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zoom RSS テーマ「奈良のお寺」のブログ記事

みんなの「奈良のお寺」ブログ

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奈良県のお寺
奈良県のお寺 奈良県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2017/12/10 09:15
善福寺 (奈良県天理市和邇町)
善福寺 (奈良県天理市和邇町) 天理市和邇町は、5〜6世紀に勢力を持った古代豪族・和邇氏の 本拠地といわれ、古事記にも出現し、周囲には古墳も多く分布している 地域である。 善福寺は和邇町に立地し、1477年開創と伝えられている。 また、明治時代の廃仏毀釈により、和邇坐赤比古神社の神宮寺から 仏像が善福寺に移座されている。 ...続きを見る

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2017/12/10 09:10
桜井市、宇陀市のお寺 (奈良県)
桜井市、宇陀市のお寺 (奈良県) 奈良県の桜井市と宇陀市のお寺一覧 ...続きを見る

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2017/11/14 09:18
満願寺 (奈良県桜井市) 八講桜
満願寺 (奈良県桜井市) 八講桜 桜井市今井谷の山里に、1本のシダレ桜が竹林を背に可憐な花を咲かせる。 かっては満願寺が建っていたが、今は廃寺となり集会所が建っている。 この桜は<八講桜>と呼ばれ、藤原鎌足を偲ぶ八講祭の時に植樹された ことから、その名がついたといわれている。 推定樹齢は300年といわれている。 小さな可憐な花だけに、華やかな姿ではないが、竹林との調和、 小高い処に咲くだけに、一つの風景を作っている。 ...続きを見る

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2017/11/14 09:14
長久寺 (奈良県山添村)
長久寺 (奈良県山添村) 山添村南東部に位置する<毛原(けはら)の里>は自然と文化遺産に 恵まれた山里である。 奈良時代に建立された<毛原廃寺>は唐招提寺にも匹敵する大寺 といわれたが、いつしか廃寺となり、今は礎石などが残る跡地のみである。 毛原廃寺が廃れた後に、毛原の里人の菩提寺として開創されたのが 長久寺と伝えられている。 明治時代に再興した智龍和尚は、裏山を整備し石仏などを安置し、 大師山を開山している。 桜やもみじ、カシなどの木々が四季折々の風景を作っている。 ...続きを見る

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2017/10/19 10:10
奈良市のお寺
奈良市のお寺 奈良県奈良市のお寺を紹介 ...続きを見る

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2017/09/25 20:30
阿対の石仏 (奈良県奈良市柳生下町)
阿対の石仏 (奈良県奈良市柳生下町) 奈良市東部、柳生の里を笠置に向って流れる打滝川に沿って県道4号 を、十兵杉から北に800mほどの川沿いに<阿対の石仏>が見える。 県道4号から小さな橋を渡った先に磨崖仏と祠に出会う。 この磨崖仏の中心に、阿弥陀如来が、左下に地蔵菩薩が浮彫り されている。室町時代の彫りといわれている。 この地蔵菩薩は子授かりのご利益があると、信仰が篤いらしい。 見応えのある磨崖仏で、柳生観光のスポットとなっている。 ...続きを見る

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2017/09/25 20:24
花園寺 (奈良県天理市) 石仏
花園寺 (奈良県天理市) 石仏 天理市を南北に通る古代の官道で、壬申の乱でもみられる<中ツ道> に面して建つ花園寺には、阿弥陀板碑石仏が造立されている。 1553年井戸城主・井戸良弘が父・覚弘(常弘)の菩提を弔うために 造立した供養碑である。 井戸城は、室町時代現在の石上市神社あたりに井戸氏が築城し、 1570年まで井戸氏の本拠であった。 井戸氏は地元の豪族として活躍し、江戸時代には旗本となっている。 ...続きを見る

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2017/09/01 09:32
常念寺 (奈良県広陵町広瀬)
常念寺 (奈良県広陵町広瀬) 常念寺は、1530年箸尾城主・箸尾為高(?)が引退後出家し、 楽誉浄海となってから箸尾氏の菩提寺として開創したのであろう と伝えられている。 箸尾氏は、中世の大和四家(筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏)の 豪族として、箸尾城を根拠に戦国時代1580年頃まで続いていた。 ...続きを見る

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2017/08/07 09:55
毛原廃寺 (奈良県山添村)
毛原廃寺 (奈良県山添村) 笠間川を眼下に望む山麓に小さな毛原集落があり、その一画に奈良時代の 大寺と考えられる毛原廃寺跡が保存されている。 奈良時代前期〜中頃のお寺と推定され、金堂跡、南門跡、中門跡の礎石が 残されている。 西塔、講堂などもあったと推定されている。 毛原廃寺は東大寺大仏殿建立のために施入された杣の東大寺領に あったことから、東大寺の末寺と推定されている。 ...続きを見る

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2017/07/04 09:36
青龍寺 (奈良県奈良市藺生町)
青龍寺 (奈良県奈良市藺生町) 藺生町(いうちょう)はかって都祁村にあって、合併によって奈良市に編入 された山農村地区である。 青龍寺の開創は不詳であるが、境内に安置されている宝篋印塔は 鎌倉時代末期の造立と考えられている。 この石塔は完形に近い状態で保存されており、貴重な資料となっている。 茅葺の本堂と石塔の妙が風景を作っている。 ...続きを見る

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2017/06/11 08:52
菅生寺 (奈良県吉野町)
菅生寺 (奈良県吉野町) 菅生寺は、7世紀後半に義淵僧正が竜門岳山腹に開創したと伝える龍門寺の 塔頭・龍華院が始まりと伝えられている。 龍門寺は岡寺と共に、開創された古代寺院であるが、応仁の乱(1467〜77年) の後に廃れ、現在は塔跡などが残されている。 龍華院も同様の道をたどったが、1808年再興され菅生寺として再出発し、 1980年尼僧によって再興されている。 なお、この地は菅原道真の生誕地という伝承があり、寺名もそこから 来ているらしい。 ...続きを見る

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2017/05/22 09:00
楽田寺 (奈良県田原本町) 田原本の古刹
楽田寺 (奈良県田原本町) 田原本の古刹 田原本町の市街地に建つ楽田寺は、729年開創されたと伝えられ、 823年弘法大師が訪れ真言密教の道場としたといわれている。 中世においては、興福寺の末寺として大いに栄えたといわれ、 室町時代には門前町を形成し、田原本町の基礎が築かれたと いわれている。 また、津島神社の神宮寺でもあった。 1685年に融通念仏宗のお寺になっている。 ...続きを見る

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2017/05/03 08:40
極楽寺 (奈良県川西町)
極楽寺 (奈良県川西町) 川西町、三宅町、田原本町の一部の八つの集落を八ヶ郷と呼び、その郷の 広大な共同墓地(八ヶ郷墓地)の中に極楽寺と安養院が建つ。 2寺院は墓地の墓寺である。 八ヶ郷墓地の歴史は古く古代から続いているといわれている。 墓地の中には古墳も残っている。 墓寺は平安時代の10〜11世紀に、末法思想のもとに設置され始めたと いわれ、その代表例が、藤原道長が宇治市木幡の藤原氏墳墓の中に 建立された浄妙寺である。 ...続きを見る

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2017/04/13 17:03
来迎寺 (奈良県大和郡山市)
来迎寺 (奈良県大和郡山市) 大和郡山市南部を東西に走る西名阪道の南に拡がる住宅地の中に、 鴟尾を掲げる豪壮な本堂が建つのが来迎寺である。 来迎寺の開創については不詳であるが、1697年現在地に 移ってきたといわれている。 境内も広く、伽藍も整備され堂々としたお寺の風景である。 歴史的な事象は不詳であるが、お寺の風景を堪能できるであろう。 ...続きを見る

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2017/03/26 10:12
極楽寺 (奈良県天理市)
極楽寺 (奈良県天理市) 天理市櫟本町といえば、万葉集の歌聖と呼ばれた柿本人麻呂の生誕地 といわれている。生誕地については諸説があるが、櫟本町は有力な説と いわれている。 そして、奈良時代に開創されたと伝えられる柿本氏の氏寺・柿本寺が 櫟本町に存在したが、明治時代の廃仏毀釈により廃寺となっている。 極楽寺には、柿本寺(しほんじ)の人麻呂ゆかりの寺宝が引き継がれて 極楽寺人麻呂顕彰会によって保管されている。 柿本寺跡は残されている。 柿本人麻呂の辞世の句  <石見のや高角山の間より我が振る袖を妹見つらむか... ...続きを見る

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2017/03/07 15:04
国分寺 (奈良県橿原市)
国分寺 (奈良県橿原市) 741年、聖武天皇は全国66ヶ国に国家鎮護を祈って国分寺と国分尼寺を 創建する詔を発している。 東大寺を総国分寺、法華寺を総国分尼寺として建立がなされているが、 大和国の国分寺は東大寺が兼ねるのが通説となっているが、一説には 大和国分寺として橿原市の国分寺を当てている。 橿原市国分寺の開創は不詳であるが、史料面からは天正年間には 存在した。 ...続きを見る

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2017/02/18 09:50
外山不動院 (奈良県桜井市)
外山不動院 (奈良県桜井市) 国道165号沿いの外山(とび)地区に入ると、大きな立看が目に入る。 小さなお寺であるが、歴史上も由緒のある外山不動院が道路側下に 建つ。 平安時代に宗像神社の神宮寺として開創されたと伝わる。 ここから南の多武峰にある藤原鎌足を祀る談山神社へ参詣する前に、 藤原一門の人達は外山不動院で身を清めてから参詣したといわれ、 山号に藤原山と名付けている。 ...続きを見る

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2017/02/01 14:12
名称寺 (奈良県大和高田市)
名称寺 (奈良県大和高田市) 名称寺の門前には堀の名残が残っているが、これは1570年から1580年まで 続いた本願寺と織田信長との石山合戦において、1572年から名称寺も 本願寺方に参戦した折に構築されたと伝えられている。 しかし、織田軍に攻められ名称寺も陥落している。 名称寺は、聖徳太子が建立したと伝えられる熊凝精舎の後継寺の百済大寺の 跡地に、1335年本願寺三代覚如上人が和州百済二條道場として開創した のが始まりと伝えられている。 1455年現在地に移転し、1490年蓮如上人も訪れている名門である。 ... ...続きを見る

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2017/01/16 09:25
与楽寺 (奈良県広陵町)
与楽寺 (奈良県広陵町) 田畑の中に建つ与楽寺の開創は不詳であるが、弘法大師の伯母による 開創ともいわれている。 お寺に伝わる十一面観音立像からも奈良時代後期の開創と推定できる かも。 1233年銘の十一面観音立像(鞘仏)の補修の際、胎内から見つかった 十一面観音立像がマユミの木で造られた渡来仏である。 恐らく遣唐使によって請来されたと考えられている。 また、本尊の弘法大師坐像は1373年の造像で、銘の入った弘法大師像 として貴重な資料となっている。 ...続きを見る

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2016/12/27 09:59
阿日寺 (奈良県香芝市) ぽっくり寺
阿日寺 (奈良県香芝市) ぽっくり寺 西に二上山を望む小丘に建つ阿日寺の地は、<往生要集>を著し浄土信仰 の契機となった恵心僧都源信の生誕地と伝えられている。 (生誕地については諸説あり) 僧都は942年に生まれ、950年比叡山に入り僧としての修行を行う。 985年往生要集を著し、母の臨終にあたり、母に浄衣を着せ母と共に 念仏を唱え、母は安楽往生されたと伝えられている。 僧都は阿弥陀如来を刻み、念仏を唱えられたといわれ、この阿弥陀如来像 は下の世話をかけずに安楽往生できると人々に伝承された。 この阿弥陀如来像が後に、... ...続きを見る

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2016/12/08 15:09
不動院 (奈良県山添村) 領主・奥田氏の菩提寺
不動院 (奈良県山添村) 領主・奥田氏の菩提寺 不動院は天正年間(1573〜92年)に開創され、江戸時代になって 山添の領主で徳川幕府の旗本であった奥田氏の菩提寺となっている。 近くの山城であった大和畑城を築城した奥田忠高は、豊臣秀長などの 大和国主に仕えたが、関ヶ原の戦いでは徳川家康に従い戦功を挙げ、 山添などの領地を安堵されている。 子孫は旗本として3,300石を領している。 ...続きを見る

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2016/11/21 08:59
青蓮寺 (奈良県宇陀市菟田野) 中将姫ゆかりの寺
青蓮寺 (奈良県宇陀市菟田野) 中将姫ゆかりの寺 国道166号を菟田野宇賀志地区に入ると、<青蓮寺>の標識が ある。そこを入り、途中から杉林の林道を1kmほど山中へ。 林道の終点に手水舎が見えてくる。 そこから徒歩で山の参道を登ること数分。質素な山門が見えほっとする。 樹林に囲まれた山寺である。所々に桜が咲いて一つの風景を造っている。 ...続きを見る

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2016/11/01 09:02
城福寺 (奈良県奈良市都祁) 里山の隠れ寺
城福寺 (奈良県奈良市都祁) 里山の隠れ寺 都祁(つげ)は2005年奈良市に編入合併した都祁村であり、大和高原に 位置する高原の村であった。 城福寺は、その典型的な里山にあって、山裾にひっそりと建つ無住の お寺である。 里山とお寺の妙を楽しむにはもってこいの風景ではないだろうか。 城福寺の始まりは、聖徳太子の開創した一坊といわれているが、その 詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2016/10/12 10:41
観音院 (奈良県奈良市) 東大寺塔頭
観音院 (奈良県奈良市) 東大寺塔頭 <観音院サロン>として知られる東大寺塔頭の観音院は、その開創については 不詳であるが、206世東大寺別当・上司海雲が別当になる前に、住職を 務めた塔頭である。 志賀直哉が奈良高畑に居住した(1929〜38年)間に、文人が集い <高畑サロン>とよばれていた。その間上司海雲と親交を深めている。 志賀直哉が鎌倉へ移ってから、海雲は観音院を文人に開放し、多くの 文人が集い<観音院サロン>と呼ばれている。 奈良に脈々と続いた文人の息吹が観音院に残っていた。 ...続きを見る

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2016/09/24 09:09
薬師寺 (奈良県吉野町山口) <重文>宝篋印塔
薬師寺 (奈良県吉野町山口) <重文>宝篋印塔 吉野町津風呂ダム湖の北にある吉野山口神社に向う。 山口集落に入って、神社の左手100mほどの山裾に建つ薬師寺に 到るが、薬師寺は名前だけが残る廃寺同然の集会所となっていて、 宗派など全く不詳であった。 しかし、ここに1276年建立で重要文化財指定の宝篋印塔がある。 地図にも薬師寺(山口集落)はなく、探索には一苦労ではあったが、 その努力は報われる。 ...続きを見る

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2016/09/05 09:15
極楽寺 (奈良県安堵町) 広島大仏
極楽寺 (奈良県安堵町) 広島大仏 極楽寺大仏殿に祀られている<広島大仏>と呼ばれている4mほどある 阿弥陀如来坐像は数奇な運命を背負って極楽寺に祀られた。 1949年原爆死没者らを弔うために、広島県三段峡のお寺から広島市の 唯信寺へ移座され、1950年爆心地(原爆ドーム)の隣にあった西蓮寺へ 移された。 1955年まで原爆被災者慰霊の仏として供養を果たしていた。 その年に所有権の縺れから広島県五日市のお寺へ移されてから、 広島大仏の所在は不明となった。 1990年代になって、極楽寺が古物商から広島大仏とは知らずに... ...続きを見る

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2016/08/19 10:04
本光明寺 (奈良県田原本町)
本光明寺 (奈良県田原本町) 831年東寺から高野山へ向う途次に、当地で自らの大師像を彫り 祀ったのが勝楽寺と伝えられている。 この勝楽寺は弘法大師ゆかりの大和三楽寺(与楽寺、勝楽寺、秦楽寺)の 一つで弘法大師信仰の篤いお寺であったといわれている。 明治時代になって廃寺となり、1898年天理市にあった本光明寺が この廃寺と合併して移ってきている。 本尊弘法大師像は勝楽寺の本尊を引き継ぎ、重文の十一面観音像は 天理市から移している。 ...続きを見る

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2016/08/02 08:52
万福寺 (奈良県大和郡山市)
万福寺 (奈良県大和郡山市) 金魚のルーツは中国で、1502年日本に渡来したといわれる。 大和郡山市は日本三大金魚生産地の一つで、かっては日本一であった。 現在では、愛知県弥富町が日本一の生産地になっている。 大和郡山で金魚の養殖が始まったのは、1724年大和郡山藩主が 産業振興の施策として奨励したことに始まる。 大和郡山市新木町を中心に養魚池が拡がり、その中心部に万福寺 がある。 万福寺の開創については不詳であるが、1952年現在地より東1.5km の郡山八幡神社より移転している。 ...続きを見る

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2016/07/15 09:30
上宮寺 (奈良県明日香村) 飛鳥のビューポイント
上宮寺 (奈良県明日香村) 飛鳥のビューポイント 明日香村から談山神社へと通ずる県道155号沿いに、石舞台古墳の東500m の小高い山に建つ上宮寺からは、<稲渕の棚田>、<石舞台古墳>、 <明日香村>、遠くに二上山、葛城山、金剛山と連なる山並を展望できる。 その眺望は飛鳥のビューポイントといわれるだけのものがある。 この眺望に浸って飛鳥時代を想起する! 上宮寺の開創については不詳であるが、聖徳太子の生誕地という伝承も 残るお寺である。 お寺の正式名<仏生山上宮皇院上宮寺>からも色々な伝承があるのだろう。 ...続きを見る

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2016/06/27 09:26
真証寺 (奈良県宇陀市菟田野) シブナシガヤ
真証寺 (奈良県宇陀市菟田野) シブナシガヤ 真証寺の裏山の旧境内に生えるシブナシガヤの樹齢は不明であるが、 相当の古木である。 シブナシガヤは、<白米ガヤ>とも呼ばれ、種子は渋皮が新鮮なうちは 種心に密着しているが、乾燥すると剥がれて白米のようになる珍しいカヤ の一種である。 国指定天然記念物のシブナシガヤは3本で、真証寺のそれは奈良県の 天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2016/06/08 09:17
地蔵院 (奈良県奈良市都祁吐山)
地蔵院 (奈良県奈良市都祁吐山) 合併で奈良市に編入された旧都祁村の吐山(はやま)は、針インターから 国道369号を南下した都祁南端にある集落である。 少し高台に土塀を廻らせた瀟洒なお寺が地蔵院である。 地蔵院には、非常に珍しい鉄造十一面観音立像が祀られている。 像高26cmと小さい仏像であるが、鉄造として古い鎌倉時代の作である。 また、1563年の石造地蔵菩薩が境内祠に祀られている。 ...続きを見る

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2016/05/20 09:10
千万院 (奈良県田原本町) 聖徳太子ゆかりの地
千万院 (奈良県田原本町) 聖徳太子ゆかりの地 聖徳太子の側近・秦河勝の祖先は6世紀に朝鮮経由で大陸から渡来した楽人で、 当初田原本町に住み、秦氏の影響が強かった。 その後、現在の京都市右京区にも移り住んでいる。 秦河勝はその秦氏の族長で、田原本町にも一時住み聖徳太子に仕えている。 聖徳太子が615年法起寺を田原本町に開創し、秦河勝に与え、秦氏の氏寺 としたと伝えられている。 法起寺は後に法貴寺となり、大寺として栄えたといわれている。 その法貴寺の数ある塔頭の一つが千万院であり、江戸時代には 千万院と本坊のみが残る衰退を経てい... ...続きを見る

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2016/05/05 19:48
天益寺 (奈良県宇陀市大宇陀) シダレ桜
天益寺 (奈良県宇陀市大宇陀) シダレ桜 大宇陀は古代では阿騎野とよばれ、宮廷の狩場であった。 柿本人麻呂が阿騎野で詠んだ歌  <ひむかしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾ぬ> 大宇陀は江戸時代前期に宇陀松山藩が置かれた城下町で、1615年から 織田信長の次男・織田信雄が藩主になり、1695年廃藩になるまで織田氏 が藩主を勤めている。 織田3代目・長頼が眼病平癒で祈願したといわれているのが天益寺である。 大宇陀西方の小高い所にシダレ桜が目につく。 ...続きを見る

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2016/04/15 21:13
教安寺 (奈良県宇陀市室生) シダレ桜
教安寺 (奈良県宇陀市室生) シダレ桜 2016年4月5日の訪問 室生寺から室生川沿いに3km南下した室生下田口集落にある無住のお寺が 教安寺である。 シダレ桜が2本あり、推定樹齢は200年。 附近を流れる室生川沿いの桜も見事。 教安寺の開創は不詳である。 ...続きを見る

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2016/04/08 09:10
西光寺 (奈良県宇陀市室生) 城之山桜
西光寺 (奈良県宇陀市室生) 城之山桜 2016年4月5日、室生寺の西に位置する小高い所にあって、室生寺を見下ろす 西光寺のシダレ桜は<城之山桜>と呼ばれ、推定樹齢は400年。 無住の西光寺の開創は1580年である。 ...続きを見る

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2016/04/05 20:53
神野寺 (奈良県山添村)
神野寺 (奈良県山添村) 神野山(619m)南麓にあって大和茶の茶畑が周囲に拡がる神野寺は、 740年一心院として開創されたのに始まると伝えられている。 平安時代初期の清和天皇が出家後、上皇として畿内巡幸の旅に 出て神野寺も巡拝されたといわれている名刹である。 度々の火災に遭い、かっての大寺の面影はないが、神野山の自然に 包まれた山寺の風景が古の面影を醸し出している。 神野山登山を兼ねて再度訪問してみたい。 ...続きを見る

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2016/03/31 09:54
西方寺 (奈良県山添村) 快慶作阿弥陀如来立像
西方寺 (奈良県山添村) 快慶作阿弥陀如来立像 名張川に沿って山裾に張り着く広瀬集落の小学校跡地に、鉄筋コンクリート造りの 西方寺収蔵庫が建っている。 名張川に架かる広瀬橋から広瀬集落を望むと正面に収蔵庫が見える。 この収蔵庫に快慶造像の阿弥陀如来立像が祀られている。 1956年調査の結果、左足の臍に<巧匠アン(梵字)阿弥陀仏>の墨書が 見つかり、快慶の作と確認され、翌年重要文化財に指定された。 この仏像の由来は不詳であるが、西方寺が伊賀市九品寺の末寺であった ことから、九品寺から移座されたのではと推定されている。 現在は、広... ...続きを見る

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2016/03/27 09:22
御所市、五條市のお寺 (奈良県)
御所市、五條市のお寺 (奈良県) <御所市のお寺> ...続きを見る

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2016/03/10 09:30
弥勒寺 (奈良県御所市)
弥勒寺 (奈良県御所市) 大和盆地の南端・風の森峠の南にある東佐味集落に建つ弥勒寺は、 1348年足利尊氏の側近・高師直(こうのもろなお)が南朝の本拠 吉野に攻め入り堂宇を焼き払った後、風の森峠を越えて京へ戻る 途次に高天寺などを攻めているが、この兵火に遭って焼失したと 伝えられている。 この焼失前の伽藍は楠氏によって建立されたと伝えられている。 1579年再興されたが、その後も災難に遭っている。 ...続きを見る

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2016/03/10 09:26
持聖院 (奈良県三郷町) 一針薬師笠石仏
持聖院 (奈良県三郷町) 一針薬師笠石仏 2013年持聖院の裏山(惣持寺跡)に安置されていた<一針薬師笠石仏>の 調査が行われ、仏師快慶の作ではないかと報告されている。 この笠石仏が惣持寺の塔頭であった持聖院に移し安置されている。 拝観できなかったが再度挑戦してみたい。 惣持寺の開創は不詳であるが、聖徳太子ゆかりの寺で、鎌倉時代初期に 解脱上人貞慶が再興し、薬師如来を本尊として祀ったといわれている。 戦国末期に惣持寺、持聖院も兵火によって焼失したが、江戸時代前期に 持聖院は再興され、惣持寺の法灯を引き継ぎ寺宝も引き継いでい... ...続きを見る

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2016/02/21 09:33
宮前寺 (奈良県下市町)
宮前寺 (奈良県下市町) 法然上人と親鸞聖人の弟子であった聖空が下市の郷に1208年堂宇を 建てたのが、吉野への浄土真宗布教の第一歩といわれる。 1459年蓮如上人が吉野に入って、本格的な浄土真宗の布教が 始まっている。 蓮如上人は下市にあった念仏道場の一つに宮前寺の寺号を与えている。 その後、宮前寺、弘願寺、瀧上寺の三寺は<吉野三僧>と呼び、 吉野での布教に努めたといわれている。 ...続きを見る

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2016/02/05 09:53
洞泉寺 (奈良県大和郡山市)
洞泉寺 (奈良県大和郡山市) 洞泉寺は、1313年霞渓の地(豊田市保見町)に法相宗のお寺として 開創されたと伝えられ、1468年浄土宗になって後、夏焼の地(豊田市小坂本町) に移転している。 1581年宝誉和尚が分寺して大和郡山の長安寺村に洞泉寺を建立している。 1585年大和郡山城主・豊臣秀長の意向により現在地に移転している。 (豊田市小坂町にも洞泉寺は存在している) ...続きを見る

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2016/01/19 09:26
観音寺 (奈良県三郷町)
観音寺 (奈良県三郷町) 信貴山(437m)の南東麓に拡がる三郷町は造成された住宅地が拡がり、 大阪への通勤住宅地になっている。 そんな住宅地に囲まれた一角にこじんまりと観音寺は建っている。 探すのに苦労した挙句に留守で拝観できず引き揚げた。 ここに藤原時代初期の<重文>地蔵菩薩立像が残されているとは。 観音寺の開創については不詳である。 ...続きを見る

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2016/01/04 09:25
仙光寺 (奈良県斑鳩町)
仙光寺 (奈良県斑鳩町) 竜田川に架かる竜田大橋の東北丘陵地の住宅地に建つ小さなお寺が 仙光寺である。 仙光寺の由緒には二つの伝承がある。 一つは、龍田神社本宮の神宮寺であった。 二つには、法隆寺の末寺で、聖徳太子に法隆寺建立の地を伝えた仙人が 住んでいた。 開創については不詳である。 客仏の十一面観音立像は明治時代に移座されたといわれている。 ...続きを見る

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2015/12/15 09:29
斑鳩の里 (奈良県斑鳩町) 初冬の風景
斑鳩の里 (奈良県斑鳩町) 初冬の風景 <2015年12月5日晴れ> 法隆寺〜竜田川〜三郷〜法輪寺〜法起寺と斑鳩の里を巡る。 初冬とは思えぬ暖かさ。 ...続きを見る

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2015/12/05 21:06
法隆寺 (奈良県法隆寺) 2015年の紅葉
法隆寺 (奈良県法隆寺) 2015年の紅葉 <2015年12月5日晴れ> 法隆寺も久しぶりの参拝だが、彩りが以前に比して目立つようになった。 国宝伽藍に加えて、花木の存在が一層伽藍を映えさせている。 桜と紅葉の植生が進行中で、季節感が法隆寺を包んでいる。 ここ数日の冷え込みで、紅葉の色づきもよくなっているようだ。 ...続きを見る

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2015/12/05 20:11
浄慶寺 (奈良県大和郡山市)
浄慶寺 (奈良県大和郡山市) 大和郡山市の洞泉寺地区は、木辻町・東岡町とともに奈良三大遊廓の 一つで、江戸時代から繁盛したといわれている。 その洞泉寺町の遊廓・木造3階建ての建物・旧川本邸は1924年建立 で、1956年まで営業していた。 現在は大和郡山市が維持管理し、催しものなどの会場となっている。 その建物の横に、浄慶寺がある。 ...続きを見る

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2015/11/28 13:24
常念寺 (奈良県平群町)
常念寺 (奈良県平群町) 常念寺の所在地である椿井の由来には次のような伝承がある。  6世紀後半、排仏派の物部守屋との戦いに苦戦している時に、 聖徳太子軍の平群神手将軍がこの地に椿の杖を突き立て、 戦勝を祈願した。 一夜にして杖が芽吹いて葉が茂り冷泉が湧き出し、この水を 聖徳太子や兵共々飲み、勢いが盛り上がり、物部軍に大勝したと。 この冷泉の井戸を椿井井戸と受け継がれ、椿井の地名が 生まれたと伝承されている。 この井戸は常念寺の前にある。 ...続きを見る

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2015/11/07 19:16
蓮花寺 (奈良県明日香村)
蓮花寺 (奈良県明日香村) 明日香村石舞台古墳から談山神社へと登る途中にある細川集落の山手に 石垣を積み上げた蓮花寺が佇む。 開創については不詳であるが、鎌倉時代後期と推定される十三重石塔が 建つ。この石塔は本来十三重石塔のはずが、十四重石塔となっており、 いつかの時代に一層増やされている。 鎌倉時代の石塔だけに、文化財に指定されてもおかしくないが、この修正 が影響して文化財になっていないのか。 ...続きを見る

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2015/10/19 08:39
順明寺 (奈良県橿原市)
戦国時代に称念寺を核とする寺内町が形成され、江戸時代にはその形態を 残しつつ商売の町として発展した。 現在も江戸時代の町並みが保存され、日本で最大の重要伝統的建造物群 保存地区になっている。 その今井町にあって、称念寺は<南の御堂>と呼ばれ、真北にある順明寺は <北の御堂>と呼ばれて、今井町を形成している。 ...続きを見る

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2015/10/02 08:56
慈恩寺阿弥陀堂 (奈良県桜井市)
地名ともなっている慈恩寺は奈良時代に開創され、隣地の玉列神社の 神宮寺として大いに栄えたといわれるが、南北朝時代に廃寺となり、 現在は阿弥陀堂だけが集落の人々によって護られたいる。 阿弥陀堂前のケヤキの古木は推定樹齢800年といわれ、雷で損傷を 受けたが、生命力を保っている。 また、裏山は椿の見所となっている。 ...続きを見る

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2015/09/13 09:39
長谷本寺 (奈良県大和高田市)
日本最古の官道といわれる横大路は、大和と難波を結ぶ大道で、 飛鳥時代には外国使臣がさかんに往来し、異国文化を伝えた国際路線 であった。 中世以降は、長谷寺、伊勢神宮参拝の道路として長谷街道とか 伊勢街道と呼ばれた。 この横大路に面する長谷本寺が観音堂と呼ばれたのは、長谷寺本尊 と同じ木から彫られた十一面観音像が祀られているとの伝承による。   長谷本寺は710年に開創されたと伝わり、数多くの古仏が伝えられて いる。 かっては、大寺であったといわれるが、明治時代になって境内も狭... ...続きを見る

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2015/08/30 09:05
如意輪寺 (奈良県吉野町吉野山)
吉野山の中千本は、桜の時期には行列ができる花見客で溢れる。 その中千本に建つ如意輪寺は、鎌倉時代末期〜南北朝時代初期 における歴史を語る名刹である。 この時期を少し振り返ってみよう。 1333年 新田義貞が鎌倉幕府を倒し、鎌倉時代は終わる        後醍醐天皇が親政を開始する(建武の中興) 1336年 楠木正成が湊川の戦いで足利尊氏に敗れ自害する。        後醍醐天皇は吉野に逃れ、南朝を開く。        これ以降、京の北朝・吉野の南朝と南北朝廷の時代に入る。 13... ...続きを見る

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2015/08/13 08:48
円融寺 (奈良県大和郡山市) 赤膚焼・奥田木白の菩提寺
赤膚焼の始まりは不詳であるが、現在の奈良市中町の赤膚山に茶陶の 窯が豊臣秀長によって開かれたのが本格的な始まりといわれている。 江戸時代になって、三大茶人・小堀遠州が好んだ遠州七窯の一つに 数えられている。 江戸時代末期に、奥田木白が赤膚焼を中興し世に広めている。 現代では、伝統工芸赤膚焼として六つの窯がある。 ...続きを見る

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2015/07/30 20:56
勝福寺 (奈良県御所市) 笠塔婆
笠塔婆は下記のような形をした石塔で、平安時代後期から現れ、鎌倉時代後期 に多く建てられた供養塔である。 勝福寺の笠塔婆は、境内から100mほど離れた田畑の中に建っており、 1270年の建立と考えられている。 奈良県では、般若寺(奈良市)の1261年に次いで古い笠塔婆である。 ...続きを見る

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2015/07/13 15:11
瀧上寺 (奈良県下市町)
吉野の入口として位置付けられていた往古に下市において、浄土真宗 の二寺が大いに役割を果たしたといわれている。 その二寺が瀧上寺と願行寺である。 瀧上寺は1208年に開創され、秋野川沿いに秋野川門徒を形成し、 1495年蓮如上人が瀧上寺に逗留して願行寺を開創したといわれている。 江戸時代には、吉野真宗の中心として、瀧上寺は学寮を開いて弟子の 育成に務め、願行寺は門前町を形成し、下市の町形成に貢献している。 ...続きを見る

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2015/06/30 08:52
妙楽寺 (奈良県大淀町)
奈良県高取町〜壺阪寺〜壺阪峠〜大淀町安佐〜大淀町馬佐〜吉野川と 壺阪峠を越えてくる道を大淀古道と呼んで、奈良から吉野川に至る 最短道路として古にはよく利用されたらしい。 現在は、難路といわれほとんど使われない。 その古道沿いの安佐にあった古刹のお寺(現在は廃寺)の古仏が 三ヶ寺に移座され、その内の一つが妙楽寺である。 薬師如来坐像、十一面観音立像、地蔵菩薩立像の三体がそれである。 ...続きを見る

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2015/06/16 09:28
光慶寺 (奈良県大和郡山市)
1028年比叡山の僧・皇慶阿闍梨によって、現在の京都府八幡市岩田に 開創された天台宗のお寺が光慶寺と伝えられている。 室町時代、光慶住職が蓮如上人に帰依して浄土真宗に改宗し、光慶寺 となっている。 1601年頃大和郡山城下に移転し、1617年現在地に移っている。 明治維新までは、中本山として北大和の浄土真宗中核寺院として 大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2015/05/30 13:35
宝国寺 (奈良県御所市) 瓦岩
本堂前の松の根元に安置されている<瓦岩>は、  古に瓦を寄進しようとした人がいましたが、その人が仏の教えに叛く行為 をした為に、仏の怒りをかい、一夜の内に瓦が変じて岩になったとのこと。 仏法に帰依する規範を後世に伝えるために<瓦岩>と名付け安置した。 いつしか病気平癒に霊験あらたかといわれ、患部を擦った手でこの瓦岩を 撫でると病が、特に癌が癒えると伝わった。 この瓦岩はパワースポットとして関心を集めているそうだ。 ...続きを見る

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2015/05/15 09:07
弘願寺 (奈良県吉野町吉野山) 関屋地蔵
吉野山ロープウェイ山上駅から金峯山寺黒門へと向かう辺りの桜を <関屋桜>と呼んでいるが、かっては、この辺りに関所があったことから 呼ばれているらしい。 <関屋桜跡>の石碑も建っている。 この辺りに安置されていた1515年造立の地蔵尊を<関屋地蔵>と呼び、 それが黒門を越えて右手に建つ弘願寺に明治時代初期祀られ、 この地蔵尊は歯のことにご利益があると篤い信仰を集めている。 ...続きを見る

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2015/05/01 09:15
地福寺 (奈良県五條市)
金剛山(1125m)は役行者の修行地として、現在はロープウェイもあり 観光地として賑わっている。 役行者が開創した転法輪寺を中心に金剛山七坊<大宿坊、清泉、西室坊、 行者坊、実相坊、長床坊、大黒堂>が山頂にあったと伝えられている。 その中の行者坊が地福寺の始まりと伝えられている。 1859年現在地に再建され、1868年神仏分離により転法輪寺が廃寺 となって、1871年転法輪寺の本尊・法起菩薩が地福寺に移座されている。 1876年新たに法起菩薩が造像され、地福寺の本尊となっている。 ... ...続きを見る

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2015/04/19 09:16
大日寺 (奈良県吉野町吉野山)
吉野山中千本にヒッソリと建つ大日寺は、役行者の高弟・日雄角乗が白鳳時代に 開創したと伝わる日雄寺の跡地に建立されたといわれている。 日雄寺が室町時代に焼失した折に、五智如来像は助け出され、それを安置する 大日寺が建立されたと。 本尊の五智如来像は重要文化財に指定された数少ない仏像である。 東寺(京都市)、安祥寺(京都市)などの例がある。 ...続きを見る

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2015/04/04 14:02
真言院、勧学院 (奈良県奈良市) 東大寺塔頭
東大寺南大門を入って中門に向って参道を歩む。右手に鏡池、左に土塀に 囲まれた真言院・勧学院。 真言院境内の中に勧学院が同居する形になっている。 土塀の南門が真言院の表門、東門が勧学院の表門となっている。 これは、821年開創の勧学院が盛衰を経て、真言院の灌頂堂を受けて 現在の勧学院となり、東大寺の諸々の講座が開催されている。 ...続きを見る

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2015/03/21 09:43
観音寺 (奈良県五條市野原西)
高校野球の名門・智辯学園を東に望み、北には代官跡の岡松家長屋門を 見る地に建つ観音寺のシダレ桜が目立つ。 観音寺の開創は不詳であるが、寛文年間(1661〜73年)に浄土宗に なっている。 境内には1669年銘の石燈籠があり、その頃の再興と思われる。 ...続きを見る

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2015/03/06 09:04
常念寺 (奈良県大和郡山市)
大和郡山城の外堀の一部を整備して外堀緑地公園となっているが、その 北端に位置するのが常念寺である。 公園に接して白壁の塀が調和し、散策する人にも一つの景観を提供している。 常念寺は、現在の平群町から大和郡山に天正年間(1573〜92年)移り、 18世紀初めに現在地に移っている。 大和郡山藩主からも寄進を受けたり、家老の菩提寺でもあった。 ...続きを見る

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2015/02/20 09:47
融念寺 (奈良県斑鳩町)
融念寺に所蔵されている地蔵菩薩立像と聖観音立像は重要文化財に 指定されている。 特に、裾をつまんだ姿の地蔵菩薩は非常に珍しく、私も他に例をみていない。 この2体の仏像は、すぐ近くの三室山・神岳神社の神宮寺であった神南寺 が廃寺になって融念寺に移座されたといわれている。 神岳神社や神南寺は聖徳太子が斑鳩宮を造営するに際し、産土神を祀る ために創建されたとも伝えられている。 ...続きを見る

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2015/02/06 09:25
威徳院 (奈良県明日香村)
明日香村から談山神社への道が山頂に近づく右手の林道を入る。 1kmほど進むと6世帯の尾曽集落に威徳院が見える。 集落から明日香村が望め、全くの孤立集落といえよう。 誰かが<天空の村>と呼んでいる。 ...続きを見る

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2015/01/21 09:23
常光寺 (奈良県大和高田市) 大和高田城主・当麻氏の菩提寺
大和高田城は、地元の豪族・当麻為貞(祖先は聖徳太子の弟・麻呂子親王とも 伝えられる)によって1432年築城されたと伝えられ、天正年間(1573〜92年) 筒井順慶によって落城し、1583年当麻氏は滅んだといわれている。 高田城主の当麻氏を高田氏ともよばれている。 大和高田城は常光寺の境内を含めて北側にあったと考えられている。 ...続きを見る

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2015/01/07 09:43
影現寺 (奈良県葛城市) 柿本人麻呂の墓碑
万葉集の第一の歌人、歌聖ともいわれる飛鳥時代の柿本人麻呂の生没年は 確定的でないが、660〜720年頃と考えられ、石見国(島根県)で亡くなった といわれている。 770年石見から改葬して、社殿を建て人麻呂を祀る柿本神社が葛城に開創 されたと伝えられている。 858年柿本神社の境内に別当寺として開創されたといわれるのが影現寺である。 柿本人麻呂を祀る神社は他に  兵庫県明石市、和歌山県海南市、島根県益田市などに柿本神社がある。 ...続きを見る

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2014/12/25 09:53
源龍寺 (奈良県五條市) 雛の寺
毎年4月第1日曜日に行われる<流し雛>の行事は五條市の風物詩として マスコミに取り上げられている。 源龍寺で雛供養を行い、着物を着飾った女の子たちが竹の皮に 色紙で作った雛を乗せて吉野川に流し、病封じなどを祈願する行事である。 これと同様の<流し雛>は鳥取市用瀬町、兵庫県たつの市など各地に 民俗行事として伝わっている。 ...続きを見る

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2014/12/10 09:46
良玄禅寺 (奈良県大和郡山市)
1639年本多政勝が大和郡山藩主になると、祖父であり徳川四天王の 本多忠勝が開創した千葉県・良玄寺の分寺として大和郡山に良玄寺を 開創している。 1685年本多忠平が藩主となると、宇都宮から雲幻寺を良玄寺の地に 移して雲幻寺とし、1981年まで続いた。 1964年本多政勝の墓碑が発見され、1981年良玄禅寺と改名している。 良玄禅寺は本多政勝の菩提寺である。 ...続きを見る

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2014/11/27 09:30
勝林寺 (奈良県斑鳩町)
狭い路地が入り組んだ斑鳩町高安の住宅街の中にこじんまりと建つ勝林寺 には三躯の重要文化財仏像があるが、現在は奈良国立博物館に寄託されて いる。 もともとは安堵町にあった高安寺(廃寺)の旧仏で明治初期に移座された。 勝林寺は、戦国時代に松永久秀が築いた高安城の鎮護寺として開創したと 伝えられている。 ...続きを見る

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2014/11/08 09:00
専称寺 (奈良県明日香村)
石舞台古墳の南に位置する祝戸集落にあって、石仏の探索には立ち寄りたく なる専称寺がある。 境内入口の石仏群、観音堂に祀られる石造如意輪観音など鎌倉時代に 遡るものがある。 専称寺の開創については不詳である。 ...続きを見る

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2014/10/25 09:19
興福寺 (奈良県橿原市) 八釣山地蔵尊
6世紀末、排仏派の物部守屋が飛鳥の橘寺に火を放った時、金堂に祀って あった地蔵尊が天香具山に逃れ、それを知った聖徳太子が山麓にお堂を 建てて地蔵尊を祀ったという伝承が残っている。 興福寺の開創は不詳であるが、それが始まりと伝えられている。 八釣山地蔵尊といつしか呼ばれるようになったと言われている。 ...続きを見る

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2014/10/06 10:00
玄賓庵 (奈良県桜井市) 山の辺の道の庵
大神神社から檜原神社に通じる山の辺の道沿いに建つ玄賓庵は、平安時代初期に 桓武天皇や嵯峨天皇の病気平癒の祈願をして大僧都の任を与えられたが、 これを辞退した玄賓が三輪山中に草庵を設けて隠棲したことに始まると 伝えられている。 当初は山中にあったが、明治時代に現在地の山麓に移っている。 ...続きを見る

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2014/09/24 09:15
龍洞院 (奈良県下市町) 
吉野川の南に位置する下市町は人口6200人強の山里で人口減少が 続いている。 下市町にあって唯一の重文指定仏像が龍洞院の阿弥陀如来坐像である。 藤原時代の様式を持ち、胎内から江戸時代の文書が発見されている。 龍洞院は1250年の開創と伝えられているが、阿弥陀如来の由来に ついては不詳である。 ...続きを見る

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2014/09/04 08:38
慶雲寺 (奈良県葛城市) 
葛城南部の豪族・布施氏は平安時代末期から活躍を開始し、室町時代 には筒井氏とも交流し、戦国時代には葛城山中腹の布施城を拠点に 筒井順慶を支援している。 1516年布施行種が古寺を現在地に移し慶雲寺として、布施氏の 菩提寺としている。 ...続きを見る

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2014/08/08 10:18
弥勒寺 (奈良県大和高田市) <重文>弥勒仏坐像
弥勒寺は、永享年間(1429〜41年)土庫城主になった当麻高田氏一族の 当麻為重(土庫当太郎)の子孫が1538年土庫氏の菩提寺として開創したと 伝えられている。 開創時に、當麻寺から本尊として弥勒仏を迎えて祀ったのが現在の本尊 弥勒仏坐像といわれている。 10〜11世紀の造像と考えられている弥勒仏坐像は平安時代前期の様式 を残す貴重な仏像として重要文化財に指定された。 ...続きを見る

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2014/07/14 08:58
生蓮寺 (奈良県五條市) 
生蓮寺の本尊・地蔵菩薩は<雨晴れ地蔵>と呼ばれ、晴れを願い、ある時は 雨を願う祈願のお地蔵さんとして親しまれきたそうだ。 雨乞い祈願の寺社はよく耳にするが、晴れ乞い祈願の寺社は聞いたことがない。 てるてる坊主が代表されるように、ささやかな願いでもあるのだろう。 本尊・地蔵菩薩坐像は328cmの像高で、1570年の造立である。 ...続きを見る

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2014/07/04 08:58
浄願寺 (奈良県葛城市) 子授け寺
古来、子授け寺として知られる浄願寺は奈良時代前半に開創されたと伝えられ、 文徳天皇(850〜858年在位)が明子皇后の男子出産を祈願して、その願いが 叶ったことから<文徳天皇ゆかりの子授け寺>と呼ばれるようになったと いわれている。 文徳天皇は30歳の若さで崩御されている。 現在も全国から子授け祈願に参拝者が多いとか。 ...続きを見る

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2014/06/24 09:15
連城寺 (奈良県奈良市) 
大和に拠点を置く古代豪族紀氏(紀伊の紀氏もある)は7世紀後半〜平安前期 に栄えた古代豪族で、朝廷にも重用されている。 一族に歌人・紀貫之がいる。 この紀氏が天智天皇の頃、飛鳥に氏寺として建てたといわれる紀寺が、 平城遷都にともない平城京に移り大いに栄えたといわれる。 その後、平安時代初期に紀有常が再興し、連城寺として続いていると いわれている。 現在は、小さなお寺であるが、地名にも残る紀寺は大寺であったろう。 ...続きを見る

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2014/06/16 09:22
願行寺 (奈良県下市町) 
1468年10月蓮如上人は高野山に登り、十津川〜吉野と布教に 巡る途次、下市に立ち寄り、14世紀に設けられたと伝えられる念仏道場 <秋野坊舎>を訪れて、お寺として願行寺を開創したといわれている。 14世紀の初期には下市念仏集団があり、瀧上寺が拠点であったと いわれている。 1476年吉野に蓮如上人が開創した本善寺と共に、奈良南部の真宗拠点 となっている。 本善寺は飯貝御坊、願行寺は下市御坊と呼ばれ大いに栄え、下市寺内町 が形成されている。 ...続きを見る

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2014/06/07 11:25
石光寺 (奈良県葛城市) 関西花の寺二十五霊場第20番
ボタンとシャクヤクで関西花の寺霊場となっている石光寺は、二上山麓に あり、天智天皇の勅願によって開創されたと伝えられている。 1991年の弥勒堂改築の折に行われた発掘調査により、白鳳時代の 石仏が出土し、開創を裏付ける資料として貴重な発見といえよう。 近くには當麻寺がり中将姫伝説の一翼を担っている。 ...続きを見る

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2014/05/21 09:22
大師寺 (奈良県宇陀市) 平井大師
大師山(437m)の山腹に四国八十八ヶ所霊場を模したミニ霊場があり、 幕末の1848〜59年に丹波の佐吉照信なる名石工とその弟子達によって 彫られた石仏がミニ本尊として配置されている。 これらは村人だけでなく、遠く吉野や桜井などの人達の寄進によって 造立されている。 ...続きを見る

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2014/05/13 09:07
転法輪寺 (奈良県五條市) 
伝説では、弘法大師空海は真言密教を広める根本道場を開くべく各地を 巡っていた815年、ここ五條の地で狩場明神と出会い、明神から高野山の 地を教えられ、明神から授かった2匹の白・黒の犬の案内によって高野山に 辿り着き、空海は高野山を根本道場の地として朝廷に奏上し、816年 朝廷から勅許を得て、伽藍の建立にかかっている。 ...続きを見る

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2014/05/04 19:58
欣祐寺 (奈良県曽爾村) 屏風岩の麓
曽爾村(そにむら)は三重県に接する奈良県東部に位置し、東にはススキの 曽爾高原、西には屏風岩・兜岩・鎧岩などの奇岩奇峰が連なり、その底を 青蓮寺川が流れる大自然の村である。 欣祐寺は屏風岩の麓にあり、それを借景としている。 ...続きを見る

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2014/04/21 15:06
白馬寺 (奈良県東吉野村) 投石の滝
吉野川上流の支流滝野川に流れ落ちる投石(なげし)の滝は、落差が15m ほどであるが水量が豊富であり、周囲の環境とも相まって清涼感を与える 美しい滝といえよう。 縁起によると、弘法大師空海が度々修法に訪れたと伝えている霊滝と いわれている。 滝を境内にかかえる白馬寺も812年に不動明王を本尊として清水寺として 開創されたと伝えられ、937年に白馬寺として再興されたといわれている。 ...続きを見る

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2014/03/29 09:03
念仏寺 (奈良県五條市) 
吉野川沿いの念仏寺の地は、以前<阪合部>とよばれる郷であるが、 奈良時代〜戦国時代にかけて治めた領主・阪合部氏に由来する名前であった。 五條市が出来て阪合部村は無くなったが、念仏寺に継承されている <陀々堂の鬼はしり>は阪合部郷の人々によって行われている。 念仏寺の開創は不詳であるが、阪合部氏の氏寺として平安末期〜鎌倉時代 に開創されたと伝えられている。 ...続きを見る

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2014/03/26 10:18
初生寺 (奈良県宇陀市) 
伊那佐山(637m)東麓の山中にある初生寺へのアクセスは、国道369号 から細い山道を2kmほど登った平地にある。 境内にはツツジや種々の花木が植生されている。住職の話では好きな花木を 植生し、大事に育てておられるようだ。 奈良県の天然記念物に指定されている<ツルマンリョウ>の自生地といわれて いるが、私が訪れた2013年10月の時点では観察できなかった。 ...続きを見る

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2014/03/24 09:51
不動寺 (奈良県御所市) 葛城山の中腹
大阪と奈良の県境に聳える葛城山(960m)東中腹にある不動寺は、 修験道開祖・役行者が葛城山で修行した道場の一つの跡地と伝えられ、 弘法大師空海がその跡地に開創したお寺が不動寺の始まりといわれている。 その後盛衰を経て、江戸時代末期に再興されたのが現在の不動寺である。 ...続きを見る

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2014/03/18 09:22
真福寺 (奈良県奈良市月ヶ瀬) 月ヶ瀬梅林発祥の寺
名張川の渓谷に拡がる月ヶ瀬梅林(月ヶ瀬梅渓)を見下ろす高台にある 真福寺は1178年に開創されたと伝えられる。 1205年真福寺の鎮守として天神社を祀った折に、菅原道真が好んだ 梅を植樹したのが月ヶ瀬梅林の始まりとの伝承があるが、梅林として 面的に拡がったのは、1331年後醍醐天皇が笠置山から撤退する際、 一人の女官がこの地に留まり、紅花染めの烏梅(うばい)の作り方を 村人に教え、その後烏梅用の梅が植えられていったのが梅林の形成に なっていったと言われている。 室町時代には烏梅用... ...続きを見る

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2014/03/12 09:38
泉徳寺 (奈良県大淀町) 天狗のお寺
大淀町今木は修験道発祥の葛城山と修験道霊場・大峰山のルート上に あって、修験道の開祖と伝えられる役行者が開いたと伝えられる泉徳寺 も修験道の道場であったと考えられている。 修験道と関わりが深い天狗の像が仁王門の上部に安置され、参拝者を 招いている。 この天狗は、二体の仁王像を堺のお寺から脇に抱えて飛来したと伝承 される天狗である。 ...続きを見る

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2014/02/05 14:18
悟真寺 (奈良県宇陀市) 
<天上天下唯我独尊>の釈迦誕生の故事を表現した誕生釈迦仏は 数多く見かけるが、飛鳥時代のものは珍しく、法隆寺の誕生釈迦仏 が最も古いものといわれている。 悟真寺の誕生釈迦仏は7世紀後半(白鳳時代)の造像と考えられ、 丁寧な造形といわれている。 その伝来は不詳である。 ...続きを見る

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2014/01/26 10:09
戒長寺 (奈良県宇陀市榛原) 
山部赤人墓から東北500mの戒場山(738m)中腹に建つ古色蒼然とした 山寺・戒長寺は、聖徳太子の開創とも伝えられる古刹であり、本尊・薬師三尊 を始めとした仏像群は藤原時代のものである。 急な参道を登りきって迎えてくれる鐘楼門の梵鐘は、1291年の銘があり、 国の重要文化財となっている。 その横にお葉付きイチョウがどっしりと構え、晩秋の色づきが想像される。 ...続きを見る

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2014/01/14 09:54
西光院 (奈良県葛城市) 芭蕉ゆかりの綿弓塚
飛鳥時代の官道(飛鳥〜難波)竹内街道沿いの竹内の里は、芭蕉の門人 千里の郷里で、芭蕉は何度か訪れている。 芭蕉の<野ざらし紀行>に芭蕉が<綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥>と詠み、 1809年に<綿弓塚>として記念句碑が建立されている。 現在は、芭蕉旧蹟として休憩所が設けられ、小公園として整備されている。 そのすぐ近くに建つのが西光院である。 ...続きを見る

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2013/12/15 09:39
吉祥寺 (奈良県五條市) 
聖徳太子が物部守屋との戦い(587年)で河内へ向う途中に、信貴山で 戦勝祈願をした時に毘沙門天が出現し戦勝の秘法を授かったと伝わる 信貴山朝護孫子寺を一として、京都・鞍馬寺、京都・毘沙門堂、 高槻・神峯山寺、五條・吉祥寺などの毘沙門天出現の伝承がある。 ...続きを見る

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2013/10/24 09:02
観音寺 (奈良県五條市小島町) 宇智川磨崖碑の近く
無住のお寺・観音寺の近くを流れる宇智川に架かる不動橋の下は渓谷に なっているが、その左岸の岩壁に刻まれた涅槃経は宝亀七年(776年) の銘があり、年代が明確な貴重な資料として国指定史跡に指定されている。 場所を特定するのに難義したが、不動橋を目安にするとよいだろう。 駐車場がないので注意。 ...続きを見る

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2013/10/11 08:52
如意寺 (奈良県五條市) 辯天宗総本山
高校野球でおなじみの智辯学園や智辯和歌山の母体が辯天宗で、 その本部が五條市にある。 辯天宗は1952年に立宗され、その総本山が如意寺で1954年に 建立されている。 ...続きを見る

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2013/09/08 10:39
十輪寺 (奈良県五條市) 辯天宗始まりの寺
十輪寺は奈良時代前半に行基が草庵を設けたのが始まりと伝えられ、 その後弘法大師空海が立ち寄り、桜の杖を植えた所から桜の木が生え、 そこに十輪寺が建立されたといわれている。 開創の経緯は不詳である。 ...続きを見る

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2013/08/08 08:50
大澤寺 (奈良県五條市) 目の薬師瀬之堂
大阪と奈良の県境をなす金剛山地の一つ神福山(792m)の中腹に 立つ大澤寺は、白鳳時代後期に役行者が薬師如来を祀った瀬之堂が 始まりと伝えられている。 この薬師如来はいつの頃から<目の薬師>と呼ばれて眼病の治癒に ご利益があると信仰を集めてきたといわれている。 現在は眼鏡の供養も行われている。 ...続きを見る

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2013/07/08 09:10
桜井寺 (奈良県五條市) 天誅組本陣跡
幕末1863年に、公卿中山忠光を主将とする尊皇攘夷派の武装集団である 天誅組は五條代官所を襲い代官を斬首した後、当時大寺であった桜井寺 を本陣として五條御政府を宣言している。 その1ヶ月後には、東吉野で幕府軍によって捕捉され壊滅している。 短期間の挙兵であったが、この天誅組の行動が明治維新の魁といわれている。 ...続きを見る

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2013/06/03 09:16
阿吽寺、正福寺 (奈良県御所市) 古代寺院巨勢寺の子院
御所市古瀬の巨勢山丘陵にかって存在した巨勢寺(こせでら)は、阿吽寺の 縁起によれば聖徳太子の開創と伝えられているが、詳細は不詳である。 日本書紀によれば、686年に巨勢寺の名前が登場し、相当の大寺であった と考えられている。 また、6世紀以降台頭し、天皇にも仕えた地元豪族・巨勢氏の氏寺ではないかと 考えられている。 平安時代に奈良興福寺の末寺となり、1308年には春日大社に財産を寄進し、 その後衰退して廃寺となったと考えられている。 ...続きを見る

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2013/04/30 09:16
菩提寺 (奈良県御所市) 金剛山東麓の古刹
金剛山(1125m)の東麓に、桜に包まれて建つ菩提寺は、奈良時代に 行基が留まり修行したと伝わる道場の菩提院跡地である。 また、白山信仰の開祖・泰澄もこの菩提院で修行し、弘法大師も 参籠したといわれる古刹で、大寺であったといわれている。 ...続きを見る

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2013/04/19 08:56
草谷寺 (奈良県五條市) 役行者ゆかりの寺
金剛山で暴れていた龍を役行者が退治して、頭・胴・尾の三つに切断し、 祀ったお寺を3ヶ寺建立したと伝えられている。 その一つ龍頭寺が草谷寺の始まりと伝えられている。 その後、現在の金剛山麓北山に移ってきている。 小さなお寺であるが、歴史を物語る古仏が多く残され、役行者の物語も 何か真実味を帯びてくる。 ...続きを見る

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2012/08/30 09:05
大善寺 (奈良県五條市) 他戸親王の菩提寺
奈良時代末期、光仁天皇と井上内親王の長子・他戸親王は771年皇太子 となるが、翌年皇后・井上内親王の大逆の罪(藤原百川の暗躍といわれる) により、母子そろって皇后・皇太子を廃され、翌年773年に五條の地に 幽閉され、775年母子そろって暗殺されたと伝えられている。 時の権力者・藤原一族内の権力争いに巻き込まれた悲話といわれている。 ...続きを見る

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2012/08/18 09:27
法徳寺 (奈良県奈良市) 薬師寺中興・高田好胤師ゆかりの寺
薬師寺の白鳳伽藍を再興した高田好胤大和上は、法徳寺の 前住職・倍巌良舜さんと大学時代から親しく、法徳寺の11月15日の十夜法要 で毎年法話を続けていた経緯があり、現在も薬師寺の僧が十夜法話を 続けているようです。 法徳寺が薬師寺と深い関係にあるのは高田大和上による法話にある。 ...続きを見る

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2012/08/05 12:36
念仏寺 (奈良県奈良市) 徳川家康ゆかりの寺
1614年大坂冬の陣の折、木津の戦いで真田幸村軍に破れ奈良に入り、 この地の山の寺で桶屋の棺に隠れて九死に一生を得たと伝承されている。 山の寺とは開化天皇陵の守護寺で、後に1622年家康の末弟・松平定勝が 袋中上人を開山として念仏寺として開創している。 松平定勝の供養塔もある。 ...続きを見る

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2012/07/21 09:35
霊巌院 (奈良県奈良市) 弥陀三尊石仏
霊巌院本堂前の無縁塚の正面に安置された石仏龕阿弥陀三尊像には 1430年の銘があり、興福寺の塔頭・仏地院の名前が刻まれ、霊巌院開創前 の石仏である。この類の石仏では貴重な資料となっている。 ...続きを見る

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2012/07/07 09:44
浄教寺 (奈良県奈良市) ソテツ
奈良市の中心街・三条通に面して建つ浄教寺のソテツは、 樹齢250年以上と推定され、高さ6m弱・幹周り6.5mとこの近辺では 巨樹の部類に入るだろう。 また、シダレ桜も見事な樹勢を示している。 ...続きを見る

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2012/06/21 09:28
常徳寺 (奈良県奈良市) 日蓮聖人ゆかりの寺
日蓮聖人が1242年比叡山に入山し1253年比叡山での修行を終える 間、奈良などのお寺で遊学しているが、その時に滞在したお寺の一つが 東大寺塔頭の一房・法性房が常徳寺の前身と伝えられている。 ...続きを見る

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2012/06/09 15:02
金躰寺 (奈良県奈良市) 江戸時代初期の本堂
国宝・本堂で知られる十輪院の近くにある金躰寺は、7世紀後半に 遣唐使の一員・道昭によって開創されたと伝えられているが、詳細は 不詳である。 本堂は1637年に再建され、江戸時代初期の浄土宗建築の典型 を示している。 ...続きを見る

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2012/05/31 09:06
旧大乗院 (奈良県奈良市) <名勝>庭園
興福寺の塔頭で、門跡寺院であった大乗院は1869年の廃仏毀釈によって 廃寺となったが、庭園は残され、1995年の発掘調査により2010年復元が 完了し、一般公開されている。 南都随一の庭園といわれ、国の名勝に指定されている。 ...続きを見る

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2012/05/20 16:29
法輪寺 (奈良県斑鳩町) 聖徳太子ゆかりの寺
法輪寺の開創については諸説があるが、通説では622年聖徳太子が 病気になられた折に太子の長子・山背大兄王とその子・由義王が太子の 病気平癒を祈って開創したと伝えられている。 境内からは飛鳥時代の瓦などが出土しており、伽藍は法隆寺式伽藍 と推定されている。 また、飛鳥様式の薬師如来像・虚空蔵菩薩像が伝存しており、7世紀末頃 には伽藍も整備されていたと推定されている。 ...続きを見る

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2012/02/11 09:36
正蓮寺 (奈良県橿原市) <重文>大日堂
橿原市の正蓮寺大日堂は、1478年の建立が棟札から判明している 貴重な建物で、もとは普賢寺の本堂であったが明治時代初期の 廃仏毀釈により廃寺となり、正蓮寺に引き継がれている。 大日堂の本尊・大日如来坐像は鎌倉時代前期の作で、京都の 仏師による作造と考えられている。 これからも、また大日堂の地下調査などから大日堂は鎌倉時代に 建立され1478年に再建が完成したものと考えられている。 ...続きを見る

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2012/01/30 09:31
十念寺 (奈良県奈良市) おしろい地蔵
奈良市のなら町にある十念寺には<おしろい地蔵>と呼ばれる地蔵尊が 祀られているが、なかなかの人気があるそうだ。 もともと一言地蔵として、一言祈願をすると叶えていただけると言われ、 いつしか祈願がかなえられると白粉をお地蔵さんの顔に塗るようになった そうだ。祈願をする時は<きれいになりますように>とお願いするらしい。 それ以来<おしろい地蔵>と呼ばれて人気が高まったそうだ。 ...続きを見る

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2012/01/23 09:44
瑞花院 (奈良県橿原市) <重文>本堂
瑞花院の本堂は1443年の棟木銘があり、瓦にも年記銘がある貴重な 建造物といわれている。 シンプルな構造であり、橿原市にも同じような建造物が見受ける。 瑞花院は地元の豪族・飯高氏の菩提寺として開創されたと伝えられて いるが開創年は不詳である。 ...続きを見る

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2012/01/13 08:58
蓮台寺 (奈良県桜井市) 吉備真備ゆかりの地
蓮台寺の集落は吉備であるが、この地名は飛鳥時代に吉備の人々が 移り住み瓦などの製造に携わっていたと思われ、そこから来ていると 考えられている。 7世紀後半の瓦が出土することからもそれを裏付けているのだろう。 蓮台寺は天平年間(729〜749年)に開創されたと伝えられ、吉備真備が 帰依し吉備氏の氏寺とも伝承されている。 ...続きを見る

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2012/01/04 10:07
慶田寺 (奈良県桜井市) 芝村藩主織田家の菩提寺
織田信長の弟であり茶人でもあった織田有楽斎の四男・織田長政が1万石 で初代藩主となった芝村藩の歴代藩主織田家の菩提寺が慶田寺である。 墓地には織田有楽斎の分骨塔もある。 山門は織田家陣屋の大手門を移築したもので、堂々の構えである。 ...続きを見る

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2011/12/26 16:30
崇徳寺 (奈良県奈良市) 徳川家康ゆかりの寺
天正年間(1573〜92年)この地に庵を結んで念仏修行していた 縁誉上人は子供の頃、徳川家康と竹馬の友であり、家康もこの地 を訪れている。 その時に鎧を掛けた松があったが、現在は当時の松はない。 1603年家康が幕府を開いて、大和33ヶ寺院を支援した時、崇徳寺 も支援し本堂を建立させている。 家康はなにかと支援を行ない、徳川家の位牌が祀られているらしい。 ...続きを見る

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2011/12/17 09:32
西光院 (奈良県奈良市) はだか大師
奈良市のなら町にある西光院本尊は以前は十一面観音であったらしいが、 重要文化財ということで保管上、奈良国立博物館に保管されている。 現在は、それに代わって弘法大師像が本尊とされている。 その弘法大師坐像は裸形で<はだか大師>とか<二十日大師>と 呼ばれている珍しい弘法大師像である。 日本の中でも珍しいのではないか。 ...続きを見る

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2011/12/08 09:46
常光寺 (奈良県奈良市押熊町) 宝山湛海の仏像
生駒山にある宝山寺(生駒聖天)の開山・宝山湛海造像の仏像が 数点祀られている常光寺は、江戸時代前期に再興され宝山寺の奥の院 とも呼ばれて春・秋の法要には多くの参拝者が列をなしたといわれている。 明治時代の廃仏毀釈によって廃寺となり、一時平城小学校の前身となる 学舎となった。 1953年再興されて常光寺は復活している。 本堂は仮本堂であるが、境内は自然と共生した静かな佇まいである。 6月6日に開扉される歓喜天の参拝者は多いらしい。 ...続きを見る

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2011/11/17 08:51
知足院 (奈良県奈良市) 東大寺塔頭 奈良八重桜
東大寺大仏殿の北に位置する知足院は、890年に地蔵菩薩を本尊として 開創されたと伝えられている東大寺の塔頭である。 小倉百人一首の伊勢大輔の歌   <いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂ひぬるかな> は平安時代末期の歌であるあが、この八重桜が発見されたのは、 1922年三好博士によって知足院裏山であった。 その後、この桜は国の天然記念物に指定され、一躍有名になった。 ...続きを見る

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2011/11/09 09:12
定林寺 (奈良県明日香村) 聖徳太子ゆかりの寺
定林寺は、聖徳太子建立46ヶ寺の一つに数えられ、聖徳太子霊跡の 第9番として霊場となっている。 現在の定林寺のすぐ近くに飛鳥時代の塔跡などが発掘された定林寺跡 があり、塔心礎から塑像の菩薩像の首などが見つかっている。 ...続きを見る

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2011/08/02 08:49
龍福寺 (奈良県明日香村) 竹野王碑
龍福寺の<竹野王碑>と呼ばれる石造層塔は、751年竹野王の 撰文になるもので、在銘石造層塔では最古といわれている。 もとは五重石塔と考えられ、現在は四重軸部以下が残っている。 総高190cmの凝灰岩で風化が著しい。 竹野王については不明であるらしいが、長屋王に関係する人物と 推定されている。 ...続きを見る

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2011/07/30 13:24
金剛寺(奈良県明日香村) 飛鳥時代の坂田寺を継ぐ
明日香村稲渕を流れる飛鳥川から少し高台に残る坂田寺跡から 更に坂道を登った終点にある金剛寺は、その坂田寺の法灯を継ぐ お寺と伝えられている。 坂田寺の開創については諸説あるが、飛鳥時代の初期に渡来系 の鞍作氏の氏寺として開創されたと考えられている。 尼寺で、奈良・平安時代と栄えたが平安時代末期には衰え、 その後現在地に金剛寺が法灯を継いで建立されたといわれている。 ...続きを見る

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2011/07/28 13:24
向原寺 (奈良県明日香村) 豊浦寺跡
552年百済の聖明王から金銅仏などが献上されたが、物部氏の反対により 蘇我稲目がそれらを譲り受け自宅に安置したが(これが日本最初のお寺と 呼ばれる)、物部氏の手により難波の堀江に捨てられてしまう。 <後に本田善光が拾い上げ、善光寺の本尊とした伝承> 581年桜井寺として再建され日本最初の尼寺となる。 ...続きを見る

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2011/07/23 13:11
飛鳥寺<安居院> (奈良県明日香村) 日本最初の本格的寺院
飛鳥の中心地に建つ飛鳥寺(安居院)は1826年建立の小さな本堂と 観音堂、飛鳥寺塔礎、蘇我入鹿首塚などが残るこじんまりとしたお寺であるが、 元々は588年当時の権力者・蘇我馬子が発願し、現在の飛鳥寺を中心にした 寺域に596年頃一応の伽藍が建立された法興寺が始まりである。 一塔三金堂の飛鳥寺伽藍配置様式を持つ本格的なお寺として日本最初の 寺院と考えられている。 ...続きを見る

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2011/07/20 09:17
弘福寺 (奈良県明日香村) 飛鳥4大寺・川原寺跡
白鳳時代の末に飛鳥4大寺と呼ばれた(飛鳥寺、川原寺、薬師寺、大官大寺) の一つ川原寺は、斉明天皇の菩提を弔うために天智天皇が建立したと 考えられている。 平城京遷都後も飛鳥にとどまり、その豪華な伽藍を維持したが、1191年の 火災で焼失しその後衰退している。 江戸時代中期に現在の弘福寺が建立され川原寺の法灯を継いでいる。 ...続きを見る

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2011/07/17 13:43
橘寺 (奈良県明日香村) 聖徳太子ゆかりの寺
橘寺は聖徳太子建立7大寺の一つで、606年尼寺として建立されたと 伝えられている。 7大寺とは  <四天王寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、広隆寺、法起寺、葛木寺> また、聖徳太子の生誕地は橘寺あたりとも伝えられている。 境内からは飛鳥時代前期や白鳳時代の瓦などが出土し、四天王寺式 伽藍配置などが残り、相当な大寺であったと推定され、平安時代中頃まで 伽藍が続いたといわれている。 現在も塔跡などが残されている。 ...続きを見る

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2011/07/15 09:26
興善寺 (奈良県橿原市) 香具山の文殊さん
香具山の南麓にある興善寺は、白鳳時代に創建された香具山寺の 後身と伝えられ(白鳳時代の瓦などが出土)、江戸時代中期までは 文殊菩薩を本尊として<香具山の文殊さん>と呼ばれて大いに栄えた といわれている。 現在は小さなお堂が一つだけ残る寂しいお寺となっているが、この 付近一帯は奈良時代の墓地として興善寺遺跡と呼ばれている。 ...続きを見る

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2011/07/12 09:09
妙法寺 (奈良県橿原市) 吉備真備ゆかりの寺
吉備真備(695〜775年)は現在の倉敷市出身の学者で、717年遣唐使の 一員として唐に学び、734年帰朝している。 その後、奈良朝の政治家として重用され、最後には右大臣にまでなっている。 菅原道真と共に、学者から政治の中枢に携わった賢人として評価されている。 その吉備真備が唐から帰朝後、その無事を感謝して子供の善覚律師をして 観音堂を建立させたのが妙法寺の始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2011/07/10 15:39
保寿院 (奈良県橿原市) 膳夫寺跡
聖徳太子妃・膳夫姫(膳部姫?)が養母・古勢女の菩提を弔う 為に建立した仁階堂が後に膳夫寺(かしわてでら)となり、それも廃寺と なったがその後を引き継いだのが保寿院といわれている。 膳夫寺跡からは、白鳳時代の瓦などが出土し、礎石も残っている。 膳夫姫は芹摘姫とも呼ばれ、芹を摘んでいるところを太子に見染められ、 太子最愛の妃といわれている。 ...続きを見る

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2011/07/07 19:45
国源寺 (奈良県橿原市) 大窪寺跡
神武天皇陵の近くにある国源寺の地は、<聖徳太子建立46院>と伝承 される内に含まれる大窪寺跡地である。 大窪寺は天武天皇期(673〜686年)には存在したことが古文書から 確認されているが、聖徳太子の建立かどうかは不明である。 跡地には心礎が残され、万葉歌碑も立っている。 万葉歌碑<春さらば挿頭(かざし)にせむとわが思ひし桜の花は散りにけるかも> ...続きを見る

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2011/07/06 08:52
浄国寺 (奈良県橿原市) 鎌倉時代の石燈籠
橿原市の浄国寺は、寛永年間(1624〜44年)に開創されたと伝えられているが、 明治時代初期に真言宗の長法寺と合併し長法寺となったが、その後再び浄国寺と して浄土宗となっている。 現在は、旧長法寺の堂宇も残され、新しい本堂に阿弥陀如来が祀られている。 ...続きを見る

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2011/06/08 13:42
信光寺 (奈良県橿原市) 大和五ヶ所御坊
信光寺は畝火御坊とも呼ばれ、大和における浄土真宗本願寺派の核で、 寺内町を形成していた大和五ヶ所御坊の一つである。 大和五ヶ所御坊は   今井御坊<称念寺>(橿原市今井町)   畝火御坊<信光寺>(橿原市御坊町)   御所御坊<円照寺>(御所市)   高田御坊<専立寺>(大和高田市)   田原本御坊<浄照寺>(田原本町) ...続きを見る

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2011/06/07 10:25
万法寺 (奈良県宇陀市) 江戸時代初期の本堂
宇陀市大宇陀の松山地区は南北朝時代に秋山氏が築いた秋山城(後に松山城) を中心とした小さな城下町で、江戸時代〜明治維新に建造された商家や町家が 残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 その中心に位置する万法寺は、1377年開創と伝えられているが、1585年 現在地に移転再興されている。 ...続きを見る

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2011/06/02 09:23
光明寺 (奈良県宇陀市) 檜皮葺楼門
光明寺の開創は平安時代900年代初期と伝えられているが詳細は 不詳である。1403年大念仏宗(現在の融通念仏宗)の僧・永欣が 中興したと伝えられている。 ...続きを見る

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2011/06/01 08:53
慶恩寺 (奈良県宇陀市) 秋山城主・秋山氏の菩提寺
南北朝時代1346年頃宇陀に秋山城を築城した秋山親直以降、1585年 豊臣秀長に追われて宇陀を離れるまで宇陀の領主として秋山氏は勢力を 持っていた。その秋山氏の菩提寺が慶恩寺である。 ...続きを見る

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2011/05/31 09:01
龍泉寺 (奈良県東吉野村) 天誅組の菩提寺
江戸時代末期1863年大和で挙兵した天誅組(尊王攘夷派の武装集団)は その年の9月徳川幕府に追い詰められ、東吉野の鷲家口で幕府に捕捉され 壊滅している。 これが<天誅組の変>と呼ばれ、明治維新の先駆けとなったいわれている。 この天誅組志士の菩提寺が龍泉寺であり、墓所は東吉野村の<湯ノ谷墓所>、 <明治谷墓所>などがあるが、まとまった墓所としては京都・霊山護国神社に 祀られている。 ...続きを見る

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2011/05/30 09:12
天照寺 (奈良県東吉野村) 地元豪族・小川氏の菩提寺
明治維新の先駆けとなった天誅組が最期を遂げた地、捕獲記録に残る 日本最後のニホンオオカミで知られる地---東吉野村---を流れる吉野川の 支流・高見川の北岸高台に建つ天照寺は、弘安年間(1278〜88年)に 地元の豪族・小川次郎が菩提寺として開創したと伝えられている。 小川氏は鎌倉時代より東吉野に一定の勢力を持ち、戦国時代に筒井氏に 滅ぼされるまで続いている。 ...続きを見る

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2011/05/29 09:30
本善寺 (奈良県吉野町) 蓮如上人ゆかりの寺
吉野山の麓にある本善寺は、吉野山の桜には及ばずとも桜の季節には 見事な花を開くお寺として隠れた穴場になっている。 1475年吉崎御坊を離れた蓮如上人は摂津に入り、その後大和にも 足を伸ばし布教に務めた。 1476年金峯山寺の影響力が絶大であった吉野に入り一宇を開創し、 吉野布教の拠点とした。これが本善寺の始まりである。 ...続きを見る

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2011/05/28 09:07
世尊寺 (奈良県大淀町) 聖徳太子ゆかりの寺
奈良県大淀町の世尊寺は、587年用明天皇の勅願によって聖徳太子が 開創した比蘇寺(比曽寺)が始まりと伝えられている。 境内の発掘調査から飛鳥時代後期の瓦などが発掘され、7世紀末には 薬師寺式伽藍配置を持つ大寺で、法興寺・四天王寺・法隆寺と並ぶ 4大寺といわれた。 奈良・平安時代と大いに栄えたが、鎌倉時代以降は衰え、寺名も 頻繁に変わっている。 豊臣秀吉の時代に東塔(三重塔)が伏見城に移設され、その後徳川家康が それを大津市・三井寺に移し現在は重文に指定され健在である。 なお、西... ...続きを見る

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2011/05/26 08:53
光雲寺 (奈良県高取町) 高取城主・越智氏の菩提寺
斉明天皇陵の近くにある光雲寺は、1332年に高取城を築いた越智邦澄が 越智氏の菩提寺として1346年興雲寺を開創したのが始まりと伝えられている。 1583年越智氏が滅びると共に、興雲寺も衰えたといわれる。 1680年黄檗宗萬福寺の鉄牛禅師が再興し、1698年光雲寺と改名している。 ...続きを見る

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2011/05/22 08:57
當麻寺奥院 (奈良県葛城市) 法然上人二十五霊場第9番
奈良県葛城市当麻にある當麻寺の境内奥にある當麻寺奥院は、 浄土宗総本山知恩院の<奥の院>として1370年開創され、浄土宗の 大和本山の役割を担っている。 平安末期〜鎌倉初期にかけて、法然上人が當麻寺を訪れ當麻曼荼羅を 拝し念仏を唱えられた関係もあり、1370年知恩院第12世誓阿上人が 朝廷の勅許を得て、知恩院本尊・法然上人像を移し堂宇を建立して知恩院 の奥の院とした。 ...続きを見る

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2011/01/24 08:50
法然寺 (奈良県橿原市) 法然上人二十五霊場第10番
大和三山(天香具山、耳成山、畝傍山)の天香具山(152m)麓にある 法然寺は、法然上人が1191年高野山に参詣し、橘寺(明日香村)を経て 紀寺の仏堂・少林院(後の法然寺)に立ち寄り村人に念仏往生を説教されたと 伝えられる。1528年少林院は法然寺となる。 ...続きを見る

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2011/01/21 08:53
中宮寺 (奈良県斑鳩町) 聖徳太子ゆかりの寺
奈良県斑鳩町の法隆寺東院に隣接している中宮寺は、現在地の東400mほど の地(現在は中宮寺跡として史跡に指定)にあった間人皇后(太子の母)の宮を 聖徳太子が母の発願でお寺として開創したと伝えられているが詳細は不詳である。 (旧中宮寺は四天王寺式伽藍) ...続きを見る

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2011/01/11 09:50
栄山寺(奈良県五條市) 深緑に包まれた<国宝>八角円堂
奈良県五條市にある栄山寺は、719年藤原不比等の長子・武智麻呂によって 開創されたと伝えられている。 その後、藤原南家の菩提寺として大いに栄えたと言われ、南北朝時代には 南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所となっている。 ...続きを見る

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2010/12/16 11:05
専立寺 (奈良県大和高田市) 高田御坊
奈良県大和高田市にある専立寺は、1600年本願寺第12世准如 (西本願寺第12世)によって、蓮如上人の大和布教以来の一向宗 (浄土真宗)道場を本願寺直属の掛所御坊(高田御坊)として開創された。 初代住職・浄誓は、蓮如上人に献身的に随身した浄心上人開創の 越前・専立寺第4代住職であり、また寺名も浄心上人にあやかって専立寺と したと言われている。 ...続きを見る

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2010/02/23 09:07
大福寺 (奈良県広陵町) 聖徳太子開基と伝える
奈良県広陵町にある大福寺は聖徳太子によって開創されたと伝えられるが、 詳細は不詳である。 江戸時代には徳川将軍家からの朱印状が残っており、繁栄したと思われる。 現在は少し寂しい空気があるが、室町時代の文化財を維持し、<満嶋弁財天> として信仰を集めている。 ...続きを見る

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2010/02/21 15:12
教行寺 <箸尾御坊>(奈良県広陵町) 蓮如上人ゆかりの寺
奈良県広陵町の箸尾地区にある教行寺は、1475年吉崎御坊を出た 蓮如上人が小浜を経て、摂津に入り摂津富田(現在の高槻市摂津富田) に坊舎を建てたのが始まりと伝えられている。 蓮如上人は1478年には京都山科に移り、山科本願寺の建立を始めている。 教行寺の開創は1475〜78年の間と考えられる。 ...続きを見る

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2010/02/20 09:31
称念寺 (奈良県奈良市) 重源上人ゆかりの寺
奈良県奈良市の奈良町と呼ばれる地域にある称念寺は、1168年 重源上人によって開創されたと伝えられている。 重源上人は、1180年平重衡の南都焼討によって壊滅的な崩壊を受けた 東大寺の再興に大勧進として活躍し、大仏・大仏殿・南大門などの 再興を成し遂げた東大寺の大恩人である。 ...続きを見る

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2010/02/14 10:25
興善寺 (奈良県奈良市) 
奈良県奈良市の<奈良町>にある興善寺は、1589年慶誉上人がもとは元興寺 奥の院の荒れ果てた一堂の地に興善寺を開創し、本尊として田原村の阿弥陀堂 から阿弥陀如来立像を迎えている。 ...続きを見る

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2010/02/14 08:59
誕生寺・高林寺 (奈良県奈良市ならまち) 中将姫ゆかりの寺
奈良県奈良市の市街地南部にある元興寺旧境内に相当する地域 を通称<ならまち(奈良町)>と呼び、伝統建築群地域に指定されている。 この<ならまち>の中心には、世界遺産に登録されている元興寺があり、 その周辺には多くのお寺がある。 その中でも、中将姫伝説ゆかりのお寺が4ヶ寺(誕生寺、高林寺、徳融寺、 安養寺)あり、共に中将姫の父藤原豊成の邸があったと伝えられており、 4ヶ寺は集中して存在している。 ...続きを見る

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2010/02/12 09:39
徳融寺・安養寺 (奈良県奈良市ならまち) 中将姫ゆかりの寺
奈良県奈良市の市街地南部にある元興寺旧境内に相当する地域 を通称<ならまち(奈良町)>と呼び、伝統建築群地域に指定されている。 この<ならまち>の中心には、世界遺産に登録されている元興寺があり、 その周辺には多くのお寺がある。 その中でも、中将姫伝説ゆかりのお寺が4ヶ寺(誕生寺、高林寺、徳融寺、 安養寺)あり、共に中将姫の父藤原豊成の邸があったと伝えられている。 徳融寺と安養寺は隣接して奈良市鳴川町に位置している。 ...続きを見る

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2010/02/11 09:06
西福寺 (奈良県奈良市奈良阪町) 多数の重要文化財仏像
奈良県奈良市の奈良坂にある西福寺は、貞観年間(859〜876年)に 慈覚大師円仁によって開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 1604年に弁誉上人によって再興されている。 ...続きを見る

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2010/02/09 09:37
空海寺 (奈良県奈良市) 空海ゆかりの寺
奈良県奈良市の東大寺北にある空海寺は、820年頃空海が 石造地蔵菩薩を刻んで石窟に安置したのが始まりと伝えられている。 810年勅命により、弘法大師空海は東大寺第14代別当に就任し、 4年間務めており、東大寺との関係は深いものがる。 ...続きを見る

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2010/02/07 09:20
西方寺 (奈良県奈良市油阪町) 南都総墓所
奈良県奈良市の油阪にある西方寺は、奈良時代前期に行基によって多聞山 (佐保山麓の丘陵)に開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 明治時代に廃寺となった眉間寺が同じ多聞山にあり、西方寺の本尊は かって眉間寺の仏像であったと言われている。 ...続きを見る

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2010/02/05 08:56
慈眼寺 (奈良県奈良市) 厄除け観音発祥の地
奈良県奈良市の近鉄奈良駅から<やすらぎの道>を400mほど北に ある慈眼寺は、奈良時代前期に疫病が流行った時に、聖武天皇が 祈願された折、観音菩薩の霊告を受け、観音菩薩を祀ったのがお寺の 始まりと伝えられているが詳細は不詳である。 その後、厄除け観音として信仰を集めたと言われている。 1560年長順上人が再興し、今日に至っている。 ...続きを見る

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2010/02/03 08:59
王龍寺 (奈良県奈良市) 
奈良県奈良市の西部に位置する丘陵地にある王龍寺は、奈良時代 聖武天皇の勅願により開創されたと伝えられているが、詳細は不詳 である。 その後、坊数多く隆盛したと言われているが、次第に衰え、1689年 大和郡山城主本多忠平が再興し、黄檗宗の梅谷禅師を中興開山に迎えて 本多家の菩提寺とした。 ...続きを見る

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2010/02/01 09:15
不空院 (奈良県奈良市) 
奈良県奈良市の新薬師寺近くにある不空院は、鑑真和上の住坊跡に 弘法大師空海が興福寺南円堂の試みとして八角堂を建立したのが 始まりと言われているが、詳細は不詳である。 興福寺南円堂は813年に建立されたと伝えられている。 史料によれば、鎌倉時代には叡尊などが当院で戒律を講じた古刹である。 ...続きを見る

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2010/01/30 14:32
帯解寺 (奈良県奈良市) 日本最古の安産祈願の寺
奈良県奈良市にある帯解寺は、弘法大師空海の師といわれる勤繰大徳が 奈良・高円山に開創した石淵寺の一坊が始まりと伝えられている。 文徳天皇の皇后(藤原明子)が帯解地蔵菩薩に祈願して、無事懐妊・出産 したことから、858年文徳天皇の勅願により伽藍が創建され、帯解寺と したと伝えられている。 その後、安産・子授け祈願のお寺として信仰を集め、徳川将軍や皇室などの 祈願も行われる名の知られた有名寺となった。 一説によると小野小町も度々参拝し逗留したと伝えられている。 ...続きを見る

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2010/01/28 08:31
興福院 (奈良県奈良市) 静寂に包まれた尼寺
奈良県奈良市の佐保山丘陵の麓にあり、聖武天皇陵に近い興福院は、 奈良時代中期に和気清麻呂が尼ヶ辻に開創した弘文院が始まりとも 伝えられているが、諸説あり定かではないらしい。 1665年に現在地に堂宇を移築して移転し、徳川将軍家の支援を得た。 ...続きを見る

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2009/11/18 09:20
秦楽寺 (奈良県田原本町) 
奈良県田原本町にある秦楽寺は、647年聖徳太子の臣秦河勝が観音菩薩 を安置したことに始まると伝えられている。 807年弘法大師空海はこの寺に逗留し、<三教指帰(さんごうしいき)> を著したと伝えられているが、<三教指帰>は797年空海24歳の著で、 空海が唐へ渡る前に秦楽寺へ来たのであろうか。 あるいは807年に<聲㬜指帰>を一部修正したのだろうか。 ...続きを見る

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2009/11/13 09:18
浄福寺 (奈良県田原本町) 異色の本堂
奈良県田原本町を流れる大和川沿いの蔵堂にある浄福寺の開創は 不詳であるが、1571年快運によって中興開山されている。 下層は方形、上層は六角の二層になった本堂は1866年に上棟されて おり、目立った形の本堂である。 また、<浄福寺 永享十年(1438年)>銘の入った梵鐘が京都府 和束町で見つかっていることから、浄福寺は1438年頃には存在した と考えられている。 ...続きを見る

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2009/11/05 09:44
本誓寺 (奈良県田原本町) 田原本領主平野家の菩提寺
奈良県田原本町の寺内町にある本誓寺は、1316年田原本町八幡町 に開創されたが、田原本領主2代平野長勝が1647年現在地に移し、 自らの菩提寺とした。 境内には長勝と9代長発の霊廟が残っている。 本誓寺と隣の浄照寺の地は元は教行寺であったが、長勝が教行寺と 対立し広陵町箸尾へ教行寺を移し、跡地を二分して浄照寺と本誓寺 を創建した。 ...続きを見る

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2009/10/29 09:00
浄照寺 (奈良県田原本町) 田原本御坊
奈良県田原本町の寺内町にある浄照寺は、田原本の領主であった 平野長勝が真宗の教行寺と対立し、教行寺を広陵町の箸尾へ移転 させ、その跡地を二分して後1651年円城寺を創建し、1749年浄照寺 となった。 浄照寺は田原本御坊として大和五ヶ所御坊の一つに数えられ、大いに 栄えた。 <大和五ヶ所御坊:田原本、今井、御所、高田、畝傍> ...続きを見る

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2009/10/27 08:55
安養寺 (奈良県田原本町) 快慶作の阿弥陀如来立像
奈良県田原本町にある安養寺は、寺川の東側にあった行基開創と 伝えられているお寺が洪水で流され1633年新たに現在地に開創された。 ...続きを見る

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2009/10/25 09:25
法楽寺 (奈良県田原本町) 桃太郎伝説発祥の地
奈良県田原本町にある法楽寺は、孝霊天皇黒田廬戸宮跡に 聖徳太子によって開創されたと伝えられている。 室町時代の板絵図によれば大寺の伽藍を有していたが、現在は 本堂のみが残っている。 ...続きを見る

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2009/10/23 08:33
光林寺 (奈良県川西町) 快慶作の阿弥陀如来立像
奈良県川西町にある光林寺は、1313年空信法師が三宅町に開創した 道場を起源とし1542年現在地に移ったと伝えられている。 本尊阿弥陀如来立像は承久三年(1221年)の銘と快慶の銘が刻まれて おり、快慶の晩年の作として貴重である。 快慶の仏像は多く残っており、現在判明しているのは40件近くになる。 ...続きを見る

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2009/10/21 08:59
朝護孫子寺 (奈良県平群町) 信貴山寺
奈良県平群町の信貴山(437m)頂上近くにある朝護孫子寺の開創は 不詳であるが、寺伝では582年寅年寅の日寅の刻に聖徳太子が この山で毘沙門天を感得し、物部軍を破って587年毘沙門天を祀った のがこの寺の始まりと伝えられている。 寅にちなんで、寅の日は縁日となっており、寅年には大々的な行事が 行われ、虎のハリボテなど境内のあちこちにトラが見られる。 ...続きを見る

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2009/10/10 09:15
放光寺 (奈良県王寺町) 聖徳太子ゆかりの寺
奈良県王寺町にある放光寺は、古くは片岡王寺と称し聖徳太子による 開創と伝えられている。 (また、百済から帰化した大原博士による開創とも伝えられている) お寺の前にある王寺小学校の敷地からは奈良時代の瓦など遺物が出土 しており、片岡王寺の伽藍跡ではないかと言われている。 ちなみに、王寺の地名は片岡王寺に由来すると伝えられている。 片岡王寺は盛衰を繰り返し、1572年には兵火により全焼したが 元禄年間(1688〜1704年)に黄檗宗の鉄牛禅師によって 再興された。 ...続きを見る

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2009/10/08 09:13
達磨寺 (奈良県王寺町) 聖徳太子ゆかりの寺
奈良県王寺町にある達磨寺は、日本書紀に記されている 片岡山飢人伝説によると613年太子が飢えた異人を救済したが 翌日亡くなっていたので、それを弔うために達磨像を祀ったのが 達磨寺の始まりと伝承されている。 お寺として整備されたのは13世紀前半と考えられている。 ...続きを見る

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2009/10/07 10:16
平隆寺 (奈良県三郷町) 聖徳太子霊跡
奈良県三郷町にある平隆寺は、聖徳太子ゆかりの36霊跡霊場の 一つにかぞえられている。 平隆寺は聖徳太子建立と伝承される施鹿薗寺あるいは平群寺の 跡地に江戸時代初期に開創されたお寺で、境内近辺から飛鳥時代の 瓦など遺物が出土している。 平群寺は豪族平群氏の氏寺と考えられており、聖徳太子との関連は 定かでないが、平隆寺の地は飛鳥時代の寺院跡と確認された数少ない 史跡ではある。 ...続きを見る

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2009/10/05 12:05
宝山寺 (奈良県生駒市) 生駒聖天
奈良県生駒市の生駒山(642m)中腹にある宝山寺は、655年役行者が 開いた生駒山修験道場が始まりと伝えられているが、江戸時代の 1678年宝山湛海律師が再興し、鎮守神として歓喜天を祀ったのが 事実上の開創である。 江戸時代から商売の神様として聖天信仰が篤く、現在では年間 300万人の参拝者が訪れる信仰のお寺である。 ...続きを見る

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2009/10/04 09:42
長福寺 (奈良県生駒市) <重文>本堂
奈良県生駒市俵口にある長福寺は奈良時代行基によって開創されたと 伝えるが詳細は不詳である。 長福寺の<国宝>金銅能作生塔(如意宝珠を納める塔)は鎌倉時代を 代表する金工作品(東京国立博物館に保管)で、生駒市にある二つの 国宝の一つである。 ...続きを見る

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2009/10/02 09:25
石仏寺 (奈良県生駒市) 石造阿弥陀三尊(秘仏)
奈良県生駒市の暗峠(くらがりとうげ)奈良街道沿いにある石仏寺は、 開創については不詳であるが、本尊石造阿弥陀三尊は1294年造立 であり、五輪石塔も鎌倉時代であることから鎌倉時代以前の 開創と推定されている。 本堂に安置されている本尊は秘仏で、法事などの特別事に開扉されている。 ...続きを見る

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2009/10/01 14:31
法楽寺 (奈良県生駒市) 
奈良県生駒市の<茶筅の里>と呼ばれる高山町にある法楽寺は、 聖武天皇が東大寺大仏殿の建立に際して方除けのため746年 行基をして開創させたと伝えられている。 中世には地元の高山城主鷹山氏の庇護を受けて大いに栄えたと いわれるが、戦国時代には兵火にかかり衰退した。 鷹山氏の末裔といわれる公慶上人(江戸時代に大仏殿の再建 を勧進した僧)は法楽寺に祈願して大仏修復と大仏殿再建を図った。 その時の法楽寺と上人の関係文書が残っている。 多くの文化財が残る古刹である。 ...続きを見る

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2009/09/30 09:19
往生院 (奈良県生駒市) 
奈良県生駒市有里の丘陵地にある往生院は、749年行基が菅原寺 <現在の喜光寺>(奈良市)で没した後往生院の地で火葬に賦され 近くの竹林寺に埋葬されたと伝えられる火葬地にあたる。 開創については不詳であるが、この一帯は鎌倉時代の古墓群で 輿山古墓群とよばれ、その頃の石仏・石塔が多く残っている。 中でも、1259年銘が記された<重文>宝篋印塔は古形に属し、 貴重な資料となっている。 また、本堂裏には行基の供養塔といわれる五輪石塔が安置されている。 ...続きを見る

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2009/09/29 09:31
富貴寺 (奈良県川西町) <重文>本堂
奈良県川西町にある富貴寺は、法隆寺夢殿を再興した道詮律師によって 800年代に開創され、道詮はそこに隠棲したと伝えられている。 隣にある六県神社とは神仏習合の関係であったと言われている。 ...続きを見る

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2009/09/28 09:05
額安寺 (奈良県大和郡山市) 
奈良県大和郡山市の南端にある額安寺は、聖徳太子が621年学問修行 の道場(熊凝精舎)を置いた跡地で、熊凝精舎の後身と伝えられている。 一般的には、地元の豪族額田部氏の氏寺(額田寺)が始まりと考えられて おり、8世紀中頃の伽藍図では金堂・三重塔などを備えた大寺であった。 なお、熊凝精舎は現在の大安寺の始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2009/09/26 09:26
金剛山寺 (奈良県大和郡山市) 矢田寺
奈良県大和郡山市の矢田丘陵中腹にある矢田寺は、天武天皇の 勅願により679年開創された名刹で、平安時代初期に地蔵菩薩が 本尊として祀られて以来地蔵信仰の中心として栄え<矢田のお地蔵さん> として栄えた。 本尊地蔵菩薩は<矢田型地蔵>と呼ばれ、右手の親指と人差し指を 結んだ特有の姿である。 ...続きを見る

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2009/09/25 09:11
東明寺 (奈良県大和郡山市) 
奈良県大和郡山市の矢田丘陵北部の中腹にある東明寺は、693年 舎人親王によって開創されたと伝えられている古刹であり、 矢田村の惣鎮守である矢田坐久志玉比古神社の神役を務めて いたこともある。 本尊薬師如来をはじめととして4躯の仏像が重要文化財に指定され、 どれもが平安時代の造像である。 ...続きを見る

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2009/09/24 09:00
松尾寺 (奈良県大和郡山市) 
奈良県大和郡山市の矢田丘陵中腹にある松尾寺は、718年舎人親王 が42歳の厄除けと日本書紀の完成を祈願して開創されたと伝えられて いる。続日本紀の782年項には松尾山寺と記されており、境内からは 奈良時代の遺物も発掘されていることから松尾寺は奈良時代の創建 が確認されている。 厄除け霊場として古来信仰を集め、また修験道の霊場としても 栄えた。 日本最古の厄除け霊場と言われる松尾寺以外にも、岡寺(明日香村) も同様に呼ばれているが、ほぼ同時代の開創と思われる。 ...続きを見る

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2009/09/23 09:27
実相寺 (奈良県大和郡山市) 
奈良県大和郡山市の市街地にある実相寺は、徳川家康に仕えた 大工中井主水が1600年頃正誉上人を開山として開創した浄土宗 のお寺である。 中井家は代々徳川将軍家に仕えた名大工で、伏見城修復を始め 江戸城、日光など多くの普請に参加している。 ...続きを見る

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2009/09/19 09:15
永慶寺 (奈良県大和郡山市) 
奈良県大和郡山市の郡山城址南にある永慶寺は、1711年甲府藩主 柳沢家(初代は幕府側用人の柳沢吉保)の菩提寺として甲斐国に 開創された。 1724年、2代藩主柳沢吉里が大和の郡山藩に国替えとなり、それと 同時に永慶寺も菩提寺として大和の郡山へ移った。 藩主柳沢家代々の墓所は塩山市の武田信玄の菩提寺恵林寺にある。 ...続きを見る

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2009/09/18 09:23
登志禅院 (奈良県大和郡山市) 
奈良県大和郡山市の西方にある歌ヶ崎丘陵の一角にある登志禅院は、 1711年郡山藩主本多忠常の菩提寺として開創された。 1709年本多忠常が亡くなると、次代藩主本多忠直が歌ヶ崎丘陵に 忠常の廟を築き、1711年登志禅院を開創した。 本多家は1685〜1723年の間郡山藩主を務め、続いて柳沢家が 務めている。 ...続きを見る

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2009/09/17 10:04
春岳院 (奈良県大和郡山市) 豊臣秀長の菩提寺
奈良県大和郡山市の市街地にある春岳院の開創は不詳であるが、 当初は東光寺と呼ばれていた。 1591年豊臣秀長が郡山城で亡くなり、城の南に墓所が造られ、 その菩提寺として大光院が開創されたが、1599年藤堂高虎は 墓の管理と位牌を東光寺に託し大光院を京都大徳寺の塔頭として 移した。東光寺は豊臣秀長の法名から春岳院と改名し、それ以降 菩提寺となった。 その後、墓所も荒廃したが、1777年春岳院の住職が現在ある 姿に復興している。 現在、墓所は大納言塚として大和郡山市の所有となってい... ...続きを見る

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2009/09/16 09:01
本門寺 (奈良県大和郡山市) 筒井順慶の菩提寺
奈良県大和郡山市の筒井町にある本門寺は、この近隣にあった 筒井城主筒井氏の菩提寺円証寺の塔頭寿福院が始まりと 伝えられている。 第8代城主筒井順慶の父順昭が1550年亡くなると、円証寺は1553年 奈良市へと移ったが寿福院は筒井町に残った。 (円証寺は現在生駒市に移っている) 1580年順慶は郡山城を築城し、本拠をそちらへ移した。 1584年順慶が亡くなると、奈良の円証寺に葬られたが、1585年 現在の長安寺町に廟が造られ、その菩提寺として円証寺から寿福院に 引き継がれ、明治時... ...続きを見る

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2009/09/12 14:36
五劫院 (奈良県奈良市) 
奈良県奈良市の東大寺北辺にある五劫院は、1180年の南都焼打によって ほとんど焼失した東大寺を再建した重源上人が宋から持ちかえったと伝承される <重文>五劫思惟阿弥陀如来坐像を本尊として開創したと伝えられる。 ...続きを見る

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2009/09/11 09:06
阿弥陀寺 (奈良県奈良市) 
奈良県奈良市の奈良町と呼ばれる市街地にある阿弥陀寺は、 1381年元興寺の一庵として創建された龍樹庵を始まりとする と伝えられている。 1613年奈良奉行所が置かれ、興福寺衆徒の中坊家が奉行を 務めたが、その中坊家の菩提寺が阿弥陀寺である。 1622年には本堂・庫裡・客殿などが再建されている。 ...続きを見る

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2009/09/10 09:09
伝香寺 (奈良県奈良市) 
奈良市の市街地にある伝香寺は、771年に開創されたと伝わるが 詳細は不詳である。1585年<洞ヶ峠の日和見>で知られる 戦国武将の筒井順慶の母芳秀尼によって再興され、順慶の 菩提寺となった。 <重文>本堂はその当時建立されている。 ...続きを見る

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2009/09/09 09:00
不動院 (奈良県大和高田市) <重文>本堂
奈良県大和高田市のJR高田駅の近くにあり、商店街に囲まれた 不動院は、聖徳太子による開創とも伝えられている菩提証寺の子院で 、実質的には高田城主當麻為長が大日如来像を吉野から迎え入れて 菩提証寺を再興したとも言われている。 明治時代の神仏分離により廃寺となり、大正年間に不動院として再興された。 <重文>本堂は大和高田市で唯一の国指定文化財である。 ...続きを見る

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2009/05/14 09:16
九品寺 (奈良県御所市) 千体地蔵石仏
奈良県御所市の葛城山麓にある九品寺は、1700体ほどの 千体地蔵尊(千体石仏)が境内のあちこちに祀られているお地蔵さんの お寺である。 700年代前半、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝わる古刹で、 南北朝時代の豪族・楢原氏の菩提寺となり、その楢原氏の兵士たちが 自分の身代りとして奉納したと伝わる地蔵石仏が境内から発掘され、 それらが200年ほど前から境内に祀られているといわれている。 ...続きを見る

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2009/05/13 09:21
現徳寺 (奈良県葛城市) 蓮如上人ゆかりの寺
奈良県葛城市の南今市にある現徳寺は、蓮如上人の門弟である 布施導光(布施城主布施一族)が文明年間(1469〜87年)に 開創したと伝えられる。 1486年蓮如上人が現徳寺に逗留した時、松の木を台木にして 柿の小枝を接いだと伝えられている<松柿>の子孫が、毎年実を つけている。 木膚が松のように見え、奈良県の保存樹に指定されている。 ...続きを見る

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2009/05/12 13:42
置恩寺 (奈良県葛城市) <重文>十一面観音立像
奈良県葛城市の岩橋山(659m)山麓にある置恩寺は無住で、 地元の集落の人達によって護られている小さなお寺であるが、 ここには藤原時代の美形の<重文>十一面観音立像が祀られている。 寺伝では奈良時代前期に行基によって開創されたと伝えられているが、 奈良時代末〜平安時代初期に、置始氏(戦国時代の大和布施城主布施氏 の祖先)の氏寺として開創されたと言われている。その後、布施氏の 氏寺として大いに栄えたと伝えられている。 ...続きを見る

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2009/05/11 15:53
極楽寺 (奈良県御所市) 楠木正成の祈願寺
奈良県御所市の<葛城の道>にある極楽寺は、中世時代の領主吐田氏 の支援で中興されたことから吐田極楽寺(はんだごくらくじ)と呼ばれている。 951年に興福寺の一和上人によって法眼院として開創され、阿弥陀如来 の仏頭を本尊としたと伝えられている。 鎌倉時代後期に吐田氏の支援で林阿上人によって中興され、浄土宗になり、 南北朝時代には楠木正成の祈願寺となっている。 ...続きを見る

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2009/05/10 08:56
橋本院 (奈良県御所市) 神話の里高天原にあるお寺
奈良県御所市の金剛山中腹の台地高天原にある橋本院は、 元正天皇の勅願により行基が開創したと伝わる高天寺の一子院である。 高天寺は奈良時代鑑真も一時住職にもなった大寺といわれている。 南北朝時代の戦乱に巻き込まれ、堂塔すべてを失ったが、1677年 橋本院のみが再興され今日に至っている。 高天原は、神代に天照大神が統治していたところで、ここから瓊々杵尊 が日向の高千穂の峰に降臨したと伝承されている神話の里である。 ...続きを見る

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2009/05/09 15:35
船宿寺 (奈良県御所市) 関西花の寺第22番
奈良県御所市の<巨勢の道>最南端の船路集落にある船宿寺は、 725年行基による開創と伝えられる古刹で、関西花の寺第22番札所 として花を愛でる参拝者で賑わっている。 境内には、ツツジ・サツキ・大てまり・シャクナゲ・紅葉等々が彩を添えている。 書院の庭園は池泉鑑賞式で250年の歴史を持っていると伝えられている。 ...続きを見る

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2009/05/08 08:54
安楽寺 (奈良県御所市) <重文>塔婆(三重塔初層)
奈良県御所市の巨勢の道にある安楽寺は創建については不詳であるが、 この地には聖徳太子創建七寺の一つ葛木寺があったと伝えられているが、 葛木寺の所在は不明とされ、候補地は数ヶ所ある。 安楽寺から少し離れた山間にある<重文>塔婆は三重塔の初層で、 1258年になんらかの理由で三重塔から初層のみに改築されている。 ...続きを見る

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2009/05/07 09:14
円照寺 (奈良県御所市) 御所御坊
奈良県御所市の東部にある円照寺は、大和五ヶ所御坊の一つで、 御所御坊と呼ばれ、寺内町を形成していた。 1546年この地の領主であった桑山氏一族の笑雲上人によって開山 され、桑山氏の支援によって寺内町を形成した。 1610年には円照寺と改名し、御所御坊としてこの地域の真宗布教の 拠点となった。 ...続きを見る

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2009/05/06 11:21
吉祥草寺 (奈良県御所市) 役行者生誕地と伝わる
奈良県御所市の東部にある吉祥草寺は、修験道の開祖役行者(役小角)が 634年生誕した地と伝えられている。 開創は舒明天皇(593〜641年)が伽藍を寄贈したのが始まりと伝える 古刹であるが、南北朝時代に火災で焼失し、その後再建されているが、 今日では本堂と観音堂が残るのみである。 ...続きを見る

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2009/05/06 09:01
称念寺 (奈良県橿原市) 歴史的な町家群今井町の中核
奈良県橿原市の今井町にある称念寺は、浄土真宗の家衆であった 今井豊寿によって天正年間(1532〜1555年)に開創され、お寺を 中心とした環濠寺内町が形成され武装化したが、信長による武装解除 以降は自治都市として繁栄し、大和5ヶ所御坊の一つとしてこの地域の 布教拠点となった。 現在もその当時の町並みが残り、重要伝統的建造物群として指定を受け 8件の民家が重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2009/04/29 15:54
興福寺南円堂 (奈良県奈良市) 西国三十三所観音霊場第9番
奈良の興福寺は平城遷都とともに飛鳥から移り、興福寺として 奈良時代の前半に堂塔を整えた。 平安時代813年藤原冬嗣が父内麻呂の追福のために南円堂を 建立した。 興福寺は度重なる火災に遭って来たが、その都度再建されている。 最も大きな災禍は1180年の平家による南都焼き打ちで、ほとんどの 堂塔や多くの仏像が焼失している。 しかし、復興は早く、本尊不空羂索観音は運慶の父康慶によって1189年 造立され、南円堂は1188年に再建されている。 しかし、南円堂はその後も火災により再建を繰... ...続きを見る

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2009/04/28 09:14
法起院 (奈良県桜井市) 西国三十三所観音霊場番外
奈良県桜井市にある長谷寺の塔頭法起院は、西国三十三所観音霊場を 開いたと伝えられる徳道上人を本尊とする霊場である。 735年徳道上人は法起院を創建し、晩年隠棲したと伝えられている。 ...続きを見る

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2009/04/27 11:53
福智院 (奈良県奈良市) <重文>地蔵大仏
奈良県奈良市の奈良町にある福智院は地蔵大仏と呼ばれる 本尊地蔵菩薩の地蔵信仰が篤い古刹である。 福智院は736年玄ムが清水寺を開創したのに始まり、その後 荒廃したが叡尊上人によって現在地に移り、1254年興福寺の 実信僧正が地蔵堂(現在の本堂)を建立して再興された。 本尊地蔵菩薩は1203年に造立され、この地蔵堂に安置された。 これ以降、南都における地蔵信仰霊場となったと言われている。 ...続きを見る

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2009/04/26 08:51
宗祐寺 (奈良県宇陀市榛原区) <重文>3幅の仏涅槃図
奈良県宇陀市榛原区の萩原は江戸時代伊勢街道の宿場町として 栄えた所であるが、その萩原にある宗祐寺は608年に開創された と伝え、1131年頃融通念仏宗開祖の良忍上人が訪れ逗留して それ以降融通念仏宗になったといわれる。 1559年織田信長の家臣服部宗祐が出家し、再興して宗祐寺とした。 ...続きを見る

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2009/04/24 09:32
石位寺 (奈良県桜井市) <重文>石造浮彫伝薬師三尊像
奈良県桜井市の忍阪集落にある石位寺は現在無住で、創建も 不詳であるが、<重文>石造浮彫伝薬師三尊像は白鳳時代の 作といわれ日本最古の石仏と言われている。 女流万葉歌人の額田王が願主とも伝えられている。 ...続きを見る

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2009/04/23 19:39
徳源寺 (奈良県宇陀市大宇陀区) 宇陀松山藩主織田家の菩提寺
奈良県宇陀市の大宇陀にあった宇陀松山藩主2代織田高長が父の 信雄(織田信長の次男)の菩提を弔うために徳源寺を開創した。 宇陀松山藩は2万8千石で5代信休で廃藩となっている。 信雄から信武の4代の墓が徳源寺にあるが、遺骸は安土城跡に 改葬されている。 現在は本堂のみがヒッソリとした木々に包まれた境内にある。 ...続きを見る

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2009/04/23 09:08
大願寺 (奈良県宇陀市大宇陀区) 宇陀松山藩主織田家の祈願所
奈良県宇陀市の大宇陀に江戸時代前期、宇陀松山藩(1600〜1695年) が置かれ、織田信長の次男信雄から5代織田家が藩主であった。 その織田家の祈願所であった大願寺は500年代末開創されたと伝わる 古刹であり、江戸時代前期は織田家の庇護を受けて栄えたが、明治時代 に火災に遭いお寺も縮小したが、江戸時代の空気が漂う風景である。 明治時代の火災でも本尊十一面観音は焼けずに残ったことから <焼けずの観音>と呼ばれ信仰を集めている。 ...続きを見る

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2009/04/22 09:15
大蔵寺 (奈良県宇陀市大宇陀区) <重文>本堂・御影堂
奈良県宇陀市大宇陀区の山中にある大蔵寺は、聖徳太子が開いた と伝えられているが、詳細は不明である。 その後、弘法大師空海が唐から帰朝後最初にこの山に入り密教の 道場を開いたと伝えることから元高野と呼ばれている。 かっては大いに栄えたが、明治時代の廃仏毀釈により荒廃し今日に 至っている。 <重文>本堂・御影堂や<重文>本尊薬師如来立像など多くの 文化財があり、かっての名刹の面影が残っている。 残念ながら少し荒れた面もあるが、静寂と凛とした空気が漂うお寺 として価値がある。 ...続きを見る

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2009/04/17 09:23
覚恩寺 (奈良県宇陀市大宇陀区) <重文>十三重石塔
奈良県宇陀市大宇陀区牧にある<重文>十三重石塔と仏像が 安置されている収蔵庫はかっての覚恩寺があった地に寂しく 鎮座している。 覚恩寺は南北朝時代の南朝の忠臣であった牧(真木)定観の菩提寺 であったと伝えられているが、開創について不詳である。 十三重石塔は南朝の長慶天皇の墓塔ともいわれている。 ...続きを見る

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2009/04/15 08:55
仏隆寺 (奈良県宇陀市榛原区) 千年桜
奈良県宇陀市榛原区の山間にある仏隆寺は、850年弘法大師の 高弟堅恵により開創されたと伝えられている古刹である。 また、仏隆寺は室生寺の南門の役割を果たしていた。 <室生寺の四門:北門(名張の丈六寺)、東門(田口の長楽寺)、  南門(赤埴の仏隆寺)、西門(大野の大野寺)> 参道の入口にあるモチヅキザクラ(ヤマザクラとエドヒガンザクラの雑種)は 推定樹齢900年といわれ、<千年桜>と呼ばれている。 この桜は根囲7.7m、根株から2mのところで大小11本に分岐し、 樹勢は衰えておらず... ...続きを見る

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2009/04/14 08:29
南明寺 (奈良県奈良市) <重文>本堂
奈良県奈良市の柳生街道沿いにある南明寺は、771年開創とも 言われているが詳細はわからない。 <重文>本堂が鎌倉時代後期の建立であり、境内にある十三重石塔や 宝篋印塔も鎌倉時代後期のものであるが、仏像は藤原時代の作であり、 古刹ではある。 ...続きを見る

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2009/03/02 08:43
薬師寺 (奈良県奈良市) <国宝>東塔
奈良・薬師寺の<国宝>東塔が1世紀ぶりに本格的な解体修理を受ける ことが決まり、2009年2月の晴れ日を掴んで何度目かの拝観に訪れた。 2009年7月から調査が始まり、2011年度から解体修理を始め10年掛けて 完成させる予定とのこと。 ...続きを見る

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2009/02/26 17:30
称名寺 (奈良県奈良市) 茶の湯の開祖村田珠光ゆかりの寺
奈良県奈良市の称名寺は、1265年興福寺の学僧専英・琳英が京都三鈷寺の 澄忍上人とともに常行念仏の道場として開創された。 室町時代茶の湯の開祖といわれる村田珠光(1423〜1502年)が11歳の時 称名寺に入り出家している。 <侘び茶の茶の湯は村田珠光から武野紹鴎〜千利休へと継承され利休に よって確立された> ...続きを見る

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2009/02/23 10:12
岡寺 <龍蓋寺>(奈良県明日香村) 西国三十三所観音霊場第7番
奈良県明日香村を見下ろす東の小峰中腹にある岡寺は、寺伝によると 天智天皇(626〜672年)の勅願により義淵僧正(〜728年)が開創 したと伝えられているが、689〜728年頃草壁皇子の岡宮跡に開創 されたと考えられている。 正倉院文書の中に(740年)龍蓋寺の名前が存在するらしい。 ...続きを見る

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2009/02/20 10:19
吉田寺 <ぽっくり寺>(奈良県斑鳩町) ぽっくり往生の寺
奈良県斑鳩町にある吉田寺は<ぽっくり往生の寺>として篤い信仰が あり、高齢者の参拝が多い。 その謂れは、吉田寺の開山恵心僧都の母が臨終の際、魔除の祈願を した衣服を着せたところなんの苦しみもなく往生したところから来ている と伝えられている。 恵心僧都源信(942〜1017年)は浄土信仰・往生を体系化した <往生要集>を著し、後の浄土教普及の礎となった。 ...続きを見る

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2009/02/17 11:48
元山上千光寺<千光寺>(奈良県平群町) 役行者ゆかりの寺
奈良県平群町の生駒山系中腹にある千光寺は、660年頃役行者(役小角) が草堂を築き、684年千光寺の寺号を勅願により受けたと伝えられている。 役行者はここから大峯山に入ったことから、後に千光寺を元山上と呼ぶ ようになったといわれている。 現在、体験修行を行うことができ、多くの老若男女が住職との対話も含めて 心を癒し、磨いておられる新聞記事を読んだことがある。 ...続きを見る

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2009/02/14 10:02
金勝寺 (奈良県平群町) 磨崖仏
奈良県平群町を流れる竜田川の辺に建つ金勝寺は、746年行基によって 開創されたと伝える古刹である。 戦国時代の戦火や明治時代の火災に遭いながら、明治35年に再興され 今日では水子供養のお寺として篤い信仰を受けている。 ...続きを見る

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2009/02/12 10:52
宝幢寺 (奈良県生駒市) <重文>本堂
奈良県生駒市の生駒山麓にある宝幢寺は行基によって開創されたと 伝えられているが詳細は不詳である。 また、平安時代初期の最古の説話集<日本霊異記>に出てくる生駒山寺の 一つという伝承もあるが、史料上では1441年の興福寺史料に見えるのが 最初といわれている。 <重文>本堂もその頃の建立と考えられている。 ...続きを見る

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2009/02/11 11:18
壺阪寺 <南法華寺>(奈良県高取町) 西国三十三所観音霊場第6番
奈良県高取町の高取城跡がある高取山(584m)への山道途中に ある壺阪寺は、703年弁基上人によって開創されたと伝えるが、 詳細は解っていない。 ただ、本堂基壇の下の基壇は白鳳の八角基壇で、白鳳の瓦も出土している。 平安時代初期には<眼病治癒>で民間信仰が篤く、 長谷寺とともに定額寺となっている。 ...続きを見る

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2009/02/08 11:40
国宝建造物があるお寺 奈良県
奈良県には20ヶ寺のお寺に国宝堂塔があり、62棟の多きに わたります。法隆寺だけで19棟を数えます。 奈良時代・白鳳時代となると矢張り奈良県しかありません。 ...続きを見る

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2008/10/23 20:06
正暦寺(奈良県奈良市) 日本の清酒発祥の地
平安時代に先駆的な醸造方法で造られた正暦寺の清酒<菩提泉>は 貴族などの間で評判となった清酒の代表格といわれている。 それまでにも清酒らしきものが造られていたそうだが、<菩提泉>が 清酒発祥の原点とする説が有力となっている。 平安〜鎌倉前期では、こうした寺院の酒<僧坊酒>が支配的となっていった。 鎌倉時代に入り、商業の発展とともに灘・伏見の酒が誕生した。 ...続きを見る

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2008/09/25 14:39
弘仁寺(奈良県奈良市) <重文>明星菩薩立像
弘仁寺の<重文>明星菩薩立像は平安時代初期の造像で、 地蔵菩薩ともいわれているが、一般には明星菩薩で知られている。 弘法大師空海が室戸岬の御厨人窟で明星の来影を感得して <求聞持の法>を成就したと伝えられ、明星信仰が始まったと いわれている。その仏像が明星菩薩といわれている。 ...続きを見る

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2008/09/25 12:20
おふさ観音<観音寺>(奈良県橿原市) バラと風鈴のお寺
鯉ヶ淵という池の中から白い亀に乗った観音さまが現れ、それを見つけた娘おふさ が小さなお堂を建て観音さまを祀ったのが起源と伝えられるおふさ観音は 小さなお寺であるが、春・秋には鉢植えのバラ、7〜8月には境内一面に 釣下げられる全国から集められた風鈴が訪れる人を和ませてくれ、 庶民信仰に支えられているおふさ観音である。 ...続きを見る

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2008/08/26 13:25
久米寺(奈良県橿原市) 久米仙人伝説
<今昔物語集><扶桑略記>などに記されている久米仙人の伝説で 知られるお寺であるが、弘法大師空海が密教の根本経典<大日経> に出会ったお寺が久米寺である。 空海は大日経に出会って密教への傾斜を深め、師を求めて中国唐へ 渡る決意をする。 真言密教を日本に定着させる端緒となったお寺なのである。 ...続きを見る

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2008/08/26 12:35
長岳寺<釜口大師>(奈良県天理市) 山の辺の道にある花と文化財のお寺
日本最古の歴史街道といわれ、人気度NO1のハイキングコースでもある <山の辺の道>の中間点に位置する長岳寺は花(平戸ツツジなど)と 文化財の寺として人気がある。 ...続きを見る

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2008/08/26 10:46
平等寺(奈良県桜井市) 昭和時代に蘇った古刹
日本で最古級の大神神社(おおみわじんじゃ)の別当寺であった平等寺は 明治時代の神仏分離令により、1870年廃寺となったが、 1977年曹洞宗のお寺として<三輪山平等寺>は再興され古刹は 蘇った。 ...続きを見る

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2008/08/25 20:59
安倍文殊院(奈良県桜井市) 日本三文殊
安倍文殊は日本三文殊<阿倍文殊、切戸文殊(京都府宮津市智恩寺)、 亀岡文殊(山形県高畠町大聖寺)>のひとつで、智恵を授かる文殊信仰が 長く続いているお寺である。 受験シーズンには多くの学生や親が祈願に列をなす。 ...続きを見る

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2008/08/25 17:27
聖林寺(奈良県桜井市) 奈良時代の<国宝>十一面観音立像
奈良時代後半の作といわれる<国宝>聖林寺十一面観音立像は <国宝>観音寺十一面観音立像(京都府京田辺市)とともに奈良時代 を代表する十一面観音で、ともに木心乾漆技法で造像されている。 国宝十一面観音は日本で7躯あり、その中にあって聖林寺の像は フェノロサや和辻哲郎が絶賛した像である。 ...続きを見る

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2008/08/25 15:53
百済寺(奈良県広陵町) <重文>三重塔
日本書紀に出てくる<639年百済川のほとりに九重塔を建つ>とあり、 聖徳太子が建てた熊凝精舎を移築し、百済大寺(大安寺の前身)と名付けた お寺の跡が現在の百済寺と伝えられてきた。 しかし、1997年以降の発掘調査で桜井市の吉備池廃寺が百済大寺の 遺跡ではないかと推定されている。 ...続きを見る

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2008/08/23 12:34
大野寺(奈良県宇陀市) 弥勒磨崖仏
大野寺の宇陀川を挟んだ対岸にある弥勒磨崖仏は、約30mの大岩壁に 12mの弥勒仏立像を線刻した日本最大級の磨崖仏である。 これは1207〜1209年にわたって作られたもので、笠置山の弥勒大石仏を 模している。 ...続きを見る

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2008/08/22 20:38
芳徳寺(奈良県奈良市) 柳生新陰流の柳生家菩提寺
剣術の流派<新陰流>は1560年代に上泉伊勢守によって確立され、 その弟子柳生宗厳(石舟斎)が<柳生新陰流>として発展させ、その五男宗矩は 徳川将軍の兵法指南役になり、柳生藩の大名にまでなった。 宗矩の長男三厳は十兵衛と呼ばれ剣豪として知られている。 ...続きを見る

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2008/07/08 14:59
不退寺(奈良県奈良市) 在原業平ゆかりのお寺
845年在原業平は父阿保親王の霊を弔うため、住んでいた邸宅を お寺にしたのが不退寺と伝えられている。 この邸宅は809年平城天皇が隠棲した<萱の御所>といわれている。 ...続きを見る

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2008/07/08 14:03
白毫寺(奈良県奈良市) <重文>閻魔王坐像 
8躯の重要文化財仏像を擁する白毫寺は椿や萩のお寺として、 関西花の寺霊場第18番にもなっている。 ...続きを見る

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2008/07/08 11:59
西大寺(奈良県奈良市) 南都七大寺 真言律宗総本山
西大寺は765年称徳天皇によって、東の大寺<東大寺>に対して 西の大寺<西大寺>として創建された。奈良時代は壮大な伽藍を持ち、 南都七大寺として栄えた。 平安遷都後は徐々に衰え、興福寺の支配下に入った。 鎌倉時代になって、1235年僧叡尊が西大寺に入り、戒律を厳しく求め 真言密教を追求しつつ、寺の復興に努めた。 また弱い民衆救済に立脚した事業や全国的な布教を行い、信者を 増やしていった。 この叡尊なくして今日の西大寺はないだろう。しかし、西大寺の影が薄い のも事実であろう。 ... ...続きを見る

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2008/07/03 16:21
喜光寺(奈良県奈良市) 試みの大仏殿と呼ばれる<重文>本堂
行基が721年開創した頃は<菅原寺>と呼ばれていたが、748年に 喜光寺と改名した。行基は749年この寺で亡くなり、奈良生駒の竹林寺に 葬られた。 ...続きを見る

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2008/06/30 12:25
大安寺(奈良県奈良市) 南都七大寺
平城京の大安寺は東西二塔の七重塔を持つ、東大寺・興福寺と並ぶ大寺で <南大寺>とも呼ばれた。 起源は飛鳥時代639年聖徳太子の遺志により建立された百済大寺 (吉備池廃寺)で、その後高市大寺、大官大寺と改称し、平城京遷都とともに 716年平城京へ移転した。 奈良時代は大いに栄えたが、平安時代になると徐々に衰退し、1017年の火災 以後は元の姿に再興されることはなかった。 残ったのは8世紀末の9体の仏像だけになってしまった。 ...続きを見る

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2008/06/21 19:49
長谷寺(奈良県桜井市) <国宝>本堂と深緑の風景
初瀬山(546m)の中腹にへばり付くように建つ長谷寺<国宝>本堂は、 清水寺と同じように舞台造り(懸造り)となっていて、遠くからもその姿が 望める。また舞台からは遠くの山々が望め、深緑の緑が目に焼き付く。 ...続きを見る

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2008/06/08 14:06
来迎寺(奈良県奈良市) <重文>石造宝塔
市町村合併で奈良市に編入された旧都祁村にある来迎寺は、 平安・鎌倉時代は興福寺との関係が深く(この地区は藤原氏の荘園)、 残っている仏像は定朝一派や奈良仏師・慶派の作とみられている。 ...続きを見る

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2008/06/08 11:25
唐招提寺(奈良県奈良市) 蘇る天平の甍と深緑の風景
梅雨の晴れ間をねらって今日、唐招提寺を訪れた。 2000年から始まった金堂の平成大修理が大詰めに来て、屋根の覆屋が 外され、蘇った金堂がその姿を現わして来ている。 現在の屋根(棟)は創建当時より2.7m高く、屋根の勾配が強くなっている。 これは、元禄期の修理時に行われたとみられる。 <2009年秋に落慶法要が予定されている> ...続きを見る

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2008/06/07 21:40
東南院、喜蔵院、桜本坊(奈良県吉野町) 山上ヶ岳の大峯山寺護持院
東南院、喜蔵院、桜本坊は竹林院、龍泉寺とともに山上ヶ岳(1719m)の 頂上にある大峯山寺の護持院として活動している。 ...続きを見る

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2008/06/03 16:54
竹林院(奈良県吉野町) 大和三庭園の一つ<群芳園>
大和三庭園と呼ばれる池泉回遊式庭園を擁した竹林院はお寺というよりも、 国際観光旅館として有名であり、昭和天皇・皇后陛下も宿泊された。 <大和三庭園:當麻寺中之坊、大和郡山の慈光院、吉野の竹林院> ...続きを見る

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2008/06/03 14:44
金峯山寺(奈良県吉野町) その2 修験道の中心地
日本古来の山岳信仰に、仏教・神道などが結びついて発展した修験道の 開祖といわれる役小角(役行者といわれることが多い)が、7世紀後半に 開創したと伝えられる金峯山寺は、現在修験道の中心地として活動している。 ...続きを見る

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2008/06/03 12:42
金峯山寺(奈良県吉野町) その1 深緑の風景 世界遺産
このページでは、金峯山寺の深緑風景をいろんな角度から見てみよう。 桜の風景はあまりにも有名で、多くの人を楽しませてくれる風景であるが、 緑の吉野山も心を癒してくれるし、歩いてみようと思わせる空気が流れている。 ...続きを見る

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2008/06/02 20:26
鳳閣寺(奈良県黒滝村) 京都醍醐寺創建の理源大師廟塔<重文> 
吉野の奥深い百貝岳(840m)山頂近くに建つ鳳閣寺は役行者が 修行道場を開いたことに始まるといわれている。 その後、京都醍醐寺を開創し修験道の中興の祖といわれる理源大師聖宝が 鳳閣寺を中興した。 ...続きを見る

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2008/06/02 15:20
金剛寺(奈良県五條市) 関西花の寺霊場第23番
金剛寺は花の寺と呼ばれるのも頷けるほどに、四季折々の花を そう大きくない境内であっても丹精込めて植栽されている。 花木を見ていても、お寺の方々の気持ちが現れており、こうした 努力の積み重ねが花木に活き活きとした生命を宿らせているのであろう。 ...続きを見る

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2008/06/02 13:19
子嶋寺(奈良県高取町) 日本三大両界曼荼羅の<国宝>子島曼荼羅
山の深緑が迫る田畑の中の小さなお寺子嶋寺は、現在の姿からは 想像できない古刹であり、平安時代の<国宝>両界曼荼羅図(子島曼荼羅)は 日本三大両界曼荼羅のひとつにあげられている。 <日本三大両界曼荼羅:東寺、神護寺、子嶋寺> ...続きを見る

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2008/06/02 12:13
竹林寺(奈良県生駒市) 奈良時代の名僧行基の墓
近畿地区を中心に全国にわたって行基が開基したと伝わるお寺が多いこと おそらく一番多いと思われるほどに、行基の足跡は日本全国に及んでいる。 ...続きを見る

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2008/05/30 14:14
長弓寺(奈良県生駒市) <国宝>本堂
長弓寺の<国宝>本堂は1279年に建立された檜皮葺の新和様建築で、 鎌倉時代の和様建築の代表作といわれている。 長弓寺には以前鎌倉時代建立の三重塔があったが、1934年の 室戸台風によって甚大な被害に遭い初層のみになり、修理費用に 手がまわらず、鐘楼・門などと共に売却された。 現在それらは東京のグランドプリンスホテル高輪の庭園に保存され 維持管理されている。 ...続きを見る

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2008/05/30 12:09
法起寺(奈良県斑鳩町) 聖徳太子ゆかりの世界遺産
聖徳太子建立の七大寺にあげられる法起寺は、<法隆寺地域の仏教建造物> で世界遺産に登録されている。 最初は岡本寺とか池後尼寺といわれていて、聖徳太子の遺願により岡本宮を 寺に改めたものである。 ...続きを見る

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2008/05/29 23:11
當麻寺(奈良県葛城市) その1 当麻曼荼羅と中将姫伝説
當麻寺はボタンの花で知られた名刹であるが、なんと言っても <当麻曼荼羅>信仰と中将姫伝説である。 ...続きを見る

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2008/05/29 22:07
室生寺<女人高野>(奈良県宇陀市) 風景と<国宝>五重塔
近年、市町村合併で室生村から宇陀市室生区に変わったが、室生寺の 風景とはマッチしない名前になったものだ。 2001年に放送されたNHKの<21世紀に残したい日本の風景100選>で 第7位、近畿では第1位(ちなみに第1位は富士山)に選ばれた室生寺の 風景はお寺の原風景であろう。 ...続きを見る

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2008/05/05 22:27
法華寺(奈良県奈良市) 奈良時代に光明皇后が開創した尼寺
藤原不比等亡き後、娘の光明皇后がその邸宅を引き継ぎ745年寺として開いた のが法華寺の始まりである。 747年には、東大寺が総国分寺であったのに対して法華寺は総国分尼寺となり、 東西に塔を持つ大寺院であったが、平安遷都後は少しずつ衰退していった。 一方、大和三門跡寺院(中宮寺、法華寺、円照寺)のひとつとしての寺格は続いた。 ...続きを見る

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2008/05/05 16:57
興福寺(奈良県奈良市) 変貌するか興福寺
南都北嶺(北の比叡山延暦寺、南の興福寺)といわれた奈良時代〜室町時代の 興福寺が変貌するのか。 奈良公園の中に雑然とした堂塔が散らばる今の興福寺が、中金堂の再建に よって古の風景を蘇らせるのか。 同じ法相宗大本山である薬師寺が蘇ったように。 ...続きを見る

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2008/05/05 15:38
海龍王寺(奈良県奈良市) 雪柳の風景
<雪柳の寺>として知られる海龍王寺は731年光明皇后の発願により 創建されたお寺で、平城宮の東北に位置することから隅院・隅寺と 呼ばれた。 境内から白鳳時代の瓦が発掘されたことから、すでにあったお寺を 取り込んで創建されたと考えられている。 ...続きを見る

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2008/04/10 11:31
法隆寺(奈良県斑鳩町) その10 子院
法隆寺の子院を見てみよう。 <西院> 西園院(本坊)、宝光院、弥勒院、薬師坊、宝珠院、中院、円成院、実相院 普門院、観音院 <東院> 律学院、宗源寺、福園院、福生院、北室院 ...続きを見る

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2008/03/21 21:40
法隆寺(奈良県斑鳩町) その9 その他伽藍
法隆寺の国宝・重要文化財以外の伽藍を紹介しましょう。 法隆寺の伽藍はほとんどが国宝・重文指定で、指定されていない ものが少ない。他のお寺では考えられないことだが。 ...続きを見る

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2008/03/21 16:00
法隆寺(奈良県斑鳩町) その8 境内案内図
現在の法隆寺境内の案内図を紹介し、若草伽藍と斑鳩宮の位置関係 を合わせて載せます。 また、<ひこうちゅうねん>さんのブログ<ちゃチャ茶>で紹介されている 法隆寺の上空からの写真を是非みてください。 <法隆寺の空>参照 ...続きを見る

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2008/03/21 14:46
法隆寺(奈良県斑鳩町) その7 重文伽藍 (2)
東大門より東の境内(東院)にある重要文化財の伽藍をみてみよう。 ...続きを見る

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2008/03/20 23:02
法隆寺(奈良県斑鳩町) その6 重文伽藍 (1)
東大門から西の境内(西院)にある重要文化財の伽藍と安置されている 仏像を眺めてみよう。 ...続きを見る

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2008/03/18 16:07
法隆寺(奈良県斑鳩町) その5 境内の風景
法隆寺の参道や仁王像、燈籠など境内の景物を含めた風景を 見てみよう。 ...続きを見る

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2008/03/17 17:32
法隆寺(奈良県斑鳩町) その4 国宝伽藍 (3)
東院伽藍は739年に行信僧都が聖徳太子の威徳を偲び建立した 伽藍といわれ、その中核となる夢殿は太子の御霊屋として建立された のであろう。 夢殿に奉られる救世観音は聖徳太子の現し身の菩薩であり、秘仏として 崇められたのであろう。 聖徳太子が601年から605年にかけて斑鳩宮(上宮王院)を造営し、605年に この斑鳩に移った経緯には諸説あり、聖徳太子の真偽も含め議論が活発で ある。 だが、聖徳太子信仰は日本における仏教発展の礎であるばかりか多くの日本人の 心の奥底に根付いているので... ...続きを見る

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2008/03/17 13:12
法隆寺(奈良県斑鳩町) その3 国宝伽藍 (2)
このページでも国宝伽藍と安置されている仏像を見てみよう。 ...続きを見る

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2008/03/16 21:14
法隆寺(奈良県斑鳩町) その2 国宝伽藍 (1)
国宝のお堂と安置されている仏像をみてみよう ...続きを見る

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2008/03/15 21:29
法隆寺 (奈良県斑鳩町) その1 金堂・五重塔
いつ法隆寺を取り上げようか迷いに迷って今回やっと踏み切ることに なった。法隆寺の何に焦点を当てて紹介するのか。 ひとつは、法隆寺の伽藍を総て紹介できないか。 ひとつは、法隆寺再建・非再建論争に絡んで世界最古といわれる法隆寺が 1300年以上の命を保っている不思議 ...続きを見る

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2008/03/14 23:51
薬師寺(奈良県奈良市) その2 あらまし
薬師寺から浮かぶキーワードは何か。 薬師三尊像、高田好胤、写経、<凍れる音楽>東塔、白鳳伽藍、金堂、玄奘三蔵、 聖観音、日本最古の仏足石、吉祥天像、移建・非移建論争、など挙げれば 切がないほどあるではないか。 ...続きを見る

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2008/02/29 22:05
薬師寺(奈良県奈良市) その1 高田好胤師と白鳳伽藍復興
薬師寺中興の祖高田好胤師と東大寺中興の祖俊乗房重源上人とが だぶって私の頭の中に焼きついている。 年代の違いこそあれ、二人の再建に懸ける情熱と戦略・戦術、それを 助けた人達が全く同じ土俵にあると思えてくる。 ...続きを見る

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2008/02/29 17:39
十輪院(奈良県奈良市)
江戸末期から明治時代にかけての古い町家や老舗の店が並ぶ奈良町に ある十輪院は、もと奈良時代の元興寺の塔頭であったが、中世以降 地蔵信仰によって栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2008/02/28 17:32
元興寺極楽坊(奈良県奈良市)
猿沢池の南にひろがる奈良町は江戸時代末期から明治時代にかけての 町家や老舗のお店が残るレトロな街並みであり、観光客も結構多い スポットになっている。 この奈良町は元興寺の旧境内にあたり、その中心が世界遺産にも 登録されている元興寺極楽坊である。 ...続きを見る

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2008/02/28 15:31
霊山寺(奈良県奈良市)
霊山寺は奈良市の西郊、富雄地区にあり、湯屋川を挟んで南北の丘陵に 古刹の顔を持つ堂塔と現代的なバラ園やゴルフ練習場、全面金箔貼りの 黄金殿などが混交したユニークなお寺である。 ...続きを見る

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2008/02/28 13:24
秋篠寺(奈良県奈良市)
奈良市街地から少し離れた奈良競輪場の近くに位置する秋篠寺といえば 伎芸天、伎芸天といえば秋篠寺といわれるほどにこの仏さまは人気が高い。 堀辰雄が<東洋のミューズ><わけてもお慕わしい>といわしめた伎芸天。 ...続きを見る

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2008/02/27 21:36
新薬師寺(奈良県奈良市)
丸く、ギョロットした眼の本尊薬師如来を取り巻く十二神将。 これそのものが新薬師寺である。 ...続きを見る

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2008/02/27 19:29
東大寺(奈良県奈良市) その6 塔頭
東大寺の塔頭は14〜15院ありますが、その主な塔頭を 紹介します。 ...続きを見る

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2008/02/19 00:02
東大寺(奈良県奈良市) その5 風景
東大寺境内でのひとコマを紹介しましょう。 ...続きを見る

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2008/02/18 22:51
東大寺(奈良県奈良市) その4 その他伽藍
文化財指定以外の伽藍を見てみよう。 ...続きを見る

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2008/02/18 17:44
東大寺(奈良県奈良市) その3 重要文化財伽藍
東大寺の重要文化財伽藍を一挙に見てみよう。 ...続きを見る

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2008/02/18 16:14
東大寺(奈良県奈良市) その2 国宝伽藍
東大寺は鎌倉時代初期に重源上人の精力的な活動により復興されたが、 1567年三好・松永の兵火により再び大仏殿を始めとして多くの堂塔が 焼失した。752年大仏開眼以降2度目の災禍の100年後に 立ち上がったのが公慶上人であった。 重源上人に倣い勧進を中心にした資金集めを開始し、後には徳川幕府の 援助を得て1692年に大仏修復の開眼会、1709年の大仏殿落慶を見届ける ことなく1706年に亡くなった。 ...続きを見る

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2008/02/18 12:50
東大寺(奈良県奈良市) その1  国宝伽藍(大仏殿・南大門)
東大寺については今さら述べる必要もないだろう。 しかし、訪れる人のどれだけが<俊乗房重源上人>をご存知なのだろう。 ...続きを見る

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2008/02/18 00:00
般若寺(奈良県奈良市)
奈良坂を登りきった京街道に面した東側に柵で囲まれた楼門(国宝)が見えるが、 色とりどりのコスモスと一際高い十三重石塔の楼門を額縁にした風景がすばらしい 般若寺。コスモス人気は言うに及ばず石塔・文殊菩薩など日本で有数の文化財 が人気を集めており、観光客も多い。 ...続きを見る

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2008/02/11 19:53
蓮長寺(奈良県奈良市)
吉川英治著<宮本武蔵>にも登場する蓮長寺は奈良市街のど真ん中に位置し 車の騒音がさぞかしと思って参拝したが、一旦境内に足を踏み入れると嘘の 様な静寂が漂っていた。 重要文化財に指定された本堂は日蓮宗の本堂の典型例といわれるだけに どっしりと構えた姿は何ともいえない。 ...続きを見る

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2008/02/09 13:20
慈光院(奈良県大和郡山市)
境内全体が茶席の雰囲気に満ち溢れている慈光院は茶人片桐石州の設計・開基により 創建され、借景を取り入れた庭園はその趣を一層高めている。 さらに、手水鉢のひとつひとつに気配りした造形が窺える。 サツキの頃は拝観者も多いとのこと。新緑もよし。 ...続きを見る

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2008/02/06 22:21
円福寺(奈良県生駒市) <重文>本堂
重要文化財の本堂と宝篋印塔2基がある小さなお寺 ...続きを見る

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2008/01/13 21:00
円成寺(奈良県奈良市) <名勝>浄土式庭園
運慶最初期の仏像<国宝大日如来坐像>がある柳生街道沿いのお寺 ...続きを見る

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2008/01/12 23:23

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