜86年)に宥日上人によって再興され、武田氏の祈願所 として栄えたといわれる。 しかし、1582年織田信長勢の兵火に遭い全焼している。 江戸時代初期に宥真上人によって再興されているが、その時再建された 本堂・庫裡・鐘楼門が現在も残り、重要文化財に指定されている。 なお、本堂は修理中で2013年に修理完了の予定である。 ...続きを見る

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2010/12/04 08:51
国分寺 (山梨県笛吹市) 甲斐国分寺
山梨県笛吹市の国分寺は、741年聖武天皇の詔によって全国68ヶ所に 創建された国分寺の一つであるが甲斐国分寺の創建年は不詳である。 その後、衰退し戦国時代にはすっかり荒廃していたが、武田信玄の支援 により再興され勝頼の代に臨済宗になっている。 ...続きを見る

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2010/12/02 09:10
大蔵経寺 (山梨県笛吹市) 武田氏の祈願所
山梨県笛吹市石和にある大蔵経寺は722年行基によって松本寺として 開創されたと伝えられている。 応安年間(1368〜75年)に足利義満の子・観道上人が中興開山 として入り、武田信成が伽藍を再興している。 その時以来、武田氏の祈願所として大いに栄えたと言われている。 ...続きを見る

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2010/11/30 13:42
善光寺 (山梨県甲府市) 甲斐善光寺
山梨県甲府市の善光寺は通称・甲斐善光寺と呼ばれ、川中島の戦いの折の 1558年武田信玄は信濃善光寺が兵火に遭うのを恐れて本尊を始めとする 寺宝を甲府に移したのが始まりと伝えられている。 武田氏が滅亡すると、信濃善光寺本尊は転々と移り、1597年豊臣秀吉に よって信濃善光寺に帰っている。 ...続きを見る

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2010/11/28 16:30
東光寺 (山梨県甲府市) 甲府五山
山梨県甲府市の東光寺は、1121年甲斐源氏の祖・新羅三郎義光によって 興国院として開創されたのに始まると伝えられているが詳細は不詳である。 1268年鎌倉・建長寺の開山・蘭渓道隆によって再興され甲州禅文化の 中心として栄えたと言われている。 武田信玄の指定により甲府五山となり、武田氏の支援を受けたが、 武田氏の滅亡と同時に衰退している。 江戸時代1717年甲府藩主・柳沢氏の支援を受けて再興されている。 ...続きを見る

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2010/11/24 09:39
能成寺 (山梨県甲府市) 甲府五山
山梨県甲府市の愛宕山(423m)東南麓にある能成寺は、 甲斐武田氏15代・武田信成が貞和年間(1345〜49年)に現在の笛吹市八代町北 に開創し、武田信守の菩提寺になった。 その後、武田信玄は甲府市宝町の地に移し甲府五山の一つにした。 文禄年間(1592〜95年)に現在地に移された。 1945年の甲府空襲で焼失したが、見事に再興されている。 ...続きを見る

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2010/11/22 09:35
長禅寺 (山梨県甲府市) 武田信玄の母・大井夫人の菩提寺
山梨県甲府市の愛宕山(423m)南麓にある長禅寺は、1552年武田信玄の 母・大井夫人が亡くなり、信玄は南アルプス市にあった大井氏の菩提寺・長禅寺の 法燈を二分して大井夫人の菩提寺として甲府に長禅寺を建立した。 南アルプス市の長禅寺は、その後古長禅寺と呼ばれ現在も南アルプス市にある。 ...続きを見る

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2010/11/20 09:40
大泉寺 (山梨県甲府市) 武田信虎の菩提寺
山梨県甲府市にある大泉寺は、1519年武田氏の拠点を石和から甲府へ 移した武田信虎(信玄の父)が1521年に開創している。 1574年信虎が亡くなると大泉寺で葬儀が行われ、その後信虎の菩提寺と なっている。 信玄・勝頼の支援も受けて大いに栄えたといわれる。 ...続きを見る

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2010/11/18 11:30
法泉寺 (山梨県甲府市) 甲府五山
山梨県甲府市の法泉寺山(516m)の山麓にある法泉寺は、1330年 甲斐武田氏第10代の武田信武が夢窓国師の高弟・月舟周勲を開山として 開創したと伝えられている。 しかし、月舟禅師は夢窓国師を勧請開山とし、自らは第2代住職となっている。 ...続きを見る

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2010/11/14 12:55
甲府五山 (山梨県甲府市)
臨済禅に帰依し信仰の篤かった武田信玄が甲府城下に甲州の古刹5ヶ寺を 移転させるなどして、京都五山・鎌倉五山に倣い<御城附御祈願所五山>と 定め支援した。現在では甲府五山と呼んでいる。 ...続きを見る

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2010/11/12 19:46
積翠寺 (山梨県甲府市) 武田信玄生誕地
山梨県甲府市の要害山(787m)の中腹にある積翠寺は、奈良時代に 行基によって開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 鎌倉時代末期に夢窓国師の弟子・竺峯和尚によって再興されたと言われ、 1521年飯田河原の合戦で武田信虎夫妻が積翠寺に留まり、その時に 信玄が誕生したと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/11/12 09:30
塩沢寺 (山梨県甲府市) 厄除け地蔵
山梨県甲府市の湯村温泉にある塩沢寺は、808年弘法大師空海が巡業中に この地を訪れ湯村温泉を開き、地蔵菩薩を祀ったのが始まりと伝えられている。 その後、空也上人が955年開基となって塩沢寺としてスタートしたと言われている。 ...続きを見る

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2010/11/10 10:11
慈照寺 (山梨県甲斐市) 武田氏一族・諸角昌清の菩提寺
山梨県甲斐市の慈照寺は、開創については不詳であるが1489年真言宗の お寺を真翁宗見が曹洞宗として再興している。 中興開基は武田信昌の六男と言われる諸角昌清(室住虎光)で、菩提寺と なっている。 ...続きを見る

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2010/11/04 09:53
妙善寺 (山梨県甲斐市) 武田信玄の家臣・安倍勝宝の菩提寺
山梨県甲斐市の妙善寺は1333年に開創されたと伝えられているが、 詳細は不詳である。 武田信玄の家臣・使番十二人衆の一人安倍勝宝が武田勝頼と共に 天目山で討死し、その首級をこの妙善寺に葬り、菩提寺となった。 本堂裏の枯山水庭園の奥に墓塔が建っている。 ...続きを見る

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2010/10/31 10:15
実相寺 (山梨県北杜市) 深緑の神代桜
山梨県北杜市武川町山高にある実相寺は、日蓮を身延山に招いた波木井実長 の四代あとの波木井実氏が出家して日応となり、武川郷大津にあった真言宗の 寺を譲り受けて1375年実相院を開いたのが始まりと伝えられている。 その後、1561年武田信玄の命により現在の山高に移転し、武田家の祈祷所として 実相寺となったと言われている。 ...続きを見る

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2010/10/29 09:08
光明寺 (千葉県木更津市) 切られ与三郎の墓
千葉県木更津市の光明寺は1335年日輪上人によって開創されたと 伝えられている。 ...続きを見る

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2010/10/27 09:29
千葉寺 (千葉県千葉市) 坂東三十三観音霊場第29番
千葉県千葉市の千葉寺は、709年行基が観音菩薩を祀ったのが始まりと 伝えられている。その後、聖武天皇の勅願により堂宇が建立されたと 言われている。 ...続きを見る

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2010/10/25 08:47
證誠寺 (千葉県木更津市) 狸囃子伝説
千葉県木更津市の證誠寺は、江戸時代初期の17世紀中頃に了念法師 が鎌倉から海を渡って住み着き開創されたと伝えられている。 房総半島の内房には浄土真宗のお寺は少なく、木更津でもすくない。 ...続きを見る

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2010/10/23 19:50
大慈恩寺 (千葉県成田市) 安国寺利生塔の寺
千葉県成田市の大慈恩寺は、761年鑑真和上が東国へ巡錫した折に 開創されたと伝えられている古刹である。 鎌倉時代後期には千葉氏の一族・大須賀氏の支援を得て、真源上人が 再興している。 ...続きを見る

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2010/10/21 08:57
栄福寺 (千葉県印西市) 室町時代の<重文>薬師堂
千葉県印西市角田にある栄福寺は天平年間(729〜749年)に開創されたと 伝えられているが詳細は不詳である。 <重文>薬師堂は1469年上棟、1472年成就と棟札にあり、建立年代の 明確な木造建築では県内最古と言われている。 印西市には、室町時代のお堂が3棟あり、他に宝珠院観音堂・泉福寺薬師堂 がる。 ...続きを見る

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2010/10/17 19:59
松虫寺 (千葉県印西市) <重文>七仏薬師
千葉県印西市にある松虫寺は、聖武天皇の第3皇女・松虫姫(不破内親王)が 重い病に罹り、夢告を受けて下総のこの地を訪れ、薬師仏に祈願したところ 病が平癒したので、聖武天皇の勅願を受けて、745年行基が開創したと 伝えられている。 ...続きを見る

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2010/10/15 08:41
宗吾霊堂 (千葉県成田市) 義民・佐倉宗吾の寺
千葉県成田市の宗吾霊堂(正式名:東勝寺)は、平安時代初期に 坂上田村麻呂が開創したと伝えられているが詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2010/10/13 09:45
泉福寺 (千葉県印西市岩戸) 室町時代の<重文>薬師堂
千葉県印西市(旧印旛村)岩戸にある泉福寺の開創については不詳であるが、 1556年に火災で焼失した後再建されたと伝えられている。 <重文>薬師堂はその再建時のものと考えられている。 ...続きを見る

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2010/10/11 09:20
宝珠院 <泉倉寺>(千葉県印西市) <重文>宝珠院観音堂
千葉県印西市にかってあった宝珠院の開創については不詳であるが、 現在も残る宝珠院観音堂は1563年頃の建立で重要文化財に指定されている。 この観音堂は近くの泉倉寺の所蔵管理となっており、維持管理も行われている。 ...続きを見る

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2010/10/09 09:53
来迎院 (茨城県龍ヶ崎市) 関東最古の<重文>多宝塔
茨城県龍ヶ崎市にある来迎院の開創については不詳であるが、多宝塔の 修理年代から1556年以前の開創と思われる。 一説には1517年の開創とも、あるいは925年頃とも言われている。 ...続きを見る

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2010/10/07 14:24
龍正院 (千葉県成田市) 坂東三十三観音霊場第28番
千葉県成田市滑川にある龍正院は、838年慈覚大師円仁によって開創された と伝えられている。 その年地元の豪族・小田将治が本尊・十一面観音の胎内仏を奉納したと伝え られている。 江戸時代には徳川将軍の庇護も受けている。 ...続きを見る

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2010/10/05 11:07
観福寺 (千葉県香取市牧野) 関東三大厄除大師
千葉県香取市にある観福寺は、890年尊海比丘によって開創されたと 伝えられている。 本尊聖観音菩薩は平将門の守護仏と言われている。 平安時代末期から千葉氏の祈願所として栄えたが、江戸時代になって 地元の伊能家の菩提寺として、また厄除大師の庶民信仰に支えられてきた。 日本地図を測量によって完成させた伊能忠敬の墓もある。 ...続きを見る

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2010/10/03 16:24
飯高寺 (千葉県匝瑳市) 飯高檀林
千葉県匝瑳市にある飯高寺は、1580年日生上人が飯高城内の一部を寄進され 法輪寺を開創し、飯塚檀林を継承して飯高檀林を併設したのが飯高寺及び飯高檀林 の始まりである。 1591年には徳川家康の支援を受け、飯高寺と改名し、飯高檀林は法華宗門の 根本檀林となっている。 ...続きを見る

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2010/10/01 08:54
観音教寺 (千葉県芝山町) 芝山仁王尊
千葉県芝山町の観音教寺は、781年光仁天皇の勅願で、征東大使の藤原継縄 が開創したと伝えられている古刹である。 黒漆塗りの仁王尊(黒仁王と呼ばれている)が火事・泥棒除けのご利益があると 江戸時代以来篤い信仰を受け、通称では芝山仁王尊と呼ばれ親しまれている。 ...続きを見る

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2010/09/29 09:17
笠森寺 (千葉県長南町) 坂東三十三観音霊場第31番
千葉県長南町の自然林に覆われた小高い観音山の山頂にある笠森寺(本坊は 山麓)は、784年伝教大師最澄が十一面観音を祀ったのが始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/09/27 12:27
鳳来寺 (千葉県市原市) 室町時代の<重文>観音堂
千葉県市原市にある鳳来寺の開創については不詳であるが、境外地 にある<重文>観音堂は明治時代に鳳来寺と合併し、廃寺となった善福寺の 観音堂である。 善福寺は、室町時代に平蔵城の支城・吉沢城の守護寺として開創されたと 伝えられている。その時建立されたのが現在の観音堂ではないかと推定される。 構造的には禅宗様で、近くにある西願寺阿弥陀堂と同形式で、貴重な建物として 価値がある。 ...続きを見る

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2010/09/25 20:09
誕生寺 (千葉県鴨川市) 日蓮聖人生誕地
千葉県鴨川市小湊にある誕生寺は、1276年日蓮聖人直弟子の日家上人が 聖人生誕の地・小湊片海に堂宇を建立したのが始まりと伝えられている。 1498年、1703年の地震・津波により壊滅したが、その後水戸徳川家の 支援を受けて現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2010/09/23 11:18
西願寺 (千葉県市原市) 室町時代の<重文>阿弥陀堂
千葉県市原市平蔵の山里にある西願寺は、1495年平蔵城主・土橋平蔵将経 が平蔵城の鬼門守護のために七堂伽藍を建立し、開創したと伝えられている。 土橋平蔵将経については不詳であるが、平蔵城主は代々土橋平蔵を名乗った と言われている。地名の由来もこの平蔵からと言われている。 1590年豊臣秀吉の軍によって平蔵城は落城している。 ...続きを見る

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2010/09/21 09:11
清澄寺 (千葉県鴨川市) 日蓮聖人ゆかりの寺
千葉県鴨川市の清澄山(383m)山腹にある清澄寺は、771年不思議法師と 呼ばれた僧によって開創されたと伝えられている。 836年慈覚大師円仁が山に入り、天台宗の道場として堂宇を建立し、 房総第一の大寺となり、大いに栄えたと言われている。 1233年日蓮聖人は12歳でこの寺に入り得度出家している。その後、 比叡山などで修行後、1253年この山の旭の森で立教開宗の声をあげた。 ...続きを見る

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2010/09/16 09:12
鏡忍寺 (千葉県鴨川市) 日蓮聖人小松原法難の地
千葉県鴨川市にある鏡忍寺は、1264年日蓮聖人一行が念仏信者・東条影信に 襲われ、同行の鏡忍坊日暁と工藤吉隆が討たれた(小松原法難)の地に、1281年 日蓮聖人の命を受けて、工藤吉隆の子・日隆が日蓮聖人を開山として開創している。 ...続きを見る

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2010/09/14 08:39
石堂寺 (千葉県南房総市) 南房総の古刹
千葉県南房総市の山手にある石堂寺は、708年奈良の僧恵命・東照が 草庵を創ってアショカの宝塔を祀ったのが始まりと伝えられている。 726年行基が石塔寺として堂宇を創建し、851年慈覚大師円仁が七堂伽藍を 建てて天台宗の道場として栄えたと言われている。 石塔寺は三大石塔寺(滋賀県東近江市の石塔寺、群馬県富岡市の妙義神社 別当寺・石塔寺<廃寺>)の一つに数えられていた。 ...続きを見る

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2010/09/12 08:52
那古寺 (千葉県館山市) 坂東三十三観音霊場第33番
千葉県房総半島南端に位置する館山市の那古山(83m)の中腹にある 那古寺は、717年行基が千手観音を祀って元正天皇の病気平癒の祈願を したのに始まると伝えられている。 その後、源頼朝や足利尊氏などの庇護を受け、江戸時代には鶴岡八幡宮の 別当も兼ねて大いに栄えたと言われている。 当初は、山上にあったが地震で倒壊し、1732年に現在の中腹に再建 されている。 ...続きを見る

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2010/09/10 10:49
大聖寺 (千葉県いすみ市) 室町時代の<重文>不動堂
千葉県いすみ市の外房海岸に近い大原にある大聖寺は、1248年地元の 漁師の妻が海藻を獲るとき、海中に不動明王像を発見し、これを祀ったのが 始まりと伝えられている。 この不動尊は波切り不動と呼ばれ、漁業関係者の信仰が篤いと言われている。 ...続きを見る

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2010/09/08 09:30
神野寺 (千葉県君津市) 房総三山・鹿野山の古刹
千葉県君津市の鹿野山(352m)山頂近くに建つ神野寺は、598年聖徳太子に よって開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 857年に慈覚大師円仁が再興し、平安時代〜鎌倉時代には天台宗の道場 として栄えたと言われている。 1504年高野山の弘範上人によって荒廃した寺を再興し、真言宗の寺として 再出発している。その後、徳川家康や地元の城主などの支援を受けて再度 栄える時代を迎えている。 ...続きを見る

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2010/09/06 09:17
高蔵寺 (千葉県木更津市) 坂東三十三観音霊場第30番
千葉県木更津市の南東部丘陵地帯にある高蔵寺は、用明天皇の代 (585〜587年)に徳義上人が観音菩薩を祀ったのが始まりと伝えられている。 650年には藤原鎌足が堂宇を創建したと伝承されているが、詳細は 不詳である。 ...続きを見る

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2010/09/04 11:18
成顕寺 (千葉県流山市) 
千葉県流山市駒木にある成顕寺は、大同年間(806〜810年)に 弘法大師空海の弟子桂伝阿闍梨が龍神を祀って道場寺を建立した のが祖と伝えられているが、弘安年間(1278〜1288年)に日朗上人 が龍神を諏訪大明神として祀って成顕寺としたのが開創と言われている。 近くにある諏訪神社の奥の院とも言われており、明治維新までは 神仏習合の寺院であった。現在も本尊釈迦如来と諏訪大明神が 本堂に共に祀られている。 ...続きを見る

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2010/01/04 09:16
總持寺 (東京都足立区) 西新井大師
東京都足立区にある西新井大師は、826年弘法大師がこの地を 訪れた際、十一面観音を祀ったのに始まると伝えられている。 西新井大師は関東三大師の一つに数えられる弘法大師信仰の 拠点となっており、川崎大師と共に参拝者が多いお寺である。 ...続きを見る

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2009/11/28 08:40
本土寺 (千葉県松戸市) 松戸の名刹
千葉県松戸市の本土寺は、地元の豪族平賀氏の屋敷跡に1277年 領主で日蓮に帰依した曽谷教信の支援を得て開創されたと伝えられている。 平賀家の三兄弟日朗・日像・日輪は三聖人と呼ばれ、本土寺は その三兄弟ゆかりの名刹である。 ...続きを見る

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2009/11/24 09:33
長全寺 (千葉県柏市) 領主戸張氏の菩提寺
千葉県柏市の市街地にある長全寺は、もともと戸張村の天台宗寺院 であったが1556年巧室和尚が曹洞宗寺院として開山し、この地域の 領主戸張氏の菩提寺として栄えたと伝えられている。 江戸時代初期に戸張村から柏の現在地に移転した。 明治時代の火災によって伽藍は全焼し、その後徐々に再興され 今日に至っている。 柏市を代表するお寺として伽藍なども整備されている。 ...続きを見る

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2009/11/21 13:52
万満寺 (千葉県松戸市馬橋) <重文>仁王像
千葉県松戸市馬橋にある万満寺は、1256年下総守護の千葉頼胤が 鎌倉極楽寺を開創した忍性を開山に招いて開いた大日寺に始まると 伝えられている。 1379年千葉満胤が中興して臨済宗の万満寺とした。 ...続きを見る

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2009/11/19 09:58
法華経寺 (千葉県市川市中山) 日蓮ゆかりの寺
千葉県市川市中山にある法華経寺は、日蓮上人が迫害を受けていた折 下総千葉氏の家臣富木常忍(日常上人)と太田乗明が帰依してお互いに 寺を建て(法華寺と本妙寺)、日蓮上人に寄進したのが始まりと伝えられて いる。 1545年には法華寺と本妙寺が合体し法華経寺となり、江戸時代に なると庶民の信仰も集まり特に鬼子母神信仰は多くの参拝者を集めている。 中山の参道界隈は門前町として大いに栄え、今日もその姿を保っている。 ...続きを見る

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2009/11/17 09:25
善養寺 <小岩不動>(東京都江戸川区) 影向の松
東京の江戸川区にある善養寺は、寺伝によると1527年京都醍醐の 頼澄法師が不動明王を祀ったのが始まりと伝えられているが、1509年の 連歌師宗長の紀行文に宗長が善養寺に立ち寄ったことが記されており、 史実としては1509年以前の創建と考えられている。 通称では小岩不動と呼ばれ不動信仰の篤いお寺である。 ...続きを見る

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2009/11/14 09:17
増上寺 (東京都港区) 東京タワーと桜の風景
東京都港区の東京タワーの下に位置する増上寺は、1393年浄土宗第八祖 聖聡上人によって開創された浄土宗七大本山の一つであり、徳川将軍家の 菩提寺である。 <浄土宗総本山:知恩院 浄土宗七大本山:増上寺、金戒光明寺(京都市)、 百万遍知恩寺(京都市)、清浄華院(京都市)、善導寺(久留米市)、 光明寺(鎌倉市)、善光寺大本願(長野市)> ...続きを見る

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2009/04/05 09:27
本覚寺 (神奈川県鎌倉市) 鎌倉えびす
神奈川県鎌倉市の本覚寺は、関東では珍しい商売繁盛の<えびす大祭> が1月10日に行われるお寺である。 境内にある夷堂(えびすどう)が、源頼朝により幕府の鬼門にあたる この地に鎮守として建てたもので、後に日蓮上人が一時この夷堂に 逗留したと伝えられている。 <十日えびす>は江戸時代以降、商売繁盛祈願の祭りとして関西を 中心として行われたといわれている。<鎌倉えびす>はいつ頃始まった のであろうか。 ...続きを見る

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2009/01/04 15:36
妙本寺 (神奈川県鎌倉市) 源頼朝の重臣比企一族悲劇の地
神奈川県鎌倉市にある妙本寺は、源頼朝の重臣比企能員一族の 屋敷跡に1260年開創された日蓮宗のお寺である。 鎌倉幕府3代将軍を巡り北条氏と対立した比企能員は殺害され、 比企一族は屋敷に火を放って自害したが、生き残った能員の末子 比企能本が後に屋敷跡に法華堂を建立し日蓮上人に献呈したと 伝えられている。 日蓮上人の弟子日朗が開山となり、妙本寺は開創した。 ...続きを見る

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2009/01/02 19:55
安養院 <田代観音>(神奈川県鎌倉市) 坂東三十三観音霊場第3番
神奈川県鎌倉市大町にある安養院は、北条政子が開基の長楽寺が お寺の統合などを経て安養院となった<政子の寺>と呼ばれている。 本堂の裏には、北条政子の供養塔と伝えられている宝篋印塔と 鎌倉最古といわれる関東様式の<重文>宝篋印塔が並んで 安置されている。 ...続きを見る

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2008/12/30 16:22
安国論寺 (神奈川県鎌倉市) 日蓮上人が立正安国論を執筆したと伝わる寺
神奈川県鎌倉市大町にある安国論寺は、1253年日蓮上人が鎌倉に初めて 結んだ草庵の一つと伝わり、境内にある岩窟で<立正安国論>を著し、 幕府に建白したと伝えられている。 1260年日朗上人が岩窟傍に堂宇を創建し、安国論窟寺とした。 ...続きを見る

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2008/12/28 21:19
長勝寺 (神奈川県鎌倉市) 高村光雲作の日蓮像
神奈川県鎌倉市材木座にある長勝寺は、1253年日蓮上人が草庵 を結んだところの一つで、1263年石井長勝が日蓮上人を開山として 開創したと伝える。 境内に建つ日蓮上人像は高村光雲の作で、東京の洗足池から 1966年に移された像高4mの銅像である。 高村光雲の代表作には  西郷隆盛像(東京上野公園)、<重文>老猿(東京国立博物館)など ...続きを見る

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2008/12/26 18:09
光明寺 (神奈川県鎌倉市) 浄土宗大本山
神奈川県鎌倉市の材木座にある光明寺は、寺伝によると1243年然阿上人 によって開創され、1495年には勅願寺となり、江戸時代には関東における 浄土宗総本山となっている。 現在は、浄土宗七大本山の一つとして重きをなしている。 <浄土宗総本山:知恩院 七大本山:増上寺、金戒光明寺、百万遍知恩寺、   清浄華院、善導寺、光明寺、善光寺大本願> ...続きを見る

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2008/12/24 21:09
長谷寺<長谷観音>(神奈川県鎌倉市) 坂東三十三観音霊場第4番
神奈川県鎌倉市の観音山麓から中腹にかけて境内が広がる長谷寺は、 約9mの十一面観音を本尊とする坂東三十三観音霊場第4番札所であり、 大和長谷寺の本尊十一面観音と兄弟だと言い伝えられている。 伽藍は関東大震災後の再建になるが、山腹にそって広がる境内には 四季折々の花木が彩を添え、境内から眺める相模湾の眺望はすばらしい。 ...続きを見る

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2008/12/20 21:01
大船観音寺(神奈川県鎌倉市) 25mの大船観音
神奈川県鎌倉市のJR大船駅の西側丘陵に清楚な顔立ちの大船観音が 坐している大船観音寺は、1981年に開創された新しいお寺である。 (財)大船観音協会が1960年大船観音を完成させ、その財団が 1981年解散し、お寺となった。 ...続きを見る

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2008/12/18 21:21
極楽寺(神奈川県鎌倉市) <重文>忍性塔
神奈川県鎌倉市の鎌倉七口のひとつ極楽寺坂切通しにある極楽寺は、 北条重時が1259年現在地に移して、その後1267年忍性がこの寺に 入り堂宇を整備したと伝えられており、実質上の開山は忍性といわれている。 ...続きを見る

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2008/12/17 17:40
東慶寺(神奈川県鎌倉市) 水月観音像
神奈川県鎌倉市の北鎌倉にある東慶寺は、希少な水月観音像がある ことで名を知られ、明治維新まで<女人救済の駈込み寺>として その存在を知らしめていた。 水月観音は三十三観音の一つで、観音菩薩と水面に映る月とから構成 された仏像である。 江戸時代には女人救済の駈込み寺として、幕府にも公認され補助金も 出されていたそうで、それに関わる文書類も残っている。 境内は広くはないが、よく整備され四季折々の花木が彩を添えている。 ...続きを見る

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2008/12/14 20:24
浄智寺(神奈川県鎌倉市) 鎌倉五山
神奈川県鎌倉市の北鎌倉にある浄智寺は、鎌倉時代末期〜室町時代 に制定された五山制度の鎌倉五山第4位に位置づけられていた。 五山制度は、1386年足利義満の時に、南禅寺(京都市右京区)を 別格上位とし、京都五山と鎌倉五山が設けられいた。 ...続きを見る

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2008/12/12 20:35
円応寺(神奈川県鎌倉市) <重文>閻魔大王坐像
神奈川県鎌倉市の北鎌倉にある円応寺は、当初、高徳院の東側の 見越嶽に1250年開創されたと伝えられている。 その後、1700年代前半に現在地に移転したといわれている。 本尊の<重文>閻魔大王坐像は1250年に慶派の仏師によって 彫られた秀作といわれている。 閻魔王を含め10体の十王像があり、その内4体が重要文化財に 指定されている。 ...続きを見る

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2008/12/07 16:22
称名寺(神奈川県横浜市) 浄土式庭園
称名寺は鎌倉幕府執権北条氏の一族である金沢北条氏の祖である北条実時 (1224〜1276年)が開創したお寺であるが、その時期は不詳である。 1258年実時が建てた持仏堂(阿弥陀堂)が起源と伝えられているが、 1267年下野薬師寺の審海を開山として真言律宗の寺となっている。 以後、金沢北条氏の菩提寺となった。 ...続きを見る

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2008/09/30 17:02
輪王寺(栃木県日光市) その4 <重文>三仏堂など
輪王寺の伽藍は日光山内に分散してあり、東照宮・二荒山神社の周りを取り囲む 様にある。 大猷院霊廟・慈眼堂を除いた伽藍を見てみよう。 <重文伽藍> (1)本堂(三仏堂):1647年 入母屋 銅瓦葺    附)銅燈籠    本尊:千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音 (2)相輪橖:1643年 銅製 高さ17.5m    附)銅燈籠 (3)本坊表門(黒門):江戸時代前期 薬医門 (4)開山堂:1720年頃 宝形造 銅板葺    附)石燈籠 (5)常行堂:1619年 宝形... ...続きを見る

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2008/08/14 22:57
輪王寺(栃木県日光市) その3 慈眼堂(慈眼大師天海の墓所)
日光山(東照宮、二荒山神社、輪王寺)の中興の祖といわれる慈眼大師天海 は1536年会津高田で生まれ、73歳の時に徳川家康に対面後、徳川家の 帰依を受け政僧として秀忠・家光と徳川三代にわたって権威を示した。 ...続きを見る

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2008/08/14 14:13
輪王寺(栃木県日光市) その2 大猷院霊廟(徳川家光霊廟)
徳川将軍第3代家光は、1651年将軍職のまま48歳で亡くなり、 1652年から1年2ヶ月で家光の霊廟(大猷院霊廟)が造営された。 権現造りの霊廟であるが、東照宮に比して控え目に造られたと いわれている。 ...続きを見る

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2008/08/13 14:55
輪王寺(栃木県日光市) その1 深緑の風景
日光山内の二社一寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)は世界遺産に 登録されており、一大観光地となっている。 歴史的に見ると、766年勝道上人によって輪王寺(当初は紫雲立寺) が開創され、続いて勝道上人が地主神として二荒山神社を開いた。 その後、神仏習合の霊山として隆盛し、江戸時代に入り天海僧正が 住職になり、1617年徳川家康を神として祀る東照宮を造営し、 <日光山>として一体の信仰霊山となった。 ...続きを見る

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2008/08/13 09:54
清滝寺<清滝観音>(茨城県土浦市) 坂東三十三観音霊場第26番
清滝寺は1969年不審火により、仁王門を除いて全焼の罹災にあったが、 地元の人たちの努力により観音霊場として回復しつつある。 しかし、昔の隆盛が取り戻せるかはこれからの努力にかかっているだろう。 ...続きを見る

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2008/05/24 19:33
雨引観音<楽法寺>(茨城県桜川市) 坂東三十三観音霊場第24番
雨引観音は通称名であるが、地図などにはこの名前で記されて いるほどで、安産・子育て祈願、桜・アジサイ・眺望などの観光地として 親しまれているお寺である。 私が訪れた時も、子供連れの家族やお腹の大きい女性などが大勢 参拝されていた。 由緒ある古刹の風景よりは、信仰と観光のお寺としての風景があちこち に漂っていた。 ...続きを見る

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2008/05/24 17:46
専修寺<高田本寺>(栃木県真岡市) 親鸞聖人の宗教遺跡
親鸞聖人は1212年越後配流を解かれ、1214年茨城県笠間市稲田に 草庵を築いて、関東・東北の布教にあった1225年この二宮の地に専修念仏の 根本道場を開いたのが専修寺の始まりといわれる。 その後7年間この地に滞在したと伝えられている。 ...続きを見る

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2008/05/24 14:45
小山寺<富谷観音>(茨城県桜川市) 関東以北最古の<重文>三重塔
小山寺は富谷観音と呼ばれることが通常で、地図上にもこの記述が 多い観音霊場である。 <重文>三重塔は1465年に建立され、関東以北では最古の三重塔である。 屋根は全国でも珍しい<とち葺)で、反りも深い構造になっている。 本尊の十一面観音坐像(秘仏)は2mもあり、鉈彫りの仏像であるが、 秘仏なので拝観はできなかった。 ...続きを見る

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2008/05/24 10:40
地蔵院(栃木県益子町) 宇都宮城主宇都宮氏の菩提寺
益子町の古刹西明寺から一山越えた丘陵地帯に建つ地蔵院は 境内の整備が少しずつ行われていた。 ...続きを見る

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2008/05/23 21:15
西明寺<益子観音>(栃木県益子町) 坂東三十三観音霊場第20番
<やきもの>の町益子へはこれで3回目の訪れであるが、西明寺にお参りする のはこれが初めてである。 過去2回はやきもの中心の探索であったが、もっと早く西明寺を訪れるべきであった。 それほどに西明寺の風景は古刹の雰囲気が充満するものがあり、 京都や奈良にはない地方の古刹そのものである。 ...続きを見る

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2008/05/23 20:12
円通寺(栃木県益子町) 学問所として隆盛した寺
円通寺は1402年良栄上人によって開創され、大沢文庫を設け、学問所として 多くの僧を育成し、大いに隆盛したが、明治時代になり衰退した。 その後、住職の努力あって今日まで回復してきた。 ...続きを見る

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2008/05/21 21:27
楞厳寺(茨城県笠間市) 姫春蝉の発生地
国の天然記念物になっている姫春蝉の北限発生地になっている 楞厳寺裏山を境内にするお寺である。 どこまでも静寂が漂う境内で蝉の合唱を聞いてみたかったが、 残念ながら季節はずれの時期であった。 それもこの日は法事があって、お寺も忙しく<重文>千手観音立像も 拝観できずに失礼せざるをえなかった。 ただ、茅葺の<重文>山門をじっくり拝観できたことで、ここまで足を 運んだ意義もあった。 ...続きを見る

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2008/05/21 19:49
西念寺(茨城県笠間市) 浄土真宗立教開宗の聖地(親鸞聖人ゆかりの寺)
1207年に、法然上人は讃岐へ、親鸞聖人は越後へ流罪となって後 1214年常陸国稲田の領主であった稲田頼重の招きに応じて、妻子ともども この地に草庵を結んだのが西念寺の始まりとされている。 ...続きを見る

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2008/05/21 16:51
瑞聖寺(東京都港区) 江戸で最初の黄檗宗寺院
地下鉄白金台駅を降りてすぐ、目黒通に面した参道を入ると冠木門の 裏門が見える。 ...続きを見る

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2008/05/21 12:22
円融寺(東京都目黒区) 東京都区内最古の木造建築
東急目黒線の西小山駅を降りて北へ3分ほど歩くと、桜並木の 立会川緑道にぶつかる。車道の中央に設けられた遊歩道に桜並木 が1kmほど続く心和む遊歩道である。10年ほど前にも歩いた記憶が 蘇って、ベンチに腰かけてタバコを一服。 ...続きを見る

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2008/05/21 10:16
本門寺<池上本門寺>(東京都大田区) 日蓮上人終焉の地
1282年日蓮上人は療養のため身延山を出て、常陸へ向かう途中に ここ池上の地にある池上宗仲の屋敷で死を迎えた。 池上氏は土地を寄進し、日蓮上人の高弟日朗が本門寺を開創した。 ...続きを見る

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2008/05/20 21:29
増上寺(東京都港区) 徳川将軍家の菩提寺
1590年に徳川家康が増上寺を徳川家の菩提寺にし、1598年に 現在の芝へ移転してきた。 江戸時代は徳川将軍の庇護のもと、大いに隆盛をみたが、明治時代に なり、神仏分離令などによって境内の一部が公園となったり、1945年 の大空襲によりほとんどの伽藍が罹災し、境内の一部を西武グループに 売却して凌いでいる。 ...続きを見る

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2008/05/20 16:23
不動寺<狭山不動尊>(埼玉県所沢市) 新しいお寺に由緒ある堂塔
西武ドーム球場の向いにある狭山丘陵の一角に位置する狭山不動尊 は1975年に開創したばかりのお寺であるが、西武グループが建てた お寺で、各地の由緒ある堂塔を集めて伽藍が構成されている。 ...続きを見る

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2008/05/20 13:01
正福寺(東京都東村山市) 東京都唯一の国宝建造物
久しぶりに東京のお寺を訪れ、鉄筋コンクリートのお堂が多く、 木々も少ないお寺が多い中にあって、京都・奈良とは違った趣を 感じたし、現代社会におけるお寺を探索してみた。 ...続きを見る

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2008/05/19 22:17
元善光寺(長野県飯田市)
<長野善光寺と元善光寺は、両方にお詣りしないと片詣りといわれている> といわれている元善光寺も結構参詣者が多いのでそうなのかな。 ...続きを見る

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2008/02/12 23:23
遠照寺(長野県伊那市)
信州伊那の高遠−−桜は全国的に有名−−の山里に重要文化財に指定された お堂と多宝小塔を擁する遠照寺を訪問して、ビックリするではないか。 大奥の絵島ゆかりの寺というではないか。絵島の分骨墓もヒッソリとある。 <江戸時代中期、幕府内部に発生した権力闘争に巻き込まれた絵島生島事件で  高遠に遠流され28年間幽閉された。その間この遠照寺へもよく足を運び  住職とも碁を打ったとのことーー墓所は高遠の街中にある蓮華寺にある> ...続きを見る

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2008/02/12 22:39
文永寺(長野県飯田市)
重要文化財に指定されている石造五輪塔・石室を探索すべく飯田市を 訪れて目的の文永寺に辿り着くのに四苦八苦したが、意外な<黒松>に 会えてその苦労も吹っ飛んだ。が、その<黒松>が<勅使の黒松>と 銘があり、日本三大銘松とある。 誰が日本三大銘松と言ったのだろうか? ...続きを見る

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2008/02/02 20:42
興禅寺(長野県木曽町)
中山道の要所福島宿−−木曽路の中心−−にある木曽三大寺のお寺 20世紀の代表的作庭家−−重森三玲−−の石庭(看雲庭)が最大の見所 ...続きを見る

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2008/01/20 00:32
光前寺(長野県駒ヶ根市) その2
光前寺は境内全体が国の名勝に指定されている南信州随一の祈願霊場 ...続きを見る

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2008/01/07 12:34
光前寺(長野県駒ヶ根市) その1
光前寺は中央アルプス木曽駒ケ岳の山麓に広がる南信州随一の祈願霊場で、 樹齢数百年の杉に囲まれた境内は国の名勝に指定されている。 ...続きを見る

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2008/01/07 11:52
弘明寺(神奈川県横浜市南区) 坂東三十三観音霊場第14番
横浜市内最古のお寺 坂東三十三観音霊場第14番札所 ...続きを見る

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2008/01/07 00:21

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