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zoom RSS 西方寺 (京都府宇治市) 弥陀次郎伝説

<<   作成日時 : 2014/12/22 09:50   >>

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平安時代末期、今は干拓地となっている宇治川と木津川に挟まれた広大な
巨椋池西端にあった漁村(一口)に悪次郎と呼ばれる荒くれ者がいた。
ある日、次郎は何度も托鉢に訪れる僧に腹を立て、僧の左の頬に焼火箸を
押しつけて追い返した。しかし、次郎は気になって僧の後を追って行くと
光明寺(長岡京市)の中に消えた。
次郎は寺の僧に聞くと、釈迦堂の釈迦如来が時々托鉢に出かけると聞き、
釈迦堂に入れてもらうと、左頬にやけどの跡があり、びっくりした次郎は
それ以降善行を行い念仏者となり、<弥陀次郎>と呼ばれた。
その後、巨椋池の東端にある西方寺の地に閑居し、現在の弥陀次郎川
を造ったり地元への貢献をしたと伝わっている。
この<弥陀次郎>伝説は久御山町・安養寺や光明寺にも伝わっている。
光明寺の釈迦如来は<頬焼けの釈迦>と呼ばれている。

2012年8月の宇治豪雨により、弥陀次郎川が氾濫し甚大な被害が出ている。
西方寺は二子塚古墳東端に位置し、かっては広大な境内であったといわれている。

(1)寺名:西方寺(さいほうじ) (2)住所:京都府宇治市五ヶ庄大林43−1
(3)山号:無量山 (4)宗派:浄土宗
(5)開創:不詳 (6)本尊:阿弥陀如来

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                        参道

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                        標石

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                        山門

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                        境内

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                        本堂

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