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真田昌幸・幸村父子は小説や漫画でおなじみの武将であるが、 勇猛果敢な武将として取り上げられたのは、江戸時代中期の <真田三代記>からであり、真田十勇士が登場するのは大正時代の 立川文庫からである。 十勇士については史実のほどは疑わしいが、昌幸・幸村父子の凄さは 史実であり、徳川家康をも恐れさした。 1600年の関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸・幸村父子は 家康から高野山への蟄居を命じられたが、幸村の妻も同道していたので、 <高野山は女人禁制>山麓の九度山に隠棲した。 1611年昌幸は病死したが、もし昌幸が1615年の大阪城合戦に 参戦していたら、結果はどうなっていたかわからないと言われている。 幸村は参戦し、奮戦している。 1741年真田昌幸・幸村父子の屋敷跡に創建されたお寺が真田庵である。 (1)寺名:真田庵(さなだあん)<正式名:善名称院(ぜんみょうしょういん)> (2)住所:和歌山県九度山町九度山1413 (3)山号:伽羅陀山 (4)宗派:高野山真言宗 (5)開山:大安上人 (6)開創:1741年 (7)本尊:地蔵菩薩 (8)その他 1)境内:県指定史跡 2)真田昌幸の墓 南門 南門扉の六文銭 本堂 真田地主大権現 真田昌幸の墓 |
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