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zoom RSS 徳永寺 (三重県伊賀市) 徳川家康の伊賀越え

<<   作成日時 : 2016/01/30 10:36   >>

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1582年本能寺の変後、堺から四条畷に移動していた徳川家康は、明智光秀
の落武者狩りを恐れて30数名の家臣と共に、宇治田原〜信楽〜伊賀〜白子
〜常滑〜岡崎と逃げ帰った<伊賀越え>は家康の最大の危機であったと
いわれている。
その途次にある伊賀徳永寺で一時休憩したとか、宿泊したとかいわれている。
後に、徳永寺に対して葵の紋使用の許しを与え、江戸時代になると、
伊賀藩の藤堂藩主から庇護を受けている。

徳永寺の開創は不詳であるが、戦国時代の1558〜72年に現在地に
移ったといわれている。
境内から霊山を望み家康の危機を想像する。
徳永寺には善光寺の一光三尊を勧請し、柘植善光寺とも呼ばれている。

(1)寺名:徳永寺(とくえいじ) (2)住所:三重県伊賀市柘植町2318
(3)山号:平庸山 (4)宗派:浄土宗
(5)開創:不詳 (6)中興:西誉崇徳 1558〜72年 (7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)鐘楼と梵鐘:市指定文化財 江戸時代
2)宝篋印塔:市指定文化財 南北朝時代
3)藤堂藩主代々寄進状:市指定文化財 江戸時代

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                        参道

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                        山門

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                        全景

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                     境内からの霊山

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                        本堂

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                  十王堂(左)善光寺堂(右)

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                       閻魔像

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                        鐘楼

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                    六地蔵と宝篋印塔

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