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タイトル 日 時
声明寺 (兵庫県南あわじ市) 志知城主・菅氏の菩提寺
声明寺 (兵庫県南あわじ市) 志知城主・菅氏の菩提寺 戦国時代に活躍した淡路菅水軍の先祖・菅道忠が鎌倉時代初期に 築いたといわれる志知城を本拠として、菅氏は戦国時代にかけて 淡路南部の豪族であった。 桃山時代に豊臣秀吉によって占拠されると、志知城には黒田官兵衛が 入り治めている。 この志知城の南に建つのが声明寺で、菅氏の菩提寺であった。 ...続きを見る

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2017/08/31 09:33
極楽寺 (大阪市住吉区)
極楽寺 (大阪市住吉区) 本堂横に安置されている石燈籠は、1336年楠木正成が奉納したと 伝えるもので、正成の父が子授かりを祈願して、正成が誕生したと 聞いていた正成が、お礼に奉納したと伝承されている。 極楽寺の開創は不詳であるが、本尊毘沙門天は榎津にあった 古代寺院の仏像といわれている。 ...続きを見る

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2017/08/30 09:09
大円寺 (京都府亀岡市) 鉄造薬師如来
大円寺 (京都府亀岡市) 鉄造薬師如来 大円寺薬師堂に祀られている鉄造薬師如来坐像は、鎌倉時代の 造像で、非常に珍しい仏像といわれ、関西では希少価値がある。 もとは亀山城天守の場所に祀られていたが、いつしか大円寺に 祀られ、亀山薬師と呼ばれて信仰を集めている。 ...続きを見る

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2017/08/29 10:04
洛陽三十三所観音霊場
洛陽三十三所観音霊場 洛陽三十三所観音霊場の起源は、平安時代末期に後白河法皇が西国三十三所 観音霊場が広域にわたり、巡礼に不便ということで洛陽に設けたと伝承される。 その後、絶えたり復興したりであったが、2005年に再興されている。 ...続きを見る

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2017/08/29 10:00
福正寺 (滋賀県守山市)
福正寺 (滋賀県守山市) 蓮如上人は寛正の法難(1465年)によって、大谷本願寺を比叡山の 圧力によって追われ、近江湖南や堅田を拠点に抵抗を試み、真宗の 布教に努めている。 湖南においては、金森や赤野井が拠点となった。 その赤野井にあって、福正寺は宗教文化発信の拠点としての役割を 果たしたといわれている。 ...続きを見る

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2017/08/28 09:10
もくもく探索日誌 2017年8月27日 宝塚〜伊丹
もくもく探索日誌 2017年8月27日 宝塚〜伊丹 中国道豊中ICを朝6時半に出る。 宝塚〜伊丹の未知のお寺探索となる。 宝塚、伊丹の市街地を巡るが、道が狭く、一方通行の多い探索に 難渋する。更に、駐車場のないお寺にも。 しかし、難渋ばかりでなく、塩尾寺麓からの眺望、大阪空港の滑走路近くからの 撮影は難渋を吹き飛ばしてくれた。 ...続きを見る

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2017/08/27 21:45
宝樹寺 (三重県津市) 桃園三地蔵
宝樹寺 (三重県津市) 桃園三地蔵 津市南部にあって、かっては桃園(ももぞの)村と呼ばれた桃園地区には、 鎌倉時代1314年造像の石造地蔵菩薩が3体存在し、これを <桃園三地蔵>と呼び、いずれも三重県の文化財に指定されている。 3体の地蔵尊は、   栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)   光明寺地蔵菩薩立像(津市新家町)   宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町) ...続きを見る

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2017/08/27 15:45
遍照院 (愛知県知立市) 三河三弘法
遍照院 (愛知県知立市) 三河三弘法 815年弘法大師空海は東国巡錫の折、三河に1ヶ月逗留し、 三体の自刻像を彫って祀ったと伝承されている。 一体は、別れを惜しんで見返った姿の像(見返弘法大師)で、 遍照院(知立市)に。 一体は、別れを惜しんで見送った姿の像(見送弘法大師)で、 西福寺(刈谷市)に。 一体は、別れの涙を流した姿の像(流涕弘法大師)で、 密蔵院(刈谷市)に。 これを三河三弘法と呼んで、三河の弘法大師信仰のシンボルとなっている。 ...続きを見る

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2017/08/26 09:57
京都市東山区のお寺総覧
京都市東山区のお寺総覧 京都市東山区のお寺リスト ...続きを見る

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2017/08/25 15:40
法性寺 (京都市東山区>
法性寺 (京都市東山区> 東福寺の西に、こじんまりとした法性寺が建つ。 法性寺は、924年後に摂政関白となる藤原忠平によって開創され、 藤原氏の氏寺として現在の東福寺境内を含む広大な境内に大伽藍が 整備された。 1239年九条道家が東福寺を開創するにあたって、法性寺の境内を 取り込んで行われている。 南北朝の争乱で荒廃し、桃山時代には廃寺となっている。 明治時代になって、法灯を引き継ぎ法性寺が現在地に再興されている。 ...続きを見る

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2017/08/25 15:33
岐阜市のお寺 (岐阜県岐阜市)
岐阜市のお寺 (岐阜県岐阜市) 岐阜市のお寺一覧 ...続きを見る

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2017/08/25 09:50
大智寺 (岐阜県岐阜市) ヒノキ
大智寺 (岐阜県岐阜市) ヒノキ 岐阜市の北東、山県北野地区に四季折々の花木が彩りを見せる大智寺 が、静寂の中に建っている。 大智寺の始まりは、おおよそ800年前の天台宗寺院であったといわれて いるが、1500年北野城主・鷲見保重が再興し、自らの菩提寺として 大智寺を開創している。 鷲見保重は、美濃郡上の鷲見城主であったが、領土を拡張し、山県まで 拡げ、1478年弟に鷲見城を譲り、北野に北野城を築き以降、 北野城主と領している。 江戸時代には、幕府からの支援も受ける名刹となった。 ...続きを見る

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2017/08/25 09:39
蓮福寺 (三重県名張市南古山)
蓮福寺 (三重県名張市南古山) 名張市北端に位置する南古山集落に、集会所と兼ねた蓮福寺が建つ。 開創については不詳である。 境内に安置されている五輪石塔は、もとは寺の西方50mほどにあった ものが移された。 鎌倉時代末期のもので、集落の惣供養塔として造立されたと考えられている。 ほぼ完形の姿で残され、名張市の文化財となっている。 ...続きを見る

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2017/08/24 08:50
金蓮寺 (京都市北区) 四条道場
金蓮寺 (京都市北区) 四条道場 金蓮寺は、1311年時宗の僧・浄阿真観が後伏見上皇から、四条京極 (現在の中京区中之町)にあった祇陀林寺を賜り金蓮寺として開創している。 四条にあったことから四条道場と呼ばれ、時宗四条派を形成している。 室町幕府の帰依を受け、大いに栄えたといわれている。 しかし、何度かの火災に遭い、江戸時代後期から衰退が始まり、 境内の一部売却により新京極繁華街が始まる。 1928年現在地に移転し、かっての大寺の面影は残っていない。 ...続きを見る

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2017/08/23 09:04
大仏寺 (愛知県東海市) 聚楽園大仏
大仏寺 (愛知県東海市) 聚楽園大仏 日本全国にXX大仏と呼ばれる大仏は数多くある中で、聚楽園大仏は 像高において有数の大仏である。 1927年、守口漬を考案し財を成した実業家・山田才吉によって造立 され、1983年大仏寺の本尊として献納されている。 像高18.8mの鉄筋コンクリート製で、表面は銅塗布である。 現在は、大仏を含めて聚楽園公園が東海市の名勝として指定され、 東海市のシンボルとなっている。 ...続きを見る

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2017/08/22 09:02
もくもく探索日誌 2017年8月20日 福井県北部
もくもく探索日誌 2017年8月20日 福井県北部 北陸道福井北ICを7時半出る。 今日の日程は、永平寺町〜坂井市〜あわら市と福井県北部の未知の お寺探索となる。 この地域は、浄土真宗と曹洞宗寺院が多い。 ...続きを見る

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2017/08/21 10:59
大雄寺 (静岡県浜松市中区) 山門
大雄寺 (静岡県浜松市中区) 山門 大雄寺は、1676年黄檗宗開祖・隠元禅師の弟子で、浜松宝林寺の 住職であった独湛性蛍によって開創されている。 独湛性蛍は1654年、隠元禅師に従って中国清から来日し、1664年 浜松に来て、翌年宝林寺を開創している。 以後、18年間宝林寺住職を務め、1681年黄檗宗大本山萬福寺の第4代 住持となっている。 ...続きを見る

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2017/08/21 08:57
住心院 (京都市左京区岩倉)
住心院 (京都市左京区岩倉) 左京区岩倉北部の山中に、2011年開発移転してきた住心院は、 聖護院門跡の院家として鎌倉時代後期に、東山区新熊野(いまくまの) に開創された由緒ある修験道のお寺である。 聖護院門跡の院家として、新熊野神社の別当として明治維新まで 続いているが、途中に衰退し勝仙院となり、1710年中京区に 住心院として再興され、2011年現在地に移っている。 ...続きを見る

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2017/08/20 20:30
西蓮寺 (岐阜県瑞穂市) 藤九郎銀杏
西蓮寺 (岐阜県瑞穂市) 藤九郎銀杏 銀杏収穫を目的としたイチョウの栽培は1900年頃、愛知県稲沢市祖父江で 始まったといわれ、その品種には、<藤九郎>、<久寿>、<喜平>など がある。 その中でも<藤九郎銀杏>は大粒で日持ちもよく、美味と評判がよい。 藤九郎銀杏は、瑞穂地区に住んでいた井上藤九郎(1795〜1870年)が 自宅の親木に接木してできた銀杏で、いくつか接木された内の1本が 西蓮寺のイチョウである。 推定樹齢120年で、藤九郎銀杏の最古木である。 ...続きを見る

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2017/08/19 13:46
田ノ上観音堂 (長野県木祖村)
田ノ上観音堂 (長野県木祖村) 木曽川源流の木祖村小木曾に建つ田ノ上観音堂の開創は不詳であるが、 現在の観音堂は1776年再建の茅葺観音堂で、木曽谷では最古の茅葺 観音堂である。 この本尊聖観音は飛騨高山から江戸へ運ぶ途中、ここ小木曾で休憩 したところ、急に重くなって運べなくなり、村人が堂宇を建てて祀られたと 伝承されている。 観音堂傍のシダレ桜は、推定樹齢が数百年といわれ、観音堂と桜の 風景が木祖村のスポットとなっている。 観音堂は木祖村極楽寺によって維持管理されている。 ...続きを見る

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2017/08/18 09:21
三明院 (京都市右京区京北)
三明院 (京都市右京区京北) 京北を走る周山街道から狭間峠へ入った山麓に建つのが三明院である。 開創は不詳であるが、鎌倉幕府が倒れる元弘の乱(1331〜33年)で 焼失し、戦国時代にも兵火に罹った極楽寺跡に、1645年三明院として 再興されている。 石段の参道が一つの風景を造り、桜が迎える集落のお寺である。 ...続きを見る

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2017/08/17 09:01
運正寺 (福井県福井市) 初代福井藩主・結城秀康の菩提寺
運正寺 (福井県福井市) 初代福井藩主・結城秀康の菩提寺 足羽山北麓に建つ運正寺は、徳川家康の次男で福井藩の初代藩主であった 結城秀康の菩提寺である。 結城秀康は1574年家康・側室於万の方の間に生まれ、1584年豊臣秀吉の 人質として養子に入る。 1590年家康が江戸に入ると、秀吉は下野の結城氏に秀康を婿入りさせ、 以降結城秀康として大名となる。 1600年関ヶ原の戦い後、福井藩初代藩主として福井に入り、1607年に 亡くなっている。 家康の後継をめぐっては、家康重臣の間に議論もあったが、結城氏の 後継者となっていた秀康に代わって秀... ...続きを見る

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2017/08/16 09:13
西方寺 (石川県金沢市寺町) 飴買い地蔵
西方寺 (石川県金沢市寺町) 飴買い地蔵 金沢には、<飴買い幽霊>、<飴買い地蔵>などの民話がいくつかある。 寺町の西方寺に伝わる<飴買じ地蔵>の民話もその一つである。   不治の病で亡くなった身重の女人を葬ったところ、その墓地から赤子の 泣き声が聞こえ、それを聞いたお地蔵さんが赤子に飴を買って与えていた。 これを聞いた人々はありがたい話だと、後になってお地蔵さんの体を削って 煎じ、子供に与えると病気が治ると噂が広まった。 お地蔵さんを守るために山門横に小堂を建て祀っている。 ...続きを見る

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2017/08/15 09:12
光国院 (京都市右京区) 妙心寺塔頭
光国院 (京都市右京区) 妙心寺塔頭 光国院は、美濃加納藩主・奥平忠隆が父・奥平忠政の菩提を弔うために 開創している。 加納藩は、1601年岐阜に加納信昌を初代藩主として、徳川家康が開いて いる。加納信昌の妻は家康の娘・亀姫である。 なお、岐阜市の光国寺は亀姫の菩提寺で、開山は光国院と同じ 梁南禅棟である。 ...続きを見る

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2017/08/14 09:14
西方寺 (岡山県新庄村)
西方寺 (岡山県新庄村) 新庄村は岡山県の西北端に位置し、瀬戸内海に注ぐ旭川の上流・新庄川が 南北に流れ、出雲街道の宿場町として栄えた村である。 宿場町・新庄宿の面影が残り、街道の桜並木は桜名所となっている。 西方寺は新庄宿の近くに建つ<観音のお寺>として信仰を集めている。 観音堂には西国三十三観音が祀られ、西国巡礼が一度に参ることが できる。 ...続きを見る

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2017/08/13 08:28
鬼骨寺 (徳島県鳴門市) 鬼伝説
鬼骨寺 (徳島県鳴門市) 鬼伝説 瀬戸内海に面した鳴門市北灘町折野に、朱の鐘楼門が建つ鬼骨寺には、 法然上人の教化を受けた鬼の伝説があり、鬼の歯や角といわれる遺物 が残されている。  法然上人が1207年建永の法難で讃岐に配流された折、折野に棲み 村人を苦しめていた親と4匹の子鬼が法然上人の教化を受けて、 今まで村人を苦しめてきた贖罪と来世での安寧を願って、海に身を 投じ、これを思った村人が鬼たちの骨を鬼骨寺に埋葬したと。 当時は、鬼骨寺は薬師寺と呼ばれていたが、後に鬼骨寺と改名した といわれている。 ...続きを見る

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2017/08/12 09:05
九品寺 (京都府京丹後市丹後町) 穴文殊
九品寺 (京都府京丹後市丹後町) 穴文殊 丹後半島の海岸段丘の上にあって、自衛隊基地と米軍レーダー基地に 挟まれた境内に、山門と文殊堂が建っている。 室町時代、経ヶ岬東海岸の海蝕洞(海心洞)に祀られていた文殊菩薩を、 1609年現在地に堂宇が建立されて移座されている。 洞に祀られていたことから、<穴文殊>と呼ばれ、丹後三文殊のひとつに 数えられている。 現在は、近くの万福寺が管理している。 ...続きを見る

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2017/08/11 09:17
宝林寺 (兵庫県たつの市揖保町)
宝林寺 (兵庫県たつの市揖保町) 宝林寺は、京都大徳寺の開祖・大燈国師(宗峰妙超)の生誕地といわれる 地に、1738年国師生誕地の記念として開創された宝林庵が始まりと 伝えられている。 宗峰妙超は、1282年播磨浦上荘の豪族・浦上氏の一族の子として 生まれ、11歳で出家し苦行している。 1325年花園天皇の帰依を受け大徳寺を開創している。 ...続きを見る

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2017/08/10 09:16
明尾寺 (大阪府枚方市)
明尾寺 (大阪府枚方市) 1200年前に築造されたという山田池を中心とする山田池公園の中に 建つ明尾寺は、612年朝鮮高麗から渡来した僧・徳胤が聖徳太子に 十一面観音を奉献したと伝えられる。 この観音菩薩を太子の異母弟・麻呂子親王が山田池の北東の地に 禅林寺を開創し、祀ったのが明尾寺の始まりと伝承されている。 弘法大師空海も巡錫し、真言密教のお寺になったといわれている。 ...続きを見る

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2017/08/09 09:10
京都丹後のお寺
京都丹後のお寺 天橋立を中心として観光と<冬のかに>の丹後には古刹・名刹が 多くあるが、その中のいくつかを紹介 ...続きを見る

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2017/08/08 15:00
興禅寺 (京都府舞鶴市)
興禅寺 (京都府舞鶴市) 舞鶴市の東部、福井県境の多聞院地区山麓に建つ興禅寺は、 開創は不詳であるが、天台宗のお寺が始まりで、真言宗に変わり、 1625年に臨済宗の禅寺となっている。 興禅寺に祀られている毘沙門天は藤原時代の仏像で、江戸時代には 一時行不明となったこともあり、それに纏わる伝説もあって、舞鶴での 毘沙門天信仰が篤かったといわれている。 ...続きを見る

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2017/08/08 14:39
極楽寺 (和歌山県海南市下津町塩津)
極楽寺 (和歌山県海南市下津町塩津) 塩津漁港は、江戸時代初期紀州藩ができて以降、天然の良港を活かし、 急速に漁業や廻船業などで発展し、塩津浦と呼ばれ紀州藩の財源の 一つでもあった。 1840年頃には、人口1200人弱を抱える賑わいのある集落であったが、 現在は半分以下の漁港となっている。 この塩津集落の山腹に建つのが極楽寺である。 ...続きを見る

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2017/08/08 09:14
常念寺 (奈良県広陵町広瀬)
常念寺 (奈良県広陵町広瀬) 常念寺は、1530年箸尾城主・箸尾為高(?)が引退後出家し、 楽誉浄海となってから箸尾氏の菩提寺として開創したのであろう と伝えられている。 箸尾氏は、中世の大和四家(筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏)の 豪族として、箸尾城を根拠に戦国時代1580年頃まで続いていた。 ...続きを見る

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2017/08/07 09:55
如是寺 (京都府綾部市)
如是寺 (京都府綾部市) 江戸三百藩といわれるように、大小の大名が存在した中で、現在の 綾部市には、西部に綾部藩、東部に山家藩があった。 山家藩は1600年から明治維新まで続いた小藩であった。 山家藩2代藩主衛政の時に、弟・衛冬に梅迫領(梅迫谷氏)、甥・衛之に 上杉領(上杉谷氏)、甥・衛清に十倉領(十倉谷氏)と分知し、 江戸詰めの旗本としている。 その十倉谷氏の菩提寺が如是寺である。 ...続きを見る

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2017/08/06 15:37
龍谷寺 (兵庫県豊岡市出石町)
龍谷寺 (兵庫県豊岡市出石町) 城下町出石の郊外に建つ龍谷寺は、旧中和家住宅の隣に中和氏が 壇越となって移転してきているが、共に庭園は小ぶりであるが江戸時代中期 の作庭で豊岡市の名勝に指定されている。 ...続きを見る

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2017/08/05 10:10
本行寺 (大阪府高槻市) 高槻城の遺構
本行寺 (大阪府高槻市) 高槻城の遺構 本行寺の南500mほどにあった高槻城は、990年近藤氏が小丘に 築いた城が高槻城の始まりといわれている。 1574年には高山右近が城主となり、1615年には高槻藩が始まり、 内藤氏が城主で藩主となっている。 その後、藩主は何度も変わったが、1649年永井氏が藩主となり、 明治維新まで続く。 永井氏は本行寺を祈願所として支援している。 1874年高槻城が廃城となり、城門の一つが本行寺の山門として 移築されている。 高槻城の遺構は本行寺山門と永井神社唐門のみで、ほとんど全てが 破... ...続きを見る

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2017/08/04 09:13
もくもく探索日誌 2017年8月2日 三重県名張
もくもく探索日誌 2017年8月2日 三重県名張 名阪国道上野ICを7時に出て、名張街道を名張へ。 名張の未知のお寺探索となる。名張も久し振りの訪問。 名張に入る手前に位置する伊賀市古山の<光明寺>に立ち寄る。 六地蔵石幢を見つける。 名張に入る。南古山の<蓮福寺>への道を間違え苦労する。 名張の南部へ。 広葉杉が目立つ<龍性院>の遠景がいいね。 更に、比奈地ダム湖沿いに南下。 カヤの大木<不動寺>ではお茶をいただき話に花が咲く。 ...続きを見る

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2017/08/03 09:47
久昌寺 (京都府福知山市) 福知山藩主・朽木氏の菩提寺
久昌寺 (京都府福知山市) 福知山藩主・朽木氏の菩提寺 福知山市寺町の代表的な久昌寺は1592年に開創されたと伝えられ、 1669年福知山藩主として土浦藩から移ってきた朽木稙昌の菩提寺 となり、明治維新まで朽木氏の菩提寺となった。 墓所は東京・泉岳寺にある。 朽木氏は現在の滋賀県高島市朽木を本拠とした鎌倉時代からの 領主であった。 関ヶ原の戦いにおいて徳川方について活躍したことから、 大名として存続している。 ...続きを見る

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2017/08/03 09:00
大岡寺 (滋賀県甲賀市甲賀町)
大岡寺 (滋賀県甲賀市甲賀町) 甲賀市には、大岡寺が水口町と甲賀町に2ヶ寺あり、水口町の大岡寺が よく知られるが、甲賀町隠岐の大岡寺も由緒深いお寺である。 鎌倉時代初期に近江守護となった佐々木秀義の五男・佐々木義清が 現在の大岡寺の丘陵上に隠岐城を築き、鎌倉幕府の御家人として 活躍し、義清は隠岐・出雲の守護となっている。 その末孫といわれる佐々木清三が、元弘年間(1331〜34年)に 隠岐城を再構築し清三寺を開創したと伝えられている。 室町時代になって大岡寺としている。 ...続きを見る

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2017/08/02 14:42
興禅寺 (京都府南丹市八木町)
興禅寺 (京都府南丹市八木町) 興禅寺には、妖怪伝説の一種である<みなづき様>伝説のみなづき様が 祀られ、毎年7月31日に開帳されている。 みなづき様は、観音さんの形をした木の株といわれ、  元は興禅寺の東に位置する賀屋集落に祀られていたが、賀屋集落が 洪水の被害に困って、集落の人々がみなづき様を川に投げ捨てると、 みなづき様は川を遡り、観音寺集落の橋の下でキーキーと泣くと、 観音寺集落の人が拾い上げて、興禅寺にいつしか祀ったといわれている。 ...続きを見る

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2017/08/01 14:12
栄松寺 (三重県津市) 桃園三地蔵
栄松寺 (三重県津市) 桃園三地蔵 津市南部にあって、かっては桃園(ももぞの)村と呼ばれた桃園地区には、 鎌倉時代1314年造像の石造地蔵菩薩が3体存在し、これを <桃園三地蔵>と呼んで、三重県文化財に指定されている。 3体の地蔵尊は、   栄松寺地蔵菩薩立像(津市川方町)   光明寺地蔵菩薩立像(津市新家町)   宝樹寺地蔵菩薩坐像(津市牧町)である。 ...続きを見る

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2017/08/01 09:21

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お寺の風景と陶芸 2017年8月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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