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zoom RSS テーマ「大阪・兵庫・和歌山のお寺」のブログ記事

みんなの「大阪・兵庫・和歌山のお寺」ブログ

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和歌山県のお寺
和歌山県のお寺 高野山のお寺と和歌山県(高野山以外)のお寺を紹介 ...続きを見る

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2017/04/16 09:42
大阪府のお寺
大阪府のお寺 <青字をクリックすると詳細へ> ...続きを見る

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2017/04/16 09:41
兵庫県のお寺
兵庫県のお寺 兵庫県のお寺を紹介 ...続きを見る

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2017/04/16 09:40
法雲寺 (兵庫県上郡町) 赤松円心の菩提寺
法雲寺 (兵庫県上郡町) 赤松円心の菩提寺 法雲寺は、播磨守護の赤松円心(則村)が1337年に開創したと伝えられ、 その後赤松氏の菩提寺となっている。 室町時代には名刹として大いに栄えたといわれている。 赤松円心は、南北朝〜戦国時代の200年以上に亘り、播磨を統治した 赤松氏の始祖として名を馳せた。 ...続きを見る

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2017/04/16 09:39
鳳林寺 (大阪市天王寺区) 大坂城代の菩提寺
鳳林寺 (大阪市天王寺区) 大坂城代の菩提寺 大坂夏の陣で豊臣家が滅ぶと、徳川幕府は将軍の代理として大坂城に 譜代大名を大坂城代を置いて、西国外様大名に睨みをきかした。 1619年〜1868年の期間に及んだ。 この大坂城代の菩提寺が鳳林寺であり、鳳林寺は畿内曹洞宗中核 として大いに栄え、七堂伽藍を備えた大寺であったといわれている。 太平洋戦争で全て灰燼に帰している。 ...続きを見る

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2017/04/15 13:30
高野山のお寺
高野山のお寺 和歌山県高野山のお寺紹介 ...続きを見る

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2017/04/14 09:00
遍照尊院 (和歌山県高野町高野山) 宿坊
遍照尊院 (和歌山県高野町高野山) 宿坊 遍照尊院は、空海が高野山を開創した折、修行したと伝えられている遍照ヶ岡 に、弘仁年間(810〜824年)開創されたといわれている。 江戸時代には、津軽藩主の菩提寺になり、一時は遍照尊院の別院が津軽に 建立された時もある。 津軽藩主・津軽信枚、信義などの画像が遍照尊院に残っている。 ...続きを見る

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2017/04/14 08:55
善導寺 (兵庫県姫路市)
善導寺 (兵庫県姫路市) 善導寺は、1017年現在の姫路市本町の久長門跡内の地(かっては梛本と いわれた地)に梛寺として開創されたと伝えられている。 1601年姫路城拡張整備にあたり、城内にあたるため、現在地に移転して いる。 幕末の尊王攘夷の嵐は姫路藩内にも起こり、1864年甲子の獄で、60数名 が粛清に遭っている。その中心人物・河合惣兵衛(宗元)は自殺刑で処罰 され、善導寺に葬られている。 ...続きを見る

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2017/04/12 16:19
大阪市のお寺 (大阪府)
大阪市のお寺 (大阪府) 大阪市のお寺を紹介 寺名をクリックして詳細へ。 ...続きを見る

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2017/04/12 09:30
西方寺 (大阪市住吉区遠里小野)
西方寺 (大阪市住吉区遠里小野) 大阪市南端に位置し、大和川の北岸にあたる住吉区遠里小野(おりおの) 地区は万葉集にも出てくる地名で、古代から油の生産地であった。 江戸時代になると、菜種油の一大生産地として栄えたといわれている。 現在は、市街化し住宅がビッシリと集積している。 その住宅街の中に西方寺は建っている。 西方寺の開創は不詳であるが、菜種油の生産の頃は中核的なお寺 であったといわれている。 ...続きを見る

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2017/04/12 09:22
丹波、但馬のお寺 (兵庫県)
丹波、但馬のお寺 (兵庫県) <丹波のお寺> ...続きを見る

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2017/03/30 09:40
西光寺 (兵庫県新温泉町浜坂)
西光寺 (兵庫県新温泉町浜坂) 日本海に面した浜坂は浜坂温泉で有名であるが、ホタルイカ水揚げ量でも 日本一の漁港がある。 その町中に建つ西光寺は、天正年間(1573〜92年)に寿徳庵として 開創されたのが始まりと伝えられている。 1656年西光寺と改名されている。 参道脇に建つ石燈籠は寛政年間(1789〜1801年)に建立され、 浜坂では、最古類に属する石燈籠である。 ...続きを見る

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2017/03/30 09:30
愛染院 (大阪府堺市北区)
愛染院 (大阪府堺市北区) 愛染院は奈良時代前半に行基によって開創されたと伝わる池浦観音寺が 始まりといわれている。 戦国時代には兵火により荒廃したが、江戸時代に入って、この地域を 領地としていた秋元氏などにより再興されている。 現在の本堂は1652年再建されている。 秋元氏は、江戸時代の譜代大名で川越藩、山形藩、館林藩の藩主を 経緯している。 遠方にも関わらず、松原村(堺市東部など)を領地としていた。 愛染院は秋元氏の祈願所であったといわれている。 ...続きを見る

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2017/03/29 09:34
妙楽寺 (和歌山県かつらぎ町) 十五社の楠
妙楽寺 (和歌山県かつらぎ町) 十五社の楠 旧大和街道沿いの小さなお寺・妙楽寺の境内に聳える楠が、辺りを 見下ろす様に感動の声を挙げざるを得ない。 この楠は地元で<十五社(じごせ)の楠>と呼ばれ、地元のシンボル となっている。 かっては、妙楽寺に15の明神が祀られ十五社明神といわれていた。 十五社がいつしか<じごせ>と呼ばれたことから来ているとか。 楠は推定樹齢600年以上、樹高20m以上あり、和歌山県の 天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2017/03/27 09:33
神護寺 (兵庫県赤穂市)
神護寺 (兵庫県赤穂市) 赤穗市の高雄山中腹に廃れた神護寺があったが、2015年9月に 庫裡が火災に遭っている。 私が訪れた2013年5月には何とか健全であった。 1955年無住になって以降、荒れたままに放置されていた。 再建も考えられたが断念され、2015年の災禍に見る影もない姿に なっていまった。 ...続きを見る

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2017/03/25 09:37
天台院 (大阪府八尾市) 今東光ゆかりの寺
天台院 (大阪府八尾市) 今東光ゆかりの寺 八尾市街地に建つ小さなお寺天台院は、直木賞作家・今東光が 1951〜1975年の24年間住職として居住したお寺である。 今東光は、1898年横浜で生まれ、1921年頃から作家活動に 入り、1930年天台宗僧侶として出家している。 天台院住職となってから1957年直木賞を受賞し、その後も 河内を舞台とした小説を送り出し、1977年に亡くなっている。 名物和尚として一世を風靡した。 ...続きを見る

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2017/03/24 08:58
因念寺 (兵庫県たつの市)
因念寺 (兵庫県たつの市) たつの市中央を流れる揖保川右岸に建つ因念寺は1494年に開創 されたと伝わる。 山門と太鼓楼が印象的なお寺である。 その山門は、江戸時代後期に建立された龍野城の大手門を1879年 移築したものといわれている。 龍野城の遺構としては、東門が浄栄寺山門と因念寺山門といわれて いるが、それ意外に城門が2門お寺山門として移築されたとも。 ...続きを見る

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2017/03/11 09:22
敬応寺 (大阪府枚方市) 寺内町
敬応寺 (大阪府枚方市) 寺内町 枚方市北部の招提地区は、かって招堤村と呼ばれ、戦国時代は 敬応寺の前身であった浄土真宗の招堤道場を中核とした寺内町 であった。 1543年地元領主が荒地を開拓し、蓮如上人の六男・蓮淳を 招いて念仏道場を建立し、それを中核とした寺内町を形成した。 しかし、豊臣秀吉と明智光秀との戦いにおいて、招堤村は光秀側 を支援したことから、1582年頃寺内町としての特権が奪われ、 寺内町として終了している。40年間の寺内町であった。 1621年以降に道場は敬応寺となっている。 ...続きを見る

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2017/03/10 09:30
西門院 (和歌山県高野町) 高野山子院宿坊
西門院 (和歌山県高野町) 高野山子院宿坊 西門院は高野山のほぼ中心に位置し、本通りから参道の奥に竜宮門 が望める子院である。 樹林が生い茂る中に、推定樹齢200年の高野槙が竜宮門の上に 顔を出している。 西門院は延久年間(1069〜73年)に釈迦院として開創されたと 伝えられ、鎌倉時代に西門院となっている。 <南総里見八犬伝>で知られる房総半島の戦国大名・里見氏と 西門院は関係が深く、里見氏が西門院から借金したこともあるらしい。 ...続きを見る

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2017/03/08 09:04
徹心寺 (兵庫県神河町)
徹心寺 (兵庫県神河町) 姫路の北30kmに位置する神河町福本に、古雅な風情を醸し出している 茅葺の山門と本堂が建っている。それが徹心寺である。 徹心寺は、福本藩初代藩主・池田政直が父・輝澄の菩提を弔うために 1660年代前半に開創して以降、藩主池田氏の菩提寺となっている。 池田輝澄は姫路藩主・池田輝政の四男で、母は徳川家康の次女・督姫 で家康の外孫になる。 ...続きを見る

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2017/03/06 09:35
理安寺 (大阪府高槻市)
理安寺 (大阪府高槻市) 理安寺の開創時期は不詳であるが、1619年松平家信が高槻藩主に 赴任すると、家信は亡き妻の菩提を弔うために理安寺を再興している。 松平家信は、徳川家康の祖先・松平氏の同族で、形原松平氏と呼ばれ、 その子孫は家康に従っている。 家信は1691年〜1635年高槻藩主を務め、下総佐倉藩主に転封している。 ...続きを見る

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2017/03/05 16:03
尊宝寺 (兵庫県篠山市) 山門彫刻
尊宝寺 (兵庫県篠山市) 山門彫刻 尊宝寺は、1506年現在の篠山市日置に天台宗尊宝院として開創されたのが 始まりと伝えられ、1512年浄土真宗に改宗し尊宝寺となっている。 1599年八上城下に移り、1608年篠山城築城に際して鬼門除けとして 来迎寺と共に現在地に移っている。 1807年篠山の大火によって尊宝寺も山門を残して焼失したといわれている。 山門に左甚五郎が彫ったと伝承される唐獅子が火を吹き消したと 言い伝えられている。 ...続きを見る

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2017/02/21 09:30
安養寺 (大阪府枚方市)
安養寺 (大阪府枚方市) 枚方市楠葉の住宅街に建つ安養寺は、天平年間(729〜749年)行基 によって開創されたと伝える古刹であるが、現在は鉄筋コンクリートの 本堂が狭い境内に窮屈そうに建っている。 しかし、保存されている<石製露盤>は平安時代のものと推定されている。 露盤とは、屋根の頂部に乗せられ、相輪などを支え雨仕舞の役割を果たす。 一般には、青銅・鉄・瓦製だが石製は珍しく、大阪府文化財に指定されている。 下記の写真で、屋根頂部の四角な部分が露盤である。 ...続きを見る

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2017/02/20 15:36
応其寺 (和歌山県橋本市)
応其寺 (和歌山県橋本市) 応其寺が建つ橋本市は、応其上人(木食応其)が紀ノ川に橋を架けたことから 地名が由来するといわれ、その時の上人の草庵を寺として開創されたと 伝えられている。 応其上人は、1585年豊臣秀吉の紀州攻めに際して、高野山の使者3人の 一人として秀吉に会い、深い帰依を受け高野山を安堵されている。 高野山の再興や他の多くの寺院の再興に、秀吉の支援を受けて活動し、 高野山の伽藍中興といわれ、奥の院に応其の廟がある。 ...続きを見る

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2017/02/19 09:23
法宝寺 (兵庫県朝来市和田山町)
法宝寺 (兵庫県朝来市和田山町) 和田山町岡田集落の最奥、室尾山(630m)南麓に建つのが法宝寺である。 法宝寺は、748年室尾山中腹に開創されたと伝えられている。 中世には石清水八幡宮を勧請し七堂伽藍を備えた大寺として栄えたと いわれているが、江戸時代に入り衰えた。 1934年大雪により倒壊し、1936年現在地に移転している。 中腹には旧法宝寺跡が残され、室尾森林自然公園として整備されている。 ...続きを見る

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2017/02/17 09:02
興正寺別院 (大阪府富田林市) 寺内町
興正寺別院 (大阪府富田林市) 寺内町 室町時代に、浄土真宗などのお寺や道場を中核として形成された 自治権を持った集落を寺内町と呼んでいる。 関西を中心に数多くの寺内町が形成されたが、現在も色濃くその姿を 残すのが富田林寺内町と今井寺内町(奈良県橿原市)であろう。 共に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、観光客も 数多く訪れる寺内町である。 富田林寺内町は1560年頃、京都・興正寺が荒地を買い取り、 富田林御坊を開創し、寺内町を開発している。 ...続きを見る

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2017/02/16 15:48
仏陀寺 (大阪府太子町) 仏陀寺古墳
仏陀寺 (大阪府太子町) 仏陀寺古墳 仏陀寺境内にある仏陀寺古墳は蘇我倉山田石川麻呂の墓という説がある。 蘇我倉山田石川麻呂は飛鳥時代の蘇我馬子の孫で、大化改新の 中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺に加担し、右大臣になっている。 しかし、649年陰謀により山田寺において自害している。 石川麻呂の墓所の説は他にもある。  岐阜県各務原市にある伝蘇我倉山田石川麻呂の墓  奈良市帯解黄金塚がある。 ...続きを見る

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2017/02/03 15:15
西南院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院(宿坊)
西南院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院(宿坊) 高野山の入口である大門に最も近い子院が西南院である。 弘法大師空海の遺志を受けて壇上伽藍を完成させた真然大徳は、 讃岐出身で空海の甥といわれ、高野山第2世となっている。 この真然が壇上伽藍の裏鬼門にあたる西南方に西南院を開創した と伝えられている。 ...続きを見る

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2017/02/02 09:49
来迎寺 (兵庫県篠山市)
来迎寺 (兵庫県篠山市) 篠山城跡の北東500mほどに(篠山城の鬼門)建つのが来迎寺である。 弘治年間(1555〜58年)京都・永誉寺の住職が、現在の篠山市日置に 不断寺を開創したのが来迎寺の始まりと伝えられている。 八上城主であった戦国大名・波多野秀治の帰依を受け、永禄年間 (1558〜70年)に八上城下に移り、阿弥陀寺として再興されている。 波多野秀治は1579年織田信長によって処刑され、波多野氏は没落 している。 江戸時代になって、篠山城が築城されると、1610年現在地に城の 鬼門除けとして移り、来... ...続きを見る

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2017/02/01 09:31
吉祥寺 (大阪市天王寺区) 義士の寺
吉祥寺 (大阪市天王寺区) 義士の寺 谷町筋に面した吉祥寺は1630年に開創されたが、その後廃れた。 赤穂から住職を迎えた頃から、赤穂藩主浅野長矩の帰依を受け、 浅野家の大坂での菩提寺となった。 1703年赤穂義士46人が切腹となり、泉岳寺に葬られたが、墓碑は 幕府に遠慮して建てられなかった。 1739年泉岳寺に先駆けて義士の墓碑が建立されている。 ...続きを見る

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2017/01/31 10:42
永福寺 (大阪府忠岡町) 5樹のビャクシン
永福寺 (大阪府忠岡町) 5樹のビャクシン 住宅街の中に濃い緑の樹勢旺盛なビャクシンが強く迫る永福寺がある。 お寺の雰囲気は全くなく、安明医院の看板が目立つ。 5株のビャクシンは、高さはそれほどではないが、その樹齢と姿から 大阪府の天然記念物に指定され、大阪みどりの百選にもなっている。 古いものは、源義仲の家臣による手植えと伝承され、推定樹齢は 800〜900年といわれている。 これだけの古木の周辺環境が整備されると、ビャクシンももっと 活きるのだろう。 ...続きを見る

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2017/01/18 09:54
龍谷寺 (和歌山県かつらぎ町)
龍谷寺 (和歌山県かつらぎ町) 高野山西麓に位置し紀ノ川を挟んで南北に細長い町がかつらぎ町である。 その紀ノ川南岸の高台にあり、丹生大明神を祀る村社・丹生酒殿神社前に 小さな本堂が建つのが龍谷寺である。 この龍谷寺には、2016年和歌山県文化財に指定された木造神像群10躯 がある。 龍谷寺は丹生酒殿神社と関わりがあるのか? この神像群は、弘法大師空海が高野山の開創に深く関わったと伝承される 丹生大明神の関連遺品として注目されている。 (大明神を祀る本社・丹生都比賣神社もかつらぎ町上天野にある) ...続きを見る

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2017/01/16 14:55
景福寺 (兵庫県姫路市)
景福寺 (兵庫県姫路市) 姫路城の西にある小丘・景福寺山の南麓に建つ景福寺は、1749年から 姫路藩主となった酒井家の菩提寺である。 酒井家は徳川将軍の重臣で、大老などを務めた譜代大名である。 景福寺には藩主の室などが葬られており、藩主の墓は前橋市・龍海院に 存在する。 ...続きを見る

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2017/01/15 09:23
恵光寺 (大阪府八尾市) 萱振御坊
恵光寺 (大阪府八尾市) 萱振御坊 蓮如上人は浄土真宗の布教に力を注ぎ、文明年間(1469〜87年)には 河内での布教の折、六男・蓮淳を開基として恵光寺を開創したといわれている。 恵光寺の縁起では、1470年開創としている。 蓮淳は六男でありながらも、本願寺の中では信頼も厚く、事実上本願寺を 統治したといわれる。 恵光寺は戦国時代には大寺となり、寺内町を形成するほどで、萱振御坊 と呼ばれていた。 1685年住職などの宗派問題で無住状態となったが、1880年再興され 元の姿に戻っている。 現在の恵光寺は地域に開かれ... ...続きを見る

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2017/01/14 09:29
常喜院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院(宿坊) 地蔵尊のお寺
常喜院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院(宿坊) 地蔵尊のお寺 金剛峯寺六時の鐘の前に位置する常喜院は、弘法大師空海の十大弟子 の一人で、空海の一族である実恵が開創したと伝えられている。 1156年に再興されている。 常喜院の本尊は高野山では珍しい地蔵菩薩で、境内には赤地蔵や さすり地蔵など様々なお地蔵さんに囲まれている。 境内奥には校倉があるが、これは1631年に興山寺東照宮(現在は存在せず) に建立されたものを移築している。 ...続きを見る

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2016/12/28 09:39
蓮華寺 (兵庫県豊岡市竹野町) 但馬高野
蓮華寺 (兵庫県豊岡市竹野町) 但馬高野 豊岡市竹野町の轟集落は、日本海へと流れる竹野川に沿って開ける 山村集落である。 その山麓に建つ蓮華寺は707年開創と伝わり、鎌倉時代に京都・東寺 から来た杲宝僧正が七堂伽藍を整備し、真言の教化の中心となって、 但馬高野と呼ばれたといわれている。 (養父市・満福寺も但馬高野と呼ばれた) ...続きを見る

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2016/12/26 09:43
大雲寺 (大阪市中央区)
大雲寺 (大阪市中央区) 大阪市の中央区と天王寺区には寺院集積地区が5ヶ所あり、その中の 一つ<中寺>にある大雲寺は、地域の人々と共生するお寺として 知られている。 親子教室やヨガなどを通じて親しまれている。 大雲寺の開創は不詳であるが、日蓮宗常在寺を1661年改宗して 再興し、大雲寺となっている。 日蓮宗から浄土宗への改宗は珍しい。 ...続きを見る

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2016/12/25 09:39
長源寺 (兵庫県篠山市) 大師堂
長源寺 (兵庫県篠山市) 大師堂 雲海の眺望で知られる盃ヶ岳の麓に建つ長源寺の大師堂は、 篠山藩4代藩主・松平康信が3代将軍・徳川家光の位牌を祀る御霊屋を 栄松寺に建立したが、1850年栄松寺が廃寺となり、長源寺へ 移築され大師堂となった。 松平康信は、1649年5万石で篠山藩主となり篠山藩政を確立し、 篠山の基礎を築いている。 ...続きを見る

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2016/12/11 10:10
小峯寺 (和歌山県橋本市) 修験の寺
小峯寺 (和歌山県橋本市) 修験の寺 修験道の開祖といわれる役行者(役小角)が開いた葛城山系と大峰山系の 修験道場の一つと伝えられるのが小峯寺である。 大峰寺に対して小峯寺と称されるようになったといわれる。 橋本市の北部に位置し、金剛山系の麓に当たるが、開発が進み住宅地 が周辺に迫っている。 境内には、1379年に建立された宝篋印塔が安置され、古寺の面影を 残している。 ...続きを見る

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2016/12/09 09:50
笠形寺 (兵庫県市川町)
笠形寺 (兵庫県市川町) 北播磨の播磨富士とも呼ばれる笠形山(939m)の山麓に建つ笠形寺は、 650年インドからの渡来僧で伝説的な法道仙人によって開創されたと 伝わる山岳信仰のお寺である。 数百年を経た杉や檜が生い茂り、姫路城の心柱はここから切り出されたと いわれている。 創建当初は、鎮守社であった笠形神社の山腹位置にあったが、現在は 山麓に移っている。 庫裡の庭には樹齢500年といわれるコウヤマキ(高野槙)が旺盛な 樹勢を保持している。 ...続きを見る

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2016/12/08 09:26
西本願寺尾崎別院 (大阪府阪南市) 尾崎御坊
西本願寺尾崎別院 (大阪府阪南市) 尾崎御坊 浜街道に面して建つ尾崎別院は、開創は不詳である善徳寺が焼失した跡地に 1598年桑山重晴が堂宇を建立して本願寺12代宗主・准如上人に寄進した ことに始まり、尾崎御坊と呼ばれた。 桑山重晴は豊臣秀吉の家臣で、1585年に和歌山城代となり阪南地域の 領主となっている。 1596年出家し、1600年谷川藩主(現在の岬町)となっている。 尾崎別院は、大阪府にある西本願寺別院3ヶ院の一つではあるが、 位置づけは低くなっている。 ...続きを見る

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2016/12/07 10:02
妙福寺 (兵庫県篠山市)
妙福寺 (兵庫県篠山市) 妙福寺墓所には、1614〜15年の大坂の陣で豊臣方の将として活躍した 後藤又兵衛の子孫の墓塔がある。その子孫は篠山藩に仕えていた。 又兵衛には10人以上の子供がいたといわれ、その子孫のいずれかが 篠山藩に入ったのであろう。 ちなみに、後藤又兵衛の墓は鳥取市景福寺に六男・後藤馬之助によって 建てられたといわれている。 ...続きを見る

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2016/11/23 09:30
桜池院 (和歌山県高野町) 高野山子院 武田信玄菩提寺
桜池院 (和歌山県高野町) 高野山子院 武田信玄菩提寺 桜池院は、1127年白河天皇の第4皇子・覚法法親王によって養智院 として開創されたのが始まりと伝えられている。 覚法法親王は高野山にいくつかの子院を開いている。 1258年後嵯峨上皇が高野山を参拝した折に、養智院に宿泊し、 歌を詠んでいるが、その歌の中から桜と池をとって桜池院と改名されている。 桜池院を<ようちいん>と呼ぶのは養智院に由来している。 ...続きを見る

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2016/11/21 13:44
見星寺 (兵庫県姫路市)
見星寺 (兵庫県姫路市) 見星寺は、姫路藩主・本多政朝が祖母・徳姫(見星院)の菩提を弔うために 開創している。 徳姫は1559年織田信長の長女として生まれ、1567年徳川家康の 嫡男・松平信康に嫁いでいる。 その後、2人の娘(登久姫、熊姫)が生まれたが、1579年信長の命により 信康は自害している。 徳姫は一旦安土城に戻っているが、本能寺の変後は豊臣秀吉の庇護の 下で、京都に隠棲し1636年亡くなっている。 徳姫の次女・熊姫が本多政朝の父・本多忠政の正室である。 なお、本多忠政の父は徳川四天王の一人・本... ...続きを見る

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2016/11/19 09:50
瑠璃光寺 (大阪府柏原市) 石棺仏
瑠璃光寺 (大阪府柏原市) 石棺仏 参道の石段を登りきった左手に小堂があり、そこに3体の石仏が安置されている。 向って左の2体が石棺仏である。石棺仏は近畿地方にほとんどが分布しており、 兵庫県播磨に集中している。 瑠璃光寺の石棺仏は、古墳の家形石棺の蓋に平安時代末期〜鎌倉時代初期に 刻まれたものと推定されている。 恐らく野道に建てられていたものを移座したものであろう。 ...続きを見る

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2016/11/18 19:22
円明寺 (兵庫県朝来市和田山町)
円明寺 (兵庫県朝来市和田山町) 和田山町宮集落の分け入った山麓に石垣構えの円明寺は建つ。 開創は不詳であるが、1674年石垣構えの伽藍が再興されている。 本堂と書院の裏に池泉鑑賞式庭園があり、江戸時代末期と明治時代 に作庭されている。 書院庭園と本堂庭園は一体的に捉えられる変化に富んだ庭園といえよう。 兵庫県の名勝庭園に指定されている。 この庭園はほとんど知られることもない隠れた名勝庭園だろう。 ...続きを見る

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2016/11/03 14:08
極楽寺 (和歌山県湯浅町)
極楽寺 (和歌山県湯浅町) 極楽寺の開創については不詳であるが、石田三成の兄・石田正澄の子孫が 江戸時代に再興している。それ以降、住職は石田さんである。 石田正澄は、1600年の関ヶ原の戦いでは佐和山城を守備していたが、 東軍に寝返った小早川秀秋らに攻められ自害している。 その折に、正澄の孫を落ち延びさせ、その子孫が湯浅へ入ったといわれている。 また、三成の弟・光重(不詳)の子孫が岐阜県大野町の石田善能寺に入っている。 極楽寺には石田氏の極楽寺系図が伝わっている。 ...続きを見る

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2016/11/02 09:15
長楽寺 (兵庫県赤穂市) 播磨西国三十三ヶ所観音霊場第9番
長楽寺 (兵庫県赤穂市) 播磨西国三十三ヶ所観音霊場第9番 江戸時代初期に設定された播磨西国三十三ヶ所観音霊場は、 西国三十三所観音霊場に倣って慶雲寺の南室和尚が選定したが、 全国に多数ある観音霊場の中でも歴史のある霊場である。 円教寺を第1番とし、一乗寺を第33番としている。 長楽寺は天平年間(729〜749年)に開創されたと伝える古刹であり、 播磨西国観音霊場の第9番にあたる。 広い境内も整備が進んでいる。 ...続きを見る

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2016/10/31 09:12
月江寺 (大阪市天王寺区)
月江寺 (大阪市天王寺区) 1570年、織田信長と浄土真宗本願寺(石山本願寺)との石山合戦が 始まり、1576年信長は天王寺城を、現在の月江寺の地に築かせている。 1580年両者は和睦し天王寺城も廃城となっている。 1697年天王寺城跡に、東印比丘尼が徳川5代将軍・綱吉の生母・桂昌院 の両親の菩提を弔うために月江寺を開創している。 江戸時代の摂津名所図会にも掲載される名所であり、<西の阿弥陀池 東の月江寺>と称されていた。 ...続きを見る

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2016/10/29 19:15
誓願寺 (兵庫県篠山市)
誓願寺 (兵庫県篠山市) 誓願寺は、天正年間(1573〜92年)初期に、丹波の戦国大名であり、 高城山上の八上城主であった波多野秀治が室町幕府13代将軍・足利義輝 の子・覚山天誉を庇護し、高城山麓に開創したのが誓願寺である。 波多野秀治は当初、織田信長に従っていてが、1576年突如叛旗を 翻し、信長の明智光秀軍に攻撃し撃退している。(黒井城の戦い) それ以後、秀治は八上城に籠城し光秀軍と1年半に亘って戦ったが、 1579年降伏し秀治は処刑され、波多野氏は滅んでいる。 ...続きを見る

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2016/10/14 09:49
上池院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院宿坊
816年弘法大師空海は修禅の道場として高野山を下賜され、翌年から 高野山の開創に箸手している。 天長年間(824〜834年)仮住いの草庵を建て、千手観音を祀ったのが 上池院の始まりと伝えられている。 南北朝時代初期に、後醍醐天皇の末子といわれる曽眼(崇永)阿闍梨が 勧進を行い資金を集め、上池院を再興したといわれている。 江戸時代初期には観音院と呼ばれていたが、上池院に改められている。 ...続きを見る

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2016/10/13 09:04
大岡寺 (兵庫県豊岡市日高町) <名勝>旧大岡寺庭園
日高町にある大岡山(652m)の山頂近くにある大岡ゴルフ倶楽部の東斜面に、 1967年まで存続した大岡寺旧境内に池泉鑑賞式庭園が池の水は枯れて いるが、岩組が残されている。 お寺の基壇なども残されているが、整備はされていない。 アクセスはゴルフ場近くまで整備されているが、林道に入って未整備で、徒歩での 難渋のアクセスである。 私も四苦八苦のアプローチであった。 旧境内からの眺望はよく、苦労の甲斐はあった。 ...続きを見る

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2016/10/11 08:37
大信寺 (大阪府八尾市) 八尾御坊
江戸時代、八尾には3ヶ所の寺内町が存在するという珍しい歴史がある。 八尾西部の久宝寺地区には、顕証寺を核とする久宝寺寺内町が戦国時代 に形成され、大いに栄えたといわれている。 江戸時代に入って、本願寺が東西に分離される状態の中で、八尾においても 東西本願寺派の対立が生じている。 顕証寺は西本願寺に属したことから、東本願寺の教如は1607年大信寺 (八尾御坊)を開創し、新たに寺内町が形成されていき、江戸時代中期 以降は八尾の中心地となっていった。 現在では、久宝寺寺内町の面影は残っ... ...続きを見る

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2016/10/09 14:50
蟠龍庵 (兵庫県篠山市) 篠山藩主・青山家の菩提寺
篠山城跡の北西500mに位置する小高い富の山南東麓にある蟠龍庵は 篠山藩主・青山家の菩提寺である。 青山氏は1748年〜明治維新まで篠山藩主を勤めている。 青山氏は現在の群馬県中之条町青山出身の武家で、徳川家康の家臣として 関ヶ原合戦で活躍し、大名として各地の藩主を勤めている。 青山忠朝は丹波亀山藩(亀岡市)から1748年篠山藩主となっている。 ...続きを見る

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2016/09/26 09:03
願成寺 (和歌山県海南市) あじさい寺
あじさい寺として、海南市のスポットとなっている願成寺の開創については 平安時代末期の様相が強く反映しているようだ。 鳥羽天皇の中宮であり、崇徳・後白河天皇の生母である待賢門院璋子が 1145年亡くなるとその菩提を弔うために、湛慶上人が朝廷の命を受けて 開創したといわれている。 湛慶上人の姉妹といわれる美福門院得子は、鳥羽天皇譲位後の鳥羽上皇 に寵愛を受けた寵妃であり、待賢門院を出家に追い込んだ権力争いの 様相があった。 後に、保元の乱が起こる様相を呈していたのである。 なお、待... ...続きを見る

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2016/09/25 09:22
西源寺 (兵庫県姫路市) 東山焼燈籠
西源寺の境内に安置されている<東山焼燈籠>は非常に珍しい。 やきものの燈籠は珍しくはないが、東山焼の燈籠は2例だといわれている。 東山焼は、1822年姫路の東山で始まり、1831年男山麓に窯が移され、 1859年頃まで姫路藩の御用窯として伊万里焼風の陶磁器を造っていたと いわれている。 江戸時代初期に伊万里焼が鍋島藩の御用窯として活動して以降、 多くの藩が倣って御用窯を造っており、姫路藩もそれに倣ったのであろう。 東山焼は明治時代に民窯になり、いつしか消失している。 西源寺の燈籠... ...続きを見る

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2016/09/23 08:58
円妙寺 (大阪市中央区)
仁徳天皇を祀る高津宮の東隣に建つのが円妙寺である。 866年仁徳天皇の皇都の旧跡と定め、築かれたのが高津宮といわれている。 この高津宮の献茶水の古井戸といわれる井戸が円妙寺の境内に 現存しているらしい。拝観はできなかった。 また、江戸時代前期に浪花において1200名の門下生を教え、 115歳の長寿を全うした儒学者・一井鳳悟の菩提寺が円妙寺である。 ...続きを見る

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2016/09/22 09:58
西楽寺 (兵庫県丹波市柏原町)
丹波市柏原(かいばら)町は江戸時代に丹波柏原藩があった町でその面影を 残す町である。 丹波柏原藩は、織田信長の弟・信包が初代藩主となって柏原の基盤を 築き、一時は途絶えるが、明治維新まで織田氏が藩主を勤めている。 現在も柏原藩陣屋跡として整備され、長屋門がある。 その陣屋跡の北西200mほどに、鐘楼門が目立つ西楽寺が建つ。 西楽寺は、7世紀にインドからの伝説上の渡来僧・法道仙人による 開創と伝える古刹であるが、詳細は不詳である。 ...続きを見る

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2016/09/08 10:00
安養院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院宿坊
安養院は高野山中央に位置し、高野山大学の東隣にある宿坊で、 金蔵院も同一境内にある。 安養院の開創は不詳であるが、鎌倉時代末期に融通念仏宗の僧・法明上人 が10年間修行し再興したといわれている。 境内には法明上人を祀る法明堂もある。 また、16世紀には中国地方の覇者・毛利元就の帰依を受け、毛利家の 菩提寺にもなっている。 目立たない宿坊であるが、静かな佇まいが好まれている。 ...続きを見る

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2016/09/06 09:09
普音寺 (兵庫県たつの市) 龍野藩主脇坂氏の家臣総菩提寺
たつの市を流れる揖保川西岸の的場山(394m)南東麓に建つ普音寺は、 1532年真言宗のお寺として開創され、1637年京極氏が龍野藩主となると、 京極氏が普音寺を菩提寺としている。 1658年京極氏が四国丸亀藩主として移ると、普音寺も丸亀に移転している。 1672年龍野の基盤を築いた脇坂安政が龍野藩主となると、近江浅井氏伝来 の阿弥陀三尊来迎仏を本尊として来迎寺を開き、後に前の普音寺と改名 している。 ちなみに、脇坂安政は<賤ヶ岳七本槍>の一人・脇坂安治の三代目である。 その後、... ...続きを見る

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2016/09/04 08:58
青蓮寺 (大阪市天王寺区) 大阪十三仏霊場第12番
青蓮寺の起源は、聖徳太子が志宜野(大阪市東区鴫野)に建立したと 伝わる法案寺にあるといわれている。 その後、法案寺は生玉明神と習合し神宮寺として隆盛したが、 明治時代の神仏分離により、生玉十坊と呼ばれた法案寺塔頭は バラバラとなり、その内の2院が合併し、かって存在した青蓮寺の寺号を 引き継いで、現在地に再興されている。 法案寺は現在、大阪市中央区に移転している。 ...続きを見る

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2016/09/03 10:33
法輪寺 (兵庫県姫路市)
1580年羽柴秀吉(豊臣秀吉)が英賀城攻略の折に宝林寺(後の法輪寺) に立ち寄り、茶を所望したところ白湯が出されて<湯沢山茶くれん寺> と称号を遣わした。後々、法輪寺は<湯沢山茶くれん寺>と呼ばれる ようになったとか。 これと同じ秀吉の逸話が京都市上京区の浄土院に伝わっている。 法輪寺は、鎌倉時代に晦蓮寺と呼ばれる天台宗寺院が始まりと伝えられ、 南北朝時代に宝林寺と改名され、江戸時代初期に法輪寺となっている。 ...続きを見る

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2016/08/22 14:25
阿弥陀寺 (和歌山県和歌山市鳴神)
1632年紀州初代藩主・徳川頼宣が、兄でもある徳川幕府2代将軍・徳川秀忠 の菩提を弔うために、和歌山城下の寺町(現和歌山市吹上)に大智寺を開創し、 秀忠の霊屋を1633年建立している。 明治時代の廃仏毀釈により大智寺は廃寺となり、1871年阿弥陀寺の本堂 として移築されている。 霊屋が本堂として転用された珍しい例であり、現在も霊屋としての様式を 残している。 ...続きを見る

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2016/08/20 14:50
医王寺 (兵庫県篠山市) ラッパイチョウ
医王寺本堂前のイチョウは<ラッパイチョウ>と呼ばれるイチョウの変種で、 普通の葉に混じってロート状の葉(ラッパ葉)が全体の1割ほど見られる。 特に、このラッパイチョウはラッパ葉の出現率が高いとして兵庫県の 天然記念物に指定されている。 医王寺は応永年間(1394〜1428年)の開創と伝えられる。 現在は無住である。 ...続きを見る

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2016/08/18 10:00
本経寺 (大阪市中央区)
浄瑠璃義太夫の初代豊竹若太夫は竹本義太夫に師事した後、独立し豊竹座を 創始し天性の美声で人気を博した。 その後、竹本派と豊竹派が義太夫界で競い発展させてきた。 その豊竹若太夫の菩提寺が本経寺である。 本経寺の開創は不詳である。 ...続きを見る

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2016/08/17 09:14
楞厳寺 (兵庫県新温泉町)
但馬海岸から一山越えた田井地区の山あいに、樹々に覆われた楞厳寺 がある。 参道脇には2塔頭があり、最奥に大本堂が建つ。 南北朝〜室町時代にかけては、但馬の守護大名・山名氏の庇護を受け、 また足利将軍の帰依を受けて、大いに栄え、30数坊の塔頭を抱える 大寺であったといわれている。 足利将軍や山名氏の衰えと共に楞厳寺も衰退し、天正年間には 兵火に罹り焼失している。 こうした罹災にも拘わらず、多くの文化財が失われず残っている。 但馬の文化財宝庫となっている。 ...続きを見る

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2016/08/05 08:46
釈迦文院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院 祈親上人
釈迦文院は1005年祈親上人(定誉)によって開創されたと伝えられている。 祈親上人は、亡くなった両親の菩提を弔うために長谷寺を訪れ、観音菩薩 からの霊告を受け高野山に登っている。 当時の高野山は落雷などの火災で荒廃しており、釈迦文院を開創し定住して 高野山の復興に努めている。 奥の院燈籠堂に<消えずの火>が二つあるが、その一つ<祈親燈>は 祈親上人が献じたものである。 もう一つは、白河上皇が献じた<白河燈>である。 ...続きを見る

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2016/08/03 10:07
円光寺 (兵庫県たつの市) 宮本武蔵ゆかりの寺
宮本武蔵の生誕地や生年は定かではないが、生年は1584年と推定され、 生誕地は、兵庫県太子町説・高砂市説・岡山県美作市がある。 その伝記にも定かでない部分があるが、武蔵が円光寺に滞在し、 弟子たちに指南した足跡が円光寺文書に残っているらしい。 この指南が龍野藩に広まったといわれている。 武蔵の没年は1645年である。 ...続きを見る

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2016/08/01 09:13
法福寺 (大阪府阪南市) お菊寺
豊臣秀次には数十人の側室がいたといわれ、その内の一人・小督局の 娘・お菊(秀次の娘)は、秀次自害後の側室処刑で小督局も処刑されるが、 生きながらえ紀伊の親類・後藤氏の養女となっている。 1615年4月紀伊の代官・山口朝安に嫁いでいる。 1615年大坂夏の陣で、山口氏は豊臣方に味方し討死し、 お菊も徳川方に捕えられ処刑されている。 後藤氏の菩提寺法福寺にお菊の木像が祀られ菩提を弔っている。 法福寺はお菊寺と呼ばれている。 ...続きを見る

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2016/07/31 09:41
弘誓寺 (兵庫県篠山市) 宇土観音
篠山市には2ヶ寺の弘誓寺がる。共に、伝説上のインドからの渡来僧 法道仙人によって開創されたと伝えられている。 通称宇土観音と呼ばれる弘誓寺は、篠山市の南に位置し、槙ヶ峰の 山麓にあって、紅葉時期にはもみじやイチョウの色づきが鮮やかな 風景が展開される信仰のお寺である。 残念ながら、訪れたのが残暑の時期で再度訪問したいと。 ...続きを見る

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2016/07/17 10:22
極楽寺 (和歌山県橋本市隅田町)
奈良県と接する橋本市隅田町真土(すだちょうまつち)の集落に、 こじんまりと建つ極楽寺に、南北朝時代の宝篋印塔が安置されている。 この石塔は、ここから北の山上にあった大聖寺跡から江戸時代に村人 が移設したといわれている。 橋本市では数少ない古類の宝篋印塔である。 ...続きを見る

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2016/07/16 10:06
放光院 (兵庫県朝来市山東町) 夜久野茶堂
兵庫県朝来市と京都府福知山市が接する県境に建つ放光院は、 夜久野ヶ原の中にあり、かっての国では丹波国に属していた。 別名・夜久野茶堂と呼ばれ、福知山市夜久野の人々の弘法大師信仰が 篤い放光院である。 夫婦イチョウと呼ばれるイチョウ大木は、放光院開創の頃から夜久野ヶ原 を見つめてきており、推定樹齢300年といわれている。 放光院は、寛政年間(1789〜1801年)に信州の僧が夜久野ヶ原に庵を 築いたのが始まりといわれている。 不動明王と弘法大師を祀り、年2回大師まつりが行われている... ...続きを見る

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2016/07/14 09:33
大福寺 (大阪市天王寺区)
天王寺区上本町、城南寺町一帯は寺院群を構成し、上本町通に面して 塀に囲まれた大福寺がある。 明治2年、新政府の布告によって、大福寺に浪華仮病院が設けられ、 緒方洪庵の次男・惟準が院長に、オランダ人・ボードウィンが主席教授となって 診療が開始されている。 しかし、6ヶ月後には廃止されている。これが大阪大学医学の前身と なっている。 ...続きを見る

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2016/07/13 09:12
清光寺 (兵庫県太子町) 徳道上人生誕地
西国三十三所観音霊場の開祖であり、奈良県長谷寺を開創した徳道上人は、 656年播磨国矢田部で生まれ、年若くして出家し、718年西国三十三所観音 霊場を定め、727年長谷寺を開山したと伝えられている。 晩年は矢田部の地に草庵を建て隠棲したと伝承されている。 その草庵跡といわれる地に清光寺が建ち、生誕地といわれる地に徳道上人堂 が建っている。 ...続きを見る

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2016/06/30 09:26
成福院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院 摩尼宝塔
高野山中心部に一際目立つ八角形の塔(摩尼宝塔)が高野山の多様性を 具現している。 太平洋戦争において、ビルマ(ミャンマー)方面戦没者を弔うために1984年に 建立され、ミャンマーとの親善交流のシンボルとなっている。 元住職がビルマ戦線での苦労を踏まえて、ビルマのパゴダを表す宝塔建立 を発願している。 また、奥の院参道にも納骨塔としてパゴダの塔が建てられている。 ...続きを見る

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2016/06/28 09:14
高仙寺 (兵庫県篠山市) 多紀三山
高仙寺は松尾山(687m)の東南麓、国道176号に面して建つ多紀三山 (文保寺、高仙寺、龍蔵寺)の一寺であり、かっては大寺であった。 高仙寺は、645年インドからの渡来僧といわれる伝承上の法道仙人が 松尾山の中腹に草庵を建て、十一面観音を祀ったのが始まりと伝えられ、 9世紀初頭に最澄によって再興されたといわれている。 鎌倉時代には七堂伽藍、26坊の大寺であったといわれている。 戦国時代に矢代酒井氏が松尾山頂に高仙寺城を築き、1579年明智光秀 の丹波侵攻で戦ったが敗れ、城は落城、高... ...続きを見る

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2016/06/25 09:45
心光寺 (大阪府天王寺区) インド風本堂
天王寺区を南北に走る松屋町筋に面して建つ心光寺本堂の風景は、 お寺の伽藍の通念とはかけ離れたインド風の建物である。 1923年火災で焼失し、時の住職がインドのタージマハルを参考に 設計されたといわれ、1929年建立当時の評判はイマイチであったらしい。 しかし、90年近く経ちその卓抜の発想に驚く。 私の第一印象はアッとこれぞの強い印象であった。 ...続きを見る

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2016/06/24 09:03
大日寺 (兵庫県姫路市勝原区) 五智如来石仏
姫路市の南西端に小高い独立の朝日山(88m)があり、その頂上に 大日寺が建っている。 かっては、山全体が寺領であったが、現在は朝日山公園として整備されている。 戦国時代には三度に及ぶ戦場となり、お寺の伽藍も壊滅している。 その中には、斑鳩寺との寺領争いで多くの僧兵が亡くなったとか。 現在の朝日山は市民のウオーキングの場となり、姫路市緑の十景になっている。 ...続きを見る

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2016/06/11 09:00
本勝寺 (和歌山県湯浅町)
湯浅町は<醤油発祥の地>といわれ、室町時代には湯浅醤油と金山寺味噌 の醸造が始まっていた。 戦国時代の頃には、富商も現れていた。 江戸時代になって、紀州藩主の奨励策もあり、本格的な醸造が盛んとなり、 町家の形成もなされた。 そうした中で、本勝寺は天正年間(1573〜91年)に開創されている。 ...続きを見る

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2016/06/09 09:13
来迎寺 (兵庫県朝来市生野町) 芭蕉蓑塚
8ヶ寺のお寺が建ち並ぶ生野寺町通の西端に建つ来迎寺には、珍しい 芭蕉蓑塚が句碑と並んで建っている。  芭蕉が1694年大坂で亡くなった折に、弟子の広瀬惟然が芭蕉の遺品の 中から7点を譲り受け、その一つ古蓑のこぼれを姫路の増位山に埋めて 塚を築いたのが蓑塚の始まりといわれている。 1796年同門の俳人・松岡青羅が生野行脚の折に、芭蕉の古蓑のこぼれを 弟子の竹也に与えた。竹也は門人の協力を得て、来迎寺に蓑塚を 建てたといわれている。 全国には、姫路、仙台、新潟などに蓑塚があり、珍しい... ...続きを見る

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2016/06/07 09:26
法蔵院 (大阪市天王寺区)
法蔵院山門の棟瓦装飾は珍しい龍の装飾瓦で、1945年の大空襲でも 焼けずに残った貴重な山門である。 天王寺区のお寺は戦災でほとんどが被害に遭っており、法蔵寺も本堂など 山門以外の伽藍は焼失している。 法蔵院は現在も再建に向けて奮闘中である。 法蔵院の開創は1577年である。 ...続きを見る

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2016/06/06 10:14
相応峰寺 (兵庫県新温泉町)
山陰海岸ジオパークの一つ観音山(245m)の頂上に建つ観音堂(円通殿) の本尊・十一面観音像は年に一度(4月18日)開扉される秘仏である。 山麓には相応峰寺の本坊があり、私の訪れた時は5月であり、頂上への 参拝は一人のこともあり諦めた。 頂上からの眺望も大いに期待されるだろうに。 相応峰寺は、737年に観音山山頂に開創されたと伝えられ、当初は極楽寺と よばれた。 859年相応峰寺となったといわれ、その頃本尊・十一面観音像が造立された と推定されている。 檀像風の仏像はこの地方で... ...続きを見る

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2016/05/26 09:12
光台院 (和歌山県高野町高野山) 快慶作の阿弥陀三尊像
高野山の子院・光台院は、白河天皇第4皇子・覚法法親王(仁和寺第四世) によって12世紀前半に開創され、その後も皇室ゆかりの寺となった。 覚法法親王は高野御室とも呼ばれ、光台院も高野御室と呼ばれている。 本尊・阿弥陀三尊像は大仏師・快慶の晩年の作といわれ、1221年頃の 作といわれている。 ...続きを見る

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2016/05/23 09:05
和田寺 (兵庫県篠山市) 丹波焼の里の古刹
やきもの日本六古窯(瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波焼、備前焼) の一つ丹波焼立杭の里にあって、和田寺山麓の<せんじゅの森>に包まれた 古刹が和田寺である。 本坊から本堂への参道を歩くと、古刹への期待感が高まる。 ...続きを見る

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2016/05/22 08:58
宗福寺 (大阪府阪南市)
大阪府南端に位置する阪南市の箱作地区は大阪湾に面し、海水浴場で 賑わい、海岸から200mほど内にはいった住宅地に建つのが宗福寺である。 こじんまりした境内の地蔵堂に祀られる地蔵菩薩坐像は、藤原時代の 造像で、胎内に納められた1305年の墨書によれば、薬師寺の仏であった。 この地蔵尊がいつしか箱作山中の地蔵寺に移り、1874年宗福寺に 移座されている。 ...続きを見る

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2016/05/20 09:08
円通寺 (兵庫県豊岡市竹野町) 大石内蔵助ゆかりの寺
1701年赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の殿中刃傷事件で赤穂藩改易後、 家老・大石内蔵助良雄は妻・りくなど子供などを豊岡藩家老であり、りくの 父・石束毎公のもとへ帰し、その後山科へ戻るが次男・吉之進は豊岡に 留まり、竹野の円通寺に入り僧となっている。 しかし、内蔵助は後の連座を避けるために、妻子を離縁し再度豊岡へ 帰している。 吉之進は名を祖錬として修行し、豊岡の興国寺へ移ったが、1709年 19歳の若さで亡くなっている。 ...続きを見る

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2016/05/07 09:15
光恩寺 (和歌山県和歌山市)
徳川家康の三女・振姫(正清院)は、1598年豊臣秀吉の命により蒲生秀行と 結婚したが1612年秀行が亡くなり、1615年には家康の命により 紀州藩主・浅野長晟と再婚したが、1617年38歳で亡くなっている。 家康の十男・徳川頼宣が1619年紀州徳川の藩主となり、姉でもある振姫 の墓を光恩寺に建てている。 それ以降、光恩寺は紀州徳川家の手厚い保護を受けている。 現在の光恩寺庫裡は、1880年和歌山城本丸の御台所を移築したもので、 貴重な和歌山城遺構となっている。 ...続きを見る

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2016/05/06 09:08
西方寺 (兵庫県篠山市) サザンカと榧
篠山市南西の山あいに田畑が拡がる今田新田集落にあって、一際目につく 榧(カヤ)の木が迎えてくれるのが西方寺である。 山門の傍、推定樹齢600年といわれる榧の木の根元は火災による空洞が 目に飛び込んでくるが、樹勢は旺盛である。 山門を潜ると、本堂前に半楕円形に剪定された推定樹齢600年のサザンカが 優しく迎えてくれる。 兵庫県下でも随一といわれ、全国的にも珍しいサザンカの巨古木と謳われて いる。 ...続きを見る

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2016/05/05 19:47
萬福寺 (大阪市天王寺区) 新撰組大坂屯所
幕末の混乱期に新撰組は主に京都で活動していたが、1863〜67年には 大坂の萬福寺に大坂屯所を置き、倒幕志士などの捕縛や将軍警護などに 当ったといわれている。 本堂裏手には、牢屋となった納屋もあったといわれ、漢詩人・藤井藍田の 拷問などが行われている。 萬福寺は1594年前田利家の弟・前田利信によって開創されている。 境内には芭蕉句碑がある。  <尊かるなみだや染めてちる紅葉> ...続きを見る

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2016/05/04 09:03
大覚寺 (兵庫県姫路市) 網干の名刹
姫路市の網干の名は、魚吹八幡神社の放生会が行われる日に、氏子の漁師が 漁を止めて網を干したことから名付けられたといわれている。 揖保川が播磨灘に流れ込む河口に位置している。 大覚寺は、この網干の古い漁港(古網干余子浜)にあった釈迦堂が前身といわれ、 1233年以後に真言宗光接院として開創している。 永正年間(1504〜21年)に浄土宗に改宗したが、1534年兵火によって焼失 している。 1556年現在地に大覚寺として再興され、江戸時代には大名クラスの格式を 持つ名刹となっている。... ...続きを見る

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2016/04/18 10:40
三宝院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院(宿坊)
弘法大師空海の母・玉依御前は80代の高齢で、空海の住む高野山を 一目見てみたいと四国讃岐から訪れたが、女人禁制の高野山へは 入山できず、高野山の政所・慈尊院に一宇を設けて空海と面会したと 伝えられている。 空海は月に九度訪れたことから慈尊院の地は九度山と呼ばれるように なったといわれている。 玉依御前が寓した一宇が三宝院の始まりといわれている。 御前が亡くなった後、三宝院を高野山奥の院に近い現在地に移したと 伝わっている。 ...続きを見る

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2016/04/17 10:37
聖徳寺 (兵庫県三田市)
三田市の山間にある小野集落に、小高い山を背にした聖徳寺がある。 1522年三木城主・別所氏が三木市雲龍寺の四代住職の隠居寺として 開創したと伝えられている。 雲龍寺は別所氏の菩提寺で、別所氏の支援を受けていた。 聖徳寺が所蔵する<釈迦十六善神像(画)>は釈迦三尊像を中心に 周りに四天王、十二神将を配置する仏画で、日本でも最古類に属する 釈迦十六善神像であり、重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2016/04/14 09:53
金台寺 (大阪市天王寺区) 文化財伽藍
人形の松屋町筋に面し、上町台地へ登る源聖寺坂入口にあって台地の緑を 背にした金台寺の伽藍は、太平洋戦争の戦災を受けず江戸時代前期の姿を 残している。 この地域(生玉町・下寺町)は大坂城築城に際して寺町形成が始まり、 江戸時代前期にかけて現在の寺町が形成された。 しかし、太平洋戦争の戦災により多くのお寺が罹災している。 ...続きを見る

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2016/04/13 20:44
西光寺<仁徳寺> (和歌山県橋本市) 学文路刈萱堂
平安時代後期の刈萱道心とその子・石童丸の悲話伝説・石童丸物語は 中世以降、高野山萱聖によって全国に広められた。 この石童丸・刈萱道心を祀る刈萱堂は、  高野山密厳院の刈萱堂、長野市往生寺の刈萱堂、橋本市の学文路刈萱堂 がよく知られている。 学文路刈萱堂(かむろかるかやどう)は、1740年以前は能満院の一堂で あったが、1740年以降は仁徳寺の本堂となっている。 現在は、西光寺が管理している。 学文路は高野山への参詣口であり、石童丸の母・千里ノ前が亡くなった地であり、 仁徳寺が千... ...続きを見る

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2016/03/28 09:41
総持寺 (兵庫県豊岡市出石町)
出石町の北、山裾に建つ総持寺は現在の出石神社近くに8世紀前半 開創され、平安時代末期に現在地に移っている。 中世〜近世には出石神社の神宮寺であった。 正平年間(1346〜70年)には、但馬・備後・美作など11ヶ国の守護大名 として権勢を振るい、出石に此隅山城を築城した山名時義の庇護を受け 山名氏の祈願所となっている。 ...続きを見る

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2016/03/26 09:30
蔭凉寺 (大阪府和泉市) ギンモクセイ
本堂前のこんもりとしたギンモクセイ2本と1本のキンモクセイが本堂を 隠している。 2本のギンモクセイは、蔭凉寺が開創された1661年に植生されたと 伝わる古樹であり、大阪府の天然記念物に指定されている。 1本のキンモクセイは1961年に、右側ギンモクセイの手前に植えられ、 ギンモクセイと同じ樹高になっている。 ...続きを見る

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2016/03/25 09:42
如来寺 (兵庫県たつの市) 龍野藩主・脇坂氏の菩提寺
たつの市の旧市街地龍野の基礎を築き、醤油などの産業育成を図った のは、1672年に信濃飯田藩主から龍野藩主に転封となった脇坂安政 である。脇坂氏は明治維新まで龍野藩主を務めている。 安政の先々代・安治は<賤ヶ岳の七本槍>の一人である。 その脇坂氏の菩提寺が如来寺である。 龍野旧市街地は小京都と呼ばれ、観光客も多い。 ...続きを見る

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2016/03/13 09:02
大明王院 (和歌山県高野町高野山)
大明王院の開創は不詳であるが、平安時代末期に再興されている。 江戸時代中期の江戸南町奉行であった大岡越前守(忠相)は大明王院の 檀越で、高野山奥の院に大岡家の供養塔を建立している。 大岡越前守は1717年南町奉行に就き、1748年三河西大平藩主(岡崎市) となり、1752年に亡くなっている。 ...続きを見る

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2016/03/11 09:21
鳳翔寺 (兵庫県丹波市氷上町) ツガの巨木
丹波市氷上町の清水山(542m)西麓にツガ(栂)の巨木が目につく 鳳翔寺が建つ。 2014年5月に訪れた時は、茅葺の本堂屋根に覆いを懸ける工事中で、 茅葺本堂を拝観できず。 ツガの巨木は、鳳翔寺が1684年開創された折に植生されたと伝えられ、 推定樹齢は300年以上となる。 ツガの木といえば、私の印象に強く残る富山県上市町<立山寺>の 栂並木の参道である。100mの並木参道は推定樹齢400年といわれる 巨木並木で、富山県の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2016/03/09 09:18
久成寺 (大阪市中央区)
近松門左衛門は、1703年曽根崎の露天神(お初天神)で天満屋の遊女・はつ と平野屋の手代・徳兵衛が心中した事実を題材に<曽根崎心中>を書いている。 人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として大いに人気を博したといわれている。 その<おはつ(初)>の墓が久成寺にある。 ...続きを見る

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2016/03/08 09:56
龍蔵寺 (兵庫県篠山市) 丹波古刹
瀬戸内海に注ぐ武庫川の源流となる龍蔵寺川が愛宕山から流れ、 龍蔵寺山門前を流れて行く。 龍蔵寺は愛宕山麓の樹々に包まれた山寺の典型で、645年インドからの 渡来僧・法道仙人によって開創されたと伝える。 修験道の霊地として、修行の場として栄えたといわれている。 豊臣秀吉などからの朱印状を貰うほどであったと。 龍蔵寺は<丹波古刹15ヶ寺霊場>の第1番霊場である。 紅葉の時期も楽しみであろう。 ...続きを見る

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2016/02/25 11:16
真楽寺 (和歌山県湯浅町)
湯浅は醤油発祥の地といわれ、醤油や金山寺味噌などの伝統産業で栄えてきた。 室町時代後半から少しずつ町が形成され、江戸時代になって町家が形成された。 真楽寺はその中心部にあり、室町時代には存在したが、その開創は不詳である。 本堂は18世紀前半に建立されたものである。 ...続きを見る

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2016/02/22 09:21
船場本徳寺 (兵庫県姫路市) 真宗大谷派別院
姫路市飾磨区の夢前川河口にある英賀(あが)地区は、16世紀初頭から フィレンツェにも相当する自治都市が形成され、交易を生業とする浄土真宗 の寺内町として大いに栄えたといわれている。 これは、1490年頃蓮如上人の命を受けて、上人の弟子・空善が英賀を 拠点として播磨・西日本への布教を図ることから始まった。 1515年英賀御堂(本徳寺の始まり)が建立され、本格的な寺内町が 形成された。 1580年豊臣秀吉の侵攻を受け寺内町も崩壊し、秀吉の命で本徳寺は 姫路亀山に移り亀山本徳寺となる。... ...続きを見る

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2016/02/20 11:04
銀山寺 (大阪市天王寺区)
豊臣秀吉が1583年大坂城の築城を開始し、城下町の整備に際し、 天王寺に3ヶ所の寺町を設けた。その一つ生玉寺町に1591年 大福寺が開創されたが、秀吉の命で中国の金山寺に肖り銀山寺と 改名している。 秀吉ゆかりの朱印状や豊臣秀吉画像などが残されている。 また、江戸時代に近松門左衛門の<心中宵庚申>のモデルとなり、 市中で有名になった悲恋心中の<お千代・半兵衛>の比翼塚(墓)が 墓所にある。 ...続きを見る

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2016/02/19 10:01
恵光院 (和歌山県高野町高野山) 明智光秀の菩提寺
828年神護寺(または東寺)で弘法大師空海から真言密教を学び灌頂を 受けた弟子・道昌は、弘法大師空海が五重宝塔を建てた地に廻向院を 開いたのが恵光院の始まりと伝えられている。 その後衰退したが、永禄年間(1558〜70年)初期に、薩摩の島津義弘 に寄って再興されている。 なお、義弘は朝鮮戦役の後1599年高野山奥の院に <高麗陣敵味方戦死者供養碑>を建立している。 また、明智光秀の高野山菩提寺でもある。主菩提寺は大津市西教寺である。 島津義弘と明智光秀の墓は奥の院にある。 ...続きを見る

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2016/02/06 10:10
西光寺 (兵庫県篠山市)
国道372号から弥十郎ヶ嶽に向って畑市集落へ入ると、蛭子神社手前に 西光寺収蔵庫がポツンと建っている。 西光寺は、731年行基が弥十郎ヶ嶽山中に49院を建立したといわれ、 その一つが西光寺と伝えられている。 中世になって全てが焼失したが、元禄年間(1688〜1704年)に弥十郎ヶ嶽 の山麓に再興されたがその後廃れた。1967年西光寺の仏像を収蔵するために 現在地に収蔵庫が建立され、集落の人達が護っている。 ...続きを見る

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2016/02/04 10:43
齢延寺 (大阪市天王寺区)
天王寺区の源聖寺坂を登り切った左手に、彫刻が施された山門の齢延寺 が建っている。生国魂神社の南西隣に位置する。 齢延寺は、1623年真田山に越後三条藩主で大坂城を守る大坂定番であった 稲垣重綱(重種)が父母の菩提を弔うために開創している。 1632年に現在地に移っている。 稲垣重綱は鳥羽稲垣氏2代目で、鳥羽稲垣氏5代目・稲垣昭賢が1725年 鳥羽藩初代藩主となり、明治維新まで稲垣氏が鳥羽藩主に就いている。 ...続きを見る

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2016/02/03 09:43
松林寺 (和歌山県和歌山市)
松林寺は、徳川第8代将軍・吉宗の生母・浄円院が男子出産を願って、 現在の和歌山市松江東に開創したと伝えられている。 1976年現在地の山腹に移っている。 浄円院は紀州第2代藩主の側室で、1684年吉宗を産んでいる。 吉宗は1705年紀州第5代藩主となり、その後1716年徳川第8代将軍 に就いている。 1718年浄円院は江戸城に移り、1726年亡くなっている。 浄円院の墓所は東京寛永寺にある。 ...続きを見る

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2016/01/20 09:30
法楽寺 (兵庫県神河町) 播州犬寺
北播磨の山腹に建つ法楽寺には、<播州犬寺縁起物語>という縁起が 伝わっている。 鎌倉時代の仏教史書<元亨釈書>に記されている。そのあらましは、  <643年蘇我入鹿が上宮太子一族を滅ぼしたが、その時播州の牧夫が 入鹿軍に参加した。その間に、牧夫の妻が下僕と密通していた。 牧夫が帰郷したところ、下僕が牧夫を猪狩りに誘い出し、弓矢で牧夫を 殺そうとしたが、牧夫が連れてきた二匹の犬が下僕に飛びかかり、下僕 を倒し牧夫を助けた。 牧夫はこの二匹の犬を我が子として愛しんだが、二匹の犬が亡く... ...続きを見る

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2016/01/18 09:07
天然寺 (大阪市天王寺区) 潮待天神
901年菅原道真が大宰府へ左遷される折、浪速津からの乗船の潮時を 待ったのが天然寺の地であったといわれている。 その待つ間、道真が自作の木像を彫って大宰府へ向ったと。 里人はその跡を慕い、祠に木像を祀ったといわれ、これを<潮待天満宮>と 呼んだとか。また、これを<おちつき天神>と呼んでいる。 1945年6月の大阪空襲によって全てが灰燼と帰したが、現在は再建されている。 ...続きを見る

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2016/01/17 09:30
光明院 (和歌山県高野町高野山)
豊臣秀吉の重臣・蜂須賀小六(正勝)の嫡子・蜂須賀家政は、1600年の 関ヶ原の戦いにおいて石田三成の支援要請を断り、剃髪して高野山の 光明院に入った。 その後、徳川家康に仕え徳島藩祖として徳島発展の基礎を築いている。 こうしたことから、蜂須賀家と光明院は深い繋がりができ、蜂須賀家の 高野山菩提寺となっている。 徳島においては興源寺に墓所があり菩提寺となっている。 ...続きを見る

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2016/01/05 14:06
慶積寺 (兵庫県川西市)
緩やかな参道の石段を登って行くと参道脇左に空洞の幹でありながら、 樹勢盛んなカヤの木が目に飛び込んでくる。 推定樹齢は250年といわれている。 周囲は種々の樹々に囲まれた中に生き延びている。 ...続きを見る

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2016/01/03 09:23
弘法寺 (大阪府和泉市) 石尾大師
弘法寺は泉州三尾(槙尾山施福寺、松尾寺、石尾山弘法寺)の一つに 数えられる古刹で、地元では石尾大師とも呼ばれている。 真言宗の弘法寺は全国で10数ヶ寺あるが、日蓮宗の弘法寺(ぐほうじ) もある。 和泉市の弘法寺は、810年頃弘法大師空海が修行道場として開創した と伝えられる。 ...続きを見る

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2016/01/02 14:18
蓮乗寺 (和歌山県和歌山市)
戦国時代に鉄砲傭兵集団と呼ばれた雑賀衆を率いた雑賀孫市(鈴木孫一) が自分の守り本尊・阿弥陀如来を安置したことから孫一道場と呼ばれたのが 蓮乗寺である。 境内本堂前には彼の墓と伝えられる五輪石塔がある。 雑賀孫市については不詳なところが多く、色々な伝承がある。 鈴木氏系統が孫一と称して、複数の人物が重なって語られているようだ。 しかし、雑賀衆の存在や孫市の活躍によって、織田信長や豊臣秀吉にとって 手ごわい存在であった。 ...続きを見る

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2015/12/16 09:41
洞光寺 (兵庫県篠山市)
今や篠山市のみならず、丹波の紅葉名所となった洞光寺であるが、 近年迄は隠れた紅葉スポットと言われていた。 ここの紅葉の良さは古木のもみじにある。 私の訪れた緑のもみじも、その古木が織りなす緑で紅葉の風景を 想像させるものであった。 もみじに加えて、杉やカシの大木が境内全体を包み込み、幽玄の 風景を造っていた。 紅葉時期に再度訪問予定。 ...続きを見る

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2015/12/14 09:41
持明院 (大阪市天王寺区)
生国魂神社の参道に面して建つ小さなお寺が意外な面で知られている。 <縁切り>と<縁結び>の神様が両方祀られており、縁切りの神様・ 橋姫大明神に祈願した後、縁結びの神様・卯の日大明神に祈願すると 悪い縁を切った後、良い縁が叶うと。 橋姫大明神は、宇治市の平等院近くの小さな神社である橋姫神社から 勧請されて祀られている。 橋姫神社は宇治橋の守り神でもあり、縁切りの神様でもある。 ...続きを見る

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2015/12/13 09:32
乗宝寺 (兵庫県丹波市柏原町) 柏原八幡神社の別当寺
柏原(かいばら)はかって京都石清水八幡宮の社領で、1024年 石清水八幡宮の柏原別宮として建立された柏原八幡神社の別当寺 であったのが乗宝寺である。 明治時代の神仏分離によって乗宝寺は分離し、その後衰退し無住の お寺となった。 柏原八幡神社は<丹波柏原の厄神さん>として多くの参拝者がある。 乗宝寺の開創については不詳である。 ...続きを見る

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2015/12/12 09:29
大通寺 (大阪市天王寺区)
大通寺の所在地である城南寺町は、天王寺区にある3ヶ所の寺町の 一つで、浄土宗のお寺が多い。 本尊の阿弥陀如来立像は、2009年の修理で胎内納入品が見つかり、 その中に1182年銘の文書があったことから、像は12世紀末の 作品と考えられ、重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2015/12/11 09:20
北室院 (和歌山県高野町高野山)
弘法大師空海が高野山を開創した当時、中院を中心に北室・西室・南室 を建立したといわれ、北室(現在の北室院)は谷上地区に建立された。 谷上地区は現在の高野山高校一帯である。 元禄年間(1688〜1704年)に現在地の高野山往生院谷地区に移転している。 北室院は諸大名の帰依を受けたが、特に仙台伊達家の帰依は深かった。 本尊の五大力菩薩像(画)は空海筆と伝承される。 ...続きを見る

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2015/11/30 09:31
高照寺 (兵庫県養父市) 関西花の寺二十五霊場第5番
<春はモクレン、秋は萩>と謳われる花の寺・高照寺を訪れたのは、 2015年6月7日の季節外れの日であった。 緑一色のモクレンや萩を鑑賞することになった。 再度挑戦してみよう。 高照寺のHPで見れば見るほど挑戦してみたい。 特に、モクレンの本数が300本以上とは驚く。 ...続きを見る

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2015/11/27 09:07
雲雷寺 (大阪市中央区) JAZZ寺
毎年5月、10月に催されるJAZZライブは知る人ぞの人気らしい。 その上、現代的な本堂がよくマッチすることだろう。 お寺の風景はこれぞ よし と印象に残っている。 雲雷寺は天正年間(1573〜92年)に開創され、1598年に現在地に 移転している。 ...続きを見る

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2015/11/25 09:29
かむろ大師 (和歌山県橋本市)
紀ノ川、橋本市街地、金剛山系を望む小高い山の頂に建つかむろ大師は、 学文路(かむろ)村に信仰の篤い尊海が村人の病を<水の加持>で 癒し、それが村人の信仰へと高まり、明治43年(1910年)に開創された。 当初は山裾にあったが、余りにも参拝者が多く、1988年新本堂が 現在地に完成している。 尊海和尚への信仰は深く、信仰の寺として今日に至っている。 ...続きを見る

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2015/11/09 09:36
大明寺 (兵庫県朝来市生野町) 黒川温泉
生野銀山でかって栄えた朝来市生野町の山間部に、ロックフィルダムで 知られる黒川ダムの下に黒川温泉がある。 1992年に大明寺の境内から湧出しオープンされ、美人湯として愛用 されている。 温泉施設はかっての大明寺境内に築かれている。 大明寺は、1367年僧月庵宗光が草庵を築いたのが始まりと伝えられ、 その後、但馬守護・山名時煕が月庵に帰依し伽藍を建立している。 室町時代には廃れたが、江戸時代になり再興され、大いに栄えたと いわれる名刹である。 ...続きを見る

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2015/11/07 09:01
子安阿弥陀寺 (大阪府和泉市)
泉南にあって、子授け・安産祈願の信仰が篤い子安阿弥陀寺は、和泉市の 山間にありながら、いつも参拝者が絶えることがない信仰のお寺である。 739年聖武天皇の光明皇后がお産に悩みし折、僧行基がこの地で祈願 し、阿弥陀如来の影向で皇后の安産を告げられ、阿弥陀如来を祀ったと 伝えられている。これが子安阿弥陀寺の始まりといわれている。 これ以降、安産信仰が高まったと。 ...続きを見る

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2015/11/06 09:16
増福院 (和歌山県高野町高野山)
増福院は、11世紀初頭に鎮守府将軍であった源満仲が三男・源賢法眼を 開山として開創したと伝えられる。 源賢は幼名を美女丸と言い、美女丸伝説を伝える比叡山の僧で歌人でも あった。<美女丸伝説については小童寺(兵庫県川西市)> 増福院はその後、華王院などと合併している。 鎌倉時代に華王院を開創した覚海大徳は高野山を護り、高野山の発展に 尽くし、天狗と化し昇天したと伝承される傑僧であったと。 谷崎潤一郎<覚海大徳の昇天>として著されている。 ...続きを見る

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2015/10/20 09:34
大昌寺 (兵庫県川西市)
川西市は開発が進み、大阪のベッドタウンとして住宅地が山裾まで来ているが、 大昌寺の周りは緑が多く残り、紅葉時期には裏山と境内のもみじが調和した 紅葉を呈すると評判らしい。緑の様子からそれが想像できる。 大昌寺は、足利将軍から多田庄の地頭に任じられた塩川氏が山下城を 築いて治めていた。 1450年塩川秀仲は塩川氏の菩提寺として大昌寺を開創している。 多田地域が銀銅鉱山として大いに栄えた時期には、大昌寺の金銅救世観音 に対する信仰が高まったといわれている。 ...続きを見る

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2015/10/18 16:37
中仙寺 (大阪府堺市東区)
中仙寺に祀られている牛頭天王坐像は非常に珍しい仏像である。 頭に牛頭を戴く祇園精舎の守護神で、京都八坂神社にも祀られ、 病気や災いを除く神として信仰されている。 中仙寺の牛頭天王像は、隣にある八坂神社に祀られていたが、 明治時代の神仏分離によって、中仙寺に移座されている。 ...続きを見る

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2015/10/17 09:04
総持寺 (和歌山県和歌山市) 梶取本山
総持寺は1450年明秀光雲によって開創され、16世紀中頃には天皇の 勅願寺ともなった名刹で、紀州では西山浄土宗の三本山に数えられ、 梶取(かんどり)本山と呼ばれていた。 開創・明秀光雲は播磨守護大名・赤松義則の子で、紀州に西山浄土宗を 広め、10数ヶ寺のお寺を開創している。 ...続きを見る

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2015/10/03 12:11
文保寺 (兵庫県篠山市) 丹波篠山もみじ三山
関西で紅葉名所となっている<三山>(同一地域)には、滋賀県の湖東三山、 兵庫県の丹波紅葉三山(高源寺、石龕寺、円通寺)などがある。 篠山市観光協会などが2013年に<丹波篠山もみじ三山>と銘打って、 文保寺、大国寺、高蔵寺を売り出している。 丹波には、これ以外にも紅葉の見所は多くある。 ...続きを見る

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2015/10/01 09:15
藤次寺 (大阪市天王寺区)
平安時代初期の公卿・藤原冬嗣は天皇家と藤原氏の外戚関係に 基づく摂関政治の礎を築き、左大臣まで登りつめ権勢を高めている。 その冬嗣の発願によって、甥の任瑞をして藤原氏の祈願所として 開創されたのが藤次寺である。 盛衰を経て、慶長年間(1596〜1615年)加藤清正によって大伽藍 が整備され大いに栄えたといわれる。 1945年太平洋戦争によって全焼し、1960年再建されている。 ...続きを見る

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2015/09/30 09:00
勧学院 (和歌山県高野町高野山)
勧学院は、1211年北条政子が源頼朝の菩提を弔うために開創した 金剛三昧院(当初は禅定院)境内に、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗 が開き、高野山内の僧侶の勉学・修練の道場とした。 1318年現在地に勧学院のみ移っている。 現在は、真言宗の僧侶が勧学会という勉学・修練の行事が行われ、 一般人の立ち入り禁止となっている。 ...続きを見る

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2015/09/14 14:49
楊柳寺 (兵庫県多可町)
北播磨の山あいに、長く続く石段が古刹然とした風景を想像させ、 登って行くとそれに違わず古色蒼然の気を感じる。 楊柳寺は651年インドから飛来したとする伝承上の法道仙人によって 開創されたと伝えられる古刹なのである。 天正年間(1573〜92年)織田信長軍の兵火に罹り全山焦土と 化している。 江戸時代初期に再興され、広い森林境内を持っている。 現在は、2塔頭(法持院、薬王院)が管理している。 ...続きを見る

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2015/09/12 14:21
極楽密寺 (大阪府泉南市)
極楽密寺は、730年行基によって築かれた草庵が始まりと伝えられ、 1185年重源上人が東大寺を再建中に立ち寄り、伽藍を整備したと いわれ、その後大いに栄えたといわれる。 1585年秀吉の紀州攻めで兵火に罹り、伽藍は全て焼失している。 1755年には紀州藩主徳川家の祈願所となり、再び隆盛している。 ...続きを見る

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2015/09/12 09:43
護念寺 (和歌山県和歌山市)
護念寺は、1508年現在の和歌山市宇治に開創された常福寺が始まりと 伝えられ、1585年に移転した際に護念寺となり、1640年紀州藩主 徳川頼宣が和歌山城南に寺町を設けた時に、現在地に移転している。 和歌山県の一大念仏道場として、大いに栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2015/08/31 09:26
成徳寺 (兵庫県丹波市柏原町) 前期柏原藩主・織田家の菩提寺
織田信長の弟・織田信包が1598年伊勢安濃津から現在の丹波市柏原町 へ36,000石で移り、これが丹波柏原藩の始まりとなる。 その時、信包は見性寺(後の成徳寺)を菩提寺としている。 1650年3代信勝が亡くなった時には子供が無く、丹波柏原藩は廃藩となり、 幕府直轄となっている。これまでの柏原藩を前期と呼んでいる。 1695年織田一族の織田信休が大和宇陀藩から丹波柏原藩に入り、明治維新 まで続いている。この期間を後期柏原藩という。   成徳寺の開創は不詳であるが、室町時代に龍翔寺と... ...続きを見る

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2015/08/29 09:46
宝龍寺 (大阪市旭区) クスの木
大坂城天守閣の棟が上がらず工事が難航している時、豊臣秀吉が 白蛇の夢告を受けて、白蛇の棲むという大クスの場所に神社を 建立したところ、工事が順調に進んだという白蛇伝説の残る場所に 建つのが宝龍寺である。 その後、神仏習合のお寺が開創され、それが宝龍寺の前身といわれている。 ...続きを見る

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2015/08/28 08:58
楽音寺 (兵庫県朝来市山東町) ウツギノヒメハナバチ群生地
楽音寺の境内はウツギノヒメハナバチ群生地として知られ、5月中旬〜 6月上旬には境内前庭の土の中から、ウツギ(卯の花)の蜜を求めて、 成虫が飛び出す光景が見られると。 私が訪れたのは、2015年6月7日9時頃であったが、残念ながらハチの 姿はなく、前庭に巣と思われる穴を見るだけに終わった。 100年ぐらい前から、楽音寺境内にハチが巣を造るようになったらしい。 ...続きを見る

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2015/08/15 12:50
法雲寺 (大阪府堺市美原区) 黄檗宗伽藍
法雲寺の前身は弘法大師空海が開創したと伝わる長安寺であったが、 1620年の狭山池の決壊によって全てが流出している。 1671年曹洞宗の僧によって地中から観音菩薩が掘り出され、草庵 を築き安置された。 1672年黄檗宗の僧・慧極道明に寺地など全てを譲り、1673年法雲寺 として黄檗宗寺院として再スタートしている。 その後、黄檗宗大本山萬福寺(宇治市)に倣って、黄檗宗風の伽藍が 整備され現在に到っている。 これらの伽藍は堺市の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2015/08/15 09:56
本覚院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院
本覚院は、1190年女流歌人・待宵小侍従の願によって登山した 行空上人が開創したと伝えられている。 待宵小侍従(1121頃〜1202年頃)は、皇室に仕えた女房であるが、 歌人として多くの歌を残し、平家物語などに登場してくる。 待宵小侍従の歌   <待つ宵のふけゆく鐘のこゑきけばあかね別れの鳥は物かは> ...続きを見る

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2015/08/14 08:57
常瀧寺 (兵庫県丹波市青垣町)
青垣町の大名草(おなざ)集落山麓に建つ常瀧寺は、712年お寺の裏山中腹に 山岳修験の道場として開創されたと伝わる古刹である。 1577年明智光秀の丹波攻めによって焼失したといわれ、天和年間(1681〜 84年)に再興され、その後も転々とし1874年現在地に落ち着いている。 山岳寺院によくある遍歴をもっている。 当初開創されたと思われる山腹には、大イチョウが残っており、推定樹齢も 1300年といわれる大樹である。 私が訪れた時には、一人ということもあって30分の山登りは諦めた。 イ... ...続きを見る

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2015/08/12 08:49
瑞光寺 (大阪市東淀川区) 雪鯨橋
本堂前の鯨骨で構築されている<雪鯨橋>または<鯨橋>は、現時点では 6代目で、欄干などが鯨骨であるが、以前は床など全てが鯨骨で構成されて いたそうだ。 1756年当時の住職が、和歌山県太地町の漁師に不漁の窮地を脱するべく 祈祷を依頼され、豊漁を祈祷した結果となり、漁民から鯨骨などの寄進を 受け、その鯨骨で橋を造ったのが雪鯨橋の始まりといわれている。 鯨橋は全国的にも珍しく、大阪市東淀川区の名所ともなっている。 ...続きを見る

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2015/08/11 08:53
大恩寺 (和歌山県和歌山市) 本草学者・小原桃洞の菩提寺
薬草を含め薬になる天然自然の産物を研究する本草学者・小原桃洞は 和歌山藩の藩医で、本草局のリーダーとして種々の書物を著すと共に、 多くの人材を育成した江戸時代後期の本草学者である。 小原桃洞の菩提寺が大恩寺である。 大恩寺の開創は不詳であるが、元和年間(1615〜24年)に紀州藩主 の命によって現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2015/07/31 21:05
見性寺 (兵庫県豊岡市出石町)
出石城下町の東を流れる出石川と谷山川に挟まれた松枝の地に建つ 見性寺は、城下町を護る形で配置された寺々の中にあって、豊岡街道を 護るお寺として、櫓の形態を持った鐘楼が、京街道を護る経王寺と共に その面影を残している。 見性寺は1534年に開創され、丹波市円通寺の末寺であった。 ...続きを見る

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2015/07/29 09:22
楞厳寺 (大阪市天王寺区) 織田作之助の菩提寺
<夫婦善哉>の作家・織田作之助(1913〜47年)は無頼派の作家として 活躍し、芥川賞候補にもなったが、33歳の若さで他界している。 大阪の庶民に浸透し、愛された作家である。 その織田作之助の菩提寺が天王寺区の楞厳寺である。 ...続きを見る

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2015/07/28 08:59
地蔵院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院
1988年4月18日地蔵院は全焼し、本尊・地蔵菩薩立像(重文)など多くの 寺宝が灰燼に帰している。 その後、見事に再興され堂々とした伽藍が建っている。 地蔵院は建久年間(1190〜98年)に尊海阿闍梨によって開創されたと 伝え、伊勢津藩主・藤堂家、大和高取藩主・本多家などの高野山菩提寺 である。 宿坊を経営し、人気があるとのこと。 ...続きを見る

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2015/07/14 08:47
常光寺 (兵庫県朝来市和田山町竹田) 初代竹田城主・太田垣光景の菩提寺
<天空の城>と呼ばれる竹田城跡は、古城山(354m)山頂に当時の石垣 を残す稀有な存在であり、雲海が湧きあがると雲海の中に浮かび上がる 城跡で、その光景は日本のマチュピチュとも呼ばれる<天空の城>となる。 この竹田城は、1431年但馬の守護・山名宗全が着手し13年間かけて 完成し、初代城主に重臣の太田垣光景を当らせた。 以降、竹田城が落城する1580年まで太田垣氏が続いている。 秀吉の時代になって、赤松広秀が現在の石垣を積んだ竹田城を築城したが、 徳川家康は竹田城を廃城にしている。... ...続きを見る

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2015/07/13 09:28
宝国寺 (大阪市天王寺区) 蕉門十哲・志太野坡の菩提寺
芭蕉の弟子の内、特に優れた高弟10人を指す<蕉門十哲>の一人である 志太野坡(しだやば)(1662〜1740年)は、芭蕉が到達した俳風<軽み> の最大の後継者といわれる。 人生の後半は大坂で過ごし、蕉風の発展と多くの門人育成に尽くしている。 宝国寺は志太野坡の菩提寺である。  野坡の句<朝霜や師の脛おもふゆきのくれ> ...続きを見る

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2015/07/12 13:15
円満寺 (和歌山県有田市) 有田の古刹
円満寺境内から奈良時代、平安時代、鎌倉時代などの古瓦が出土したり、 寺所蔵の十一面観音の製作年代が奈良時代に遡ることなどから、 円満寺の開創は奈良時代ではないかと推定される。 しかし、史料がなく不詳である。 1282年、鎌倉幕府執権・北条時宗の支援を得て、法燈国師を 勧請開山に迎えて、国師の高弟・覚円が再興している。 七堂伽藍を備えた大寺であったといわれている。 室町時代後期には、紀伊守護大名の畠山氏の菩提寺ともなり、 隆盛を極めた頃の1585年、豊臣秀吉の紀州攻めに遭い、焼失し... ...続きを見る

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2015/07/01 09:00
養徳寺 (兵庫県丹波市青垣町) 羅漢道
北近畿豊岡自動車道のすぐ北側山麓に、ゆったりと拡がる境内の左手丘陵に 羅漢像などが安置された羅漢道がある。 19世紀前半の養徳寺中興・尊応和尚の徳を慕って帰依者が、裏山全山に 奉納された石像であるが、麓に移して参拝者の便を図っていたが、 豊岡自動車道の建設に伴い、1994年現在の羅漢道を整備し安置された。 釈迦三尊・十六羅漢・三十三観音の石像が道に沿って安置されている。 その内、羅漢像は丹波市の文化財に指定されている。 また、参道入口に安置された延命地蔵尊は1836年に造立され、 ... ...続きを見る

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2015/06/29 09:31
法性寺 (大阪市中央区中寺)
法性寺の大檀家であり、薩摩藩出入りの商家・薩摩屋半兵衛の23代は 緒方洪庵の適塾に学び、勤皇の志士を支援し、坂本龍馬を法性寺に 匿まったりしたといわれている。 薩摩屋24代は、浪華仮病院(後の大阪大学病院)の教師・ボードウィン を法性寺に住まわせたりしている。 法性寺はボードウィンゆかりの寺と呼ばれている。 ...続きを見る

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2015/06/28 20:23
龍泉院 (和歌山県高野町高野山) 西国四十九薬師霊場第10番
西国四十九薬師霊場は1989年に開創された新しい霊場巡りで、 大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山、三重の7府県におよぶ 薬師霊場である。 高野山には、龍泉院と高室院が霊場札所になっている。 龍泉院は931年頃の開創と伝えられ、楠木正成や毛利元就などの 帰依を受けている。 本尊の薬師如来坐像は藤原時代末期の作で、重要文化財に 指定されている。 ...続きを見る

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2015/06/18 10:12
法園寺 (兵庫県尼崎市)
織田信長の家臣として活躍した佐々成政は、本能寺の変後、豊臣秀吉に 敵対したが、1585年に降伏し秀吉の九州征伐では大いに活躍し、 肥後一国を与えられたが、治世がうまく運ばず、1588年秀吉の命で 法園寺において自害したといわれている。 成政の墓碑が残されている。 ...続きを見る

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2015/06/15 10:01
感応寺 (大阪府堺市南区) 大坂三大妙見山
6〜7世紀頃、鉄の宝鉢を持ってインドから渡来したと伝えられる法道仙人が 当地にて、北極星が童子に化して姿を現し、その姿を刻んで祀ったのが 感応寺の始まりと伝えている。 法道仙人の開創と伝えられるお寺は播磨地域に多い。 妙見信仰の盛んな頃は、能勢妙見山、星田妙見山と共に大坂三大妙見山 と呼ばれて隆盛を極めたといわれている。 妙見さんは日蓮宗のお寺に祀られることが多く、各所に見られる。 ...続きを見る

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2015/06/12 09:21
窓誉寺 (和歌山県和歌山市)
和歌山城の南、寺町とよばれる寺院群の一角に建つ窓誉寺に、 怪談<番町皿屋敷>でお菊が割った皿の残り7枚が保存されているとか。 この怪談の舞台となったのは江戸ではあるが、各地に皿屋敷の伝説が 伝わっており、その一つが窓誉寺と思われる。 怪談の登場人物・青山主膳が和歌山にいた折、お菊の供養のために、 主膳の伯母から皿を預かり、地蔵尊を建てて供養したといわれている。 ...続きを見る

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2015/06/01 08:55
景福寺 (兵庫県猪名川町)
景福寺は、1370年猪名川杉生の永生庵を訪れた通幻禅師は曹洞宗の 一つの本山・総持寺の住職を引退したばかりである。 そのことから、弟子の一人が通幻禅師を勧請開山として景福寺を開創した と伝えられている。 通幻禅師は1370年に三田市の永澤寺を開創している。 通幻禅師には通幻十哲と呼ばれる弟子が輩出している。 ...続きを見る

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2015/05/30 08:48
成道寺 (大阪市天王寺区) 主夜天尊
真田幸村が大坂冬の陣で真田丸砦を築いた真田山にある成道寺には 珍しい主夜天尊(主夜神尊)が祀られている。 主夜天尊は夜を守る神として、盗難や火災を防いでくれるご利益を持っている。 日本ではほとんど見られない神といわれ、京都市の檀王法林寺の主夜神尊が よく知られている。 この神をもたらしたのは袋中上人で、成道寺を開創したのも袋中上人である。 ...続きを見る

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2015/05/29 20:35
赤松院 (和歌山県高野町高野山) 高野山子院
1331年後醍醐天皇が2度目の鎌倉幕府倒幕運動・元弘の乱を起こすと、 天台宗僧侶であった後醍醐天皇の皇子・護良親王は還俗し、播磨守護の 赤松円心・則祐らと共に、十津川・吉野・高野山などを転々として2年に 及ぶ戦いを行い、京の六波羅探題を滅ぼしている。 その際、護良親王などが高野山に在住したのが赤松院である。 赤松院はそれまで山本坊であったが、赤松円心が赤松院として再興 し、赤松一族の菩提寺としている。 ...続きを見る

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2015/05/16 08:52
小童寺 (兵庫県川西市) 美女丸伝説
小童寺には<美女丸伝説>が伝わっている。 美女丸伝説とは、  多田源氏の祖・源満仲(912〜997年)は三男・美女丸を僧に すべく中山寺(宝塚市)に修行に出すが、武門の血をひく美女丸は僧に なることを忌避し、罪なき人々に乱暴を働いた。 父・満仲は怒り、家臣・藤原仲光に美女丸を手討ちにするよう命じるが、 仲光は若君を手討に出来ず悩んでいると、仲光の息子・幸寿丸が 父の苦しみを知り、若君の身代りに自らの命を差し出した。 これを知った美女丸は比叡山に入り修行し、名僧といわれる源賢僧都 ... ...続きを見る

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2015/05/14 09:16
慶伝寺 (大阪市天王寺区)
真田山公園の西側に建つ慶伝寺は1612年開創の浄土宗寺院であり、 寛文年間(1661〜72年)に開創された大坂三十三所観音霊場第12番 の札所である。 墓所には、前衛俳人で高浜虚子の弟子であった日野草城(1901〜56年) の墓がある。 日野草城の句 <春の灯や女は持たぬのどぼとけ> ...続きを見る

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2015/05/13 14:33
福蔵寺 (和歌山県湯浅町)
和歌山県湯浅町は醤油発祥の地といわれ、金山寺味噌と共に伝統産業 となっている。 発祥は鎌倉時代に遡るが、江戸時代になって大いに発展している。 その街並みが残り重要伝統的建造物群保存地区になっている。 その街並みの中町通りに建つのが福蔵寺である。 福蔵寺の開創は不詳であるが、1590年に由良町から現在地に移転 してきたといわれている。 ...続きを見る

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2015/05/02 09:04
昌念寺 (兵庫県豊岡市出石町) 桂小五郎ゆかりの寺
1864年7月禁門の変で長州は敗れ、久坂玄瑞などが戦死するが、 9月に桂小五郎は京を逃れ、但馬の出石、城崎温泉へと逃れる。 最初に隠れたのが出石の昌念寺であり、その後城崎温泉へと逃れ、 隠れ家を転々と変え、年末には長州へ戻っている。 ...続きを見る

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2015/04/30 19:21
高倉寺宝積院 (大阪府堺市南区)
堺市泉北ニュータウン高倉台の住宅街に、一画だけ樹々に覆われた 丘陵があり、椎の木群が堺市保存樹林指定になっている。 705年行基が建立した49院の一つ大修恵院が、平安時代末期に 高倉天皇から勅で高倉寺となっている。 明治時代の廃仏毀釈で本坊と塔頭・宝積院が残り、宝積院が法灯を 継いでいる。 大阪泉南の真言宗では第一の名刹といわれている。 訪問時、金堂が修理中であったが、かっての大寺風景が想像できる 環境にある。 ...続きを見る

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2015/04/30 09:27
無量光院、悉地院 (和歌山県高野町高野山)
無量光院は12世紀前半、仁和寺第4世門跡の白河天皇第4皇子・覚法法親王 によって開創されたと伝えられ、16世紀初期に再興されている。 戦国時代には越後上杉謙信の帰依を受けている。 悉地院は10世紀初期の開創と伝えられ、戦国時代には織田信長や家臣達の 帰依を受け、元禄年間には赤穂藩主・浅野内匠頭が切腹するとそれを 弔っている。 高野山奥の院に、悉地院住職が供養塔を建て織田信長の菩提を弔っている。 高野山の敵でもあった信長を弔う高野山の奥深さを想う。 ...続きを見る

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2015/04/20 09:06
妙道寺 (兵庫県赤穂市)
瀬戸内海坂越湾に面した坂越港は生島を目の前にした美港であり、 古においては瀬戸内海航路の中継地として大いに栄えたといわれる。 坂越港町は都市景観100選にも選ばれ、街並みは伝統的建築群の古い 街並みを保存している。 その街並みにある妙道寺は1532年の開創と伝えられ、本尊阿弥陀如来 は、1632年高砂沖で網にかかり引き上げられたといわれている。 江戸時代には寺小屋も開かれ、坂越の人々の信仰拠点であった。 ...続きを見る

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2015/04/17 09:06
妙法寺 (大阪市中央区谷町9丁目)
谷町8丁目交差点東南に建つ妙法寺は1645年に開創された法華宗の お寺である。 境内に建つ芭蕉句碑は1843年芙蓉庵同人・浅井井佐によって建立 された句碑で、芭蕉が1692年日蓮聖人の命日に詠んだ句である   <御命講や油のやうな酒五升> 同じ句碑が数ヶ所にあり、日蓮宗総本山の久遠寺にもある。 ...続きを見る

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2015/04/16 13:50
大日寺 (和歌山県紀美野町)
紀美野町は高野山の西に、紀ノ川の支流・貴志川沿いに東西に拡がり、 南部に長峰山系が連なる。 高野山への西街道に位置することから、1987年高野山真言宗のお寺10ヶ寺が 参加して<高野長峰霊場>を開創している。 その第9番霊場が大日寺である。 大日寺の開創については不詳であるが、藤原時代末期の阿弥陀如来像が 伝わっている。 同じ境内に丹生狩場神社がある神仏習合のお寺である。 ...続きを見る

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2015/04/05 13:24
報恩寺 (兵庫県丹波市) 丹波足立氏の菩提寺
鎌倉時代初期に丹波佐治庄に地頭職が置かれ、1209年武蔵国から 足立遠政が赴任し、万歳山に山垣城を築いている。 以降、400年弱に亘り丹波の地で統治していた。 1579年織田信長の丹波攻めで、羽柴秀長の軍に敗れ足立氏は 衰退している。 この足立氏の菩提寺が報恩寺であり、1579年の兵火により報恩寺も 焼失している。 1594年現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2015/04/04 09:15
和泉国分寺 (大阪府和泉市)
741年聖武天皇の詔により、全国66ヶ所に国分寺が開創されるが、 和泉国は757年に設置され、839年他より遅れて安楽寺をもって 国分寺に改めたと伝えられている。 その後、兵火などにより衰退している。 江戸時代の図絵には国分寺跡が記されているが、現在の和泉国分寺 は、旧国分寺跡の中心に再建されている。 跡地は残っていない。 ...続きを見る

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2015/04/03 09:31
天徳院 (和歌山県高野町高野山)
天徳院は、17世紀初頭に西光院として開創されたのが始まりで、1622年 加賀2代藩主・前田利常の正室・珠姫(天徳院)が亡くなると、珠姫の菩提寺 として天徳院と改称し、現在地に移転している。 庭園は小堀遠州が作庭した池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定され、 高野山三名園(天徳院、普門院、宝善院)の一つである。 残念ながら宿坊宿泊者のみの拝観限定らしく、写真はなし。 <写真は高野山霊宝館のHPにある> ...続きを見る

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2015/03/21 19:24
本高寺 (兵庫県豊岡市出石町) 出石藩主仙石氏の菩提寺
1706年信濃上田藩主から出石藩主に移ってきた仙石政明は本高寺を 仙石氏の菩提寺としている。 1824年藩主仙石政美が病没し、仙石久利が藩主に就くと内紛が起こり、 <江戸時代三大お家騒動>と呼ばれる<仙石騒動>によって、出石藩は 5万8千石から3万石へと減封されている。 本高寺はそのお家騒動によって処刑された家老・河野瀬兵衛の菩提も 弔っている。 ...続きを見る

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2015/03/20 09:16
来迎寺 (大阪府松原市) 丹南藩主の菩提寺
徳川家康の直参で9千石の旗本であった高木正次は、1623年丹南藩主 として1万石大名となり、来迎寺の隣に陣屋を設けている。 明治維新まで高木氏藩主が続き、来迎寺を菩提寺にしている。 来迎寺は731年に毘沙門院として開創されたと伝えられ、 1131年融通念仏宗開祖の良忍が阿弥陀寺とし、1323年再興され、 1324年来迎寺となっている。 融通念仏宗の中核として大いに栄えたといわれている。 松原市の名刹である。 ...続きを見る

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2015/03/19 14:12
三光寺 (和歌山県和歌山市)
和歌山市吹上の寺町通りは、城下町によくある寺院を集約した寺町の 典型的な例である。 紀州藩初代藩主・徳川頼宣は和歌山城を中心とした城下町の整備の 一環として、城の南部に寺町を設け、お寺を移転させている。 三光寺も1640年、和歌山市元寺町から吹上の寺町に移転している。 三光寺は1502年真言宗のお寺として、和歌山市宇治の地に開創 され、元寺町に移り、吹上寺町に移ったのである。 なかなかの大寺である。 ...続きを見る

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2015/03/07 14:18
松雲寺 (兵庫県上郡町)
鎌倉時代末期〜1576年の250年間播磨の守護大名として播磨を支配した 赤松氏の本拠は上郡の地であるが、その赤松氏台頭の祖である赤松則村 が築城した白旗城が前半の本拠地であった。 その白旗城西麓に位置する赤松集落はまさしく赤松氏と結びついた地で、 その集落山麓に松雲寺である。 ...続きを見る

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2015/03/05 09:56
西念寺 (大阪市天王寺区餌差町)
江戸時代、大坂の2大両替商と呼ばれた天王寺屋五兵衛(天五)、 平野屋五兵衛(平五)であるが、平五の菩提寺が西念寺である。 天五も平五も明治維新に倒産している。 西念寺には和算の大家・村井求林の墓もある。 お寺の開創は1573年と伝えられている。 ...続きを見る

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2015/03/04 09:19
蓮華定院 (和歌山県高野町高野山) 真田家の菩提寺
長野県上田市真田地域を本拠とした豪族・真田氏といえば、真田三代 (真田幸隆・昌幸・幸村)が武勇の面からよく知られている。 1600年の関ヶ原の戦いでは、昌幸・幸村父子は西軍、幸村の兄・信之 は東軍と別れた戦いでもあった。 敗れた西軍の昌幸・幸村は信之などの嘆願で高野山蓮華定院蟄居を 命じられるが、高野山は女人禁制のため父子・妻子ともども山麓の 九度山に蟄居することになった。 蓮華定院は信濃佐久・上田などの豪族の支援を受けていたことなどから、 真田氏とも関係が深くなり、九度山への援... ...続きを見る

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2015/02/22 09:48
岩戸寺 (兵庫県丹波市)
丹波市市島町岩戸集落の最奥、高谷山麓の山腹に張り付くように建つ 岩戸寺の石段は300段ほどある。 ケヤキなどの樹林に包まれた参道と登り切った境内から眺める風景に <もくもく探索>の醍醐味を味わう。 岩戸寺は771年、インドからの渡来僧・法道仙人によって開創されたと 伝えられる古刹である。1574年の明智光秀の丹波攻めにより壊滅 するが、1588年塔頭・千手院が再興され岩戸寺の法灯を継いでいる。 ...続きを見る

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2015/02/19 13:44
黄梅寺 (大阪府門真市)
門真市はパナソニック(旧松下電器)の企業城下町として発展してきた地で、 歴史的な色彩が薄いイメージがあるが、その中にあって黄梅寺は室町時代 の開創と伝えられる門真の名刹といえよう。 1546年足利13代将軍・足利義輝によって、真手神社の神宮寺として 開創されたといわれている。 ...続きを見る

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2015/02/18 14:11
善国寺 (和歌山県有田市)
和歌山県を東西に走る長峰山脈の南麓に建つ善国寺の開創については 不詳であるが、紀年銘のある石造物が2基あり、南北朝時代〜室町時代 と推定するのか、中世のお寺跡に開創されたのか。 いずれにしても門前の六字名号碑(1691年)年前である。 石造物の一つ<金剛界大日種子板碑>は密教系であり、現在の善国寺 は浄土宗からも推定できるかな。 ...続きを見る

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2015/02/08 09:20
善光寺 (兵庫県多可町) イブキの古木
北播磨の多可町東安田に建つ善光寺は、推定樹齢500〜600年といわれる イブキの古木と薬師堂、本堂が山裾にある田畑と融け込むように建っている。 狭い田畑道を歩むとその風景が迎えてくれる。 イブキの誕生には次のような伝承がある。  明智光秀がこの寺を焼き放とうとしたが、薬師堂の仏が舞い上がり、焼け落ちる 気配がないのに怒った光秀は杖を地に突き立てたのがイブキとして成長した と伝わる。 ...続きを見る

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2015/02/05 09:12
伝長寺 (大阪市天王寺区) なで地蔵尊
真田幸村が大坂の陣で築いた真田丸にほど近い心眼寺坂の一角に建つ 伝長寺には、江戸時代に祀られた<なで地蔵尊>がある。 調子が悪い体の部位と同じ地蔵尊部位を交互になで、快方に向かう 祈願をする。 地蔵尊は多くの人になでられ、表面が滑らかになっている。 ...続きを見る

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2015/02/04 14:18
持明院 (和歌山県高野町高野山) 淀殿ゆかりの寺
浅井三姉妹の茶々は1588年頃豊臣秀吉の側室として迎えられ、1589年 鶴松を出産し、淀城を与えられ<淀の方(淀殿)>と呼ばれ、権威を一気に 高めた。その年、父母(浅井長政、お市)の肖像画などを高野山持明院に 奉納し父母の追善供養を行ったといわれている。 その時の肖像画が残されており、特にお市の方の肖像画は有名である。 ...続きを見る

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2015/01/23 09:06
春岡寺 (兵庫県加西市) 阿弥陀石棺仏
石棺を材料にして仏像を刻んだ石棺仏は関西の各地に残っているが、 特に兵庫県加西市、加古川市に多く残っている。 その中で、春岡寺の阿弥陀石棺仏は鎌倉時代のもので秀逸と いわれている。 春岡寺の開創は不詳であるが、多くの石仏が残り、徳本上人石像と 名号碑が目を引く。 ...続きを見る

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2015/01/20 09:04
光明寺 (大阪府守口市)
光明寺は806年弘法大師空海によって開創されたと伝えられ、近くの 八雲神社の別当寺で神仏習合のお寺であった。 本尊の十一面観音立像は10世紀造像と考えられ、守口市最古の 仏像といわれている。 様式は長谷寺式の十一面観音像である。 ...続きを見る

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2015/01/19 14:04
大泉寺 (和歌山県和歌山市) 紀州藩初代藩主・浅野氏の菩提寺
1521年武田信玄の父・信虎が甲府に大泉寺を菩提寺として開創している。 豊臣秀吉の五奉行の一人・浅野長政が甲府城主になった折に、大泉寺を 浅野家の菩提寺にしたが、1600年長政の長男・浅野幸長が紀州藩 初代藩主として和歌山に赴任し、大泉寺を新たに和歌山に開創して 浅野家の菩提寺としている。 甲府の大泉寺は武田信虎の菩提寺として現在も存在。 浅野氏は1619年広島藩主として赴任し、徳川頼宣が紀州藩主となり、 和歌山の礎を築いている。 ...続きを見る

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2015/01/08 09:25
善通寺 (兵庫県尼崎市)
尼崎市の寺町は、1617年尼崎城築城に際して20ヶ寺を集めて 形成されている。現在は11ヶ寺となっている。 善通寺は永禄年間(1558〜70年)に開創されている。 境内に建てられている八角堂には、由緒とご利益があると言われる <首なし地蔵尊>が祀られている。この地蔵尊は首なしと呼ばれて いるが、首だけの地蔵尊が祀られている。 300年ほど前に遡る由縁があるらしい。 ...続きを見る

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2015/01/06 13:37
大応寺 (大阪市天王寺区) 木村兼霞堂の菩提寺
<大坂の知の巨人>といわれた木村兼霞堂は、文人・画家・蔵書家・コレクター など多分野で活躍し、人のネットワークは跳びぬけていたといわれる。 それ故に来訪者が絶えることが無かったといわれている。 蔵書が現代でも貴重な資料となり、その名がクローズアップされている。 兼霞堂の墓が大応寺にある。 ...続きを見る

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2015/01/06 09:25
遍照光院 (和歌山県高野町高野山)
世界遺産の一部として指定されている<高野山町石>は、一町(約109m)毎に 奥の院霊廟から麓の慈尊院まで26kmの道中に216基の卒塔婆石塔が 建っている。 平安時代に建てられた頃は木製の卒塔婆であったといわれ、損傷が激しい ことから、1265年頃遍照光院の住職が石造卒塔婆の建立を発願し、 1285年頃完成したといわれている。 現在も150本ほどが当時の町石と考えられている。 ...続きを見る

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2014/12/26 09:18
安楽寺 (兵庫県猪名川町)
猪名川に沿った山あいの猪名川町笹尾集落は150世帯あまりの小世帯であるが、どこか垢抜けした集落の風景を持っている。 その中心に位置する安楽寺は広い霊園を持ち、圏外からの需要も多いらしい。 1428年の開創と伝えられている。 ...続きを見る

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2014/12/24 11:05
久修園院 (大阪府枚方市) 枚方の名刹
725年行基が淀川の山崎〜橋本に架けたと伝えられる山崎橋の工事に際して 開創したと言われるのが久修園院である。 山崎橋は現在ないが、日本三古橋(唐橋、宇治橋、山崎橋)の一つに 数えられていた。 久修園院は行基が開創した49ヶ院の一つで、現在まで法灯を受け継ぐ名刹 である。 ...続きを見る

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2014/12/23 09:24
瑞泉寺 (和歌山県新宮市) 大寺の梵鐘
瑞泉寺(大寺)の梵鐘は、寛文年間(1661〜73年)に地元の人から寄進され、 1685年頃住職が刻毎に(2時間)鐘を撞いて時刻を報せたといわれている。 1705年に新たに鋳造され、1955年まで鐘が時刻を報せ続けたといわれている。 <大寺の梵鐘>として文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2014/12/11 10:24
勝林寺 (兵庫県豊岡市出石町)
出石城跡下にあって、出石藩家老屋敷前に勝林寺は山門を構えている。 天保年間(1830〜44年)に生じた江戸時代三大お家騒動の一つ<仙石騒動> は出石藩仙石家のお家騒動で、筆頭家老仙石氏がその主役であった。 そのお家騒動屋敷を前に勝林寺はどう見ていたのであろう。 ...続きを見る

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2014/12/09 13:50
妙光寺 (大阪市中央区谷町)
旧大坂城下南部(現在の中央区谷町8丁界隈、天王寺区下寺町界隈)の寺町 は、全国的にも珍しいお寺の密集地域といえよう。 こうした寺町の形成は、豊臣秀吉の大坂城築城に伴う城下町整備から 始まり、1615年大坂の陣後に現在のような寺町として形成された。 多くのお寺は他所から移転してきたと考えられている。 妙光寺はその内の一つで、兵庫県三木市から1585年に移転したと いわれている。 妙光寺には、豊臣秀吉からの3通の書状が残されており、寺町の形成や 妙光寺の移転などにとって貴重な資料とい... ...続きを見る

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2014/12/08 09:18
西室院 (和歌山県高野町高野山)
816年弘法大師空海は、嵯峨天皇の勅許で高野山の地に寺院建立を開始 するが、山中の工事だけに、少しの堂宇の建立と中院(空海住坊)、東室、 西室、北室を建立したと伝えられている。 空海他界後、弟子の真然が伽藍を整備したといわれている。 西室が今日の西室院の始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2014/11/29 09:32
日光院 (兵庫県養父市) 但馬妙見
かって日本三妙見<相馬妙見(福島県)、八代妙見(熊本県)、但馬妙見> として妙見山中腹(名草神社の地)に大伽藍を構えて大いに栄えたと いわれている。 明治時代の神仏分離により、強制的に日光院は現在の山麓に移され、 但馬妙見の法灯を継いでいる。 妙見山の伽藍(三重塔、本殿、拝殿は重文)は名草神社として現在に至っている。 本来の日光院は大寺としての存在であった。 ...続きを見る

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2014/11/25 09:32
盛泉寺 (大阪府守口市) 守口東御坊
守口西御坊と呼ばれる難宗寺から1606年、本願寺東西分離の影響を受けて 本尊を引き継いで盛泉寺が開創され、守口東御坊と呼ばれた。 この時期には、各地の浄土真宗のお寺が東西に分離する現象が見られる。 ...続きを見る

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2014/11/24 13:33
雲蓋院 (和歌山県和歌山市)
雲蓋院は、1621年紀州藩主・徳川頼宣が紀伊東照宮を創建した際、 山麓に別当寺として天曜寺雲蓋院として開創している。 徳川将軍、紀州徳川藩主の位牌を安置し、200石の寺領を持つ大寺で あった。 明治時代になり、神仏分離により霊屋も廃され無住のお寺となった。 その後、再興され現在の雲蓋院となっている。 ...続きを見る

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2014/11/08 15:15
天澤寺 (兵庫県猪名川町) 石燈籠
730年行基が開創したと伝える<行基四十九院>の一つ楊津院が 天澤寺の始まりといわれている。 楊津院寺名の名残が近くにある楊津小学校に残っている。 1404年真言宗から浄土宗に改め、再興されている。 境内に安置されている石燈籠は1403年に造立されたもので、兵庫県 の文化財に指定されている。 単純明快な姿形とほとんど無傷の保存状態が資料として価値がある。 ...続きを見る

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2014/11/07 09:17
専念寺 (大阪市東淀川区)
淀川と神崎川に挟まれた東淀川区の住宅密集地に幼稚園を経営する 専念寺には、大阪市の文化財に指定されている3躯の仏像がある。 その内の大日如来坐像と十一面観音立像は、かって東淀川区に存在した 巨刹三宝寺の旧仏と考えられている。 三宝寺は文治年間(1185〜1190年)に開創された達磨宗(初期の禅宗) の本山として栄えたが、16世紀中頃兵火により廃寺となっている。 ...続きを見る

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2014/11/06 09:17
一乗院 (和歌山県高野町高野山)
金剛峯寺の東に隣接している一乗院は弘仁年間(810〜824年)に開創されたと 伝えられているが、詳細は不詳である。 一乗院宝物<観世音三十三尊像>奥書によると、上杉景勝家老であり、NHK 大河ドラマの主人公であった直江兼続夫妻ともゆかりがあり、奥の院には 直江夫妻の墓もある。 江戸時代には公卿・九条家の菩提寺にもなっている。 ...続きを見る

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2014/10/26 09:44
但馬国分寺 (兵庫県豊岡市日高町)
741年国家の鎮護・安寧のために聖武天皇の勅願により全国66ヶ国68ヶ所 に国分寺が建立され、東大寺は総国分寺となっている。 但馬国分寺がいつ建立されたかは確定されていないが、発掘調査で出土した 木簡から741〜767年の間であろうと考えられている。 平安時代中期から衰退し、1580年代には伽藍も無い状態と考えられている。 調査によって跡地は160m四方に及び、但馬国分寺跡として国指定史跡として 残されている。 ...続きを見る

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2014/10/23 13:31
興徳寺 (大阪市天王寺区) 観音像
天王寺区の心眼寺坂でひときわ目立つ観音像が建つ興徳寺は、 聖徳太子が現在の中央区法円坂附近に<薬師院>を建立したことに 始まると伝えられているが詳細は不詳である。 法円坂の近くに<難波宮跡>がある。 奈良時代に行基によって再興され、盛衰を経て江戸時代前期に現在地に 移ったといわれている。 この辺りは真田幸村の真田丸があったと考えられている。 ...続きを見る

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2014/10/23 09:25
延寿院 (和歌山県和歌山市) 紀州三大尊天
延寿院には、摩利支天・毘沙門天・弁財天が祀られ<紀州三大尊天>と よばれている。 特に、摩利支天を祀るお寺は全国的に見ても少なく、有名なお寺としては 京都・禅居庵がある。 摩利支天は武士の守り本尊として信仰が篤かったといわれている。 ...続きを見る

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2014/10/07 09:31
神池寺 (兵庫県丹波市) 
丹波の妙高山(565m)山頂近くに建つ神池寺は718年に開創されたと 伝わる古刹で、平安時代になると慈覚大師円仁などが巡錫し、 丹波比叡と呼ばれるほどに栄えたといわれている。 江戸時代元禄期頃から衰退したが、明治時代以降整備がなされ、 現在は桜・紅葉・雲海などと四季を通じて風景を変える観光スポットとして 親しまれ、県立自然公園として指定されている。 ...続きを見る

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2014/10/05 12:59
善福寺 (大阪市天王寺区) どんどろ大師
1615年大坂夏の陣の戦死者を弔うために、1752年真田幸村が築いた 真田丸の近くの現在地に鏡如庵大師堂が開創され、いつしか<どんどろ大師> と呼ばれ信仰を集めたといわれている。 明治時代に入り廃仏毀釈の波を受けて鏡如庵は廃寺となった。 1909年大阪北部の能勢からその跡地に善福寺が移転し、大師信仰により <どんどろ大師>が復活している。 ...続きを見る

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2014/10/05 09:18
高室院 (和歌山県高野町高野山) 戦国大名ゆかりの寺
1590年秀吉の小田原征伐によって敗れた小田原城主・北条氏直は、秀吉の 命により高野山に蟄居となった。北条氏の菩提寺・高室院で謹慎し、1591年 には解かれ大坂に入り、その後病死している。 高室院が小田原坊と呼ばれるのも北条氏との関わりが深かったことによる。 また、1595年藤堂高虎は出家して高室院に入るが、その後秀吉によって 呼びもどされ宇和島城主になり、徳川幕府のもとで津藩主となっている。 二人とも、秀吉・家康との関わりが深い。 ...続きを見る

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2014/09/25 09:08
経王寺 (兵庫県豊岡市出石町) 出石藩主の菩提寺
出石城跡から東に200mの城山山麓に、鐘楼の目立つ経王寺が建つ。 経王寺の開創は不詳であるが、永禄年間(1558〜70年)日道律師 に帰依した住職が経王寺として再興したのが実質的な開創と いわれている。 出石藩主前野氏の帰依を受けて寺領を増し、以降歴代の藩主(前野、 小出、松平、仙石氏)から庇護を受け、菩提寺の一つになっている。 ...続きを見る

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2014/09/21 09:25
久本寺 (大阪市中央区谷町) 大阪市内古類の堂宇
太平洋戦争などによって大阪市内のお寺の堂宇は多くが焼失している。 四天王寺などわずかに安土〜江戸時代前期の堂宇が残っている。 谷町筋に面した久本寺の堂宇もそれら市内古類に属する貴重な堂宇である。 本堂・庫裡・客殿・三十番神堂など修理を経て残されている。 ...続きを見る

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2014/09/20 09:15
妙見寺 (兵庫県赤穂市) 瀬戸内海を望む
赤穂市宝珠山の中腹に建つ妙見寺は、もともと奈良時代前半に山頂に開創 されたと伝えられ、1659年現在の奥の院に再建されている。 その後暴風により大破し、1722年中腹に再建されている。 南北朝時代の南朝忠臣・児島高徳の墓があることでも知られる妙見寺の 境内は山腹に張り付くように拡がるが、高床の観音堂とそこから望む 瀬戸内海の風景が古刹を蘇らせている。 ...続きを見る

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2014/09/03 09:09
真光院 (大阪市天王寺区) 聖徳太子ゆかりの寺
593年開創といわれる聖徳太子創建の四天王寺の支院(塔頭)・真光院は、 四天王寺の西側・谷町筋を挟んだ位置にあるが、594年聖徳太子が開創し、 608年用明天皇の追善供養を行ったといわれている。 また、太子が6万体の石造地蔵尊を祀ったと伝承され、境内や近辺から 発掘されることがあるらしい。 六万体町の地名もここに由来している。 ...続きを見る

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2014/09/01 08:58
無量光寺 (和歌山県和歌山市) 首大仏
江戸時代中期1730年頃、大福寺の蓮心和尚は村人の大いなる帰依を得て、 丈六の阿弥陀如来像が出来上がり、熱心に念仏を唱え修行したが、 和尚が亡くなって67年後に火災により丈六の阿弥陀如来像も焼失した。 復興を願って1840年まず大仏様の頭部が出来上がったが、経済的な理由で 胴部はできなかった。 明治時代になって大福寺は廃寺となり、本寺の無量光寺に首部が安置され、 首大仏と呼ばれて信仰を集めている。 現在は、頭の信仰から受験生のお参りもあるらしい。 ...続きを見る

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2014/08/28 10:33
妙楽寺 (大阪府守口市) ヒラドツツジ
ツツジとは無縁の10月に訪問しているので、ヒラドツツジの古樹を 鑑賞できずに。 ヒラドツツジは俗称でオオムラサキが正式名称である。 妙楽寺のツツジは推定樹齢が300年以上といわれ、妙楽寺が再建された 頃のツツジといわれている。 ...続きを見る

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2014/08/25 09:49
熊谷寺 (和歌山県高野町高野山) 
1184年源平合戦において、源氏の熊谷直実が幼い平敦盛を討ったことに 無常を感じ、法然上人のもとで出家し蓮生と改め、1190年敦盛の7回忌に際して 高野山に登り智識院(熊谷寺の前身)において霊を弔ったといわれている。 1201年源平戦死者追悼の会が高野山であり、法然上人・親鸞聖人・蓮生 など智識院に逗留して追悼したといわれている。 後に、源実朝により智識院を熊谷寺と改名したと伝えられている。 ...続きを見る

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2014/08/20 09:49
法幢寺 (兵庫県多可町) 
多可町の山あいにある法幢寺は、康永年間(1342〜45年)に夢窓国師 を開山として足利尊氏が創建したと伝えられている。 <2011年多可町の発掘調査(法幢寺遺跡調査)によって、その頃の瓦など が出土し、寺伝がほぼ裏付けられている。> その後、1581年秀吉の兵火により焼失し、1583年に再建され、 1634年に再興されている。 ...続きを見る

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2014/08/19 08:51
誓願寺 (大阪市中央区上本町) 井原西鶴の墓所
京都・大坂の町民文化として花開いた元禄文化の代表的な文人・井原西鶴 の墓が、明治時代に無縁墓の中から発見され、井原西鶴の評価が再発見 された時期と重なり一躍、誓願寺をお参りする人も増えたといわれている。 松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴の三人は元禄文化の中核をなした。 西鶴は当初、俳諧師として活躍し数多くの句を残し、40歳以降作家として 活躍している。 1693年52歳で没している。 ...続きを見る

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2014/08/18 08:46
不動院 (和歌山県高野町高野山) 美福門院御陵
鳥羽天皇皇后の美福門院(1117〜60年)は平清盛が台頭する契機となった 保元・平治の乱(朝廷内の権力争いが因)に大きく関わり絶大な影響力を持ち、 鳥羽院の所領の多くを引き継ぎ政治・経済面でその後も影響力が及んだ。 美福門院の遺命により高野山菩提心院に葬られた。 女人禁制の高野山とあって問題もあったといわれている。 高野山に庵を結んでいた西行が納骨に立会い歌を残している。  <けふや君おほふ五の雲はれて心の月をみがきいづらむ> ...続きを見る

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2014/08/09 09:26
東光寺 (兵庫県猪名川町) 木喰仏
北海道から鹿児島まで遊行した木喰上人(1718〜1810年)は全国に 木喰仏を残し、17世紀の円空上人の円空仏と対比して語られる。 円空仏は荒削りで野性的なのに、木喰仏は微笑を浮かべた温和な 表情が特徴である。 木喰上人が90歳の超高齢で東光寺に入り、子安観音など15体を 彫り、14体が残っている。 木喰上人は91歳で甲府に戻り、水戸で93歳の最期を迎えている。 ...続きを見る

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2014/08/07 09:04
専念寺 (大阪市中央区上本町) 
1590年豊臣秀吉の小田原征伐によって、北条早雲を祖とする後北条氏 (小田原城主)が滅亡し100年の関東覇者を終える。 実父・氏規、養父・氏直(第5代小田原城主)共々北条氏盛は高野山に 配流されるが、その後秀吉によって許され、1592年朝鮮出兵に際しては 肥前名護屋に従軍している。 1600年関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康によって狭山初代藩主となる。 1608年亡くなると専念寺に葬られた。 ...続きを見る

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2014/08/06 08:55
蓮花院 (和歌山県高野町) 高野山子院(宿坊) 徳川総家菩提寺
高野山中央部・金剛峯寺の東隣にある蓮花院は、徳川歴代将軍・御三家・ 徳川、松平ゆかりの徳川一族の菩提を弔っている高野山の子院である。 不詳の部分もあるが、蓮花院の歴史を見てみよう。 ...続きを見る

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2014/07/25 09:02
長谷寺 (兵庫県篠山市) <重文>妙見堂
篠山市藤坂の山あい集落に建つ長谷寺本堂から西へ300mほどの小高い 山腹に、<重文>妙見堂が覆堂の中に安置されている。 覆堂はまだ新しく、妙見堂を護っている。 この妙見堂は室町時代中期に深入寺(真如寺)の鎮守社として建立されたと 考えられている。 文禄年間(1592〜96年)に深入寺が廃寺となり、1615年に開創された 長谷寺に移管されている。 妙見堂の立地が旧深入寺の境内である。 ...続きを見る

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2014/07/24 13:56
心眼寺 (大阪府大阪市天王寺区) 真田幸村の真田丸跡地
2016年予定のNHK大河ドラマ<真田丸>の主人公・真田幸村が1614年 大坂冬の陣で築いた大坂城南部の出城が真田丸と呼ばれている。 真田丸が築かれた丘陵地一帯を現在では真田山と呼び、真田幸村ゆかりの 地として知られている。 真田山三光神社には真田幸村の銅像が建っている。 真田丸(出丸城)の跡地に建つ心眼寺は、1622年真田幸村の祖先・滋野氏 が幸村とその子・大助の菩提を弔うために開創している。 ...続きを見る

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2014/07/23 09:18
本願寺鷺森別院 (和歌山県和歌山市) 
浄土真宗の本拠・本願寺は、1262年親鸞聖人没後の1321年大谷本願寺が 始まりとなる。 1483年山科本願寺、1532年石山本願寺を経て、織田信長との和議で 1580年鷺森本願寺、1583年貝塚本願寺、1592年京都に移り本願寺が 確定するも、1603年本願寺は東西に分離される。 本願寺の歴史は浄土真宗の法難と共に移転の歴史を歩んでいる。 3年間の鷺森本願寺が現在の本願寺鷺森別院である。 ...続きを見る

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2014/07/14 08:59
永応寺 (兵庫県赤穂市) 播磨六坊
蓮如上人は1475年頃から播磨への真宗布教に乗り出しているが、 1475〜1500年の間に6人の高弟を英賀(姫路市)に送り込み、 それぞれが真宗道場を開いている。この六道場を播磨六坊と 呼んでいる。 播磨六坊と6人の高弟は、、   光源寺(姫路市):浄覚  光善寺(たつの市):順念  法専坊(姫路市):空善   円光寺(たつの市):祐全 永応寺(赤穂市):善祐  萬福寺(赤穂市):誓元   永応寺は1490年善祐によって開創されている。 赤穂藩主浅野家の帰依を受けている。 ... ...続きを見る

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2014/07/13 08:57
頼光寺 (兵庫県豊岡市日高町) 冒険家・植村直己の菩提寺
世界の冒険家・植村直己は1941年豊岡市日高町に生まれ、1984年2月12日 マッキンリー冬季単独登頂を果たした翌日の交信を最後に帰らぬ人となった。 世界の冒険家として1984年国民栄誉賞を受賞している。 日高町には植村直己に関する施設が多く設けられ、その内の一つが 頼光寺裏山の<植村直己ふるさと公園>で、植村直己墓碑やモニュメントが 建てられ、桜・紅葉の名所にもなっている。 頼光寺は植村家の菩提寺である。 東京都板橋区・乗蓮寺にも植村直己の墓所がある。 ...続きを見る

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2014/07/03 09:02
明光寺 (大阪府寝屋川市) 雷神石
明光寺山門の横にある覆屋の中に、雷神石と呼ばれる石碑が建立されている。 刻まれた銘に<天照山、1557年>があり、恐らく建立年と思われる。 境内奥にある十三仏板碑にも同じ紀年銘があり、同時に建立されたのであろう。 雷神石の名前の謂れについては不詳であるが、1801年刊行の <河内名所図会>には<一ヶの奇石あり>と紹介されている。 この雷神石は家形石棺の一部で、この近くには古墳が多かったことからも、 そこからの石棺を用いたと考えられている。 ...続きを見る

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2014/07/02 09:08
珊瑚寺 (和歌山県和歌山市) 
1585年秀吉の紀州征伐後、豊臣秀長が和歌山城を築城し、その城代として 秀長の家老となった桑山重晴が入り、三五寺というお寺を現在地に移し、 桑山氏の菩提寺として珊瑚寺を開創したといわれている。 桑山重晴は1596年まで城代を勤め、和歌山の整備に貢献している。 ...続きを見る

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2014/06/25 08:48
浅間寺 (兵庫県養父市八鹿町) 
11世紀中頃に築城されたと考えられている八木城(八鹿町八木)に13世紀初め 城主となった八木重清を初代として15代八木豊信まで350年以上に亘って 続いた八木氏は、但馬守護・山名氏の重臣として八木地区を治めた。 その八木氏の厚い庇護を受け祈願寺となったのが浅間寺である。 八木豊信によって本尊薬師如来など修理も行われ、日光・月光菩薩の 造立もおこなわれている。 ...続きを見る

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2014/06/23 08:46
禅林寺 (和歌山県和歌山市) 
明治2年(1869年)明治政府は3000人余りの浦上キリシタンを捕えて、 各地に流刑したが(浦上四番崩れ)、その内289名が紀州藩のあった和歌山に 送られ、過酷な扱いに遭い96名が殉教し、その後43名の慰霊碑が禅林寺に 建てられた。 1873年になってキリシタン禁制が解かれ、52名が故郷長崎に戻っている。 ...続きを見る

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2014/06/17 08:58
高蔵寺 (兵庫県篠山市) 丹波篠山もみじ三山
丹波市には<丹波紅葉三山(高源寺、円通寺、石龕寺)>があり、もみじ狩り の観光客も多いが、丹波篠山市にも<丹波篠山もみじ三山(高蔵寺、文保寺、 大国寺)>と呼ばれるニューフェイスが登場している。 篠山の三ヶ寺を新緑期に訪れて、大いに期待を抱かせるもみじ狩りが楽しめ そうだ。 高蔵寺は桜も楽しめ、四季折々の花木が楽しめる。 境内・駐車場も広くのびのびとした気持ちにさせてくれる風景である。 ...続きを見る

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2014/06/15 13:06
円照寺 (大阪府吹田市) 吹田の古刹
万博記念公園のすぐ南の小高い所に建つ円照寺の境内はこじんまり としたものであるが、853年文徳天皇の勅願により開創されたと 伝えられ、平安時代には万博記念公園を含む広大な境内に多くの 寺坊が建っていたといわれる大寺であった。 現在、お寺で所蔵する仏像などの寺宝からもその栄華が想像される。 ...続きを見る

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2014/06/06 10:08
宝林寺 (兵庫県上郡町) 
鎌倉時代末期〜室町時代末期に播磨の守護職として大いに権勢を誇った 赤松氏も、織田信長の播磨侵攻によって1576年没落している。 赤松氏台頭の主役・赤松円心(則村)は禅宗に帰依し、西播磨に多くの 禅寺を建立したといわれている。 ...続きを見る

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2014/06/05 09:45
願成寺 (兵庫県豊岡市出石町) 庭園と達磨像
1392年頃但馬守護で此隅山城主・山名氏清は城の麓(出石町宮内)に 山名氏の菩提寺として宗鏡寺を開創したと伝えられている。 その時、数ヶ寺の塔頭も建立されたといわれ、その一つが願成寺である。 1616年宗鏡寺が現在地に再興された時に願成寺も再興されている。 ...続きを見る

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2014/05/30 09:12
称名寺 (和歌山県有田市) 
阿弥陀二十五菩薩来迎図は多くの例が見られるが、彫刻の阿弥陀二十五菩薩像 は珍しいといえよう。 来迎二十五菩薩像(彫刻)でよく知られるものは、泉涌寺即成院の坐像、 當麻寺奥院の立像などがある。 称名寺の来迎二十五菩薩立像は、本尊・阿弥陀如来立像の左右に天井から 吊るされた様式で配置されている。 ...続きを見る

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2014/05/28 09:10
延命寺 (兵庫県丹波市山南町) 
延命寺から東北に1km弱ほど離れた山本集落にある茅葺の山本薬師堂は、 その創建は詳らかでないが、1683年の棟札から1395年に再建され何度と なく修理されている。 現在は延命寺の管理になっている。 ...続きを見る

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2014/05/20 08:58
感応寺 (和歌山県和歌山市) 南海身延
日蓮聖人の真骨の分骨を祀ることから、感応寺を南海身延と呼ぶとのこと。 感応寺はもと駿府(静岡市)にあったが、初代紀州徳川藩主・徳川頼宣が 駿府から紀州に移ってきた時に、感応寺も分寺して移ってきている。 現在は、静岡市にも感応寺は存在する。 勧請開山を日向上人と共にする鳥取・和歌山・静岡の感応寺を日蓮宗三感応寺 と呼んでいる。 ...続きを見る

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2014/05/11 21:36
宗鏡寺 (兵庫県豊岡市出石町) 沢庵寺
宗鏡寺は、1392年頃但馬の守護で此隅山城主であった山名氏清が城の 麓(出石町宮内)に山名氏の菩提寺として開創したと伝えられている。 1569年秀吉によって落城し、宗鏡寺や塔頭も荒廃している。 1616年出石藩主・小出吉英が沢庵和尚を開山として迎え現在地に 宗鏡寺と塔頭を再興している。 沢庵和尚は1620年宗鏡寺に庵を結び入山し、1629年江戸へ向う迄 宗鏡寺に隠棲している。 この間に庭園を作庭したといわれている。 ...続きを見る

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2014/05/02 09:12
法仙寺 (和歌山県有田川町) 岩坂観音
有田川町の東北端に連なる長峰山系の雨山(851m)に隣接する名もない 山の頂に古色悄然と立つ法仙寺は古来より岩坂観音と呼ばれ信仰を 集めている。 岩坂観音には次のような伝承がある。  7世紀中頃インドからの渡来僧・法道仙人が修行のためにこの地を 訪れ、小さな十一面観音を刻んで草庵に祀ったのが始まりといわれている。 その後、9世紀初めに弘法大師空海が美作(岡山県)の地で刻んだ 十一面観音を飛船に乗せて飛ばしたところ、この地に飛来した。 その後、弘法大師がこの地を訪れた時に、飛来した... ...続きを見る

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2014/04/20 09:22
清林寺 (兵庫県佐用町) 秀吉ゆかりの寺
1577年秀吉軍が上月城を攻める際に、一時本陣を置いたのが清林寺と 伝えられているが、本格的に戦闘に入る時は3km北の高倉山に本陣を 構えている。 竹中半兵衛と黒田官兵衛の活躍により上月城は落城している。 これが<第1次上月城の戦い>である。 ...続きを見る

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2014/04/18 09:24
延命院 (和歌山県和歌山市) 赤門と瓦塀
ベンガラ色の山門(赤門と呼ばれている)と平瓦をシックイで固めた瓦塀 は一つの風景を作りだしている。 この景観が<和歌山県ふるさと建築景観賞>を受けている。 瓦塀の所々に形の異なった瓦が埋め込まれ瓦塀にアクセントをつけている。 ...続きを見る

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2014/04/16 09:53
大日寺 (兵庫県加西市) 背面十字架地蔵尊
1972年加西市大日寺で見つけられた背面十字架地蔵は、前から見る限り 普通の地蔵尊であるが、背面には十字架が浮彫で刻まれている。 この地蔵尊は1725年頃にキリシタン信仰を託したものと推察されている。 この発見以降、播磨では多くのキリシタン信仰を託した地蔵尊が見つかって いるらしい。 隠れキリシタンの遺物でよく知られるものにキリシタン燈籠が各地に 見られるが、キリシタン地蔵とも呼ばれる地蔵尊は貴重な資料であろう。 私の探索中においても大日寺の背面十字架地蔵尊が初見である。 ...続きを見る

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2014/04/14 09:08
清水寺 (和歌山県有田川町清水) あらぎ島
有田川中流の清水には、<日本の棚田100選>に選ばれている<あらぎ島> と呼ばれる棚田が有田川の屈曲する内側に美しい風景を展開している。 あらぎ島の風景は和歌山でも有数の景観地となっている。 この棚田は17世紀半ばに開拓された歴史を持っている。 この棚田の近くに清水寺がある。 ...続きを見る

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2014/04/12 09:12
感応寺 (兵庫県三田市) 
丹波篠山の八上城は1508年波多野元清によって築城され、波多野氏の 本拠としていたが、織田信長の丹波攻略で明智光秀により1579年に落城し、 波多野氏は滅んでいる。 この戦いの最中に、波多野氏の祈願寺であった感応寺は八上城に食糧などを 支援していた。そのこともあり、明智軍によって感応寺も破壊されてしまう。 ...続きを見る

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2014/04/10 09:31
五百羅漢寺 (和歌山県和歌山市) 五百羅漢
五百羅漢寺は1766年紀州第8代徳川重倫の祈願寺として開創され、 1837〜42年に御殿奥女中や商人などが先祖供養や天下安寧を 祈願して羅漢像を奉納したのが現在の五百羅漢といわれている。 五百羅漢を祀ったお寺は多くあるが、石見銀山の羅漢寺や大分県・羅漢寺の 石造五百羅漢はよく知られている。 ...続きを見る

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2014/04/08 13:55
善福寺 (兵庫県猪名川町) 
大江山の鬼退治伝説の源頼光は、猪名川・川西・三田などの地域 を治めた清和源氏の3代目で善福寺を崇敬し資材を施したといわれている。 後に清和源氏の祈願所となった。 ...続きを見る

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2014/04/06 09:52
報恩寺 (和歌山県和歌山市) 
和歌山城南500mに建つ報恩寺は、1609年開創された要行寺が始まりで、 1666年初代藩主徳川頼宣の正室・搖林院が亡くなると要行寺に 埋葬されている。 1670年になって、2代藩主光貞は報恩寺として再興し、以降 藩主正室の菩提寺としている。菩提所は裏山にある。 藩主菩提寺は海南市長保寺である。 ...続きを見る

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2014/04/04 14:53
慶徳寺 (兵庫県小野市) カヤの木
本堂前のカヤの木は推定樹齢が600年といわれる古木で、慶徳寺が この地に移る1455年頃前からあったと伝えられている。 小野市の天然記念物に指定され、保存樹木にも指定されている。 ...続きを見る

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2014/04/02 14:07
佐井寺 (大阪府吹田市) 佐井の清水
遣唐使の一員として唐に渡り、玄奘三蔵に師事した道昭が677年に建てた 草庵が佐井寺の始まりと伝えられ、735年行基が伽藍を整えたと伝えられ ている。 その時に、行基の祈祷によって行基山に湧水があり、周辺に水の恩恵が もたらされている。 江戸時代にその湧水が佐井寺に引かれて眼病にご利益があると信仰を 集め<佐井の清水>として名を高めた。 吹田の三名水と呼ばれている。  吹田の三名水<垂水の滝、佐井の清水、泉殿宮の湧水> ...続きを見る

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2014/03/11 10:01
深専寺 (和歌山県湯浅町) 
湯浅の街中にある深専寺は奈良時代に開創されたと伝えられる海雲院が 始まりといわれているが詳細は不詳である。 平安時代後期に盛んになった<熊野詣で>の交通要路で、海雲院は 皇室の宿泊地ともなったいわれている。 その後、海雲院は廃れその跡地に1462年明秀上人が深専寺を開創 している。 ...続きを見る

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2014/02/27 10:03
萬福寺<万福寺> (兵庫県赤穂市) 播磨六坊
蓮如上人が播磨への布教を開始したのが1475年からで、1475〜1500年 の間に6人の高弟を英賀(姫路市)に向わせ、それぞれが真宗道場を開いて いるが、それらを播磨六坊と呼んでいる。 その6人の一人・誓元が英賀に開いた道場が萬福寺の始まりといわれている。 萬福寺は他所を経て1574年現在地に移っている。 ...続きを見る

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2014/02/15 09:56
荘厳寺 (兵庫県西脇市) 
西脇市黒田庄の白山(510m)山麓にある荘厳寺本坊から、白山山腹に ある本堂へ続く杉林やもみじの参道は、古刹の風景を造り出す自然美 が溢れている。秋の紅葉はすばらしいといわれている。 数百m登った境内には、本堂と多宝塔が建っており、古刹然とした 風景が醸し出されている。 ...続きを見る

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2014/02/13 10:48
西林寺 (兵庫県西脇市) 
651年に開創されたと伝わる古刹・西林寺の広大な境内には、 最奥に構える本堂への樹林に覆われた参道、桜・もみじなどの 花木と兵庫県天然記念物に指定されている推定樹齢200年以上と いわれる唐子椿、10万株といわれるアジサイ園、高浜虚子などの 句碑、歓喜天を祀る西脇聖天、と多彩な見所を備えた古刹である。 ...続きを見る

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2014/02/08 13:54
海禅院 (和歌山県和歌山市) 和歌の浦の多宝塔
<名勝>和歌の浦に浮かぶ小さな島の妹背山に建つ海禅院多宝塔は、 多宝塔前の観海閣、島へ渡る三断橋が一体となって和歌の浦の景勝の 一部を形成している。 海禅院は、紀州初代藩主・徳川頼宣の生母・お万の方(家康の側室・養珠院)が 徳川家康の三十三回忌追善供養のため、多数の小石に書写した 法華経題目を埋納した上に小堂を建てたことに始まる。 1653年お万の方が亡くなると、徳川頼宣が小堂の代わりに1655年 多宝塔を建立している。 ...続きを見る

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2014/02/04 13:24
大龍寺 (兵庫県小野市) 六地蔵石棺仏
石棺仏とは、古墳時代の石棺を材料として彫られた仏像であるが、 鎌倉〜室町時代に一般人によって彫られたと考えられている。 播磨地域に集中して見られる。 大龍寺の六地蔵石棺仏は南北朝時代のものと推定されている。 ...続きを見る

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2014/01/22 10:37
大念寺 (大阪府茨木市) 藤原鎌足ゆかりの寺
阿武山南西麓に建つ大念寺を開創したと伝わる藤原鎌足は大化の改新 の立役者であり藤原氏の祖であるが、鎌足の別荘があったと言われる 三島に慧隠法師を迎えた鎌足は仏堂を建て、656年現在地に鎌足の 子・定慧を開山として善法寺を開創したのが大念寺の始まりと伝えられている。 定慧の師が慧隠法師であり、本来の開山は慧隠法師といわれている。 ...続きを見る

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2014/01/13 09:38
浄教寺 (和歌山県有田川町) 文化財の宝庫
浄教寺は1472年に開創されているが、それ以前の文化財が多数残されて いる。その多くは有田川を挟んだ船坂の地にあった最勝寺の寺宝と 考えられている。 最勝寺は平安時代に開創され、室町時代末期に廃寺となっており、 その際に寺宝は浄教寺に引き継がれたといわれている。 ...続きを見る

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2014/01/03 10:22
金蔵寺 (兵庫県多可町) 千年杉
北播磨の山中に建つ山岳寺院・金蔵寺の千年杉は推定樹齢千年と 伝承されることから呼ばれているお寺の守り木である。 2001年には樹木医による治療が行われている。 ...続きを見る

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2013/12/24 09:39
真龍寺 (大阪府茨木市) 
真龍寺駐車場の一角に静態保存されているD51形蒸気機関車は 1944年製造で、1973年廃車され共永興業で保存後、真龍寺に 奉納されて現在に至っている。 市民の憩いの場としてD51広場と呼ばれ親しまれている。 ...続きを見る

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2013/12/14 09:18
泉福寺 (和歌山県紀美野町) 高野長峰霊場第10番
高野山から西下し紀の川に流れる貴志川流域の高野山参詣道沿いに、 心身健康祈願と地域活性化を狙って1987年に開創されたのが 高野長峰霊場である。 霊場は高野山真言宗の10ケ寺からなり、海南市・薬師院を1番とし、 紀美野町・泉福寺を10番としている。 泉福寺は耳の健康を願うお寺である。 ...続きを見る

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2013/11/19 15:45
養父寺 (兵庫県小野市) 古い石造物
養父寺は、飛鳥時代に聖徳太子が開創したと伝えられる東明寺の廃寺跡に 1678年姫路藩主が再興した黄檗宗のお寺である。 古い経歴のある地だけに、多くの古の石造物が残されている。 主な石造物として、  九重石塔(1348年)、五輪石塔(1344年)、石棺地蔵菩薩(室町中期) などがあり、珍しい石像として花山院石像などもある。 石造物に関心がある人には欠かせないスポットといえよう。 ...続きを見る

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2013/11/04 10:29
安岡寺 (大阪府高槻市) 新西国三十三ヶ所観音霊場客番
奈良時代後半の第49代光仁天皇の子であり、桓武天皇の庶兄になる 開成皇子が775年に開創したと伝える安岡寺は北摂三大寺の一つに 数えられる名刹である。 北摂三大寺(神峯山寺、本山寺、安岡寺)は共に開成皇子の開創と 伝えられる名刹であり、箕面市・勝尾寺も開成皇子の開創である。 ...続きを見る

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2013/10/23 09:19
清閑院 (和歌山県新宮市) 石垣と本堂
新宮市の寺町に石垣の囲いが眼に付く清閑院の開創は不詳であるが、 天正年間(1573〜92年)現在地に移って来たらしい。 1700年頃に建立された本堂は禅寺の方丈形式となっていて、新宮市 の文化財となっている。 清閑寺は一般人の坐禅体験も行われており、新宮市では坐禅のお寺と して知られている。 ...続きを見る

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2013/10/10 09:37
頼光寺 (兵庫県川西市) 
清和天皇の皇子を祖とする清和源氏は、現在の川西市多田を拠点にした 平安武士であるが、清和源氏2代・源満仲の夫人・法如尼の発願により、 3代源頼光の子が開山となって開創されたと伝えられるのが頼光寺である。 寺名は源頼光から来ており、頼光像を祀る香華寺である。 ...続きを見る

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2013/09/30 10:14
難宗寺 (大阪府守口市) 守口西御坊
守口市街地に大きなイチョウの木が目立つ難宗寺は、1475年蓮如上人が 越前吉崎から摂津に入り布教活動を始めているが、1477年に守口坊として 開創したのが始まりと伝えられている。 1602年本願寺が東西に分離され、守口御坊も難宗寺と盛泉寺に分離され 難宗寺は西本願寺の守口西御坊と呼ばれるようになった。 寺内町を形成していたが、今はその面影もほとんど見られない。 ...続きを見る

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2013/09/18 19:32
雨錫寺 (和歌山県有田川町) <重文>阿弥陀堂
高野山を源流とする有田川が蛇行する上流の段丘上にある雨錫寺の 阿弥陀堂は、1995年からの2年間に及ぶ解体修理と敷地発掘調査 によって、現在の阿弥陀堂は1514年に再建されたものと判明し、 今日までの歴史が新たに蘇っている。 茅葺の堂宇は11.74m四方の寄棟造りで、周囲に縁が張られ、 堂々とした佇まいである。 ...続きを見る

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2013/09/07 09:27
大蓮寺 (兵庫県赤穂市) 赤穂第2代藩主・浅野長友夫人の菩提寺
赤穂藩主浅野家の菩提寺は花岳寺であるが、第2代藩主長友の 夫人・波知の方は志摩鳥羽藩主・内藤氏の娘で、内藤家が浄土宗で あった因縁で浄土宗の大蓮寺に葬られている。 波知の方は短い生涯であった。 ...続きを見る

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2013/08/28 13:38
秋玄寺 (大阪府寝屋川市) 十三仏板碑
十三仏板碑は14世紀頃から出現してきたと考えられているが、多くは 室町時代の建立が多い。 大阪府の十三仏板碑は40〜50基あるといわれており、多い府県と いえよう。 特に、生駒山系には多く、奈良県も含めて50基ぐらいあるといわれている。 秋玄寺の板碑は1570年の建立で、大きさでは最大の部類に入るだろう。 ...続きを見る

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2013/08/17 09:42
福勝寺 (和歌山県海南市) <重文>本堂・求聞持堂
熊野古道橘本王子近くの小高い山腹に建つ福勝寺の本堂・求聞持堂・ 鐘楼は重要文化財に指定されている。 約3年の解体修復を終えて、その姿を新たに現わしている。 修復中(秋)と修復後(夏)の二度訪れて、福勝寺の歴史に想いを 馳せた。 ...続きを見る

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2013/08/07 13:44
来迎寺 (兵庫県小野市) 播州音頭記念碑
夏の盆踊り唱として唄われる播州音頭は、文久年間(1861〜64年)頃から 唄われた吉川音頭に新味を加えて、明治時代に唄われ出したこの地方の 盆踊り音頭である。 その音頭を記念した碑が来迎寺の境内に建つ。 ...続きを見る

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2013/07/27 10:18
薬師寺 (大阪府交野市) 千体仏
千体仏は、多数の同じような大きさの仏さまを彫刻したり、描いたり して仏さまを祀る信仰があるが、薬師寺の千体仏は671体が現存し、 室町時代に祀られたものと考えられている。 薬師如来や地蔵菩薩である。 交野市の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2013/07/17 09:42
高蔵寺 (兵庫県佐用町) 播磨西国観音霊場第10番
5月下旬に高蔵寺を訪れたが、その近くにある<味わいの里三日月> に植生されているルピナスの花が満開で、これだけのルピナスも 初めての観賞であった。 山中にある高蔵寺は、1697年に津山藩を改易となり三日月の地に 三日月藩を設けた藩主・森家の菩提寺である。 ...続きを見る

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2013/07/07 14:03
全龍寺 (和歌山県新宮市) 尺八名人・尾崎真龍の菩提寺
尾崎真龍は、幕末には京都・明暗寺の虚無僧で尺八の名人として 評価が高かったが、勤皇佐幕の密使として活躍していた。 そのため幕府によって捕えられ、故郷の新宮に幽閉されている。 全龍寺は尾崎真龍の菩提寺であり、尺八奏者も訪れるお寺である。 ...続きを見る

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2013/06/24 09:38
萬勝寺(万勝寺) (兵庫県小野市) 子午線の通るお寺
萬勝寺は子午線上にあり、門前には小さな子午線公園が整備され、 1986年設置の日時計が据えられている。 子午線の通るお寺には明石市の月照寺がある。 ...続きを見る

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2013/06/14 09:07
大念寺 (大阪府寝屋川市) 十三仏板碑
生駒山系界隈には十三仏板碑が多く残っているが、枚方・寝屋川近辺では 寝屋川に数例見られる。 大念寺の板碑は1609年と1611年の2基で、比較的に新しい。 多くの十三仏碑は室町〜江戸初期の造立であるが、関西の板碑は浮彫仏の ものが多く、関東の種子彫板碑とは対照的である。 ...続きを見る

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2013/06/02 09:24
宗応寺 (和歌山県新宮市) 熊野速玉大社の神宮寺
宗応寺はもと崗輪寺で、新宮城跡の丹鶴山南麓にあったが、新宮城 築城に伴い1600年代初めに現在地に移っている。 聖徳太子の開創と伝えられ、世界遺産の熊野速玉大社の神宮寺で あったといわれている。 明治時代初期の神仏分離により、神宮寺としての面影はないが、 新宮においては最古刹のお寺である。 ...続きを見る

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2013/05/22 09:25
観音寺 (兵庫県加東市) 赤穂浪士の墓碑
1703年赤穂浪士の討ち入り後、47士は泉岳寺に葬られている。 その後、赤穂の花岳寺、京都山科の瑞光院、加東市の観音寺などと47士の 墓碑が建てられている。 観音寺は、1686年家原浅野氏(赤穂浅野氏と縁籍)の香華所として開創 されており、その縁で、1847年墓碑が建立されている。 12月14日には義士祭が行われている。 ...続きを見る

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2013/05/09 09:21
慈光寺 (大阪府交野市) 十三仏板碑
板碑は全国に分布しているが、特に関東に多いのでは。 その中で十三仏板碑には2種類が見られる。 一つは仏の姿を浮き彫りにした板碑、他は仏の種子(梵字)を陰刻した 板碑であるが、前者は関西・生駒山系界隈に多く見られる。 関東の多くの十三仏板碑は後者のものである。 ほとんどの十三仏板碑は南北朝時代以降に建立されている。 ...続きを見る

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2013/04/29 09:19
本広寺 (和歌山県新宮市) 新宮城主・水野家の菩提寺
南北朝中期以降に熊野を統治した七人衆の一人・新宮行栄が1591年に 堀内氏に滅ぼされるが、その新宮氏の屋敷跡に開創された法華寺が 本広寺の始まりである。 1678年新宮城主・水野重上が水野家の菩提寺として再興し、 本広寺としている。 ...続きを見る

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2013/04/14 15:09
妙仙寺 (兵庫県加東市) 三草藩主・丹羽氏栄の菩提寺
1746年加東市三草上に陣屋を構えて三草藩を開いた丹羽薫氏は、 1万石の譜代大名であるが、江戸定府の大名で江戸常駐であった。 1757年丹羽氏栄が2代目として引き継いでいる。 その氏栄の菩提寺が妙仙寺である。 ...続きを見る

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2013/04/02 11:23
星田寺 (大阪府交野市) 地元豪族・星田氏の菩提寺
星田寺は、長暦年間(1037〜40年)の開創と伝えられているが、詳細は 不詳である。 隣地にある星田神社の神宮寺もあった。また、地元の豪族・星田氏の 菩提寺でもあり、交野市星田の信仰拠点であった。 神仏習合の名残が色濃く残るお寺と神社の佇まいである。 ...続きを見る

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2013/03/28 09:11
救馬渓観音 (和歌山県上富田町) 南紀最古の厄除け霊場
小高い山に張り付くように建つ救馬渓観音は、7世紀末に役行者によって 開創されたと伝えられる修行道場であった。 その後、空也上人や鳥羽天皇などの帰依を受けて栄えていたといわれている。 1426年に、浄瑠璃などで有名な小栗判官(小栗助重)が愛馬の病に祈願し、 完治したことを感謝して堂宇の再建を行い、救馬渓観音としてお寺を再興して いる。 ...続きを見る

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2013/03/21 09:11
東福寺 (兵庫県加東市) 山中の古刹
加東市松沢集落の小高い山中にある東福寺は、インドから飛来したと 伝承される法道仙人が600年代中頃に開創したお寺の奥の院が 始まりと伝えられている。 毎年12月第1日曜日に農作物の豊穣を祈って行われる火渡り行事で 知られ、紅葉の見所にもなっている。 山門に到る参道は趣のある風景である。 ...続きを見る

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2013/03/13 09:15
来雲寺 (大阪府枚方市) 十三仏板碑
守口市や寝屋川市には多くの十三仏板碑が残されているが、枚方市では 来雲寺の十三仏板碑が唯一ではないだろうか。 板碑に刻まれている十三の仏は、初七日から三十三回忌にいたる13回の 仏事を司る仏で、故人の冥福を祈り供養する板碑である。 ...続きを見る

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2013/03/04 09:04
安養寺 (和歌山県みなべ町) 最古類の板碑群
<南高梅>で知られる梅の産地・みなべ町の市街地にある小さな お寺・安養寺には、日本でも最古部類に属する板碑が2基と、他に 7基の板碑が安置されている。 これらの板碑は十三仏信仰の供養として建立されたと考えられている。 これだけの板碑が揃ってある安養寺は、985年頃恵心僧都が開創 したと伝えられている古刹である。 ...続きを見る

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2013/02/24 10:41
禅瀧寺 (兵庫県加東市) 播磨八薬師霊場第6番
禅瀧寺は播磨八薬師霊場の第6番で別名・曼珠沙華の寺と呼ばれている。 山門から200mほど続く参道脇に曼珠沙華(彼岸花)が真赤な花を開く ことから呼ばれている。 <播磨八薬師霊場>  閼伽寺薬師院(明石市)常楽寺(加古川市)薬上寺(姫路市)大善寺(福崎町)  東光寺(加西市)禅瀧寺(加東市)万勝寺(小野市)宝寿院(三木市) ...続きを見る

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2013/02/16 09:32
栄福寺 (和歌山県岩出市) イブキビャクシン
イブキビャクシン(伊吹柏槙)はヒノキ科ビャクシン属の一種で、大木に なると幹が捻じれるようになる。 栄福寺には推定樹齢500年以上のイブキビャクシンが2本あり、狭い 境内を覆っている。 幹は大きく捻じれ、その様は圧巻である。 ...続きを見る

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2013/02/05 09:04
尊延寺 (大阪府枚方市) 枚方の古刹
枚方市尊延寺と地名に残る尊延寺は、731年聖武天皇の勅願によって 開創されたと伝えられ、大伽藍を構えていたといわれている。 平安時代の6体の仏像が残り、鎌倉時代の大般若経が平安時代の唐櫃に 納めて残されている。 現在は、かっての境内地に小さな尊延寺と広大な大阪枚方霊苑が残され、 尊延寺には保育園が併設されており、門扉も閉じられていた。 ...続きを見る

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2013/01/24 09:33
掎鹿寺 (兵庫県加東市) 義経道
平家物語では、源義経が1184年三草山の戦いで勝利し掎鹿の里で 休息し、一の谷の戦いに向ったのであるが、篠山から三草山〜掎鹿〜 鵯越の道を<義経道>と呼ばれている。 史実ではこの道を辿ったかどうかは疑問視されているらしい。 しかし、休息し陣営を立て直すには絶好の掎鹿寺ではなかっただろうか。 ...続きを見る

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2013/01/17 09:43
正覚寺 (和歌山県岩出市) ムクの木
本堂前に広がる墓地の最奥に、主幹の中ほどから上が欠損している ムクの木が深緑の姿を見せている。 樹齢は不詳であるが、緑の深さは保たれている。 正覚寺は900年程前に開創されたと伝えられる真言宗のお寺である。 ...続きを見る

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2013/01/07 09:38
厄除観音寺 (和歌山県紀の川市) 長田観音
厄除観音寺は通称長田観音と呼ばれる厄除けのご利益があると信仰の 篤いお寺である。長田観音は現在地・別所の北にあたる長田に、 921年開創されたと伝わる古刹である。 盛衰を繰り返した後、1624年紀州藩主・徳川頼宣が現在地に本堂を 建立し、厄除観音寺と改名し祈願寺としている。 ...続きを見る

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2012/12/30 20:41
忍頂寺 (大阪府茨木市) 五輪石塔
境内最奥に建つ五輪石塔は鎌倉時代末期1321年に建立された 供養塔で、姿形が完形で残されその均整がとれた姿は貴重な資料 といわれている。大阪府文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2012/12/30 10:35
奥山寺 (兵庫県加西市) 多宝塔
北播磨の紅葉名所といわれている奥山寺を訪れたのは、紅葉落葉の時で 名残の紅葉を楽しませてもらった。 また深緑の奥山寺も訪れているので、その対比が面白い。 百数十段の石段を登った境内に本堂と多宝塔が建ち、古刹の佇まいを 見せている。 石段から振り返って参道を見る風景もこれまたよし。 このお寺はお気に入りのお寺である。 ...続きを見る

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2012/12/23 13:34
高雲寺 (大阪府茨木市) キリシタン墓碑
茨木市最北部の下音羽集落にある高雲寺のキリシタン墓碑は、 1610年と1613年銘の2基で隠れキリシタンの存在が裏付けられる 貴重な資料である。 高槻のキリシタン大名・高山右近の影響範囲を知る上でも興味が ある。 このキリシタン墓碑は、手水鉢の台石や靴脱ぎ石に使われていたらしい。 民家風のお寺だけに、発見に戸惑ったお寺である。 ...続きを見る

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2012/12/07 10:50
西仙寺 (兵庫県西脇市) 千姫ゆかりの寺
豊臣秀頼の妻であった千姫は、1615年大坂夏の陣で落城する大坂城から 家康の命により救出され、1616年本多忠刻と結婚し播磨姫路城に移っている。 1619年長子が誕生したが、1621年長子が亡くなり、西仙寺に多分の寄進を 行いその菩提を弔っている。 千姫の菩提を弔う帰依が西仙寺の境内に漂う感を受ける。 ...続きを見る

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2012/11/26 08:57
紀伊国分寺 (和歌山県紀の川市) 
741年聖武天皇の詔により全国66ヶ国68ヶ所に建立された国分寺の 一つで、紀伊国分寺は756年には主要な伽藍が建立されたといわれている。 879年に全焼したが、14世紀になって本堂が再建されている。 現在は講堂跡に本堂のみが建ち、境内は整備されて歴史公園となっている。 創建当初は、七重塔を配置した2町四方(218mX218m)の境内と 考えられている。 ...続きを見る

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2012/11/14 09:35
地福寺 (大阪府茨木市) 藤原鎌足ゆかりの寺
中臣鎌足(後の藤原鎌足)は644年神官最高位の神祇伯を授けられるのを 辞退し隠居した地が、現在の茨木市安威といわれている。 阿武山山腹に光明を得て、蘇我氏打倒を果たしたと伝えられている。 その鎌足が開創したのが地福寺と伝えている。 その後、盛衰を経て、安威川ダム建設にともない現在地に2003年移転して いる。 ...続きを見る

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2012/11/08 09:13
長明寺 (兵庫県西脇市) 源頼政ゆかりの伝承
1180年以仁王と挙兵し平氏打倒を謀った源頼政は、宇治平等院の戦い で敗死したが、この挙兵が源平の戦いの始まりともなっている。 この源頼政がここ西脇の地にゆかりがあると江戸時代から伝承され、 長明寺には頼政の供養塔が建てられ、鵺退治の頼政像も建てられている。 また、4月には頼政祭も行われている。 源頼政の歌 <深山木のその梢とも見えさりしさくらは花に顕はれにけり> ...続きを見る

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2012/10/29 09:16
光明寺 (和歌山県紀の川市) 日本の名松百選
<光明寺の黒松>は日本の名松百選の一つで、和歌山県では3例の 内の一つでもある。 全国的には、天橋立の松や御油の松並木などが挙げられている。 1583年境内の拡張時に、村の富豪が自庭内の松を寄贈して植えられたと 伝えられ、三方向に低い背丈で伸び、傘状に境内に合して育てられている。 和歌山県の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2012/10/15 09:29
法性寺 (大阪府豊能町) 石造物
法性寺境内に安置されている鎌倉時代の石造物は、 <1>石槽(石風呂)は同地区の旧走湯天王社の石風呂といわれ、     その後法性寺に移された。     大阪府では9例あるが、この石風呂は保存状態も良く貴重な文化財     となっている。宗教的な儀礼に使用されていたものと考えられている。 <2>地蔵石仏は1314年の銘があり、町でも最古の部類に属する。     元は裏山山頂に祀られていたと伝えられている。 ...続きを見る

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2012/10/10 09:08
十禅律院 (和歌山県紀の川市) 紀州藩主ゆかりの寺
名刹・粉河寺の境内最奥に隣接する十禅律院は、990年石崇上人が 粉河寺の塔頭・法水院として開創したと伝えられている。 その後、長い宝鐸が掘り出されたことから宝鐸地十禅院と改名している。 1794年紀州第10代藩主・徳川治宝の支援を得て、伽藍の再建が 始まり、1800年天台宗十禅律院として再興されている。 ...続きを見る

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2012/10/01 09:42
今養寺 (大阪府能勢町) 野間の大ケヤキ
今養寺近くにある<野間の大ケヤキ>は、推定樹齢が千年以上といわれ、 ケヤキとしては全国4番目の巨樹で、国の天然記念物に指定されている。 このケヤキの木から細い道を入った山麓に佇む無住の今養寺は、 1076年源仲信によって開創され、真言宗のお寺であった。 1605年領主・能勢頼次によって日蓮宗に改宗されたが、何度か衰退を 繰り返し現在は無住になっている。 ...続きを見る

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2012/09/26 08:56
薬師寺 (和歌山県紀の川市) 樹齢400年の黒松
薬師寺の境内イッパイに広がる黒松は、推定樹齢400年といわれ、 14m近く枝を伸ばしている。 高さは7mほどで横に広くひろがる姿は見ものである。 ...続きを見る

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2012/09/17 09:03
本瀧寺 (大阪府能勢町) 妙見宗総本山
奈良時代前期に行基が妙見山(660m)山頂に大空寺を開創したと 伝えられ、その水行場として中腹に行儀の滝が開かれたといわれている。 その行儀の滝周辺に1921年に野間日照が天台修験道のお寺を開創 したのが本瀧寺の始まりである。 戦後、1946年に妙見宗を創立している。 天台修験道と日蓮宗の影響がある新しい宗派であり、能勢妙見山の 妙見宮とは関係はない。 ...続きを見る

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2012/09/09 09:15
持経寺 (大阪府能勢町) 能勢最古の法華寺
日蓮聖人を宗祖とする宗派は多数存在するが、元々は法華宗と呼ばれて いたのが、明治時代以降多数の宗派に分離独立していった。 大きくは、日蓮宗系と法華宗系になるのであろうが、現在は総称・日蓮宗系 として伝統仏教13宗の一つに数えられている。 ...続きを見る

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2012/08/26 08:49
神願寺 (和歌山県かつらぎ町) 紀伊の国十三仏霊場
<十三仏>は、亡くなった人の供養を行う13回の忌日法要を司る 仏で、十三仏霊場はそれらの仏を本尊とするお寺霊場である。 京都・大阪・大和など各地に十三仏霊場がある。 紀伊の国十三仏霊場は根来寺(不動明王)を1番として、瀧法寺(虚空蔵菩薩) を13番とする霊場で、神願寺(文殊菩薩)は第3番である。 ...続きを見る

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2012/08/22 09:18
月峯寺 (大阪府能勢町) 北摂の名刹
劔尾山(785m)の山麓にある月峯寺は、583年に朝鮮・百済から帰国した 僧・日羅上人が劔尾山頂に千手観音を祀ったのが始まりと伝えられる古刹 で、その後山岳仏教の拠点として大いに栄えたといわれている。 戦国時代の戦乱により壊滅し、1664年現在の山麓地に再興されている。 現在の樹林に囲まれた境内からも古刹の景が窺える。 ...続きを見る

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2012/08/14 09:22
子安地蔵寺 (和歌山県橋本市) 関西花の寺第24番
関西花の寺霊場は20世紀末に、関西2府4県の花に見所を持つ古刹25ヶ寺 によって結成されている。 最近は観光バスも多く訪れ、人気の霊場となっている。 子安地蔵寺は<藤>の見所として、また安産子授りの地蔵さんとして信仰が 篤い。 藤の季節に訪れたが、開門30分前から観光客が集まり、その人気ぶりに 驚かされた。 6種類20本の藤が広くはない境内を埋めている感がある。 ...続きを見る

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2012/08/09 10:32
慈眼寺 (大阪府能勢町) 願掛観音
観音堂に祀られている千手観音は、飛鳥時代に日羅上人によって 開創された清山寺の本尊であったが、室町時代に火災によって全焼 し、清山寺の一坊であった自雲庵の観音堂に祀られるようになった。 この千手観音には、<むすめと狼>の昔話があり、願い事を叶えて くれるご利益があると伝承され、<願掛観音>とよばれている。 ...続きを見る

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2012/07/31 09:49
高山寺 (和歌山県田辺市) 南方熊楠の菩提寺
明治〜昭和時代を通じた博物学者・南方熊楠は植物を中心とした研究で 世界的にも著名な博物学者であるが、奇抜な行動でも知られる人である。 日本における自然保護運動の先駆者でもある熊楠の菩提寺が、丘陵地 にある高山寺である。 ...続きを見る

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2012/07/25 09:18
蓮華寺 (大阪府能勢町) 五輪石塔
墓地に安置された2m強の五輪石塔は鎌倉時代後期のもので、 府内でも屈指の五輪石塔といわれ大阪府の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2012/07/15 09:57
無量寺 (和歌山県串本町) 蘆雪寺
1786年本堂再建に際して、住職は円山応挙に襖絵を依頼し、応挙は 12面を描いたが老齢のこともあって、弟子の長澤蘆雪を串本へ向かわせて 襖絵を完成している。南紀に10ヶ月滞在した蘆雪は数多くの作品を 残し、無量寺・成就寺・草堂寺に180面の襖絵がある。 無量寺には<串本応挙芦雪館>が設けられ展示公開されている。 ...続きを見る

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2012/07/11 13:50
玉泉寺 (大阪府能勢町) 鎌倉時代の板碑
供養塔として使われた石碑の一種である板碑は板石塔婆で、鎌倉時代〜 室町時代に多く造られ、主に関東地方に多く見られる。 玉泉寺の板碑は自然石に、胎蔵界大日・金剛界大日の梵字が刻まれた 2基の板碑である。 能勢地域に伝播された真言密教の初期的な遺品として貴重な資料と なっている。 ...続きを見る

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2012/07/02 09:18
補陀洛山寺 (和歌山県那智勝浦町) 補陀洛渡海
世界遺産<紀伊山地の霊場と参詣道>の霊場として登録されている 補陀洛山寺は、平安時代から江戸時代にかけて補陀洛渡海の霊地と して信仰されてきた。 補陀洛渡海とは、観音浄土である補陀洛山へ向って那智の海岸から 死を覚悟して旅立った宗教的儀礼で、平安時代868年から江戸時代 1722年までに25人が渡海したといわれている。 なお、補陀洛渡海は足摺岬や室戸岬などでも行われていたらしい。 ...続きを見る

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2012/06/27 09:21
長杉寺 (大阪府能勢町) 江戸時代の枯山水庭園
大阪府の最北端、丹波との境に位置する山寺・長杉寺の枯山水庭園は、 江戸時代中期に作庭されたと考えられるこじんまりとした庭園である。 しかし、自然石を組み合わせサツキやスギゴケを調和よく植生し、自然を 組み込んだ調和が生きている。大阪府の名勝に指定され、山間の庭園 としても貴重な存在となっている。 ...続きを見る

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2012/06/17 13:55
青岸渡寺 (和歌山県那智勝浦町) 西国三十三所観音霊場第1番
青岸渡寺は2004年<紀伊山地の霊場と参詣道>の一部として世界遺産に 登録され、西国三十三所観音霊場第1番札所の寺格と観光拠点としての 地位を高めている。 熊野那智大社・那智滝が三位一体となった霊場は大きく変わり、益々 栄えることだろう。 ...続きを見る

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2012/06/13 13:19
清普寺 (大阪府能勢町) 地元権力者・能勢氏の菩提寺
徳川家康に味方して関ヶ原の戦いで戦功を立てた能勢頼次は、地元能勢の 旧領を回復し能勢の地に旗本として基礎を築いた。 1601年頼次は父・頼幸の菩提を弔うために清普寺を開創し、以降能勢氏の 菩提寺としている。 ...続きを見る

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2012/06/05 10:43
真如寺 (大阪府能勢町) 関西身延
真如寺は、1600年日乾上人を開山として能勢の権力者・能勢頼次が開創 し、1603年には能勢妙見山を開いている。 能勢妙見は妙見信仰の中心であり、真如寺は日蓮聖人の真骨を納めて いることから関西身延ともいわれている。 なお、能勢妙見山は真如寺の境外仏堂で、真如寺の管轄である。 ...続きを見る

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2012/05/26 11:41
仏眼寺 (大阪府豊中市) 珍しい鐘楼堂
阪神大震災で倒壊した鐘楼の建て替えにあたって、元の鐘楼に建て替えるか 検討された結果、現在の面格子耐力壁という木造格子状の鐘楼堂が建立 され、豊中市指定文化財の梵鐘が吊るされている。 古風な伽藍の中にあって異色な鐘楼堂が不思議にも調和している。 ...続きを見る

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2012/05/12 14:45
近江寺 (兵庫県神戸市西区) 明石八山寺
旧明石郡(神戸市西部・明石市)の名刹古刹8ヶ寺を明石八山寺と呼んで いたが、現在繁栄しているお寺もあれば、衰微しているお寺もある。 太山寺・如意寺・多聞寺・日輪寺・近江寺などがある。 ...続きを見る

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2012/05/08 09:24
安楽寺 (大阪府豊中市) 樹齢400年の蘇鉄
安楽寺の蘇鉄は雌株で、推定樹齢は400年といわれ益々成長している 樹勢を示し、豊中市の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2012/05/02 09:08
性海寺 (兵庫県神戸市) 西区の古刹
性海寺は行基によって730年開創されたと伝えられ、七堂伽藍を備えた 大寺として大いに栄えたといわれている。 平安時代末期には多くの僧坊があり播州の学山として多くの僧が 修行に励んだと伝えられる。 1579年には秀吉の兵火に遭い焼失したが、1648年徳川家光によって 伽藍が再建され、再び栄えたといわれる。 その時、鬼追いの追儺会が始まったといわれ、現在も成人の日に 行われている。 ...続きを見る

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2012/04/28 09:21
報恩寺 (大阪府豊中市) 摂津麻田藩陣屋の遺構
摂津麻田藩は1615年青木一重を初代藩主として明治維新まで続いた 1万石の小藩で、豊中市の蛍池駅西に陣屋を置いていた。 その陣屋の表玄関の遺構が報恩寺に移されており、藩主青木氏の 菩提寺は池田市の仏日寺である。 ...続きを見る

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2012/04/23 09:46
高家寺 (兵庫県明石市) 太寺廃寺跡
奈良時代前期に創建された太寺廃寺の跡地に、元和年間(1615〜24年)に 明石藩主・小笠原忠政(忠真)によって高家寺が開創されている。 太寺廃寺は明石では最古の寺院と考えられ、境内からは奈良時代前期〜 江戸時代の瓦が出土し、塔跡が残されている。 ...続きを見る

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2012/04/19 09:32
西江寺 (大阪府箕面市) 箕面聖天
箕面滝を中心に役行者が開いた山岳道場の一つとして658年歓喜天を 祀ったのが西江寺の始まりと伝えられている。 歓喜天が祀られた日本最初のお寺ともいわれている。 当初は神宮寺と呼ばれていたが、明治時代に西江寺と改名している。 夫婦和合・子宝・安産の篤い信仰を集め箕面聖天として知られている。 ...続きを見る

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2012/04/14 10:17
久昌寺 (兵庫県神戸市垂水区) 宝篋印塔
久昌寺の宝篋印塔は1352年時宗の僧集団によって造立されたもので、 恐らく一遍上人の供養塔として造立されたのであろう。 一遍上人は全国遊行の末に、現在の神戸市兵庫区・真光寺で亡くなっている。 宝篋印塔はほぼ完全な形で残っており兵庫県の文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2012/04/10 15:47
自性院 (大阪府池田市) カイヅカイブキ
カイヅカイブキはビャクシンの変種で、庭木や生け垣などに植栽されている 樹木であるが、自性院のカイヅカイブキは推定樹齢400年といわれる 古木で、池田市でも目立つ樹木であり市の天然記念物に指定されている。 ...続きを見る

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2012/04/06 10:02
転法輪寺 (兵庫県神戸市垂水区) 垂水の古刹
806年平城天皇が即位後病気になられ、病気平癒の祈願寺として 現在の垂水区青山台(通称ジェームス山)に創建されたのが転法輪寺の 始まりと伝えられている。 <創建したのが在原行平と説明されているが、年代が整合しない> 伽藍も広く大寺であったといわれている(千坊ヶ谷廃寺として瓦などが 出土したらしい) 1223年現在地に移っている。 ...続きを見る

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2012/03/31 09:28
仏日寺 (大阪府池田市) 摂津麻田藩主・青木家の菩提寺
摂津麻田藩は青木一重を初代藩主として、現在の豊中市蛍池に陣屋を 設けて成立した1万2千石の小藩である。 小藩にもかかわらず1661年仏日寺伽藍の建立に大金をつぎ込んだため 藩財政が困窮したといわれる程の大寺・仏日寺であった。 伽藍は29堂宇を数える大伽藍であったと伝えられている。 ...続きを見る

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2012/03/27 09:07
妙法寺 (兵庫県神戸市須磨区) 平清盛ゆかりの寺
1180年平清盛は福原遷都に際して、平安京の鞍馬になぞらえて、 妙法寺の地を新鞍馬と称して王城鎮護の霊場としたと伝えられている。 鞍馬寺と同じく本尊は毘沙門天で、重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2012/03/23 09:33
瀧安寺 (大阪府箕面市) 修験道の根本道場
瀧安寺は、658年役行者が箕面滝で修行し、滝の側に弁財天を祀る堂を建てて 箕面寺としたことに始まると伝えられている。 役行者は修験道の開祖として伝えられ、吉野・葛城など多くの道場を開いたと いわれている。 701年箕面滝の北にある天上ヶ岳で亡くなったと伝えられている。 それ以降、山岳霊場として栄え、空海・日蓮・蓮如なども修行したといわれている。 江戸時代初期に現在地に再建されている。 ...続きを見る

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2012/03/19 09:04
真光寺 (兵庫県神戸市兵庫区) 一遍上人ゆかりの寺
時宗の開祖・一遍上人は、1239年現在の愛媛県松山市に生まれ、 10歳で出家し一時は還俗したが再度出家して浄土宗に帰依し、 その後全国を遊行し念仏を広めた。 1289年真光寺の前身である観音堂で亡くなっている。 真光寺の境内には一遍上人の御廟が整備されている。 ...続きを見る

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2012/03/15 09:20
宝珠寺 (大阪府豊中市) 三重宝篋印塔
宝篋印塔の中でも珍しい宝珠寺の2基の三重宝篋印塔は南北朝時代の 造立と考えられており、花山法皇と宝珠寺開山・仏眼上人の供養塔と 伝えられている。ともに重要美術品に指定されている。 ...続きを見る

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2012/03/11 15:22
能福寺 (兵庫県神戸市兵庫区) 平清盛ゆかりの寺
平清盛が1168年兵庫の福原に別荘(雪見御所)を造営して、日宋貿易の 拠点として居住した時に出家したお寺が能福寺であったと伝えられている。 平家一門の帰依を得て、能福寺は大いに栄え平氏の祈願寺となっている。 1181年清盛が京都で亡くなり荼毘に付されて後に遺骨を能福寺に 埋葬したと伝えられており、現在は1980年に平相国廟として整備されている。 ...続きを見る

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2012/03/07 09:31
釈迦院 (大阪府池田市) 尊鉢厄神
釈迦院に祀られる厄神明王は愛染明王と不動明王が一体化した明王で、 尊鉢厄神と呼ばれている。 1月18日・19日に行われる大祭には出店も出て大いに賑わうらしい。 厄除け信仰の始まりは、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して北政所が祈願 したことによるらしい。 現在も厄除けの尊鉢さんとして信仰を集めている。 ...続きを見る

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2012/03/02 09:26
徳光院 (兵庫県神戸市) <重文>多宝塔
新幹線新神戸駅の裏山にある徳光院・多宝塔は、1478年現在の垂水区名谷 にある明王寺に建立され、何らかの理由で1900年に旧川崎邸 (現在の新神戸駅)に移築後、1938年現在の徳光院に移築されている。 この多宝塔は神戸市で唯一の文化財多宝塔であり、兵庫県で最古の 多宝塔である。 周囲の環境と融けあった姿は心を和ませるものを持っている。 ...続きを見る

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2012/02/27 09:20
無二寺 (大阪府池田市) 和泉式部ゆかりの地
和泉式部が平井保昌の妻となって、現在の池田市古江の地に住んで いたといわれ、夫が狩りに出かける時に詠んだといわれる歌 <ことわりやいかでか鹿の鳴かざらんこよひ限りの命と思へば> によって、保昌はこれ以降狩りに出かけなかったという伝承がある。 和泉式部塔が無二庵にあったらしいが、無二庵と無二寺が同じか どうかは判然としない。 墓地には1349年造立された立派な宝篋印塔があり、これが 和泉式部塔とも伝承されている。 ...続きを見る

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2012/02/23 09:16
理智院 (大阪府岬町) 追風不動明王
弘法大師空海が806年中国唐からの帰国途中に彫ったと伝えられる 追風不動明王が本尊として祀られる理智院は、733年行基によって 開創されたと伝えられている。 また、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に理智院住職に風波の鎮静を祈願 させたとも伝えられる風波鎮静の不動明王として信仰を集めている。 また、南方熊楠が1900年英国から帰国後、一時理智院に滞在 している。 ...続きを見る

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2012/02/17 09:16
大龍寺 (大阪府東大阪市) 河内では珍しい黄檗伽藍
生駒山系の山麓にある大龍寺は、598年聖徳太子が開創したと伝えられて いるが詳細は不詳である。当初は厳松寺と呼ばれていたらしい。 1685年黄檗宗の僧が再興し、翌年大龍寺と改名している。 ...続きを見る

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2012/02/05 19:58
往生院 (大阪府東大阪市) 楠木正行の菩提寺
南北朝時代の武将で、楠木正成の長男である楠木正行は正成没後、 南朝方の期待の武将として活躍したが、四条畷の戦いで往生院を 本陣として戦ったが北朝の足利方に敗れ、往生院に葬られている。 正行の辞世の歌   <かへらじとかねて思へば梓弓なき数にいる名をぞとどむる>は あまりにも悲しい歌ではないか。 ...続きを見る

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2012/01/24 09:20
日光寺 (兵庫県南あわじ市) 聖徳太子ゆかりの寺
613年聖徳太子が淡路島を訪れた際、慶野浜で如意輪観音を授かり それを祀るために堂宇を建立してと伝えられている。 <中の御堂>がその地だともいわれている。 これが日光寺の始まりといわれている。 その後盛衰を経て、元亨年間(1321〜24年)に一阿上人が再興し、 浄土宗の寺として復興している。 墓地にある五輪石塔(1322年銘)は一阿上人の碑ともいわれている。 ...続きを見る

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2012/01/19 09:54
伊勢寺 (大阪府高槻市) 平安時代の女流歌人・伊勢ゆかりの寺
小倉百人一首に  <難波潟みじかき芦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや> と詠っている平安時代の女流歌人・伊勢は三十六歌仙の一人でもあり、 古今和歌集に22首も載っている歌人である。 その伊勢が晩年庵を結んで過ごしたのが伊勢寺の始まりと伝えられて いるが、いつお寺になったかは不詳である。 その後江戸時代に伊勢寺は再興されている。 墓地には伊勢廟堂がある。 ...続きを見る

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2012/01/16 09:23
長泉寺・恵日寺 (兵庫県淡路市) 庭園
長泉寺・恵日寺の庭園はどちらも県指定名勝庭園で江戸時代前期に 作庭されたものである。 ...続きを見る

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2012/01/10 09:29
慶瑞寺 (大阪府高槻市) 後水尾法皇ゆかりの寺
江戸時代初期、徳川幕府との葛藤に心痛しながらも長寿を全うされた 後水尾天皇(後に法皇となる)が帰依した龍渓性潜の中興になる 慶瑞寺には、後水尾法皇の歯を納めた聖歯塔や法皇の念持仏 といわれる菩薩像などが継承されている。 ...続きを見る

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2012/01/07 09:38
覚王寺 (兵庫県淡路市) 牛馬安全祈祷
覚王寺の本尊・五智如来の中心仏・大日如来は牛の守護仏といわれ、 江戸時代から牛馬の安全や安産を祈願する信仰を集めてきた。 毎年4月28日に牛馬安全祈祷会が行われる。 ...続きを見る

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2012/01/01 15:16
本照寺 (大阪府高槻市) 富田御坊
本照寺は、1427年本願寺第7世存如が富田光照寺として開創したのに 始まり、室町時代後期には衰えたが、この頃から寺内町が少しずつ 形成され、1646年に本願寺から良教が入って本照寺とし大いに 栄えたといわれる。 この頃から摂津における浄土真宗の拠点として活動し、寺内町も 栄えたといわれている。 ...続きを見る

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2011/12/29 09:23
浄土寺 (兵庫県洲本市) 菅原道真ゆかりの寺
菅原道真が大宰府に赴く途次に、暴風に流されて淡路島の都志に漂着し 水を求めたのが浄土寺の水であった。道真はこの水を菊水井と名付け、 またこの地を都を想い都志と名付けたと言い伝えられている。 また、浄土寺の境内に松を植えたといわれる<神愛の松>は現在3代目 の松だそうだ。 ...続きを見る

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2011/12/23 09:37
金禅寺 (大阪府豊中市) <重文>三重宝篋印塔
宝篋印塔は鎌倉時代以前には宝篋印陀羅尼(お経)を納めた石塔であったが、 鎌倉以降は墓塔や供養塔として造立されるようになった。 全国に分布しているが、形式として関西・関東の2形式であるが外観は二重の 石塔がほとんどである。 <主な宝篋印塔>を参照。 ...続きを見る

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2011/12/20 09:28
長林寺 (兵庫県洲本市) 淡路島七福神福禄寿
福禄寿の神は、幸福・封禄・長寿の三徳をもたらす神で、七福神の一神 である。長林寺の福禄寿は大望成就を授けるお寺として信仰されている。 737年行基によって開創されたと伝えられ、菅原道真も九州大宰府に 赴任する途次に参詣したといわれている。 ...続きを見る

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2011/12/14 09:12
犬鳴山七宝瀧寺 (大阪府泉佐野市) 葛城修験道の根本道場
豊かな自然と犬鳴山温泉で知られる犬鳴川渓谷にある七宝瀧寺は、 661年役行者(役小角)が大峰山山上ヶ岳より6年早く開創したと 伝えられ、葛城山系の葛城修験道の根本道場として栄えたといわれる。 盛衰を繰り返し、明治時代には修験道の禁止により廃れたが1950年 に再興され、葛城修験道の道場として復活している。 ...続きを見る

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2011/12/11 10:21
智禅寺 (兵庫県淡路市) 淡路島七福神弁財天
弁財天(弁才天)は元々古代インドの河の神であるが、河が流れる音から 音楽の神とされ、芸術・学問の神などと幅広く信仰されている。 日本の多くの神社・寺院で祀られ、特に水辺(池など)に祀られている。 福をもたらす七福神は室町時代末期に関西で始まったといわれ、江戸時代 になって全国に普及している。 ...続きを見る

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2011/12/02 09:11
大門寺 (大阪府茨木市) 豊臣秀次の重臣・木村重滋の菩提寺
戦国武将・木村重滋は秀吉に仕え、若狭美浜の国吉城主・越前の 府中城主(越前市)・淀城主にもなった武将である。その後、秀次の家老として 朝鮮の戦いにも従事している。 1595年秀次事件により、連座の罪に問われ、同年大門寺において 自害を命じられている。その時、子供たちも自害したり処刑されている。 秀吉の最古参家臣ともいえる重滋の処罰には晩年の過酷な秀吉の一面が 覗いていえるだろう。 ...続きを見る

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2011/11/20 09:13
円通寺 (兵庫県丹波市) 丹波紅葉三山
兵庫県丹波市氷上町にある円通寺は、1382年室町幕府3代将軍 足利義満が、後円融天皇の勅命を受けて開創したと伝えられている。 江戸時代には栄え一千石をこえる寺領を有した名刹で、丹波紅葉三山 の一つに数えられている。 ...続きを見る

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2011/11/14 16:11
東山寺 (兵庫県淡路市) 淡路三山
東山寺の本尊・千手観音は一木三体と伝えられ、常隆寺、千光寺の 本尊の三体といわれて淡路三山とよばれている淡路島の名刹である。 東山寺は、819年弘法大師空海によって開創されたと伝えられ、 七堂伽藍を備える大寺であったといわれている。 一時廃寺同然の状態であったが、尼僧が入って再興し今日まで 尼寺として維持されている。 ...続きを見る

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2011/11/14 08:56
東光院 (大阪府豊中市) 新西国三十三ヶ所観音霊場第12番
新西国三十三ヶ所観音霊場は1932年新聞社の読者によって選ばれた 近畿の観音霊場が始まりとなっている。 第1番は大阪市の四天王寺となっている。 東光院は、735年行基によって現在の大阪市大淀区中津に開創されたと 伝えられている。 1914年に現在地に移転し、境内には萩が植生され萩の寺とも呼ばれている。 十一面観音を札所本尊として新西国観音霊場の第12番札所になっている。 ...続きを見る

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2011/11/11 09:12
大円院 (和歌山県高野町) 高野山宿坊 滝口入道と横笛ゆかりの寺
高野山のほぼ中央にある大円院は、延喜年間(901〜923年)に 京都・醍醐寺の開祖・理源大師聖宝によって多聞院として開創されている。 1600年頃柳川藩主・立花宗茂の帰依を受け、大円院と改名している。 ...続きを見る

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2011/11/01 08:44
宝生寺 (兵庫県淡路市) 淡路島七福神<寿老人>
<淡路島七福神めぐり>は淡路島全島を巡る素朴な信仰として 人気を集めており、日曜日には観光バスも運行されるらしい。 私が宝生寺を訪れた時も、家族連れの人達に会っている。 宝生寺には寿老人が祀られ、境内にある長寿橋を渡ると寿命が 10年延びるといわれ、寿老人は達者で長寿をさずける福の神。 ...続きを見る

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2011/10/28 08:27
神峯山寺 (大阪府高槻市) 仏教の聖地七高山
平安時代初期には既に仏教の聖地として山岳寺院が開かれ、修行僧の 三修の活動によって栄えていた<七高山>の一つが神峰山の神峯山寺 である。 <七高山>:比叡山、比良山、伊吹山、愛宕山、金峰山、葛城山、神峰山 神峯山寺は、697年に役行者が日本最初の毘沙門天を祀って開創されたと 伝えられ、774年に開成皇子が堂宇を建立し中興している。 平安初期には七高山として大いに栄え、毘沙門天信仰が高まって いったといわれている。 ...続きを見る

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2011/10/25 08:57
法雲寺 (兵庫県香美町) 村岡藩主山名家の菩提寺
法雲寺は、1642年村岡藩主山名矩豊が村岡に城下町を移した時に 山名氏歴代の総菩提寺として再興されている。 村岡山名氏は室町時代の守護大名山名氏の末裔で、山名氏の栄光は 応仁の乱後急速に衰え、一族は各地に散り各々が生きながらえ・消滅 する中で因幡の山名豊国は秀吉・家康と仕え但馬村岡に6700石の 所領を得ている。その3代目が山名矩豊である。 その当時は村岡藩ではなかったが、明治維新に遡って村岡藩として 立藩を認められている。 ...続きを見る

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2011/10/22 09:20
先山千光寺 (兵庫県洲本市) 淡路三山
淡路三山の名称には二通りあり、1つは淡路島3山岳  <諭鶴山(608m)、柏原山(569m)、先山(448m)>と もうひとつは淡路島山岳3名刹  <常隆寺、東山寺、千光寺>である。 先山は別称淡路富士とも呼ばれ、天地開闢の日本最初峰と伝承される 霊山で、千光寺はその頂上に位置している。 ...続きを見る

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2011/10/19 08:41
安楽寺 (和歌山県有田川町) <重文>多宝小塔
有田川上流二川の山麓にある安楽寺に安置される多宝小塔は 高さが2m弱の屋内用の多宝塔で大日如来が祀られている厨子 である。瓦に見立てた部材は女竹を使用しており非常に珍しい 多宝小塔であり、また重要文化財に指定された類例の少ない 多宝小塔といえよう。 残念ながら訪問時には拝観がかなわず説明のみを窺った。 ...続きを見る

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2011/10/16 19:35
勝楽寺 (和歌山県湯浅町) 仏像の宝庫
勝楽寺は、平安時代10世紀に平惟仲によって開創されたと伝えられるが 詳細は不詳である。 1143年に築城された湯浅城の城主・湯浅氏の支援を受けて大いに 栄えたといわれる。鎌倉時代に入ると湯浅党と呼ばれた湯浅氏の勢い とともに益々栄え、七堂伽藍を備える大寺となった。 戦国時代に湯浅氏が中国地方の毛利氏の家臣となって以降、 勝楽寺は衰退の時期に入る。 ...続きを見る

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2011/10/14 08:47
大同寺 (兵庫県朝来市) 朝来の古刹
大同寺は、807年天台宗のお寺として開創されたと伝えられ、五重塔 なども建つ大寺として栄えたといわれたが、徐々に衰退し、南北朝時代 に守護大名・山名時煕の支援を受けて月庵宗光禅師が再興している。 山名氏の庇護もあって再び栄えたが、応仁の乱で焼失している。 1700年頃再興され臨済宗妙心寺の末寺となっている。 ...続きを見る

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2011/10/12 08:56
密厳院 (和歌山県高野町) 高野山子院(宿坊) 苅萱堂
説話<苅萱道心とその息子・石童丸の悲話>で苅萱堂は、苅萱道心が 出家し、実の子である石童丸とともに親子を名乗ることもなく、 40年間近く修業した草庵(萱堂)は鎌倉から江戸時代にかけて 成仏院(現在は存在せず)に属し、その後現在地に移って苅萱堂となった。 本尊は親子が彫ったと伝える親子地蔵尊である。 ...続きを見る

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2011/10/08 09:40
播磨国分寺 (兵庫県姫路市) 聖武天皇詔の国分寺
聖武天皇が741年詔を発して東大寺を総国分寺として、全国66ヶ国 68ヶ寺の国分寺を創建した。 播磨国の国分寺である播磨国分寺は、聖徳太子の発願で創建された お寺を基に奈良時代に開創されたと伝えられている。 発掘調査によりその伽藍は一辺約200mの中に七重塔・南大門・中門・ 金堂・講堂などが配置されていた。 天正年間(1573〜92年)に焼失したが、1639年松平忠明が姫路藩主 に赴任後、現在の国分寺が再建されている。 ...続きを見る

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2011/10/05 13:09
久学寺 (兵庫県加西市) 赤穂藩主浅野家ゆかりの寺
赤穂藩の飛地領であった現在の加西に藩主浅野長直は視察に訪れ、 久学寺に宿をとることもあった関係から、住職に帰依を深め浅野家の 菩提を弔う祭祀を依頼している。 後の城代家老・大石内蔵助も度々訪れて住職との懇意を深めたと いわれている。 こうした浅野家との関係から、赤穂藩主浅野家の<三がく寺>と呼ばれる ようになっている。 <三がく寺>:花岳寺(赤穂市)、泉岳寺(東京)、久学寺 ...続きを見る

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2011/10/03 09:33
普光寺 (兵庫県加西市) 播磨六山
加西市の鎌倉山(497m)山系の山麓にある普光寺は651年開創 と伝えられる天台宗の古刹で播磨六山の一つでもある。 <播磨六山>  円教寺(姫路市)、随願寺(姫路市)、八葉寺(姫路市)、神積寺(福崎町)  一乗寺(加西市)、普光寺(加西市) ...続きを見る

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2011/09/30 09:05
龍門寺 (兵庫県姫路市) 播磨屈指の禅寺
<不生禅>を説いた盤珪国師(1622〜97年)が1661年丸亀藩主や地元の 人々の支援を得て根本道場として開創したのが龍門寺である。 <不生禅>とは一貫した思想の基に平易な言葉で民衆に説かれる特徴を 持つらしい。 少し遅れて出てきた臨済宗中興の祖・白隠禅師とともに臨済宗を新たに 興隆した名僧といわれている。 ...続きを見る

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2011/09/27 13:24
常福寺 (兵庫県姫路市香寺町) 極楽寺瓦経塚
常福寺は元禄年間(1688〜1704年)に平安時代の播磨極楽寺跡地に 開創されているが、1799年にその裏山から播磨極楽寺と関係の ある経塚遺物が発掘されている。 その中に土造阿弥陀如来・土造地蔵菩薩・瓦経などが含まれている。 瓦経は平安時代後期の末法思想の遺産であり、貴重な資料となっている。 これらの出土品は重要文化財に指定されている。 ...続きを見る

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2011/09/25 08:56
宝積禅寺 (兵庫県たつの市揖保川町) 揖保川の古刹
宝積禅寺は、735年行基によって長福寺として開創されたと伝えられ、 1657年播磨の禅僧・盤珪禅師によって再興され、1716年故あって宝積禅寺と 改名している。 この時、長福寺村という地名も大門村に改名している。 お寺の整備はほとんどなされていないが、前面にある放生池に架かる 石橋がそれを救っている。 ...続きを見る

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2011/09/22 09:11
国清寺 (兵庫県南あわじ市) 現代南画家・直原玉清ゆかりの寺
代表的な現代南画家・直原玉青(1904〜2005年)は、若い頃育った 淡路島の荒れ果てた国清寺を再興すべく立ちあがり、1977年から 本堂の再建に着手し、庫裡や中国風の山門など伽藍を整備し、自ら 住職を務めている。 また近くに滝川記念美術館玉青館を設けている。 ...続きを見る

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2011/09/14 08:38
歓喜院 (兵庫県三木市吉川町) <重文>聖天堂
三木市吉川町の赤松山(190m)麓に建つ歓喜院聖天堂は、鎌倉時代末期に 赤松則村(円心)が築いた毘沙門城の後の城主藤田氏が城の鎮守として 1411年建立したのではないかと推定されている。 現在は覆屋の中に保護されている。 ...続きを見る

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2011/09/11 09:37
大覚寺 (兵庫県尼崎市) 尼崎最古刹の寺
九州から百済に渡り修行を積んだ僧・日羅上人が現在の尼崎市大物に 605年建立した燈炉堂が大覚寺の始まりと伝えられている。 漁民や海運に携わる人々の信仰を集めたといわれ、南北朝時代には 足利義詮が滞在し、自らの城として利用している。 1617年尼崎城築城に際して寺町に移っている。 ...続きを見る

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2011/09/09 09:16
広徳寺 (兵庫県尼崎市) 豊臣秀吉ゆかりの寺
1582年6月2日本能寺の変で織田信長が斃れたとの報せを、6月3日 備中高松で受けた羽柴秀吉は6月4日高松を出発し6月7日姫路城に 入っている。6月11日尼崎に入り広徳寺・栖賢寺(広徳寺の隣)で休息 している。この時、弔い合戦の決意を示す意味で秀吉は自らの髻を 切ったとの逸話がある。 6月12日尼崎を出て13日山崎に着き明智光秀との山崎合戦が始まる。 備中高松〜山崎約200kmを10日で引き返した<中国大返し>が 秀吉の運命を決めている。 ...続きを見る

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2011/09/06 09:04
専念寺 (兵庫県尼崎市寺町) 平重盛の菩提寺
平重盛(1138〜1179年)は平清盛の長子で、清盛を支えて平氏の 興隆に貢献し、後白河法皇と清盛の間に立ってその均衡をとるのに 苦労している。後白河法皇よりであったことから江戸時代には <日本三忠臣>として評価されている。 父・清盛より早く亡くなり、平氏滅亡の速度を速めたといわれる。 <日本三忠臣>:万里小路藤房、楠木正成、平重盛 ...続きを見る

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2011/09/04 09:17
全昌寺 (兵庫県尼崎市) 尼崎藩主・戸田氏鉄ゆかりの寺
1616年近江膳所藩主から尼崎藩主に移封された戸田氏鉄は、尼崎城の 築城や治水事業に力を入れ尼崎の基礎を築いている。 1635年に初代大垣藩主として移封されている。 氏鉄は尼崎城築城に際してお寺を集約し寺町を形成している。 ...続きを見る

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2011/09/02 14:15
月照寺 (兵庫県明石市) 子午線の通る寺
日本標準時の子午線が観音堂を通る月照寺は、812年弘法大師空海が 現在の明石城址(赤松山)に楊柳寺として開創したことに始まると伝えられ、 887年月照寺としたといわれている。 1621年明石城築城に際して、翌年現在地に移転している。 ...続きを見る

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2011/09/01 12:41
八葉寺 (兵庫県姫路市香寺町) 播磨六山
姫路市の北部香寺町の山間にある八葉寺は、736年行基によって開創 されたと伝えられている。10世紀末、平安時代の文人・慶滋保胤が出家 して寂心と名乗り、八葉寺を再興して堂宇を創建したといわれている。 播磨の天台宗古刹である播磨六山の一つに数えられている。 <播磨六山>   円教寺、随願寺、八葉寺、神積寺、一乗寺、普光寺 ...続きを見る

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2011/08/30 08:56
随願寺 (兵庫県姫路市) 姫路藩主榊原忠次の菩提寺
姫路藩は西国統治の要でもあり、徳川幕府は藩主について留意したことから、 藩主は池田〜本多〜奥平松平〜越前松平〜榊原〜越前松平〜本多〜榊原 〜越前松平〜酒井と変えている。 榊原忠次は1649年〜1665年の間姫路藩主を勤めているが、その間姫路の 新田開発を行い姫路の発展に寄与している。 忠次は随願寺の再興にも尽力し、現在の本堂などを再建着手している。 ...続きを見る

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2011/08/27 11:21
浄橋寺 (兵庫県西宮市) 生瀬橋の守り寺
寛喜年間(1229〜1232年)西山浄土宗の開祖・証空善恵上人が、 この地を荒らす山賊に仏の道を教え、武庫川に橋をかけて<浄橋> と名付け、橋の通行料によって彼らの生活の糧にし、1241年浄橋寺 を開創して守り寺としたと伝えられている。 浄橋は現在の生瀬橋であり、宝塚〜有馬の通行に便利を供している。 ...続きを見る

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2011/08/24 13:47
鏑射寺 (兵庫県神戸市北区) 聖徳太子ゆかりの寺
聖徳太子は仏教を広める道場として鏑矢を奉納して鏑射寺を開創した と伝えられているが詳細は不詳である。 その後、北条時頼や秀吉の参拝など栄えたが、何度となく戦火や火災に 遭い盛衰を経ている。 1862年に再興されたが、明治時代に入って火災に遭い廃寺となったが、 1955年に再興の機運がたかまり徐々に再建され、今日の姿になっている。 ...続きを見る

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2011/08/21 15:29
善福寺 (兵庫県神戸市北区有馬町) <重文>聖徳太子立像
聖徳太子信仰は奈良時代から形成され始め、鎌倉時代に太子信仰が 盛期を迎える。この鎌倉時代に聖徳太子像が多く造られ、太子堂に 祀られる。 太子像は   南無仏太子像(2歳像)、孝養太子像(16歳像)、摂政太子像(30歳) がほとんどを占めている。 善福寺の太子像は南無仏太子像で、鎌倉時代末期に慶派仏師によって 造られている。 ...続きを見る

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2011/08/20 09:12
温泉寺 (兵庫県神戸市北区有馬町) 有馬温泉の守護寺
有馬温泉は日本三古湯(有馬温泉、道後温泉、白浜温泉)の一つで、 最も古い温泉といわれ、631年舒明天皇が3カ月滞在したことが日本書紀に 記されている。 温泉寺は724年有馬温泉を訪れた行基によって開創されたと伝えられている。 1192年に仁西上人が戦乱で廃れた有馬温泉を復興し、温泉寺を再興して 温泉の守り寺としている。 ...続きを見る

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2011/08/17 08:45
東光寺 (兵庫県西宮市) 門戸厄神
東光寺は通称・門戸厄神と呼ばれ、厄除け信仰の篤いお寺で、参拝者が 絶えない信仰のお寺である。 厄神堂に祀られる厄神明王は、愛染明王と不動明王が一体となった明王 で、嵯峨天皇の厄年の時、弘法大師空海が愛染明王と不動明王が一体と なって災禍を払う夢幻を感得し、一体像を3体刻んで、その内の1体を ここ東光寺に祀ったと伝えられている。 ...続きを見る

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2011/08/14 15:13
鷲林寺 (兵庫県西宮市) 鷲不動明王
背中に燃える火焔の中に三羽の鷲を飛ばす全国でも珍しい不動明王 を鷲不動明王と呼び、鷲は縁結びの鳥獣といわれることから、縁結び の不動明王として信仰が篤い。 弘法大師空海がこの地に入山した時、ソランジンと呼ばれる大鷲が邪魔を したので、空海は大鷲を桜の木に封じ込め、その桜の木を彫って、 本尊十一面観音と鷲不動明王を祀ったのが鷲林寺の始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2011/08/12 16:03
神呪寺 (兵庫県西宮市) 甲山大師
淳和天皇第四妃・真井御前が828年甲山に入り、空海の協力を得て 修行し、830年空海が如意輪観音を刻み、それを本尊として831年 本堂を建立したと伝えられている。 真井御前は空海より剃髪を受け如意尼となり出家している。 これが神呪寺の始まりと伝承されている。 神呪寺は弘法大師空海と密接な関係があることから、その後甲山大師 と呼んで、大師信仰が強くなる。 ...続きを見る

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2011/08/10 09:08
広済寺 (兵庫県尼崎市) 近松門左衛門の菩提寺
広済寺は、元々禅寺であったらしいが南北朝時代に戦乱に巻き込まれ、 その後廃寺同然のお寺であったといわれ、江戸時代の1714年に 日蓮宗の日昌上人が再興した折に、知人でもあった近松門左衛門が 檀家として支援したと伝えられている。 境内には近松門左衛門夫婦の墓碑があり、近松の菩提寺になっている。 ...続きを見る

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2011/08/08 08:49
昆陽寺 (兵庫県伊丹市) 行基の昆陽池などの開墾地
神亀年間(724〜729年)行基は勅許を受けて、水害を防ぎ水田を作る ために昆陽池を造り、731年旅行者の便宜を図る布施屋(昆陽施院)を設けて いる。733年その布施屋を昆陽寺として伽藍を整備したと伝えられている。 伊丹市の歴史上、昆陽池の造成が水田などの開墾に繋がり、伊丹の 出発点となっている。 昆陽寺はその中核としての役割を果たし、仏教文化の中心として栄えたと いわれている。 ...続きを見る

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2011/08/05 14:42
正俊寺 (大阪府枚方市) 初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺
徳川幕府の旗本であった久貝正俊は1619年初代大坂東町奉行を任じられ、 交野郡の領地を与えられ長尾村の再開発に尽力したが1648年病没している。 徳川幕府は大坂に東西二つの奉行を設置して統治している。 ...続きを見る

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2011/07/04 09:03
来迎寺 (大阪府守口市) 十三重石塔
庭園の築山に建つ十三重石塔の基礎部に<嘉元二年(1304年) 寺講衆四十余人>の銘が彫られ、鎌倉時代の石塔であるが保存状態も 良好で、大阪府の文化財に指定されている。 庭園の池ともバランスよく配置されている。 ...続きを見る

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2011/07/02 09:11
常光寺 (大阪府八尾市) 
8月の地蔵盆が近づくと、河内のあちこちで河内音頭が催されるが、 河内音頭の原点は、室町時代初期の木遣り音頭と念仏踊りが一緒になった 八尾の流し音頭が始まりと伝えられ、その始まりが常光寺といわれている。 この河内音頭は<流し節正調河内音頭>として、現在も常光寺で催されて いる。また、<残したい日本の音風景百選>にも入っている。 ...続きを見る

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2011/07/01 09:00
安福寺 (大阪府柏原市) <重文>割竹形石棺蓋
玉手山丘陵の谷間に静かに佇む安福寺の広大な境内は木々に覆われ、 古墳・横穴群などの古墳時代の史跡が多く残されている。 境内に安置されている<割竹形石棺蓋>は、竹を割ったような形をしている ことから割竹形石棺蓋と呼ばれ、明治時代に玉手山3号墳から出土し、 一時手水鉢として使用されていたらしい。 古墳時代前期のもので、近畿では京都八幡茶臼山古墳、大阪二本木古墳 の石棺と同時代のものである。 ...続きを見る

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2011/06/27 14:09
西琳寺 (大阪府羽曳野市) 飛鳥時代前期の開創
羽曳野市古市にある西琳寺は、552年欽明天皇の勅願により建立された 向原寺が起源と伝えられているが詳細は不詳である。 発掘調査などから推定されているのは、飛鳥時代前半に百済からの渡来人・ 西文氏が氏寺として開創したのでは。 7世紀後半には法起寺式伽藍(一塔一金堂)が整備され、鎌倉時代には 西大寺の叡尊によって七堂伽藍の広大な境内を有する大寺院となっていた といわれている。 ...続きを見る

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2011/06/26 09:30
大黒寺 (大阪府羽曳野市) 日本最初の大黒天出現
大和川支流の石川東岸にある大黒寺は、665年修験道の祖・役行者が 金剛山で桜の木を刻んで大黒天を作り、それをお堂に祀ったことに始まる と伝えられることから、日本最初に大黒天が出現した寺として伝承されている。 天和年間(1681〜84年)に再興され曹洞宗の禅寺となり、 1734年現在地に移転している。 ...続きを見る

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2011/06/24 09:08
顕証寺 (大阪府八尾市) 蓮如上人ゆかりの寺
1470年蓮如上人は河内での布教を行うにあたり、慈願寺を根拠に行って いたが、1489年山科本願寺を実如に譲りその後再び河内の布教に務めるために 久宝寺の旧跡に西証寺を開創している。 1529年大津にあった顕証寺(現在の近松別院)の住職・蓮淳を迎え、名前も 顕証寺としている。 西証寺は寺内町を形成し久宝寺御坊と呼ばれて繁栄したといわれている。 現在の八尾市の礎を築いたともいわれている。 ...続きを見る

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2011/06/23 09:19
慈願寺 (大阪府八尾市) 蓮如上人ゆかりの寺
八尾の市街地にある慈願寺は1280年親鸞聖人の直弟子24輩の一人 信願房法心によって開創されている。 信願房法心は下野国(栃木県)の僧で、親鸞聖人に従って京都に上り、 聖人の遺命によって慈願寺を開創したと伝えられている。 その後、1470年蓮如上人が河内の布教の拠点として慈願寺に逗留し、 後に久宝寺村に西証寺(現在の顕証寺)を開創して寺内町を形成している。 ...続きを見る

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2011/06/16 12:34
願得寺 (大阪府門真市) 蓮如上人ゆかりの寺
1475年吉崎御坊を退却後、摂津・河内などの布教に務めた蓮如上人が 1478年開創した古橋御坊を永禄年間(1558〜1570年)に、蓮如上人の 第10男・実悟が引き継ぎ願得寺としている。 元々、願徳寺は加賀鶴来に1508年蓮悟(蓮如上人第7男)によって開創され、 その後実悟が引き継いだが、願得寺が焼失し、古橋御坊を引き継いでいる。 ...続きを見る

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2011/06/15 09:34
光善寺 (大阪府枚方市) 蓮如上人ゆかりの寺
1475年吉崎御坊を退却した蓮如上人は若狭・丹波を経て河内出口郷に 入り、石見光善の請いにより光善寺を開創している。 その後、蓮如上人の長男・順如上人が初代住職となっている。 出口御坊と呼ばれて寺内町を形成し大いに栄えたといわれている。 蓮如上人が摂津・河内などの布教の拠点になったお寺である。 ...続きを見る

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2011/06/13 13:24
大舟寺 (兵庫県三田市) カヤの大木
6世紀の敏達天皇の代(572〜585年)に百済の王に仕えた日本人・日羅上人が 大船山(653m)の頂上に舟寺を築いたのが現在の大舟寺の始まりと伝えられて いるが詳細は不詳である。 古文書によると、その舟寺をいつごろか麓に移され、1677年子別伝禅師が 黄檗宗・萬福寺3代住持の慧林禅師を開山に勧請して大舟寺を新たに開創 している。 大船山への参道には南北朝時代と考えられる町石が残され、大船山にお寺が あったことは事実であろうと考えられている。 ...続きを見る

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2011/06/10 19:19
浄土寺(兵庫県小野市) 快慶の<国宝>阿弥陀三尊像
阿弥陀三尊の背後の蔀戸が開けられるとパット夕陽が跳び込んできた。 阿弥陀さんが夕陽を背にした神々しい姿−−−ここが播磨の国の浄土寺。 <残念ながら撮影禁止> この像高5.3mの阿弥陀三尊像(中尊:阿弥陀如来 脇侍:向かって右に 観音菩薩、左に勢至菩薩)は誰が造ったのか。あの運慶・快慶の快慶。 <是非拝観してください。仏像が好きになります。> 浄土寺は、東大寺の復興(鎌倉時代初期)の大勧進を務めた重源上人が 設けた七別所のひとつ播磨別所である。 重源上人はなんと61歳から東大寺の復... ...続きを見る

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2011/03/09 10:00
浄運寺 (兵庫県たつの市室津) 法然上人ゆかりの寺
瀬戸内海に面する室津は奈良時代に行基が開いた港として古い歴史を 持ち、特に江戸時代には大名の参勤交代時の宿として大いに栄えたと いわれている。 伝承では、鎌倉時代初期に木曽義仲の第三夫人・山吹御前(友君)が室津に 逃避し、遊女として暮らしていたと伝えられている。 1207年四国配流の途中、法然上人は室津の浄運寺に立ち寄った際、友君 は上人に教えを受け出家して念仏往生したと伝えられている。 ...続きを見る

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2011/01/23 14:40
報恩講寺 (和歌山県和歌山市) 法然上人二十五霊場第8番
大阪府境に接している大川港から少し山間に入った高森山(285m)山麓に、 楼門形式の仁王門が存在感を示す報恩講寺がひっそりと佇んでいる。 ...続きを見る

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2011/01/20 09:23
如来院 (兵庫県尼崎市) 法然上人二十五霊場第4番
尼崎市の寺町は、1617年尼崎藩主・戸田氏鉄が尼崎城を築城すると同時に お寺20ヶ寺ほどを集めて寺町を構成したのに始まるが、如来院もその時に 移転してきている。 如来院は天平年間(729〜749年)に行基によって現在の尼崎市神崎町に 開創された釈迦堂が始まりと伝えられている。 ...続きを見る

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2011/01/19 09:09
長保寺(和歌山県海南市) 紀州徳川家の菩提寺
長峰山系の裾野の小高い斜面にひろがる長保寺は紀州徳川家の菩提寺であるが、 吉宗桜をはじめとして<花の寺>としても有名な観光地である。 中世建築の本堂など古建築と桜などの花の調和はさぞかし絶品の風景であろう。 是非その時期に再訪したい。 ...続きを見る

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2010/12/30 11:12
興善寺 (大阪府岬町) 
大阪府岬町の興善寺は、852年文徳天皇の勅願により慈覚大師円仁 によって開創されたと伝えられている。 1570年頃織田信長の兵火により焼失したが、本尊は蓮池に投げ込まれ 難を逃れたと伝承されている。 1655年粉河寺の専海僧都が興善寺に入り、1690年頃再建されたと 言われている。 ...続きを見る

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2010/05/26 08:38
金心寺 (兵庫県三田市) 
兵庫県三田市天神の丘陵地にある金心寺は、藤原鎌足の長男・定恵 によって668年開創されたと伝えられている。 もとは三田市の中心部屋敷町にあり、1862年現在地に移転するまでは 三田の門前町を形成する古刹であった。 ...続きを見る

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2010/03/30 06:52
観福寺 (兵庫県三田市) 茅葺の仁王門
兵庫県三田市高平地区にある観福寺は、640年頃インドから雲に 乗って渡来したと伝承されている法導(法道)仙人によって開創されたと 伝えられている。 その後、地震や火災で盛衰を繰り返し、もともと山上にあったが現在は 平地に移っている。 ...続きを見る

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2010/03/28 06:42
蓮花寺 (兵庫県三田市) 多宝塔
兵庫県三田市の高平地区にある蓮花寺は、650年頃法導(法道)仙人 によって開創されたと伝えられているが詳細は不詳である。 平安時代末期に、宝塚の清荒神や有馬の温泉寺の住職も経験した 比叡山の僧・慈心坊尊恵によって再興されたと言われ、その時の 曼荼羅・経本など多くの寺宝が残っている。 尊恵は<平家物語>にも登場する閻魔大王に招かれ、この世に戻って 来たと伝承される僧である。 ...続きを見る

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2010/03/26 08:59
清薗寺 (兵庫県丹波市) 大江山鬼退治伝説ゆかりの寺
兵庫県丹波市市島町にある清薗寺は、大江山鬼退治伝説の主人公 麻呂子親王(用明天皇の第3皇子、聖徳太子の異母弟)が586年に 開創したと伝わる古刹である。 大江山に3鬼を首領とする多くの鬼が棲み、民に被害を加えることから、 用明天皇は麻呂子親王を大将として退治を命じた。 親王は七体の薬師如来像を彫り、神仏に加護を祈願して無事鬼退治に 成功し、この七体の薬師如来を祀る7ヶ寺を建立したと伝わる。 その内の一つが清薗寺と伝えられる。 一説には清園寺(福知山市大江町)とも言われている。 ... ...続きを見る

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2009/12/11 09:17
石像寺 (兵庫県丹波市) 現代の石庭
兵庫県丹波市市島町にある石像寺は、655年法道仙人による開創と 伝えられるが詳細は不明であるが、1648年曹洞宗寺院として透開本徹 によって再興されている。 ...続きを見る

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2009/12/09 09:21
白毫寺 (兵庫県丹波市) 丹波古刹霊場
兵庫県丹波市市島町の五台山東麓にある白毫寺は、インドから 渡って来たと伝えられる法道仙人によって705年開創されたと 伝えられている。 その後平安時代に慈覚大師円仁により再興され、中世には地元領主 赤松氏などの庇護を受けて大いに栄えたといわれる古刹である。 ...続きを見る

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2009/12/07 09:41
岩瀧寺 (兵庫県丹波市) 独鈷の滝
兵庫県丹波市氷上町の五台山(655m)山麓にある岩瀧寺は、 弘仁年間(810〜824年)嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が 開創したと伝わる古刹である。 その後盛衰を経て、60年ほど前に尼寺として再興され、五台山への 登山口として、岩瀧寺渓谷や独鈷の滝・不二の滝など幽境の自然を 満喫できるスポットとして注目を集めている。 また、丹波古刹15ヶ寺霊場第8番として信仰も篤い。 ...続きを見る

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2009/12/04 09:11
西方院 (大阪府太子町) 聖徳太子ゆかりの寺
大阪府太子町にある叡福寺の南向いに建つ西方院は、 622年聖徳太子の死後、太子の乳母と伝わる3人の 姫(月益姫、日益姫、玉照姫)が剃髪して叡福寺の南向いに堂宇を 建て、太子の冥福を祈ったのが始まりと伝えられている。 この時は、法楽寺と呼ばれ叡福寺の塔頭であったと言われている。 その後、衰退したが、1639年尼僧によって再興されている。 ...続きを見る

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2009/09/07 09:25
高貴寺 (大阪府河南町) 
大阪府河南町の山間にある高貴寺は、7世紀末頃役行者によって 開創されたと伝わる修験霊場である。 その後盛衰を繰り返し、南北朝時代に荒廃したが、1776年慈雲尊者が 入山して再興した。 ...続きを見る

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2009/09/06 10:10
延命寺 (大阪府河内長野市) 
大阪府河内長野市の延命寺は、800年代初期に弘法大師によって 開創された宝幢寺が始まりと伝えられている。 その後、衰退したが、1677年高野山で修行した浄厳によって再興 され、明治時代に常楽寺を併合し寺宝も引き継いでいる。 ...続きを見る

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2009/09/05 09:33
泉光寺 (大阪府岸和田市) 岸和田藩主の菩提寺
大阪府岸和田市にある泉光寺は、1668年岸和田藩主岡部氏の初代 宣勝が亡くなった後、その隠居所を菩提寺にして開創された。 以降、13代にわたり岸和田藩主岡部家の菩提寺として明治維新まで 続いた。 3代藩主長泰が岸和田城に稲荷大社を勧請し、稲荷祭を行ったのが 現在の<岸和田だんじり祭り>の起源となっており、だんじり関係者の 参拝も多い。 ...続きを見る

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2009/09/04 09:13
総福寺 (大阪府泉佐野市) <重文>鎮守天満宮本殿
大阪府泉佐野市にある総福寺の開創については不詳であるが、 境内にある鎮守の<重文>天満宮本殿は1576年の創建である。 小さな社であるが、安土桃山様式の特徴を持った春日造りである。 ...続きを見る

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2009/09/03 09:02
来迎寺 (大阪府熊取町) <重文>本堂
大阪府熊取町にある来迎寺の開創については不詳であるが、 当初は天台宗で真言宗に変わり、1689年曹洞宗になっている。 <重文>本堂は1329年の創建であるが、当初熊取町南端の 雨山(312m)山頂にあった雨山城の祈願堂(護摩堂)ではないかと 伝えられており、その後この地に移設されたと考えられている。 ...続きを見る

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2009/09/02 09:09
長慶寺 (大阪府泉南市) 
大阪府泉南市の長慶寺は、7世紀後半に創建された法隆寺式 伽藍の海会寺(現在は廃寺)の名残を継いでいると伝えられて いる。 長慶寺は724年頃行基によって海会寺近辺に開創され、海会宮池 の海会寺観音堂を中心としていたのではないだろうか。 海会宮池は行基によって開かれたと伝えられている。 海会寺は盛衰を繰り返し、1578年天正の兵火により壊滅し廃寺と なっているが、慶長年間に豊臣秀頼の命により海会宮池の観音堂を 現在の長慶寺境内に移して長慶寺として再興された。 その後盛衰を経て現在... ...続きを見る

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2009/09/01 10:05
林昌寺 (大阪府泉南市) ツツジ庭園
大阪府泉南市の愛宕山(90m)山腹に広がる林昌寺は、 天平年間(729〜748年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したと 伝えられている。 泉州における弘法大師信仰の中心地で、別名岡大師とよばれている。 堀河天皇(在位1086〜1107年)が熊野詣での途次この寺に立ち寄った 時の山つつじが見事であった歌が残っていて、これ以来山号を躑躅山とし、 寺号を林昌寺としたと伝える。 1577年兵火により全焼したが、1641年再興されている。 ...続きを見る

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2009/08/31 10:14
妙国寺 (大阪府堺市) 
大阪府堺市にある妙国寺は、1562年戦国武将三好実休が日晄上人を 開山に迎えて開創した日蓮宗のお寺である。 1868年堺で起きたフランス水兵殺害(堺事件)の責を負って、妙国寺で 土佐藩士が切腹し、その墓所もある。 ...続きを見る

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2009/08/30 09:36
海会寺 (大阪府堺市) <重文>本堂・庫裡
大阪府堺市の南宗寺に隣接している海会寺は、 もと開口神社(甲斐町)の隣に1351年開創され、その後荒廃・焼失 により江戸時代初期南宗寺住職の沢庵禅師の助力により南宗寺境内 に再興された。 重要文化財の一体型本堂・庫裡はこの時に建立されている珍しい 建築様式である。 ...続きを見る

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2009/08/29 08:55
須磨寺 <福祥寺>(兵庫県神戸市) 源平ゆかりの寺
兵庫県神戸市須磨区にある須磨寺は、886年光孝天皇の勅命により 聞鏡上人が聖観音を祀って開創したと伝えられている。 近くの一ノ谷は源平合戦の主戦場となり、熊谷直実と平敦盛の戦いは 平家物語など多く語られているが、須磨寺には敦盛を供養する首塚や 遺品が残り、モニュメント<源平の庭>が設けられている。 ...続きを見る

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2009/08/03 20:23
満願寺 (兵庫県川西市) 
兵庫県川西市の満願寺は、神亀年間(724〜728年)に勝道上人に よって開創されたと伝えられる。 968年清和源氏の主流源満仲が摂津国多田に本拠を構え、 満願寺に帰依して以降源氏一門の祈願寺となった。 満仲の末子美女丸にまつわる伝説や美女丸・満仲家臣とその子の 墓といわれる五輪石塔、源氏七塔など満仲ゆかりの文化財が残る。 また、源頼光の四天王といわれた坂田金時(金時伝説)の墓などもある。 ...続きを見る

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2009/08/02 09:49
光明寺 (兵庫県加東市) 
兵庫県加東市の五峰山(258m)山頂にある光明寺は、 播磨高野と呼ばれる真言宗の名刹で、594年伝説上のインド僧法道仙人 によって開創されたと伝えられている。 実際は、平安時代になっての創建と考えられている。 1351年の足利尊氏と足利直義の光明寺合戦の舞台となり、本陣跡も 再現されている。 往時は大寺であったと想像できる気配が漂う山腹に沿った境内である。 ...続きを見る

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2009/08/01 09:16
羅漢寺 (兵庫県加西市) 五百羅漢
兵庫県加西市北条にある羅漢寺の開創は不詳であるが、境内に 処狭しと並べられた石造五百羅漢の素朴で個性ある表情が 人を引き付けている。 江戸時代初期に造られたと考えられている石仏群を誰が作ったのか 興味はつきない。 石造五百羅漢で名が知られているお寺としては、  羅漢寺(加西市)、羅漢寺(中津市)、石峯寺(京都市)、  喜多院(川越市)などがある。 ...続きを見る

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2009/07/31 08:33
神積寺 (兵庫県福崎町) 播磨六山
兵庫県福崎町にある神積寺は、991年一条天皇の勅願により 比叡山の高僧慶芳上人により開創されたと伝えられている。 12世紀中頃には大伽藍を備え、播磨六山に数えられているが、 1309年火災により全山焼失し、現在の伽藍は1588年に再興 されたものである。 <播磨六山:書写山圓教寺、増位山随願寺、八徳山八葉寺、         妙徳山神積寺、法華山一乗寺、蓬莱山普光寺> ...続きを見る

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2009/07/30 08:40
高源寺 (兵庫県丹波市) 深緑の丹波紅葉三山
兵庫県丹波市の北西端に位置する高源寺は、1325年遠渓祖雄 によって開創され、室町時代には臨済宗中峰派の根本道場として 大いに栄え、末寺3000を超える丹波の名刹であったと言われる。 明智光秀の丹波攻めで焼失したが、江戸時代に入り再興されている。 開山の遠渓祖雄(1286〜1344年)は1307年中国元に渡り、 中峰明本(普応国師)に10年間師事し、帰国後高源寺を開いている。 ...続きを見る

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2009/07/20 09:21
播磨安国寺 (兵庫県加東市) 
兵庫県加東市にある播磨安国寺は、足利尊氏が後醍醐天皇と戦没者を 弔うために全国一国一寺の安国寺68ヶ寺を1338年発願し、1339年 開創されたお寺である。 1441年嘉吉の乱が起こり、播磨守護職赤松満祐は足利六代将軍義教を 暗殺し、その首塚をこの播磨安国寺に築いた。 その後、首級は京都に運ばれ等持院で葬儀が行われ、赤松満祐もその年 に自刃している。 播磨安国寺は幾度も火災に遭い、本堂は明治時代に再建されている。 ...続きを見る

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2009/07/19 09:48
応聖寺 (兵庫県福崎町) 関西花の寺霊場第8番
兵庫県福崎町にある応聖寺は、650年頃インド人僧の法道仙人によって 開創されたと伝えられているが、1265年祐運大徳によって中興され、 守護大名赤松氏の祈願所となった。 ...続きを見る

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2009/07/18 10:58
花岳寺 (兵庫県赤穂市) 赤穂藩主の菩提寺
兵庫県赤穂市の花岳寺は、1645年笠間藩から移った浅野長直により 浅野家の菩提寺として開創された。 1701年浅野長矩による江戸城松之廊下での吉良上野介刃傷事件に より、浅野氏は改易となるが、花岳寺はその後の藩主永井氏・森氏の菩提寺として 続いた。 墓所には大石良雄の祖先墓、赤穂義士の遺髪を祀った義士墓もある。 ...続きを見る

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2009/07/06 08:51
大聖勝軍寺 <下の太子>(大阪府八尾市) 聖徳太子ゆかりの寺
大阪府八尾市にある大聖勝軍寺は、叡福寺の<上の太子>、野中寺の <中の太子>に対して<下の太子>と呼ばれ河内三太子の一つである。 地元では<太子堂>と呼ばれ地名にもなっている。 日本書紀によれば、587年親仏派の蘇我馬子・聖徳太子と排仏派の 物部守屋が対立し戦闘になったが、親仏派が不利な状況を見て聖徳太子が 四天王に祈願し勝利を治めた。 この後、聖徳太子は四天王寺と太子堂を建立し、馬子は法興寺を建立して 仏教布教の礎とした。 この太子堂が大聖勝軍寺の始まりと伝えられている。 ま... ...続きを見る

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2009/05/05 09:20
法楽寺 (大阪市東住吉区) たなべ不動尊
大阪市東住吉区の法楽寺は、<たなべのお不動さん>の名前で 親しまれ、民衆の信仰に支えられて栄えている。 1178年平重盛の開創と伝えられているが、1571年信長の兵火に遭い 全焼している。1711年になって大和の宇陀松山藩織田家の殿舎を譲り 受けて本堂・山門などが再興されている。 ...続きを見る

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2009/05/04 09:15
大念仏寺 (大阪市平野区) 融通念仏宗総本山
大阪市平野区にある大念仏寺は、坂上田村麻呂の次男坂上広野麻呂の 菩提寺修楽寺の別院であったが、1127年良忍上人(1073〜1132年) が鳥羽上皇の勅願によって新しく建立した日本最初の念仏道場である。 その後荒廃・再興を繰り返し、1898年の火災でほとんどが焼失したが、 1938年本堂が再建され今日に至っている。 ...続きを見る

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2009/05/02 16:55
あびこ観音 <大聖観音寺>(大阪市住吉区) 日本最古の観音菩薩のお寺といわれる
大阪市住吉区の安孫子にあるあびこ観音は、厄除開運のお寺として 古くから信仰を集め、毎年2月の節分厄除大法会には多くの参詣で 賑わう古刹である。 開創は伝承的な話があるが、徳川家康が大坂夏の陣で一時逃げ込み、 難を逃れたと伝えられている。そのゆかりから徳川家の庇護を受け 江戸時代に大いに栄え、日本有数の観音霊場となったといわれている。   (1)寺名:あびこ観音<正式名:大聖観音寺> (2)住所:大阪市住吉区安孫子4−1−20 (3)山号:吾彦山 (4)宗派:観音宗総本山 (5... ...続きを見る

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2009/05/01 09:15
花山院 <菩提寺>(兵庫県三田市) 西国三十三所観音霊場番外
兵庫県三田市の阿弥陀峰(418m)の山上にある花山院は、 花山法皇が隠棲されたと伝えるお寺として西国三十三所観音霊場の 番外札所となっている。 花山天皇(968〜1008年)は在位2年(984〜986年)と短く、 元慶寺(京都市山科区)にて出家され法皇となられてから、徳道上人が 開いて永らく埋もれていた西国三十三所霊場を巡礼され、その後 菩提寺(通称花山院)に隠棲されたと伝えられている。 花山法皇の巡礼以降、西国三十三所観音霊場として確立し、 それ以降盛んになっていった。 ...続きを見る

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2009/04/30 09:38
東光寺 (兵庫県三木市吉川町) <重文>本堂
兵庫県三木市吉川町の中国自動車道吉川JC近くにある東光寺は、 神亀年間(724〜728年)に行基によって開創されたと伝わる古刹 である。 <重文>本堂は室町時代中期の寄棟・本瓦葺の落ち着いた雰囲気を 漂わせ、その裏に建つ多宝塔は同じく室町時代中期建立で兵庫県文化財 に指定されている。 境内には桜の老木が残り、見ごたえのある花を咲かせるといわれている。 ...続きを見る

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2009/03/07 09:15
弥勒寺 (兵庫県姫路市夢前町) 日本最大級の布袋尊
兵庫県姫路市北部の夢前町にある弥勒寺は、圓教寺の開山性空上人が 1000年草庵を結んで隠棲したことに始まり、このことから弥勒寺は圓教寺 の奥の院と呼ばれている。 静かな山間にある弥勒寺に、日本でも最大級の布袋尊が鎮座している風景は 何か微笑ましい感慨をもたらす。 ...続きを見る

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2009/03/01 15:19
金剛城寺 (兵庫県福崎町) 新西国三十三ヵ所観音霊場第30番
兵庫県福崎町を流れる市川の支流七種川沿いにある金剛城寺は、 597年高麗僧恵灌が聖徳太子の命を受けて創建されたと伝えられている。 お寺から川を5kmほど遡った七種の滝や七種山は兵庫県観光100選に なっている観光地であるが、金剛城寺は創建当時この七種山中腹に あったと伝えられ、古い山門が残っている。 ...続きを見る

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2009/02/07 15:18
心月院 (兵庫県三田市) 三田藩主九鬼家の菩提寺 白洲次郎・正子の墓所
兵庫県三田市にある心月院は、1633年鳥羽から移封された 三田藩主九鬼久隆がこの地にあった梅林寺を改増築して開創された。 吉田茂の側近で、戦後の政財界で活躍した信念の人白洲次郎の祖父が 三田藩の儒学者であった関係もあり、白洲次郎・正子の墓所にもなっている。 ...続きを見る

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2009/02/05 09:04
大広寺 (大阪府池田市) 池田城主池田氏の菩提寺
大阪府池田市のシンボル五月山(315m)の中腹にある大広寺は、 1395年当時の地方豪族であった池田城主池田充正が創建したと 伝えられており、その後荒廃したが慶長年間(1596〜1615年)に 池田知正によって再興され、江戸時代は大いに栄えたといわれている。 現在は木々に囲まれた静かなお寺で、ボタン・桜などで知られている。 ...続きを見る

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2009/02/03 19:16
一心寺 <骨仏の寺>(大阪市天王寺区) 現代的な山門
大阪市天王寺区にある四天王寺の近くに位置する一心寺の山門は 忘れることができない印象を残す現代建築である。 大阪大空襲で全てが灰塵に帰した後、今日の堂宇が再建され、 建築家である住職の設計で1997年に建立された山門と仁王像が、 違和感なくお寺と一体になっている風景を忘れられない。 ...続きを見る

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2009/02/02 08:53
得生寺 (和歌山県有田市) 中将姫ゆかりの寺
和歌山県有田市にある得生寺は、奈良県の當麻寺とともに中将姫伝説 で知られ、5月13,14日に行われる来迎会式(二十五菩薩練供養) は中将姫の供養会式である。 ...続きを見る

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2009/02/01 13:54
薬王寺(和歌山県有田川町) <重文>観音堂
和歌山県有田川町小川にある薬王寺は、丘陵地のミカン畑を抜けた 所にこじんまりと佇んでいた。 イチョウの鮮やかな色が目に強く残った。 ...続きを見る

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2009/01/31 08:50
浄国寺(和歌山県海南市) 黒江塗の里にある黒江御坊
和歌山県海南市黒江は紀州漆器・黒江塗の産地として知られているが、 その山手にある浄国寺は1532年浄土真宗の紀州道場として開創され、 一時は布教の拠点となった。 この頃には黒江塗が始まっており、江戸時代には大いに栄えた。 黒江塗は日本四大漆器(会津塗、山中塗、輪島塗、黒江塗)の一つに 数えられる。 ...続きを見る

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2009/01/30 10:06
禅林寺(和歌山県海南市) 幡川のお薬師さん
和歌山県海南市幡川にある禅林寺は、ぼけ除け・眼病治癒・安産などの ご利益がある庶民派のお寺である。 奈良時代に創建されたと伝えられているが、火災や秀吉の紀州攻めなどに より何度となく罹災しながらも民衆の力により再興されてきた。 4月の春会式には多くの参拝者が訪れ、餅投げの行事が有名になっている。 ...続きを見る

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2009/01/29 10:08
地蔵峰寺 (和歌山県海南市) 峠の地蔵様
和歌山県海南市の藤白山(284m)山頂近くにある地蔵峰寺は、 創建は不詳であるが<重文>本尊石造地蔵菩薩坐像(峠の地蔵様) に1323年銘があることからそれ以前の創建と考えられる。 この地は熊野古道紀伊路(世界遺産には含まれていない)の 藤白塔下王子(神社)跡があり、12〜13世紀頃は多くの熊野詣でが あったと伝えられている。現在は、熊野古道としては衰退している。 ...続きを見る

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2009/01/28 10:33
歓喜寺 (和歌山県有田川町) 明恵上人生誕の地
和歌山県有田川町金屋にある歓喜寺は、<往生要集>を著した恵心僧都が 986年に開創した古刹である。その後衰微したが、1249年明恵上人の 高弟喜海が湯浅氏の支援で師の生誕地に近い歓喜寺を再興した。 ...続きを見る

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2009/01/27 12:36
日高御坊 <西本願寺日高別院>(和歌山県御坊市) 御坊市の地名の起源
和歌山県御坊市にある日高御坊は、1528年紀伊国亀山城主の湯川直光が 次男の信春(祐存)を出家させて吉原坊舎を建立したのが始まりである。 1595年現在地に移り、鷺森御坊の別院として再建された。 御坊舎の名前から地名も御坊と呼ばれるようになり、御坊舎を中核として 町が形成され大いに商業も栄えた。 その後、西本願寺(本願寺)の別院として今日にいたっている。 ...続きを見る

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2009/01/25 11:03
施無畏寺 (和歌山県湯浅町) 明恵上人ゆかりの寺
和歌山県湯浅町の湯浅湾に面した白上山の中腹にある施無畏寺は、 京都高山寺を開いた明恵上人の従兄弟である藤原景基が明恵上人が 修行した白上山の中腹に1231年開創し、上人を開山として寄進された お寺であり、落慶法要には上人も参向している。 (<重文>施無畏寺寄進状に記述) ...続きを見る

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2009/01/23 11:01
長楽寺(和歌山県有田川町) <重文>仏殿
和歌山県有田川町の植野にある長楽寺は、由良町の興国寺を 開山した法燈国師(心地房無本覚心)の隠居所・廟所と伝えられ、 12世紀後半頃には存在した南城寺の跡地に、13世紀末頃創建 されたと推定されている。 12世紀末に創建された仏殿は焼失し、1577年に再建され今日に いたっている。 ...続きを見る

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2009/01/20 09:29
国宝建造物があるお寺 大阪・兵庫・和歌山県
近畿地区には国宝のお堂があるお寺が67ヶ寺あり、全国の3分の2が 集まっている。大阪・兵庫・和歌山には13ヶ寺(16棟)あるが、以外に 多いのではないだろうか。 お寺の名前をクリックすると詳細へ ...続きを見る

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2008/10/22 16:00
覚住寺、万福寺(兵庫県南あわじ市) 淡路七福神
覚住寺は淡路七福神の毘沙門天、万福寺はえびすさんを祀り、 多くの参拝者が訪れている。 ...続きを見る

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2008/10/15 22:15
本福寺(兵庫県淡路市) 建築家安藤忠雄の設計による水御堂
本福寺の水御堂(本堂)は、建築家安藤忠雄によって設計され1991年に 完成した非常にユニークなお堂である。 <建築業協会賞を受賞> 境内の裏山に造られた楕円形の蓮池の地下に本堂があり、蓮池の中央の 階段を降りて本堂に入る。 内部は朱塗の空間が広がり、西陽が射すと堂内を明るく照らし幻想的な 空間を演出している。 ...続きを見る

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2008/10/15 21:14
護国寺(兵庫県南あわじ市) 淡路七福神の布袋尊
護国寺は淡路七福神の布袋尊を祀っており、七福神詣での 人も結構多い。 ...続きを見る

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2008/10/15 16:03
淡路国分寺(兵庫県南あわじ市) 聖武天皇詔の国分寺
741年聖武天皇の詔によって、全国66ヶ国に68ヶ寺の国分寺が創建され、 その総国分寺が東大寺である。 ...続きを見る

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2008/10/15 14:29
成相寺<淡路成相寺>(兵庫県南あわじ市) イブキの大木
成相寺は淡路島の南に位置する南あわじ市にある古刹で、 かっては成相寺伽藍絵図によると多宝塔などの堂塔が並び建つ 大きなお寺と考えられる。 現在の大門の位置と境内から推定しても相当な規模と思われる。 ...続きを見る

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2008/10/15 13:46
長遠寺(兵庫県尼崎市) 江戸時代初期の伽藍が残る寺
尼崎の街中に残る寺町は1617年尼崎城築城の時に、お寺が移転して 形成された寺町で、この界隈の建築物は今も当時の姿を留めているものが 多い。 その中にあって、長遠寺の伽藍は当時のものがほとんど残っており、 文化財の宝庫である。 1995年の阪神・淡路大震災で<重文>本堂・多宝塔などが被害を受け、 3年がかりで修復された。 ...続きを見る

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2008/09/29 16:20
岩湧寺(大阪府河内長野市) <重文>多宝塔
岩湧山(898m)の中腹、老杉林に包まれた境内に本堂と多宝塔だけが 佇む風景は、まさしく山中の修行寺を想わせる。 この辺りはハイキングコースにもなっていて、以外と人影を見られる。 ...続きを見る

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2008/09/29 14:11
松尾寺(大阪府和泉市) 役行者ゆかりの寺
672年役行者(役小角)が如意輪観音を彫って祀ったと伝わる松尾寺は 奈良・平安時代の資料にも登場する古刹で、南北朝〜室町時代に最も 栄え、寺坊308・僧兵数千人といわれている。 しかし、1581年には織田信長の兵火に遭い、全山焼失したといわれている。 その後、1602年豊臣秀頼は四天王寺の阿弥陀堂を移して本堂(金堂)とし、 再興を図った。 ...続きを見る

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2008/09/16 16:07
施福寺(大阪府和泉市) 西国三十三所観音霊場第4番
槇尾山(600m)の山頂にある施福寺は西国三十三所観音霊場の中でも 難所の一つといえよう。 麓の駐車場から約1kmの石段の登りが続き、その勾配も結構きつく 20〜30分の行程になる。 ...続きを見る

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2008/09/16 13:19
大威徳寺(大阪府岸和田市) <重文>多宝塔
滝と紅葉で大阪の名勝地となっている牛滝山の中心が大威徳寺である。 周囲にはキャンプ場があったりで行楽の人が結構多い。 しかし、お寺へお参りする人は少ないかな。 ...続きを見る

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2008/09/16 10:34
願泉寺<貝塚御坊>(大阪府貝塚市) 環濠城塞の寺内町を形成したお寺
2008年現在、<重文>願泉寺本堂などが解体修理中であるが、 その費用の10%大阪府補助金が府の財政難から打ち切られ、寺の 負担が増え<国補助:80% 市補助:5%>てピンチになっていると ニュースが流れたが、ここでお寺にがんばって欲しい。 15%自力で集める努力が今後のお寺の繁栄に結びつくだろう。 ...続きを見る

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2008/08/31 21:20
能勢妙見山(大阪府能勢町) 妙見信仰の中心
能勢町妙見山(660m)の山頂近くに建つ妙見宮は、1603年日乾上人が 地元の領主能勢頼次の帰依を受けて妙見大菩薩を祀ったことに始まる。 江戸時代花柳界や芸能界などから篤い信仰を得て、それが庶民にも 広まりこの山深い妙見山に多くの参詣者が詰めかけた。 現在も広く妙見信仰が根付き、多くの参詣者で賑わっている。 ...続きを見る

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2008/08/31 14:52
南宗寺(大阪府堺市) 千利休ゆかりの寺
南宗寺は河内飯盛城主の三好長慶が父元長の菩提を弔うために、1557年 大徳寺の大林宗套を開山に迎え現在の堺市宿院町付近に開創した。 1615年大阪夏の陣で堺市街ともども罹災し、当時の住職であった 沢庵宗彭によって現在地に移転再興され、江戸時代は堺の文人サロンと して堺の文化興隆に貢献した堺の名刹である。 ...続きを見る

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2008/08/30 21:13
久米田寺(大阪府岸和田市) 久米田池とだんじりのお寺
大阪府最大のため池といわれる久米田池(周囲2.6km)は 725〜738年にわたって僧行基が指導し、近隣農民が築いたと いわれている。 この久米田池の維持管理をするため738年行基によって開創された 隆池院が久米田寺の始まりと伝えられている。 室町時代には足利尊氏・直義が全国に設けた68ヶ寺安国寺の一つに 指定されている。 戦国時代には衰退したが、1674年再興されている。 ...続きを見る

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2008/08/30 21:03
本興寺(兵庫県尼崎市) 尼崎市寺町の大寺
尼崎市寺町には11ヶ寺院が集まっているが、これは1617年尼崎藩 が尼崎城の新城を築くにあたって寺町を整備し、集めた。 太平洋戦争の戦火にも寺町はほとんど遭わず、文化財も多く 残った。 その中にあって本興寺は最も大きなお寺で、文化財も多い。 法華宗本門流の大本山で、本能寺と並ぶ大寺である。 ...続きを見る

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2008/08/30 17:50
伽耶院(兵庫県三木市) 山伏の寺
兵庫県に数多くある法道仙人創建の伝承をもつ伽耶院は、 平安時代には大いに栄え花山法皇なども行幸されたと伝わる。 中世には修験道の霊場として多くの山伏が集まり、江戸時代には 修験道の本拠の一つとして権威を揮ったといわれる。 古色蒼然とした風景はその面影を残している。 ...続きを見る

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2008/08/29 12:41
酒見寺(兵庫県加西市) 色鮮やかな<重文>多宝塔と鐘楼
酒見寺の<重文>多宝塔は1662年の再建で、上層屋根は檜皮葺、 下層屋根は瓦葺と珍しい屋根葺となっていて、各部は極彩色の装飾に 彩られている。江戸時代の特色がよく表れている建築である。 また、鐘楼も同様の極彩色で境内に華やかさを呈している。 ...続きを見る

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2008/08/29 11:46
亀山本徳寺(兵庫県姫路市) 播州における浄土真宗の本拠
蓮如が1475年北陸の吉崎を離れ、西国への布教を始めた頃から 播磨へも布教を拡大していった。 1490年頃英賀(あが)(姫路市飾磨区)での開教が始まり、1515年本願寺直営の 英賀御堂(英賀本徳寺)が建立され、播磨以西の本拠地として一大勢力を 築き、信長との戦いも続いた。 しかし、秀吉の命により現在の亀山に移転し、亀山本徳寺として西本願寺の 播磨拠点として活動している。 ...続きを見る

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2008/08/29 10:43
斑鳩寺(兵庫県太子町) 聖徳太子ゆかりの寺
日本書紀によれば、推古天皇が聖徳太子に606年揖保郷の水田百町を与え、 太子は<鵤(いかるが)荘>と名付けその管理のために斑鳩寺を開創したと伝わる。 この領は後に法隆寺に施入され、法隆寺を支えた。 斑鳩寺は平安時代には実在しており、大寺であったが1541年戦禍に遭い 伽藍を喪失するが、昌仙法師による再興を経て播磨地方の太子信仰の 中心となった。 ...続きを見る

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2008/08/28 21:12
利生護国寺(和歌山県橋本市) <重文>本堂
橋本市で唯一の重要文化財である<重文>本堂は南北朝時代の 建立で、利生護国寺は中世の頃大いに栄えたお寺である。 この地方の武士集団であった隅田一族(太平記にも登場する) の菩提寺であった。 現在は本堂と護摩堂があるだけの小さなお寺であるが、古の 隆盛を本堂が伝えている。 ...続きを見る

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2008/07/20 21:29
高野山(和歌山県高野町) 総括 世界遺産と文化財
<世界遺産> ...続きを見る

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2008/07/20 20:29
慈尊院(和歌山県九度山町) 世界遺産
慈尊院は<紀伊山地の霊場と参詣道>として世界遺産に登録されている 弘法大師ゆかりのお寺である。 弘法大師空海は、816年嵯峨天皇から賜った高野山に堂塔を創建するにあたり、 麓の九度山に政務を司る政所として創建されたのが、慈尊院の始まりである。 ...続きを見る

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2008/07/20 16:36
真田庵<善名称院>(和歌山県九度山町) 真田昌幸・幸村父子ゆかりの地
真田昌幸・幸村父子は小説や漫画でおなじみの武将であるが、 勇猛果敢な武将として取り上げられたのは、江戸時代中期の <真田三代記>からであり、真田十勇士が登場するのは大正時代の 立川文庫からである。 十勇士については史実のほどは疑わしいが、昌幸・幸村父子の凄さは 史実であり、徳川家康をも恐れさした。 ...続きを見る

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2008/07/20 15:03
高野山(和歌山県高野町) その10 奥の院と参道(2) 世界遺産
<奥の院と参道(1)では、一の橋参道入口〜中の橋>クリック参照 <奥の院と参道(2)では、中の橋参道入口〜奥の院> を歩いてみる。 ...続きを見る

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2008/07/19 15:52
高野山(和歌山県高野町) その9 奥の院と参道(1) 世界遺産
高野山奥の院は、高野山の東北端に位置し、弘法大師空海の御廟が ある。弘法大師信仰の霊地で、参詣者がいつも多く、静寂な奥の院は その様子を変える。 一の橋の参道入口から約2kmの杉木立に覆われた参道沿いには、 昔の武将などの供養塔が林立し、その数は20万基を越えるといわれる。 ...続きを見る

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2008/07/19 15:11
高野山(和歌山県高野町) その8 宝善院、清浄心院
高野山金剛峯寺の塔頭(子院)で、52軒ある宿坊の二つである。 共に、創建の歴史は古く、弘法大師空海の開基と伝えられている。 奥の院に最も近い塔頭で、参道一の橋の手前に位置する。 ...続きを見る

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2008/07/19 10:43
高野山(和歌山県高野町) その7 風景
高野山の隅から隅まで歩いて(3日間)、高野山の風景の一端を見てみよう。 高野山の西端にある<重文>大門から東北端にある弘法大師御廟まで。 ...続きを見る

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2008/07/16 21:31
高野山(和歌山県高野町) その6 南院<浪切不動尊>
南院の本尊<重文>不動明王立像は<浪切不動尊>と呼ばれ、 弘法大師空海が唐から帰朝の際、荒波を鎮めたといわれる不動明王 で、当初は伽藍山王院に安置されていたが、その後南院に移座された。 ...続きを見る

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2008/07/15 14:34
高野山(和歌山県高野町) その5 福智院<高野山温泉の宿坊>
高野山で唯一の天然温泉<高野山温泉>のある宿坊で、高野山最大の 宿坊でもある。 高野山の中心から少し離れた所に位置するが、何かと評判のあるお寺である。 お寺というよりも宿坊として評判が高い。 ...続きを見る

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2008/07/15 12:46
高野山(和歌山県高野町) その4 普賢院、普門院
普賢院・普門院は高野山のほぼ中心に位置する金剛峯寺の塔頭(子院)で、 高野山にある宿坊52院の二つである。 ...続きを見る

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2008/07/15 11:48
高野山(和歌山県高野町) その3 金剛三昧院<国宝多宝塔>
金剛三昧院は高野山真言宗総本山金剛峯寺の塔頭(子院)であるが、 高野山の中では火事に遭うこともなく創建当初の建物や文化財が多く 残っている。 境内全体が世界遺産に登録されている。 これも中心地から少し離れた所に位置するためであろう。 特に、<国宝>多宝塔は<国宝>石山寺(滋賀県大津市)多宝塔に次いで 二番目に古い多宝塔であり、多宝塔の日本三名塔に数えられている。 <多宝塔の日本三名塔:石山寺、金剛三昧院、慈眼院(大阪府泉佐野市)> ...続きを見る

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2008/07/14 15:15
高野山(和歌山県高野町) その2 金剛峯寺<高野山真言宗総本山> 世界遺産
明治時代までは、金剛峯寺は高野山全山の名前であったが、明治時代になって それまで青巌寺と呼ばれたお寺と興山寺を合併して金剛峯寺と改めた。 金剛峯寺は高野山真言宗の総本山として宗派の総元締めを行うと同時に、 高野山全体の統括・管理にあたっている。 境内全体が世界遺産に登録されている。 ...続きを見る

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2008/07/13 20:56
高野山(和歌山県高野町) その1 壇上伽藍(世界遺産)
高野山は標高800m、東西6km南北3kmの平坦地で、周囲を1000mの 山々に囲まれた山上の盆地である。 816年弘法大師空海は嵯峨天皇から開創の勅許を得て、徐々に堂塔の 建立を始めるが、すべての完成をみる前の835年奥の院で入定した。 空海創案の堂塔すべてが完成したのは887年であった。 ...続きを見る

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2008/07/13 15:24
法蔵寺(和歌山県広川町) 珍しい様式の<重文>鐘楼
法蔵寺の<重文>鐘楼は袴腰様式で、屋根が珍しく寄棟になっている。 一般に袴腰鐘楼の屋根は入母屋造りで、寄棟造りは珍しい。 <重文>の鐘楼で寄棟・袴腰のものは朝光寺(兵庫県加東市)に みるぐらいである。 ...続きを見る

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2008/07/10 17:15
興国寺(和歌山県由良町) 虚無僧尺八発祥のお寺
尺八は7世紀頃雅楽尺八として使われていたが、今日のような尺八の 起源は13世紀に興国寺の開山法燈国師が中国から連れてきた4人の 僧(虚無僧)による禅と結びついた尺八が普及していったのが始まりと いわれる。この禅宗を普化宗といい、もっぱら虚無僧だけが尺八を 使っての修行としていた。 明治時代以降、日本の伝統楽器として一般に普及し、今日に至って いる。 興国寺には尺八道場があり、その歴史を伝えている。 ...続きを見る

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2008/07/10 10:44
播州清水寺(兵庫県加東市) 西国三十三所観音霊場第25番
播州清水寺は三清水寺(京都清水寺、坂東清水寺、播州清水寺) のひとつである。どのお寺も坂上田村麻呂ゆかりの寺である。 ...続きを見る

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2008/07/09 10:02
浄妙寺(和歌山県有田市) <重文>本堂・多宝塔
有田市の山手にある小さなお寺に<重文>本堂・多宝塔が、 1585年の秀吉の兵火にもかかわらず残り、本尊などの 仏像も生き残った奇跡のお寺である。 ...続きを見る

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2008/07/02 10:05
龍泉寺(大阪府富田林市) <名勝>浄土式庭園
本堂西側に広がる庭園は、南北朝時代以前の影響が残る浄土式庭園で、 大きな池には三つの島があり、スイレン・蓮・かきつばた・しょうぶ・アヤメ などが花を咲かせる。 自然がそのまま残る庭園の風景は、一見すると手入れが行き届かない 風景にも見えるが、周囲を廻ると自然を生かした庭園の本来持つ癒し空間を 造り出している。これこそ<自然庭園>である。 これに類した庭園は三重県津市の専修寺庭園がある。 <専修寺 その1>参照 また、この池は弘法大師空海が祈祷によって水を呼び、清水満々として 三... ...続きを見る

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2008/06/30 21:07
中山寺(兵庫県宝塚市) 西国三十三所第24番
718年長谷寺の僧徳道上人が開創したと伝えられる西国観音霊場も その時点では信仰を得られず、時節到来を祈り、宝印を中山寺の石櫃に 納めたといわれる。 それから270年後の988年に花山法皇が石櫃から宝印を取り出し、霊場を参拝 したと伝えられており、これが西国三十三所観音霊場巡礼の始まりと 考えられている。 ...続きを見る

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2008/06/30 17:06
瀧谷不動<瀧谷不動明王寺>(大阪府富田林市) 日本三不動
大阪南部の不動信仰の中心であるばかりか、各地から不動尊への祈願 で訪れる人でいつも賑わっている。 特に、28日の縁日は多く<眼病平癒>だけでなく、いろんなご利益を 求めて賑わう。 日本三不動も諸説があるが、不動信仰が多くの人に浸透しているのも それら諸説を生み出している。 <成田不動、目黒不動、中野不動、米子不動、菅谷不動、瀧谷不動、・・> 成田不動尊はつとに有名で、その影響も受けて益々不動信仰は、特に 交通安全祈願は多い。 ...続きを見る

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2008/06/30 12:24
圓教寺<円教寺>(兵庫県姫路市) その2 西国三十三所観音霊場第27番
<西の比叡山>と呼ばれる圓教寺は書写山(371m)の山上一帯に広がり、 西国三十三所観音霊場の中でも最大規模を誇るお寺である。 天台宗の三大修行道場(比叡山、大山、書写山)としても多くの僧が修行し、 皇室などの来山もあり、大いに栄えた。 現在もロープウェイを利用した多くの参詣者や観光客が集い、 山の深遠な風景を満喫している。 ...続きを見る

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2008/06/24 20:23
弘川寺(大阪府河南町) 西行終焉の地
歌聖と呼ばれる西行は晩年の1189年、弘川寺の空寂上人を慕ってこの寺に 入り草庵を築いた。その翌年2月16日<願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ>の願い通り73才で入寂した。 ...続きを見る

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2008/06/24 17:54
道成寺(和歌山県日高川町) 安珍・清姫伝説のお寺
道成寺といえば<安珍・清姫伝説>であるが、平安時代1040年に著された <大日本国法華験記>にはすでに登場してくる古い伝説で、歌舞伎・能楽・文楽 などの<道成寺もの>として連綿として続いている。 ...続きを見る

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2008/06/22 12:52
圓教寺<円教寺>(兵庫県姫路市) その1 映画<ラストサムライ>のロケ地
2003年の映画<ラストサムライ>のロケ地として有名になった 圓教寺の三つの堂<重文>常行堂、<重文>食堂、<重文>大講堂が コの字に配された風景。 この風景に映画のスタッフが魅了されて一気にロケ地に決定したらしい。 ...続きを見る

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2008/06/22 09:31
水間寺<水間観音>(大阪府貝塚市) 厄除け祈願の水間観音
参詣鉄道の水間鉄道が敷かれるほどに厄除け観音として慕われて いる水間寺にはいつも多くの参詣者が見られる。 山門の無いオープンなお寺が一層庶民信仰に支えられて今日を築いている。 ...続きを見る

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2008/06/21 20:38
道明寺(大阪府藤井寺市) 菅原道真ゆかりの尼寺
901年大宰府に赴く途次、土師寺(道真死後に道真の号をとって道明寺となる) にいた伯母の覚寿尼を訪れ <啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の鳴からむ里の暁もかな>と残して 別れを惜しんだといわれている。 ...続きを見る

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2008/05/31 21:01
勝尾寺(大阪府箕面市) 西国三十三所観音霊場第23番
箕面の山中に広大な境内が広がる勝尾寺は、観音霊場として、 勝ちダルマの勝運の寺として、紅葉の名所として益々栄える お寺である。 境内も年々整備され観光スポットの位置を高めている。 ...続きを見る

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2008/05/31 17:53
総持寺(大阪府茨木市) 西国三十三所観音霊場第22番
総持寺は西国三十三所観音霊場の中でも数少ない市街地にあり、 アクセスも便利なことから霊場巡りの人が絶えないお寺である。 ...続きを見る

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2008/05/31 14:07
四天王寺(大阪市天王寺区) その1 聖徳太子創建の最初のお寺
586年に起こった蘇我馬子と物部守屋の崇仏・排仏の対立、国家運営思想の対立など から戦となり、その時14歳で馬子に従った聖徳太子は自軍の勝利を念じて四天王を 刻み、勝利が適えばお寺を建てる誓いを立てた。 聖徳太子は戦に勝って、その誓いを実行すべく593年難波に四天王寺の建立を始めた。 これが四天王寺の開創であり、日本最初の官寺の始まりである。 これを契機として仏教の浸透とお寺の建立が盛んになっていった。 ...続きを見る

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2008/05/30 21:38
家原寺(大阪府堺市) 奈良時代の名僧行基の生誕地
668年家原寺の地で生まれたと伝わる行基は、奈良時代に社会事業を 行うと同時に、数多くのお寺を建立した。 行基が開基と伝わるお寺は全国にひろがっており、その足跡の広さが 推し量られる。 特に、行基創建の49院は有名である。 ...続きを見る

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2008/05/30 15:35
法道寺(大阪府堺市) 貴重な重要文化財の食堂
食堂(じきどう)は僧侶などが法会などの時に食事をしたお堂で、法道寺の 食堂は鎌倉時代の全国的にも貴重な建築としてみられている。 ...続きを見る

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2008/05/27 23:08

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