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zoom RSS 薬師寺(奈良県奈良市) その1 高田好胤師と白鳳伽藍復興

<<   作成日時 : 2008/02/29 17:39   >>

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薬師寺中興の祖高田好胤師と東大寺中興の祖俊乗房重源上人とが
だぶって私の頭の中に焼きついている。
年代の違いこそあれ、二人の再建に懸ける情熱と戦略・戦術、それを
助けた人達が全く同じ土俵にあると思えてくる。

重源上人は25年間、高田好胤師は31年間の長くて短い期間に大事を
成し遂げ、それに続く再建が将来・未来の<日本の宝>を永続的に
維持し・発展させるのである。
薬師寺金堂再建の時に色々な意見があったそうですが、再建なくして
<日本の宝><仏教>を維持・発展できるであろうか。
過去の歴史が物語っている。
それも困難な勧進によってである。重源上人と好胤師がなくて
現在の東大寺も薬師寺もないではないか。
あってこそ<現代社会におけるお寺>の意義があるのではないだろうか。
また、将来のお寺として。

<薬師寺 その2  参照
薬師寺 東塔参照

<白鳳伽藍の復興と高田好胤師>

(1)1924年3月30日 大阪にて好胤師誕生
(2)1935年 薬師寺に入る。橋本凝胤師の教えを受ける。
         この頃の金堂(江戸時代末期の仮金堂)は廃れていた。
(3)1949年 副住職に就く。この頃から修学旅行生にユーモアたっぷりの
        法話に力を注ぐ。
         また、テレビ時代になって出演回数も増えその名声は全国的な
        ひろがりを示す。
        こうした積み重ね(色々批判も一部にはあったが心をもって乗り越え)
        が<人のネットワーク>を自然とつくりあげた。
(4)1967年 管主に就く。
        師凝胤の想いを成し遂げるべく、金堂の再建を志す。
        この時、現在の管主安田暎胤師などの働きかけなどもあり、写経勧進
        による資金集めに踏み切る。
        最初は苦労も多く、その進捗には疑問も囁かれたそうだが、上記の
        <人のネットワーク>と<情熱>が進捗を可能にした。
(5)1971年4月3日 金堂起工式
(6)1975年11月29日 写経勧進100万巻を達成。
(7)1976年4月1日 金堂落慶式 1ヶ月にわたる落慶法要
        好胤師は最終日に金堂を見上げ<万人の浄行が凝集して仏さまが
        建築の姿になってあらわれたもうた以外の何ものでもない>と金堂
        の前で伏し、<南無金堂大菩薩>と唱えたといわれている。
(8)1977年10月8日 西塔起工式
(9)1978年 橋本凝胤師亡くなる
(10)1981年4月1日 西塔落慶式
(11)1984年 中門落慶
(12)1991年 玄奘三蔵院落慶
(13)1995年 白鳳伽藍復興の棟梁西岡常一が亡くなる
(13)1997年 写経勧進600万巻を達成。
(14)1998年6月22日 高田好胤師逝く
(15)2003年 大講堂落慶
(16)現在も白鳳伽藍復興に向けて再建中 写経勧進も1000万巻を目指して続く

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                        薬師寺遠景

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                          金堂

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                          金堂

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                          西塔

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                          中門

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                          回廊

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                        玄奘三蔵院

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                         大講堂

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