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zoom RSS 盛林寺 (京都府宮津市) 明智光秀の首塚

<<   作成日時 : 2012/01/05 09:40   >>

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1582年本能寺の変後、山崎の戦いに敗れた明智光秀は敗走の途中に
京都伏見小栗栖で土民に討たれ、その首が丹後にいる光秀の娘・玉
(細川忠興の妻・後の細川ガラシャ)に送られ、玉が盛林寺に葬ったと
伝承されている。その首塚といわれる供養塔が盛林寺裏山にある。
この当時、南丹後を細川氏が制しており、細川氏は盛林寺を庇護していた。
お寺には明智光秀の位牌も祀られている。

盛林寺は、1577年上宮津城主・小倉播磨守(丹後守護・一色氏の家臣)
が宮津大久保に小倉氏の菩提寺として開創したと伝えられている。
1581年一色氏は細川忠興に敗れたが、盛林寺は細川氏にも庇護される。
1685年現在地に移転している。

(1)寺名:盛林寺(せいりんじ) (2)住所:京都府宮津市喜多696
(3)山号:大円山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開山:趙室宗柏 (6)開基:小倉播磨守
(7)開創:1577年 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)市指定文化財
  即安梅心童子像(画):桃山時代
  仏涅槃図:南北朝時代
  過去帳:江戸時代
2)三界唯心塔婆:趙室宗柏が建立
3)明智光秀首塚

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                        山門

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                      三界唯心塔婆

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                        本堂

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                      明智光秀首塚

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